バブル‐けいざい【バブル経済】
バブル経済
バブル経済
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 09:08 UTC 版)
バブル経済に差し掛かると向江頭取の号令により、当時の足銀は行内で「鶴翼作戦」(鶴の胴体が栃木、頭は仙台・郡山、右翼が茨城、左翼は群馬・埼玉、そして尾は、東京・名古屋・大阪を指したという)と呼ばれる融資拡大路線を展開する。後に、"融資効率化"と称して審査部門と新規営業部門を統合する本部機構改革を行い、野放図な融資姿勢を鮮明にする。 1975年(昭和50年)に93ヶ店だった店舗数は、20年後には212ヶ店と2倍以上に増加し、1985年(昭和60年)に2兆3000億円だった貸出金は1995年(平成7年)には4兆8000億円となった。当時の中曽根民活によるリゾート法の追い風もうけ、建設業・不動産業から鬼怒川温泉や那須のホテル・旅館・ゴルフ場といった観光業、パチンコ店・飲食店などに過剰融資を行い、ニュージーランドへ進出したホテルニュー岡部やあさやホテルをはじめ、栃木県内に豪華絢爛な建造物が出現した。 地元で賄い切れない貸出金は埼玉・東京に流れ、一時、東京支店の貸出残高が宇都宮の本店営業部を抜き、都内支店(東京・日本橋・赤羽・新宿新都心・渋谷)の貸出金総額は1兆円を超えた。つまり、地銀でありながら地元の北関東で集めた資金を東京他県外で運用していたことになる。さらに系列ノンバンクである北関東リース(宇都宮)・足銀ファクター(宇都宮)・足銀リース(伊勢崎市)・あしぎん抵当証券(大宮市)を通じて銀行融資では不適格な案件に対しても融資を積極的に行った。当時、これに疑問を呈する向きは少なく、逆に「地銀の雄」「地銀の住友銀行」などと賞賛された。 1989年(平成元年)7月、向江は全国地方銀行協会副会長に就任、翌年には足銀の預金順位は地銀第5位となり栄華を極めていた。
※この「バブル経済」の解説は、「足利銀行」の解説の一部です。
「バブル経済」を含む「足利銀行」の記事については、「足利銀行」の概要を参照ください。
バブル経済
「バブル経済」の例文・使い方・用例・文例
バブル経済と同じ種類の言葉
- バブル経済のページへのリンク