エースとして
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/08 10:11 UTC 版)
1968-69シーズンを前にシクサーズを優勝に導いたチェンバレンがロサンゼルス・レイカーズに移籍。さらにアレックス・ハナムもコーチ職を辞したため、シクサーズは新シーズンの苦戦が予想された。しかしチェンバレンの移籍を機にいよいよカニンガムの才能が発揮され、彼はこのシーズンに得点とリバウンドの二つの部門でチームトップとなる平均24.8得点12.8リバウンド3.5アシストの成績を残し、NBAオールスターゲームに初出場を果たし、オールNBA1stチームにも選ばれた。カニンガムの活躍でシクサーズの地位も大きく揺らぐことなく、このシーズンは55勝27敗の成績を残した。しかしプレーオフでは因縁の相手であるセルティックスに1勝4敗で敗れた。 翌1969-70シーズンにカニンガムは得点とリバウンドでキャリアハイとなる平均26.1得点13.6リバウンド4.3アシストを記録するが、カニンガムが選手としてのピークを迎えるのと同時に、シクサーズは衰退期に入った。チェット・ウォーカーも放出したシクサーズは、このシーズンに前年度を大きく下回る42勝40敗を記録。プレーオフでは1回戦で大物新人ルー・アルシンダー擁するミルウォーキー・バックスに敗れた。1970-71シーズンにカニンガムは平均23.0得点11.7リバウンド4.9アシストを記録し、3年連続のオールスターとやはり3年連続のオールNBA1stチームに選ばれる。シクサーズはアーチー・クラークの成長やジム・ワシントンの加入を受けて前年度を上回る47勝35敗を記録した。しかし翌1971-72シーズンにはクラークが移籍した上に、長年シクサーズを支えてきたハル・グリアも衰えを隠せなくなり、カニンガムは平均23.3得点12.2リバウンド5.9アシストを記録したものの、30勝52敗と負け越したシクサーズはプレーオフ出場も逃した。 カニンガムはこのシーズンを限りにシクサーズを去ることを決意するが、彼の移籍により、翌1972-73シーズンの76ersは悪夢のようなシーズンを経験する。シクサーズは9勝73敗という、NBA史上最低となる勝率を記録してしまうのである。
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