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税理士法人 今井会計事務所

「 嫌われる勇気 」 人生が変わるアドラー心理学  2014-03-19

01.アドラーの 「嫌われる勇気」 って、どんな本?      2014.03.19

 

今年、ベストセラーになっている 「嫌われる勇気」 を読みました。
タイトルだけ読むと、 「好き嫌い」 について書かれた本だと、思われるかもしれません。
もちろん、 「嫌われる勇気を持ちなさい」 と、書かれています。 
しかし、それはごく一部に過ぎません。

 

この本の中には、もっと重要なテーマが書かれています。                    それは 「幸せに生きる方法」 です。
実は、「あること」 に注意すれば、多くの人が、今よりも、ずっと自分らしく幸せに生きる ことができます。
自分を好きになれない、自信が持てない、自分らしさを発揮できない、などと悩まなくても、済むようになります。

 

その 「あること」 とは ・・・ 「周囲の人との関わり方」 ではないでしょうか。
私が、この事実に気づいたのは、29歳のときのことでした。
アルベルト・アインシュタイン博士の言葉から、大きなヒントを得て、生き方を変えました。
それ以来、試行錯誤を重ね、構築してきたものが、この本の内容と、ほぼ一致していたのです。

 

この 「嫌われる勇気」 は、よくある安易な自己啓発本ではありません。
オーストリア出身の精神科医、アルフレッド・アドラー (1870〜1937) の心理学に基づいて書かれています。
具体的には、自信が持てない若者と、 「人は今日からでも幸せになれる」 と説く哲学者との、対話形式が採られています。

おかげで、 誰もが小説のように気軽に読める本 になった、のではないでしょうか。

 

24年間、実践してきた者として、私はアドラーの提唱する生き方を、多くの人にお勧めします。
自分らしい生き方を取り戻せば、自由、解放感、充実感、達成感、責任感、自他の尊重、貢献の精神などを、得ることができます。

おかげで、同世代の人たちと比べ、 人生における疲労感は、格段に少ない ようです。
また、その結果として、公私ともに、より多くの成果が得られたのではないでしょうか。

 

アドラーが提唱する生き方と、その他の生き方の違いは、表面的なものから発生している訳ではありません。
根本的な考え方の違いから、発生しています。
この本の中には、その仕組みが書かれています。

ぜひ、内容をマスターされ、本来の自分らしい生き方を、発見 していただければ幸いです。

 

 

2.自分の人生に責任を負う      2014.03.23

 

 アドラーによれば、人は変わることができます。
 しかも 「亡くなる2、3日前まで可能」 なのだそうです。
 それでは、 「これからの人生」 を、自分自身の力で変えていくためには、どうすればよいのでしょうか。

 まずは、これまでの人生」 に対して、責任を負う ことです。

 

 「今の自分は、何故こうなったのか」 に対して、2つの考え方があるそうです。
 フロイトの 「原因論」 によれば、 「過去の○○が原因で、今の自分はこうなった」 と考えます。
 たとえば、部屋に引きこもるようになったのは、過去の失敗が原因でトラウマになった ・・・ など。
 しかし、同じ失敗をしても、トラウマにならない人も大勢います。

 

 一方、アドラーの 「目的論」 によれば、過去の出来事は関係ありません。
 それは 単なる事実に過ぎず、そこに 「どんな意味づけをしたのかによる」  と考えます。
     同じ出来事を経験しても、その事実に対して 「よい意味づけ」 をする人もいれば、 「悪い意味づけ」 をする人もいます。
 つまり、問題は 「何があったか」 ではなく 「どう解釈したか」 。

 

 さらに、アドラーによると ・・・
 その 「意味づけ」 は、本人が何らかの目的を果たすために行ったもの だと。
 たとえば、「学校や社会に出て、自尊心を傷つけられたくないから、部屋に引きこもる」 という目的が、先に存在しています。
 その目的を果たすために、過去の出来事に対して、本人が 「悪い意味づけ」 を、行ったのだそうです。

 

 だから、まずは、 今の自分に対して、不満があったとしても、過去や他人のせいにしない ことです。
 「目的論」 に従って、 「自分が選んだ結果」 として、認めなくてはいけません。
 このようにして、これまでの自分に責任を持てば、人生に対して主体性を取り戻すことができます。
 主体性を取り戻すことによって、今後の人生を、自分の意思で変えられるようになります

 

 もし、他人に騙され、辛い目に遭ったとしても、私は、自業自得だと、考えるようにしています。
     また、辛い目にあっている最中でも、 「つくづく馬鹿だな〜」 と、自分の愚かさを、笑ってやります。
 自分よりも賢明な人、苦労した人であれば、このような失敗など、犯さなくて済んだからです。

 もし、自分自身を向上させたいなら、まずは自分が原因であることを、さっさと認めてしまう ことでしょう。

 

 

3.変われないのは、「勇気」 がないから      2014.03.25

 

     人は、10歳までに自分のライフスタイル (人生のあり方) を、自分で決めるそうです
 人間関係などから、最適なものを選ぶそうです。
 「素直なよい子」 「リーダー」 「パイオニア」 「ひょうきん者」 「傍観者」 など、様々なタイプを選択します。
 幸せであり続ければ、最初のライフスタイルのまま、人生をまっとうすればよいでしょう。

 

 しかし、うまくいかなければ、ライフスタイルを変更する必要 があります。
 「目的論」 にそって、事実に対する 「意味づけ」 を変えれば、ライフスタイルを変更することができます。
 私自身は、ライフスタイルの改善を、日課にしています。
 たぶん、一生、この作業を続けることでしょう。

 

 本をたくさん読むのも、そのためです。                                                                                                                                                          目的論によれば、自分の未熟さは、すべて自分に原因があります。
 その未熟な思考回路を使いまわしても、新たな 「意味づけ」 を見いだすことはできません。
 だから、思考回路そのもの、つまり考え方や価値観を、改善 しなければいけません。

 

 そのためには、自分より優れた人の考え方や、価値観に触れる 必要があります。 
 私は、読書が最も有効な方法と考え、時間さえあれば本を読んでいます。
     本は、好きなときに読め、しかも効率よく吸収でき、さらに金額的に安くすみます。
 ビジネス本は、だいたい1冊1,500円ですが、1万倍以上になって戻ってくることもあるでしょう。

 

 アドラーは、今後の人生をどう生きるかについて、過去は関係ないと述べています。  
      自分の人生を決めるのは、 「今、ここに生きる自分」 しかいないと。
 だから、今、この瞬間に、 「自分は絶対に変わってみせる」 と、強い決意を持つことです。
 もし、そうしなければ、昨日までの自分を、そのまま続けることになるでしょう。

 

     中は、自分も家族も困っているのに、ライフスタイルを変えない人がいます。
 アドラーによれば、それは本人が 「変わらない」 と固く決心したから、なのだそうです。
 ライフスタイルの変更には、未知の不安や不満がつきまといます。

 けっきょく 「今の私」 でいる方が楽、つまり幸せになる勇気がない から、なのだそうです。

 

 

4.劣等感は、「健全」 なもの     2014.03.27 

 

 人間は、 「無力な状態」 で生まれてきます。
 保護者がいなければ、数日以内に亡くなることでしょう。
 このままの状態では、自力で生きることができません。

 本能から指令を受け、「早く、この状態から脱したい」 という欲求 を、強く持ちます。

 

 ところが、すぐに一人前になれる訳ではありません。                                                                                                                            1mジャンプするつもりが、80㎝しか飛べず、水たまりに落ちたりします。 
 このように、理想 (目標) の自分に到達できないとき、自分が劣っているかのような感覚 を抱きます。
 これが劣等感の正体なのだそうです。

 

 理想 (目標) とは、向上心があることの証しです。                                                                                                                                   また、向上心がある限り、すべての人が劣等感を持ちます。
 アドラーは、 「劣等感そのものは健全なもの」 と述べています。
 つまり、 「劣等感」 とは、むしろ好ましいものなのです。

 

 劣等感は、 「客観的な事実」 ではなく、 「主観的な解釈」 から 生まれます。
     たとえば身長が160㎝だとすると、その 「客観的な事実」 から、劣等感が生まれる訳ではありません。
 そこに 「どのような意味づけを行うか」 によって生まれます。                                                                                          
           その結果、同じ160㎝でも、 「自分は背が高い」 と思う人もいれば、 「自分は背が低い」 と思う人もいる訳です。

 

 身長160㎝という 「客観的な事実」 そのものは、動かすことができません。
 だから 「どうして自分の身長が160㎝なのか」 と悩み続けても、人生は何ひとつ改善されません。
 自分の生い立ちや学歴、出身地、過去の出来事などについても、同じことが言えます。

 つまり 「自分の力で変えることができない」 ことについて悩むのは、無駄なこと なのです。

 

 一方で、 「主観的な解釈」 は、自分で選ぶことができます。                          もし、主体性のある人生を取り戻したいのであれば・・・
 「客観的な事実」 に対して、自分が 前進できる、向上できる、幸せになれるような 「意味づけ」 を行うべきでしょう。
 ただし重要でないことについては、 「あえて意味づけをしない」 という、選択肢もあります。

 

 

5.他人と自分を比較しない      2014.03.30

 

 人は、それぞれ異なる人生を歩んでいます。                                                                                                                                                まったく同じ条件で生きている人など、どこにもいません。
 だから、誰と比較することもできないし、比較すること自体が無意味 なのです。
 「それぞれの人が、それぞれの人生を歩んでいる」 、ただ、それだけのことなのです。

 

 しかし、多くの人が 「他人」 と比較して、劣等感に悩まされます。
 アドラーは、それを不健全なものと、述べています。
 もともと比較できないので、解決方法さえ見つかりません。 
 不幸を味わうために、あえて悩みを増やしているようなものです。

 

 「他人」 と 「自分」 を比較すると、神経をいたずらに消耗 させます。
 他人は無数に存在するため、終わりなき消耗戦から、抜け出せなくなります。
 それが原因で、精神的に疲れ、自分自身の成長や、重要課題への挑戦を、あきらめてしまう人もいます。
 結果的に、成果の乏しい、無気力な人生を送ることになるのではないでしょうか。

 

 だから、 「他人と自分との比較」 をやめる ことです。
 しかし、人間とは、何かと比較しなければ、成長 (成熟) する気になれないものです。
 成長 (成熟) が止まると、やがて人生がつまらなくなります。
 仕事に対しても、情熱や向上心が持てなくなります。

 

 それでは 「今の自分」 を、何と比較すればよいのでしょうか。
 それは 「理想 (目標) の自分」 です。

 アドラーは 「理想 (目標) の自分」 と、 「実際の自分」 との、比較から生まれる劣等感は、健全なもの と述べています。
 この健全な劣等感を、努力によって克服していけば、そこに成長 (成熟) を、実現させることができます。

 

  「理想 (目標) の自分」 は、必ず自分自身で考え抜く ことです。
 もし 「他人の願望」 を、優先させてしまうと、再び 「他人との比較」 の道に、逆戻りしてしまうからです。
 人生のうち、ごく一部のことを除けば、大半はどうでもよいことです。
 どうでもよいことは、周囲に合わせておけば、無用な摩擦も減り、つまらない時間も、節約できるのではないでしょうか。

 

 

06.他人と競争しない      2014.03.31

 

 他人と自分を比較する人は、相手によって 「他人より劣っている」 と感じます。
 アドラーのいうとおり、人は劣等感に耐えきれないので、早くこの状態を解消させようとします。
 ここで、もし相手との差が大きい場合は、なるべく近づかないようにするでしょう。
 自分以下の相手とだけ、つきあっていれば、劣等感を抱く恐れがないからです。

 

 反対に、もし相手との差が小さい場合は、そこに 「競争意識」 が生まれます。
     競争の先には、必ず勝者と敗者 がいます。
     敗者にならないためには、自分が勝ち続けるしかありません。
     さらに、勝ち続けても、いつ負けるのかと、心の安まる暇がありません。

 

 身近な人が幸せになると、自分が不幸になったと、感じる人もいます。
 逆に、誰かが不幸になると、自分が幸せになったと、感じる人もいます。

 アドラーは、他人と競争する人は、自分以外の人を、やがて 「敵」 と見なす ようになる。
  いくら成功しても、 「世界は敵で満ちあふれた危険な場所」 と感じると、述べています。

 

 他人と比較さえしなければ、他人より 「優れている」 とか 「劣っている」 と、感じなくなります。
 「他人と競争する」 という概念そのものが、存在しなくなります。
 健全な劣等感とは、 「理想 (目標) の自分」 との比較から、生まれるものです。

 だから、 「他人との競争」 ではなく、 「自分との戦い」 に、力を注ぐ べきです。

 

 「今の自分」 と戦うためには、もう一人の 「理想 (目標) の自分」 の存在が、必要になります。
 もし、理想の自分が、世界で最も厳しい存在になれば、自分以外の人がやさしく思えてくる でしょう。
 一所懸命、自分と戦っていると、その姿を見て 「頑張ってるね」 と、周囲の人たちから励まされるものです。
 その結果、 「世界はやさしい人で満ちあふれた安らかな場所」 に変わります。

 

 人間社会とは、実は、すさまじい競争社会なのかもしれません。
 しかし、他人との競争に明け暮れると、晩年まで、神経がもたないのではないでしょうか。

 そこで、あえて、 他人との競争に参加せず、未熟な自分とひたすら戦う。
 これが 「成功」 と 「幸福」 を、両方、手に入れる方法ではないでしょうか。

 

 

07.経営に生かす (社風の改善)      2014.04.06

 

 前回までの内容をおさらいをすると、自分を評価する方法には、2つあります。
 ①自分の周囲にいる人たちと比較して、自分を評価する方法  ・・・ 「相対評価」 と呼ぶことにします。
     ②理想 (目標) の自分と比較して、今の自分を評価する方法 ・・・ 「絶対評価」 と呼ぶことにします。
 自分自身に対する評価方法ですから、いつでも自由に、自分で選ぶことができます。

 

     自己評価に 「相対評価」 を用いる人が増えると、社内の生産性が低下 します。
 なぜなら、メンバーの関心が、組織内に向かってしまうからです。
 その結果、 「人間関係」 の問題が増加し、経営者はつまらないことに煩わされます。
     新人いじめ、派閥作り・争い、上司への媚びへつらいなどが、絶えないのではないでしょうか。

 

 また、その悪影響は 「労使対立」 にまで及ぶ可能性もあります。
 同業他社の労働条件と比較して、不満を言い立てる社員もいるかもしれません。
     これらが原因で、本来
重要な 「全体利益」 や 「顧客サービス」 、 「組織の将来性」 などの問題が、忘れ去られます。
 会社の成長は止まり、やがて業績は下降することでしょう。

 

 そこで、社風を 「相対評価」 から 「絶対評価」 へ、変えなければいけません。
 ここでいう 「絶対評価」 とは、学校などで、生徒の成績を決めるために実施しているものとは異なります。
 他人が評価するのではなく、自分自身で評価するものです。

 つまり、他人との競争をやめて、自分の頭で考えながら、自分自身を成長させる 思考回路を定着させます。

 

 社風が、 「相対評価」 から、 「絶対評価」 に変われば、人間関係の軸が、 「競争」 から 「尊重」 に 変わります。
 なぜなら、1人1人が強みを生かし、弱みは他の人の強みで補うことになるからです。
 このあたりは、ドラッカーのマネジメント理論を参考にされると、よいのではないでしょうか。
 同じオーストリア出身の、アドラーとドラッカーの主張には、共通するものが感じられます。

 

 また、 「他人」 を意識した行動や発言に対しても、注意をはらうべきです。 もし、個人的なアピールが過ぎれば、他人を強く意識している可能性があります。
     その根底には、 「他人との比較」 「他人との競争」 「他人に対する敵意」 がある はずです。
 もし、気づいたら、 「当社としては、評価できない」 という態度を示すべきでしょう。

 

 

08.名誉や権力に近づかない      2014.04.07

 

     前東京都知事の猪瀬直樹さんが、徳田虎雄さんから多額のお金を借りて、その地位を失いました。
 このお金を貸した側の徳田さんは、以前、多くの人から、尊敬される立場にありました。
 理想の医療制度を目指して、医師そして政治家にまでなられた方です。
 そのような方が、なぜ、親族まで巻き込んで、お金に関わる犯罪を主導してしまったか。

 

 権力者のすべてが、犯罪に関わる訳ではありません。
 しかし、名誉欲や権力欲ほど、人を間違った方向へ導くものはない ということを、この事件で再確認しました。
     アドラーと同じ、オーストリア出身のアインシュタイン博士の名言があります。
 イスラエルの第2代大統領に推薦されたとき、 「私にとって、政治は複雑過ぎる」 と言って、断ったそうです。

 

 私は、権力を全面的に否定する気はありません。
 権力を行使しなければ、組織の秩序が維持できないケースもあるからです。
     もし政治や経営の場において、トップに権力がなければ、現場の混乱はさらに続くことでしょう。

 ただし、権力は、健全な範囲内で、正しく使われることが条件 です。

 

 アドラーは、権力争いについて、次のように述べています。
 面前で相手を罵倒する者は、純粋に何かを議論したい訳ではない。
 実は 「権力争い」 という目的を隠し持っている。
 勝つことや屈服させることによって、自分の力を証明したい。

 

 また、権力争いに負けた者は、復讐戦に入り、当事者同士による解決は不可能 になる。
 だから 権力争いには絶対に乗ってはいけない。
 相手の挑発には、絶対に乗ってはいけない。
     このように述べています。

 

     幸いにも、私たちは先進国に住んでいます。                                                                                                                                                名誉や権力などなくても、ふつうに幸せに生きていけます。
 だから、名誉や権力とは、意識して距離を置きましょう。
 これが 「権力争い」 に巻き込まれずに、幸せに生きていくコツではないでしょうか。

 

 

09.我慢 (がまん) をやめる      2014.04.11

 

     斎藤一人さんの本を読んでいて、なるほどと思うことがありました。
 それは 「我慢の我は、我が強いの我」
 我が強い人ほど、我慢する。
 我を克服した人ほど、我慢しなくても、うまく生きられるということです

 

     これまで、多くの人と仕事をしてきましたが、この話には大いに納得しました。
 たとえば従順な態度の人には、2種類あります。
 過ちを指摘されたとき、反省する人と反省しない人。

 反省する人は、二度と同じ過ちを繰り返さないように、注意 します。

 

     一方、表面的に、頭を下げるだけの人がいます。
 内心では 「自分の方が正しいが、仕方なく我慢してやった」 と考えるため、反省しません。

 自分の考えを表明して、きちんと議論する勇気もないため、その間違いに気づくこともありません。
 このような人は従順そうに見えますが、実は、大変、我の強い人だと思います。

 

     逆に従順でない人も、2種類います。
 同じように、反省する人と反省しない人。

     従順ではないが、反省する人が、最も速く成長 します。
 なぜなら、過ちを指摘される回数が、圧倒的に多いからです。

 

     アドラーは、我慢について、次のように述べています。
 「我慢する」 とは、怒りをコントロールする方法であり、その発想そのものが、権力争いに囚われている証拠だと。
 怒りそのものを、コントロールしても、そこに反省や前進は見られません。

 それよりも、怒りを避けて、言葉と論理によるコミュニケーション マスターしたいものです

 

     日本では、よく、 「我慢が大切」 と言われます。
 しかし、本当に大切なのは、 「我慢」 ではなく 「忍耐」 ではないでしょうか。 
 「忍耐」 とは、古代から西欧に伝わる 「四元徳 (4つの徳) 」 の1つなのだそうです。 
 苦しくても、耐えながら、反省点を見つけて、改善を重ねることでしょう。

 

 

10.人生のタスクから逃げない      2014.04.15

 

     以前、 「他人との比較をやめて、理想の自分と、現在の自分を、比較しよう」 という話がありました。
 しかし、 「理想の自分」 と言われても、なかなか思いつくものではありません。
 そこで、まず、目標を設定してみましょう。

 アドラーは、 行動面と心理面の2つに分けて、次の目標 を掲げています。

 

 A.行動面    ① 自立する    ② 社会と調和して暮らす

 B.心理面    ① 「自分には能力がある」 という意識    ② 「他人は仲間である」 という意識

 

 これらの目標を達成するためには、人生のタスクから、逃げてはいけないと、アドラーは述べています。
     人生のタスクとは、 「社会で生きていく上で、直面せざるを得ない人間関係」 なのだそうです。
 さらに、 「仕事のタスク」 「交友のタスク」 「愛のタスク」 の3つに分けています。
 仕事、交友、愛 (恋愛、夫婦、親子) の場で、それぞれ直面せざるを得ない 「対人関係の距離と深さ」 の問題があります。

 

 人は、人生のタスクと向き合うことによって、自分を成長に導く課題と、出会うことができます。
     その課題に取り組むプロセスの中から、生きていくために必要な教訓を学びます。
 これらの作業を繰り返した結果、前述の4つの目標 (A①②、B①②) が達成されていくそうです。

 だから、人生のタスクとは、真剣に向き合わなくてはいけません。

 

 しかし、人生のタスクから、目を背けている人も、少なくありません。
 たとえば、自分のことが十分できていないのに、他人の批判ばかりしている、 「自分には甘く、他人には厳しいタイプ」 。
 また、嫌われまいとするあまり、理想も目標も持たない、 「自分にも、他人にも、甘いタイプ」 など。  
 結果的に、 「何が重要なのか」 がわからないまま、人生を無駄に過ごしてしまうのではないでしょうか。

 

 人生のタスクと向き合うために、必要なものは、やはり勇気 です。
 自分が責任を負うべき、重要なことから、目を背けない勇気。
 人生を改善するために、必要と思われる行動を、起こす勇気です。 
 もし、自分自身に勇気が身につけば、自信を失った他人を、勇気づけることもできます。

 

 

11.3つの重要なタスク      2014.04.17

 

     アドラーは、人生のタスクを、対人関係を軸に、①仕事のタスク ②交友のタスク ③愛のタスク、の3つに分けて考えています。                                                                                                                                                                                                   ①②③は、簡単にできる順ということですが、現代においては、人それぞれかもしれません。

 

  ① 仕事のタスク (仕事に関わる人間関係の課題)

                                   
 この世の中に、一人で完結する仕事など、あるのでしょうか。
 必ず、誰かと関わらなければいけないものでしょう。
 また、人生のうち、大半の時間は、仕事のために費やされます
 だから、仕事のタスクが、最も多く発生すると考えられます。

 

 しかし、仕事のタスクは、 成果という共通目標があるため、気が合わなくても、その時だけ、協力する こともできます。
 就業時間が終われば、顔を合わせることもありませんし、他社へ転職してしまえば、まったく関係がなくなります。
 だから、オンとオフで、気持ちをうまく切り替えれば、行き詰まる可能性は少なくなるはずです。
  趣味や交友、スポーツなどの 「切り替えの場」 を、確保しておきたいものです。

 

  ② 交友のタスク (交友に関わる人間関係の課題)

                                   

 友達が多いほどよいと、思っている人たちがいます。
 しかし、表面的なつき合いに終始していることも、少なくありません。
 また、反対に、限られた人に多くを求めるあまり、相手に逃げられ、孤独に陥る人もいます。
     さらに、学校や職場など、 「決められた場」 がなければ、人間関係を築けない人もいます。

 

 このような人は、この本を最後まで読んで、マスターすれば、悩みは解消するでしょう。
 アドラー心理学とは、他者を変えるための心理学ではなく、自分が変わるための心理学 です。
     自分自身が変われば、友人がいなくて困る、ということはなくなります。
 それよりも 「自分自身がどうあるべきか」 に、関心が集中するのではないでしょうか。

 

  ③ 愛のタスク (愛に関わる人間関係の課題)

                                               
 友人の間は、気にならなかった言動が、恋人になった途端、許せなくなることもあるでしょう。
     しかし、アドラーは相手を束縛することを認めません。
     また、本当の愛とは、劣等感を抱いたり、優越性を誇示する必要にも、駆られないものと述べています。

     仲よくつきあいたいのであれば、互いを 「独立した対等の人格」 として、扱わなければいけません。

 

     恋愛関係と夫婦関係には、 「別れる」 という選択肢があります。
     しかし、親子関係は解消できないため、最も難しい関係と言えます。
     たとえ、困難な関係になっても、向き合おうとすべきと、アドラーは述べていますが・・・
     私は、無理をしない方がよいと、考えています。

 

 

12.自分に正直な人間になる      2014.04.21

 

 健全な人であれば、  「正直に生きたい」  と考えているはずです。
 正直に生きていないと、気持ちが悪いからです。
 しかし、一方では、 「長い人生、嘘も避けられない」 ことを、理解しています。
 時には、他人を救う嘘、楽しませる嘘などで、害のないものであれば、仕方がないと認識しています。

 

 表現力の問題もありますが、発言と行動を、常に一致させることは困難です。
 だから、多少の差があったとしても、大した問題ではありません。

 しかし、 両者が大きくかけ離れていると、危険 ではないでしょうか。
 自分でコントロールできない状態になっている可能性が高いからです。

 

 嘘をつく相手は、他人と限りません。
 実は、 最もよくないのが、自分に対して嘘をつくこと です。
 自分に対して嘘をつき始めると、他人の嘘も見抜けなくなります。
 自分という支点を動かすと、相手の位置を正確に測定できなくなるのと同じです。

 

 自分に対して嘘をつく身近な例として、たとえば、Aさんの欠点が許せなくなったとします。
 アドラーの目的論に従えば、それは、Aさんの欠点が許せないからではありません。  
     Aさんとの 「つきあいを避けたい」 という目的が、自分の中に先に存在していたからです。

     その 目的にかなった欠点を、あとから見つけ出した に過ぎません。

 

 つまり、 相手が変わった訳ではなく、自分の目的が変わった だけ。
 責任は、相手ではなく自分にあることを、自覚すべきでしょう。
     人はその気になれば、相手を神様にも悪魔にもできる、きわめて身勝手な存在です。
     100%嘘のない人生などありえませんが、自分の嘘には気づくべきでしょう。 

 

 私たちは、都合のいい理由を見つけて、人生のタスクを回避しようとします。
 この事態を指して、アドラーは 「人生の嘘」 と呼んだそうです。
 人生の嘘とは、極めて重要な 「自分に対する嘘」 と言えます。

 自分の嘘を自覚することが、人生を悪化させないための、大きなポイントになる のではないでしょうか。

 

 

13.手持ちのカードで 「勝てるゲーム」 を選択する      2014.04.24

 

     5人でトランプをするとしましょう。
     ただし、今回は、特別なルールが2つあります。
 1つ目として、最下位になると、大変な罰ゲームをさせられます。

 2つ目として、カードが配られた後、3つのゲーム ( 「ポーカー」 「ババ抜き」 「7並べ」 ) の中から、好きなものを選べます。 

 

 たとえば、配られたカードが、すべてエース (1) と、キング (13) だったとします。
 もし、 「7並べ」 を選ぶとしたら、それは最初から負けを望んでいることになります。
 「ポーカー」 を選ぶか、 「ババ抜き」 を選ぶかは、さらに内容を吟味してから、決定すべきでしょう。
 ただし、何れを選んだとしても、最下位だけは免れるにちがいありません。 

 

 実は、人生も、このトランプゲームに似ています。
 「どんな家庭に育ったのか」 「どんな容姿に生まれたのか」 「どんな学校を出たのか」 など。
 これらの問題は、配られたカードと同じように、もう、変えることができません。
 だから、反省すべき点はあるかもしれませんが、悩むのは、まったくの無駄と言えます。 

 

 それよりも、手持ちのカードを使って、どんなゲームを選ぶのか を考えるべきです。
 アドラーは、これを 「使用の心理学」 と呼びました。
 一方、フロイトの原因論によれば、配られたカードによって、結果が決まってしまいます。
     だから、 「所有の心理学」 と呼ぶそうです。 

 

 まずは 「自分が持つカードは何か」 を、知ろうとすること。
 ただし、性格検査や適性検査のような、万人向けのものを受けても、決して見つからないと思います。

 頭の中だけで理屈が先行すると、自分探しの旅は失敗に終わる でしょう。
 だから、経験を重ねながら進め、その中から、大きな公約数を見つけ出せば、それが 「自分の持つカード」 になります。 

 

 次に 「自分が持つカードの生かし方」 を考えてみましょう。
 もし、 「年輩の男性客向け」 のキャラクターを備えているなら、できる限り 「年輩の男性」 が顧客の仕事を選ぶべきです。

 仕事を変えられない場合は、現状での生かし方 を考えてみましょう。
 もし、研究者タイプの人が営業職に就いたら、顧客に役立つデータなどで勝負されてはいかがでしょうか。

 

 

4.企業経営に生かす (会社を元気にする)      2014.04.30

 

     日本の企業は疲弊している (疲れている)。
 経営者にも、従業員にも、活力がなくなったと、以前より言われています。
 その原因は不況にあると、結論づける話がありますが、本当にそうでしょうか。
 過去に大きな成長を成し遂げた時代、日本は今ほど豊かではありませんでした。 

 

 日本人が疲弊している原因は、 「周囲の人との付き合い方」 にもある 、と考えています。
     好かれたい、嫌われたくないという気持ちが、あまりに強すぎるのではないでしょうか。
 人生にとって、もっと重要なことがあるはずなのに、身近な人間関係に振り回されています。
 つまり、不毛なことに力を注いでいるから疲れている、のではないでしょうか。 

 

 あるメーカーの元社員の方と、話をしたことがあります。
 その企業は、 「○○と言えば××社」 と代名詞になるほど、かつては勢いがありました。
 しかし、その後は低迷し、今は見る影もありません。
 その方の話では、社内の人間関係がとても複雑で、最悪と言える状態だったそうです。 

 

 各分野で活躍する人たちは、大きな目標に向かって、シンプルな生き方をしています。
 だから、時には誰かに反感を持たれるようなことを言ったり、することがあります。
 それは、力や地位を得たから傲慢になった、とは限りません。

 逆に 「嫌われる勇気」 があったからこそ、今日がある のかもしれません。

 

 仕事の最終目標は、 「自己実現」 と 「社会貢献」 にあります。
 しかし、好かれたい、嫌われたくないが、高じると、企業内が社交場と化します。
 毎日、身近な人間関係のために、多くの熱意が浪費され
、やがて低迷と衰退 を招きます。
 実は、このような社風を、経営者自らが作り出している可能性もある、のではないでしょうか。 

 

 企業が変わるためには、まずトップから変わるべきです。
 自分自身が 「嫌われる勇気」 を持つ こと。
 しかし、ただ嫌われるだけでは、意味もありません。
 仕事を通じて、 「自己実現」 と 「社会貢献」 という目標を、自らに課すべきではないでしょうか。

 

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続 1 「 嫌われる勇気 」 人生が変わるアドラー心理学  2014-05-09

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 15.「他人の期待を満たす」 ような生き方をやめる      2014.05.09

 

 アドラーは、「他者に承認を求めてはいけない」 と述べています。
 「承認」とは 、「賛成」 「許可」 「承諾」 などの意味で、通常は使われます。
 しかし、この 「嫌われる勇気」 では、主人公の青年が、 「親に認められたかった」 と話しています。
 だから、 「他人に認められる」 さらには 「他人から評価を得る」 という意味で、使われているのではないでしょうか。
 

 

 それでは、なぜ 「他者から承認を求めてはいけない」 、言い換えると 「他人の評価を求めてはいけない」 のでしょうか。
  それは、 他人に対して評価を求めるようになると、他人の期待を満たそうとしてしまう からです。
  たとえば、親の期待を満たそうとして、親の意思を尊重するあまり、自立や結婚のチャンスを逃す人。
 周囲の期待に応えようとして、つまらない相談に時間を費やすあまり、自分のことが疎かになっている人など。 

 

 私たちは、他人の期待を満たすために、生きている訳ではありません。
  「自分が自分のために自分の人生を生きていないのであれば、いったい誰が自分のために生きてくれるのだろうか」 。
  これは、この本で紹介されているユダヤ教の教えです。
  他人の期待を満たす生き方は、けっきょく他人の人生を生きることになり、自分の人生を空虚なものにしてしまうのです。 

 

 人生の最終目標は、 「自己実現」 と 「社会貢献」 にあります。
  自己実現は、自分の長所を発揮するために、精一杯、自分らしく生きなければ、達成することができません。

 このように、 自分の生き方を満たして、初めて他者に貢献、つまり社会貢献できる ものです。
  これら2つの目標に近づくためにも、私たちは、必ず、自分の人生を生きなければならないのです。 

 

 それは、自分だけではなく、世界中のすべての人についても、言えることです。
  つまり、周囲の人たちも、皆、自分の人生を、一所懸命、生きるべきなのです。
 決して、私の期待を満たすために、生きてはいけません。

 だから、もし、 相手が私 (自分) の思い通りにならなかったとしても、むしろ健全な関係 と言ってよいのではないでしょうか。 

 

 もちろん、家庭や職場、社会において、決められたルールは、守らなければいけません。
 しかし、それ以外の部分では、相手の期待を満たそうなどと、あまり、考えないことです。

 まずは、自分自身の人生を、しっかり生きること。
 また、周囲の人たちにも、私 (自分) の期待など、満たさなくてもよいことを、それとなく伝えるべきでしょう。

 

 

16.自分の意思で行動する      2014.05.13

 

 アドラーは、 「賞罰教育」 について、警告を発しています。
 賞罰が過ぎると、誉めてくれる人がいなければ、適切な行動を取れなくなる。

 反対に、 罰する人がいなければ、不適切な行動を取る ようになる。
  このように、 「賞罰教育」 には、表裏のある人を育てる恐れがあるようです。 

 

 人は、他人に誉められたいとき、しばしば、他人の期待を満たそうとします。
 これは、適切な行動をとれば誉められる、という 「賞罰教育」 の流れだと、アドラーは指摘しています。
 以前もお話ししましたが、他人の期待を満たそうとすることはよくありません。

 他人の期待を満たすためではなく、 自分でよいと判断したことを、素直に実行すべき です。 

 

 仕事を任せる場合も、 「誉められたい」 という気持ちが強い人には、注意が必要です。
 他人に誉められたいばかりに、余分なことまで引き受けて、本来の仕事が疎かになっていることがあります。

 また、 誉められないと、気分が不安定になって、責任を放棄したり、誰も見ていない場所で、異なる行動を取る ことがあります。
  本人の成長のためにも、誉められなくてよいことを、伝えなければいけません。 

 

 自分が何かをするのは、 「人に誉められたいから」 「他人が見ているから」 「他人に罰せられるから」 ・・・
 行動の動機を、他人に求める人は、心の底で、自分のことを信用していない と思います。
 他人に振り回される自分を、もう一人の醒めた自分が、自覚しているからです。
 さらに、わかりながらやめられない自分の弱さに、嫌気が差しているかもしれません。 

 

 自分を信じられない人は、けっきょく他人のことも信じられません。
 なぜなら、他人も自分と同じような人間に映ってしまうからです。
 心の底では、周囲の人を信用していないのに、その信用していない人に対して評価を求める、という矛盾を抱えます。

 このような 悪循環を、自分の意思で断ち切ることが、自信への第一歩 につながるのではないでしょうか。 

 

 自分も他人も信用できない、その根本原因は、自分の人生と、他人の人生の区分が、できていない点にあります。
 そのために採るべき方法は、「課題の分離」 と呼ばれます。

 私は、 アドラー心理学において、最も重要なのが、この 「課題の分離」 と考えています。
  「課題の分離」 については、次回以降に詳しくお話しします。

 

 

17.「自分の課題」 と 「他人の課題」 を、分離する      2014.05.15

 

  対人関係のトラブルの多くは、次の2つのことが原因で発生します。
  ① 自分が、他人の課題に土足で踏み込むこと
  ② 他人に、自分の課題に土足で踏み込まれること

  だから、 「これは誰の問題なのか?」 という視点から、 「自分の課題」 と 「他人の課題」 を、分離させる 必要があります。 

 

 それでは、どうすれば 「誰の課題か」 を、見分けることができるのでしょうか。
 アドラー心理学では、きわめてシンプルな方法を用います。 「その選択によって、もたらされる最終結果を、引き受けるのは誰なのか?」 について、考えてみる ことです。
 最終的に引き受けるのが、自分であれば 「自分の課題」 、他人であれば 「他人の課題」 、お互いであれば 「お互いの課題」 です。 

 

 これにより「自分の課題」 と判明した場合は、全責任を負って、取り組む 必要があります。
 もちろん、課題によって、重要さは異なりますが、いずれも責任は自分にあるということです。
 また、ここで、他人の期待を満たそうとしてはいけません。
 他人から過度な干渉を受けたり、他人に過大な援助を受けることも、避けなければいけません。 

 

 逆に、 「他人の課題」 と判明した場合は、自分の課題ではないことを、自覚 しなければいけません。
 相手の状況に介入したり、過度に注目することは、一切、やめることです。
 ただし、 「もし、困ったときにはいつでも援助する」 というメッセージを送っておきましょう。
  すると相手は、自分の課題として認識し、何をすべきかを、考えざるを得なくなるからです。 

 

 それぞれの人に与えられた課題は、その人が成長するためにあるもの です。
 その課題に対して、主体性を持って取り組めば、自身がレベルアップするため、その後は、同じような課題で悩むことが少なくなります。
 なぜなら、事前に察知して、回避するようになるからです。
 また、事前に準備して、そのような課題が起きないような状況を作り出すことも可能でしょう。 

 

 だから、まずは、 「自分の課題」 と 「他人の課題」 を区別すること。
 その結果を受けて、「他人の課題」 を、自分から切り離し、 「自分の課題」 に全力で取り組む。
 この作業を行うだけで、人生は変わり始めると思います。
 他人の課題まで抱え込む、重苦しい人生から解放され、きわめてシンプルな人生が開けてくることでしょう。

 

 

18. 「子供を信じる勇気」 があるか      2014.05.18

 

 「課題の分離」 を、実現させるにあたり、最も難しいのが、親子関係ではないでしょうか。  世の中には、 「あなたのため」 という言葉を、ひんぱんに使う親も少なくありません。
  しかし、本当は、 「あなたのため」 ではなく 「わたしのため」 です。
 その欺瞞 (ぎまん ・・・ 嘘という意味) を察知するから、子供は反発すると、この本には書かれています。

 

  「課題の分離」 とは、放置するのではなく、相手の行動を知った上で、見守ることです。
 たとえば、勉強は本人の課題なので、 「勉強したくなったら、援助する」 と伝えておけばよいそうです。

 他人から強制された行動は、ほとんど身に付かない ものです。
 あくまで、自主性を重んじるということでしょう。

 

 「課題の分離」 を実現させるためには、相手を信じる 必要があります。
 もし、相手を信じることができなければ、 「課題の分離」 を実行することができません。
 たとえば、子供を信じていれば、子供の課題を切り離して、黙って見守ることができます。
 反対に、もし、子供の課題にまで口出しするとすれば、それは、子供を信じていない証拠になります。

 

 親の干渉に対して、子供が反発するのは、わがままと限りません。
 自分を信じてくれない、親に対する怒り の表れかもしれません。
 あるいは、成長したいという意欲の妨げに対する、怒りの表れかもしれません。
  何れにしても、親の干渉に対して反発する子供は、むしろ健全と言えるのではないでしょうか。

 

 反対に、 親の干渉を受け入れ続ける子供の方が、はるかに心配 です。
 子供は、いつまでも親の保護下にある訳ではありません。
 当たり前のことですが、親が亡くなった後も、自分の力で生きていかなければなりません。
 親とは異なる能力を持ち、異なる時代、環境を生き抜かなければならないのに、親と同じ考え方では通用しません。

 

 人生経験豊かな親から見て、子供が未熟なのは明らかです。
 子供の課題に口出ししてしまうのは、親として当然かもしれません。
 しかし、そこで、子供を信じて 「課題の分離」 を、実行しなければ、子供はいつまで経っても自立できません。

 そこに、 必要なのは、 「子供を信じる勇気」 ではないでしょうか。

 

 

19.相手が、自分をどう思うかは、 「相手の課題」      2014.05.21

 

 たとえば、同僚のAさんに、親切にしてあげたとします。
 忙しいのに仕事を手伝ってあげたとか、長時間、相談に乗ってあげたなど。 
 ところが、Aさんは感謝しないばかりか、手の平を返したような態度に出たとします。
 その後は、無視するような態度を取ったり、馬鹿にするような態度を取ったり。

 

 このような場合、 「課題の分離」 を、どのように進めるべきなのでしょうか。
  ここで、 「Aさんの取った態度によって、もたらされる結果を、最終的に誰が引き受けるのか?」 について、考えてみましょう。
  Aさんは、やがて誰にも相手にされなくなる可能性があります。

 だから、Aさんが示す態度がどうあるべきかは、Aさんの課題 であって、自分の課題ではありません。

 

 それでは、自分の課題はどこにあるのでしょうか。
 それは 「Aさんの態度や、Aさんという人間に対して、自分がどうあるべきか」 にあります。
  具体的には 「今回の件について、どのような態度で臨むのか」 「今後はどのように関わっていくべきか」 にあります。

 その 最終結果は、自分が引き受けなければならないので、よく考えて、善処すべき ではないでしょうか。

 

 省みる点として、Aさんに対する親切が、度を越したものであれば、Aさんの課題への介入だった可能性が挙げられます。
  また、 「Aさんから感謝されたい」 という気持ちがあるとすれば、それもAさんの課題への介入になります。
 Aさんが自分に対して感謝するかどうかは、もともとAさんの課題ですから。

 このように 「課題の分離」 を進めれば、対人関係における悩むは、激減する のではないでしょうか。

 

 この本には、次のように書かれています。
 自らの生について、自分にできることは、 「自分の信じる最善の道を選ぶこと」 、それだけだ。                         
  その選択について、他者がどんな評価を下すかは、「他者の課題」です。
 自分の意思ではどうにもならないことなので、自分から切り離すべきでしょう。

 

 このようなことまで、コントロールしようとすると、人生は重たいものになります。
 だから、 「他人が自分をどう思うかは、他人の自由」 と割り切ることです。
 すると、 「自分が他人をどう思うかも、自分の自由」 であることに、確信が持てるようになります。

 つまり、 他人の自由を認めることによって、自分の自由も手に入れることができる のです。

 

 

20.不機嫌な人は放置する      2014.05.23

 

 不機嫌な顔をすれば、必ず誰かが気をつかってくれる。
 このような習慣を持つ人たちは、周囲に甘えています。

 感情の問題は、自分自身で解決すべき課題 だからです。
 それにもかかわらず、他人の手をわずらわせるのは、 「課題の分離」 ができていないからでしょう。

 

 また、反対に、不機嫌な人を見ると、動揺する人たちがいます。
 「自分が原因ではないか」 とか、 「自分が機嫌を取らなくては」 と、ついつい考えてしまう人たちのことです。

 しかし、相手の感情は、相手自身が解決すべき課題 なので、気に病む必要など一切ありません。
  それでも放置できないのは、 「課題の分離」 ができていないからでしょう。

 

 これら 「課題の分離」 ができていない人同士で、親密な人間関係を築く ことがあります。
 自分の課題を放棄する人と、他人の課題に関わりたがる人。
 利用することを好む人と、利用されることを好む人。
 行き過ぎれば、加害者と被害者など。

 

 しかし、時間の経過とともに、この力関係が逆転することもあります。
 感情問題を自分で解決できない人は、機嫌を取ってくれる相手を必要とします。
 それが習慣化すると、相手がいなければ、感情をコントロールできなくなります。

 やがて、 機嫌を取らされていた側が、逆に主導権を握ってしまう こともあります。

 

 裏を返せば、 立場を越えて、必要以上に世話を焼いてくる相手がいたら、警戒すべきでしょう。
 褒めちぎったり、ヨイショしてくる相手も、同じです。 その中には、依存させて、支配することが目的で、近づいてくる者も、少なからずいるからです。
 他人に操作されたくなければ、自分の機嫌は、自分で取らなくてはいけません。 

 

 人間関係は、両者の合意によって成立します。
 何れか一方が、 「課題の分離」 を進めると、前述のような人間関係は成立しなくなります。
  自分さえしっかりしていれば、実現可能ですから、難しく考える必要はありません。
 せめて、自分だけでも、 「課題の分離」 を、急げばよいのです。

 

 

21.企業経営に生かす (経営方針の立て方)      2014.05.25

 

  今回は、アドラー心理学を実践する人を 「アドラー的な人」 、そうでない人を 「非アドラー的な人」 と呼んで、話を進めます。
  アドラー的な人と、非アドラー的な人では、自らが認識する空間が、異なる と感じています。
 この違いが、経営の進め方にも、少なからず影響を与えているのではないでしょうか。
 特に重要なのが、 「経営方針の立て方」 だと、考えられます。

 

 アドラー的な人が認識する空間には、まず、宇宙があり、地球があり、社会があります。
 その中に、それぞれの人が存在し、それぞれの人生を歩んでいます。
 自分はその中の一員として、宇宙なり、地球なり、社会のために貢献することが、最終目標の1つになります。 

 その結果、自分は 「社会とダイレクトにつながっている」 という意識を持っているのではないでしょうか。 

 

 一方、非アドラー的な人が認識する空間には、自分と周囲の人の存在が、大きな位置を占めています。
 そこで、自分と周囲の人との関係に、意識が集中します。
 社会は、周囲の人の延長上 (外側) にあると想像しますが、実際の社会は、周囲の人や自分とは関係なく存在しています。

 つまり、 「社会のことが、ほとんど見えていない」 のではないでしょうか。 

 

 企業にとって、 「何を売るか」 「どんなサービスを提供するか」 「いかなる人材を確保するか」 。
 これらは、企業の命運をにぎる、非常に重要な問題です。
 アドラー的な人は、社会をダイレクトに意識しますので、まずは社会のルールや動向を読んで、方針を決定しようとします。

 社会は大きな市場ですから、 社会の需要に従うことが、社会貢献につながり、結果として、成功の確率が高まる と考えるからです。 

 

 一方、非アドラー的な人は、周囲の人を見て、判断する傾向が見られます。
 同業者、従業員、家族、友人、知人などに認められることを、重要視しますが、これは明らかに間違いです。
 また、自分の願望や思いつきで動く傾向もありますが、これも間違いです。

 何れにしても、 大きな市場である社会が見えていない、見ようともしないので、成功は偶然に頼る以外ありません。 

 

 非アドラー的な人が仕事を始めると、親族や友人、知人をあてにします。
 それが原因で、一定期間を過ぎると、客足が途絶え、業績が低迷します。
  ビジネスで関わる顧客、従業員、取引先の大半は、見ず知らずの人たちです。

 だから、 「まったく関係のない人たち (社会) を相手に、どうすべきなのか」 の観点から、構築すべき ではないでしょうか。 

 

 

 22.「見返り」 に縛られてはいけない      2014.05.27

 

  他人に何かをしてもらったら、相手に何かを返さければいけない。
 そうしないと、相手の好意を踏みにじることになる。
  このような発想は、日本人にとって、ごく当たり前と言えるのではないでしょうか。

 ところが、アドラーは、これを 「見返りに縛られた発想なのでよくない」 と、述べています。 

 

 「見返り」 については、求めてもいけないし、縛られてもいけない。
  まずは、 「見返りを求めること」 について、これは以前、ご紹介した 「賞罰教育」 と同じ理由かもしれません。

 つまり、見返りがなければ、よいことをしなくなる。
 企業も成果主義を徹底すると、従業員は評価につながることしかしなくなります。 

 

 次に 「見返りに縛られること」 について、これは相手によります。
 もし、相手が 「見返りを求める」 者なら、十分に注意することです。

 「見返りに縛られる」 者を、支配するために、親切顔をして近づいてくる者もいる からです。
 さんざん利用されたあげく、お金を奪われ、捨てられた人も、何人か知っています。 

 

 反対に、もし、相手が本心から好意でしてくれたことであれば、それは見返りを期待したものではありません。
 人は、心の問題に対しては、心で応えるべきです。
 ここで、相手に何かを返さなければならないと考えるのは、商取引と同じ発想。
 せっかくの相手の好意を、自らの心の貧しさによって、価値を下げてしまうことになります。 

 

 それでは、このような好意を受けた場合、自分はどうすればよいのでしょうか。
 それは、自分自身が心豊かな人間になること ではないでしょうか。
 見返りを求めない人たちは、感謝されたいのではなく、他人も心豊かに生きて欲しいと考えています。
 そのためには、まず 「見返りに縛られる」 発想から、抜け出さなくてはいけません。 

 

 次に目指すのは、自分もその人と同じように、見返りを期待することなく、誰かに何かをしてあげられるようになることです。
 ただし、無理をせず、できる範囲内で、相手の課題に踏み込まず、もし、相手が期待に沿えなくても、決して恨むことなく。

  私は、上の世代から受けた恩は、本人に返すことなく、まったく関係のない、下の世代へ返す ことにしています。
 そうすることによって、世代間がつながり、社会全体として、連帯感が増すのではないかと考えているからです。

 

 

23.「自分の道」 は、自分で決める      2014.05.29

 

  「課題の分離」 の有無によって、人は、2つの生き方のうち、何れかを選択することができます。
 1つ目は、 「自由ではあるが、厳しい生き方」 。

 この生き方を選ぶ人は、 「課題の分離」 ができているため、自分が進むべき道は、必ず、自分で決めます。
 それによって、 「悩み」 と 「自由」 を、同時に、手に入れることができます。

 

 もし、失敗をしても、他人のせいにはできないので、 「悩み」 は、さらに増えていきます。
 この悩みの正体とは、 「自分の課題」 ではないでしょうか。
 だから、苦しみながらも、自分の力で、これらの悩み (課題) を、乗り越えるうちに、やがて、人生が開けてきます。

 実は、このプロセスを経る (自分の課題に真剣に取り組む) ことによって、人として、成長することができる からです。 

 

 2つ目は、 「不自由ではあるが、楽な生き方」 。
 この生き方を選ぶ人は、 「課題の分離」 ができていないため、自分の進むべき道を、周囲の人に決めてもらいます。
 ただし、最終的に自ら決断して、周囲が望む道へ進んだ人は、1つ目の生き方に準じます。
  そうではなく、 「周囲の人の期待を満たすこと」 を中心に、自分の道を選択した人が、この2つ目の生き方に該当します。 

 

 すると、もし、失敗をしても、周囲のせいにするため、自分の責任として、自覚することができません。
 さらに、自分の力で、困難を乗り越える習慣も身に付かないので、困難を避ける傾向が高まります。

 その結果、人としての成長が止まり、反対に退行していく のではないでしょうか。
 退行とは、 「子供のような未発達な状態に戻っていく」 という意味です。 

 

 退行が進むと、自分への無力感が高まるため、さらに保護者を求め、周囲に嫌われまいとします。
 できないことまで 「できる」 と約束したり、取れない責任まで引き受けるようになります。
 ここまでくると、 「自分は一体、誰なのか」 「一体、誰の人生なのか」 が、わからない状態になっているかもしれません。

  やがて、 嘘がばれ、信用を失い、自らの人生を、さらに苦しいもの にしてしまいます。 

 

  「周囲の人に嫌われまい」 「周囲の人の期待を満たさなければならない」 。
 このような思いが強いと、いつしか、自分自身を悪い方向へ追い込んでしまいます。
 そうならないためにも、 「課題の分離」 を進め、自分の課題に対しては、自分で責任を負うことを、徹底しなければいけません。

 「自分が、自分の人生を、好きに生きてはいけないという理由は、どこにもない」 と、この本にも、書かれています。

 

 

4.「本能」 「感情」 「理性」 を使いこなす      2014.06.02

 

  野生に生きる動物たちは、 「本能」 に従って、生きています。
 外敵から身を守る、獲物をとらえる、子孫を残す、これらすべてが生死に関わることです。

 だから、 本能をとぎすませ、それに忠実に従うのが、正しい生き方 と言えます。
 
正しいという以前に、他に、選択の余地がないのかもしれませんが。

 

 ところが、人間には、高等な頭脳が備わっています。
 おかげで、「本能」 のほかに、 「感情」 や 「理性」 とも、うまく付き合って いかなければいけません。
 もし、人間として、幸せに生きたければ、これら3つをコントロールする必要があります。
  人生に行き詰まりを感じたら、何れかに偏っていないか、チェックされるとよいでしょう。 

 

 本能に話を戻すと、人間にとって 「3大欲求」 と呼ばれるものには、食欲、睡眠欲、性欲があります。
 もし、これらの欲求を野放しにしたら、どのような悪影響が考えられるでしょうか。
 健康を害したり、怠惰な生活を送ったり、犯罪を犯してしまうこともあるでしょう。

 だから、 人間は、本能に流されるような生き方を避けるため、細心の注意 を払わなければいけません。 

 

 さて、アドラーは、 他人に嫌われたくないという思いは、人間にとって、本能的、衝動的な欲望 だ。
 本能的、衝動的な欲望のおもむくままに生きるのは、坂道を転がる石のように生きるのと同じ。         
  このような生き方は、欲望や衝動の奴隷であって、自由な生き方ではない。   
  本当の自由とは、転がる自分を下から押し上げていくような態度だと、述べています。 

 

 つまり、「他人に嫌われたくない」 という思いは、食欲、睡眠欲、性欲と、本質的に同じ ものだということです。
 となると、その思いに強く囚われている人は、本能に流されて、生きていることになります。
  おかげで 「理性」 の働きが鈍く、善悪の判断に疎いかもしれません。
 また 「感情」 の働きが鈍く、関係のない人に対して、冷淡かもしれません。 

 

 本能に流されなくなったとき、人は自由な感覚を取り戻し、自分に対する無力さから、解放される のではないでしょうか。
  人生にとって、主人は、あくまで自分であり、 「本能」 「感情」 「理性」 は、手足と同じ道具です。
 人生を豊かにするためには、これらの道具を、うまく働かせたり、たまには休憩させなければいけません。
 私は、難しく考えずに、バランスの維持だけを心掛けています。

 

 

25.「嫌われる勇気」 と 「好かれない知恵」      2014.06.04

 

  アドラー心理学によれば、すべての悩みは、対人関係から発生します。
 だから、悩みを抱える人の多くが、 「対人関係からの自由」 を求めています。
 時には、1人になって、ほっとしたいのではないでしょうか。
 しかし、人間社会に生きる以上、対人関係から逃れることはできません。

 

 この現実の中で、自由を実現させる方法は、 「1つしかない」 とアドラーは述べています。
  それは、 「他人に嫌われる勇気を持つこと」 です。
 対人関係の中にいながら、 「誰かから嫌われている」 状況を、ありのままに受け入れ、一切、気にしないことです。

  逆の言い方をすれば、 嫌われる勇気さえ備われば、どんな対人環境にいようと、自由に生きられる ことになります。 

 

 誤解していただきたくないのは、 「進んで嫌われなさい」 という意味ではない、ということです。
 人間とは、様々な個性があり、考え方や感じ方も、人それぞれです。

 だから、 いくら自分が努力しても、それとは関係なく、自分のことを嫌いな人は、必ず存在 します。
 そのような人にまで、 「いちいち好かれようとしない」 ことです。 

 

 また、故意に嫌いな態度を示す者もいます。
 以前、お話しした目的論によれば、集団の中で自分の身を守るために、特定の人をイジメの対象にするケースもあります。

 また、 他人を操作する目的で、急に不機嫌になったり、別人のように優しくなる者 もいます。
  このような人たちから受ける被害を、最小限に抑えるためにも、 「嫌われる勇気」 は必要です。 

 

 ところで、 「好き」 とか、 「嫌い」 という感情を、表明しても、許されるのは、一体、何歳まででしょうか。
 社会人が、人間関係において、 「好き嫌い」 を持ち出せば、それは未熟さの証 になります。 
 だから、本来は 「高校生くらいまで」 、大目に見ても 「20代前半まで」 と、考えられます。
 これ以上の年齢の人から、嫌いと言われても、それは相手の未熟さによるものかもしれませんので、気にする必要はありません。 

 

 逆に、最近は、嫌われるより、好かれる方が、やっかいなのではないでしょうか。
 ストーカー被害などは、極端な例ですが、日常的にも、節度のない相手は、必要以上に交流を求めてくるものです。

 幸せに生きていくためには、 「嫌われる勇気」 も必要ですが、実は 「好かれない知恵」 も必要 です。
 むやみやたらと、好かれようとせず、継続性のある、落ち着いた、 「ふつうの大人の関係」 を、構築したいものです。

 

 

6.「他人に求める」 から 「自分に求める」 への転換      2014.06.06

 

  他人が、自分のことを、どう思っているのか。
  このようなことが気になり始めたら、その時点で 「弱者の立場」 を、選択 したことになります。
 なぜ、 「弱者」 なのか。
 その理由は、 「他人に(評価を)求めている」 点にあります。

 

 人間社会は、 「他人に与える者が強者」 で、 「他人に求める者が弱者」。
 これは、太古の昔から決まっていることです。                          
 お互いに求め合う場合でも、より多くを求める方が 「弱者」 の立場に立たされます。
 弱い生き方を選択したくなければ、できる限り、他人には求めないことです。 

 

 ただし、 「求めない」 だけでは、豊かな人生は、実現しません。
 そこで 「求める人」 から、 「求めない人」 を飛び越え、一気に 「与える人」 を目指す べきでしょう。
 たとえば、給料以上の仕事をする、価格以上のサービスを提供する、困っている人がいたら、進んで助ける。
  ここで見返りを期待すると、 「求める人」 に逆戻りするので、絶対に見返りを期待しないことです。 

 

 この生き方を実践するためには、 「他人に与えても、自分の生活が維持できるレベル」 まで、能力を高める必要があります。
  「他人に与える」 ためには、自分の能力を高めなければならない、つまり 「自分に求める」 必要があるということです。

 他人に求める → 他人に求めない → 他人に与える → 自分に求める。
 この発想の転換により、能力が高まると同時に、精神的にも強くなり、人生がよい方向へ進み始めます。 

 

 トラブルが起きた場合、 「求める人」 は、自力で解決しようとしないため、適当な援助者がいなければ、行き詰まります。
 しかし、 「与える人」 は、 「与える」 ことを中断して、自分のことに専念すればよいだけのことです。
  また、 「求める人」 は、相手に裏切られると、ダメージが大きいものですが、 「与える人」 は、相手に与えるのをやめるだけです。

 つまり、 「求める」 生き方は、相手に主導権がありますが、 「与える」 生き方は、自分に主導権があります。 

 

 お金やモノをベースに、目先の損得だけを考えると、 「与えるのは損」 と、思われるかもしれません。
 しかし、目に見えない 「能力」 や 「精神」 などをベースに、最終的な人生の豊かさを考えると、 「与えるのは得」 になります。

  人生とは、実は 「他人に求める者は貧しく」 なり、 「他人に与える者は豊か」 になるもの かもしれません。
 私の場合、誰かに与えていると、忘れたころに、まったく違う誰かから、もっと大きなものを、与えられることがあります。

 

 

27. 「貢献する人」 として、うまく生きるコツ      2014.06.10

 

  今回は、 「与える」 を 「貢献する」 と、言い換えましょう。
 「与える人」 、つまり 「貢献する人」 として生きる上でも、やはりコツがあります。

 1点目は、 「課題の分離」 を、徹底 すること。
 いくら 「貢献する」 と言っても、 「相手の課題」 まで、背負わないこと。

 

 2点目は、 「他人に求める人」 との関わり方に注意すること。
 他人に求める人の多くは、 「課題の分離」 ができていないため、中には、こちらの課題にまで、土足で踏み込んでくる 人もいます。
 自分の存在価値を確認したり、自分の居場所を確保することが、目的の人もいれば・・・
  悪質な例としては、 「世話を焼くことによって、相手を依存させ、最終的に支配する」 ことが目的の人までいます。 

 

 また、反対に、本人の課題まで、こちらに押し付けてくる 人もいます。
  自己愛の強い人などは、自分ですべきことを、他人にさせ、しかも、その結果に、不満ばかり言っています。
 このような人たちと関わると、人生を台無しにしてしまいますので、振り向くことなく、遠ざかることです。
  人間関係の健全性については、お互いに 「課題の分離」 ができているかどうかが、大きな鍵を握るのではないでしょうか。 

 

 3点目は、他人に貢献することで、満足せず、必ず 「成長」 を目指す こと。
 成長とは、 「よい方向へ変わる」 ことではないでしょうか。
 その中で、 「能力の向上」 は、大きな位置を占めます。
 能力を向上させれば、より多くの人に、より幅広く、貢献することができます。 

 

 また、トラブルの回避にも役立ちます。
 たとえば、車なら、私は、スポーツタイプのものを、好みます。
 走行性能 (走る・曲がる・止まる) が優れているおかげで、交通事故を回避できる確率が高いからです。

 もし、相手がミスを犯しても、こちらの能力 (運転技術や走行性能) が高ければ、事故を防ぐ ことができます。 

 

 常に成長を目指すとすれば、1つの 「能力」 だけでは足りません。
 たとえば、素晴らしいアイデアを持っていたら、それを、実際に役立てる能力を身につけなければいけません。
 「自分に求められる能力は何か」 を、冷静に見極めながら、多面的に高めていく必要があります。 

 そのためには、 「他人に求める」 のではなく、 「自分に求める」 姿勢を、習慣としたい ものです。

 

 

28.企業経営に生かす (人の成長)      2014.06.11

 

  「企業の成長」 には、 「人の成長」 が、欠かせません。
 なぜなら、 いくら素晴らしい戦略やシステムを導入しても、それを実践するのが人だから です。
 逆に、 「人の成長」 さえ、うまくいけば、経営者が悩まなくても、企業は勝手に成長するものです。
 だから、企業にとって、 「人の成長」 は、大きな課題です。

 

 私は、資格業のため、仕事をすべて従業員任せにすることが、法律上、禁じられています。
 おかげで、本業の仕事を数多く抱えており、経営に専念することができません。
  従業員に対しても、仕事面では交流を密にしますが、 「個人的な成長」 は、本人任せにしています。

 従いまして、 「自主的に成長する人」 しか、雇わない ことにしています。 

 

 これまで、多くの人と、仕事を通じて関わりましたが、 成長には個人差 があるようです。
  中には、学生時代まで優秀でしたが、20代前半で成長が止まったような人もいます。
  また、反対に、学校の成績にかかわらず、60歳を過ぎても、めざましい成長を続ける人もいます。
 この違いは、一体、どこから生まれるものでしょうか。 

 

 それは、成長のために必要な  「勉強」 に対する認識が、異なるからではないでしょうか。
 学生時代の 「受験勉強」 と、社会人以後の 「仕事のためにする勉強」 の違いは ・・・
 「受験勉強」 は、① 実際には役立たない ② 周囲から押し付けられる ③ テーマは目の前にある
 「仕事のためにする勉強」 は、① 実際に役立つ ② 自主的に取り組む ③ テーマは自分で見つける 

 

 就職直後までは、周囲から押し付けられるため、誰もが、とりあえず勉強をします。
 ところが、その後は、成長を目指して、自主的に取り組まないと、勉強をしなくなるものです。
  成長を続けるためには、2つの勉強の違いを、はっきりと認識しておく必要があります。

 「他人から押し付けられる」 「役立たない」 勉強から、「自主的に」 「役立つ」 勉強へ 、変わらなければいけません。 

 

 2つの勉強の違いが、理解できないと、社会人になった後も、必要のない分野の勉強をするケースがあります。
 学生なら誉められますが、社会人としては 「趣味」 、つまり楽しんでいるのと同じ、と見なされます。

 アドラー心理学には、人が自主的に成長するために、欠かせない考え方が、体系的に確立 されています。
 これまでご紹介した 「目的論」 「嫌われる勇気」 「課題の分離」 は、何れも、役立つのではないでしょうか。

 

 

 次回につづく。 →  こちらをクリック

続 2 「 嫌われる勇気 」 人生が変わるアドラー心理学  2014-06-15

前回までの内容 → こちらをクリック

 

 

29.自分の 「居場所」 は、考え方しだい      2014.06.15

 

 アドラー心理学によれば、人間の悩みは、すべて対人関係から発生します。
 その悩みを解決するために、出発点となるのは 「課題の分離」 でした。
 ゴールはどこにあるのでしょうか。

 それは、 「共同体感覚」 なのだそうです。

 

 「共同体感覚 (social interest / 社会への関心) 」 については、次のように述べられています。
 他者を仲間と見なし、そこに 「自分の居場所がある」 と感じられる こと。  
     ただし、その共同体とは、小さな集団のことではなく・・・
     家庭や学校、職場、地域社会だけでなく、国家や人類、過去から未来、宇宙全体、動物や無生物をも含みます。

 

     たとえば、私たちは、日本という国に住んでいます。
 しかし、もし、他の貧しい国に生まれていたとしたら ・・・
 もし、同じ日本でも、1000年前に生まれていたとしたら ・・・
 ものすごく不便な生活を、強いられたのではないでしょうか。

 

 この時代の、この国に、生まれてきたからこそ、私たちは、大きな恩恵を受けることができます。
 しかも、この環境を手に入れるために、何ひとつ努力した訳ではありません。

 私たちの現在の生活は、 見ず知らずの、無数の先人が築き上げた、過去の蓄積があったおかげ で、成り立っています。
 幸運にも、その上に生きる権利を与えられた ・・・
    というのが、真相ではないでしょうか。

 

 このように考えると、もし、天涯孤独であったとしても、過去の先人たちと、つながっていることがわかります。
 「共同体」 の範囲を、拡げていくと、さらに地球や宇宙とのつながりも、想像することができます。
     
だから、 社会に存在する以上、誰一人として、孤独な人はいない はずです。               
 孤独感とは、自分の心の中の問題ですから、 「自分の課題」 として、コントロールできるものです。

 

     もし、自分も共同体の一員であり、先人のおかげで今があると自覚したら、次の世代のための貢献を考えるべきです。
 家族の一員だったら、自宅の掃除くらいしよう・・・というのと、同じ次元で、 「社会に何が貢献できるのか」 を考えてみる。
 これが、アドラーのいう 「共同体感覚」 ではないかと、私は理解しています。

 もし、 関わる人やモノ、すべてに貢献の気持ちを持つ人は、世界中いたるところに、居場所が見つかる のではないでしょうか。

 

 

30.「好かれる人」 より 「貢献できる人」 を目指す      2014.06.17

 

 「誰かと関わっていたい」 という欲求は、人間が持つ本能の1つ、ではないでしょうか。
      だから、多くの人が、孤独な状態を避ける ようにしています。
 ただし、その方法については、人によって異なるのではないでしょうか。
 「アドラー心理学を実践する人」 と、 「その正反対の生き方をする人」 の場合でも、両者は異なる方法を採る、と考えられます。

 

     まずは、アドラー心理学と、正反対の生き方をする人。
   「自分とAさん」 「自分とBさん」 、意識の上では、このようにして、人間関係を構築 していきます。
     人間関係の中心には、常に自分がいて、自分を出発点に考えるため、他人に求めることが多くなります。
 特定の人を仲間と認識し、自分のことを理解してもらうことによって、孤独が解消できる、と考えるのかもしれません。

 

 一方、アドラー心理学を実践する人は、社会という空間があり、その中で、各人がそれぞれの人生を歩んでいる、と感じています。
 だから、 「社会の一員である自分」 「社会の一員であるAさん」 「社会の一員であるBさん」 という人間関係 になります。
 強く意識するのは、 「Aさんと自分」 「Bさんと自分」 よりも、 「社会と自分」 です。
 共同体の一員として、社会に貢献することによって、孤独が解消できる、と考えるのかもしれません。

 

 社会に存在する人すべてを仲間と認識し、誰とでも同じように接しようとします。
 ただし、 「課題の分離」 を重視するため、相手の課題への干渉を避けるなど、さっぱりした人間関係を好みます。
 以上、非常に簡単ですが、両者には、これらの違いがある、と考えられます。

 ところで、 結果的に、 「どちらの人生が、人間関係に恵まれるのか」 について、考えてみましょう。

 

 私は、29歳のとき、L.インフェルト著 「アインシュタインの世界」 を読みました。
 その中で、博士は 「社会には関心があるが、個人的なつながりは、徹底して求めない」 と述べています。
 さぞかし孤独な人生を送ったのかと思いきや、そうではなく、まるで正反対の、超多忙な人生でした。

 私は、 特定の人に好かれようとする生き方より、広く社会に役立とうとする生き方の方が、多くの人と自由に過ごせる ことを、直感しました。

 

 このような生き方を実践するためには、社会から必要とされる能力を高めなければいけません。
 また、一方では、せっかくの人生ですから、楽しむことも、忘れたくないものです。

 まずは、 アフター5のつき合いを、99%カット (年間360日 → 3日以内) しましたが、孤独とはまったく無縁 です。
 その結果、仕事や勉強、趣味、健康のために、膨大な時間を、確保できるようになりました。

 

 

1.30歳を過ぎたら、 「好き嫌い」 から卒業する      2014.06.20

 

 他人の評価に怯え、他人に気をつかい、他人に合わせようとする人。
 日本人には、めずらしくないタイプかもしれません。

 しかし、 アドラーは、このような人たちのことを、 「自己中心的」 と述べています。
 なぜでしょうか。

 

 この本には、わかりやすい言葉で、書かれています。
 他人によく思われたいから、他人を気にしている ・・・ それは、他人への関心ではなく、自己への執着。
 他人を見ているようで、実際には自分のことしか見ていない ・・・
     つまり、他人への関心を失い、自分にしか関心がない。

 すなわち、自己中心的なのだと。

 

 ポイントは2つあります。
 ① 「承認欲求」 に、とらわれている ・・・ 他人に認められたい、評価されたいという欲求が強い。
 ② 「課題の分離」 が、できていない ・・・ 相手が自分をどう思うかは、相手の課題なのに、切り離していない。
 両者は密接な関係にあるので、1つだけできない、というケースは、考えにくいものです。

 

 ここで言う 「自己中心」 の原因は、 「悪意」 よりも、 「未成熟」 にある のではないでしょうか。
 なぜなら、未成年の人たちが、ふつうに持っている性質だからです。
 未成年者は、成長過程にあるため、未成熟であって、当たり前と言えます。
 ところが、成人後は、職場や家庭で、責任を持たされ、大人として成長していくものです。

 

 問題とすべきは、20代を過ぎても、未だに、その未成熟さから、抜け出していないケース ではないでしょうか。
     たとえば、部下を指導するときは、組織から指示された内容を、愛情を持って、きびしく教えなくてはいけません。
 しかし、嫌われたくないという気持ちが強い人は、自分が好かれることを優先し、逆に、相手の機嫌をうかがってしまいます

 大人としての役割を果たせないため、部下も育たないという弊害が、そこで発生します。

 

 未成年時代は、 「好き嫌い」 という価値観が、自分の中で、大きな位置を占めています。
     しかし、成人後は、様々な経験を経て、そこから学び、そして成長し、より重要な価値観を、人生の中に見いだすことができます。
     そのために、「課題の分離の実践」 と 「承認欲求との決別」 は、避けて通ることができません。

 アドラー心理学は、未成年状態から脱するために、必ずマスターすべき考え方 ではないでしょうか

 

 

2.貢献できる人は、常に居場所が見つかる      2014.06.22

 

 アドラーは、 自分の居場所、つまり、共同体の中で、所属感を得るためには、 「ただ、そこにいるだけでは得られない」 と述べています。
     どうすればよいのでしょうか。
 この本には、共同体に対して、自ら積極的にコミットすること。
     つまり、 「何を与えてくれるのか」 から 「何を与えられるのか」 に、意識を変えなさい、と書かれています。

 

 たとえば、何かの会に入ったとします。
 ここで、他の人と、交流がなければ、入会した意味がありません

     せめて、気の合う、親しい友人だけでも、作りたい ものです。
 しかし、アドラー心理学によれば、ここで終わってはいけない、と考えられます。

 

 なぜでしょうか。
 本人は 「気の合う友人」 と 「小さな居場所」 を、手に入れることができました。

 しかし、 共同体に対して、 「何を与えられるのか」 という姿勢が、見られない からです。
 このままでは、気の合う友人次第で、居場所を失う可能性があります。

 

 それでは、これから、ご紹介する方法は、いかがでしょうか。
  入会後、チャンスを見て、 先輩方に 「何か、お手伝いできることがあれば、言ってください」 と、伝えておきます。
 通常、このような会は、一部の役員が、他のメンバーの世話で、大変な思いをしているものです。
 だから、裏方の地味な仕事を、引き受けてくれる人を、常に求めています。

 

 ただし、役員の中には、 「何を与えてくれるのか」 という姿勢で、役を続けている人たちもいます。
 「課題の分離」 ができておらず、組織内で特権を行使したいために、役員になりたがる人。

 「承認欲求」 を求めて、地位や名誉、自己満足のために、役員になりたがる人など。
 派閥や権力争いに、利用されそうになったら、うまく距離を置きましょう。

 

 アドラー心理学では、 「何を与えられるのか」 が重要です。 
  だから、つまらない仕事を、自ら買って出て、しかも、淡々と、楽しみながら、進めましょう。
 自分の居場所が確保できたら、次は、新しいメンバーに声をかけるなど、共同体に対して貢献できることは、いくらでもあるはずです。

  何も求めず、ただ、貢献する姿勢を貫いていれば、いたる所に居場所が見つかる ものです。

 

 

3.行き詰まったら、広い世界に目を向ける      2014.06.23

 

 私たちは、日常、何らかの共同体に属しています。
 学生なら学校、社会人なら職場、その他、誰もが、家庭や地域社会、地方自治体、国家、世界、宇宙など。

 この本には、「共同体」 の中の人間関係で、行き詰まった場合、どのように考えるべきか が、紹介されています。
 学校や職場の人間関係などで、行き詰まりを感じている人には、ぜひ、読んでいただきたいものです。

 

 たとえば、職場でトラブルが起きたとき・・・
 職場こそがすべてだと思っていると、自分の居場所を見失い 、精神的に追いつめられてしまいます。
  ここで、家庭や自室など、さらに狭い共同体へ逃げ込んでは、いけません。
  ますます、行き場を失うからです。

 

 このようなケースでは、反対に、 「より大きな共同体の声を聞け」 というのが、原則なのだそうです。
 つまり、 より大きな共同体の人に相談したり、より大きな共同体の常識で、考えてみる ことです。
  たとえば、職場の人間関係に悩みがあれば、もっと広い社会で生きている人に、相談してみましょう。
 また、日頃から、1つの共同体に固執せず、様々な人たちと、幅広く、交流を持てば、どろどろした人間関係そのものに、縁がうすくなります。

 

 実は、大きな共同体を意識して、生きていた方が、人生は、楽に、うまくいくものです。
 2001年〜2006年まで、内閣総理大臣を務めた、小泉純一郎さんを例に説明しましょう。
     他の総理大臣は、1、2年しか、もたなかったのに、なぜ小泉さんだけが、5年以上、続いたのでしょうか。

 それは、他の議員が、所属政党を共同体としていたのに対して、小泉さんは、国民を共同体 としていたからではないでしょうか。

 

 だからこそ、 「○○党をぶっこわす」 と言いながらも、総理大臣を、続けられたのだと思います。 
     逆に、 小さな共同体にしがみついて、狭い常識にとらわれていると、つまらない人生で終わります。
     私が、 「個人」 よりも 「社会」 を意識するのは、そのためです。
 だから、閉鎖的な組織や、因習的な集まり、馴れ合いの人間関係には、なるべく、関わらないようにしています。

 

 この本には、次のような言葉で、表現されています。
     ひとたび世界の大きさを知ってしまえば、自分が学校に感じていた苦しみが、 「コップの中の嵐」 だったことがわかる。

     大きな共同体から、理解を得られれば、小さな共同体で、嫌われても、影響はほとんどありません。
 一度、このような生き方を知ってしまうと、小さな共同体に固執する生き方には、二度と戻りたくなくなるでしょう。

 

 

4.他人を評価しない      2014.06.26

 

 アドラー心理学では、他人を叱ってもいけないのですが、他人を誉めてもいけません。
 つまり、評価してはいけないのです。
     先生や師匠、上司などの立場にある人は、仕事として 「評価」 をする必要があります。
     ただし、それは、仕事の範囲内に限ります。

 

 それ以外の、身近な人間関係において、なぜ、他人を評価したがる人が、いるのでしょうか。
 アドラーは、 「他人を操作するため」 と述べています。
 評価とは、 「能力のある人が、能力のない人に下すもの」 という側面があります。

     だから、 自分が主導権を握り、他人を操作するために、意図的に、上の立場にまわっている ことがあります。

 

 以前、出版社の営業マンが、やってきました。
 必要な本なので、購入を決めたところ、 「この本を買わない税理士は、レベルが低い」 と、口にしていました。
 税法を知らない者が、専門家である税理士を、なぜ、評価できるのでしょうか。 

     このように、 評価すべき立場にない者から、評価を受けても、あっさり、聞き流す ことです。

 

 また、世の中には、年中、他人のことばかり、話している人がいます。
 さらに、 「あの人はいい、悪い」 と、最後に、評価を付け加えます。
 しかし、このような人に限って、充実した人生を送っていないものです。

 劣等感から目を背けるために、あえて、高い位置に、自分を置いている のかもしれません。

 

 人間関係に上下をつけるのは、 「他人に求める」 生き方をしているから、 ではないでしょうか。
     だから、相手の学歴、地位、国籍、収入、家柄が、気になります。
 しかし、アドラー心理学を実践すると、最終目標は、 「自己実現」 と 「社会貢献」 になる、と考えられます。
     その結果、最も関心が高まるのは、 「社会はどうなのか」 、それに対して 「自分は何ができるのか」 の、2つになります。

 

 他人に与える、つまり 「他者への貢献」 を目標にすると、相手の学歴、地位、国籍、収入、家柄などは、関係なくなります。
 さらに、自分の学歴、地位、国籍、収入、家柄なども、関係なくなります。   

 その結果、 自分が意識する人間関係は、限りなくフラット なものに、近づいていきます。
 これにより、いつでも、どこでも、誰とでも、同じ人間として、気軽につき合えるようになります。

 

 

35.企業経営に生かす (イノベーションに適した人間関係)      2014.06.27

 

 2013年のベストセラー、入山章栄著 「世界の経営学者はいま何を考えているのか」 は、非常に面白い本でした。
 世界の経営学者が、近年、取り組んでいる、主要な研究テーマが、わかりやすく紹介されています。
 その中で、シカゴ大学の、ジェームズ・コールマン教授の研究にも、興味を惹かれました。

 それは 「人間関係の結びつきの強さ」 と 「情報伝達のスピード」 との関係 です。

 

 この研究結果によれば・・・
     ① 人間関係の結びつきが 「強い」 → 情報伝達のスピードが 「遅い」 
     ② 人間関係の結びつきが 「弱い」 → 情報伝達のスピードが 「速い」
     次に、ビジネスへの応用を考えてみましょう。

 

 ①の 「人間関係の結びつきが強い」 方が、有利なケース
 ・古くからある成熟産業では、変化も乏しく、技術革新のスピードも遅いものです。
     ・新しい技術より、これまでの技術を、より深く活用することに、重点が置かれます。
 ・「知の深化 (知識を深める) 」 が、求められるため、人間関係の結びつきが、強い方が有利です。

 

 ②の 「人間関係の結びつきが弱い」 方が、有利なケース
     ・不確実性の高い、最新ビジネスなどは、技術革新のスピードが速く、既存の技術はすぐに陳腐化します。
     ・企業は、自ら、積極的に、イノベーション (革新) を起こさなければいけません。
 ・「知の探求 (知の多様化) 」 が求められるため、人間関係の結びつきが、弱い方が有利です。

 

 アドラー心理学に、話を移しましょう。
 「課題の分離」 を実践すると、各人が精神的に自立するため、社内の人間関係は、よい意味で、①から②へ進むのではないでしょうか。

 ②の人間関係は、不確実性の高いビジネスや、イノベーションに有利 と考えられます。
 現代は、多くの産業において、不確実性が高まったため、アドラー心理学が、より求められる時代に、入ったのかもしれません。

 

 次に、企業外の人たちとは、どのように付き合っていくべきでしょうか。
 成熟産業などでは、 関係業者などと、深くつきあった方が有利でしょう。

 反対に、 不確実性の高い産業や、イノベーションが求められる企業は、様々な分野の人と、浅く、広く、付き合う べきでしょう。
  まったく関係のない業種の人から、意外性のあるヒントが、得られるかもしれません。

 

 

6.やるべきことは、 「介入」 ではなく 「援助」      2014.06.29

 

 アドラー心理学において、 「課題の分離」 は、理論の中心をしめる、非常に重要な考え方です。
     なぜなら、 対人関係のトラブルの多くは、次の2つのことが原因で発生するから です。
     ① 自分が、他人の課題に土足で踏み込むこと
 ② 他人が、自分の課題に土足で踏み込むこと

 

 上記①や②を、 「介入」 と呼んで、話を進めます。
     他人への 「介入」 の背後には、 「縦の人間関係」 があると、この本には、書かれています。
     人関係を縦でとらえ、相手を自分より低く見ているからこそ、介入してしまう。

     自分は間違っていない、相手を正しい方向に導こう とする、と。

 

 しかし、この 「介入」 の正体は、実は、 「操作」 だと、アドラーは述べています。
 つまり、 自分の意図する方向に操作することが目的で、相手に介入している のです。
 劣等感が強い人の中には、 「介入」 することによって、擬似的な優越感に、ひたっている人もいるかもしれません。
     何れにしても、 「介入」 はよくないということです。

 

 「介入」 にならないようにするためには、 「援助」 に切り替えるべき、と書かれています。
      以下、この本に書かれている内容の要旨は・・・
     「○○をしなさい」 と上から、命令するのは、 「介入」 なので、やめる。     

     「援助」 は、 「課題の分離」 と 「横の関係」 を、大前提 とする。

 

 人が課題を前に踏みとどまのは、能力の有無ではなく、実は 「課題に立ち向かう勇気がくじかれている」 。
 だから、くじかれた勇気を取り戻すことが先決。
 ○○は相手の課題であり、 「自分は○○ができる」 と自信を持ち、課題に立ち向かえるように、本人に働きかける。

     アドラー心理学では、この 横の関係に基づく援助のことを、 「勇気づけ」  と呼ぶそうです。

 

 実は、税理士試験 (最終合格率約2%) を受けている最中に、興味深い現象に気づきました。
 男性の場合、特に、 厳しい家族 (妻または親) を持つ人の方が、合格までの年数が短い ということです。
 「大変な試験だから」 と、理解を示されるより、 「なぜ早く合格しないんだ」 と、責め続けられた人の方が、早く合格します。
 合格によって、家族の生活が変わるため、これは、 「家族全体の課題」 だった、と考えるべきなのかもしれません。

 

 

7.自信を持つ方法      2014.06.30

 

 自信を持ってもらおうと、相手を誉めることがあります。
 しかし、アドラーは、人を誉めてはいけない、つまり評価してはいけないと、述べています。
 誉めるという行為は、縦の人間関係において、能力がある者が、能力のない者に、下すものです。  

     だから、 人は誉められる度に、 「自分には能力がない」 と、潜在意識に刷り込んでしまう 恐れがあるからです。

 

 これを避けるためには、 「縦の関係」 ではなく、 「横の関係」 から、相手との接し方を見直す、必要があります。
 横の関係であれば、 「感謝」 「尊敬」 「喜び」 といった、気持ちを、言葉で表現すべき です。
 具体的には、 「ありがとう」 「うれしい」 「助かったよ」 などでしょうか。
 大げさな言い方ではなく、素直に、口にすることです。

 

 人は、他者から 「感謝」 の言葉を受けたとき、 「貢献できる存在」 として、 「自分には価値がある」 と、自覚することができます。
 その 「自分には価値がある」 という自覚 (自信) こそが、人生に立ち向かう勇気を生む のです。
      ×  誉める →  相手は 「能力がない」 と潜在意識に刷り込む  →  他人の評価をあてにする
 ◎ 感謝する  →  相手は 「自分に価値がある」 と感じる  →  人生に立ち向かう勇気を持つ

 

 人生の中で 、「勇気」 が、必要とされるのは、特に、成人後ではないでしょうか。
 未成年期は、敷かれたレールの上を、走ればよいのですが、その後は、自分で、自分の人生を、切り開かなくてはならない からです。
     仕事のこと、結婚のこと、子供のこと、健康のこと、親のことなど。
 これら、すべてを、自分で決断しなければなりませんので、必ず 「勇気」 が必要になります。

 

 それでは、自分に対して、 「価値がある」 「価値がない」 という思いは、最終的に、何が原因で決まるのでしょうか。
 このメカニズムについて、この本には、次のように書かれています。
     劣等感とは、主観的な問題であり、他人の評価によるものではないと。

 だから、 いくら、他人から高い評価を得ても、 「自分が自分のことをどう思うのか」 で、決まってしまう のです。

 

 世の中には、容姿端麗、成績優秀、名家出身、健康優良、な人たちがいます。
 しかし、自己評価が低いと、自分自身に価値を見い出せず、勇気を持つことも、自信を持つこともできません。

     このような人たちが、 本来の力を発揮してくれれば、本人や家族だけではなく、社会全体が豊かになります。
 そのためには、目指すものを、 「他人の評価」 から、 「社会への貢献」 に、切り替えるべきではないでしょうか。

 

 

8.「縦の関係」 と 「横の関係」      2014.07.03

 

 対人関係のとらえ方には、 「縦の関係」 と 「横の関係」 があります。
 「縦の関係」 でとらえる人は、相手によって、上下を意識します。
     たとえば、 「Aさんは自分より上」 だが、 「Bさんは自分より下」 など。
 これに対して、 「横の関係」 でとらえる人は、 「人間はすべて対等」 と、意識しています。

 

 この本には、この2つの対人関係のとらえ方ついて、次のように書かれています。
 人間は不器用なので、 「縦の関係」 を築くか、 「横の関係」 を築くかを、相手によって、使い分けることができない。
 「縦」 か 「横」 の、どちらか一方しか、選べないので、 「Aさんとは対等で」 「Bさんとは上下関係で」 とは、いかない。
 もし、誰かと 「縦の関係」 を築いていたら、あらゆる対人関係を 「縦」 でとらえている、そうです。

 

 対人関係を 「縦の関係」 でとらえると、様々な弊害がある ことを、これまでお話しました。
     他人に嫌われたくないという思いが強い、他人の期待を満たそうとする、自分のことが好きになれない。
     他人と自分を比較し、不健全な劣等感に悩む、他人と競争するため、最終的に他人を敵と認識し、気が休まらない。
     課題の分離ができない、他人を操作するために、他人を評価する ・・・ など。

 

 アドラーは、1人でもいいから、 「横の関係」 を築くことを、勧めています。
 それを突破口に、あらゆる対人関係を 「横」 にしていく。

 「横の関係」 とは、意識の上で対等であり、主張すべきは堂々と主張する。    
     もちろん、相手の立場を考慮せず、礼を失するようなことがあってはいけませんが。

 

 私は、たぶん、子供の頃から、 「横の関係」 が、ベースにあったと思います。
     だから、人を上下に分けるにしても、何を基準に、何を単位に、何で測定すればよいのか、 わかりません。
 明確な基準、単位、測定器具が見つかったとしても、それは、一体、誰が決めたことなのでしょうか。
 正直、人を上下に分けるのが、面倒なこともあり、誰に対しても、ワンパターンで接しています。

 

 おかげで、立場が下の人には、ありがたがられる反面、尊敬されたくて仕方がないような人には、不評かもしれません。
 また、名誉や地位、権力に対して、こだわりが強い人も、面倒に感じます。
 「罪を憎んで、人を憎まず」 と言われます。

 人は、 地位、収入、家柄、国籍、出身地 などではなく、行為によって、判断されるべき ではないでしょうか。

 

 

9.ありのままの自分を受け容れる      2014.07.04

 

 アドラーは、 「①自己への執着」 を 「②他者への関心」 に切り替え、 「③共同体感覚」 を持つことが、重要 と述べています。
     これに必要なのが、 「①自己受容」 「②他者信頼」 「③他者貢献」。
 それぞれを、①②③どうしで、組み合わせると ・・・ 「①自己への執着」 を断つために、必要なのが 「①自己受容」。
 さらに、 「②他者への関心」 のために、必要なのが 「②他者信頼」 、 「③共同体感覚」 のために、必要なのが 「③他者貢献」。

 

 回は、1番目の「自己受容」です。
 「①自己への執着」 を断つために、 「①自己受容」 が必要だとすると・・・

 「自己への執着」 が強い人ほど、 「自己受容」ができていない (ありのままの自分を、受け容れていない) ことになります。
     「自己受容」 の反対は、 「自己肯定」 ですが、それぞれの意味を確認してみましょう。

 

 「自己受容」 とは、自分のありのままの姿を認めた上で、向上を目指すものです。                 
     「できない自分」 を、ありのままに受け入れ、できるようにするために、努力する。              

     60点の自分を、そのまま受け入れ、100点に近づくためには、どうすればよいのかを考える。
     これは、自分に対して、正直な生き方になります。

 

 一方の 「自己肯定」 とは、自分のありのままの姿を否定して、向上を目指すものです。    
     できないことを 「自分はできる」 「私は強い」 と、自分に暗示をかける。  

     自分は60点なのに 「今回はたまたま運が悪かっただけで、本当の自分は100点を取れる」 と言い聞かせる。  
     これは、自分に対して嘘をつく、生き方になります。

 

 話を元に戻すと、自己への執着が強い人ほど、ありのままの自分を、受け容れられません。
 つまり、人によく思われたい人ほど、 「自己肯定」 によって、現実とかけ離れた自分を、演じてしまいます。
 さらに、それが本当の自分だと、自分に言い聞かせるため、本当の自分というものが、わからなくなってしまいます。
 人間は、わからなくなると、不安になり、その不安が原因で、ますます、執着するという、悪循環に陥ります。

 

 逆に、自己への執着がなければ、自分から離れることができるため、ありのままの自分を見ることができます。
 さらに、自己への執着がなければ、その、ありのままの自分を認める、つまり、受け容れることができます。

 現実の自分にあった、改善点や、改善方法を、見出すことができるので、効率よく、成長する ことが可能になります。
 自己への執着は、ありのままの自分を、 「見ること」 そして 「受け容れること」 の、妨げになるようです。

 

 

40. 「変えられるもの」 と 「変えられないもの」 を見極める      2014.07.06

 

 日本には、 「努力が大切」 と、考える人が、大勢います。
     しかし、人生には、 「努力」 とは、比較にならないくらい、大切なことがあります。

 それは、 「何を努力するのか」 の、 「何を」 の見極め です。
 もし、懸命に、努力したとしても、それが、不幸をまねくようなことであれば、やがて、不幸になってしまうからです。

 

 前回、 「自己受容」 の説明で、次のような話がありました。
 60点の自分を、そのまま受け入れ、100点に近づくためには、どうすればよいのかを考える。
     このために、何でもかんでも努力すればいい、という訳ではありません。
 何らかの、見極めが、必要になります。

 

 この本には、 自分の努力で 「変えられるもの」 と、 「変えられないもの」 を、見極めなさい と、書かれています。
     私の経験から見ても、 「変えられるもの」 に、努力を集中させると、人生が、飛躍的に向上します。
     逆に 「変えられないもの」 を、変えようとしても、不毛な結果に終わるのではないでしょうか。
     つまり、努力の方向性を見極めるとき、 「変えられるものかどうか」 は、非常に有効な視点の1つになります。

 

 まずは、 自分では 「変えられないもの」 を特定して、心の中から、追い出しましょう。
 ① 「課題の分離」 によって、他人の課題を切り捨てる
 ② 「自己受容」 によって、偽りの自分と訣別し、偽りの目標を、却下する
 ③ 「原因論」 をやめて、「目的論」によって、過去、容姿、学歴などに、囚われないようにする。

 

 それでは、 私たちが努力すべき目標、つまり 「変えられるもの」 とは、一体、何でしょうか。
 ① 「課題の分離」 を進めると、自分が取り組むべき、課題が見えてきます。
 ② 「自己受容」 を進めると、本当の自分に合った目標が、明らかになります。
     ③ アドラー心理学をマスターすると、最終目標は 「自己実現」 と 「社会貢献」 になります。

 

 「変えられないもの」 に、囚われなくなると、人生は軽く、快適なもの になります。
 さらに、年齢が進むと、時間的、体力的、環境的に、変えられないものが増えるため、ますます、すっきりします。
     人間は、多欲な人ほど、重たい人生を、歩まなければいけません。
 反対に、不毛な荷物を見極めて、潔く捨てると、気持ちが軽くなって、自由に生きているという、実感が湧いてきます。

 

 

1.「信用」 と 「信頼」 の重要性      2014.07.08

 

  今回は、2番目の 「②他者信頼」 の話です。
     「①自己への執着」 から 「②他者への関心」 へ、切り替えるためには、 「②他者信頼」 が必要です。

     もし、 他人を信頼していない状態で、その人に関心を持ち続けるとすれば、それは自分の都合 によります。
 つまり、 「自己への執着」 に、起因する、ということになるのではないでしょうか。

 

    ここで、 「信用」 と 「信頼」 の違いについて・・・
     「信用」 とは、条件付きで、相手を信じること です。
    たとえば、 「いついつまでに、返してくれるなら、お金を貸してあげる」 など。
    ビジネスの場では、この 「信用」 がベースになります。

 

  一方の 「信頼」 とは、条件なしで、相手を信じること です。
     おもに、家族の間、特に、 「親子間」 で、求められるのではないでしょうか。
     もし、関係が悪化しても、信頼しつづけようというのが、アドラーの主張です。
     しかし、育児放棄をする親や、暴力を振るう子供を信頼するのは、なかなか難しいと思われます。

 

 このような問題を、家族内で抱え込むと、ますます事態を悪化させる可能性もあります。
 以前、お話しましたが、 「行き詰まったら、より広い世界を目指す」 が、鉄則です。
 専門家や、公共機関に、相談されることを、お勧めします。
 親のできが悪い場合、子供は一方的な被害にあいますので、社会全体で保護・救済できるようにしたいものです。

 

 「信頼」 や 「信用」 の反対は、 「懐疑 (かいぎ 相手を疑うこと) 」 です。
 「懐疑」 を、対人関係のベースに置くと、周囲の人を、疑いながら、生きることになります。 
     背後には、 「自分は正しい」 「被害者意識が強い」 「相手に対して、失礼とは思わない」 など、自己中心性が、見られます。
     20代を過ぎても、このような傾向があれば、精神的に未熟、あるいは、不健全な状態かもしれません。

 

 ビジネスにおいては、迅速かつ円滑に、業務を進めるために、 「信用」 が大きな役割を果たします。
 しかし、 懐疑的な人は、自分と相手の関係しか見ないため、他の人の迷惑を考えずに、自分の主張だけを、言い立てます。
 おかげで、つまらない確認のために、多くの時間と労力が、費されることになります。
     このような関係から、前向き、かつ、生産的なおつき合いは、望めないでしょう。

 

 

2.企業経営に生かす (衰退業界からの脱出)      2014.07.09

 

 マネジメントの父と呼ばれた、ドラッカーの経営理論は、非常に役立っています。
 まず、衝撃を受けたのが、 「事業の目的は、顧客の創造」 。

 当社の行っていることが、事業に当たるかどうかを決めるのは、顧客 であること。
 もし、利益を事業目的にすると、経営者、従業員、顧客などの間で、利害の対立が、生まれることが、指摘されています。

 

 それでは、 「顧客の創造」 を、実現させるためには、どのような方法があるのでしょうか。
 それは、マーケティングと、イノベーションです。

 マーケティングとは、販売をしなくても、売れる仕組みをつくる ことです。
     手法としては、カテゴリーを小さく絞っていき、そこで1位を目指すような戦略もあります

 

 マーケティングの対象となるのは、既存の市場にいる顧客 になります。
 成功率は、イノベーションより、はるかに高いのですが、市場そのものが縮小すると、意味がなくなります。
     マーケティングでは、同業他社との、競争に勝つことを、目標にします。
 これは、アドラー心理学とは、正反対の思考法ではないでしょうか。

 

 もう1つは、イノベーション。
 これは、既存の事業に、異なる業種の要素を採り入れたり、既存の事業の一部を削って、異なるカテゴリーを創り出します。

 新たに、対象となるのは、既存の市場の外にいる人たち、つまり、ノン・カスタマー。
 ただし、成功する確率は、非常に、低いものです。

 

 現在は、多くの業界で、成熟化が進み、さらに衰退して、消滅寸前の業界も、少なくありません。
 その中で、 マーケティング戦略によって、縮小したパイを、同業他社と奪い合っても、消耗の割に、成果があがりません。
 かつて、乱立したガソリンスタンドも、値引き合戦と、過剰サービスが災いして、衰退時期を、早めました。
 このような業界の経営者は、転業を決意するか、イノベーションによって、新たなカテゴリーを生み出さなければいけません。

 

 イノベーションを実現させるためには、同業他社に囚われない発想が、求められます。
     ドラッカーが主張するとおり、「他社より優れている」 ではなく、 「他社とは違う」 です。
 そのためには、「他人と比較しない」 「対人関係に上下をつけない」 「他人の評価を求めない」 などの習慣化が、必要になります。
 私は、アドラー心理学を深めて、自分自身の中に、新たな思考回路を、発見したいと、考えています。

 

 

 ※ 参考文献  P.F.ドラッカー著 「マネジメント エッセンシャル版」

 

 

 次回につづく。 →  こちらをクリック

続 3 「 嫌われる勇気 」 人生が変わるアドラー心理学  2014-07-11

前回までの内容 → こちらをクリック

 

 

43.「不幸なお金持ち」 にならないために      2014.07.11

 

 「①自己受容 = ありのままの自分を受け入れる」 と 「②他者信頼 = 他人を信頼する」 を、おさらいしましょう。
 この2つによって、他人を仲間と見なすことができます。
 それによって、自分が 「ここにいてもいい」 という所属感を、得ることもできます。    

     他人と比較したり、競争する人は、最終的に相手を敵と見なすため、 「①自己受容」 も 「②他者信頼」 も難しい と言えます。

 

 今回は、もう1つ必要な、3番目の 「③他者貢献」 の話です。
  「③共同体感覚」 へ進むためには、さらに 「③他者貢献」 が必要です。
  「他者貢献」 とは、仲間に対して、何らかの働きかけをしていくこと、つまり、貢献しようとすること。 

     それは、 自分を捨てて、誰かに貢献するのではなく、自分の価値を実感するために、すべきもの 、とのことです。

 

 ここで、疑問が湧いてきます。
 けっきょく、それは、自己満足のためではなかろうか。
 そのようなものを、貢献と呼ぶべきなのだろうかと。
 これに対して、この本では、仕事を例に、次のような、説明がなされています。

 

 労働とは、 「お金を稼ぐ」 ためでも、ありますが、実は、 「他者貢献」 のためにするもの。
 さらに、 共同体にコミットし、 「自分は誰かの役に立っている」 ことを実感して、自らの存在価値を受け入れるため のものです。
     たとえば、大富豪なのに、仕事をする人がいますが、それは、さらに、財産を増やしたいから、ではありません。
 他者に貢献することによって、 「ここにいてもいい」 という、所属感を高めるためと、述べられています。

 

 共同体意識を求めて、誰かに貢献する。
 それは、あくまで、 「与える」 ことを、主とするからこそ、得られる ものではないでしょうか。
 これが、もし、 「見返りを期待する」 「嫌われたくない」 、あるいは、劣等感から逃れるために 「他人を見下したい」。
 このような考え方の持ち主から生まれた、偽善、エセ貢献、おせっかい、自己満足だとしたら、ますます心を貧しくさせるでしょう。

 

 共同体意識を、さらに高めるためには、 「能力を高める」 ことが、重要です。
 すると、より多くの人、より難しい事情を抱えた人、に対して、貢献できるようになります。
 他者に貢献するにあたり、求められる能力を、最も高めやすいのは、仕事ではないでしょうか。

 仕事の能力を高め、それによって、社会に広く貢献していくことが、最終目標になる と、私は考えています。

 

 

44.自分で勝手に決めてよいこと      2014.07.13 

 

 この本について、ネット上のレビューを読むと、否定的なものも、ごく少数、寄せられています。 
 内容は、 「アドラー心理学は正しくない」 。
 生き方や、考え方は、各人が決めればよいことです。

 だから、 一般論として 「正しいかどうか」 について、問うべきではない、と考えています。

 

     私自身も、正直、これが、万人にとって 「正しい」 ものかどうか、わかりません。
 しかし、個人的には、 「採り入れるかどうか」 を、判断すべき でしょう。
 それでは、どのような手順によって、判断すればよいのでしょうか。
 私は、以下の方法によります。

 

 まずは、目的論に沿って、目的を決めます。
 もし、その目的が、 「人生を幸福に導くため」 だとすると ・・・
  「人生を幸福に導くため」 には、 「どのような考え方を選ぶべきか」 という基準が生まれます。

     その基準に従って、たとえば、アドラー心理学を実践するかどうかを、決めればよい のです。

 

 「自分が、何歳まで生きられるかどうか」 も、重要ながら、わからない問題です。
 そこで、まずは、目的論に沿って、目的を決めます。
     もし、その目的が
「今を充実させること」 だとしたら、基準は、 「今を充実させるためには、何歳まで生きられると仮定すべきか」 になります。
    その基準に従って、 「自分は何歳まで生きられるか」 を、勝手に決めればよい のです。

 

 40歳くらいまでは、人生のゴールが見えませんので、ついつい、時間を浪費してしまいます。
 ここで、
「今日が人生最後の日」 と仮定すれば、 「今日一日だけは精一杯、生きよう」 と、気持ちを奮い立たせることができます。
 反対に
50代に入ると、人生のゴールが、はるか遠くに、見えてきます。
 そのまま意識すると、生き方が消極的になりますので、逆に 「人生100年」 と仮定して、積極性を維持したい ものです。 

 

 この他にも、神様がいるかどうか、来世があるかどうか、死ぬときは苦しいかどうか ・・・ など。
     人生には、正解に、たどりつけない問題が、多々あります。

 これらについても、目的論に沿って、自分自身で、勝手に決めればよい のです
 もし、神様がいた方が、うまく生きられるなら、 「神様がいる」 と、自分で決めてしまえばよいのです。

 

 

5.勇気を出して、心豊かな人になる      2014.07.14 

 

 アドラー心理学によれば、対人関係のスタートは 「課題の分離」 でした。
 「課題の分離」 によって、他人の課題を切り捨て、自分の課題に集中する。
 そして、ゴールは 「共同体感覚」。

 この 「共同体感覚」 を高めるためには、 「①自己受容」 「②他者信頼」 「③他者貢献」 が必要 です。

 

 ありのままの自分を受け入れる ・・・ つまり 「①自己受容」 する
 だからこそ、裏切りを恐れることなく 「②他者信頼」 することができる。
 そして、他者に無条件の信頼を寄せて、人々は自分の仲間だと思えているからこそ、 「③他者貢献」 できる。

      ①〜③は、 3点セットなので、1つとして欠かすことができない 、そうです。

 

     もし 「課題の分離」 だけで、終わってしまうと、他人を 「敵」 と見なすことは、なくなるかもしれません。
 しかし、他人を 「仲間」 と見なしたり、自分の居場所を確認することができません。

  「共同体感覚」 は 「課題の分離」 と同様、非常に重要なテーマ です。
 この本では、次の例を示し、復習を勧めていますが、私は、目的論から、アプローチしてみました。

 

      主人公は主婦、毎日、食事の後かたづけを、しなければいけません。
 ところが、子供たちは、食事が終わると、自分の部屋へ直行、夫に至っては、ソファーで、のんびり、テレビを見ています。

     この様子を見て、「イライラする」 と 「楽しそうにする」 、どちらを選ぶのか。
     ここで、前回の 「自分で勝手に決めてよいこと」 を、思い出してください。

 

     自分は、 「イライラすべき」 なのか、 「楽しそうにすべき」 なのか。
 
まずは、「何れが正しいか」 から離れて、目的論に沿って、目的を決めます。
 もし、目的が 「お互いに       感謝しあえる家族になりたい」 だとしたら
・・・
 
 「お互いに感謝しあえる家族」 になるために、 「イライラする」 と 「楽しそうにする」 、何れの行動を選択すべきなのか、を考えます。

 

      もし、 「イライラする」 を選択すると、自分も楽しくなければ、家族も近づきたくないでしょう。
      反対に、「楽しそうにする」 を選択すれば、その姿を見て、子供も手伝いたくなるかもしれません。
 心の豊かさとは、周囲に伝染するものです。
 
     重要なことは、たとえ絶望的な状況においても、
自ら、勇気を出して、その1人目になること でしょう。

 

 

6.「自立」 の意味は、年齢によって変わる      2014.07.16 

 

 以前、ご紹介した、アドラー心理学の目標は、共同体感覚を高めるためにも、有効です。
     
A① B①は、 「自己受容」 に関するものであり、A② B②は、 「他者信頼」 「他者貢献」 に、つながるもの です。

A.行動面の目標 ① 自立すること ② 社会と調和して暮らせること

B.精神面の目標 ① 私には能力があるという意識 ② 人々は私の仲間であるという意識

 

    哲学者カントも、次のような言葉 (記憶の範囲内で要約したもの) を、残しています。
   人間の内面における、最も偉大な革命は、 「未成年状態を脱する」 こと。
   ところで、この 「未成年状態を脱する」 とは、何を意味するのでしょうか。
   これも、 「自立」 と考えられます。

 

  「自立」 の意味は、年齢によって変わる のではないでしょうか。
 たとえば、20代前半の人が、自分の収入で、賃貸住宅を借り、一人暮らしをしていたら、これは 「自立」 と言えます。
 社会人として、初めての経験ばかりですから、これで精一杯でしょう。
 しかし、30代後半の人が、同じ暮らしをしていたら、これを 「自立」 と呼ぶべきでしょうか。

 

     30代後半になれば、多くの人が、何らかの形で、誰かを助けています。
 子供や親を養っている人もいれば、職場で従業員や後輩を育てている人もいます。
 だから、30代後半になっても、自分のためだけに、生きている人が、自立しているとは、言い難い ものです。
     ここから先へ進むためには、どのような方向を、目指せばよいのでしょうか。

 

     アドラー心理学においては、行動面の目標として、もう1つ、 「社会と調和して暮らせること」 が、揚げられています。
     それを支える、心理面の目標は、 「人々は私の仲間である」 という意識です。
 つまり、 他人、組織、社会などを、仲間と意識し、そこに 「信頼」 と 「貢献」 がなければ、 「自立した大人」 とは言えません。
 自分の収入で、一人暮らしをしているだけで、 「自立」 と認められるのは、せいぜい20代まで、と考えてください。

 

     また、 「親離れできない子には、子離れできない親がいる」 と、言われます。
 何れが、罪深いのかと言えば、間違いなく 「子離れできない親」 です。
 親は年長の立場にありますから、子供より分別があって、当たり前ですが、それができていません。
 親が 「自分の自立」 を、望んでいないと感じたら、知恵を絞って、脱出していただきたいものです。

 

 

7.「みんな」 「いつも」 「すべて」 に注意する      2014.07.17 

 

 この本の中で紹介されている、ユダヤの教えによれば・・・
 「10人中、1人は必ず自分のことを批判する。2人は親友になれる。7人はどちらでもない」 そうです。
     このような状況の中で、どの人に注目するのか。
     「自分を批判する1人」 「親友になれる2人」 「どちらでもない7人」 、これが、今回のテーマです。

 

     もし、 「自分を批判する1人」 に注目すると、絶望的な気分に陥るかもしれません。
     もし、 「親友になれる2人」 に注目すると、ハッピーな気分で過ごせるでしょう。
     もし、 「どちらでもない7人」 に注目すると、どんな気分になるのでしょうか。
     つまり、 同じ事実を前にしても、何に注目するかによって、気分は天国と地獄ほどの違い、がある ということです。

 

     よくない例として、 「神経症的なライフスタイルを持った人」 が、紹介されています。
     このような人たちは、さらに、 「みんな」 「いつも」 「すべて」 といった言葉を、多用します。
     具体的には、 「みんなが自分を嫌っている」 「いつも自分だけが損をする」 「すべて間違っている」 など。
 物事の一部だけを見て、それを全体と見なすので、アドラーは「調和を欠いた生き方」 と呼んでいます。

 

     これが原因で、物事を 「白」 か 「黒」 の何れかに、決めつける人がいます。
 ところが、現実社会には、白もなければ、黒もなく、あるのはグレーのみ。
 ただし、限りなく白に近いグレーから、限りなく黒に近いグレーまであり、しかも、時間の経過によって、変化します。
 その時々に意識を集中させ、どのようなグレーなのかを、見分けて、適切に対応するのが、知恵の発揮どころ ではないでしょうか。

 

     しかし、人生には、限りがあります。
 もし、あらゆることに真剣に取り組んでいると、時間と労力が割かれ、努力の割に報われない人生で終わります。
 そこで、 重要性に応じて、対応の仕方を、区別すべき ではないでしょうか。
     まず、重要でないことは、 「足して2で割る」 「大勢に従う」 「決めたい人に決めてもらう」 などでよいでしょう。

 

     次に、最大ボリュームである、日常判断については、 「原則」 と 「特例」 に分けて、対応しています。
 基本的には 「原則」 を適用し、ワンパターンで対応しますが、変更すべきと判断したら、 「特例」 として、別の対応を考えます。
 この方法によれば、少数の例外のみ覚えておけば、後は原則で済むので、もしもの時のために、時間を節約することができます。
     最後に、当たり前のことですが、重要事項に関しては、十分な時間をとって、全精力を傾けなければいけません。

 

 

8.企業経営に生かす (詐欺被害にあわない)      2014.07.21 

 

 以前、 「他人と自分を比較 (相対評価) してはいけない」 というお話をしました。
 他人と自分を比較すると、そこには、競争が発生します。
 競争の先には、必ず勝者と敗者がいます。
 自分が敗者になる訳にはいかないので、けっきょく相手を敵と見なすようになります。

 

     さらに、人間は、 「相対評価」 に陥ると、判断力が低下します ・・・ つまり、騙されやすくなります。
 なぜなら、敵視する人に、意識が集中するため、それ以外の状況が、見えなくなるからです。
 世の中には、このような性質を悪用する者もいるので、注意が必要です。
 もし、同業他社などの具体名をあげて、競争を煽る人物がいたら、挑発に乗らないことです。

 

 個人的な人間関係では、自己愛の強い人ほど、他人同士を争わせる 傾向に、あるようです。
 メンバー全員から、最も信頼されていなければ、気が済まないからでしょう。
 例えば、周囲の人は、みな、Aさんを信頼しているのに、周囲の人同士は、信頼しあっていない。
     このような人間関係に出会ったら、Aさん自身が、他人同士を争わせている可能性があります。

 

 中国古典の1つ、 「孫子」 には、戦争で敵をあざむく方法が、多数、紹介されています。
 中でも、 他人同士を争わせ、いわゆる 「漁夫の利を得る」 方法は、基本中の基本ではないでしょうか。
 また、特定の他国を、仮想敵国と見なし、国民をコントロールする国もあります。
 国民の視線を他にそらせ、自分たちへの非難をかわしたり、政府に都合のよい政治を進めるためです。 

 

 次は、私のビジネスエリアに、しばしば登場する、悪徳コンサルタントの話です。
 ある飲食店の近くに、大型チェーン店ができることになりました。
 するとコンサルタントは、開口一番、 店主に言ったそうです。
 「あの店に勝ちたいかどうか、それだけ聞かせて欲しい」。

 

 その後、このコンサルタントは、数回、自分を売り込んだだけで、店主に40万円、請求してきました。 
 ビジネス上、このような人物に、騙されないためには、どうすればよいのでしょうか。
 それは、 「他人と自分を比較する」 のをやめて、 「理想の自分と実際の自分を比較する」 習慣を、持つことです
 人生にとって、 大切なことは、「誰かに勝つか負けるか」 ではなく、 「自分らしく幸せに生きられるかどうか」 ではないでしょうか。

 

 

9.「自分のために」 が、人生を苦しくする      2014.07.22 

 

 間にとって、最大の不幸は、自分を好きになれないこと。
     それでは、どうすれば、自分のことを、好きになれるのでしょうか。
 「方法は1つしかない」 と、アドラーは述べています。
 それは 「貢献感」 を持つこと。

 

 貢献感とは、 「私は共同体にとって有益である」 「私は誰かの役に立っている」 といった思いです。
 この貢献感は、 「自らに価値がある」 という実感を、もたらします。
 その結果、自分のことを、好きになることができるのです。
 私の場合、 「好き嫌い」 という思いが、希薄なせいか、自分に対しても、他人に対しても、好き嫌いを、感じない方ですが。 

 

 私の両親は、戦前教育の影響を色濃く残す、最後の世代、昭和一桁生まれです。
 おかげで、子供の頃から 「世のため、人のため」 と言われて、育ってきました。
 だから、 自分の内面には、ほとんど関心がなく、常に自分の外側の世界に対して、強い興味を抱いていました。
     人、物 (お金) 、事の中では、圧倒的に 「事」 に関心があります。 

 

 ところが、昭和二桁生まれ、さらに戦後生まれの親の中には、 「自分のために生きなさい」 と、主張する人も増えました。
 10年以上前のことですが、精神科医の本を読んだところ、 「自分の内面に強い関心を持つのは危険」 と書かれていました。
     なぜなら、自分の内面に深入りすると、迷路に入り込み、抜け出せなくなるからです。
 前述の親たちに、悪気はなかったかもしれませんが、 「子供を窮地に陥れるかもしれない」 と、私は見ていました。 

 

 ここで、 「貢献感」 を得るために 「他者承認」 を求めてはいけないのか、という疑問が湧いてきます。
 この疑問に対して、この本では、次のように答えられています。
 他者に承認を求めると、他者の望みを満たそうとする生き方になるので、そこには 「自由」 がない。
     つまり、 自由のない幸福は、幸福ではない とのこと。 

 

 さらに、制度としての自由は、国、時代、組織、文化などによって違うが、対人関係における自由は、普遍的なもの。
     「私は誰かの役に立っている」 という幸福感があれば、他者の承認は必要ない。                        
     承認欲求にとらわれている人は、いまだ共同体感覚を持てておらず、自己受容や他者信頼、他者貢献もできていない。
     まったく、その通りですね。

 

 

50.「特別であろうとする人」 に注意する      2014.07.24 

 

 世の中には、「特別であろうとする人」 がいます。
 「普通の人」 ではいけないと、考えているのでしょうか。
 話し方や、態度、人によっては、服装にまで、涙ぐましい努力を払っています。
     見る人が見れば、偽物とわかるので、みっともないと、私は思うのですが。 

 

 子供には、めずらしくありませんが、20代を過ぎると、激減するようです。
 従って、 30代以上で、この傾向があるとすれば、未だに、幼児性が抜けきれていない、 可能性があります。
 中には、愛すべき幼児性を、発揮する人もいるかもしれません。
 大人としての役割さえ、期待しなければ、害は少ないと言えます。 

 

 ところが、 「世紀の大発見をした」 とか、 「特殊な才能を持っている」 などと、吹聴する人は、大きな害を及ぼします。
 虚言癖や妄想癖があり、かつ、責任感にも乏しく、言動が、行動や事実と、一致していないからです。
 過去に数名、出会いましたが、私自身も、少なからず、損害を受けた経験があります。
 特別扱いしなければ、一時的に非難を受けるものの、やがて、遠ざかっていきます。 

 

 以前、お話しした悪徳コンサルタントなどは、悪意がありますが、精神的には、まだ健全の範囲内、かもしれません。
 しかし、このようなタイプは、 「悪意がある (意識的な嘘)」 なのか、 「精神が病んでいる (無意識の嘘)」 なのか、わかりません。
 パーソナリィティー障害の中では、 「自己愛性」 が最も、共通点が多い と、考えられます。
     その原因は、 「親子関係にある」 と、書かれているものもありました。 

 

 この本では、子供を例に、 「特別であろうとする人」 について、述べられています。
     多くの子供たちは、最初の段階で、 「特別によくあろう」 とします。
 いわゆる 「よい子」 を目指して、努力します。 
 ところが、 うまくいかないと、今度は、 「特別に悪い人」  になる者もいます。 

 

 一見、反対に見えますが、目的は同じ。
 他者の注目を集め、 「普通」 の状態から脱し、 「特別な存在」 になる ことです。
 アドラーは、これを 「安直な優越性の追求」 と呼んでいます。
 その場では、特別な存在になれるが、不健全な態度だと、指摘しています。

 

 

1.本当の幸せは 「普通」 の中にある      2014.07.27 

 

 前回、 「特別であろうとする人」 について、お話ししました。
 それでは、その理由は、何なのでしょうか。
 この本には、「普通である自分」 が受け入れられない。 
     だから、 「特別によくある」 ことが、くじかれると 、「特別に悪くある」 ことへと、極端に飛躍すると、書かれています。

 

  「特別であろうとする人」 は、精神的に不安定な人が、少なくありません。
 私が、これまで関わった人の中には、精神安定剤を常用する人も、複数いました。
 すると、 極端な躁 (そう) 状態と、極端な鬱( うつ) 状態が、交互に現れます。
 躁状態の時は、極端な浪費に走り、鬱状態の時は、絶望的な気分になるなどの、傾向も見られました。 

 

 以前、お話ししたとおり、現実社会には、白もなければ、黒もなく、あるのはグレーのみ。
 ただし、限りなく白に近いグレーから、限りなく黒に近いグレーまであります。
     どのグレーなのかを、見分けるのが、知恵の発揮どころです。
 ところが、 極端な躁と鬱しかなく、中庸部分、つまり 「普通の部分」 が欠落していると、微妙な判断が困難 になります。 

 

 ところで、 「特別な人」 と 「特別であろうとする人」 は、当然ながら、違います。
     私も、過去に、数名、 「特別な人」 に出会いました。
 何が特別なのかというと、才能です。
 「超越している」 という言葉が、妥当でしょう。 

 

 しかし、 「特別な人」 たちの多くは、 「普通の人」 としての生活を、大切にしています。
     家族関係や、友人関係にかかわらず、他人との関わり方についても、普通であろうとします。
 それは、 本当の幸せが、 「普通」 の中にあることを、理解している からでしょう。
 おかげで、 「特別であろうとする人」 よりも、一見、 「普通」 に見えるものです。 

 

 「特別であろうとする人」 は、その部分がわかっていません。
 だから、 「特別な人」 になれば、他人に威張ったり、自分だけ得をしたり、他人から尊敬され、それが幸せだと、信じています。
     そもそも、 自分が 「特別な人」 かどうかを、判断するのは、他人 です。
 それを演技によって、実現させようとするのは、 「課題の分離」 ができていない証拠、ではないでしょうか。

 

 

2.「普通人」 として、腹をくくって、生きる      2014.07.29 

 

 「普通の自分」 が、受け入れられないと、 「特別によい子」 から、 「特別に悪い子」 へと、極端に飛躍する。
 この本には、このように、書かれていました。
     それでは、この 「普通」 とは、一体、どのくらいの範囲 のことを、言うのでしょうか。
     私の場合、99.9%以上を、 「普通」 と考えています。 

 

 たとえば、プロ野球で言えば、イチロー選手は 「特別」 ですが、松井秀喜さんは 「普通」 。
 もちろん、松井さんも、すごいのですが、それは、従来までの 「常識的なカテゴリーの範囲内」 に、おいてのことです。
     
私は、ON (王貞治さんと、長島茂雄さん) 時代を、知っているせいか、松井さんや原辰徳さんレベルでは、「特別」 と、感じられません。
 ところが、イチロー選手は、まったく異質なので、 「特別」 に、区分しました。 

 

 ここまで 「普通」 の範囲を拡げると、世の中の人の大半が、 「普通」 の範囲内に収まります。
     もちろん、自分も、 「普通」。
 生まれ変わらない限り、自分が 「特別な人」 になることなど、ありえません。
 だから、今の人生は、 「普通人」 として、生きていこう、と、腹をくくる ことができます。 

 

 「普通人」 には、特別な才能もなければ、特別な幸運もありません。
 だから、幸せに生きたければ、様々なことが、要求されます。
 キーワードで言えば、努力、誠実、責任、正直、協力、貢献、健康、忍耐、決断、遠慮、などでしょうか。
 ただし、これらは、 「特別な才能」 と違って、自分の意思と努力によって、改善することができます。 

 

 かつての同級生、先輩、後輩のうち、 「特別な人」 たちは、主に、上場企業のエリート社員や、官僚、学者、医師、弁護士になりました。
 これらの職業に就いているから、 「特別な人」 という意味ではありません。
 このように考えると、 税理士などは、ほぼ全員が 「普通人」。
     もし、 「特別」 と、考えていたら、よほどお目出度い人物と、言わざるをえません。 

 

 私は、この 「普通人」 としての人生を、満喫しています。
 海外旅行に行かなくても、ただ道を歩いているだけで、十分、楽しむことができます。
 また、幸いにも、 「味覚」 より 「食欲」 で食べるタイプなので、何を食べても、たいてい美味いと感じます。
 さらに、周囲の人も、ほぼ全員が 「普通人」 なので、いちいち、人を上下に分けて、態度を変える必要もありません。

 

 

3.「普通人」 だから、不利なこと、有利なこと      2014.08.01 

 

  「普通人」 は、無数にいます。
 それが原因で、不利なことと、有利なこと があります。
 「何が不利なのか」 を自覚して、注意しながら、生きていくこと。
 「何が有利なのか」 を自覚して、それを生かして、生きていくことを、心掛けています。 

 

 まずは、不利なこと。
     最も大変なのが、 自分の代わりなど、いくらでもいる、 という点です。
 だから、気を抜き過ぎると、ポジションを失います。
 注意すべきは、ほどほどの緊張感を、長く、維持することでしょう。 

 

 次に、災難と思われるのが、 「特別であろうとする人」 に、騙されやすいこと。
 私は、10代のころ、 「特別な人」 たちと、数年間、過ごしたことがあります。
     だから、 「特別であろうとする人 (偽物) 」 が、 「特別な人 (本物) 」 ではないことに、早く気づくことができます。
 ところが、 「特別な人」 に接した経験が、ほとんどなければ、偽物に、騙されやすい のではないでしょうか。 

 

 次は、有利なこと。
 ひと言で言って、 「多数派」 という点に、尽きるのではないでしょうか。
     市場に出まわるサービスや商品のうち、最もコストパフォーマンスが高いのは、 「普通人」 向け のものです。             
 このレベルで悪くなければ、衣食住を、経済的に済ませることができます。 

 

 また、同じ悩みを抱える者も、多数いるので、簡単に、他人と共感しあうことができます。
 さらに、鋭い知性や感性など、もともと、持ち合わせていないので、悩みそのものが発生しにくい。
 悩みの大半は、妄想に過ぎないので、健全な精神を維持しやすい。
 「普通人」 なので、犯罪の標的になりにくい、など、有利なことは、数知れません。 

 

 若い人の中には、深い悩みに入り込んで、抜け出せない人がいます。
 このような人たちは、自分が 「特別な人」 ではないかという望みを、未だに、捨てきれていないのではないでしょうか。
 自ら、自分を、難しい存在、つまり、 「他人に理解されにくい存在」 にしない ことです。
 自分は 「普通人」 として、生きればよいことを、理解すれば、まったく違う、明るい人生が、開けてくると、私は思います。

 

 

4.子供に過度に期待する、不健全な親      2014.08.03 

 

 家族にとって、最も記憶に残る時期は、いつでしょうか。
 それは、 「子供が物心ついてから、小学生までの期間」 と、私は考えています。
     この期間は、 子供の人格形成にとって、非常に重要な時期 です。
     その後の人生を乗りきるだけの、勇気を育むためには、この時期を、幸せに過ごすことが、大切ではないでしょうか。 

 

 また、家族としても、 「我が家の原点」 とも言うべき、印象的な記憶を残す、チャンスに恵まれます。
 もし、その後、危機が訪れたとしても、家族としての絆が、維持できるのではないでしょうか。
 やがて、子供が、 中学生になると、自立の準備 が始まります。
 部活や交友、勉強などに励むために、親から少しずつ、離れさせるべきでしょう。 

 

 この 「子供が小学生までの期間」 、様々なお父さん、お母さんとの、おつき合いがありました。
 その中には、 子供を 「特別な人に育てたい」 と、思われる、お母さんも、数人 いました。
 子供が男の子の場合、神経が図太いせいか、あまり意に介さない様子でした。
 私も、幼少時から、母の言うことなど、ほとんど聞かなかったそうです。 

 

 ところが、女の子の場合、親の期待を、真正面から、受け止めてしまう傾向が、男の子より強いと、思われます。
 このようなお母さんは、子供が中学生以上になっても、子供の生活に、過度に関わろうとします。
 親の集まりにも、目の色を変えて、参加します。
 まるで、 子供をダシに、自分の欲望を満たしている ように見えます。 

 

 子供は、やがて、親の期待が、重荷に感じられ、苦しくなります。
 親の愛情が、実はゆがんだものであることを、何となく感じ取ります。
 私は、このような親を持った子供たちに、 一刻も早く、親の期待を満たすような生き方をやめる ことを、お勧めします。
 早い時期に、反発した子供ほど、その後、生き生きとしているようです。 

 

 このような親たちは、アドラー心理学とは、まったく正反対の考え方をする人たちです。
 「課題の分離」 ができておらず、子供を独立した人格として、認めようとしません。
 自分は 「普通人」 でいいから、子供には 「特別な人」 になれ、というのは、明かなエゴではないでしょうか。
    亡くなる2、3日前まで、あなたが高めるべきは、他者ではなく、あなた自身 です。

 

 

5.企業経営に生かす (微妙な違いを見分ける)      2014.08.06 

 

 以前、お話ししましたが、世の中には、 「完全な白」 もなければ、 「完全な黒」 もありません。
 あるのは、グレーのみ。
 ただし、限りなく 「白」 に近いグレーから、限りなく 「黒」 に近いグレーまで、あります。
     どのグレーかを、見分けて、適切に対応するのが、知恵の発揮しどころ です。 

 

     人で言えば、99%以上が、 「普通人」 です。 特別な才能など、持ち合わせていません。
     しかし、 ひと言で 「普通人」 と言っても、全員が微妙に違う ものです。
 人格、好み、外見、好み、健康、環境、生立など、すべて同じ人など、いないものです。 

 

 この視点を、ビジネスに応用してみましょう。
 大半の企業は、仕事の面で、同業他社と比べ、大きな違いなどありません。
 それでも、成果の点において、大きな差がつくのは、なぜでしょうか。
 それは、 微妙な違いを見分けて、適切に対応できているかどうか、 その積み重ねによります。 

 

 たとえば、コミュニケーションは、おおむね、明るい話し方をした方が、よいものです。
 しかし、自分を元気づけるため、または、自己アピールのために、大声を張り上げているような店員も、見受けられます。
 元気がよすぎると、かえって、他の人の元気を、くじいてしまいます。
 自分の声質などを自覚して、相手や状況によって、ほどよい大きさで、話さなければいけません。 

 

 また、話は、簡潔にしないと、聞く方も大変 です。
     さらに、1つの要件に対して、言葉数が多すぎると、限られた時間内に、多くの要件を伝えられなくなります。
 だから、相手や状況によって、的確な言葉を選び、話す順序を考え、相手が短時間で理解できるように、工夫する必要があります。
 会話一つをとっても、相手や状況によって、微妙な違いが求められます。 

 

 ビジネスは、極端なことをしなくても、微妙な違いを見分け、適切に対応していけば、安定した業績が望めます。
     まずは、平凡なものの中に、微妙な違いを見出す能力を、高めたいものです。
 逆に、 「特別であろうとする人 (才能的には普通人) 」 は、極端なものだけに、価値があると信じています。
 普通のものを馬鹿にし、 微妙な違いを理解しないため、目の前にある無数のチャンスを、逃している のではないでしょうか。

 

 

6.「善悪」 に強くなる      2014.08.07 

 

 他人に対して、一度も、迷惑を掛けずに、人生をまっとうできる人など、どこにもいません。
 故意であるか、過失であるかは、別として、必ず、どこかで他人に迷惑を、掛けているものです。
 多くの人が、その事実に気づき、同じ過ちを繰り返すまいと、心掛けています。
 だからこそ、 精神的に辛くても、その罪悪感を、心の奥底に、留めている はずです。 

 

 ところが、自分にとって、都合の悪い記憶を、すべて消し去る人たちもいます。
 悪意のある人であれば、罪悪感、あるいは、罪そのものから、逃れるためでしょう。
     しかし、さらに、 悪意さえ認識できない、病的な人たち もいます。
 このような人たちは、本人が自覚していないので、すっかり騙されることがあります。 

 

 以前も、お話しましたが、 「特別であろうとする人」 には、注意が必要です。
 才能レベルは、 「普通人」 であるにもかかわらず、自分は 「特別な人」 だと、20代を過ぎても、信じています。
 その根底にある、強烈な自己愛は、無意識のうちに、他者を害します。
 他者のことを、 「自分が特別な存在であるための道具 (消耗品) 」 と、認識している のではないでしょうか。 

 

 彼らは、利用価値があれば、 「普通人」 にも、近づいてきます。
 「好かれたい人」 や 「嫌われたくない人」 は、奴隷扱いされるので、ご注意ください。
 さらに、 利用価値の高い 「特別な人」 は、猛アタックを受ける危険があります。
 特に、無菌培養のような環境で、エリートコースを歩んできた人たちは、十二分に、注意していただきたいものです。 

 

 現在の日本人社会は、価値判断基準のうち、 「損得」 と 「好き嫌い」 が、肥大化し過ぎていると、感じます。
  「特別であろうとする人」 の被害に遭いたくなければ、 「善悪」 に強く ならなければいけません。
  「善悪」 に強いということは、時には、損を覚悟で、嫌われてもよいから、 「善」 を、維持する必要があります。
 これによって、 「損得」 と 「好き嫌い」 をエサに、自分を利用しようと、近づいてくる者から、身を守ることができます。 

 

 かつて、危険人物は、10メートル手前からでも、見分けがついたものです。
 しかし、最近は、外見で判断できなくなり、以前にも増して、人を見る目を、養わなければいけません。
 先日、 「日本の頭脳」 と呼ぶべき 「特別な人」 が、自ら、命を絶たれました。
     心より、ご冥福を、お祈りいたします。

 

 

 次回につづく。 →  こちらをクリック

続 4 「 嫌われる勇気 」 人生が変わるアドラー心理学  2014-08-08

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57.人生に 「幸福駅」 行きのレールなどない      2014.08.08

 

 「特別であろうとする人」 は、自分が 「普通」 であることを、受け入れられません。
 だから、何か、特別なことをしなければいけないと、信じています。
 しかし、その目標を、達成できる人は、限られています。

 つまり、 「特別な人」 を目指しても、多くの人は、実現できないまま、 「普通人」 で終わります。

 

 たとえば、税理士。
 税理士は、全員 「普通人」 ですが、よく知らない人の中には、 「特別な人」 として、憧れる人もいる ようです。
     このような人が、税理士試験の合格を、目指したとします。
 しかし、全5科目合格まで、たどりつける人は、全体のわずか2%に過ぎません。
 

 

 つまり、 100人の挑戦者がいたとしても、98人は、途中で挫折したり、死亡 してしまいます。
 今回は、5科目に合格できず、税理士になれないまま、亡くなられた人について、考えてみましょう。
 この人自身に、存在価値はあったのでしょうか。
     この人の人生には、意味があったのでしょうか。
 

 

 同じようなケースで、アドラーは、 「ある」 と、答えています。
 人生を 「線」 でとらえると、そこには、始点と終点があります。
 終点 (例 : 税理士試験合格) に達すれば、そこから、 「本当の人生」 が始まると、考えると ・・・

 それまでは、 「仮の私」 が、 「仮の人生」 を、歩んでいる ことになります。 

 

 もし、途中で死んでしまうと、 「仮の私」 と 「仮の人生」 しか、存在しなかったことになります。
 これは、明らかに、 「人生の嘘」 ではないでしょうか。

 もし、今の自分に納得できなくても、今ここにいる私は、自分以外の何者でもありません。
 人間は、いつでも生まれ変わることができますが、どの時点の私も、 「本当の私」 です。 

 

 私は、たまたま運よく、税理士試験に合格しました。
 しかし、 合格できない98%の人たちについて ・・・
 
存在価値がなく、その人生に意味がないとは、まったく考えていません。
 資格がなくても、充実した人生を送る人もいれば、資格があっても、不本意な人生を送る人も、いるでしょう。 

 

 人生を 「線」 でとらえると、 「幸福駅行きのレール」 が、存在するのではないかと、勘違い します。
 高学歴、安定した職業、他人もうらやむ結婚、このようなレールに乗れば、その先に、幸福な人生があると、信じる人もいます。
     ところが、実際には、それと関係なく、幸福であったり、不幸であったりするものです。
 だから、人生を 「線」 でとらえてはいけない ・・・ と、アドラーは述べています。

 

 

58.人生とは、 「今という瞬間」 の繰り返し      2014.08.11 

 

 人生を 「線」 でとらえると、そこには、 「始点」 と 「終点」 があります。
 この2つの点は、 「原因」 と 「結果」 を、意味します。

 これは 「○○であれば、△△になるだろう」 、つまり、フロイトの 「原因論」 に通じる考え方 です。
 原因論を信じていると、過去に不満がある人は、永久にそこから抜け出せなくなります。

 

 これに対して、アドラーは、人生を 「点」 でとらえなさいと、述べています。
     私たちは、 「今」 を生きています。
 しかし、次の瞬間が、100%、保証される訳ではありません。 

 人生は 「線」 のように見えますが、実は、連続する刹那、つまり 「今という瞬間 (点) の連続」 なのだと。 

 

 私たちは、過去に生きることも、未来に生きることもできません。
 できることは、ただ1つ、 「今、ここ」 に、生きること。
 人生とは、それを繰り返すことです。

     だから、 最善を尽くすとは、 「今日一日を精一杯生きる」 、これを繰り返すこと になるのではないでしょうか。 

 

 人生が、 「連続する今」 だとしたら・・・
     「充実した今」 を続ければ、充実した人生が実現します。
 「無意味な今」 を続ければ、無意味な人生が、実現します。 

 大切なことは、 今この瞬間から、 「充実した今」 をスタートさせる ことです。 

 

 アドラーの影響を受けた、デール・カーネギーは、名著 「道は開ける」 の中で・・・
     いやな過去と訣別するために、今日一日の区切りで生きよと、述べています。
 同じく、アドラーの影響を受けた、スティーブン・R・コビーは、名著 「7つの習慣」 の中で・・・
 よい習慣を持てば、よい人生、悪い習慣を持てば、悪い人生が訪れると、習慣の大切さ について、述べています。 

 

 25年前、税理士試験の勉強を、始めた頃のことです。
 求められる勉強量の多さに、 「まるで富士山をスコップで、崩しているようなものだ」 と、気絶しそうになりました。
     最終ゴールを想像すると、逃げ出したくなる (目的論的に言えば) ので、しばらく、忘れることにしました。

 そして、「今日一日だけに集中する」 を、繰り返したところ、気づいた時には、ゴールに達していました。

 

 

9.「今ここ」 だけに集中する      2014.08.12 

 

 過去や未来が、気になるのは、 「今ここ」 だけに、集中して、真剣に生きていないから。
     この本には、このように書かれていますが、私もまったく、同感です。
 たとえば、火災現場から、一刻も早く、逃げ出さなければならないとき、人間関係や金銭問題で、悩めるものでしょうか。
 たぶん、そのような余裕などなく、生き延びることだけに、ひたすら集中するでしょう。

 

 人間の脳は、同時に、異なる思いを、抱くことができない構造になっています。
     この性質を、うまく利用しない訳にはいけません。
 たとえば、楽観しながら、同時に悲観することができません。

 であれば、 何ごとも、意識して、楽観的にとらえるようにしていれば、脳は悲観的にとらえる時間を失います。 

 

 同じように、1つのことに、真剣に取り組んでいると、それ以外のことで悩むことができなくなります。
 だから、他の悩みは、放置したままになります。
 ここでお気づきかと、思いますが、大半の悩みは、放置しても、何も起きません。

 人間は、 真剣に生きた経験を、一度でも持つと、悩みの大半が、気の迷いであることに、気づかされる ものです。 

 

 人生を 「線」 として、とらえると、過去と今と未来は、1本の線でつながります。
 すると、もし、過去がよくなければ、今もよくなく、さらに未来もよくない、ことになります。
 しかし、人生を 「連続する点」 として、とらえれば、過去と今、今と未来は、つながっていないことになります。

 このように考えれば、 次の点に移る段階で、自分や人生を変えるチャンスが、無数に生まれる 訳です。 

 

 この本には、次のように、書かれています。      
     過去にどんなことがあったのかなど、今ここにいる自分には、何の関係もない。                              
     未来がどうであるかなど、今ここで考える問題ではない。                                                   
     私も、これに近い考え方で、生きています。 

 

 反対に、 年中、些細なことで悩んでいる人は、 「平和」 あるいは 「幸せ」 な状況 と、考えられます。
 ただし、何かに真剣に打ち込んで、充実した時を、過ごしている訳でもありません。
 何れの人生を選択するかは、各人で決めればよいことです。
 私は、時間が惜しいので、些細なことは、大半、放置することにしています。

 

 

60.生まれ変わるために 「誕生日」 を利用する      2014.08.14 

 

 成長とは、良い方向へ、変わることです。
 アドラー心理学を実践すると、成長のために、自分を変えられる ようになります。
 成功経験を持てば、さらに、積極的に、自分を変えていこうと、意欲が湧いてきます。
     アドラーのいうとおり、亡くなる2、3日前までは、生まれ変わることができるのではないでしょうか。

 

 その理由は、人生を 「線」 ではなく 「連続する点」 として、とらえることにあります。
 それによって、 過去と今、今と未来のつながりを、断つことができます。
     生まれ変わるチャンスが、毎瞬間ごとに、現れます。
 時の狭間に、無数のチャンスを、見出すことができます。
 

 

 しかし、これまで、 「変われない自分」 を、続けてきた人にとって、それは、雲をつかむような話でしょう。
 であれば、 「特別な日」 を、利用されてみては、いかがでしょうか。

 「誕生日」 や 「元旦」 は、 「変わらなければいけない」 と、自覚しやすい からです。
 過去の自分から、変わることが目的ですから、 「自分のことを、最も嫌と感じた日」 でもよいかもしれません。 

 

 私の場合、20代半ばまでは、 「変われない自分」 を自覚しつつも、そこに甘んじていました。
     28歳で、税理士試験という難関に差し掛かったため、そこで、やっと変わった 訳です。
 ところが、資格さえ取ってしまえば、もともと仕事好きのため、その後の人生は、順調に進みました。
     おかげで、 「常に変化を求める」 レベルまでには、至りませんでした。
 

 

 2度目の転機は、40代半ば、時代の変化に気づき、再度、大きく変わらなければならないと、自覚しました。
 どのように変わるべきかを、探るため、それ以来、毎年、100冊以上の本を読んでいます。

 数年間、続けるうちに、 異分野の知識に触れながら、自分を変えるコツを、覚えました。
 その結果、 「誕生日」 や 「元旦」 も、単なる1日に過ぎないことに、気づきました。 

 

 最後に、もう1つ、初心者の人が、長続きしない理由は、 「結果」 を求め過ぎる点に、あるのではないでしょうか。
 そうではなく、プロセスに意味があります。
 この本で言われるように、登山とは 、「登頂」 よりも 「山に登ること」 そのものに、価値があります。

 プロセスの改善こそが、自分の成長を維持するために、最も効果的ではないか と、私は考えています

 

 

1.「今できること」 を、実行する      2014.08.26 

 

 今、考えるべき」 ことは、過去でも、未来でもなく、 「今のこと」 でした。
 それでは、 「今、やるべき」 ことは、何でしょうか。
 この本には、次のように書かれています。 

 今できることを、真剣かつ丁寧にやっていくこと

 

 分解すると、 「①今できること」 を 「②真剣かつ丁寧」 に 「③やっていく」 こと。
     自分を成長させながら、人生を成功に導くために、これは 「基本中の基本」 と言えます。
 まずは、 「①今できること」。
 ここで間違えると、人生を大幅に浪費します。                                                   
 

 たとえば、この本に書かれている、大学進学を希望する人。
 進路について、悩み続けたとしても、何一つ、前進することなどできません。
   「今できること」 とは、1つでも多くの、問題を解いたり、単語を覚えること ではないでしょうか。
 その結果、学力が高まれば、選択肢も増え、また、違った可能性も、見えてくるはずです。              

 

  次の 「②真剣かつ丁寧」 は、当たり前のこと。 
      そして、最後の 「③やっていく」。

      これは、 考えるだけではなく、必ず行動に結びつけること を、意味します。
  さらに、向上を目指し、改善を加えながら、それを、継続していくべきでしょう。              
 

  「①今できること」 を 「③やっていく」 ことが、できない人について、さらに、続けると・・・
  この中には、前述の受験生のように、 「今できないこと」 に、悩んでいる人も、少なくありません。

  ところが、 人間社会は行動しなければ、成果があがらない仕組み になっています。
  悩むのは自由ですが、悩むだけでは成果があがらず、ますます、自分を追いつめるかもしれません。

 

  だから、まずは、 「①今できること」 を 「③やっていく」 を、日々、欠かさないこと。
  そうすれば、毎日、必ず、成果があがるため、精神的に、よい状態を、つくり出すことができます。
  人生にとって、大切なのは、過去でも、未来でもなく、今でした。

  今の精神状態をよくすれば、よいアイデアや決断に、恵まれるばかりか、さらに、健康にもよい そうです。

 

 

62.人生は 「今の精神状態」 で決まる      2014.08.27 

 

 自分が生きられるのは、過去でも、未来でもなく、 「今この瞬間」 だけです。

 だから、 「今」 の自分の状態によって、すべての可能性が決まってしまう、 と言っても、過言ではありません。
 それでは、今の自分の 「何」 を、重視すべきなのでしょうか。
     ここが問題です。

 

 財産や学歴、友人数や人脈などで、決まると、考える人も、いるかもしれません。
 しかし、お金持ちから転落、友人が大勢いるのに、孤独感に悩む人も少なくありません。
 本当の原因は、精神状態にある、のではないでしょうか。

 なぜなら、 他のことで満たされても、最終的には、自分の精神状態がどうあるかで、幸福感は決まってしまう ものだからです。 

 

 このような考え方をしていると、財産や学歴、友人数や人脈などは、幸福感を高めるための、道具に過ぎません。
 しかし、何かに頼りすぎると、主従関係が逆転するものです。

 やがて道具が主人になり、財産や人づきあいにこきつかわれ、自分自身は、人生を楽しめなくなります。
 さらに、依存状態がひどくなると、やめることに対して、大きな不安を抱くものかもしれません。 

 

 道具に頼らず、自分で精神状態を充実させられると、人生がうまく展開し始めます。
 ただし、この精神状態の高め方にも、コツがあるようです。

 私は、アドラーの 「幸福とは、貢献感である」 という言葉を、支持します。
 なぜなら、貢献すべき対象は、世の中に無尽蔵にあふれているため、一生、困らないからです。 

 

 実は、この貢献の仕方にも、コツがあります。
     それは、できる限り、広い世界への貢献を、目指すことです。

 ごく身近な人や、利害関係のある人に対する貢献だけでは、 「他者貢献」 と 「他者承認欲求」 の違いが、はっきりしない からです。
 だから、人生の最終目標は、 「自己実現によって、社会貢献を、実現させること」 と、明確に、考えるようになりました。 

 

 「社会貢献」 と言っても、特別なことをする必要などありません。
 利害関係のない人、見知らぬ人に、道を教えても、立派な社会貢献の1つ になる、のではないでしょうか。
 ここで重要なことは、今できることを、やっていくこと。
 ここでは、 「真剣かつ丁寧」 である必要はなく、小さな社会貢献でよいから、見返りを期待せず、日常的に積み重ねましょう

 

 

3.「過去」 を塗り替える方法      2014.08.29 

 

 アドラー心理学を、マスターすると、 「今ここ」 に集中できるようになります。
 その結果、過去にも、囚われなくなります。
 意外に思われるかもしれませんが、事実に関する記憶力は、反対に増すようです。

 「嫌なことは忘れる」 のうち、 事実に付着している、余分な感情部分 「嫌な」 が、消滅してしまう からかもしれません。 

 

 しかし、まだ、そこまで到達できず、 「今ここ」 に集中できない人。
 どうしても、過去に囚われてしまう人に、 「過去」 を塗り替える方法を、2つご紹介します。
 1つ目は、 「成功による方法」 、2つ目は 「成長による方法」 。

 どちらにも、共通するのは、 今の自分を変えて、過去の事実に対する意味づけを変える、 という点です。 

 

 まずは、 1つ目の 「成功による方法」 。
 ずいぶん昔の話ですが、ある女性演歌歌手が、レコード大賞を受賞しました。
 この方は、名前とは裏腹に、 「過去の不幸」 を売り物に、恨みつらみ話を好んでいました。
 ところが、大賞を取った瞬間、 「みんなに感謝したくなった」 そうです。
 

 

 つまり、 人間は幸せになると、心が豊かになり、過去も塗り替えられる のだと、この時、知りました。
     私自身も、税理士試験に合格したとき、過去の辛い試練も、すべて合格のために必要だったと、理解しました。
 原因論的な考え方ですが ・・・ とにかく、成功すること。
 成功するために、一事に専念していると、副産物として、知らない間に、 「今ここ」 に、集中できるようになります。
 

 

 つ目は 「成長による方法」 。
     自分を成長させ、過去の事実に対して、これまでとは違う意味づけをし、 「不幸」 を 「幸福」 に塗り替えます。

 この方法を知ったのは、斎藤一人著 「自分探しの旅」 です。                    
 「親の年齢にならないと、親の本当の気持ちはわからない」 と言われますが、それと同じ考え方です。 

 

 たとえば、子供の頃、 「親は何もしてくれなかった」 と、恨んでいたとします。
 しかし、自分が成長して、親と同じ立場になれば、親は親で、一所懸命、育ててくれたことが、わかるかもしれません。
 すると、 「悪い過去」 が、実は 「よい過去」 だったと、自分の中で、塗り替えることができます。

     私自身は、 「成長するほど、人生が楽になる」 ことを、知ったので、楽になりたい一心で、今日も、成長を目指している訳です。

 

 

4.「偶然の成功」 に恵まれたら、ひたすら成長を目指す      2014.08.31 

 

 前回、過去を塗り替える方法を、2つご紹介しました。
 1つ目は、 「成功による方法」 、2つ目は「成長による方法」。

     これらによれば、 過去のマイナスの記憶を、プラスの記憶に、変えることができる のではないでしょうか。
 ただし、 「成功による方法」 には、注意点があります。 

 

 よく言われることですが、失敗には、必ず原因があります。
 しかし、 成功には、必ずしも原因があるとは限らず、偶然の成功も、少なくありません。
 私自身も、税理士試験に挑戦した1年目は、半年前から勉強を始めたにもかかわらず、運だけで1科目、合格しました。
 ここで反省しなかったおかげで、2年目は、大敗という結果を招きました。
 

 

 偶然の成功、言い換えれば、根拠のない成功は、 「成長」 を伴いません。
 さらに、成長を伴わなければ、成功を持続させることが、できません。

     だから、 偶然の成功に恵まれたら、本当の自分が、見かけの自分に、追いつくように、懸命に成長する 必要があります。
 これまでの自分と格闘して、自分の奥底にある価値観を、改善しなければいけません。 

 

 成長とは、よい方向へ、自分を変えることです。
 自分を変えることには、人間誰しも、強い抵抗を伴うものです。

 この抵抗を、乗り越えるためには、 謙虚になって、ありのままの自分と、向き合わなければいけません。
     さらに、 「過去ではなく、未来を生きるために、今の自分を変えるんだ」 という、強い意志を、持つべきでしょう。 

 

 反対に、偶然の成功だったにもかかわらず、「自分は偉い」 と思いこむ人がいます。
 謙虚な心とは、逆の方向へ進む訳です。
 すると、過去のマイナスの記憶も、すべて、他人が悪かったことになるかもしれません。

     ありのままの自分の悪い部分から、目を背けてしまうため、成長とは、逆の方向へ進みます。 

 

 また、マイナスの過去に囚われないように、記憶を消し去ろうとする人もいます。
 天災や病気、事故などは、仕方がないとしても、重要な人間関係によるものだけは、放置しないようにしたいものです。

 なぜなら、 自分の中で決着させておかないと、心のどこかに、弱さを隠し持つ ことになるからです。
 「自分も悪いところがあった、これは自分が乗り越えるべき課題だ」 と、考えられれば、前向きに、取り組めるはずです

 

 

5.「過去に一番、輝いていた自分」 に、戻ろうとしないこと      2014.09.01 

 

 もし、成功に恵まれたとしても、それに見合う成長が伴わなければ、成功は長続きしません。
 逆に、成功したことによって、浪費などの悪い習慣が身につき、天国から地獄へ墜ちる人もいます。
     だから、最初から、  「成功」ではなく、 「成長」 を目指すべきでしょう。

     遠回りのように見えて、実は着実に進む ことができます。 

 

 それでは 「マイナスの過去に囚われる話」 に、戻りましょう。
 その過去が、もし、10代の出来事だったとすると、10代の未熟な自分だからこそ、マイナスに感じたのかもしれません。

 今の自分が、タイムマシンに乗って、10代に戻り、同じ経験をしたら、マイナスに感じるでしょうか。
 もし、まったく同じように感じるとしたら、それは、成長していないということです。 

 

 同じことが、プラスの過去についても、言えます。
 昔、よかったと感じたことを、年齢を経てから、もう一度やってみましょう。
 もし、成長していれば、たいてい、がっかりするものです。

 昔は、どうして、こんなことで喜べたのかと、不思議に思う  ことさえあるでしょう。 

 

 成長が止まって、やがて、人生が下り坂に差し掛かると、過去に一番、輝いていた時代の自分に、戻ろうとする人 もいます。
 たとえば、昔の友人などと、日常的な付き合いを始めるなど。
 昔の友人は、自分が輝いていた時代を、知っていますから、尊重してくれるかもしれません。
 また、現在は利害関係もないので、気楽につき合えますが、一方で、お互いの成長など見込めないものです。
 

 

 よく考えてみると、 過去に一番、輝いていた時代は、その年齢、その時代だったからこそ、輝いていた 訳です。
     しかし、時代も、環境も、立場も、年齢も、状況も、その後、変わり果てました。
 だから、過去の自分に戻ったとしても、今、輝く可能性など、皆無に近いと言えます。
 むしろ、過去の自分と訣別して、新たな方向性を、模索すべきではないでしょうか。
 

 

 プラスの過去も、マイナスの過去も、同じ過去、囚われると、前進できなくなります。
 その状態から脱するためには  「自分を成長させる方法」 があります。
 成長したと感じられたら、記憶をたどって、過去へ旅立ってみることです。

 そこで、 「過去の自分が、その出来事に残した意味づけを、成長した自分が、書き換える」、この作業を、繰り返すべきでしょう。 

 

 

6.企業経営に生かす (アドラーとドラッカー)      2014.09.10 

 

 私は、次の3人の考え方に、大きな影響を受けました。
 アルフレッド・アドラー       (心理学者 1870〜1937)
     アルベルト・アインシュタイン (物理学者 1879〜1955)
     ピーター・F・ドラッカー       (経営学者 1909〜2005)
 

 

 実は、この3人には、共通点があります。
 それは、 オーストリア生まれ だという点です。
 ところが、私は、世界史に疎く、しかも、外国旅行にさえ、出かけたことが、ほとんど、ありません。
 いつか、この国に、関心を持ち、実際に、訪れてみたいものです。
 

 

 また、個人的な感想ですが、この3人には、共通する世界観がある と、感じられます。
 アドラーのいう 「共同体」 は、家族や会社ではなく、社会や地球、宇宙全体を意味します。
 アインシュタインは、 「社会に対して熱烈な関心があるが、個人的なつながりは、一切、求めない」 と、述べていました。
 ドラッカーが唱える経営学も、社会を強く意識したものです。
 

 

 人が、社会を認識する世界観は、大別すると、2種類ある のかもしれません。
 A.「自分と○○さん」 「自分と△△さん」 という関係の、積み重ねの延長上に、社会があるという認識方法による
     B.もともと社会という空間があり、各人が存在し、それぞれの人生を歩んでいるという認識方法による
 アドラー心理学を実践する人は、後者の認識方法を採ると、考えています。
 

 

 世界観の違いにより、たとえば、次の ①〜⑤ について、A を選択する人は、すべて A を、B を選択する人は、すべて B を、選択しやすい のではないでしょうか。

   ① 「A.他人と自分を比較する」 「B.理想 (目標) の自分と現実の自分を比較する」

   ② 「A.他人と競争する」 「B.自分の未熟な部分と戦う」

   ③ 「A.他人を上下に分ける」 「B.人はすべて平等と考える」

   ④ 「A.他人を変えようとする」 「B.自分を変えようとする」

   ⑤ 「A.過去や未来に囚われる」 「B.今ここを精一杯、生きる」

 

 従って、 アドラー心理学に魅力を感じる経営者には、世界観の近い、ドラッカーの経営理論が合っている。
 ピンとこない経営者には、マイケル・ポーターの 「競争の戦略」 などが、合っているのかもしれません。
     私は、アインシュタイン博士の言葉をヒントに、29歳のとき以来、延々と、自分の考え方を再構築してきました。
 実は、その時点で、世界観の近い、ドラッカーの経営理論と、アドラー心理学に、行き着くことが、決まっていたのかもしれません。 

 

 

7.幸せかどうかは、 「意味づけ」 で決まる      2014.09.12 

 

 「過去を塗り替える」 と言っても、事実そのものは、変わりません。
 過去の事実に対する、意味づけを変えるということです。
 もし、同じような経験をしても、意味づけによって、その後の人生は変わります。
 だから、 「どんな意味づけをするのか」 が、非常に重要になります。

 

 ただし、一度、意味づけに失敗したからと言って、それで終わりという訳ではありません。
 意味づけは、その後、何度でも、書き換えることができます。
 むしろ、自分が成長すれば、過去の事実は、自然に、意味を変えるものです。
 オセロゲームのように、マイナスの過去を、どんどん、ひっくり返していくことでしょう。 

 

 実は、 ここに、幸せに生きるヒントが、隠されています。
 「幸せは、どこか遠くにある」 と、考える人がいます。
 また、特別な経験をしなければいけないと、考える人もいます。
 わざわざ、富士山に登る人もいますが、その後、人生が変わったという話は、未だに、聞いたことがありません。 

 

 幸せとは、実は、今、与えられている環境の中に、見出すべきものです。
 方法としては、様々な事実に対する 「意味づけ」 を、変えることによります。
  「意味づけ」 を変えるためには、自分の考え方や価値観を、成長させなければいけません。
 もし、成長を伴わないまま、 「意味づけ」を変更すれば、それは、自分に対する嘘であり、不毛な結果に終わるでしょう。

 

 たとえば、納得もしていないのに、無理矢理、プラスの意味づけをする人がいます。
 これは、以前、お話しした 「自己肯定 (自分の弱さを認めず、自分は強いと言い聞かせるなど) 」 と同じで、 「現実逃避」 と言えます。
 自分に正直な人は、そのような嘘をつきません。
 正しくは、 積極的に、人生経験を積んで、自分を成長させるのみです。 

 

 私が生まれた1960年代は、未舗装の道が多く、雨上がりに自転車で出かけると、ドロドロになったものです。
 それが、今では、すっかり快適な環境に変わりました。
 自分自身は、それに対して、何一つ努力していませんが、多くの人が暑さ寒さに耐えながら、工事をしてくれたからでしょう。
     そう思うと、 ただ道を歩いているだけで、何だか、気分がよくなる ものです。

 

 

8.マイナスの過去も、自分自身の 「大切な財産」      2014.09.14 

 

 マイナスの過去も、 「原因」 によって、2つに大別する ことができます。
     ① 他人が原因で、自分が、嫌な思いをした過去
 ② 自分が原因で、他人まで、嫌な思いをさせた過去
 ② について、私は、 「意味づけ」 を、改めることなく、そのままの形で、財産にしています。

 

 たとえば、20代半ばのことです。
 念願かない、私は、実家を出て、一人暮らしを、再開しました。
 なぜなら、生活費という名目で、給料の約70%を、天引きされていたからです。
 このお金を、父は、飲み代に回していたようですが・・・ 

 

 大須の街を選んだのは、大好きな焼肉店 「○ちゃん」 があったからです。
 私が、近くに引っ越してくると、○ちゃんご夫婦は、大変、喜んでくれました。
 他の客が、飲み残したビールの瓶に、栓をして、再び冷蔵庫で冷やしたものを、ただで飲ませてくれました。
 ○ちゃんご夫婦は、きっと、私が税理士を目指して、猛勉強するものと、期待してくれていた のでしょう。 

 

 ところが、 給料を満額手にした私は、その期待を裏切り、独身一人暮らしを満喫していました。
 すると、ある時から、おばちゃんが、口を聞いてくれなくなったのです。
 だんだん、行きづらくなり、足が遠のくようになりました。
 やがて、閉店を知ったのは、新聞に載ったときのことです。 

 

 あのときの 「申し訳ないことをした」 という気持ちを、30年近く経った、今でも、持ち続けています。
 思い出せば、若い頃は、この他にも、多くの人の期待を、裏切って、生きていました。
     自分の未熟さにより、他人の好意を、踏みにじる結果になった、これらの過去を、私は、絶対に忘れない ようにしています。
     そして、だからこそ、今ここをしっかり生きなければならないと、考えるようにしています。 

 

 向上心が薄れてくると、マイナスの過去を、記憶の中から、引き出してきます。
 時には、30年以上前の記憶の中から ・・・  「今この瞬間」 に対して、緊張感を、取り戻すために
     いわゆる、ワルだった友人の中にも、今は、別人のように真面目に働いている人たちがいます。
 彼らも、 「今ここ」 を、充実させるために、マイナスの過去を、財産にしている のかもしれません

 

 

9.「行動の否定」 と 「人格の否定」 を混同しない      2014.09.15 

 

 最近、また、マイナスの過去を、増やしてしまいました。
 9月11日 (木) の朝、 学生時代の友人、J 君が、息を引き取りました。
 実は、9月6日 (土) に、同じく学生時代の仲間だった Y 君 から、 「そろそろ危ない」 と、連絡を受けていたのです。
 ところが、疲れが残っていたため、見舞いに行くのを、3連休 (13〜15日) まで、延ばしてしまいました。

 

 学生時代、100%外食派の私は、まめに自炊する J 君の下宿で、よく、ご飯を食べさせてもらったものです。
 また、引っ越しも手伝ってくれるなど、本当に長い時間を、いっしょに過ごしました。
 今でも、様々なシーンが、思い出されます。
     だから、 訃報を聞いたときは、 「どうして、すぐに会いにいかなかったのか」 と、猛反省しました。 

 

 昨年7月に、病名を聞いた後は、定期的に電話を入れ、病状を確認していました。
 最後に会ったのが、亡くなる 3 ヶ月前、すでに、相当、衰え、体重の減少を嘆いていました。
 葬儀場で、最後にかけた言葉は、 「あの世でまた会おう」 です。
 私自身、 この後の人生を、彼の分まで、しっかり生きよう と思います。 

 

 私は、マイナスの過去のうち、他人が原因であるものは、課題の分離によって、切り捨てます。
 反対に、 自分が原因であるものは、しっかりと、胸に刻み込む ことにしています。
 そして、同じ過ちを、繰り返さないこと。
 過去に、応援してくれた人たちのためにも、その後の人生を充実させることを、心掛けています。 

 

 以上のことを、実践するためには、 「自分が原因」 と気づき、潔く認め、長く記憶に、留めなければいけません。
 「罪を憎んで人を憎まず」 と言われますが、 罪とは 「行動」 に対するものであり、 「人格」 に対するものと、区別すべき です。
 これらを混同すると、全人格を否定するものと感じられ、他人や過去のせいにして、逃げる原因にもなります。
 罪は罪として、憎み、同じ過ちを、二度と、繰り返さないようにしたいものです。 

 

 プラスの過去も、マイナスの過去も、すべて自分が選択した結果、つまり自分の人生の一部 です。
 だから、 「目的論」 でお話ししたとおり、自分の人生に対して、主体性を持つべきです
 そうすれば、どちらの過去も、財産として、その後の人生に、生かすことができます。
 なぜなら、これらは、他人事ではなく、すべて自分が経験したものだからです。

 

 

70.アドラー心理学を必要とする人      2014.09.16 

 

     今回、この本を読みながら、気づいたことがあります。 
     それは、アドラー心理学を理解する上で、 もともとの性質や考え方も、無視できない という点です。
 私は、29歳のとき、アインシュタイン博士の言葉から、ヒントを得て、その後の生き方を、構築してきました。
 今年に入り、この本を読んだところ、アドラー心理学と同じ方向を、目指してきたことを、知りました。

 

 もともとの性質や考え方は、どうだったのかと言われれば、アドラー心理学寄りだったと言えます。
 幼少期から、 「他人と比較しない」 「他人と競争しない」 「他人の評価に無頓着」 など。
 だから、アインシュタイン博士の言葉に触れた後は、水を得た魚のごとく、どんどんその方向へ進みました。
 私の場合、性質や考え方の点から見て、 アドラー心理学が、もともと合っていた のではないでしょうか。 

 

 反対に 「他人と比較する」 「他人と競争する」 「他人の評価を気にする」 などの、性質や考え方を持つ人たち。
     そのために、 人生に苦しみを感じ、そこから抜け出したい と、考えている人たちは、どうでしょうか。
 自覚されていますので、この本を読んで、諦めずに、実践すれば、必ず、マスターできると思います。
 強い意志を持って、取り組んでいただきたいものです。 

 

 アドラー心理学を、マスターすべき人たちは、本来、以上のようなタイプではありません。
     たとえば、他人の課題に土足で踏み込む、お節介な人たち。
 このような人たちこそ、 アドラー心理学をマスターして、他人に迷惑を掛けない ようにして欲しいものです。
 しかし、この本を読んでも、永久に理解できない、のではないでしょうか。 

 

 また、 「他人と比較する」 「他人と競争する」 「他人の評価を気にする」 という傾向が、非常に強い人。
 このような人たちが、この本を読んでも、信じられない、可能性があります。
 さらに、読解力が乏しいと、タイトルに囚われて、誤読する恐れもあります
 たとえば、 タイトルのみ見て、他人の評価を得るために、あえて 「嫌われる」 ような、態度を取ってしまう 、など。 

 

 アドラー心理学をマスターするためには、年齢の半分の時間が必要 と、言われています。
     従って、若い人ほど、アドラー心理学をマスターしやすいと、言えます。
 とりあえず、 「課題の分離」 まで進めば、人生は劇的に軽いものになります。
 やがて、無力感から解放され、人生つまり自分の課題に、積極的に取り組めるようになるでしょう。

 

 

 次回につづく。 →  こちらをクリック

続 5 「 嫌われる勇気 」 人生が変わるアドラー心理学  2014-09-18

前回までの内容 → こちらをクリック

 

71.大きな失敗をする人      2014.09.18

 

 人間は、誰しも、間違いを犯すものです。 ここで、注意したいのは、以下の3点です。
 間違いに、 ①気づく ②認める ③改める ④再発を防止する
     ① から ③ までに時間がかかると、大きな失敗につながり、さらに ④ に努めないと、同じ失敗を繰り返します。

 

 しかし、人間は、自分を否定することが、なかなかできません。
 特に、 「他人と比較する」 「他人と競争する」 「他人の評価を気にする」 といった傾向が強い人。

 このような人は、他人の目を気にするせいか、自分を否定することが、さらに、難しい ようです。
 これが原因となり、事態を、ますます、悪化させてしまいます。

 

 「他人と比較する」 「他人と競争する」 「他人の評価を気にする」  あるいは「嫌われたくない」。
 このような考え方の根底には、 「自己への執着」 または  「自己中心性」がある と、この本には書かれていました。
 つまり、思考パターンとしては、  「自分」からスタートさせてしまう、傾向にあるのではないでしょうか。
 この思考パターンの違いについて、考えてみましょう。 

 

 大別すると、今の 自分を出発点とするタイプの人を、 「日常努力型」 と、呼んでいます。
 平凡な仕事であっても、継続的に続けられるので、職場にとって、重要な戦力である人も、少なくありません。
 ただし、大きな目標の達成や、方向性の見極めを、苦手とするため、上記 ① 〜 ③ に時間がかかり、それが大きな失敗につながります。
 また、  「自己保身」の思いが強いと、解決とは逆の方向に向かって、懸命に努力するケースも、あるのではないでしょうか。 

 

 一方、 結果から、逆算して、 「今、自分は、どうあるべきか」 と、考える人を、 「目標達成型」 と呼んでいます。
 このタイプは、大きな目標の達成や、方向性の見極めを、得意とします。
 ただし、目標を見失ったり、平凡な日常が続くと、やる気を失う傾向にあります。
     私も、このタイプのため、目標を重視し、変化を採り入れるように、心掛けています。 

 

 「目標達成型」 の思考回路を持つ人は、最初から、最後まで 「最終結果が、どうあるべきか」 を、考え続けています。
 従って、行き着く結果が間違いである場合、気づくのも速ければ、行動を改めるのも、迅速です。
 間違いと気づいたときは、猛スピードで撤退し、損害を最小限に抑えようとします。
 アドラー心理学をマスターすると、自己への執着から離れるため、同様の効果が見込めるのではないでしょうか。

 

 

72.社会が変わったのに、家庭教育は昔のまま      2014.09.19 

 

 嫌われる勇気とは・・・
 「自分がどう思われているのか」 に、囚われず、生きていこう、というものです。
 通常、子供は、「自分がどう思われているのか」 に、囚われています。 
 なぜなら、自力で生きることができず、大人に見捨てられたら、人生が終わってしまうからです。

 

 「自分がどう思われているのか」 に、囚われてしまう。
 その根底には、自己への執着や、自己中心性があると、この本には、書かれていました。
 だから、子供とは、自己中心的で、自己愛に満ちた存在と、言えます。

     西洋には、この不完全な存在を、教育によって、厳しく正そう、という思想が、あるそうです。 

 

 ところが、日本では、子供を、 「純粋無垢な存在」 として、扱います。
 天使のような存在として、かわいがり、最近は、成人を過ぎても、甘やかします。
 なぜ、このような違いが出てしまうのでしょうか。

     加瀬英明著 ユダヤ人の知恵 に、興味深い内容が書かれていました。 

 

 日本が、母性社会であるのに対して、西洋は、父性社会です。
     また、日本で最高の神と言えば、天照大御神 (女性) ですが、西洋では、イエス・キリストなど、男性です。

 世界で、驚異的に活躍する、ユダヤ人の場合、 教育は父親、育児と家事は母親が、担当する そうです。
 さらに、母性教育と、父性教育の違いについて、次のように書かれています。 

 

 母親は子供が賢くても愚かであっても、区別することなく愛情をそそぐ。
 父親は子供を客観的に見て判断を下し、欠けていると思われる部分を厳しく要求する。

 そして 自分の手で運命を切り開いてゆけるだけの実力を備えさせる。
 こうして成長した人間は、親に対しても会社に対しても、甘えることがない。 

 

 日本社会は、西欧化が進んでいます。
 嫌われる勇気 が、ベストセラーになった理由は、社会が求めていたから、なのかもしれません。
 社会が変わったのに、家庭教育は昔のまま ・・・ これが、多くの若者を苦しめている 原因の1つかもしれません。
 私は、母の手に負えず、父と長く時間を過ごしたせいか、 「自分がどう思われているのか」 など、あまり、気にしませんでした。

 

 

3.「好き嫌い」 を越える価値観      2014.09.20 

 

 「嫌われたくない」 という気持ちの背景には、 「好き嫌い」 という価値観があります。
 未成年期は、この 「好き嫌い」 に囚われがちですが、社会に出ると、次第に、囚われなくなります。

 なぜなら、 「好き嫌い」 を越える価値観を、発見する からです。
 ただし、これは、1960年生まれの、私と同世代の日本人だけの、話かもしれません。

 

 前回、お話しした、加瀬英明著 「ユダヤ人の知恵」 によれば・・・
 ユダヤ人社会では、男子は、 13歳になると、大人の仲間入りをし、一人の人間としての責任を自覚する。
 このようなことが求められるそうです。
     13歳というと、中学1年生ですから、今の日本人の感覚から言うと、あまりに早すぎます。
 

 

 しかし、日本でも、戦国時代まで、遡ると、異なるようです。
 武田家の事績や軍法を記した、 「甲陽軍艦」 には、次のような内容が、書かれているそうです。
 「幼い子供が誤って友人を殺しても、罪に問わないが、13歳以上の者は、罪を免れない」。

 つまり、 日本でも、かつては 「13歳以上の者は大人」 と、見なされた ようです。 

 

 なぜ、かつては、13歳以上を、大人と見なしたのでしょうか。
 それは、 貧しかったため、早い時期に、自立することが、求められたから でしょう。
 生活費を稼ぐため、家族を養うためには、 「好き嫌い」 など、大した問題ではありません。
 時には、嫌われても、貫くべきものが、求められます。
 

 

 最近、 30歳を過ぎても、 「好き嫌い」 を越える価値観へ、移行できない人が、増えた と感じます。
     それは、日本が豊かになり、若者の自立が、遅れるようになったことが、原因の1つかもしれません。
 豊かな国に住んでいれば、一所懸命、働かなくても、食べていくことができます。
 よほど自覚しなければ、成長あるいは、成熟を目指さなくてもよいと、考えるようになりがちです。
 

 

 「好き嫌い」 に囚われなくなるためには、それを越える価値観を発見することです。
 アドラー心理学には、そのためのヒントや、考え方が、記されています。

 私は、 「嫌われる勇気」 を読んで、自らが抱える悩みを特定した人は、高い確率で、新たな価値観を見出す と、考えています。
 だから、希望を持って、取り組んでいただきたいものです。

 

 

4.人生には 「良循環」 と 「悪循環」 しかない ?      2014 .09.21 

 

      1996年、オウム真理教による凶悪犯罪が、明るみに出ました。
  この時、信者の家族が、オウムから脱退するよう、懸命に、説得しました。
  しかし、簡単には、いかなかったようです。

     なぜなら、 「自覚」 がなければ、人間は変わることができない からです。

 

   「今の自分ではいけない」 。 
   「嫌われる勇気」 のタイトルが気になり、一読した人は、おおむね、このような自覚を、持たれているのではないでしょうか。

 つまり、 自覚があるということは、傾向は軽く、そこから抜けだしやすい ということです。
     身体は病状が進まないと、自覚がありませんが、精神は逆に、症状が重くなると、自覚できないものかもしれません。 

 

 アドラー心理学の内容が、強く、求められる人。
 それは、その傾向が、深刻な状態にある人です。

 このような人は、 問題を指摘されたり、この本を紹介されても、オウムの信者と同じように、拒絶する のではないでしょうか。
 さらに、悪循環と呼ぶべき、困った原因があります。 

 

 アドラー心理学は、 「変わるための心理学」 です。
 前述の人たちは、その対局にある考え方を、つまり 「自分は変われない」 ことを、長い間、信じて、生きてきました。

 自分や家族が、いくら不幸であっても、 「自分は変われない」 と、強固な信念のもとに、生きています。
     変わる必要のない人ほど、 「変われる」 と信じ、変わる必要のある人ほど、 「変われない」 と、信じているものです。 

 

 救われなければならない人ほど、救いの手を、自ら払いのけてしまう。
 職業柄、 「お金を借りたい人ほど、お金を借りられない」 話に、似ている、と思いました。
 健康面では、足が弱った人ほど、歩くべきだが、足が弱って歩けない。
 また、アルコールを断つべき人ほど、酒をやめなければいけないが、それは難しい、など。
 

 

 つまり、人生には、良循環と、悪循環しか、ないのかもしれません。
 もし、 悪循環に陥りそうになったら、全力で、そこから抜け出さなくてはいけません。
 進めば進むほど、ますます抜け出せなくなるからです。
     そのあたりの見極めが早いかどうかで、人生は大きく変わるのではないでしょうか。

 

 

5.敗者復活戦に強くなる      2014.09.22 

 

     生きていれば、失敗は避けられません。
     ドラッカーのいうとおり、チャレンジ数が多い人ほど、失敗数も多いものです。
     失敗から、学びながら、より高いレベルに、到達していきます。

     逆に、 挑戦を避ける人ほど、失敗も少ないかわりに、成長もしない ものです。

 

     だから、失敗は、成長のために、欠かせないものといえます。
     積極的に失敗を経験して、そこから学んで成長する。
     そこで、求められるのが、 「敗者復活戦に強くなる」 ことです。

     敗者復活戦に強くなれば、失敗に対する恐怖心など、ほとんど消えます。 

 

     アドラー心理学をマスターすると、敗者復活するチャンスに恵まれるようになります。
     失敗とは、 「その時点の自分から、変わらなければいけない」 というメッセージでも、あります。
     また、アドラー心理学は、 「生まれ変わるための心理学」 。

     だから、 変わることに対して、何の抵抗もなければ、そのために必要な考え方も、マスターしてしまう からです。 

 

     たとえば、仕事でミスをし、上司から注意を受けたとします。
     敗者復活戦に強い人は、その時点で、すでに、再挑戦に、思いを馳せています。
     問題点を明確化し、大急ぎで、自分の改善に、取りかかります。
     だから、何のわだかまりもなく、相手に謝罪したり、感謝することができます。
 

 

     逆に、挑戦を避ける人ほど、失敗に対する恐怖心が、大きいのではないでしょうか。
     1度、失敗したら、大変なことになると、考えているのかもしれません。
     また、 「これを認めたら終わる」 と考えるせいか、悪あがきを続けます。

     人生は、敗者復活戦の連続ですが、その点を、理解していない ようです。 

 

    さらに、取り乱して、事態を悪化させるような態度を、採ってしまうこともあります。  この根底には、自      己への執着や、自己中心性などが、あるのではないでしょうか。
     これでは、敗者復活のチャンスが、巡ってくることなど、とても望めません。
     このような性質を克服できず、せっかくの才能を生かせない人に出会うと、本当にがっかりするものです。

 

 

6.失敗を恐れずに、そこから学ぶこと      2014.09.23 

 

     私の場合、一度の挑戦で、うまく行くことなど、ほとんどありません。
 そういう運命のもとに、生まれてきたのだと、20代くらいから、自覚しています。

 たぶん、 知識や理屈だけでは、マスターできず、経験を必要とする からでしょう。
 この点において、本当に頭脳明晰な人たちとは、大きく異なる訳です

 

      成功するためには、敗者復活戦で、挽回する以外、ありえません。
     であれば、早くから挑戦して、早めに失敗を経験した方が、有利と言えます。

 だから、 躊躇することなく挑戦して、経験数を増やし、その失敗から学んで、成功までたどりつく という、パターンです。
 一度の挑戦で、成功することもありますが、それは例外として、以後、期待しないようにしています。 

 

     税理士試験の場合、全5科目に合格するまで、4年半かかりました。
 最初は半年前から、あとは1年ずつ、受験回数は5。
 当時の合格率は、1科目あたり 8 〜 16% で、全5科目、受かりきる確率は、約2%。
 各回の、私の 「受験」 と 「合否」 の結果は、以下のとおりです。
 

 

 1回目 1989年    ○ 簿記論 (運のみ)  × 財務諸表論
 2回目 1990年    × 法人税法

 3回目 1991年    ○ 財務諸評論  ○ 法人税法  × 消費税法  × 事業税
 4回目 1992年    ○ 消費税法    × 事業税
 5回目 1993年    ○ 事業税
 

 

 ポイントとなるのは、1991年です。
 この年は、4科目受験していますが、一度に、4科目合格できる確率は、数万人に1人。

 なぜ 4科目、受験したのかと言うと、 再挑戦のために、一度、経験しておこう と考えたからです。
 これが、その後の学習時間を、大幅に縮める結果になりました。 

 

 また、法人税法は、所得税法と並び、税理士試験において、最も難しい科目です。
 1990年、最初の挑戦では、試験が終わった直後に、不合格を確信しました。
 この失敗を生かし、翌年は、問題を見た時点で、合格を確信しました。

     私にとって、 失敗とは、成功、あるいは、成長のために、欠かせないもの と、考えています。

 

 

7.上手に失敗するコツ      2014.09.25 

 

     新たなことに、挑戦する場合、1回で成功することは、ほとんど期待できません。
     もし、早く成功したければ、早く挑戦して、早く失敗を、経験しなければいけません。
 しかし、失敗の仕方を間違えると、大きなダメージを受けます。

 そこで、ビジネス書を読むなどして、 「上手に失敗するコツ」 の改善に、努めてきました。 

 下記 ①〜③ は、その一部です。
 ① 小さく始める
     ② 失敗する目的を、 「撤退すべきかを見極めるため)」 と 「成功するため」 の、2つに区分して、常に記憶の隅にとどめておく
     ③ 精神的ダメージを受けない
 

 

 ① 「小さく始めること」
 新たなことへの挑戦は、失敗する確率が高いものです。
 最初から、大きな投資をしたり、甘い夢を見ていると、高い確率で、致命傷を負います。
 小さな失敗から、多くを学ぶ、この姿勢が重要です。
 

 

 ② 「失敗の目的を区分する」
 読書の場合、目的によって、 「良書に出会うための多読」 と、 「良書に出会った後の精読」 の、2つの読み方があります。
     失敗に対しても、2つの目的を区分し、特に 「撤退すべきかを見極めるため」 を、忘れないことです。
     また、成功するためには、無意味な失敗 (実験・試み) を避け、毎回、 「今回は、何を確認するのか」 、目的意識をはっきり持つことです。
 

 

 ③ 「精神的ダメージを受けない」
     成功するための失敗ですから、失敗して当たり前、後悔したり、悲観すると、時間をロスするので、くよくよしないことです。
 また、成長する人は、叱られ上手の人が多いものです。 
 失敗して、叱られたら、それは 「見込みがある証拠」 と考え、否を認めて、さっさと改めることです。 

 

 成功できない人と、成功できる人の差は、能力よりも、考え方の違いによる、と感じています。
 成功できない人は、 「自分は、成功するはずがない」 と、自ら可能性を否定し、挑戦を避ける 傾向にあります。
 それは、アドラーの指摘する 「自己への執着」 「自己中心性」 が、失敗に対する恐怖感を、大きくしているからかもしれません。
 「成功の達人」 は 「失敗の達人」 、だから、上手に失敗するコツを、マスターして、どんどん失敗しましょう。

 

 

8.あの人の真似をしないこと      2014.09.26 

 

     アドラー心理学は、 「生まれ変わることを、可能にする心理学」 、おもな進め方は、以下のとおりです。
 ① 「原因論」 から 「目的論」 に変更し、今の自分に責任を持ち、人生に対して、主体性を取り戻す
     ② 「課題の分離」 によって、他人の課題を切り離し、自分の課題に全力で取り組む
 ③ 「共同体感覚」 によって、自分の居場所を確保し、 「貢献感」 によって、幸福感を得る

 

 私は、ここに、ドラッカーの主張も、採り入れています。
 それは、 「能力の向上」。

 能力を高めれば、より多くの人、より難しい問題を、抱えた人に対して、貢献できる ようになります。
     これによって、さらに貢献感を強固なものとするとともに、人生そのものを、充実させることが、できるからです。 

 

 このような生き方を進めるために、欠かせないのが 「目標」 です。
 目標とは、本来、 「理想の自分」 であるべきです。

 しかし、 他人と自分を比較する、習慣を持つ人は、目標を 「他人」 、しかも、身近な他人にしがち です。
 これは、以前、お話したように、不健全な劣等感を抱く、原因の1つにもなります。 

 

 「理想の自分」 がない状態で、身近な他人を、目標にしてしまうと、さらに、よくないことがあります。
 それは、その人のすべてを、真似てしまう点にあります。
 どんなに素晴らしい相手であっても、必ず、長所と短所があるものです。

 最悪、他人の短所まで、真似て、さらに、自分の長所を失う 、結果になります。 

 

 アドラー心理学とは、自分の人生に対して、強烈な、主体性、積極性、責任感を、取り戻す ためのものです。
 だから、必ず、 「自分で考えること」 が、求められます。
 安易に、誰かの真似をするのは、アドラー心理学と、正反対の生き方を、目指すことになる、のではないでしょうか。
 根本的な部分において、アドラー心理学を、誤解している可能性があります。
 

 

 「どんな能力を、どのように高めるべきか」 は、生き方と同じように、人それぞれ異なります。
 これらの課題に対して、自分自身の頭を使って、真剣に取り組む。

 おかげで、大変な思いを、させられることもありますが、そのプロセスそのものに、実は、重要な役割 があります。
 この点を理解すれば、失敗に対しても、大きな価値を、見出せるのではないでしょうか

 

 

9.他者貢献への取り組み方      2014.09.27 

 

   「社会貢献」 や 「他者貢献」 を、実践するコツは、難しく考えすぎない ことです。
     たとえば、自分が、小さな中華料理店の、店主だったとします。
     もちろん、無名の存在で、しかも、料理の腕も、特に優れている訳ではありません。
 一方、世の中には、 「中華の達人」 と、呼ばれる人たちもいます。

 

 ここで、 「自分のような者が、他者への貢献など、できる訳がない」 と、考えると、人生は、さらによくない方向へ進みます。
 なぜなら、仕事の目的が、 「生活費を稼ぐため」  だけになる、可能性が高いからです。

     お金のために、自分を曲げ、頭を下げ続けているうちに、卑屈な人間になってしまう かもしれません。
 仕事に対して、喜びを感じることもなく、心貧しい人生の、終着駅を待つばかり、になってしまうのではないでしょうか。 

 

 しかし、考え方を転換すれば、貢献感を高め、人生を豊かにすることもできます。 
 さらに、それが、業績改善につながる可能性も、出てくるのではないでしょうか。
     ポイントは、以前、お話しした、 「今ここで、できること」 です。

 まずは、 現在、来店してくれているお客様を、大切にしましょう。 

 

 料理そのものの改善も、大切ですが、多くのお客様は、微妙な味の違いなど、わからないものです。
 しかし、 「自分が客として、尊重されているかどうか」 については、敏感 なのではないでしょうか。
 だから、料理は同じでも、笑顔を絶やさない、礼儀をわきまえる、お客様1人1人の事情や、好みを覚える、など。
 これらのために、特別な才能など必要なく、しかも、1円も遣わずに、実践することができます。
 

 

 さらに、深く、考えると・・・
 「中華の達人」 が、近所のお客様に、料理を提供することなど、ありえるのでしょうか。
 近所のお客様に、料理を通じて、日常的に、貢献できるのは、自分と、周囲の店に限られています。

 つまり、 私が、私であるからこそ、このようなチャンスに恵まれている 訳です。 

 

 現在の環境において、まずは 「どんな貢献ができるのか」 、すなわち 「どんなチャンスに恵まれているのか」 について、考えてみる こと。
 そうすれば、世の中、至るところに、貢献のチャンスを、見出すことができます。
 その貢献によって、他者が幸福感を得るかどうかは、他者の課題ですが、自分自身は、幸福感を高めることができます。
 さらに、能力の向上に努めれば、人生の歯車は、よりよい方向へ、回転し始めるのではないでしょうか。

 

 

80.あえて 「不完全主義」 を貫く      2014.09.28 

 

 何度も言いますが、アドラー心理学とは、 「生まれ変わるための心理学」 です。
 また、 「成長」 とは、 「よい方向へ、生まれ変わること」 を意味します。

 だから、 アドラー心理学とは、 「成長するための心理学」 と、言い換えることもできます。
 私は、むしろ、こちらの意味で、理解しています。

 

 アドラー心理学を実践すれば、 「亡くなる2、3日前まで、生まれ変わることができる」 と、アドラーは述べています。
 言い換えれば、 「亡くなる2、3日前まで、成長することができる」 。
 私は、アドラー心理学の実践者なので、成長が止まることを、何よりも恐れています。

 以前、お話ししましたが、 同じ人生を歩んでいても、成長すればするほど、生きることが楽しくなる からです。 

 

 しかし、一方では、人生の早い時期に、成長が止まった人もいます。
 40代になっても、60代になっても、20代の価値観のまま、の人がいます。

 頭の状態は、未成熟なままなのに、心身は衰えていくので、魅力は損なわれるばかり です。 
     このような人たちにとって、成長とは、処世術を身につけることなどを、意味するのでしょうか。 

 

 成長が止まるシグナルとして、私は、 「完全主義に陥るかどうか」 を、材料の1つにしています。
 その人が認識する 「完全」 とは、その人のレベルにおける 「完全」 、その人の知る範囲内での 「完全」 に過ぎない からです。
 「自分の知る世界 = 全世界」 と、認識する。
 ランクが異なる世界、まったく異質な世界の存在を、理解しようとしない、 「井の中の蛙」 状態ではないでしょうか。
 

 

 「完全」 に到達した、ということは、 「井の中の蛙」 のように、それ以外の世界を、見ようとしなくなった。
 つまり、そのレベルで、成長が止まったということです。

 私は、あえて、「不完全主義」 を採り、不完全な状態のまま、次の世界の発見に、努める ようにしています。
     それでは、近年、業績が下降した、アップル社と、マイクロソフト社を、例にしましょう。 

 

 スティーブ・ジョブズは、不完全ではあるものの、創造性の高い製品を、世に送り出しました。
 しかし、彼がいなくなると、A社は、液晶の精度を高めるなど、完全主義に、走り始めました。

 また、 ビル・ゲイツは、恐ろしく不完全な状態で、Windowsを、発表 しました。
 ところが、彼が代表を退くと、M社は、他社製品との比較によって、完全を目指すようになりました。

 

 

1.「80対20の法則」 を、フル活用する      2014.09.29 

 

 「80対20の法則」 を、ご存じでしょうか。
 もともとは、イタリアの経済学者、パレートが発見した 「バレートの法則」 が、基本になっています。
 これをベースに、現代ビジネスにおいて、拡大解釈、あるいは、経験から、生まれた法則、ではないでしょうか。
 80は 「成果」 、20は  「成果の要因」 を、表します。

 

 たとえば、ある試験で100点を取るために、100時間の学習が、必要だとします。
 それでは、80点を取るためには、何時間かかるでしょうか。
 正解は、80時間ではありません。
     わずか、20時間です。
 

 

 それでは、全部で5科目、合格ラインは各80点、学習時間は100時間、の試験があったとします。
 完全主義の人は、100点に囚われますので、100時間を、すべて1科目の学習に費やします。
 その結果、得点は、100点。
 もし、これが、年に1度の試験だとすると、全5科目、合格するまで、5年かかります。
 

 

 一方、 「80対20の法則」 を、フル活用する、不完全主義の人。
 1科目を20時間ずつ、全5科目、学習します。
 全5科目すべてで、80点を取り、得点は、計400点。
 その結果、1年で合格します。
 

 

 さらに、1時間あたりの生産性について、検証してみましょう。
 完全主義の人は、100時間かけて、100点しか取れないので、1時間あたりの生産性は、1点です。
     不完全主義の人は、100時間かけて、400点取れるので、1時間あたりの生産性は、4点です。

 つまり、 完全主義の人の生産性は、不完全主義の人の生産性の、4分の1 にしかならない、ということです。 

 

 このように、 「80対20の法則」 によっても、完全主義に陥ることの愚かさを、証明する ことができます。
     ごく、まれに、見かけますが、企業内で、他人にまで、 「完全」 を求める人がいます。
 これは、企業全体の生産性低下をまねき、収益性の悪化に、つながります。
 従って、このような人物は、企業にとって、 「大変、迷惑な存在」 ということになります。

2.「完全主義」 の人が、気づかない、大きな欠落      2014.09.30 

 

 

 たとえば、 伝統芸能の場合、過去に、形が完成しているため、そこには、 「完全」 が存在するはず です。
 しかし、落語や歌舞伎などの分野でも、常に 「新しい要素」 を、採り入れています。
 また、 「酢」 「納豆」 「日本酒」 などの、伝統食品やアルコール飲料も、食べやすく、飲みやすくなったものです。
 なぜなら、時代によって、状況が変化するため、常に、その変化への対応が、求められるからです。

 

 完全とは、 「最終形」 を、意味します。
 しかし、現実には、完全な人もいなければ、完全なものなど、どこにも存在しません。
 従って、 「完全」 とは、その人の 「限界」 を意味し、
「これ以上、成長しない」 という、宣言 と、受け取ることもできます。
 また、神様でもないのに、 「最終形」 を、勝手に決めるのは、いかがなものでしょうか。 

 

 「完全主義の人」 に出会うと、がっかり、させられることが、少なくありません。
     逆に、感心したことなど、1度も、ありません。 
     もし、高い地位にあったとしても、既に、成長が止まっている可能性が、大です。
     反対に、現状は、どうあれ、懸命に、成長を目指している人たちの方が、学ぶべきものがあります。 

 

 完全主義の人たちが、 完全主義であるが故に、実は、大きく欠落している、おもな部分 とは ・・・

     ① 物事の優先順位を、決めるために必要な 「判断力」                  → 重要性の区別がつかない
 ② 大局的、多面的に、物事を見るために必要な 「広い視野」              → 視野が狭い
 ③ 知らない世界の存在を、容認あるいは、想像するために必要な 「柔軟性」 → 「井の中の蛙」 状態
     ④ 不変のものと、変わるものの存在を、見極めるために必要な 「世界観」    → 変化を嫌う 
 ⑤ 自分の無知、無能、無力を、自覚するために必要な 「謙虚な心」              → 内面的に尊大

 

 「世の中に、完全が存在する」 、この間違った前提が、 「自分は完全である」 という、大きな誤解につながります。
 自分が、既に 「完全」 なら、成長する必要などないので、後は、現状維持に、努めるだけでしょう。
 このようにして、挑戦意欲のない、保身ばかりの人が、生み出されるのかもしれません。

     繰り返し、言いますが、「世の中に、完全な人は、1人もいなければ、完全なモノも、1つもありません」。

 

 

3.成長を続けるために必要な 「2つの自覚」      2014.10.02 

 

 「自分は不完全である」 、さらに 「その状態を改善しなくてはならない」 。
 成長を続けるためには、この2つの自覚が、欠かせないでしょう。
 なぜなら、完全な状態とは、終着駅を意味し、それ以上、成長できなくなるからです。
 だから、完全主義に陥る人は、単に、成長から逃避しているに過ぎないと、私は、判断します。

 

 人間は不完全な状態で生まれ、一生、成長を続けたとしても、不完全な状態、で終わります。
 完全に至らなかったからと言って、その人生に、意味がない訳ではありません。

 なぜなら、 成長を目指すプロセスにこそ、意味がある からです。
 この本にも書かれていましたが、登山の目的は、登頂のみにある訳ではありません。 

 

 成長についても、2つに分けて、考えています。
 1つ目は、 「能力的な成長」 です。
 能力的な成長とは、同じことを、正確に、または、速くできるようになったり、異なることや、難しいことが、できるようになることです。
 知識を増やすことも、この中に、含まれるでしょう。
 

 

 私は、人生の課題に対して、その解決方法を、おもに  「能力」 に、求めてきました。
 能力を向上させれば、解決できるのではないかと。
     もちろん、自分の能力で、処理できないことは、その分野の専門家に、さっさと、お任せします。
 しかし、身近な人や、運などに、助けを求めたことは、ほとんど、ありません。
 

 

 たとえば、収入
 私の場合、実際の収入は、能力に見合った収入の、50% 未満でよい、と考えています。

 なぜなら、 100% の収入を、得ようとすると、目的が、 「成長」 より 「お金」 になりがちで、成功が長続きしない からです。
 また、余力を残しておけば、いざという時、簡単に、収入を増やすことも、できるからです。 

 

 だから、気持ちの上では、 必要な収入に対して、2倍以上の能力を、自分に対して、求めるようにしてきました。
     もし、年収を、500万円まで、引き上げたければ、能力を、年収1000万円以上のレベルまで、引き上げることを、目標にしました。
 たとえば、20代のころは、仕事の能力を高めるために、月100時間以上のサービス残業を、買って出ていたものです。
 そこで、悪戦苦闘したおかげで、今日がある、と考えています。

 

 

4.人生観を豊かにする      2014.10.03 

 

 2つ目は、 「考え方の成長」 です。
     能力を高めたいが、 「どんな目的」 で高めるべきか。
     能力を高めたいが、 「どんな能力」 を高めるべきか。
     能力を高めたいが、 「どんな方法」 で高めるべきか。

 

 これら 「どんな○○」 の部分に関して、判断力を高めるためには、 「考え方の成長」 が、必要になります。
  「考え方」 を成長させると、同じ人生であっても、生きるのが、楽になる ものです。
 たとえば、 「課題の分離」 という考え方を、マスターすれば、他人に関わる課題を、切り捨てることができます。
 考え方とは、このような技術的な思考法から、ベースとなる、人生観 (価値観、世界観を含む) まで、広い範囲を、意味します。
 

 

 前回、お話しした 「能力的な成長」 、そして、 「考え方の成長」 のうち、この技術的な思考法は、何れも重要です。
 しかし、 最も大切なのは、人生観ではないでしょうか。
 なぜなら、自分が幸福感を、得られるかどうかは、最終的に、人生観によって、決まるからです。
 人生観が豊かであれば、不運な人生であっても、そこに、幸福感を見出すことが、できます。
 

 

 逆に、 貧しい人生観に支配されると、幸福感を得ることが、難しくなります。
 自分以外の者に求めるばかりで、常に不満を抱く、ことになりがちです。
 もし、恵まれた状況にあっても、その価値に、気づくことができず、生かすこともなければ、大切にすることもありません。
     だから、幸福そのものが、長続きしないし、不幸から抜け出すチャンスも、訪れにくくなります。
 

 

 人生観を高めるためには、自分と段違いのレベルにある人から、学ぶ 方法があります。
 このような人たちと、出会う確率など、ゼロに近いので、私は、本を、利用しています。
 アインシュタイン、ドラッカー、アドラーなど、過去に、偉人が残した言葉から、重要な方向性を得ることができました。
 中国古典では、論語、菜根譚などが、わかりやすいと、感じました。
 

 

 世の中には、常に変化するものと、不変のものがあります。
 変化するものの代表は、科学技術や医学、それに、人や企業の盛衰、などでしょうか。

  一方、 人間の内面における、基本的な部分は、紀元前から、ほとんど変わっていない ようです。
 その部分を学ぶのであれば、語り継がれた、先人や古典の言葉も、大いに、役立つのではないでしょうか。

 

 

5.1人の人間として、自立して生きる      2014.10.04 

 

 アドラー心理学とは、 「自立のための心理学」 でも、あります。
     たとえば、 「原因論」 から 「目的論」 への転換。  

  「今の自分」 に、不満があったとしても、それを、他人や過去のせいにするのではなく、自分が選択した結果、と考えます。
 つまり、これは、自分の人生に対して、主体性を高めるための考え方、と言えます

 

 また、 「課題の分離」。
 これは、 「他人の課題を、切り離す」 、だけではありません。
 自分の課題に対して、自分が全力で取り組むために、他人の介入を、退けるものでもあります。
 つまり、これも、自分の人生に対して、主体性を高めるために、必要な考え方です。
 

 

 それでは、他人の課題を、切り離す目的とは、何でしょうか。
 自分の人生を軽くするため。

 さらに、 相手の人生に対して、相手の主体性を尊重する ためのもの、でもあります。
 課題の分離を進めれば、お互いに尊重しあえる 「自立した人間関係」 が、育まれます。 

 

 さらに、 「共同体感覚」。
 ここでいう 「共同体」 とは、家族や勤務先、などのこと、ではありません。
 むしろ、このような、小さなものへの執着から、離れるためにある考え方です。 
 なぜなら、狭い人間関係に固執すると、その中の 「好き嫌い」 に、囚われてしまうからです。
 

 

 これは、精神的自立を妨げる、大きな原因になる、のではないでしょうか。
 この状態、つまり未成年状態から、脱するためには、より広い世界への、意識転換が必要です。
 アドラー心理学において、 「共同体」 とは、社会や、地球、宇宙などを、意味します。

 これらの 「共同体」 に対して、 「貢献感」 を持ち続けると、やがて 「好き嫌い」 を越える価値観に、出会う ことができます。 

 

  「自分のため」 から、 「共同体のため」 へ、意識を転換することによって、人間は 「社会性」 を備えることができます。
  「社会性」 とは、自立にとって、欠かせないものではないでしょうか。
 カントは、 「人間内部における、最も偉大な革命は、未成年状態を脱する (自立する) こと」 と、述べていました。

 つまり、 精神的自立を促す、アドラー心理学とは、 「人間内部に大きな革命を起こすための心理学」  と、言えるのかもしれません。

 

 

6.若者は、大人より、優れていなければならない      2014.10.05 

 

 「嫌われる勇気」 のない大人の中には、若者に、媚びる人もいます。
 若者に対して、 「すごい」 を連発したり、褒めちぎったり、ヨイショする人もいます。
     彼らは、あることに関する、天才です。

 それは、 「若者をダメにする天才」。

 

 このような人が、企業内にいると、若者が育ちません。
 彼らの真の目的は、保身にあるのかもしれません。

 若者が育つと、自分が取り残され、居場所を失う、 このようなことを、恐れているのではないでしょうか。 
   だから、自分以下の人間に、してしまおうと。 

 

 ただし、 「若者は、大人より、優れている」 という、結論部分だけは、同意見です。
 私の場合、 「若者は、大人より、優れていなければならない」 ですが。
 なぜなら、技術も知識も、日々、進歩しています。
     後に、生まれてきた人の方が、より進んだものを、利用できるからです。
 

 

 たとえば、スポーツ。
 トレーニング方法から、栄養学の分野まで、科学的な解明が進み、めざましく進歩しています。
 おかげで、様々な種目で、記録が更新されつつあります。
 仕事や勉強の分野も、これと、同じではないでしょうか。
 

 

 アドラー心理学を、マスターするために、必要な時間は、 「年齢の半分」 と言われています。
 つまり、20歳からスタートすると、10年後、30歳の時点で、マスターすることができます。
 60歳からスタートすると、マスターできるのは、30年後、90歳の時点。
     すでに、あの世へ旅立っているかもしれません。
 

 

 若い人には、若いというだけで、有利なことが、無数にあります。
 一方で、残りの人生は、休むことなく減り続け、やがて、若者も、若者でなくなる、時が訪れます。
 年齢とともに、成長しなければ、心身ともに老化するなど、すっかり不利な立場に、立たされます。
 早い段階で、この事実に気づき、 「今というとき」 を、大切に、過ごしていただきたいものです。

 

 

 次回につづく。 →  こちらをクリック

続 6 「 嫌われる勇気 」 人生が変わるアドラー心理学  2014-10-07

前回までの内容 → こちらをクリック

 

 

87.つきあう相手を選ぶ      2014.10.07

 

 以前、ご紹介した 「80対20の法則」 を、応用すると、以下のような、推測を立てることができます。
 ① アドラー心理学の考え方に、自ら積極的に進む人・・・20%

 ② ①と③の中間にあり、周囲の影響を受けやすい人・・・60% 
 ③ アドラー心理学を、絶対に、受け入れられない人 ・・・20%

 

 私は、タイプ ① で、誰に勧められることもなく、こちらの生き方を、邁進してきました。
 一方で、 タイプ ③ の人たちは、アドラー心理学の考え方を、一生、理解しない のではないでしょうか。
 問題は、タイプ ② の人たちです。
 「嫌われる勇気」 というタイトル見て、気持ちが揺れて、この本を、手にした可能性があります。
 

 

 もし、タイプ ② の人が、アドラー心理学をマスターする場合、タイプ ③ の人とは、距離を置くべき でしょう。
 タイプ ③ の人とは、たとえば、 「課題の分離」 ができず、こちらの課題に、介入してくる人。
 「自分の課題」 に、取り組むことなく、こちらに押し付けてきたり、常に相談を持ちかけるものの、話を聞いていない人など。
 さらに、これらの性質を、両方、あわせ持つ人など。
 

 

 アドラーは、 「対人関係は、誰もが、異なる存在でありながら、対等である」 と、述べています。
 ただし、それは、人種や性別、地位や学歴、外見や家柄、過去などによって、人に上下をつけてはいけないという意味です。
 だから、仲間であるかどうか、親族であるかどうか、同僚であるかどうか、日本人であるかどうか。

 これらに、囚われることなく、 社会全体を共同体と見なし、 「どんな人も対等」 と、感じる のが、あるべき姿ではないでしょうか。 

 

 だからこそ、タイプ ③ の人とは、距離を置くべきです。
 なぜなら、 タイプ ③ の人は、人を上下に分け、さらに、相手の異質な部分を、認めようとしない からです。
 自己への執着が、強いあまり、常に、 「共感」 を、求めているようです。
 異質と感じると、相手を、非難したり、卑下したり、否定したり、拒絶したり、攻撃することさえ、あります。
 

 

 タイプ ③ の人は、同じタイプの人たちと、群れていることが、よくあります。
 もし、群れの中の誰かが、成長すると、タイプ ③ の人は、 「相手に、裏切られた」と、感じるのかもしれません。
 このような人間関係の中にいると、アドラー心理学に限らず、成長すること自体が、難しくなります。

 タイプ ② の人は、ゴールにたどりつくまで、タイプ ③ の人とは、距離を、置くべき ではないでしょうか

 

 

8.他人の成長を、望まない人たち      2014.10.08

 

 前回、 「80対20の法則」 を応用して、次の3タイプに、分類してみました。 ① アドラー心理学の考え方に、自ら積極的に進む人・・・20%
 ② ①と③の中間にあり、周囲の影響を受けやすい人・・・60% 
 ③ アドラー心理学を、絶対に、受け入れられない人 ・・・20%

 

 タイプ ③ の、代表例として、 「子離れしない親」 が、挙げられます。
 「課題の分離」 ができていないため、子供の課題に、土足で、踏み込んできます。

  一見、子供のことを、思っているように見えますが、実は、子供の人生も、 「自分の人生の一部」 と、考えています。
 子供が自立すると、 「捨てられた」 と、感じるため、子供の自立を、阻害します。 

 

 このような親を持つ人は、一刻も早く、自立を、目指すことです。
 できれば、家を出ましょう。
 方法としては、地方の大学へ進学したり、転勤のある会社に就職するなど。
 そして、自力で、自分の人生を、切り開くことです。
 

 

 タイプ ③ の人間関係が、会社の同僚や、友人などの場合、非生産的なつきあいに、時間を浪費させられます。
 その中で、誰かが、成長しようとすると、足を引っ張ります。

 なぜなら、前回、お話ししたように、タイプ ③ の人は、相手の異質な部分を、認めたくない からです。
 自己への執着が、強いあまり、常に、 「共感」 を、求めているからでしょう。 

 

 また、このような集団の中に、他のメンバーを操作するボスを、見掛けることがあります。
 「嫌われる勇気」 のない人たちは、おおむね、内面的に不安定、ではないでしょうか。

 だから、機嫌を取ってくれる人がいると、理解者として、何ら疑うことなく、信頼を寄せる 傾向があります。
 もし、その人に、隠れた悪意があったとしても、気づく確率が、低いのではないでしょうか。 

 

 利用されているとは知らず、関係のない他人を攻撃したり、犯罪まで犯してしまう 人も、いるかもしれません。
 このような被害に遭わないためには、とにかく精神的な自立を目指すこと。
 自分の機嫌は、必ず、自分で取ること。
 早く、自立したい人は、アドラー心理学を、学ばれるとよいでしょう

 

 

9.最終的に求めるものは 「安らかな心」      2014.10.09

 

 人間が、最終的に、求めるものは、何でしょうか。
 お金に恵まれなければ 「お金」 、学歴に不満があれば 「学歴」 、容姿が気になれば 「容姿」 、と考えやすい ものです。
  これらに共通するのは、 「もし、何かが、もっとあれば、自分は、今よりも幸せだった」 。
  つまり、原因論に通じる考え方です。

 

 世の中には、自分より恵まれなくても、立派に生きている人が、いくらでもいるものです。
 原因論的な考え方を、排除すると、異なる答を、引き出せるのではないでしょうか。
 最終的に大切なものは、お金、地位、名誉、権力、能力、容姿、学歴、さらに、寿命でもないでしょう。

 それは ・・・ 「安らかな心」 ではないでしょうか。 

 

 ナポレオン・ヒルは、元祖成功本 「思考は現実化する」 の著者です。
 この本をはじめ、若い頃の著書には、成功に関することが、ひたすら、書きつづられています。
 ところが、晩年の著書  「成功哲学」には、 「心の平安が大切」 と書かれています。
 この言葉は、多くのものを、手に入れた人が、到達した 「最終回答」 と言えます。 

 

 いくら、お金、地位、名誉、権力などに、恵まれたとしても、心が安らかでなければ、幸せではないということ。
 逆に、これらのものに恵まれなくても、安らかな心で、生きる人は、幸せと言えます。

 幸せかどうかを、最終的に決めるのは、ただ1つ、それは、自分の心 だからです。
 この部分を明確にしておかないと、不幸へ向かって、まっしぐらに努力する、恐れもあります。 

 

 「嫌われる勇気」 のない人は、精神的に不安定な人が、少なくありません。
 「安らかな心」 という点から見ると、不幸な状況と、言えます。
 だから、他人の顔色をうかがうなど、自分の心を安定させることに、囚われるのも、わからないではありません。

     しかし、 セルフ・コントロールに、時間と労力を割かれると、生産的な活動が、制限されます。 

 

 確かに、 「自分の気持ち」 も、大切ですが、もっと、大切なものを、発見すべき ではないでしょうか。
 その大切なもののためなら、いくら自分が傷ついても構わない、と言えるもの。
 この課題を、クリアしなければ、自分の気持ちに、振り回されて、一生が終わるでしょう。
 「安らかな心」 が、訪れることもないと、考えられます。
 

 

 


  〜 アドラー心理学の実践体験記 〜

 


  A.「傷つかない自分」 に生まれ変わる

 

 

90.相手の言葉に傷つかない      2014.10.10

 

 アドラー心理学を実践すると、強く生きられるようになります。
 この本の中には、ひと言も、触れられていませんが、私は、このように感じています。
 ここから先は、24年間、実践した、50代の人間の体験談です。
 中には、アドラー心理学に関係なく、人生経験から修得した内容も、含まれているかもしれません。

 

 まずは、 他人の言葉に、傷つくことが、まったく、なくなりました。
 どんな言葉を発するのかは、相手の 「人間性」 「成熟度」 「表現力」 などによって、異なります。
 もし、相手に悪意があったり、相手が未成熟であったとしても、人間社会ですから、それは日常茶飯事と言えます。
 つまり、これは、相手の課題ですから、 「課題の分離」 によって、瞬時に、切り離します。
 

 

 しかし、 相手の言葉を、どのように受け止めるのかは、 「自分の課題」 です。
     人生経験上、 「不快に感じるのは修行不足」 、 「傷つくのは、馬鹿げたこと」 、と考えます。        
 もし、それが 「注意」 であり、内容が正しければ、さっさと、行動を改めます。
  反対に、内容が間違っていたとしても、いちいち、傷ついたり、不快に思うのは、時間のロスと、考えます。
 

 

 また、もし、 「悪意」 があった場合、自分が傷ついたり、不満を持つと、相手の目的を果たす ことになります。
 ここで、冷静に、相手のレベルや、人間性について、洞察してみましょう。
 「相手は完全」 「自分は不完全」 と、仮定するから、こちらがダメージを受けるのではないでしょうか。
     完全な人間など、いる訳もなく、また、日常、出会う人間は、ほぼ全員が、かなり不完全な 「普通人」 です。
 

 

 言葉に関して、相手の表現力が 70%、自分の理解力が 70% だとすると ・・・
 70% × 70% = 49% ・・・ 最終的に伝わるのは、言いたいことの、せいぜい半分といったところです。
 また、日常会話のうち、感情が伴うものは、大半がどうでもよいものです。

 「たかが言葉」 として、いちいち過剰反応しない ことでしょう。 

 

 もし、凶器が、 刃物なら、確実に、傷つけられますが、言葉なら、自分次第で、無傷に終わらせる こともできます。
 ここで、効果を発揮するのが、アドラーの提唱する 「課題の分離」 ではないでしょうか。
 私は、 「課題の分離」 によって、以上のような方法で、言葉を処理しています。
 せっかくの人生、傷ついたり、不快に思うのは、時間のロスにつながるので、一切、気に留めないことにしています。

 

 

91.自分で、自分を傷つけない      2014.10.12

 

  「言葉に傷つきやすい人」 や、 「言葉に深く傷つく人」 には、特徴があります。
     それは、その言葉を、何度も、繰り返し、思い出す、習慣を持っている 点です。
 思い出す度に、その記憶は、深く、刻み込まれていきます。
     次第に、忘れたくても、忘れられなくなります。

 

 嫌な思いをしながら、さらに、その嫌な思いを、深めていく。
 これは、 自分で、自分を傷つけているのと、同じ ではないでしょうか。
 自分を大切にしない者は、 「愚か者」 と呼ばれます。
 「愚か者」 は、幸せになれなくて、当たり前です。
 

 

 だから、悪い習慣と気づいたら、すぐに、やめましょう。
 「やめられない」 というのは、言い訳に過ぎません。

 嫌な言葉を、思い出すかどうかは、 「自分の課題」 だからです。
 「自分の課題」 を、解決できるのは、自分自身しか、いませんので、責任を持って、取り組むべきです。 

 

 ドイツの心理学者、エビング・ハウスによる 「忘却曲線」 を、ご存知でしょうか。
 人間は、復習しなければ、20分後には、42%忘れます。
 1時間後には56%、1日後には74%、1週間後には77%、1月後には79%、という結果です。
     つまり、1日で大半 (74%) を忘れ、その後は、ゆっくり忘れていくものです。
 

 

 だから、 嫌な言葉を聞いても、その後、24時間、思い出さなければ、おおむね気にならなくなる ものです。
 ポイントは、無理に、思い出さなくするのではなく、他のことを、考えるように、努めましょう。
 以前、お話ししましたが、人間の脳は、一度に、1つのことしか、思ったり、考えることができません。
     意識的に、楽しいことを、思い出すようにすれば、同時に、嫌なことを、思い出すことができない、構造になっています。
 

 

 さらに、アドラーのいうとおり、 「今ここ」 を、真剣に生きていれば、無意味な言葉など、耳に入らなくなります。
 
この場合、嫌な言葉を、入口で、シャット・アウトするため、忘れる努力も不要になります。
     おすすめは、 「共同体感覚」 を、備えることです。
 傷つく暇があったら、共同体に貢献できることなど、生産的なことに、時間を充てましょう。

 

 

2.他人を憎まない      2014.10.13

 

 人間は、嫌な言葉を聞くと、心が傷つき、相手を憎むことがあります。
 しかし、 それは、誤解かもしれません。
    以前、お話ししたように、相手の表現力が 70%、自分の理解力が 70% だとすると・・・
 最終的に伝わるのは、言いたいことの、せいぜい半分だからです。

 

 また、 お互いに、未熟であることが、原因かもしれません。
 精神的に余裕がなければ、伝えるタイミングを誤るなど、言葉の行き違いが、起きて、当たり前です。
  何れにしても、大したことではありません。
 一方的に、 「相手を加害者」 、 「自分を被害者」 に仕立てて、傷を拡げないことです。
 

 

 このようなケースでは、 「目的論」 を利用しましょう。
 最終的に、自分は、相手との関係を、どのようにしたいのか。
 もし、今後も、つきあいたいなら、悪く考えないことです。
 その後、24時間は、他のことを、考えるように、努めましょう。
 

 

 しかし、年齢と共に、悪意を備える人たちも、増えていきます。
 自分も、年齢を重ねるごとに、彼らと接触する頻度が、高まります。

 もし、 嫌な思いをさせられたとしても、やはり、相手を憎んではいけません。
 かと言って、聖人君子のように、 「相手を愛せ」 、という訳でもありません。 

 

 相手を憎むと、自分の心を、傷つけてしまいます。
 また、憎しみは、エネルギーを消費するため、生産活動に悪影響を及ぼします。

 もし、 憎むだけなら、相手は、何一つ、ダメージを受けていないのに、自分自身は、さらに、ダメージを深めてしまいます。
 つまり、憎めば、憎むほど、自分を傷つけ、相手の術中に、はまることになります。 

 

 私は、29歳のとき、この解決方法に、出会いました。
 下から 「憎む」 のではなく、上から 「軽蔑する」 ・・・ 悪意のある者に対しては、淡々と、見下せばよいのです。
 これは、アインシュタイン博士の考えです。
 相手を 「憎む」 と、忘れられませんが、 「軽蔑」 に変えれば、思い出すことさえ、ほとんどなくなります。

 

 

3.「傷つかない自分」 に、生まれ変わる      2014.10.14

 

 嫌な言葉に限らず、傷つくこと自体、私は、 「馬鹿げている」 と、考えています。
 なぜなら、 自分を傷つけているのは、多くの場合、他人ではなく、自分自身 だからです。
 目的論に沿って、考えると、他人の発言は、単なる事実に過ぎません。
 そこに、嫌な意味づけをして、自分を傷つけているのは、実は、自分自身ではないでしょうか。

 

 また、 傷つくことは、成長にとって、大きな妨げ になります。
     なぜなら、人間は、被害者意識が拡大すると、相手ばかり責め、自分に対する反省を、怠ってしまうからです。
     人生の中で、起きることは、おおむね、その人が、成長するためにある 「人生の課題」 と言えます。
     そして、それは、しばしば、 「嫌なこと」 として、目の前に、現れます。
 

 

     また、人間関係において、何れかが一方的に悪い、というケースは、ほとんど、ありません。
     いかなる場合も、少なからず、 「反省」 が求められます。
     しかし、反対に、 「相手を加害者」 、 「自分を被害者」 に、仕立てて、一方的に、相手を憎んでしまう人もいます。
     実は、ここに、 「隠された目的」 があるのかもしれません。
 

 

     「自分を否定したくない」 「責められたくない」 「同情して欲しい」 「味方を増やしたい」 「嫌われたくない」 など。
     被害者の立場に逃げ込むことによって、これら本能的な目的を、果たそうとしている のかもしれません。
 しかし、このような姿勢で、生きていると、成長など、とても望めないものです。
 それでは、どうすれば、 「傷つかない自分」 に、生まれ変わることが、できるのでしょうか。
 

 

 おすすめするのは、 「自分は、絶対に傷つかない」 と、自分に宣言する方法 です。
    「傷つくかどうか」 を、最終的に決めているのは、自分自身だからです。
 これは、ありのままの自分を、認めようとしない、 「自己肯定」 とは、異なります。
    「暴飲暴食をしない」 と、同じように、 「自分のためにならないことは、絶対にしない」 という宣言です。
 

 

 「傷つく」 という方法は、実は、自分が選んだ 「安易な道」 に過ぎません。
 それによって、自分自身を傷つけ、さらに成長を妨げている事実に、気づきたいものです。

 傷つきそうになったら、傷つこうとする、未熟な自分と、格闘 しましょう。
 人生とは、 「他人との競争」 ではなく、 「自分との格闘」 と、私は、とらえています。

 

 

4.「被害者意識」 と、訣別する      2014.10.15

 

 「被害者意識」 が強くなる理由の1つとして、 「原因論」 が挙げられます。
 原因論とは、現在の自分や、結果について、過去や他人、環境などに、原因がある、という考え方です。
 たとえば、うまくいかなかったのは、 「親が悪いから」 「学歴が低いから」 「過去に悲惨な経験をしたから」 。
 「自分が悪い」 とは、あまり考えないようです。

 

 一方、アドラー心理学を実践する者は、 「目的論」 を利用して、人生を、切り開いていきます。
 「目的論」 では、自分の中に、原因を見い出し、その改善に努めます。
 「変わるべきは、まず自分」 という信念のもと、人生に対して主体性を、取り戻していきます。
 だから、アドラー心理学の実践者は、 「被害者意識」 に、ほとんど縁がないのではないでしょうか。
 

 

 被害者意識が強まると、思考の働きが鈍くなるため、次の3つの弊害が、考えられます。
 1つ目は、以前、お話ししたように、 「自分にとって、成長の妨げ」 になること。
     2つ目は、しばしば、 「相手にとって、失礼、かつ、迷惑」 であること。
     3つ目は、判断力が低下し、騙されやすくなること。
 

 

 今回は、3つ目について、触れます。
 被害者意識が強まると、相手に対する憎しみが増し、それ以外のことが、見えなくなりがち です。
 その結果、他の重要事項が、疎かになります。
 客観性が損なわれ、冷静な判断ができなくなります。
 

 

 世の中には、 この性質を利用して、他人を騙そうとする人物もいます。
 たとえば、 「あなたは被害者ではないか」 と、呼びかけてきます。
 また、 「○○さんは、影で、あなたのことを、悪く言っている」 と、意図的に、デマを伝えることもあります。
 さらに、 「あの人にだけは、負けていけない」 と、競争意識をあおることもあります。
 

 

 他人同士を争わせ、当人が利益を得ることを、 「漁夫の利」 と言います。
 被害者意識が強いと、このような謀略の犠牲になりやすいものです。
 被害者意識は、百害あって一利なし。

 「目的論」 をマスターして、被害者意識を、自分の中から、徹底的に、追い出しましょう。

 

 

5.「縦の人間関係」 から 「横の人間関係」 へ      2014.10.16

 

 「縦の人間関係」  も、心を傷つける原因の1つ になっているのかもしれません。
 「縦の人間関係」 とは、反アドラー的な考え方をする人たちが、認識しているものです。
 異なる人間性を、認めようとせず、人間関係を上下に分ける考え方です
 その中で、自分がどこに位置するのかについて、少なからず、関心を抱いているのかもしれません。

 

 心が傷つくのは、その中で、 「自分の位置が下がった」 と、感じるとき、 ではないでしょうか
 たとえば、 「自分は誰かより下に見られた」 「自分は誰かより下に落ちた」 「自分は誰かより下の扱いを受けた」 など。
 このように感じたとき、心が傷つくのかもしれません。
     ところで、そもそも、その順位は、誰が付けたものでしょうか。
 

 

 ドラー心理学によれば、事実は 「単なる事実」 に、過ぎません。
 そこに意味づけをするのは、自分自身です。
 自分は、Aさんより上で、Bさんより下、それは、事実ではなく、自分の意味づけ、つまり主観の産物です。

 だから、 「縦の人間関係」 で傷つくのも、やはり、自分が原因 と言えるのではないでしょうか。 

 

 一方、アドラーが提唱する 「横の人間関係」 によれば、 「人間は、それぞれ異なるが、すべて対等」 と考えます。
 他人との比較において、自分が認識する差は、 「上下」 ではなく、 「横 (個性) 」 になります。

 だから、 他人との比較によって、傷ついたり、悩むことはありません。
 他人と自分が違うのは、当たり前のことだからです。 

 

 また、 「課題の分離」 を進めると、他人の評価を、 「他人の課題」 として、自分から、切り離します。
 さらに、 「自分の課題」 に、集中するようになります。
 次に、 「共同体感覚」 を身につけると、 「自分の課題」 は、共同体への貢献が、中心になります。

 個人の内面から、広い社会へと、視線を移すことによって、生き方が激変し、小さなことで、悩む暇がなくなります。 

 

 そもそも、「縦の人間関係」 とは、各人の妄想の上に、成り立っている もの、ではないでしょうか。
 なぜなら、上下に分ける、客観的な基準が、特定できないからです。
 さらに、異質な人間性を、認めないのは、偏見でもあるからです。
 「縦の人間関係」 の世界にいる限り、心が安定することはない、と考えられます。

 

 

96.岸見一郎先生の読書会に参加      2014.11.10

 

 11月9日(日)、 岸見一郎先生の読書会と講演会、懇親会に参加 させていただきました。
      会場は、新大阪駅から、徒歩 4分にある、新大阪丸ビル新館。
  名古屋から新幹線で 50分と、信じられないほど、近くなりました。
      参加者は約 50名?で、女性の方が多いのに、驚きました。

 

 最初は読書会、10名程度に分かれて、ディスカッション です。
 それぞれの方が、質問したり、感じたことを話しました。
 私は、経営者の立場から、理解に努めてきましたが、違った角度から話をお聞きでき、大変、勉強になりました。
 教師、会社員、子供を持つ母親の方など、立場によって、重視する点が違うと感じました。
 

 

 次は講演会、その後、質疑応答。
 当然のことですが、岸見先生は、アカデミックで、上品な方でした。
 また、人間を尊重される方、という印象を受けました。
 カウンセリングの話もお聞きしましたが、大変な仕事のようです。
 

 

 質疑応答では、参加者が質問を出し、岸見先生が、ていねいに、お答えになられていました。
 悩みの内容は、おもに、 「教師の方は教え子」 「会社員の方は上司や部下」 「母親の方は子供」 との対人関係です。
 コミュニケーションは、本音で語り合えないと、不毛なものになりがちです。
 皆さん、誠実な方ばかりで、とても、よい時間を過ごすことができました。
 

 

 一方、 経営者である私は、ずいぶん世俗にまみれた存在 だと、気づきました。
 毎日、収益を確保したり、雇用を維持したり、顧客を守らなければいけません。
 世の中の汚れた部分と、戦うこともあるため、策略にはまらないように、孫子なども勉強したことがあります。
 このような人生を送っているうちに、繊細な神経など、すり切れてしまったようです。
 

 

 人生には、向上心も必要ですが、それだけでは、変わることができません。
     さらに、 必要なのが、アクション です。
 求めるものは、人それぞれ異なりましたが、このような会に参加したのも、アクションの1つ。
 貴重な一歩にしたいものです。

 


  B.もっと、自由に生きてみる

 

 

97.人生における 「自由の実現」      2014.11.12

 

 子供のころから、自由に対して、人一倍、強い欲求がありました。
 私にとって、自由とは、空気のようなもので、不足すれば、生きた心地がしないもの、でもありました。
     しかし、自由を好む分、年長者との摩擦も、少なくありません。

 おかげで、 どうすれば自由に生きられるのかと、早い時期から、試行錯誤する ようになりました

 

 長年かけて、考え出した方法とは ・・・

 ① 「行動の自由」 「発言の自由」 「思想の自由」 の3つに分ける ② ① の中で 「認められない自由」 と 「認められる自由」 を、明確にする
 ③ 「認められない自由」 を切り捨て、 「認められる自由」 の実現に、重点を置く
 ※ ① は、 「他者に影響が及ぶ順」 であり、 「制限が強く求められる順」 でもあります。

 

 たとえば、他者に、大きな迷惑を、掛けてしまうケース。
 「思う」 だけなら無害、  「発言」で止まれば、被害はまだ少なく、 「行動」 に移すと、最悪の事態をまねく、恐れもあります。

 「行動」 は、最も、大きな影響を及ぼすだけに、最も、制限されるべき でしょう。
 法律やルールについては、あれこれ悩まず、単純に守ることにしています ・・・ だから、ストレスは、ほとんど感じません。 

 

 「発言」 については、 「行動」 ほど、法律やルールが、明確ではないので、かえって、注意が必要です。
 ここで役立つのが、アドラーの 「横の人間関係」 です。
 常に対等な関係として、相手によって、言い方を変えない、つまり、ワンパターンで、会話をすれば、法を犯すことはありません。
     
ただし、尊敬されたくて、仕方がない相手には、不評かもしれませんが。 

 

 最も、重要なのが、 「思想の自由」 です。
 行動や発言に移さなければ、 「何を思うのか」 は、本来、100%自由です。
 ところが、よくも悪くも、人間は 「何を思うのか」 によって、生き方が変わります。

     さらに、 「課題の分離」 によれば、 「思想」 の選択は、明らかに、自分の課題 なので、真剣に、取り組む必要があります。 

 

 私は、 目的論に沿って、 「いかに幸福に生きられるのか」 を基準に、自分の思想を選択します。
 社会や他人、自分自身の、過去などは、決して、変えられないものです。
     しかし、思想 (思い方や考え方) は、自分自身で、自由に変えられるものです。
 もし、望む人生を、実現させたいのであれば、変更可能な部分に、努力を集中させるべきではないでしょうか。

 

 

8.法律やルールを守る、もう1つの理由      2014.11.14

 

 供の頃は、社会から  「保護」 を受ける代わりに、 「行動の自由」 を制限されます。
 しかし、成長するにつれ、 「行動の自由」 を求めて、周囲との間で、摩擦が起きます。
 この自立までのプロセスにおいて、学ぶべきものが、 「権利と義務の関係」 です。

 社会人として、 自由という 「権利」 を、保障されたければ、社会人として、 「義務」 を果たさなければいけません

 

 法律やルールを守るのは、社会人としての義務です。
 ただし、すべて、100点満点を目指すのは、不可能です。
 そのような人は、この世に存在しない、のではないでしょうか。

 だから、 「重要度」 と 「罰則の有無」 によって、必要最低限で済ませる ことも、あります。 

 

 が、法律やルールを守る理由は、もう1つあります。
     それは、 守るべきことを、守っていた方が、かえって、大きな自由が、実現する からです。
     この事実に、気づいている人は、案外、少ないのかもしれません。       
  「あの人は、法律やルールを、きちんと守る」 という評価が定着すると、人生は、驚くほどスムーズに、進み始めます。 

 

 たとえば、私は、税理士ですが、自分の申告において、ほとんど、節税をしていません。
     自分の節税より、仕事をしていた方が、結果的に、お金もたくさん残る、ということもありますが ・・・

 顧問税理士が、このような姿勢で、申告をしていれば、顧客の皆様も、疑われにくい でしょう。
 そのおかげか、税務調査の回数も少なく、本業に多くの時間を、費やすことができます。 

 

 また、人、自転車、自動車は、それぞれ指定された箇所を通行するから、自由に移動することができます。
 信号も、青色で進み、黄色で止まり、赤色で停車するから、通行することが、許可される訳です。
 もし、世界中をドライブしたいなら、世界各国の交通法規、つまりルールを、守らなければいけません。

     大きな自由を手に入れるためには、小さな自由に囚われない ことでしょう。 

 

 社会のルールも、ゲームや、スポーツのルールと、同じではないでしょうか。
 もし、守らなければ、退場させられることもあります。 
 ルールそのものの変更は、政治や行政が担当していますから、 「課題の分離」 によって、切り捨てています。

 社会の一員であるならば、まずは、 社会のルールの理解に努め、さらに、これを積極的に活用したい ものです

 

 

9.発言は 「求める自由」 より 「求められる技術」      2014.11.18

 

 「発言」 については、法律やルールが、 「行動」 ほど、明確ではないので、かえって、注意が必要です。
 特に、近年は、 「○○ハラスメント」 として、訴えられるリスクも、高まりました。
     相手、場所、タイミング、言い方などを、工夫しないと、善意でかけた言葉も、逆効果になることがあります。

     私が、 アドラー心理学で役立ているのは、 「課題の分離」 と、 「横の人間関係」 です

 

  まずは、 「課題の分離」。
  できる限り、 相手の課題に、踏み込まない ようにしています。
      もし、相談を持ちかけられれば、その部分までは、好意的に進みますが、そこで中断します。
  各人の課題は、それぞれの人が成長するために、必要なものと、考えるので、 「援助」 の範囲内に、とどめておきます。
 

 

 また、 「横の人間関係」 を、基本にしています。
 つまり、どんな人に対しても 「対等」 、言い換えれば 「ワンパターン」 で、接しています。

 年齢、地位、性別、学歴、国籍等に関係なく、一定の礼儀は守ります。
 ただし、相手に悪意があったり、節度のない相手であれば、モードを切り替えますが。 

 

 人間関係を深める上で、コミュニケーションは、最も有効な手段です。
 成功させるためには、相手に、自分のことを、話してもらう必要があります。
 そこで、有効なのが、まず、自分がどんな人間なのかを、相手に、わかりやすく、説明することでしょう。

 自分のことを話さない、単なる聞き上手に徹すると、一方通行の人間関係で、終わってしまう からです。 

 

 ここで、障害になるのが、 「個人情報」 ではないでしょうか。
 「個人情報」 に関して、日本人は神経質すぎると、感じています。

 私の場合、 自分の個人情報のうち、ある程度までは、進んで、明かす ようにしています。
 それが原因で、支障が起きたことは、過去に一度もありません。 

 

 発言に限らず、コミュニケーションにも 「技術」 が問われます。
 年齢を経たにもかかわらず、分別なく話していると、様々な障害を、自ら、招いてしまいます。
 だから、日々改善、創意工夫することです。
     多くの場合、発言方法を工夫すると、見違えるほど、人生が改善される、のではないでしょうか。

 

 

100.自分を責めない      2014.11.20

 

 「何を、どのように思うのか」 は、本来、100%自由です。
 ところが、それによって、生き方、さらには、人生までも、変わってしまいます。

 だから、  「何を、どのように思うのか」 は、自分自身で責任をもって、コントロールすべき もの。
     つまり、非常に重要な  「自分の課題」 と言えます。

 

 世の中には、 20代前半で、人間的な成長が、止まってしまう人 も、少なくありません。
 すると、仕事や人生に対して、有益な意味や価値が、見い出せなくなります。
 その最大の原因は、カントのいう  「未成年状態を脱する」 ことができなかった。
 言い換えれば、  「精神的な自立」 というハードルを、越えられなかったから、ではないでしょうか。
 

 

 「精神的な自立」 の中には、 「自分の人生に対して、自分で責任を持つ」 という意味も、含まれています。
 そのために、欠かせないのが、 「原因論」 から 「目的論」 への転換です。
     原因論的に考えると、過去や周囲の誰か、容姿や学歴のせいで、今の自分はこうなった、と考えます。 
 そうではなく、目的論に沿って、今の自分は、自分自身が選択した結果と、考えましょう。 

 

 すると、原因論と同様、被害者は自分になりますが、一方、加害者も自分自身になってしまいます。
 ここで、自分がダメな人間だと、気づくかもしれませんが、悲観する必要などありません。
 人間、誰しも、このような時期を、通過しているからです。
 さらに、この先に、大きなポイントがあります ・・・ それは、 「自分自身を責めないこと」

 

 失敗に対して、求められるのは、感情的に 「後悔する」 のではなく、理性的に 「反省する」 ことです。
 「自分自身を責める」 のは、 「後悔」 に当たります。
     人間は、一度に、1つのことしか、思ったり、考えることができません。

     だから、 「後悔」 している間は、 「反省」 することができません。 

 

 また、 「後悔」 とは、過去に対するものですから、未来につながる発展など望めません。
 一方、 「反省」 とは、原因を特定して、今後の人生の改善に、役立てるためのものです。

 「後悔」 をやめて、 「反省」 するためには、自分の非を認める、つまり 「目的論」 が、必要不可欠 になります。
 「後悔」 と 「反省」 、何れに、明るい未来が訪れるのかは、明きらかではないでしょうか。

 

 

01.「成功」 の時こそ 「反省」 を怠らない      2014.11.21

 

 「後悔」 しか、知らないと、自分の非を認めることが、ただ辛いもの にしか、感じられません。
 しかも、自分を責め続けると、精神的に疲れて、前向きに生きられなくなります。
 「後悔」 は、百害あって一利なし。
 私は、 「後悔」 しないことにしています。

 

 後悔しやすい人の中にも、さんざん苦しんだあげく、開き直って、後悔しなくなる人もいます。
 しかし、 「後悔しない」 だけでは、ただの無責任な人間 で終わります。
 よい人生など、訪れる訳がありません。
 そこで、必要なのが、 「反省」 です。
 

 

 「反省」 とは、過去の結果を、客観的に分析し、原因を特定して、今後の人生に、生かすためのものです。
 だから、 「反省」 の習慣を持つ人は、失敗と向き合うことに対して、恐怖感を持ちません。
 むしろ、失敗経験を、今後の人生に生かそうと、積極的に失敗を分析します。
 人間誰しも、失敗をしますが、同じ失敗を繰り返さないことです。
 

 

 さらに、反省することによって、敗者復活戦で、成果を挙げることもできます。
 つまり、失敗をマイナスの財産から、プラスの財産に置き換えることができます。

 積極的に挑戦 → 積極的に失敗 → 積極的に反省 → 積極的に再挑戦 → 成功にたどりつく
 これを繰り返すことが、人生の良循環ではないでしょうか。 

 

 また、 「反省」 とは、失敗のみではなく、成功に対しても、求められます。
 失敗すれば、人間は反省しやすく、また、原因も特定しやすいものです。
 逆に、成功すれば、人間は浮き足立ちます。
 だから、成功に対して、懐疑的になるように、努めています
 

 

 さらに、成功の原因ほど、わからないものもありません。
     もし、成功の原因を、正しく特定できなければ、成功を、維持することができません。
 もし、成功の原因の特定を誤ると、次は、大きな失敗が、待ちかまえています。

 だから、 成功した時こそ、より 「反省」 が、求められるのかもしれません。
 

 

 次回につづく。 →  こちらをクリック

続 7 「 嫌われる勇気 」 人生が変わるアドラー心理学  2014-11-23

前回までの内容 → こちらをクリック

 

 

102.「心の自由」 は 「主体性」 で決まる      2014.11.23

 

 「行動の自由」 と 「発言の自由」 は、法律やルールという形で、共同体から、制限を受けます。
 一方、 「思想の自由」 を、制限しているのは、自分自身です。
 人間は、思想によって、生き方、さらには人生さえも、変わるため、制限があって、当たり前です。

 だから、 ポイントは、 「制限の有無」 ではなく 「制限の内容」 にある のではないでしょうか。

 

 私が、考える 「思想に関する制限の内容」 とは ・・・
     ① 自ら主体性を持って 「目的」 を決める
 ② 目的に沿って、自分の意思で、ライフスタイルを変える
     ③ 他者の課題を切り捨て、目的に沿って、自分の意思で、自分の課題を決め、これに全力で取り組む
 

 

 思想に関して、 「制限の内容」 を検討する場合も、まずは、 「① 目的を決定」 すべきではないでしょうか。
 この本に出てきた 「目的論」 によれば、人間は無意識のうちに、目的を決め、それに沿って生きている、という話でした。

 しかし、 今後は、はっきりと意識しながら、自分で目的を決めましょう。
 たとえば、 「幸福な生き方や人生」 が、目的だとしたら、この目的に沿って、② 以下へ進みます。 

 

 次に、 「② ライフスタイルの変更」。
 アドラー心理学では、性格や気質のことを、ライフスタイルといいます。

 若い頃は、両親の影響下、育った環境に適合するように、初期のライフスタイルを、私たちは選択 しています。
 しかし、多くの人は、その後、人間関係も拡がり、異なる環境で、生活するようになります。 

 

 ここで、ライフスタイルも、自分で意識しながら、自分の意思で、変更していかなければいけません。
 ① の目的を、実現させるためには、どのような、ライフスタイルを、選択すべきなのか。
 さらに、「③ 課題の分離と選択」。

 他人の課題を切り捨て、 ① の目的の実現を目指して、自分の課題を選択し、これに全力で取り組まなければいけません。 

 

 この ① 〜 ③ に、一貫するのは、人生に対する主体性です。
 人間の中には、 「他人に嫌われたくない」 など、原始的な 「本能」 が根強く、残っています。
 一方では、人間であるが故の 「理性」 も備えています。

 ここでいう主体性とは、  「理性」 による 「本能」 のコントロール と、私は考えています。

 

 

103.セルフ・コントロールの重要性      2014.11.24 

 

 ハンドルが思うように動かない、ブレーキが効かない、勝手に加速する ・・・ など。
 もし、このような事態が、運転中に発生したら、ドライバーは、 「自由自在に運転している」 と、感じられるでしょうか。
 馬鹿げた質問ですが、間違いなく、 「不自由」 と、感じることでしょう。

 「心の自由」 の問題も、実は、同じ ではないでしょうか。

 

 原因論的に考えれば、心が不自由を感じるとき、他者や環境に、原因を求めがちです。
 しかし、アドラー心理学の実践者は、目的論的に考えます。
 つまり、まず疑問を向けるべきは、自分自身です。

     環境と適合すべき自分自身に、原因がある のではないかと、私は考えます。 

 

 人間が、 不自由を感じるのは、実は、セルフ・コントロールが、うまくいっていない ときではないでしょうか。
 自分の中には、複数の自分がいますが、その中で、一体、誰が主人なのか。
 主人である自分が、その他の自分を、正しくコントロールできているのか。
 この部分が、正常に機能しなければ、全員が乗った車、つまり、人生そのものが、間違った方向へ進みます。
 

 

 自分を構成するメンバーは、少なくとも4人いると、考えています。
 「本能」 「感情」 「理性」 と、 「3者をコントロールする自分」。
 車の運転に例えるならば、 「3者をコントロールする自分」 は、ドライバーに、該当します。
 「本能」 「感情」 「理性」 は、それぞれ、ハンドル、ブレーキ、アクセルなどで、あったりします。
 

 

 セルフ・コントロールの目標として、私は、 「3者のバランスが維持された状態」 を、目安にしています。
 この目標が、絶対的に正しい、とは考えていません。
 行き着いた理由としては、避けるべき 「何れかに偏った状態」 が、自分自身で、認識しやすいこと。
 これまでの経験から、バランスが取れた状態にあるとき、望ましく人生が展開したこと ・・・ などが、挙げられます。
 

 

 アドラー心理学の 「目的論」 によれば、自分に関することは、ほとんど、自分の責任になります。
 しかし、おかげで、自分の人生に対して、主体性を取り戻すことができます。
 その結果、主人である自分が、その他の自分を客観視して、コントロールを目指せるようになります。

 人間は、 セルフ・コントロール (自分自身のコントロール) が、うまくいっているとき、 「心の自由」 を感じられる のではないでしょうか。

 

 

04.「自由」 と 「制限」 の関係      2014.11.29 

 

 「思想の自由」 つまり 「心の自由」 が、 「行動の自由」 や 「発言の自由」 と、大きく違う点。
 それは、唯一、自分で 100% 決定できる点です。

 だから、 「心の自由」 を実現させることは、生涯、取り組むべき、大きな 「自分の課題」 と言えます。
 その有効な方法として、セルフ・コントロールを、ご紹介しました。

 

 セルフ・コントロールによって、 「心の自由」 を実現させると、その部分で大きく満たされます。
 すると、 共同体から受ける 「行動の制限」 や 「発言の制限」 を、すんなり受け入れられる ようになります。
     私は、50代半ばになっても、未だに、衰えることなく、 「心の自由」 を、追求しています。
 実は、その実現と同時に、社会のルールや、法律を守ることに対して、ストレスも減少しつつあります。
 

 

 逆に、セルフ・コントロールが、うまくいっていない状態。
 たとえば、本能、感情、理性の、何れかに偏った状態や、本能、感情、理性の、何れかが暴れている状態。
 このような状態で、 「心の自由」 を求めると、どうなるのでしょうか。

 たぶん、 共同体から受ける 「行動の制限」 や 「発言の制限」 に対して、強い反発を覚える のではないでしょうか。 

 

 その結果、周囲の人と、無用な摩擦が生じるかもしれません。
 それが原因で、社会活動において、十分な成果が得られないことも、予想できます。

 もし、 この状態で、社会のルールや法律に、従ったとしても、 「我慢」 が必要になるため、ストレスが残ります。
 だから、成功したとしても、長続きしないのではないでしょうか。 

 

 人間は、他者から、制限を受けると、ストレスを抱えます。
 また、もし、 制限を受け入れたとしても、そこに妥協や我慢があると、やはり、ストレスを抱えます。
 だから、 「行動の制限」 と 「発言の制限」 について、自分自身で、その意味を理解して、進んで守る、必要があります。
 そのためには、社会や人生に対して、理解を深める、つまり、人間的に成長することではないでしょうか。
 

 

 日常、不愉快なことが多い人は、たぶん、セルフ・コントロールが、うまくいっていません。
 また、 嫌われないために 「我慢」 することを、セルフ・コントロールと、勘違いしている かもしれません。
 アドラー心理学は、精神的自立のための心理学、でもあります。
 ぜひ、この本を読まれ、セルフ・コントロールの改善を、進めていただきたいものです。

 

 

05.「横の関係」 で、手に入る 「心の自由」      2014.11.30 

 

 セルフ ・ コントロール力を、高めるにあたり、さらに重要なのが、価値観です。
 なぜなら、何を決める場合でも、自分の価値観が、基準になるからです。

 もし、 価値観に問題があると、セルフ・コントロールに、いくら力を入れても、不満足な結果に終わります。
 だから、自分の価値観を、客観的に見直す必要があります。

 

 その際、 注目すべきは、未成年期に刷り込まれた、偏見や先入観 ではないでしょうか。
 その多くは、家庭を中心に、育った環境などから、影響を受けたものでしょう。
 アドラー的に言えば、本人が自分で選択して、刷り込んだことになりますが ・・・
 特に、自己愛の強い親は、子供を支配する目的で、自分に都合のよい価値観を、子供に刷り込むものです。 

 

 その中で、最も有害なのは、他人に対するものでしょう。
 たとえば、学歴、職業、家柄、生い立ち、出身地域、国籍などに対して、偏見を持つ人たちがいます。
     相手の人格や能力を、検討することなく、表面的に、他人を差別します。

 対人関係に対する 「偏見」 の根底には、アドラーの指摘する 「縦の関係」 がある のではないでしょうか。 

 

 「縦の関係」 を持つ人は、自分の偏見を基準に、他人を上下に分けます。
 自分が見上げる人を、崇拝し、見下げる人を、さげすみます。
 このように、他人に関心が強いのは、依存しているからかもしれません。

 その結果、 対人関係に、無用な緊張感や、争いごとが生まれる など、これが不自由を感じさせる原因にもなります。 

 

 解決方法としては、 アドラーの提唱する 「横の関係」 を、頭の中に、たたき込む ことでしょう。
     私の場合、 「横の人間関係」 を徹底し、しかも、接し方は、誰に対しても同じ、つまり、ワンパターンです。
 お世辞やヨイショには、無縁ですが、相手に対して、一定の礼儀だけは、わきまえます。
 これが原因で、親しい間柄では、冷たいと思われたり、尊敬されたくて仕方のない人には、嫌がられるかもしれませんが。 

 

 人間が、 心に不自由を感じる、おもな原因は、対人関係から、発生している のではないでしょうか。
     だからと言って、常に上下を意識していると、自分の心も、不自由きわまりありません。
 一方、ワンパターンであれば、いつ、どこで、誰に見られても、同じなのですから、表裏に気をつかう必要もありません。
 「これでダメな相手とは、縁がなかった」 と、割り切れば、かなり大きな自由が、手に入ります。

 

 

6.「人生のための時間」 を確保する      2014.12.05 

 

 「心の自由」 を拡大するために、私は、時間の使い方にも、取り組んできました。
 なぜなら、時間の使い方によって、自分が感じる 「心の自由さ」 が、大きく異なることに、気づいたからです。
     その中で、最も有効と考えられるのが、 「生活のための時間」 と 「人生のための時間」 の区分です。

 ポイントは、 前者に追われることなく、後者を充実させる ことにあります

 

 世の中には、常に、忙しくなければいけないと、考えている人もいます。
 ある人は、忙しくなければ、充実した人生ではないと、考えているのかもしれません。
 ある人は、暇になると、悪いことを、想像してしまうため、不安から逃れるために、そうしているのかもしれません。

     しかし、その時間の 多くは、 「生活のための時間」 、あるいは 「意味のない時間」 ではないでしょうか。 

 

 人生を旅にたとえると、進むのは、 「生活のため」 と言えます。
 しかし、目的地、コース選択、移動方法、自分の状態、道路状況、経過時間、到着期限 ・・・ などの、確認も必要です。
 これらは、旅全体を決定づける、重要な要因です。

 人生に話を戻すと、 人生全体を決定づける、 「人生のため」 の重要課題について、本来は、じっくり検討すべき でしょう。 

 

 だから、 人生について、見つめ直す時間を、定期的に、確保すべき です。
 日常を離れ、一人になって、自分自身と、向き合わなければいけません。
 さらに、自分の思考や行動の基準である、価値観を高めるための勉強をする。
 一方では、せっかくの人生ですから、心から楽しむことも、忘れてはなりません。
 

 

 人生の目標、生き方、達成方法、自分の現状、周囲の環境、人生計画などを、自分で考える習慣をもつ。
 すると、 自分で、人生をコントロールしている、という感覚が、持てるようになります。
 つまり、人生に対して、主体性を取り戻すことができます。
 その結果、心が自由だと、感じられるようになります。
 

 

 40代後半、1日のうち、14時間を、仕事 (生活のため) と、勉強 (人生のため) に充てました。
 比率は、7:7です。
     もし、14時間すべて、仕事に充てていたら、精神的に疲れ果てていたにちがいありません。

 このような時間を、確保するようになって以来、私は、活力を取り戻すとともに、心も落ち着く ようになりました。

 

 

07.「時間の使い方」 をチェックする      2014.12.07 

 

 朝、起きてから、夜、眠るまでの間、自分は、どのような時間の使い方 をしているのか。
 1週間程度、記録してみると、よいのではないでしょうか。
 その時間を、次の3つに分けて、集計してみましょう。
 ① 人生のための時間  ② 生活のための時間  ③ 意味のない時間

 

 たとえば、一口に 「仕事をしている時間」 と言っても、実は、 ① 〜 ③ に、分けることができます。
 「① 人生のための時間」 とは、今後の発展につながることをしている時間 のことです。
 もし、失敗をしても、お金を失っても、未来につながる時間は、この中に含まれます。
 また、今の自分の状態 (能力や環境) や、仕事の内容を、客観的に見直す時間も、人生のための時間と言えます。
 

 

  「② 生活のための時間」 とは、お金のためや、保身のために、仕事をしている時間 のことです。
 そこには、 「仕事や人生」 を客観的に見直すという、観点がありません。
 盲目的に、昨日と同じ仕事を、繰り返しているため、変化についていけません。
 仕事そのものに対する喜びにも、乏しいと言えます。
 

 

 「③ 意味のない時間」 とは、未来への改善にも、つながらなければ、生活のためにもならない時間 のことです。
     残念ながら、このような時間が、 100% なくなることは、ありません。
 仕事であっても、ある程度は、許容しなければならないものです。
 なるべく、減らしたいものではありますが。
 

 

 若い人が、自分探しにかける時間は、一見、 「① 人生のための時間」 のように思えます。
 しかし、人生経験が乏しい中、頭だけで考えても、正解にたどりつく可能性など、限りなくゼロに近いでしょう。
 すると、自分探しの時間は、 「③意味のない時間」 になってしまいます。

 若い人は、自立と人生経験が目標ですから、 「② 生活のための時間」 の割合が、 80% 以上でもよい と考えられます。 

 

 しかし30代以降は、意識的に 「① 人生のための時間」 を、設けましょう。
 就職後の最初のステップが終わり、次のステップへ進むために、新たな目標が、必要になるからです。
 この時期を、安易に過ごすと、一生、 「変われない自分」 が、定着しがちです。
 その結果、定年退職までの、長い年月、 「生活のため」 だけに、つまらない時間を、延々と過ごすことになります。

 

 

8.「課題の分離」 で、他人事を切り離す      2014.12.08 

 

 29歳のとき、アインシュタイン博士の言葉にヒントを得て、考え方や、生き方を変えました。
 その後、試行錯誤しながら、構築してきたものが、アドラー心理学の内容と、ほぼ一致していました。
 時間の使い方も、この29歳を境に、大きく変わっています。

 最も大きく貢献したのが、アドラー心理学で言えば、 「課題の分離」 です。

 

 それまでは、毎晩のように、仕事が終わると、友人や同僚と、飲みに出かけていました。
 また、 「課題の分離」 ができておらず、他人事にも、首を突っ込んでいました。
 お節介な人は、しばしば、自分のことが疎かであったり、成長が止まっているものです。
     私も、その部類だったと、思います。
 

 

 「課題の分離」 ができない人のうち、迷惑なタイプは、おおむね、次の3つ に分かれます。
 ① 「他人の課題」 を、 「自分の課題」 と勘違いして、介入してくる
 ② 「自分の課題」 を、 「他人の課題」 と勘違いして、自分で負わない
     ③ ① と ② の両面を、あわせもつ
 

 

 「課題の分離」 ができるかどうか、その前後で、人間関係が変わります。
 「課題の分離」 ができないうちは、同じような人たちと、非生産的な時間を過ごすため、成長できません。
 「課題の分離」 ができるようになると、他人との付き合いは、あっさりしたものになります。

 問題は、 「課題の分離」 に、取り組み始めた段階 です。 

 

 周囲の人たちから、 「冷たくなった」 「付き合いが悪くなった」 と、非難されるかもしれません。
     しかし、これは、避けて通れない道なので、一切、気にする必要はありません。
 とにかく、 「自分の課題」 に、全力で打ち込むことです。

     もし、付き合うのであれば、同じように、 「自分の課題」 に、全力で打ち込んでいる人 を、選びましょう。 

 

 「自分の課題」 に取り組む時間は、少なくとも、 「意味のない時間」 ではありません。
 私は、29歳まで、他人事に費やしていた膨大な時間を、 「課題の分離」 によって、自分のために使うようになりました。
 心から自由だと、実感するとともに、人生そのものが、とても楽しくなりました。

 かつての私と同様、他人事にわずらわされている人は、 「課題の分離」 に、取り組まれてみては、いかがでしょうか。

 

 

09.「他人の自由」 を認める      2014.12.10 

 

 トレード・オフの関係とは、 「何かを得ると、何かを失う」 という関係 を言います。
     たとえば、製品の品質を上げると、コストも上がり、低価格が維持できなくなるケース。
 企業は、 「品質」 「低価格」 の何れかを選択することになり、妥協点を見出すことになります。
 その妥協点によって、市場における製品のポジションが決まります。

 

 反アドラー的な考え方を持つ人は、他人と自分を比較しやすいものです。
 すると、 人間関係にも、トレード・オフ的な考え方 を、用いがちです。
 たとえば、Aさんが得をすると、自分は損をする。
 Aさんが幸せになると、自分は不幸になるなど。
 

 

 自由についても、Aさんが自由になると、自分は不自由になると、考えるのかもしれません。
 だから、Aさんはこうあるべきだと、Aさんに対して、強い要求 を持ち続けます。
 もちろん、 「課題の分離」 もできていません。
 ところで、この考え方自体が、自分を不自由にさせている ・・・ のではないでしょうか。
 

 アドラーの影響を受けたと言われる、スティーブン・R・コヴィーの名著 「7つの習慣」 。
 この中には、いくつかの、人間関係が紹介されています。
 「Win−Loseの関係」 とは、自分が利益を得て、相手が損失を受ける関係。
 「Lose−Winの関係」 とは、自分が損失を受け、相手が利益を得る関係。
 

 

 これらは、トレード・オフ的な関係と、言えるのではないでしょうか。
 最悪の関係は、やはり、お互いに損失を受ける 「Lose −Loseの関係」 です。
     日本では、腐れ縁と呼ばれるものでしょう。

     目指すべきは、残る 「Win−Winの関係 (お互いに利益を得る) 」  しかありません。 

 

 これを、 「自由」 に当てはめると、相手の自由を認めることしか、自分の自由の実現ににつながらない ことが、わかります。
 つまり、相手を縛らないのと同時に、相手にも縛られない。
 そのためには、 「課題の分離」 とともに、相手を 「信頼」 しなければいけません。
 相手を信頼するためには、裏切られても、傷つかない強さと、人を見る目が、求められます。

 

 

10.自分は 「自分がこうあるべき」 だけを追求する      2014.12.11 

 

 子供のころから、自由な考え方をする方でした。
 さらに、行動力もあったため、年長者と対立することも、しばしばでした。
 しかし、それでも、固定観念や先入観に、縛られていたようです。

 当時は、 他人に対して、 「こうあるべき」 などと、思っていました。

 

 この本の中には、次のようなことが、書かれていました。
     他者の願望を、満たすような生き方を、してはならない。
     なぜなら、他者の人生を、生きてしまうから ・・・ と。
 実は、これだけでは、いけません。
 

 

 自分の人生を生きるためには、さらに、どうすべきなのでしょうか。
 それは、 自分のことや、自分の課題について、一所懸命、追求して、それを実践に移す、 必要があります。
 具体的には、自分のことを知り、セルフ・コントロールして、自分の能力を伸ばし、共同体に対して、貢献すること。
 最終的には、 「社会貢献のための自己実現」 に、行き着くはずです。
 

 

 だから、他人に対して、 「こうあるべき」 と、思う余裕など、ないはずです。
 それ以前に、自分を、何とかしなければいけません。

 他人に対して、 「こうあるべき」 と、思うこと自体が、実は、他人の人生を生きている。
  つまり、他人に縛られて、自分の人生を生きていない、ことになります。 

 

 「課題の分離」 から、アプローチしても、他人に対して、 「こうあるべき」 は、間違いです。
 そこには、相手が、自分の望む存在、であって欲しい。
 つまるところ、相手を支配したい、という願望が、存在しています。

     相手の人生を尊重せず、相手の存在を独立したものとして、認めていません。 

 

 私は、今、心から、 「その人は、その人の人生を、自由に生きればよい」 と、思えるようになりました。
 ただし、社会のルールの範囲内で、他人に迷惑さえかけなければ、という条件付きですが。
 そして、さらに、続きがあります。

 それは ・・・「私も、自由に、生きさせてもらいますから」 。

 

 

1.劣等感いろいろ      2014.12.14 

 

 「他人」 と 「自分」 との、比較から生じるのが、不健全な劣等感。
 「理想 (目標) の自分」 と、 「現実の自分」 との、比較から生じるのが、健全な劣等感。
 何れにしても、劣等感を抱きつづけるのは、辛いことです。

 人間は、どのようにして、劣等感から、逃れようとする のでしょうか。

 

 このブログでは、あえて、このテーマに触れずに、省略しました。
 なぜなら、生産的ではないからです。
 「何が悪いのか」 を追求すると、しばしば、そこに囚われ、そこで終わる恐れがあるからです。

 それよりも、 「何がよいのか」 を示して、さっさと前進すべき、 と考えたからです。 

 

 今回は、 「心の自由」 の観点から、このテーマに、触れてみましょう。
 人間が、劣等感から逃れる場合、 「A.健全な方法」 と 「B.不健全な方法」 の、2つがあります。

 「A.健全な方法」 とは、努力によって、劣等感を克服する ケースです。
 この本にも、例示されていますが、 「学歴が低いから、人の何倍も努力しよう」 などが、それに当たります。 

 

 一方、 「B.不健全な方法」 は、3つ、紹介 されています。
 ① 劣等コンプレックス ・・・ 劣等感を言い訳に使用する = 「もし学歴が高ければ、自分は成功した」
     ② 優越コンプレックス ・・・ 偽りの優越性に浸る = あたかも自分が優れているかのように振る舞う
     ③不幸自慢 ・・・ 自分の不幸を自慢する = 「あなたには、私の気持ちなどわからない」
 

 

 「A.健全な方法」 と 「B.不健全な方法」 とは、私が勝手につけたネーミングですが。
     ① 〜 ③ の 「B.不健全な方法」 が、よくないのは、当たり前と言えます。

     実は、 「A.健全な方法」 も、手放しで、よいとは言えない と、私は、考えています。
 たとえば、劣等感を克服して、努力の結果、名声を得た人が、すべて 「心の自由」 を得たとは、限らないからです。 

 

 劣等感がある → ひたすら努力する → 成功して克服する → しかし 「心は不自由」
     これでは、何のための努力だったのか、わかりません。
 その原因は、どこにあるのでしょうか。
 次回は、努力による 「劣等感の克服方法」 の落とし穴について、お話しします。

 

 

2.劣等感をバネにしない      2014.12.15 

 

 劣等感を、努力によって、克服するのは、むしろ望ましいと、この本には書かれています。
 たとえば ・・・ 劣等感があるから、人の何倍も努力しよう。

     その結果、 有名大学を出て、官僚やエリート社員、医師や学者、弁護士などになった人たちが、果たして全員、幸せでしょうか。
 反対に、高学歴でもなく、普通の人生を送る人たちが、果たして、全員、不幸でしょうか。

 

 「心の自由」 という観点において、 「幸福」 と 「不幸」 を、分ける点は、他にある と考えています。
 それは、 「他者貢献」 の意識があるかどうか。
 さらに 「他者貢献」 の意識は、対人面において、 「横の関係」 に存在します。
 反対に、 「縦の関係」 には、 「他者貢献」 の意識は、存在しません。
 

 

  「縦の関係」 には、必ず 「他人との比較」 が、前提としてあります。
  「他人との比較」 は、 「他人との競争」 を生み、競争には、必ず、勝者と敗者がつきものです。
 自分は敗者になりたくないし、かと言って、勝者になっても、勝ち続ける必要があります。

 最終的には、他人を敵と見なすため、一生、気が休まらず、 「心の自由」 を手にすることはありません。 

 

 だから、 「縦の関係」 のまま、劣等感を克服しようとしても、幸福にはなれません。
 努力の動機が、 「他者貢献」 ではなく、 「優越性の追求」 や 「我が身の保身」 になるからです。
 たとえば 「優越性の追求」 の場合、世の中には、上には上がいるため、いつまでたっても、ゴールが見えてきません。

     人生の最後まで、他人との比較に追われ、心は不自由きわまりない と、言えます。 

 

 「他人」 と 「自分」 との、比較から生じるのが、不健全な劣等感。
 「理想 (目標) の自分」 と、 「現実の自分」 との、比較から生じるのが、健全な劣等感。
      原点は、ここにあるのではないでしょうか。                                          

 だから、 「縦の関係」 のまま、 「不健全な劣等感」 を、努力によって、克服しようとするのは、間違い です。 

 

 もちろん、劣等感をバネに、努力して、成功するのは、素晴らしいことです。
 しかし、努力するからには、心から幸福になり、さらに、それが続かなければ、意味がありません。
 もし、劣等感をバネに、すでに努力を始めているとしたら、どこかで、考え方を変えることです。

 「横の関係」 を構築し、共同体のメンバーとして、他者に貢献する ことです。

 

 

3.悪魔に魂を売った人たち      2014.12.16 

 

 「横の関係」 を受け入れることなく、 「縦の関係」 のまま、強い上昇志向を持ち続けると、どうなるのでしょうか。
      頭の中は、他人との比較、つまり相対評価に支配され、他者承認を、貪欲に、求め続けることでしょう。

 この生き方の頂点を目指す人たちは、人生前半、理想的な人間を演じて、他者から賞賛 を、勝ち取ろうとします。
      表から見えるのは、理想的な 「仮の自分」 であり、あるがままの 「本当の自分」 は、裏に隠してしまいます。

 

 これが原因で、「本当の自分」 は、成長することなく、幼い状態のまま、放置 されます。
 一方、表にある 「仮の自分」 は、賞賛を受け続けます。
     何れが本当の自分なのか、次第に、わからなくなるのではないでしょうか。
 このように、根深い本能に身を任せ、自分にさえ嘘をつき続ける人たちのことを、私は 「悪魔に魂を売った人」 と、呼んでいます。
 

 

 やがて、人生が下り坂に差し掛かると、思うように賞賛が、得られなくなります。
 すると、彼らは、別人のように、傲慢に振る舞い、自らの欲望を満たそうとします。

     裏に隠れていた、未熟な 「本当の自分」 が、姿を現しただけなのですが、周囲からは、性格が一変 したように見えます。
 ただし、これだけなら、迷惑をこうむるのは、周囲の人たちだけです。 

 

 さらに、幸か、不幸か、人間は、自分を基準に、他人を判断する傾向にあります。
 つまり、正直者は 「他人も正直」 と思い、嘘つきの人は 「他人も嘘つき」 と、考えがちです。
 裏表を使いわけた人は、周囲がいくら正直者ばかりでも、決して、心を許すことができなくなるようです。

 晩年、力が弱ると、 強い猜疑心に襲われ、やがて神経が消耗し、向精神薬漬けになって、自滅 していく人もいます。 

 

 他人から、学ぶべきことは、よい面ばかりでは、ありません。
 悪い面があれば、反面教師として、学べばよい 訳です。
     さらに、親族や旧友とは、長く親しく付き合うため、これらの人たちからしか、学べないこともあります。
 その一生を通じ、内面を洞察すれば、何が真実なのかを、知ることができるかもしれません。
 

 

 私は、 このような人たちに、わずらわされつつも、そこから学びました。
 おかげで、他者比較、他者承認、他者操作、名誉や権力とは、縁のない世界で、生きています。
     できる限り、シンプルに、正直でありたいと、考えています。
 この意に沿うのが、アドラー心理学であり、この本をきっかけに、ますます、魅力を感じるようになりました。

 

 

4.「秀吉の夢」 と 「信長の夢」      2014.12.17

 

 悪魔に魂を売る人たちは、人生の前半、理想的な人物を演じます。
 本物との違いは、どこにあるのでしょうか。

 それは、 「本当の自分」 が 「理想の自分」 に近づくプロセスにおいて、精神的な葛藤があったかどうか、 ではないでしょうか。
 その部分を、省略すれば、理想的な人物に、早急に変身することも、可能でしょう。

 

 それでは、なぜ、安易に、理想的な自分を、演じてしまうのでしょうか。
 それは、 「他者承認」 など、強烈な本能的欲求が存在し、それを満たすため、なのかもしれません。

 アドラーも、本能に流される生き方は、奴隷であって、自由な生き方ではない と、述べていました。
 本能、感情、理性は、何れも、自分の人生を幸せに導くための手足であって、主人ではないはずです。 

 

 それが原因か、理想的な人物には、似つかわしくない、卑劣な一面も、時折、見せてしまいます。
     正体を見破る者がいると、憤慨し、猛烈に、攻撃を仕掛けてくることもあります。

 晩年に苦しむのは、本当の自分を放置したことに対する、天罰 かもしれません。
 自分の中の、未熟さと対峙せず、目先の成果だけを、追い求めた結果、自分自身をコントロールできなくなったのでしょう。 

 

 あくまで、私の想像の域に過ぎませんが、歴史上の人物の中では、豊臣秀吉が、このような生き方をしたのではないか、と考えています。
 家臣時代までは、理想的な人物でしたが、天下人になった後は、被害妄想に襲われ、多くの弱者の命を奪っています。
     また、自分の子供の将来ばかり案じるなど、武士らしからぬ、亡くなり方を、しています。
 現代で言えば、総理大臣が、国民そっちのけで、身内の将来ばかりを、案じているのと同じです。
 

 

 それでは、溺愛された息子の秀頼は、どんな人生を送ったのでしょうか。
 好青年ではありましたが、戦国武将として、生命力に欠け、大阪夏の陣で、悲惨な最期を遂げています。

 子供を支配したい親は、自分の都合で、子供を過保護に育てますが、それが、子供を不幸にする こともあります。 
 それでも、秀吉の天下統一が、大事業であったことに、変わりはありませんが。 

 

 「露と落ち、露と消えにし、我が身かな、浪 (なにわ 大阪のこと) のことも夢のまた夢」
     これは、秀吉の辞世ですが、自己愛の強い人らしく、最後まで自分を憐れみ、夢という言葉で、綺麗に演出しています。
 「人生五十年、下天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり、一度生を受け、滅せぬ者のあるべきか」

     こちらは、信長が好んだ敦盛の一節、同じ 「夢」 でも、人生に対する、強烈な主体性と現実感には、大きな開き があります。

 

 

115.「優秀さ」 は、何で決まるのか      2014.12.19 

 

 以前、お話ししましたが、 私は、次の3名の著名人に、共感しました。
     アルフレッド・アドラー        (心理学者 1870〜1937)
     アルベルト・アインシュタイン     (物理学者 1879〜1955)
     ピーター・F・ドラッカー        (経営学者 1909〜2005)

 

 共通するのは、 「オーストリア生まれ」 のみと、お伝えしました。
     しかし、その後、それ以外に、大きな共通点が見つかりました。

 それは、 ユダヤ人であること。
 また、ナチスの迫害を逃れて、晩年を、米国で過ごしていることです。 

 

 偶然ですが、私はこの本の後、加瀬英明著 ユダヤ人の知恵 を読みました。
 その中で、 「考え方の重要性」 について、心底、自覚することができました。
     成功するかどうか、優秀であるかどうか、幸福になれるかどうか、豊かであるかどうか、賢明であるかどうか。

 これら 人生の重要事は、人種、遺伝、出身等によるものよりも、 「考え方」 が大きく影響する ことがわかりました。 

 

  ご存じのように、ユダヤ人は、世界で最も優秀な民族、ではないでしょうか。
     ノーベル賞受賞者数をはじめ、政治、経済、科学、芸術など、幅広い分野で、驚異的な成果を挙げています。
 それでは、ユダヤ人とは、どのような人をいうのでしょうか。

 ユダヤ人とは、ユダヤ教の教えに基づいて、生きている人 のようです。 

 

 つまり、 「人種」 では、ありません。
 ユダヤ国家は、紀元70年に、ローマ軍によって滅ぼされ、ユダヤ民族は、世界各国に分散させられました。
     その後、世界各国の人種と婚姻し、現在は、様々な言葉、肌の色、外見を備えています。

 しかし、 未だに、その優秀さは、衰えていません。 

 

 その 優秀さを決めているのは、ユダヤ教の 「考え方」 や 「生活習慣」 など でした。
 私は、ユダヤ人が、どのような考え方をするのか、非常に興味を持ちました。
 本来は、 「タルムード」 と呼ばれる、1万頁以上の書物を、理解しなければいけませんが、それは、一生、不可能でしょう。
     次回は、 「お金と自由」 との関係について、現在、私の知る、ごくわずかな範囲内で、お話しします。

 


  C.お金に精通する

 

 

16.「お金」 が、もたらす自由      2014.12.22

 

 お金は、しばしば、私たちに自由を提供 してくれます。
 料金を支払って、バスや電車に乗れば、楽に、移動することができます。
 その間、暑さ寒さをしのぎながら、本を読んだり、空想にふけったり、居眠りをすることもできます。
 歩くよりも、時間が短縮できるため、自由時間も増えるし、より遠くへ、出かけることも可能になります。

 

 しかし、命よりもお金が大切になると、寿命を縮めます。
 お金が、他人よりも大切になると、他人を利用したり、他人を信じられなくなります。

     さて、 ユダヤ人は、お金に対して、どのような考え方をする のでしょうか。
 この先も、加瀬英明著 ユダヤ人の知恵を、参考にしましょう。 

 

 仏教や、キリスト教では、もともと、 「お金は汚いもの」 と、考えました。
 これにより、かつては、日本でも、 「清貧 (せいひん 経済的に貧しくとも、心が清い状態) 」 を、尊びました。
 1980 年代、質素倹約で有名だった、土光敏夫さん (臨時行政調査会会長) の、夕食のおかずも、メザシでした。
 実は、あのメザシ、1 本、千円だったという噂も、ありますが。
 

 

 ところが、ユダヤ教では、 「清貧」 を善とは、しません。
     金銭欲を否定しないため、お金儲けを、卑しいものと考えず、お金そのものも、非常に大切 にします。
 また、一方では、週に 1 日、お金のことから、解放される日を設け、家族と過ごしたり、自分や人生について、考えるそうです。
 一週間を 7 日と定め、休日を設けたのも、紙幣を考案したのも、ユダヤ人なのだそうです。 

 

 結論から言うと、ユダヤ人は、お金に対して、精通しています。
 お金がもたらす、利益も、害も、知り尽くした上で、人生に役立てている、 と言えます。
 使われるのではなく、あくまで、使う。
 つまり、お金に対しても、強い 「主体性」 を、発揮しているようです。
 

 

 お金は、人生の良薬にもなれば、猛毒にもなります。
 何れにするのかは、自分次第であり、どの程度の大金まで、正気を維持できるのかも、自分次第です。

 やはり、 ユダヤ人のように、お金に対して、精通することが、賢明 ではないでしょうか。
 私は、宝くじを買いませんが ・・・ もし、宝くじに当たったら、どこかに寄付して、前日までと、同じ生活を続ける予定です。 
 

 

 次回につづく。 →  こちらをクリック

続 8 「 嫌われる勇気 」 人生が変わるアドラー心理学  2014-12-23

前回までの内容 → こちらをクリック

 

 

117.アドラーとお金の関係      2014.12.23

 

 「嫌われる勇気」 しか、読んでいないと、アドラーとお金が、結びつくことは、ないでしょう。
 しかし、アドラーも 「お金に精通したユダヤ人」 だったはずです。
 同じ、オーストリア系ユダヤ人の、アインシュタイン博士も、勤務先として、報酬の高い大学を、望んでいました。
 どんなに立派な偉人であっても、生活者であることに変わりはなく、お金との関係を、切り離して、考えることはできません。

 

 ここで、 「嫌われる勇気」 の後、お勧めする本 を、ご紹介します。
     中野明著 勇気の心理学 アルフレッド・アドラーが1時間でわかる本です。
 なぜ、この本がよいのかと言うと ・・・
 「嫌われる勇気」 が、ベストセラーになったことを前提に、異なる角度から、書かれているからです。 

 

 実は、中野さんの本には、ずいぶん、助けられています。
 ドラッカー、ポーター、クリステンセン、シュンペーターなど、難解な理論は、中野さんの本を通じて、理解を深めました。

 難解、かつ複雑な理論を、わかりやすく、単純に説明 する才能に、大変、恵まれた方です。
     この本も、その長所が、いかんなく発揮されています。 

 

 「嫌われる勇気」 に、書かれていない内容の1つとして、アドラー渡米後の生活が、紹介されています。
 1929年、アドラーは、米国永住を決意します。
 その後、アドラー心理学は、米国で、大人気となります。

 1930年代半ばには、 全米で最も高収入の講演家として、お抱え運転手付きの高級車で、移動 していたそうです。 

 

 講演料は、聴衆と主催者にとっては低く、講演者にとっては高く、あって欲しいものです。
 アドラー講演料の高騰化には、アドラー自身の希望も、強く反映 されていた、にちがいありません。
 お金は汚いものではなく、人生にとって、非常に大切なものです。
 だからこそ、 「お金と自由」 の関係について、正しく理解し、人生に役立てたいものです。 

 

 以前、ご紹介した、加瀬英明著ユダヤ人の知恵には、ユダヤ人のお金に対する考え方も、書かれています。
 また、 ユダヤ商法についても、簡単に説明 されています。
 興味のある方は、ぜひ、ご一読ください。
 下手なマーケティング本や、儲け本より、はるかに役立つことでしょう。

 

 

18.「かせぐ」 「つかう」 「ためる」      2014.12.25 

 

 お金と、上手につきあえば、私たちは、心身ともに、多くの自由を、手にすることができます。
 しかし、 お金に囚われすぎると、主従関係が逆転し、お金の奴隷 になってしまいます。
 健全な関係を維持するためには、お金に対しても、強い主体性を発揮すること。
 つまり、お金に対して、精通し、使いこなすことです。

 

 そのためには、まず、自分自身の現状について、次の3点から、客観的に評価してみましょう。
 「① かせぐ」 「② つかう」 「③ ためる」 。
 さらに、お金を、 「金額」 と 「内容」 に分けて、検討する。
 そこから導き出した方法を実践し、結果と状況に応じて、改善を続けることでしょう。
 

 

 お金を 「金額」 から検討すると、その公式は、いたって、シンプルです。
 「① かせぐお金 ≧ ② つかうお金」 、一生を通じて、これなら、OKでしょう。
 ただし、老後は収入が減るため、 「① かせぐお金 ≦ ② つかうお金」 になります。
 だから、現役時代は、 「① かせぐお金 − ② つかうお金 = ③ ためるお金」 を、増やしておく必要があります。
 

 

 お金に対する執着は、 「不足している」 という感覚から、生じるものではないでしょうか。
 実際に不足している場合は、 「① かせぐ」 を増やすか、 「② つかう」 を減らす しかありません。
 収入のコントロールが難しい、主婦やサラリーマンの方は、後者の方法に偏りがちです。
     何れにしても、実際の状態と、自分の感覚が、ほぼ一致している場合は、健全と言えます。
 

 

 しかし、実際には不足していないのに、お金に対して、強い執着をもつ 人も、少なくありません。
 過剰な 「浪費癖」 をもつ人の中には、自分でつかうために、他人から奪うことに、熱心な人もいます。
 過剰な 「貯蓄癖」 をもつ人の中には、心の底に人間不信があり、人よりお金といった信念を、明確にもつ人もいます。
 どちらも、自己愛の強いタイプで、精神的に不健全であり、お金との主従関係が、逆転しています。 

 

 「① かせぐ」 「② つかう」 「③ ためる」。
 バランスよくいきたいと ころですが、 人間誰しも、何れかに偏ったり、苦手としている ものです。
 まずは、自分自身のことを、よく知って、実際にお金が不足していたら、生活態度を見直す。
 お金に対して 「不足している」 という感覚が過剰であれば、考え方を見直すべきではないでしょうか。

 

 

9.お金を 「内容」 から、検討する      2014.12.27 

 

 金について、さらに、 「内容」 から、検討してみましょう。
  「① かせぐお金」 が、不労所得だけの場合、生活は保障されますが、人生の充実感は、今ひとつ です。
 なぜなら、共同体に対する 「貢献感」 と 「所属感」 が、得られにくいからです。
 このような理由で、私は、不労所得に対して、まったく興味がありません。

 

 逆に、共同体に対する 「貢献感」 と 「所属感」 が、得られやすいのは、 「労働」 です。
  「嫌われる勇気」 にも、働く資産家が、例として、紹介されていました。
 特に、少人数の職場では、1人の存在が、重要視されるものです。  

 また、 労働に携わっていると、様々な成長の機会に、出会う こともできます。 

 

 また、お金を 「① かせぐ」 方法として、 他人を欺いたり、反社会的な仕事も、よくありません。
 金額の大小にかかわらず、やめることです。
 このような仕事は、共同体に対して、損失を与えるものです。
 動機は利己的なものであり、共同体に対する 「貢献感」  「所属感」 とは、正反対のものと言えます 。
 

 

 「② つかうお金」 については、内容を区分すること。
 お金の使い方には、 「投資」 「消費」 「浪費」 があります。
  「投資」 とは、将来のためになる支出や、心を豊かにするための支出。
  「消費」 とは、生活に必要なものに対する支出であり、 「浪費」 は避けるべき支出のことです。
 

 

 若い頃は、 「③ ためるお金」 を気にせず、どんどん、自分に「投資」すべき です。
 私は、50 代半ばですが、過去数年間を振り返ると、毎年、 18 〜 45 万円の本を、購入しています。
 アドラーは、亡くなる直前まで、人間は生まれ変われると、言いました。
 つまり、生きている限り、成長できるということです。
 

 

 一方、 「③ ためるお金」 について、私に語る資格が、あるのかどうか。
 あくまで、一般論としては、貯蓄があると、もしものときに、備える ことができます。
 また、浪費を防止し、お金の大切さを知ることもできます。
 ただし、貯蓄は目的ではなく、人生や生活のための、一手段ということを、忘れないことでしょう。

 

 

20.なぜ、 「1 円」 にこだわるのか      2014.12.30 

 

 「嫌われたくない」 という思いが強いと、人間は、相手に近づこうとします。
 しかし、相手に近づきすぎると、本当の姿が見えにくくなります。

 だから、 相手との間には、適当な距離が必要 と、 「嫌われる勇気」 にも、書かれていました。
     実は、お金についても、同じことが言えます。

 

 お金は大切なものですが、小さなお金にこだわると、もっと大きなお金や、もっと大切なものが、見えなくなります。
 私は、20年以上、税理士をしています。

 しかし、 小さなお金にこだわる人で、かつ、物心ともに豊かな人生を送る人に、未だ、出会ったことがありません。
 反対に、コピー紙の裏を使うなど、小さなお金に、目の色を変える人には、数多く、出会っています。 

 

 なぜ、1 円にこだわるのでしょうか。
 言い換えれば、なぜ、 「金額」 には、関心が高いのに、 「内容」 には、関心が低い のでしょうか。
 それは、わかりやすいからです。
 金額は、円という単位で、数値化されており、金額の大小は、小学生でも、わかるからでしょう。
 

 

 一方、お金の内容については、わかりにくいものです。
 人格や人生にも、影響を及ぼしますが、見えにくく、わかりにくいものです。

 お金に対して、 「精通」 を目指すなら、この 「わかりにくい部分」 に、注目 しなければいけません。
 わかりにくいものを、理解するためには、学習と経験によって、知恵を身につける必要があります。 

 

 たとえば、 「損して得を取れ」 と言われます。
 これは、 「目先の小さな利益を譲り、より大きな利益を目指せ」 という意味では、ないでしょうか。

 また、 歴史を振り返れば、お金に関する教訓など、無数にあり、そこから、多くを学ぶ ことができます。
 さらに、自分の過去を振り返れば、お金に対する、自分の傾向を、見出すこともできます。 

 

 継続的に、お金をかせぐためには、健全な方法でなければいけません。
 そのためには、健全な精神を持った人たちから見て、自分が 「好ましい人間」 に、ならなければいけません。
 もし、守銭奴のような、自己愛に満ちた存在であれば、おそらく、敬遠されることでしょう。

 1 円にこだわる暇があったら、人生にとって、もっと重要なことに、こだわりを持ちたい ものです。 

 

 

21.お金を 「異なる単位」 から、とらえる      2015.01.06 

 

 お金に精通するためには、お金の仕組みを、知らなければいけません。
 言い換えれば、それは、 「世の中の仕組みを知る」 と言っても、過言ではありません。

     私が、税理士として、 よく目にする間違った例 を、いくつかご紹介します。
     頭の体操レベルで、読んでいただければ、幸いです

 

 1番目は、 コピーの裏紙の使い方。
 目先の損得だけで考えると、コピーした紙の裏を、もう一度、印刷に利用しても、おかしくはありません。
 しかし、裏紙を使うと、紙がつまりやすくなります。
 この処理に、一体、いくら、コストがかかるのでしょうか。
 

 

 従業員にかかる人件費は、賃金の他に、通勤手当、社会保険料など、多くの経費がかかります。
 これらを含めると、 年収  450万円の従業員で、1秒あたり約 1 円のコスト になります。
 もし、コピー紙がつまり、その対応に 10 分かかったとすると、 600 円 のコスト増になります。
     これは、用紙1枚当たり  50 銭とすると、  1,200 枚分のロスと、同様の結果になります。
 

 

 また、裏紙を使うと、コピー機の耐用年数を縮めます。
 1 回の 修理に 2 万円かかるとすると、用紙にして 40,000 枚分のロス。
     さらに、修理をしている間、利用できないことによる、人件費のロス。
 買換時期が早まれば、もっと大きなロスが発生します。
 

 

 紙の節約のために、裏紙を使うのは、資源やエネルギーの観点から見れば、悪い話ではありません。
 しかし、コスト面から見ると、正解とは言えないでしょう。

 なぜなら、 人件費等において、それ以上のロスが発生する、可能性が高い からです。
 さらに、このレベルで満足していると、効果的なコスト・ダウンへ進むことはありません。 

 

 現在の日本で、最も高騰したのは、人件費です。
 だから、人件費を無視して、モノベースだけで、コストを考えるのは、まったくの間違いです。
 また、人件費の基本的な算定方法は、「時給×労働時間」です。

 つまり、 目に見える 「モノの価格」 よりも、目に見えない 「労働時間」 が、ポイントになります。 

 

 

22.「発言者の利益」 を考える      2015.01.07 

 

 私たちは、他人の発言に対して、ほとんど疑うことなく、正しいと信じがちです。
 「あなたの悪口を、Aさんが言いふらしている」 と、誰かから、言われたとします。
 すると、事実を確認することなく、相手を避けたり、悪く思うのではないでしょうか。

 このような方法で、 他人の人間関係を悪化させるのは、太古の昔から、よくある話 です

 

 相手の発言が、事実であるかどうかは、別として、相手の発言を、鵜呑みにするのは、危険と言えます。
 アドラーの目的論を、拡大解釈すれば、その 発言には、必ず目的がある はずです。
 その隠れた目的を、十分、推測した上で、行動すれば、過ちを避けることができます。
 推測の正確性を、高めることも、人生の課題と言えます。
 

 

 たとえば、2015 年 1 月 1 日、相続税法の改正により、事実上、増税されました。
 これに伴い、銀行や証券会社までもが、節税対策キャンペーンを、行っています。
 なぜ、税理士でもない企業が、このようなことを行うのか。

 このような意味を、直観できるようになると、騙される確率が大幅に減少 します。 

 

 銀行や証券会社が、専門外の分野に、首を突っ込んでくる目的は、どこにあるのでしょうか。
 それは、善意とか親切ではなく、 「自社の金融商品を売りつける」 ・・・ ただ、その利益のため だけです。
 税理士法の関係で、そこには、税理士が、同席しているはずです。
 しかし、金融機関と組んで商売をしていますから、金融機関や金融商品のことを、悪く言うはずがありません。
 

 

 ここで思い出して欲しいのが、リーマン・ショック。
 金融機関が、無責任に売りさばいた商品で、大損害をこうむった人も、少なくありません。
 しかし、金融機関は、一切、責任を負いませんでした。

 喉もと過ぎれば、すっかり忘れるのではなく、 金融機関の性質について、学習すべき です。 

 

 誰かの発言に対して、操作や要求など、隠された意図 (悪意) がわかると、不毛な人間関係を、見抜くことができます。
 反対に、他意もなく、気軽につき合える相手が、誰なのかも、見抜けるようになります。

 ただし、相手に求めるのではなく、自分自身をしっかりさせることが、まずは、第一 です。
 人間はお互いに不完全、許容範囲を拡げることも、自分自身の課題ではないでしょうか

 

 

23.「貧乏」 より 「大金」 に注意する      2015.01.09 

 

 多くの人は、貧乏を恐れて、大金に憧れます。
 しかし、 日本人は、貧乏には、意外に強い ものです。
 おおむね、それなりに順応して、生きていきます。
 私の事務所の顧客でも、貧乏が原因で、大事に至った人は、1人もいません。

 

 しかし、臨時的な収入、特に大金には、注意が必要です。
 「大金とは、過去に手にしたことがないような大きなお金」 と、ここでは、簡単に、定義しておきましょう。

 大金を手にすると、人間は判断力を狂わせる ものです。
     それによって、遠からず窮地に陥ります。 

 

 具体的に、どのような症状が表れるのでしょうか。
 たとえば、生活レベルが上がり、浪費が激しくなります。
 また、偉くなったと勘違いし、いばり始める人もいます。

 最もいけないのは、謙虚に努力しなくなること でしょう。 

 

   一体、いくらのお金までなら、正気、あるいは平常心を、維持できるのか。
      これは、人それぞれです。

 年収500万円で、狂う人もいれば、P.マッカートニーのように、年収100億円でも、平常心を維持できる人もいます。
 この金額が大きくなければ、お金持ちには、なれない訳です。 

 

 それでは、大金を手にしたら、何に注意すればよいのでしょうか。
     金額面においては、あくまで 「臨時収入」 であって、決して続くものではないと、自覚することです。
 人生には好不調のサイクルがあるので、その後、悪い時期が、訪れることもあります。

     生活レベルの高騰に、十分、注意して、そのお金を、なるべく残しましょう。 

 

 以前、お話したように、成功したときこそ、 「反省」 が求められます。
 反省とは、これまでの経験を、客観的に分析し、将来に生かすためのものです。
 ドラッカーのいうとおり、 「予期せぬ成功」 には、成功のためのヒントが、隠れている可能性があります。

 1つの成功に踊らされることなく、反省を徹底し、そこからヒントを見出し、その成功を、継続的なもの しましょう。 

 

 

24.「生命保険」 の掛けすぎに注意      2015.01.14 

 

 人生の中で、最も高い買い物、と言えば、 「不動産」。
 2番目が 「生命保険」 で、3番目が 「自動車」 でしょう。
 「不動産」 と 「自動車」 を、購入する場合は、十分、注意して、検討するものです。

 しかし、 「生命保険」 は、複雑怪奇なので、外交員の言われるまま かもしれません。

 

 私は、外交員の言われるままでも、悪くはない、と考えています。
 ただし、相手が 「生命保険に熟知」 し 「自分自身の状況を理解」 してくれており、 「良心的」 であれば、という条件付きです。

     外交員の中には、恐ろしく無知な者もいれば、自分が得る、手数料収入の高いものだけを、押し売りしてくる者もいる からです。
     また、飛び抜けた成績の外交員は、途中解約せざるをえない、高額な保険を勧めてくる、傾向があります。 

 

 外交員を選ばないと、このような被害に、遭いやすいものです。 
     さらに、生命保険のリスクを高めているのは、毎月、支払うおかげで、少額だと、勘違いしてしまうこと。

 結果が出るまでに、時間がかかるため、説明内容と異なっていても、外交員の責任を問えない こと。
 契約した本人が死亡し、保険金を得るのが、遺族のため、結果に対して、無関心なことなど。 

 

 また、市販の本を読んで、細かい数字まで、詳しく語る人もいます。
 「A社のこの商品は、B社の同じ商品より、いくら得する」 など。
 何でもそうですが、自分で理解するのは、大切なことです。

 ただし、人間は、 自分の知恵の範囲内でしか、理解できないので、最後は、信頼できる専門家の意見に、従う べきです。 

 

 私は、生命保険のことを 「絵に描いた餅」 、または 「気休め」 ぐらいにしか、考えていません。
 今、亡くなったとしても、1千万円の保険金収入と、住宅ローンの団信弁済のみです。
 もし、原因がガンであれば、つき合いで加入した保険金が、さらに入る予定ですが、我が家は、ガンの家系でもありません。
 家族の年齢などから、これくらいの金額で、十分ではないでしょうか。
 

 

 子供たちには、人並みの財産が残せれば、上出来でしょう。
 自分の人生は、自分自身で責任をもって、積極的に切り開いていく ・・・ これが、アドラー流です。
 知恵をつけて、社会に役立つ仕事を、たくさんしていれば、生活費に不自由することなど、ありえません。
 過剰な財産よりも、生きることの厳しさを知ること、それを乗り越える知恵と勇気の方が、はるかに重要だと、私は考えています。
 

 

 

25.生命保険は 「目的」 別に入る      2015.01.15 

 

 私自身、個人的には、生命保険に、関心がありませんが、仕事では、日常的に関わっています。
     今回は、保険の選び方について、少し、お話をします。

 重要なのは、 「どのような目的で、加入するのか」 を、明確にする ことです。
 それによって、より効果的な選択ができるはずです。

 

 たとえば、子供が自立するまでに、一家の主が亡くなると、家族に大きな負担をかけます。
 もし、そのための保障が、目的であれば、ポイントは 「死亡保険金」 にあります。

 他の条件はさておき、まずは 「死亡保険金」 の、大きな商品を、選ぶ べきでしょう。
     解約返戻金のない、いわゆる 「掛け捨て」 の生命保険は、一般的に 「死亡保険金」 の額が、大きいものです。 

 

 また、法人の節税対策など、一時的に経費を増やすことが、目的のケース。
 ポイントは、 「解約返戻金」 にあります。
 解約返戻率が高いのは、もちろんですが、かつ、返戻率のピークが、長期間に及ぶものが、理想と言えます。

 これによって、 自社の都合に合わせて、最適な時期に、解約する ことが、可能になります。 

 

 生命保険に求めるものは、人それぞれ、また、同じ人でも、年齢や状況によって、異なります。
     死亡保険金、解約返戻金、満期返戻金、病気・怪我に対する保障、節税効果など。

     これら、 すべてを、1つの商品だけで、十分に満たすのは、不可能 です。
 優先順位の高いものから、それぞれ、保障内容の大きなものを、選択すべきです。 

 

 たとえば、親族に、ガンを患う人が多ければ、必ず、ガン保険に、入っておきましょう。
 ガン保険は、ガンの場合しか、保険が支払われません。
 このように、支払条件が限られているものほど、低い保険料でも、高い保障が、受けられます。

 反対に、 あらゆる病気に対応する保険を選ぶと、同じ保険料でも、小さな保障しか、受けられない はずです。 

 

 最後に、リスク分散について。
 生命保険会社が倒産すると、他の生命保険会社が、契約を引き継ぐことがあります。
 ただし、一度、倒産すると、保障額が20%減ると、言われています。

 リスク分散のために、複数の会社の商品、できれば異なる国の会社のものを、選択 しておきましょう。 

 

 

26.支出は 「金額」 「内容」 「現状」 から、判断する      2015.01.16 

 

 日常生活の中で、数多くの支出が、発生します。
 何も考えずに、支払っていると、資金ショートを起こします。

 そこで、 何らかの基準を設けて、制限 します。
 その基準として考えられるのは ・・・ 「金額」 「内容」 「現状」でしょう。

 

 この中で、多くの人が失敗する原因は、 「金額」 にあるのではないでしょうか。
 1つは、金額に囚われすぎるケースと、もう1つは、金額を無視するケース。
 何れも、 「内容」 と 「現状」 を、正しく把握していない点に、問題があります。
 結果的に、お金と、うまくつき合っているとは、言い難いものです。 

 

 たとえば、堅実な生き方をされる人は、金額に囚われすぎる傾向にあります  「内容」 と 「現状」 の点から、検討してみましょう。
 もし、 その支出が、将来、起こりうる、致命的な失敗を、避けるためのものであれば、早期に、支払わなければいけません。
     そうすれば、支出金額も少なく済みます。 

 

 しかし、堅実な生き方をされる方の中には、その支出を、出し渋る 人も少なくありません。
 また、現状の把握も、十分ではなく、すでに悪化していたとしても、目を背ける傾向にあります。
 その結果、対応が後手にまわるため、最終的に、支出額が大きく膨れあがるケースが、ほとんどです。
 生産活動に対する悪影響も、長期化するため、さらに痛手を拡大することになります。 

 

 もう1つは、金額を無視するケース。
 浪費家の場合は、病気かもしれません。
 精神科医や、心理学の専門家に、診てもらうのが、よいでしょう。

 もし、 配偶者であれば、離婚という選択肢 もあります。 

 

 また、堅実な生き方をされてきた人が、突然、つまらないものに、大金をつぎ込むケースがあります。
 騙されている可能性もありますので、ご家族は、警察や弁護士に、相談しましょう。
 以前、お話ししたように、 「金額」 の大小は、わかりやすいものです。

 「金額」 という簡単な基準だけではなく、 必ず、 「内容」 と 「現状」 についても、検討されるとよい でしょう。 

 

 

27.お金に精通する      2015.01.18 

 

 「心理学とお金は、関係ない」 と、思われるかもしれません。
 しかし、太古の昔から、人間の心は、お金の影響を、強く、受けてきました。

 さらに、 お金は、つき合い方によって、 「良薬」 にもなれば、 「猛毒」 にもなります。
     だから、お金に精通する必要があると、私は考えています。

 

 その点において、非常に優れているのが、ユダヤ人。
 彼らが、 一生を通じて学ぶのが、タルムードと呼ばれる、1万頁以上の書物 です。
     これをマスターすることによって、ユダヤ人は、生きるための、様々な 「知恵」 を、身につけているようです。 
     もちろん、お金の本質についても、書かれています。
 

 

 ・ 金は人の欠点を隠してくれる
 ・ 金は無慈悲な主人であるが、同時にこれほど優れた召使いもいない
 ・ 金は善人によいことをさせ、悪人に悪いことをさせる

 ・ 金は何でも買えるから、人に全能になるような錯覚を与える 

 

 さらに 「貯蓄」 についても、触れられています。
 ・ 稼ぐ人よりも、ためる人の方が勝つ

 ・ 自分の将来を憂えない人は、将来、自分の過去を憂えるようになる
     以上は、加瀬英明著ユダヤ人の知恵からの、抜粋です。 

 

 お金に精通するためには、経験と知識からの、2本立てで、いきたいものです。
     1つは、 「かせぐ」 「つかう」 「ためる」 という経験、もう1つは、本などからの知識。

 本を読む場合は、長い歴史を耐えぬいた名著など、優れたもの を、選択しましょう。
 日本の、にわか成金さんの本は、親しみやすいですが、 「その時、たまたま、本人だったから」 という、条件付きかもしれません。 

 

 また、本人が著作権で儲けたり、高額なセミナーに導くために、書かれた本 (小説) もあります。
 ロバート・キヨサキ著 金持ち父さん 貧乏父さん の内容を、実践して、大損をされた人もいるでしょう。
 私たちが、心の自由を追求するとき、お金の問題は、避けて通れないものです。
 お金の本質、人生に及ぼす影響、自分自身の傾向などを知り、豊かな人生の実現に、役立てたい ものです。

 


  D.最後の1秒まで、成長を目指す

 

 

127.「成長」 とは、何よりも楽しいもの      2015.01.19

 

 アドラー心理学によれば、亡くなる2、3日前まで、人間は変わることができるそうです。
 よい方向へ変わることを、私は 「成長」 と、呼んでいます。

 つまり、 人間は、何歳になっても、成長する ことができる。
 このように、考えています。

 

 私は、成長するのが、何よりも好きな人間です。 向上心が強い訳でもなければ、成長を義務と感じるほど、真面目な人間でもありません。
 動機はただ1つ、 成長すると、人生が楽しくなる からです。
 「楽しくなる」 には、2つの意味があり、1つは 「楽になる」 と、もう1つは 「面白くなる」 。 

 

 実は、成長すると、物事の真意や、真実の姿が、見えるようになります。
 たとえば、この本に書かれていた、 「容姿を気にする若者」 。

 成長すると、 「自分の顔を気にするのは、自分だけ」 と、気づく ことができます。
 足を引っぱっていたのは、自己への執着、自己中心性 ・・・ つまり、自己愛でしょうか。 

 

 また、20代前半で、成長が止まる人も、少なくありません。
 このような人たちの中には、数十年もの間、生活費を稼ぐためだけに、いやいや仕事をしている、人も見かけます。
 反対に、成長を続けている人たちは、仕事の中に、喜びや楽しみを、見出すことができます。

 アドラー心理学の 「共同体感覚」 「貢献感」 を、マスターすれば、必ず、やり甲斐に出会える はずです。 

 

 人生のどん底にいる人の場合は、どうでしょうか。
 お金にも、財産にも、愛情にも、友情にも、運にも、ツキにも、見放された人。

     このような人にも、平等に与えられているのが、 「成長」 です。
     成長するか否かは、自分自身の課題ですから、自分が成長すれば、そこから抜け出すことができます。 

 

 幸せは、どこか遠くへ出かけると、手に入るもの、ではありません。
 幸せは、今、自分が存在している環境の中に、自分自身で、見出すべきもの です。
 だから、変化を求めるべき相手は、他人ではなく自分。
 つまり、 「自分自身の考え方を、成長させること」 、 まずは、ここから、スタートすべきではないでしょうか。 

 

 

28.脳は死ぬまで 「成長」 する      2015.01.20 

 

 「20代前半で、成長が止まった人」 、これまで、何度か、このような表現を使ってきました。
 特に、学生時代まで、成績がよかった人に、しばしば、見られる傾向です。
     このような人が、40代前半を迎えた場合、次の2つの問題を、指摘することができます。

 1つは、考え方が 「年齢的に未熟」 、もう1つは、 「20年前の常識のまま」 だということです。

 

 以上は、私自身が、日常の中から、感じたことですが、脳医学の面からも、この点を指摘した本に出会いました。
 医学博士、加藤俊徳著 脳の強化書 によれば、 脳が最も成長するのは、20〜40代 なのだそうです。
 脳細胞の数が、最も多いのは、誕生した瞬間。
     その後、ものすごい数の脳細胞が、毎秒、休むことなく、死滅していきます。
 

 

 もし、この点だけで判断すると、赤ちゃんが、最も賢いことになりますが、そうでありません。
 実は、脳細胞の数は、年齢とともに、減りますが、逆に、アミノ酸等の物質が、脳内で増え続けます。

 これらの物質を栄養源として、 脳は死ぬまで、成長を続ける そうです。
 ここから先は、脳の持つ能力のことを、 「脳力」 と、勝手に名付けて、話を進めます。 

 

 それでは、なぜ、高学歴の人の中に、社会に出た後、失速する人が、少なくないのでしょうか。
 それは、一部の脳力しか、鍛えていない 点に、あるそうです。
 多くの人は、20代前半まで、学校に通います。
 学校では、 「決められたことを、求められる通りに、再現する脳力」 だけが、大きく成長します。
 

 

 一方、社会に出ると、それとは異なる、様々な脳力が、多面的に、求められます。
 「決められたことを、求められる通りに、再現する脳力」 だけでは、うまく対応できません。
 たとえば、読書の場合、学生時代までは、原文と一字一句違わない、暗記が評価されました。

 しかし、 社会人になると、内容を理解した上で、自分の言葉に置き換え、実際に役立てなければいけません。 

 

 高学歴の人の中には、過去の成功経験に、固執する人もいます。
 その結果、一部の脳力に頼るため、満足な成果が得られなくなります。

 脳は各部分で、得意分野が異なりますが、このような違いを認識し、各部分の連携を鍛える と、さらに効果的なのだそうです。
     そのためには、異なる経験を、たくさん積み、8つの脳力を、鍛えるべきだと、この本には、書かれいます。 

 

 

29.20代前半で 「成長」 を止めないこと      2015.01.21 

 

 仕事の能力が、最も高まるのは、50 代。
      2 、3 年前、どこかで、このような記事を、目にしました。

 速さを求められる能力は、すでにピークを越えていますが、総合力では、50 代が、最も優れている。
 このような内容だったと、記憶しています

 

 脳医学の面からは、20 〜 40 代に、成長のピークを迎えることが、わかりました。
 また、プロセスと結果には、タイムラグがあるものです。
 両者を踏まえた上で、仕事について言えば・・・

 「 20 〜 40 代の成長」 の結果として、 「 50 代で最も大きな成果が得られる」 という仮説を、立てることができます。 

 

 この仮説から、次の 2 つのことが、考えられます。
 1 つ目は、 「 50 代で最も大きな成果を得る」 ためには、 20 〜 40 代の過ごし方が、非常に重要 だということ。
     この間、脳を成長させるためには、その目的に沿って、努力をしなければいけません。
 それが、 50 代で、仕事のピークを迎えるための、必要条件とも言えます。
 

 

 努力の方向性としては、学生時代までの、 「決められたことを、求められる通りに、再現する脳力」 に偏らないこと。
 なるべく、 多様な経験をして、それによって、脳力を多面的に鍛える ことでしょう。
 もし、 22 歳から、社会人としてスタートし、これらの努力を怠り、28 歳で仕事のピークを迎えると、どうなるのでしょうか。
 仕事の成果のグラフが、正規分布曲線だとしたら、 34 歳以後は、 「不要な存在」 になる、可能性があります。
 

 

 2 つ目は、 人生のピークを、さらに、高い年齢まで、遅らせる こと。
 20 〜 40 代で、脳の成長ピークを迎えるのは、一般的なケースです。
 実際には、自ら、その前に、成長を、止めてしまう人もいます。
     であれば、反対に、成長のピークを、遅らせることも、不可能ではないはずです。
 

 

 脳の成長を、延長することができれば、仕事のピークを、60 代まで遅らせることが、可能かもしれません。
 あくまで、机上の空論ですが、61 歳でピークを迎えた場合、社会人として、100 歳まで、通用する可能性があります。
     社会保障が削減されつつある今、ここまで準備しておけば、たぶん、大丈夫でしょう。

     そのためには、50 歳を過ぎても、新たな経験を積みながら、未知のことを、学ぶ 必要があります。 

 

 

30.本気で努力している人は、全体の 2.5 % ?      2015.01.22 

 

 社会人の中で、 一体、どれくらいの人が、本気で努力しているのでしょうか。
 これまで、5 %を目安にしてきましたが、新たに、2.5 % という割合を、発見しました。
 統計学上の確率から、求められた数字を、基にしています。

 ここから先は、中野明著 勇気の心理学 アルフレッド・アドラーが1時間でわかる本 からの内容です

 

 確率分布を、標準正規分布と考えると、標準偏差 ± 1.96 の範囲内に、通常、起こりうる現象の 95 % が含まれます。
 残り 5 % は、発生しにくい現象として、棄却されるため、統計学上、 「棄却域」 と呼ぶそうです。

  「特によいこと」 「通常の範囲内のこと」 「特に悪いこと」 に分けると、2.5 %、95 %、2.5 %、の確率で起きます。
 この本には、 「滅多に起きないことに、気を奪われずに、残り 95%に主眼を置きましょう」 と、書かれています。 

 

 ここで、お断りしておきますが、私は、数学に詳しい訳ではありません。
 以後の内容が、数学的に間違っていたら、申し訳ありません。
 上記の解釈を、人に置き換えると、どうなるのでしょうか。

 成長するために、 本気で努力している人が 2.5 %、中間が 95 %、まったく努力していない人も 2.5 %  になります。 

 

 この数字に対して、2 つの反応が、考えられます。
 ① 上位 2.5 % に、自分はとても入れないと、怖じ気づく

 ② たった 2.5 % しか、本気で努力していないなら、自分にもチャンスがある
     私は ② と考えています ・・・ なぜなら、この 10 倍の 25 % が、本気で努力していたら、より激しい競争になるからです。 

 

 もし、 今日から、成長を目指して、本気で努力すれば、数年後には、上位 2.6 % 当たりに、到達する 可能性があります。
 そこから先は、なかなか、順位が上がるものではありませんが。
 しかし、上位 2.6 % に入るだけで、かなりの成長と成功を、実感できるはず。
 また、ここまでのプロセスにおいて、成長するためのコツが、見つかるのではないでしょうか。
 

 

 これに近い割合が、税理士試験の最終合格率、約 2 %。
 猛烈な学習量が、求められるため、学歴に関係なく、努力の量によって合格します。

 成長や成功のために、本気で努力している人の割合が 2.5 %。
 案外、真実を表しているのかもしれません。 
 

 

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続 9 「 嫌われる勇気 」 人生が変わるアドラー心理学  2015-01-23

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131.生き方によって、人間関係も変わる      2015.01.23

 

 「20代前半で、成長が止まった人」 に、最も、がっかりするのは、いつでしょうか。
 私の場合は
、旧友と再会したときです。
 若いころは、私などより、よほど立派に生きていたので、さぞかし、今は ・・・ と、期待するものです。
 ところが、 別人のように、覇気を失っていたり、器の小さな人間に、なっている ことがあります。

 

 この中には、 「嫌われる勇気」 のない人も、少なくありません。
     職場や家庭などの対人関係で、気を遣いすぎるため、精神的に疲れ果てています。
 向上心に満ちた、刺激的な人間関係を避け、利害関係のない、昔ながらのメンバーと、群れている人たちもいます。

     その中で、 一所懸命、 「いい人」 を、演じています。  

 

 早い人の場合、30代半ばから、このような傾向が見られました。
 成長が止まると、労働に対して、有意義な価値を、見いだせなくなるため、収入的にも今ひとつになります。

 生産活動や、成長のための活動が、疎かになる原因は、自分の精神状態の維持を、最優先させる 点にあります。
 このような状況が、さらに、本人から、覇気を奪っていくのではないでしょうか。  

 

 つくづく、もったいない生き方だと、私は、感じています。
 せっかくの人生だから、もっと、生き生きと、過ごして欲しい。

 また、 本来の力を発揮してくれれば、社会はもっとよくなる のにと、つい、考えてしまいます。
     しかし、本人がどのように生きるのかは、本人の課題です。  

 

 「課題の分離」 によって、他人の課題を切り離すと、それと同時に、自分自身が、どのように生きるのかも、自由になります。
 さらに、それが、人間関係にも、変化をもたらすようです。

 生き方が異なると、過ごす場所も異なる ため、成長を放棄した人たちとは、疎遠になっていくものです。
 反対に、人生に前向きに取り組む人たち、そうありたいと願う人たちとの、出会いが増えていきます。  

 

 アドラー心理学に関して、次のようなコメントを、目にしたことがあります。
 厳しいけれど、希望がある ・・・ まさに、その通りでしょう。
 人生には、受け入れるべき 「厳しさ」 があります。
 そこから目を背けない限り、「成長」 という希望の光が、見えてくるのではないでしょうか。

 

 

32.より大きな共同体の立場で考える      2015.01.24 

 

 20代前半で、成長が止まってしまう。
     このような人たちには、ある共通点が見られます。

 それは、 「小さな世界」 や、 「狭い人間関係」 に、執着する 点です。
 多くの場合、少人数で 「なかよしクラブ」 を作り、群れているのではないでしょうか。

 

 それでは、 「嫌われる勇気」 の内容を、思い出してみましょう。
     引きこもりから、立ち直るためには、どうすればよいと、書かれていたでしょうか。

 それは、 「より大きな共同体の声を聞け」 でした。
 その理由を、考えてみましょう。  

 

 もし、今の状況から、抜け出したければ、自分が成長しない限り、永続的な効果は望めません。
 これに対して、 より大きな共同体の立場に立つことは、人間に成長を促す のではないでしょうか。 
 共同体の大きさは、たとえば ・・・ 自分 < 家族 < 親族 < 地域 < 日本人社会 < 国際社会 < 地球
     仕事ベースで言えば ・・・ 自分 < 部署 < 会社 < 業界 < 日本経済 < 国際経済
 

 

 ここで、注目すべきは、 小さな共同体は、大きな共同体に、含まれる という点です。
 だから、社会全体の立場に立って考えることは、自分のことも、考えていることになります。
 なぜなら、自分も社会の一員だからです。
 逆に、自分のことだけを、考えるのは、社会のごく一部しか、とらえていないことになります。
 

 

 たとえば、AさんとBさん、2人の人がいたとします。
 Aさんは、 「なかよしクラブ」 の利益のことだけを、考えています。
 Bさんは、 「社会全体の利益」 のことを、考えています。

 何れが、成長した人、あるいは、今後、成長できるかは、明らか ではないでしょうか。  

 

 自分がどのような立場に立って、物事を考えられるのか。
 それは、自分の課題なので、自分の意思で自由に決めることができます。
 今、この瞬間からでも、視点を、変えることができます。

 もし、 成長を止めたくなければ、より大きな共同体の立場で、物事を考える べきでしょう。

 

 

33.「運気」 と 「精神状態」 を安定させる方法      2015.01.25 

 

 「より大きな共同体の立場で考える」 を、実践すると、よいことが、いくつかあります。
 まずは、運気と精神状態が、安定します。
     40代後半、多忙を極める最中、私は、この事実に気づきました。
 今回は、この件について、ご説明します。 
 

 人間を1人ずつ見れば、運が上がったり、下がったりしているものです。
 もし、ここで、自分1人のことしか、考えられなければ、この変動を、ダイレクトに受けてしまいます。
 それに伴って、精神状態も不安定になる、のではないでしょうか。

     ここで、 嫌われる勇気がない人が、精神的に不安定なのは、根底にある、自己への執着が原因、 という推測も、可能になります。  

 

 私も、若い頃は、今より運気に上下があり、精神的にも、今ほど、安定していませんでした。
 何が変わったのでしょうか。
 若い頃は、自立を目指して、自分のことだけで、精一杯でした。

 つまり、 自分のことを、中心に考えていたため、精神面の安定が、今ひとつ だった、と考えられます。  

 

 ところが、今は、税理士として、従業員を雇用し、顧客を抱える立場になりました。
 だいたい、千人くらいの人の、悩みや問題に、対応しなければいけません。
 また、社会情勢やニュースにも、関心が高いため、その点でも、いろいろな問題に、思いをめぐらせています。

 つまり、 たくさんの人の運に関わる状態になった 訳です。   

 

 その結果、 「よいこと」 も 「悪いこと」 も、毎日、必ず、起きるようになりました。
 しかし、1日単位で考えると、プラスとマイナスが相殺され、多少の上下はあるものの、毎日、「中」 の範囲内に収まります。

 喜怒哀楽、すべて訪れるのを、 「日常」 とすれば、運気は、とても安定 しています。
     決して、平和でもなければ、安楽でもありませんが、人生としては、充実しているでしょう。  

 

 けっきょく 「運気が安定している」 とは、こういう状態をいうのかと、考え始めるようになりました。
     誰かのことで、喜ぶこともあれば、誰かのことで、気を病むこともある。
 それが多ければ、多いほど、運気は安定する。

     さらに、それに 慣れると、いちいち、動じなくなり、精神状態も安定し、冷静に対応できる ようになるようです。

 

 

34.「無意味な失敗」 を減らす      2015.01.27 

 

 より大きな共同体の立場で考える」 を、実践すると、よいことの、2つ目。
 それは、 「無意味な失敗が減る」 です。

 新たな挑戦が多いほど、失敗の数は増えるので、失敗は、本来、歓迎すべき ものです。
 ただし、無意味な失敗だけは、避けたいものです。

 

 無意味な失敗とは、どんな失敗 を、言うのでしょうか。
 「致命的な失敗」 は、将来に生かすことができないので、すべて、この中に含まれます。
 また、 「何度も繰り返される同じ失敗」 も、意味がありません。
 さらに、 「年齢的にあまりに未熟なことが原因で起こる失敗」 なども、同様です。
 

 

 「より大きな共同体の立場で考える」 と、なぜ、無意味な失敗が、減るのでしょうか。
 それは、前回、お話ししたように、多くの人の運に関わるからです。

 それによって、 他人の人生から、多くのことを、学ぶ ことができます。
 この方法をマスターすると、数倍の知恵を、身につけることができます。  

 

 たとえば、ある事件のニュースが、伝えられたとします。
 社会に関心がなく、自分の殻に閉じこもる人は、知ることすら、ないのかもしれません。
 また、身近な人とのつき合いに終始する人は、せいぜい、共通の話題にするだけでしょう。

 これらの人たちは、 社会で起きた事件を、他人事として捉えるため、将来、自分が、被害者になる 可能性が高まります。  

 

 しかし、 社会の一員として、社会の立場から考える習慣がある人は、当事者意識を持って、より深く、より多面的に考えます。
 その中には、もちろん、自分が被害者にならないためには、日常、どのように過ごすべきかも、含まれています。
 また、このような自覚を持つことによって、これに役立つ情報を、収集することもできます。
 狭い人間関係に執着する人たちとは、明らかな差が、生まれます。
 

 

 私は、税理士ですが、顧客の悩みや相談については、専門外の話であっても、できる限り、聞くことにしています。
  「たとえ1歩でも前進」 を、目指して、調べたり、詳しい人を探すこともあります。
 これを重ねるごとに、 「どのように対処すべきか」 「どのような人に相談すべきか」 などの知識が、蓄積されていきます。

 もし、 他の顧客や自分自身が、同じ悩みや問題に遭遇しても、事前に回避したり、早急に解決できる こともあります

 

 

35.「目的」 を、常に意識する      2015.01.28 

 

 「嫌われる勇気」 は、 「目的論」 からスタートしました。
 「目的論」 によれば、人間は、無意識のうちに、自分の目的に、沿って生きています。
 過去の事実に対する意味づけも、この目的に沿って、行われています。

     しかし、 この事実を知ったからと言って、受け身の人生から、脱出できる訳ではありません。 

 

 根本的な原因は、「無意識」 にあるのではないでしょうか。
 人間の意識は、表側から順番に、「① 顕在意識」 「② 潜在意識」 「③ 深層意識」 に分かれます。
     私たちが、おもに自覚できるのは、いちばん表にある 「① 顕在意識」 です。

 「② 潜在意識」 と 「③ 深層意識」 は、コントロールが難しく、逆に 「① 顕在意識」 が、影響を受ける こともあります。  

 

 前述のように、無意識のうちに、自分の目的に沿って、生きてしまうということは・・・
     目的が、「② 潜在意識」 または、 「③ 深層意識」 に、在るからではないでしょうか。
     だから、コントロールが難しく、逆に支配されるのかもしれません。

 このまま放置しておくと、人生は、受け身のまま、進んでしまいます。  

 

 解決策としては、 「目的の顕在化 (けんざいか 「はっきりさせる」 という意味) 」。
 つまり、 目的を明確にし、常に意識しながら、行動する ことです。
 休む場合も、漠然と休むのではなく、休むという目的を、強く意識して、しっかり休むこと。
 このようにして、無目的に過ごす時間を、減らすことではないでしょうか。
 

 

 目的の顕在化 (明確化) には、2つの方法が考えられます。
     1つは、「② 潜在意識」 または 「③ 深層意識」 にある目的を、表面化させるという方法。

     もう1つは、 「② 潜在意識」 または 「③ 深層意識」 にとらわれず、「① 顕在意識」 において、明確な目的を設定する。
     前者の方法は難しいので、私は、後者の方法を採っています。  

 

 私は、「人生とは、自分との戦い」 でもあると、考えています。
 「② 潜在意識」 や 「③ 深層意識」 に隠れた、未熟な自分との戦いに、負けないようにして、コントロールを目指す。
 そのためには、顕在意識をしっかり持つこと。

 無目的に漠然と過ごすのではなく、常に目的を意識する ことではないでしょうか。

 

 

36.「マズローの欲求5段階説」 を利用する      2015.01.29 

 

 前回、「目的を明確にして、常に意識する」 というお話をしました。
 しかし、その目的が、すぐに分かれば、苦労はしません。

 ここで利用できるのが、「マズローの欲求 5 段階説」 です。
 目的は、おもに欲求に基づきますから、欲求を成長させると、それに見合った目的を、見つけることができます。  

 以前、ご紹介した、中野明著 勇気の心理学 アルフレッド・アドラーが1時間でわかる本 によると ・・・
     心理学者、アブラハム・マズローは、アドラーと面識があり、アドラーの影響を受けたそうです。
 「マズローの欲求5段階説」とは、人間の欲求は、次の 5 段階で、成長する というもの。
 ① 生理的欲求  ② 安全の欲求  ③ 所属と愛の欲求  ④ 承認の欲求  ⑤ 自己実現の欲求  

 

 たとえば、最初は、① 生きるために仕事をしますが、やがて、② その収入を安定させたいと願います。
 さらに、③ 仕事の仲間が欲しくなり、やがて、④ その中で認められたい、周囲から尊敬されたい、と願います。
 最後は、⑤ 社会貢献などのために、自己実現を目指すというもの。

 ただし、大半の人は、① 〜 ④ で、人生を終えます。  

 

 どうすれば、早く ⑤ に到達することが、できるのでしょうか。
     この疑問は、「どうすれば、自己への執着、つまり自己中心性から、抜け出せるのか」 と、同じ意味ではないでしょうか。
 なぜなら、① 〜 ④ は、すべて、自己からスタートしている、欲求だからです。
 以上より、 ⑤ に到達する方法は、いとも簡単です。  

 

 ① 〜 ④ を、簡単に済ませることです。
 ① 〜 ④ において、人並みのレベルに達したら、自分を満足させ、すぐに、次の段階に移るのが、コツ と言えます。
     具体的には、① が満たされたら、② の魅力に目を移す。
 または、知性や教養を身につけて、① で終わる人生の虚しさに、気づくことでしょう。  

 

 4 番目の欲求は、アドラー心理学でお馴染みの、「承認の欲求」です。
 いくら優秀な人であっても、自己への執着から、解放されないと、この段階で終わる のではないでしょうか。
 アドラー心理学は、この壁を乗り越えるために、とても役立ちます。
     ① 〜 ④ の欲求を深追いせず、視線を変えて、「⑤ 自己実現の欲求」 を目指しましょう。

 

 

37.他人を見て学ぶ      2015.01.30

 

 マズローの欲求5段階説によれば、人間の欲求は、次の5段階で、成長します。
 ① 生理的欲求 → ② 安全の欲求 → ③ 所属と愛の欲求 → ④ 承認の欲求 → ⑤ 自己実現の欲求

     ① 〜 ⑤ の、どの段階にいるのか、どの段階までしか、最終目標として、見えていないのか、 など。
 これらについて、自分自身に関することが、最も大切ですが、周囲の人についても、推測してみましょう。

 

 ① は、最も未熟なタイプ。
 自分の欲求のために、暴力を振るう人、法律を守らない人 ・・・ などは、社会にうまく適合することができません。
 被害に遭ったら、すぐに専門家に相談しましょう。

 その前に、人を見る目を養い、極力、近づかない ことです。  

 

 ② のうち、自己愛の強いタイプは、自分に対する安全の保障を、過度に求めます。
 中には、金銭に対する執着が強過ぎたり、異常なまでに将来を不安視したり、配偶者に対して、多額の生命保険をかける人もいます。
 また、健全な範囲内においても、極度に安全を求めるため、小さな変化さえ、拒絶する人もいます。

 自分を愛するあまり、他人を害している ことに、気づいて欲しいものです。  

 

 ③ まで達して、ここで終わる人が、最も多いのではないでしょうか。
 いわゆる 「いい人」 で、それを演じるため、精神的に疲れています。
 成長をあきらめるなど、もったいない生き方をしている人も、少なくありません。
 アドラー心理学の効果が、最も見込める人でしょう。
 

 

 ④ の人は、③ の人より、難しい一面があります。
 アドラー心理学では、他人との比較を否定していますが、④ の人は、その点において、成功している人もいるからです。
 ただし、若い頃は、④ を目指していたものの、その虚しさに気づいて、⑤ に達する人もいます。

 総理大臣でさえ、ミソクソに言われる日本社会で、名誉を求めても、意味がない と、私は考えています。  

 

 若い頃は、他人の影響を受けやすいので、特に、つき合う人を、選ぶべきです。
 もし、自分が未熟であっても、周囲の人が、人間的に成熟した大人であれば、やがて自分も、正しい方向へ導かれるでしょう。
 周囲にいなければ、⑤ のタイプの人の伝記や著書などから、学ぶことです。

 このように、他人を通じて、人を見る目を養えば、自分の成長に役立てる ことも、可能ではないでしょうか。

 

 

8.自己啓発書の読み方      2015.02.01

 

 「嫌われる勇気」 を読んだり、「マズローの欲求 5 段階説」 を知って・・・
 現在の自分のレベルと比較して、絶望感に襲われる人もいるかもしれません。 
 あるいは、全人格が否定されたと感じて、拒絶する人もいるかもしれません。

 このような考え方をしていると、いつまで経っても、前進することができません。

 

 私は、次のように考えています。
 過去は、どうでもいい。
 それよりも、将来の方が、はるかに大切。

 過去よりも、将来を重視する人だけが、成長することができる ・・・ と。  

 

 そして、何を重視するのかを、決断をするのは、今ここにいる自分です。
 だから、今ここにいる自分が、どのような考え方をするのかが、最も重要なポイントになります。
 もし、将来を重視するならば、自己啓発書は、「今後の人生のために、どのように利用すべきか」 というスタンスで、読むべきです。

     今後、自分自身が成長するためには、どの方向を目指して、どのように努力をすべきなのか に、役立てるためです。  

 

 たとえば、マズローの欲求 5 段階説 ・・・
     重複しますが、人間の欲求は、次の5段階で、成長します。
 ① 生理的欲求 → ② 安全の欲求 → ③ 所属と愛の欲求 → ④ 承認の欲求 → ⑤ 自己実現の欲求

     ただし、この説は、学者が唱えたもので、あくまで理論上のこと です。  

 

 実際には、⑤ に達したとしても、① 〜 ④ の欲求が、なくなってしまう訳ではないでしょう。
     つまり、100 % 立派な人間など、この世の中には、一人も、存在しない と考えています。
 また、人生の途中で、① の方向へ、逆戻りすることも、あるでしょう。
 つまり、壮年期まで、立派であっても、晩年に、とんでもない人間になる人も、大勢いたはずです。
 

 

 だから、今、現在、「どの欲求が最も強いのか」 など、まずは、自分の現状分析のために、利用します。
     次に、1 つレベルアップするためには、どうすればよいのかを、検討して、実行します。

 注意すべきは、最終的なゴールが ⑤ であることを、常に忘れない ことでしょう。
 ⑤ に達したら、逆戻りしないように、強固な信念を持って、さらに向上を続けたいものです。

 

 

39.「目的」 に沿って行動する      2015.02.02 

 

 前回までの内容で、何をお伝えしたかったのかというと ・・・
 それは、「目的」 です。

 何をするにしても、あらかじめ 「目的」 を、明確に持ち、それに沿って、行動する。
 これを、習慣にしたいものです。

 

 たとえば、自己啓発書を読むとき、自分は、どうあるべきなのでしょうか。
 それは、自分を向上させるという目的を、明確に持つこと。

 この 目的に沿って、本を選び、本を読み、本の内容を理解して、実践を繰り返す。
 おおむね、こんな風ではないでしょうか。  

 

 しかし、ネット上の 「嫌われる勇気」 のレビューの中には、異なる目的を持つ と、推定されるものがあります。
 たとえば、 「哲人と青年の会話が、不自然だ」 というもの。
 このようなレビューを書いた人たちは、「小説家」 、あるいは 「文芸評論家」 を、志しているのでしょうか。
 そうであれば、純文学を読んだ方が、学ぶべきものも、多いはずですが。
 

 

 私は、自己啓発以外の目的で、自己啓発書を読むことはありません。
 自己啓発を目的とする者にとって、「会話が自然なのか、不自然なのか」 は、どうでもよい ことです。
 著者の伝えたいことが、自分の目的と、合致したからこそ、お金と時間を費やしました。
 だから、「その1点について、どれだけ吸収できるのか」 以外、まったく眼中にありません。
 

 

 何でもそうですが、目的が明確になると、その他のことが、気にならなくなります。
     明確化のためには、ものごとの重要性、優先順位がわかっていなければなりません。
     逆に、「目的が不明確」 だと、優先順位がわからないので、ポイントが見えません。
 何がポイントなのかが、わからないような生き方をしていると、つまらないことにも、不満を覚えてしまいます。
 

 

 また、他者のことを、批判したり、否定したとしても、それによって、成長するのは、たぶん他者でしょう。
 「嫌われる勇気」 の場合、この後、著者が発奮して、小説家として大成され、芥川賞や直木賞を、取られるかもしれません。

 しかし、批判をしている自分は、相変わらず ・・・ では、人生もったいない ですね。
 自分の成長に結びつけたければ、発言する際も、「目的」 を、強く、意識すべきではないでしょうか

 

 

40.「時間」 を制限すると 「目的」 が見つかる      2015.02.03 

 

 若いころは、私も、無目的に過ごすことが、少なくありませんでした。
 行動的なので、何もしていない、ことはありません。
 常に、忙しく、活動していました。

 しかし、そこには、「目的」 が、欠けていた のです。

 

 大きく変わったのは、国家試験を受験し始めた、28 歳以降です。
 とにかく、学習時間を確保しなければいけません。
 そこで、趣味や交友、飲酒など、すべてを断つことにしました。

     これにより、目的が 「合格」 1 本に、絞られました。  

 

 目的が明確になると、人間は、早く達成したくなるものです。
 早く ・・・ つまり 「時間」。
 この 「時間」 と、「目的」 の間には、少なからず、関係があることに、気づきました。

 つまり、時間に価値を置くと、目的が見つかる というものです。  

 

 たとえば、余命 1 年と、医師から宣告を、受けたとします。
 多くの人は、残された時間を、どのように過ごすべきかと、真剣に、考えるの ではないでしょうか。
 すると、「目的」 が、見えてくるはずです。
 家族のためにこうしておきたい、外国旅行にも行っておきたい、身辺整理をしておきたい ・・・ など。
 

 

 しかし、そうなってから、「目的」 に気づくのでは、遅すぎます。
 そこで、時間の価値に気づくために、意図的に、時間を制限する ことです。
 日常の時間を、いくつかに区切って、管理してみましょう。
 何時から何時までは、これをすると決め、時間が来たら、必ずやめることです。
 

 

 さらに、表にして、無目的な時間がないか、チェックしましょう。
 
今日の、午前中は資料のまとめ、午後は得意先で接客、アフター 5 はジムで体力作り ・・・ など。
 すると、各時間内ごとに、割り当てた予定の達成が、「目的」 として、明確化される はずです。
 反対
に、1 つのことに、ダラダラ時間をかけると、「目的」 も見えてこない、のではないでしょうか

 

 

41.ドラッカーから 「時間の管理」 を学ぶ      2015.02.04

 

 以前も、お話ししたとおり、心理学者のアドラーと、経営学者の P. F. ドラッカーには、共通点があります。
 それは、オーストリア系ユダヤ人であり、人生の後半を米国で過ごしている点でした。

     さらに、中野明著 勇気の心理学 アルフレッド・アドラーが1時間でわかる本によると・・・
     アドラーとドラッカーは、共通の着眼点を持っていた と、指摘されています。

 

 私は、アドラーの理論と、ドラッカーの理論を、お互いに補完しあう関係 として、利用しています。
 時には、アドラーの理論を、さらに吸収するために、ドラッカーの理論を、復習することもあります。
 また、時には、ドラッカーの理論の根拠を求めて、アドラーの理論との関連について、考えることもあります。
 これは、中野さんが、指摘されるとおり、共通の着眼点から発展させた理論、だからでしょう。
 

 

 しかし、ドラッカーの著書は、「嫌われる勇気」 の何倍も、難しいものです。
 そこで、おすすめするのが、P.F.ドラッカー著 仕事の哲学 です。
 これは、数多くの著書の中から、名言だけを抜粋したものです。
 私自身、ドラッカーの著書には、何度も挫折しましたが、この本を突破口に、ようやく、理解 に至りました。  

 

 第 13 章のテーマは、「時間管理」 です。
 ドラッカーの理論には、いくつかの特徴がありますが、時間を重視する点も、その 1 つ です。
 この章には、20 の名言が、紹介されています。
 何れも、2 〜 5 行の、長さです。
 

 

 たとえば ・・・
     ・ 時間は、最も希少な資源である。しかも、時間を管理できなければ、何も管理できない

     ・ 時間の使い方を知っている者は、考えることによって成果をあげる
 ・ 時間の浪費である仕事を見つけ、捨てなければならない  

 

 嫌われる勇気のない人は、セルフ・コントロールに、無駄な時間を、費やすことがあります。
 それが原因で、成長のための時間、生産活動を行う時間が、奪われてしまいます。
 その防止策として、「時間の管理」 が、有効ではないでしょうか。

     時間の管理によって、時間の使い方を、客観的に評価し、目的のない時間を、減らす ことでしょう。

 

 

42.「生きる目的」 は何か ?      2015.02.06 

 

 目的の明確化にも、コツがあります。
 それは、小さなものから、始めてみる ことです。
 以前、お話ししたように、時間を予定で区切ると、各時間内の目的が、明確になります。
 このように、目的の明確化は、小さなモノから、スタートするとよいでしょう。

 

 反対に、大きな目的ほど、明確化が、難しくなります。
     たとえば、「生きる目的は何か」 と聞かれても、なかなか、答えられるものではありません。
     なぜなら、人間は、生きる目的を決めてから、生まれてきた、訳ではないからです。
 従って、生きる目的は、自分自身で、決めなければいけません。
 

 

 しかし、そのためには、ある程度の人生経験を、必要とするものです。
 だから、若いころに、生きる目的が見つからなくても、何ひとつ、不思議ではありません。
 私の場合、ようやく、その気になったのは、40 代の終わりごろです。
     たぶん、残りの人生を、意識し始めたからでしょう。  

 

 それまでは、やりたいことが多く、焦点が絞りにくいものでした。
 しかし、50 歳が近づくにつれ、年齢的に、できることが、限られてきます。
 おもな原因は、「残された時間」 と 「体力」 にあります。

 選択肢が減ったおかげで、「生きる目的」 が、初めて、明確になりました。  

 

 最終的には、「次世代に、よりよい社会を残すこと」 にしました。
     これなら、「共同体感覚」 「貢献感」 の点からも、残りの人生を、充実させることができそうです。
 ただし、特別なことをする、気はありません。

 自分の得意分野を生かして、できる範囲内で、社会に貢献できればよい と、考えています。  

 

 ドラッカーが、13 歳のとき、「どんな人間として、他の人の記憶に残りたいか」 と、学校で聞かれました。
 誰も答えないと、先生は笑いながら、こう言ったそうです。
 いま答えられるとは思わないが、50 歳になって答えられないと問題だよ。

 人生を無駄に過ごしたことになる からね。

 

 

43.「目的」 の次は 「目標」      2015.02.08

 

 目的を、実現させるために、必要なものは、何でしょうか。
 それは、目標です。
 目的実現の確率を高めるためには、目標を、うまく使いこなすことでしょう。

     つまり、目標とは、「目的を実現させるためのツール」 とも、言えます。

 

  私は、目標を、次の 2 つに分けています。
  ① 達成するための目標 ・・・ 目的と目標が、ほぼ一致している
  ② 目指すための目標  

 「① 達成するための目標」 とは、たとえば、入学試験など。
 合格 (目標) しなければ、入学 (目的) できませんので、必ず、達成させなければいけません。

  「② 目指すための目標」 とは、たとえば、甲子園出場など。
     高校球児の多くは、甲子園大会出場 (目標) を達成できませんが、技術、体力、協調性などの修得 (目的) は、実現します。  

 

 「① 達成するための目標」 では、まず、現状とのギャップを、測定します。
 たとえば、合格するために、必要な偏差値が 60 なのに、現状が 50 であれば、ギャップは 10。
 試験が 12 ヶ月後であれば、遅くとも 2 ヶ月前までには、60 に達したいものです。

 10 ヶ月間に 10 上げるのが、最終目標であれば、毎月平均 1 上げるのが、短期目標 になります。  

 

 このように、最終目標に対して、小さな短期目標を、重ねていくのが、コツと言えます。
 それは、2 階へ上るために、地上から、階段を設定して、1段ずつ、上るイメージです。 

     この階段を、設定する場合も、最終目標の高さと、時間的制約を考慮して、そこから逆算すべき です。
 反対に、今の自分からスタートすると、最終的に高さが足りなかったり、時間的に間に合わない、恐れががあるからです。  

 

 「① 達成するための目標」 は、わかりやすいので、達成感を求めて、この目標ばかり、追う 人もいます。
 たとえば、「資格マニア」 と、呼ばれる人たちなど。
 しかし、実際、社会に役立てることができなければ、自己満足に終わるため、 「共同体感覚」 や 「他者貢献感」 は、得られません。
 資格は、必要最低限あれば、よいのではないでしょうか

 

 

44.「目標」 を利用して、人生を豊かにする      2015.02.09

 

 もう1つの目標「② 目指すための目標」 は、「目的」 と 「目標」 が、必ずしも、一致しません。
 「目標」 を、達成しなくても、目指すことによって、「目的」 を、実現させることができます。
 この 「目標」 は、「本来のゴール」 ではなく、「仮のゴール」 とも、言えます。
     だから、「① 達成するための目標」 と比べると、わかりにくい一面もあります。

 

 「① 達成するための目標」 は、人生を堅実な方向へ、導くものでもあります。
 一方「② 目指すための目標」 を、使いこなせるようになると、人生が、面白くなります。
     人生を、豊かにするのは、実は、こちらの目標かもしれません。  
 求められるのは、想像力でしょうか。
 

 

 たとえば、私の場合、「100歳現役」 を、目標にしています。
 実際には、100 歳はおろか、80 歳まで、生きられるかどうかさえ、危ういものです。
 しかし、50 歳を過ぎてから、この目標を目指して、「健康管理」 「体力増強」 「ボケ防止」 に、取り組み始めました。

 これによって、少しでも長く、気力と体力を、維持できればよい と、考えています。  

 

 また、「文筆業 (文章で生計を立てる職業) 」 も、目標の 1 つにしています。
 かつて、「現代国語」 の成績が、あまりにひどかったため、晩年までに、何とかしたい と、考えています。
 今も、この目標のために、せっせと、文章を、書き続けている訳です。
 気のせいかもしれませんが、数年前の文章と比べると、多少の進歩が、見られるようですが ・・・
 

 

 税理士業の場合、毎月、申告書の期限に、追われています。
 つまり、私たちは、日常、「① 達成するための目標」 に、追われている訳ですが、これだけでは、人生がつまらないものになります。

     一方、「② 目指すための目標」 は、自分の意思で、自由に設定する ことができます。
     ここに、遊び心を加えると、人生を、より豊かにすることが、できるのではないでしょうか。  

 

 世の中には、「フル・マラソン」 を、目標にしている人たちも、いるようです。
 もし、目の色を変えて、真面目に取り組んでしまうと、「①達成するための目標」 に、なってしまいます。
 しかし、多くの人にとって、それは、趣味の域に、あるはずです。

 だから、「② 目指すための目標」 として、気負うことなく、楽しみながら、取り組んでいただきたい ものです。

 

 

45.「目的」 のない 「目標」      2015.02.10

 

 「目標」 は、本来、「目的」 を実現させるために、あります。
 しかし、「目的の設定」 は、「目標の設定」 に比べて、はるかに、難しいものです。
 特に、生きる目的などは、数十年の、人生経験を経なければ、見えてきません。

 だから、目的が、わからなければ、素直に、保留 しておくことです。

 

 反対に、未熟な状態で、無理に目的を設定すると、現実離れしたもの になる、可能性が高いのではないでしょうか。 
 たとえば、「自分が特別な人でなければならない」 と、信じている人。
 このような人たちの中には、大きな賞賛を得るために、軽率な正義に囚われたり、架空の成功を求める人もいます。
 社会に出た後も、その目的に引きずられると、命を落としたり、大きな詐欺事件を起こすこともあります。  

 

 しかし、「目的」 も 「目標」 もない生き方は、人生から、覇気と活力を、奪います。
 だから、「目的の設定」 は、保留して、「目標の設定」 に、取り組みましょう。
 「早寝早起」 「腹八分目」 「体調維持」 「一日一善」 「日々成長」 「情緒安定」 「整理整頓」 など。
     これらは、目的がわからなくても、設定できる 「目標」 です。

 

 ところで、これらの 「目標」 を、選択する場合も、優先順位は人さまざまです。
 それは、何らかの力が、働いているからではないでしょうか。

     実は、心の奥底に、隠れていますが、そこに 「生きる目的」 がある と、私は、考えています。
 ただし、人生経験が足りないことが原因で、言葉にできないのではないでしょうか。  

 

 アドラー心理学では、「人間は幼児期に、ライフスタイルを決めている」 と、考えます。
 自分では、よくわからないけれど、深層意識や潜在意識の中に、潜んでいるのではないでしょうか。
 つまり、「生きる目的」 も、言葉にはできないけれど、存在しているのかもしれません。

 しかし、成長には、ライフスタイルの変更が、必要なように、当初の 「生きる目的」 を、変更する必要 があります。  

 

 当初のライフスタイルや、生きる目的は、両親の考え方や、家庭環境の影響によるものです。
 これらのうち、よくない部分を、変更しなければ、残りの人生が、改善されることはないでしょう。
 改善するためには、言葉にする必要があります。

 だから、「目的」 はわかりにくいものですが、わかろうとする、つまり、言葉にする努力も、必要 ではないでしょうか。

 

 

145.ドラッカーが主張する 「成長」      2015.02.11 

 

 以前、お話ししたとおり ・・・
 アドラーと、ドラッカーは、ともに、オーストリア系ユダヤ人です。
 また、人生の後半を、米国で過ごしています。

 さらに、アドラーと、ドラッカーの考え方には、共通点が多い と、指摘されています。

 

 アドラーは、医師でもあり、「教育」 にも、大きな関心があったようです。
 一方、「マネジメントの父」 と呼ばれた、ドラッカーは、「ビジネス」 の面から、アプローチ しているようです。
     ドラッカーの名言集、「仕事の哲学」 より、「成長」 に関するキーワードは ・・・
     ① 仕事   ② 能力   ③ 責任   ④ 自己啓発   ⑤ 成功
 

 

 人間は、生きるため、自立するために、「① 仕事」 をして、お金を稼がなければいけません。
 同時に、各人が仕事をすることによって、社会が豊かになっていることにも、気づくべきでしょう。

 ドラッカーは、「焦点は仕事に合わせなければならない」  と、述べています。
 成人後に、仕事をすることなく、成長を続けるのは、難しいのではないでしょうか。  

 

 「② 能力」 ・・・・・・・ 仕事の能力を高めると、充実感と自信によって、人間性も変わる (成長する)
     「③ 責任」 ・・・・・・・ 仕事に責任を持つと、成長 の必要性を自覚できる
     「④ 自己啓発」 ・・・ 自己啓発は、能力だけではなく、人間性も高める (成長する)
 「⑤ 成功」 ・・・・・・・ 仕事の 「問題」 より 「成功」 に注目すると、成長 につながる  

 

 人間、誰しも、生後、しばらくの間は、本能の力によって、成長する ものです。
 しかし、20 代前半で、成長が止まってしまう人も、少なくありません。
 マズローの欲求 5 段階説によれば、「欲求」 の成長が止まったことに、原因が、あるのかもしれません。
     ドラッカーの主張によれば、前述の ① 〜 ⑤ に、原因が、あるのかもしれません。
 

 

 学校の勉強は嫌いだったが、仕事は好き。
 このような旧友と、再会すると、別人のように、生き生きとしています。
 仕事を通じて、ずっと、成長を続けてきたようです。

 仕事は、自分を成長させ、しかも、収入にもつながる ので、これは、当然の結果かもしれません。 

 

 

 次回につづく。 →  こちらをクリック

続10 「 嫌われる勇気 」 人生が変わるアドラー心理学  2015-02-12

 前回までの内容 → こちらをクリック

 

 

146.「成長する人」 と 「成長しない人」 の違い      2015.02.12

 

 「成長する人」 と、「成長しない人」 の、違いは、どこに表れるのでしょうか。
 私は、その人が、「過去と未来の、何れを、重視しているのか」 を、目安 にしています。
 話を進めるために、仮の前提条件を、2つ設けましょう。
     1つは 「現在の自分とは、過去の集大成であること」 、もう1つは 「成長とは、よい方向へ変わること」 です。

 

 まずは、「成長する人」 について・・・
 成長を目指す人は、「未来の自分」 は、「現在の自分」 よりも、よい方向へ変わるべきだと、考えています。
 そのために、現在の自分 (= 過去の集大成) の、一部を改めて、新しい 「未来の自分」 に、生まれ変わろうとしています。

 つまり、成長する人が、重視しているのは、「過去」 ではなく、「未来」 ではないでしょうか。  

 

 次に、「成長しない人」 について・・・
 成長を拒否する人は、「未来の自分」 は、「現在の自分」 と、同じであることを、望んでいます。
 そのために、現在の自分 (= 過去の集大成) を、守ろうとします。

 つまり、成長しない人が、重視しているのは、「未来」 ではなく、「過去」 ではないでしょうか。  

 

 具体的には、どのようなケースで、明らかになるのでしょうか。
 たとえば、他人から、現在の自分の欠点を、指摘されたとします。

     成長を目指す人は、現在の自分 (= 過去の集大成) の一部を、改めよう と、心掛けています。
 だから、適正なものであれば、欠点が指摘されることを、歓迎します。  

 

 反対に、成長しない人の中には、全人格を否定されたと、感じて、猛反発する人もいます。
     前述の前提が、正しいなら、「現在の自分とは、過去の集大成」 です。

 成長しない人は、その過去に、囚われて、生きています。
 だから、現在の自分が否定されると、これまでの人生が、すべて否定されたような、気持ちになるのではないでしょうか。  

 

 成長するために、求められるのは、「未来の自分」 「未来の人生」 に、目を向ける こと。
 同時に、「過去の自分」 「過去の人生」 から、いさぎよく、目を離すことです。
 すると、現在が意味するものも、「過去に縛られた現在」 から、「未来を築くための現在」 に、変わるのではないでしょうか。
 このプロセスにおいて、「原因論」 から 「目的論」 への転換が、欠かせないと、考えられます。

 

 

147.なぜ、「未来」 を重視すべきなのか ?      2015.02.13

 

 人生を 80 年と仮定し、次の 4 つの期間に、区分 してみましょう
     ① 0 〜 20 歳   ② 21 〜 40 歳   ③ 41 〜 60 歳   ④ 61 〜 80 歳
 各期間の配点が 25 点で、全部で 100 点、それぞれの期間を、自己採点するとします。
 これは、生前に、人生を改善することが、目的のため、何歳まで生きられるかは、関係ありません。

 

 もし、自分が、① の期間を終えた時点、つまり、20 歳だとします。
 成績も素行も悪く、ひいき目に採点しても、25 点満点のうち、10 点しか、取れなかったとします。

     しかし、重要なポイントは、「何点取れたのか」 よりも、「どのように、考えるのか」 にあります。
 それによって、残りの人生の得点が、変わってくるからです。

 

 もし、これまでの自分に失望して、一生、引きこもったとします。
 すると、その後の、② 〜 ④ の期間は、さらに、得点が下がる 可能性があります。
     各期間の得点が、5点だとすると、人生全体では、下記の点数になります。
     10 点 × 1 + 5 点 × 3 = 25 点  

 

 また、「勉強ができる人間に、ろくな奴などいない」 などと、自分を、正当化する人たちもいます。
 このケースも、過去に囚われている点において、変わりはなく、それ以降も、同レベルの得点 で終わります。
     10 点 × 4 = 40 点
 成長するためには、自分を、否定する勇気が、求められるからです。  

 

 過去の自分は、ダメ人間だったが、過去のことは忘れて、生まれ変わろう。
 未来に目を向け、必死に努力し始めると、人生は上り坂 に、変わります。
     10 点 + 15 点 + 20 点 + 25 点 = 70 点
     平均点が、50 点だとすれば、かなり、よい人生が、歩めるはずです。  

 

 最も重要なのは、人生全体の点数を、高めること ではないでしょうか。
 その中で、過去は、変えられないので、「よい過去」 も 「悪い過去」 も、さっさと、忘れることです。
     自分の力で、変えることができるのは、未来だけです。
 だから、唯一、チャンスが認められる、未来のみに、ターゲットを絞って、努力を傾けるべきでしょう。 

 

 

48.「自分」 に期待する人生      2015.02.14 

 

  「成長する人」 と、「成長しない人」 の、違いは、どこに表れるのでしょうか。
  その2つ目として、私は、その人が、「誰に期待しているのか」 を、参考にします。
     「嫌われる勇気」 を読んで ・・・
 「人生には、何も望まない、何も期待すべきではない」 と、誤解している人も、いるかもしれません。

 

 アドラー心理学で、「期待しない」 と、言っているのは、あくまで、他人に対するものです。
 他人には、他人の人生があるので、他人の課題に、足を踏み込んではいけません。
 そのために、「課題の分離によって、他人の課題を、切り捨てなさい」 という意味です。 

     同時に、それは、「自分の課題に、全力で、立ち向かいなさい」 という意味でも、あります。  

 

 アドラー心理学を、実践すると、共同体に対する貢献、つまり 「共同体に与えること」 が、自分の課題になります。
 その中で、より大きな貢献感を、実現させるためには、自分自身が、成長しなければいけません。
 だから、常に 「自分は何ができるのか」 に、関心があります。

 つまり、「成長する人」 は 自分自身に対して、成長を求め、成長を期待する のではないでしょうか。  

 

 一方、「成長しない人」 は、他人に期待します。
 他人が、自分に対して、何をしてくれるのか、つまり 「相手から与えられること」 を、期待しています。
     他人に対して、強い関心を持つため、他人のことが、気になって、仕方がありません。
 中には、話題の大半が、他人の噂話という人まで、いるのではないでしょうか。
 

 

 他人に世話を焼く、ケースにおいても ・・・
  「成長する人」 は、見返りを、期待することなく、援助の範囲内で、淡々と行います。

 反対に、「成長しない人」 は、相手に対して、期待を持つため、節度がなくなる こともあります。
 その期待とは、「自分に対しても、同じように接して欲しい」 から、「相手を依存させて、支配したい」 まで。  

 

 他人とは、自分以外の者、と言う意味ですから、この中には、子供も、含まれるでしょう。
     最も、罪深いのは、親による子供の支配、ではないでしょうか。
 このような親を持つと、子供は30代になっても、自立することができません。
 1日も早く、「課題の分離」 をマスターして、自分自身の人生を、歩んでいただきたいものです。

 

 

49.自分に対する期待は 「課題」 の内容で決まる      2015.02.15 

 

 私は、世界中の誰からも、期待されていない。
 しかし、私だけは、自分自身に、期待している。

 このような状態が、最も、健全 ではないかと、私は、考えています。
 以下に、わかりやすく、説明します。

 

 もし、世界中の誰からも、期待されていない。
 それでも、自分自身に、期待できる人間になれば、相当、強く、生きられるのではないでしょうか。
 先駆者と呼ばれる人たちは、当初、周囲から誤解を受けるなど、大きな挫折と困難を、経験しています。

 これを克服できたのは、自分自身に、期待できたから、 ではないでしょうか。  

 

 それでは、なぜ、自分自身に、期待できたのでしょうか。
 それは、「自分のため」 ではなく、「共同体のため」 だったから、ではないでしょうか。
 もし 「自分のため」 だけであれば、周囲の人から、誤解を受けた段階で、挫折することでしょう。
 何しろ、嫌われる勇気さえ、ないのですから。
 

 

 成長とは、「よい方向へ変わること」 と、私は、理解しています。
 その、よい方向とは、「共同体に対して、貢献できる、自分になること」 、ではないでしょうか。

     これによって、自分自身を、成長させることもできれば、同時に、共同体を、豊かにすることもできます。
 「Win Win (両者ともによい) 」 の関係になるため、成功も、長続きします。  

 

 次に、他人が、私に期待している状態。
 「課題の分離」 から、言えば、その人は、間違っていることになります。
 その人には、取り組むべき、その人自身の課題が、あるはずです。

 だから、その人が、期待すべきは、私ではなく、その人自身 で、あるはずです。  

 

 とは、言うものの、実際には、他人から期待されたり、他人を失望させたり、しているものです。
 他人が、どう思うのかは、「他人の課題」 ですから、一切、気にする必要はありません。
 重要なのは、自分がどうあるべきか ・・・ つまり、どんな状況でも、自分自身に、期待できる人間になることです。

 そのためには、それに見合った 「自分の課題」 を、設定する ことではないでしょうか

 

 

50.成果 = 時間の質  ×  時間の量      2015.02.16 

 

 「成長する人」 と、「成長しない人」 の、違いは、どこに表れるのでしょうか。
     その 3 つ目として、私は、その人の、「時間の使い方」 に、注目します。
 人間社会は、太古の昔から、不平等なものです。
     しかし、時間は、平等に与えられた、数少ない資源の1つ、ではないでしょうか。

 

 その証拠に世界的な大富豪でさえ、時間を、買うことができません。
 寿命がくれば、必ず、亡くなるものです。
     当たり前のことですが、万人とって、1 分は 60 秒であり、1 時間は 60 分、1 日は 24 時間、1 年は 365 日です。
 また、過去と未来の狭間に、現在があり、現在は、次の瞬間、過去になるものです。
 

 

 このように、人生の残り時間は、毎秒、休むことなく、減り続けています。
 増えることは、たったの 1度 も、ありません。
 ところが、成長するために、本を読んだり、考えるためには、莫大な時間を、必要とするものです。

     だから、成長を目指す人は、時間が、何よりも 「貴重な資源」 であることを、痛感しています。  

 

 一方、成長を望まない人たちは、時間の価値に、気づこうともしません。
 これが原因で、時間、つまり人生よりも、一度、コピーした紙の裏を、大切にします。
 また、精神的に未熟な人は、30 歳を過ぎても、情緒が安定しません。
 おかげで、自分のセルフ・コントロールに、多くの時間を、浪費してしまいます。  

 

 時間あたりの成果 = 時間の質 × 時間の量 
 もし、この算式が正しいと仮定し、時間の量が、一定だとすれば、成果を増やす方法は、1 つしかありません。
 「時間の質を高める」 ことです。

 時間の質は、ある程度まで、自分でコントロールできる ものだからです。

 

 私の場合、50 歳前後から、人生の残り時間が、つくづく惜しくなりました。
 苦手な英会話、ギター、ゴルフなどの上達は、来世の課題にまわしました。
 もともと、流行を追わない質なので、スマホをいじったり、SNSに時間を割く気も、まったくありません。
 時間の価値に気づくと、驚くほどシンプルな人生が、見えてくる のではないでしょうか

 

 

51.「量」 が変わると、「質」 も変わる      2015.02.17 

 

 書店へ行くと、時間の使い方に関する本が、並んでいます。
 その多くは、効率的な方法を、紹介しています。
 無駄な時間を減らして、重要なことに費やす時間を増やす。
 あるいは、順番を入れ替えたり、組み合わせを変えるなど。

 

 多くの自己啓発本や、お金儲けの本と同じように、読後、しばらくは、その気になります。
 しかし、1ヶ月も経つと、元の状態に、戻ってしまいます。
 なぜなら、 「時間の質」 については、何も、改善されないからです。

 「時間の質」 を高めるためには、小手先のテクニックではなく、自分自身の、集中力を高める、必要があります。  

 

 これまでの経験より、私は、竹田式ランチェスター戦略の、「時間戦略」 が、最も妥当と、考えています。
 ランチェスター戦略では、成果を挙げるために、特定の要素を、2 乗します。

 時間戦略では、何と、「時間の量」 を 2 乗します。
 例えば、2 倍の成果を、目標にする場合は、√2  ≒ 1.41 倍の、時間をかけます。  

 

 取り組む時間を増やす、本当の理由は、どこにあるのでしょうか
     それは、かける 「時間の量」 によって、「時間の質」 が、変化する ことにあります。
 「努力の量」 を横軸 (X軸)、「成果」 を縦軸 (Y軸)、にして、グラフを描くと、どうなるでしょうか。
 グラフが、急な角度で、上昇し始める点が、あるはずです。
 

 

 つまり、成果とは、努力が一定量を超えると、急激に上がり始める もの、と言えます。
 大きな成果が、得られるかどうかは、そこまで頑張れるかどうかで、決まるものかもしれません。 前回、
成果は、「時間の質」 によって、決まると、お話ししました。
 しかし、「時間の質」 を高めるためには、一度、「時間の量」 を増やして、限界近くまで、努力する必要がある のではないでしょうか。  

 

 ただし、このような方法が採れるのは、一生のうちの、ほんの一定期間のみです。
 なぜなら、人生には、重要な課題が、他にも、あるからです。
 もし、一生、仕事のみに集中したとしたら、たぶん、家庭崩壊の危機が、訪れるのではないでしょうか。

 ポイントは、「今、何に重点を置くべきか」 を、見極める ことでしょう

 

 

52.1 つのことに、専念してみる      2015.02.18

 

 努力が、一定量を超えると、ある時点から、驚異的に、成果が上がり始めます。
 私は、小学生時代、次のような、経験をしました。
 水泳部に所属し、50 m 平泳ぎのタイムに、伸び悩んでいたときのことです。
 それでも、連日、練習に明け暮れたところ、2 日続けて、3 秒ずつ縮んだ ことがありました。

 

 また、税理士試験 5 科目のうち、税法 3 科目に、合格するためには、相当な量の暗記が、求められます。
 1 科目あたり、800 字程度の理論を、最低でも 30 問、ほぼ間違えることなく、猛スピードで、書けなくてはいけません。
 しかし、当初は、暗記が大の苦手で、1 問、覚えるのさえ、ほとほと苦労しました。

 ところが、トレーニングを積んだ結果、平均的な受験生よりも多い、約 55 問を、マスター することができました。  

 

 努力が、一定量を超えると、ある時点から、驚異的に、成果が上がります。
 この事実を知ると、並み外れた努力が、可能になります。
 なぜなら、いつ、その時が訪れるのか、期待できるようになるからです。

 おかげで、大きな成果が得られるまで、手を緩めなくなりました。  

 

 スポーツの話に戻りますが、限界近くまで、トレーニングを積むと、どうなるのでしょうか。
 「身体が自然に動くようになる」 のではないでしょうか。
     あくまで、私の推測ですが、それ以前と、それ以後では、使うべき脳の箇所が、異なるのかもしれません。

     だから、そこに達するまでは、決して、あきらめない ことです。  

 

 実は、質を変えるために、量を増やす場合にも、コツがあります。
 それは、1 つのことに、大量の努力を注ぎ込むこと。
 そのために、それ以外のことを、極力、しないようにすること。

 つまり、1 つのことに専念する ことです。  

 

 すると、時間の質が、変わります。
 脳の大半が、1 つのことで、独占されると、達成が早まるようです。

 逆に、あれも、これもと、気が多いと、いつまで経っても、「並の質」 から、変わることはありません。
 また、努力の量については、極端な言い方ですが、倒れそうになるまで、頑張ってみましょう。

 

 

53.「困難」 は、成長のためにある 「自分の課題」      2015.02.19 

 

 「成長する人」 と、「成長しない人」 の、違いは、どこに表れるのでしょうか。
  その 4 つ目として、私は、 その人の、「困難に対する姿勢」 を、重視します。
  姿勢とは、言動ではなく、あくまで行動です。
  行動で判断するのが、最も信頼性が高いと、考えています。

 

 困難とは、実は、その人だからこそ、起きるものではないでしょうか。
 なぜなら、人は、それぞれ、異なる個性を持ち、異なる人生を、歩んでいるからです。
 もし、同じ人生を歩んだとしても、個性が異なれば、まったく、同じ困難を、抱えることはないでしょう。

 従って、困難とは、その人が成長するために、与えられた 「課題」、 という言い方もできます。  

 

 成長する人は、困難に対して、主体性をもって、 「克服しなければならない」 という、姿勢で臨みます。
 克服するためには、必ず、「反省」 が、求められます。
 反省することによって、その困難の原因、つまり、自分の未熟な部分を、特定することができます。
 その部分を、成長させることが、自分の課題だと気づき、レベルアップに、取り組むのではないでしょうか。  

 

 成長とは、よい方向へ変わることだと、私は考えています。
 だから、困難という、自分独自の課題を、克服すれば、必ず、人生は改善され、自分自身も 「成長」 する はずです。
 また、一度、克服すれば、同じような困難は、ほとんど、起きなくなります。
 なぜなら、事前に気づいて、回避したり、その困難が、起きない状況を、つくり出すことも、可能だからです。

 

 反対に、成長しない人は、困難から、逃れようとします。
 中には、嘘をついたり、他人を騙すなど、悪質な方法で、回避しようとする人もいます。
  これでは、せっかくの成長の機会を、逃すことになります。  根本的な原因は、「自分を否定する勇気がない」 ことに、あるのかもしれません。  

 

 その結果、成長しない人は、同じような失敗を、繰り返します。
     あるいは、何十年たっても、低迷から、抜け出せない人もいます。
 自分に起きることは、何かしら、自分が原因で、起きているものです。
 そこから、逃げずに、取り組めば、人生は、改善の方向へ、向かうのではないでしょうか。

 

 

4.「きびしいけれど、希望のある道」 を、選択する      2015.02.20 

 

 アドラー心理学について ・・・
 きびしいけれど、そこには、希望がある。
 以前、お話ししましたが、ネット上、どこかで、読んだ感想です。
 これは、非常に、的確な表現ですね

 

 ところで、次の 2 つの人生のうち、どちらを選ぶでしょうか。
 ① きびしくはないが、希望も見えない人生
 ② きびしくても、希望が見える人生

 ① を選ぶ人は、困難から、目を背け、② を選ぶ人は、困難を直視する でしょう。  

 

 私は、普通人なので、① の時期も、② の時期も、経験しています。
 現在、50 代半ばですが、これまでの感想を、お話しましょう。

 お伝えしたいことは、ひとつ、成長を目指すなら、① を避けて、② を選ぶ ことです。
 短期であれば、① でも構いませんが、1 年以上、① の人生を、続けてはいけません。  

 

 理由は 3 つあります。
 1 つ目は、困難とは、事前に思うほど、大変なものではない こと。
 これは、克服して、数年、経つと、実感できるものです。
 子供のころ、つまらないことで、悩んでいたことを、思い出してみましょう。
 

 

 2 つ目は、① の人生に入り込むと、② の人生に戻るのに、苦労する こと。
 若い頃は、② の人生を送り、非常に優秀でしたが、途中で ① の人生に入り込み、低迷状態から、抜け出せない人がいます。
 ① の期間が、長ければ、長いほど、② の人生に、戻れなくなるようです。
 ① の期間が 3 年あれば、② の人生に戻るためには、3 年以上、かかるのではないでしょうか。
 

 

 3 つ目は、人間として、弱くなる こと。
 心身の健康を、維持するためには、適度なストレスが必要です。
 しかし、安楽な人生を送っていると、神経が過敏になったり、無感覚になるため、耐性が低くなります。
 本来の自分らしく、生きたいのであれば、早い段階で、② の人生に、戻ることでしょう。

 

 

55.「責任感」 が、人間に成長をうながす      2015.02.22 

 

  「成長する人」 と、「成長しない人」 の、違いは、どこに表れるのでしょうか。
     最後の5つ目として、私は、ドラッカーの主張に従い、その人の、「責任感」 で、判断します。
 これまで、多くの人と、仕事をしてきました。
 その経験上、成長の判断基準として、この 「責任感」 が、最も的中率が高いと、考えています。

 

  「仕事に対して、責任を持つと、成長の必要性を、自覚できる」 と、ドラッカーは述べています。
 責任感のある人は、自分の地位に関係なく、よりよい仕事を、心掛けています。
 すると、自分の不完全な部分、つまり、未熟さに、気づくことができます。
     それによって、成長の必要性を、より多く、自覚することができます。
 

 

 一方、仕事に対して、責任感が希薄な人も、います。
 たとえば、お金をもらうためだけに、いやいや、仕事をしている人。
 自分の給料は、これくらいだから、この程度の仕事しかしないと、勝手に、決めつけている人もいます。

 このような、無責任な人たちは、成長と、逆の方向へ進む のではないでしょうか。  

 

 両者の差は、開く一方です。
 無責任な人は、「最低限、給料がもらえればいい」 と、割り切っているのかもしれません。
 しかし、不況が訪れると、その願望さえ、叶わなくなります。

 このような人たちに出会うたびに、アリとキリギリスの話を、思い出します。  

 

 ところで、責任感の強い人の中には、途中で、自分の成長を、あきらめてしまう人も、少なくありません。
     原因は、重要性に関して、優先順位をつけられない 点にある、のではないでしょうか。
 人間にとって、最も重要な課題は、「共同体への貢献」 を通じて、「自分自身を成長」 させることです。
     しかし、そこで、他人の課題まで、背負い込んでしまうと、自分自身の成長が、疎かになります。
 

 

 幸せに生きるためには、周囲の人に、わずらわされないこと ・・・ と、アインシュタイン博士も、語っていました。
 自分自身の課題に、集中するためには、「課題の分離」 によって、他人の課題を、切り捨てましょう。
  「共同体感覚」 「貢献感」 のために、より大きな共同体に、目を向け、自分は、どんな貢献ができるのかを、考えてみましょう。
     最近、成長が止まったかな、と感じたら、その度に、この確認を、繰り返すことではないでしょうか

 

 

56.大きな共同体への 「責任」 を、自覚する      2015.02.23 

 

 「責任」 とは、どのように、自覚すべきものでしょうか。
 組織内で地位に就いたとき、地位に見合った、責任を自覚する ・・・ これは、当たり前の話です。

 特定の地位になくても、自分が関わる仕事には、現場担当者として、全員が責任 を、自覚すべきです。
 しかし、これだけでは、継続的に、成長することができません。

 

 その理由は、自分の職場や、担当部署など、小さな共同体しか、意識していない点にあります。
 小さな共同体に対して、貢献する場合、見返りや、保身などの、自己都合と、明確に区別がつきにくい からです。
     だから、小さな共同体への貢献だけでは、本来の成長効果は、望めません。
 少なくとも、日本社会、さらに、拡大できる人は、世界、地球、人類レベルまで、達しましょう。  

 

 また、時系列に注目すると、意識できる共同体を、過去や未来にまで、拡大させる ことができます。 
     もし、貧困地域や、紛争地域に、生まれていたら、あるいは、もし、日本であっても、1000 年前に、生まれていたら ・・・
 現在のような、豊かな生活は、絶対に送れません。
     このように、想像力を働かせれば、現在の生活環境を築いた、無数の先人たちにも、感謝することができます。  

 

 次に、私たちの責任は、どこにあるのかを、考えてみましょう。 
     過去の世代に感謝したら、未来の世代につなぐのが、現在の世代の責任、ではないでしょうか。

 私は、次世代に、豊かな社会を、残すのが、自分たちの責任 と、考えています。
 ただし、一個人として、特別なことをする、必要はないでしょう。  

 

 まずは、自分の職業を通じて、責任を果たす こと。
 なぜなら、現代社会は、専門化され、分業制になっているからです。
 世間が注目するような、大きなことをする必要は、決して、ありません。
 もし、政治や行政が、担当するような仕事をしたければ、議員や公務員の地位を得て、その地位に基づいて、行動すべきです。  

 

 大切なことは、大きな共同体に目を向け、その一員として、貢献すべき責任を、自覚する こと。
     同じ仕事をし、同じ生活を送っていたとしても、意識する共同体の大きさによって、成長に差が生まれます。
 自分だけ、家族まで、仲間まで、会社まで、業界まで、しか意識できなければ ・・・ やがて、成長が止まります。
 かつては、優秀でしたが、その後、失速する人に、しばしば、見られる、傾向ではないでしょうか。

 

 

57.常に 「社会」 を意識する      2015.02.24 

 

 意識する 「共同体」 が、小さな人ほど、早い段階で、成長が、止まる のではないでしょうか。
 たとえば、「家族」 までしか、意識できず、「社会」 を意識できない人。
 このような人たちの中には、家族の生活を守るために、犯罪を犯す人までいます。
     社会のルールを守るのは、大人として当然ですから、未成年の時点で、成長が止まったと、推測されます。

 

 小さな 「共同体」 は、必ず、大きな 「共同体」 に、含まれます。
 だから、小さな 「共同体」 の、ルールや慣習は、本来、大きな 「共同体」 に、近い内容であるべき です。
     たとえば、国のような、大きな共同体には、憲法など、立派なルールが、定めてあるものです。
 ところが、私たちが、実際に接する、身近な小集団の中には、極めて、レベルの低いものさえ、あります。  

 

 その中で、イジメや差別、偏見、搾取などが、平然と行われている、ケースもあります。
 また、法律を、まったく無視している小集団も、あるのではないでしょうか。
 だから、「嫌われる勇気」 にも、書かれていました。

 (小さな共同体の中で)、対人関係に行き詰まったら、「より大きな共同体の声を聞け」  と。  

 

 精神的に未熟な人たちの中には、何歳になっても、他人に対して、保護と共感を、強く、求める人がいます。
 アドラー心理学的には、「承認欲求が強い」 と、言うべきでしょうか。
 承認欲求が強いと、他人の顔色や発言、評価が、気になるため、情緒が不安定になります。

 その 不安定な心を、安定させるために、小集団の中で、群れながら、お互いに正当化しあう ことを、好む人たちもいます  

 

 このようなメンバーで構成された、小さな 「共同体」 に、固執する人たちは ・・・
 大きな 「共同体」 から見て、明らかに、間違っていることでも、正しいと信じています。
 そこには、客観性もなければ、反省もないため、成長とは、逆の方向へ、進むのではないでしょうか。

 だから、個人よりも、むしろ、小さな 「共同体」 の一員であるとき、より、注意すべきでしょう。

 

 私たちにとって、重要な課題は、自分自身を成長させること。
 成長させるためには、自分が意識する共同体を、より大きく拡げていくことです。

 もし、小さな共同体に、属していても、大きな共同体である 「社会」 の存在を、忘れない こと。
     「社会的に見て、どうなのか」、 ということを、常に、念頭に置けば、大きな間違いだけは、避けられそうです。

 

 

58.「成長する人」 になる      2015.02.25 

 

 成長する人の特徴は ・・・
     ① 未来を重視する  ② 自分に期待する  ③ 時間を大切にする  ④ 困難に立ち向かう  ⑤ 責任感が強い
 成長しない人の特徴は ・・・
     ① 過去を重視する  ② 他人に期待する  ③ 時間を無駄にする  ④ 困難から逃れる   ⑤ 責任感が希薄

 

 さらに、① では 「目的論」、② ④ では 「課題の分離」、⑤ では 「共同体感覚」 「貢献感」。
 以上は、アドラー心理学で、おなじみの内容です。
 ③ では 「竹田式ランチェスター戦略」 と、レーニンが唱えた 「量と質の関係」 の話など。
 これらの内容を、加えて、説明させていただきました。  

 

 146 話 〜 157 話を、まとめると、おおむね、このような内容になります。
 その他、「成長が止まると、完全主義におちいる」 という、お話を、したこともあります。
 成長が止まると、他にマスターすべき課題があっても、見えなくなります。
 既に、マスターした分野しか、見えないため、重要性の低い部分まで、細々と、こだわる人が出てきます。  

 

 また、成長する人と、成長しない人では、「時間の感じ方」 にも、違い があります。
 成長する人は、1 日が、あっという間に、過ぎ去りますが、成長しない人は、1 日が、長く感じられます。
 ところが、10 年という単位で考えると、この感じ方が、逆転します。
 なぜなら、成長しない人は、成し遂げたことが、何一つないからでしょう。  

 

 何かを成し遂げる場合にも、ポイントがあります。
 まずは、経験後、必ず、自分が成長していることを、目的とすること。
 成長とは、よい方向へ変わることですが、特に、「価値観を高める」 ことが、有効です。

 「新しい自分」 に生まれ変わるためには、「価値観の変化」 が、欠かせない、からです。  

 

 成長速度を上げるためには、さらに、自発的に、取り組まなければいけません。
 すると、他人から、強制されるよりも、ずっと、早く、マスターする ことができます。
     1 つ課題を、早く通過できれば、また、次の課題に、挑戦できるため、より効率よく、自分を成長させることができます。
 以前、ご紹介した 「 80 対 20 の法則」 を、フル活用して、人生のロスを、なるべく減らしたいものです。

 

 

59.自分独自の 「成長スタイル」 を確立する      2015.02.26 

 

 20 代前半までは、多くの人が、成長します。
 学生として、教育を受け、周囲からも、期待されたり、強制されるからです。
 しかし、就職して、しばらくすると、その状況から、解放されます。
 それと同時に、成長するためには、自主性が、求められるようになります。

 

 自主的に成長に取り組む人と、漠然と過ごす人では、年々、その差が、開いていきます。
 せっかく、よい大学を出ても、成長を怠った人は、仕事の意味を、理解することができません。
 だから、お金のために、いやいや仕事をしたり、社交のために、職場へ来る人さえ、います。
 さらに、同レベルの人たちと、群れていると、成長とは逆の方向へ、進んでしまいます。  

 

 問題は、いつ失速するのか。
 言い換えれば、どうすれば、「成長を習慣化」 できるのか。

 まずは、自分に合った、成長スタイルを、確立しなければいけません。
 この課題も、自分自身のものなので、真剣に取り組むべきです。  

 

 ポイントは、長く、続けられて、しかも、成果が挙がること。
 何かに挑戦する中で、この要件を満たす方法を、いろいろ試してみる ことです。
 私の場合、本を、利用しています。
 本から吸収した内容を、実践の中で、アレンジしながら、自分のものにしていきます。  

 

 読書の方法としては、「多読」 によって、良書の発見に務め、見つかれば 「精読」 しながら、サブノートを作成します。
 このプロセスを、経ることによって、やっと、頭の中に、定着させることができます。

 P.F.ドラッカー著 マネジメント エッセンシャル版 などは、この作業に、約3ヶ月も、かかりました。
 大変ではありますが、苦労の末、理解できたときは、疲れも、吹っ飛びます。  

 

 本の最大の魅力は、日常、出会うことができない人の、知識や知恵に、簡単に、しかも、安く、触れられることです。
 たとえば、それは偉人であったり、外国人であったり、過去の人物だったりします。
 さらに、好きなときに、好きなものを、好きな量だけ、吸収できる点も、気に入っています。

 成長スタイルは、人それぞれですから、いろいろ試行錯誤される ことではないでしょうか。 

 

 

 次回につづく。 →  こちらをクリック

続11 「 嫌われる勇気 」 人生が変わるアドラー心理学  2015-02-27

 前回までの内容 → こちらをクリック

 

 

160.「時間の使い方」 が、成否を分ける      2015.02.27

 

 自分の 「成長スタイル」 を、確立するためには、 「時間の使い方」 が、ポイントになります。
 あらゆる人にとって、1 日は、24 時間です

 そこから、生活のための時間を、差し引くと、一体、何時間、残っているでしょうか。
 この 残った時間を、成長のために、有効に使えるかどうかが、成否を分ける のではないでしょうか。

 

 時間の量が、一定であれば、時間の質を、高めるしかありません。
 時間の質を高めるためには、 「集中力を高める」 必要があります。
 集中力は、体調の影響を、少なからず、受けているものです。

 だから、自分の体調と、集中力との関係を、注意深く、観察 してみましょう。  

 

 私の場合、集中力が、最も、高まるのは、「目覚めた後 2 時間」 です。
 実は、これまで、本気で努力したことは、たったの2回しかありません。
 1 回目が、28 歳からの、約 5 年間 ・・・ 税理士試験、受験のため。
 2 回目が、46 歳からの、約 5 年間 ・・・ 税理士事務所の経営改革のため。  

 

 この 2 回ともに、夕食後 2 時間の仮眠を、利用 しました。
 これによって、集中力が高まる時間帯を、1 日に 2 回、2 時間ずつ、設けることができました。
 さらに、この効果で、「仕事 7 時間 + 勉強 7 時間」、という生活を、続けることもできました。
 ただし、健康的な生活ではないので、何れも、5 年以内で、切り上げています。  

 

 また、集中力が続かないときは、無理に、考えない ようにしています。
 なぜなら、疲労感、無力感、絶望感などに、襲われるからです。
 これらの感覚が、潜在意識に残ると、その後の勉強に、悪影響を及ぼします。

 それでも、有効に過ごしたいときは、単純作業に、とどめるべきでしょう。  

 

 疲れがたまってきたら、思い切って、休憩するのが、一番です。
 どんな過ごし方をすれば、効率よく、短時間で、自分をリフレッシュさせられるのか を、知っておくことです。
 また、休憩するときも、罪悪感を持ったり、漠然と過ごしては、いけません。
 仕事や勉強と同じように、主体性をもって、「休むときは、一所懸命、休む」 「眠るときも、一所懸命、眠る」 を、心がけましょう。

 

 

61.「思考回路のクセ」 を、知る      2015.03.01  

 

 以前、どこかのニュースで、聞いた話です。
 人間の脳には、実は、ものすごい量の記憶が、残っているそうです。
 目に入った景色を、すべて覚えていたり、言葉を覚える前に、聞いた言葉まで、覚えているなど。

 問題は、その 「記憶の引き出し方」 に、ある そうです。

 

 つまり、人間には、1 人 1 人、隠れた能力が、山のようにあります。
  もし、その能力を、うまく、引き出すことができれば、成長速度を速められる、可能性があります。

  そのためには、自分の 思考回路のクセを、知る ことも、重要なテーマの 1 つ、ではないでしょうか。
 自分のクセに合った方法で、努力すれば、能力を引き出しやすいからです。  

 

 私の場合、理詰めで、結論を導き出すタイプでは、ありません。
 周辺知識を、吸収していくと、ある日、突然、アイデアが、降ってきます。

 そして、後で理由を推測する ・・・ まさに 「目的論」 の世界 ですね。
     だから、新たな課題を見つけると、まずは、関係がありそうな本を、片っ端から、読むことにしています。  

 

 あるセミナーで、講師が言っていました。
 目の前で、両手を握り、次に、目の前で、両腕を組む。

 もし、右手の親指が手前なら、左脳でインプットし、右腕が上なら、左脳でアウトプットする そうです。
 もちろん、右半身を左脳、左半身を右脳が担当し、左脳は論理的、右脳は感覚的である ・・・ ということが、前提です。  

 

 この方法によれば、私は、右脳で、感覚的にインプットし、左脳で、論理的にアウトプットしている、ことになります。
 そう言えば、子供のころ、「理屈っぽい」 と、通知表に書かれていました。
 また、理由を、後づけすることが、少なくないことも、自覚しています。

 真偽のほどは、定かでありませんが、自分の思考回路の、クセを知るヒント になれば、幸いです。  

 

 思考回路のクセは、人それぞれですが、成長すると、お互いに、理解し合える ようになります。
     たとえば、悲観的に考える傾向がある人は、楽観的に考えるように、努めています。
 楽観的に考える傾向がある人は、悲観的に考えるように、努めています。
 両者とも、異なるプロセスを歩みますが、成長した後は、現実的に物事を考えられるように、なるのではないでしょうか。

 

 

62.最後の1秒まで、「成長」 を目指す      2015.03.02

 

 アドラー心理学によれば、亡くなる 2、3 日前まで、生まれ変われる、そうです。
 成長とは、よい方向へ、生まれ変わることだと、私は理解しています。
 だから、亡くなる 2、3 日前まで、成長することが、できることになります。
 さらに、ピンピンコロリで、亡くなる場合は、最後の 1 秒まで、成長することが、可能 と言えます。

 

 以前も、お話ししましたが、成長すると、人生が、どんどん、楽しくなります。
 この 「楽しくなる」 には、「楽になる」 と 「面白くなる」 の、2つの意味があります。
 さらに、この 「楽」 は、「つまらないことから解放される」 という意味です。
 決して、「安楽」 という意味ではありません。  

 

 私の周囲には、50 代以上になっても、成長速度を、ゆるめない人たちがいます。
 特徴としては、非常に、好奇心が旺盛。
 ある人は、60 代半ばでも、大変、よく勉強をされています。
 若者を真似て、スマホをいじったり、妙な略語を使うのとは、本質的に違います。
 

 

 私は、年長者の方から、いろいろなことを、学びます。
 将来、自分が通る道なので、あらかじめ、知っておくべきことも、少なくありません。
 老化や健康の面では、60 代以降で、個人差が拡大することが、わかりました。
 そこで、50 代から、これに備えるために、週末は、欠かさず、歩いています。
 

 

 身近な人から学ぶ場合、注意すべきことは、近づきすぎない、ことではないでしょうか。
 人には、それぞれ、短所もあります。
 もし、節度もなく、近づけば、崇拝するタイプの人は、その人の悪い面まで、真似てしまいます。
 反対に、自己愛の強い人は、他人を認めたくないので、一所懸命、他人の短所を、探しているからです。
 

 

 「課題の分離」 を、マスターすれば、他人と適度な距離を、保てるようになります。
 その中で、他人のよい所だけを、参考にすべきでしょう。

 相手が、自分と、まったく異なるタイプであっても、学ぶべきものはあります。
 前向きな生き方や、努力、責任感など、成長のために、役立つことは、どんどん吸収しましょう。

 


  E.勇気を、身につける

 

 

163.なぜ、嫌われる 「勇気」 だったのか?      2015.03.03

 

 私は、1960 年、生まれです。
 若い人は、ご存じないかもしれませんが、1970 年代くらいまでは、日本でも、「勇気」 が、重んじられました。
     特に、男性には、欠かせないものだったらしく、勇気が足りないと、非難を浴びることさえ、ありました。
 だから、「勇気ある男」 を目指して、涙ぐましい努力をした人も、少なくありません。

 

 たとえば、モリモリの筋肉を、勇気の証として、トレーニングに励んだ人たち。
 また、高倉健さんや、矢沢永吉さんの、言葉や態度を、真似た人たち。

 さらに、無謀さを、勇気と、勘違いして、危険なことに、挑んだ人たちなど。
 だから、必ずしも、勇気の意味が、正しく理解されていたとは、限りません。  

 

 1980 年代に入ると、日本経済は、バブルに向かって、進み始めます。
 いわゆる 「拝金主義」 の始まりです。

 お金に対して、大きな価値が、置かれる ようになりました。
 同時に、勇気をはじめ、精神的なものに対する価値は、どんどん、軽んじられるようになりました。  

 

 「勇気」 は、やがて、死語同然に、おちいります
 弱者が、目の前で、被害に遭っても、見て見ぬフリをする。
 さらに、自分が被害者にならないように、イジメに加わる ・・・ など。
 これが、賢い生き方のような風潮さえ、見受けられるようになりました。  

 

 「嫌われる勇気」 の著者、岸見一郎先生は、1956 年生まれです。
 健全な社会を、維持するためには、1人 1人の勇気が、必要不可欠であること。

 心理学の専門家として、個人の幸福にも、勇気が、大きな役割を、果たす こと。
 これらを、感じてみえたから、「勇気」 いう言葉が、タイトルに使われたのかもしれません。  

 

 私は、約 25 年間、アドラー的な生き方を、進めてきました。
 だから、時代の変化に関係なく、「勇気」 の必要性には、こだわってきた方では、ないでしょうか。

 しかし、この本を、読みながら、「勇気って、何だろう」 と、改めて、考えました。
 次回以降は、このような話を、進めていく予定です。

 

 

4.最も重要な 「勇気」 とは ?      2015.03.15  

 

 ひと口に、「勇気」 と言っても、たくさんあります。
     その中で、最も、重要なのは、「成長するための勇気」 ではないでしょうか。
 なぜなら、それによって、人生が大きく変わるからです。
 ポイントは、「他人を意識してのもの」 ではなく、「未熟な自分との戦い」 という点にあります。

 

 「成長するための勇気」 は、さらに、2 つに分けて、考えています。
     1 つは、「それまでの自分を改める勇気」、もう 1 つは、「自分の強みを高める勇気」 です。

     まずは、「それまでの自分を改める勇気」。
 改めるべき自分とは、それまでの、自分の価値観、感情の動き、行動、発言、習慣などです。  

 

 「嫌われる勇気」 の中にも、いくつかの勇気が必要と、書かれていました。
 たとえば、「嫌われる勇気」 が必要な人は、嫌われることが、平気な人では、ありません。
 嫌われることを恐れて、嫌われまいとする人たちです。

     このような人たちが、それまでの自分を、改めるためには、勇気が必要、ということではないでしょうか。  

 

 また、「普通の人でいる勇気」。  
 この勇気が必要な人は、普通の人としての人生を、楽しんでいる人たちではありません。
 「特別な人でなければならない」 と、思い込んで、特別な人を、目指している人たちです。

     このような人たちが、それまでの自分を、改めるためには、勇気が必要、ということではないでしょうか。  

 

 他人を干渉する人は、「課題の分離」 ができるように、勇気を出して、それまでの自分を改めること。
     自分の現状を、他人のせいにする人は、「目的論」 で、考えられるように、勇気を出して、それまでの自分を改めること。
 行動に移せない人は、第一歩を、踏み出せるように、勇気を出して、それまでの自分を改めること。
     退くことが苦手な人は、「勇気ある撤退」 ができるように、勇気を出して、それまでの自分を改めること。  

 

    人生には、様々な勇気が、必要かもしれません。
    しかし、大半の勇気は、「それまでの自分を改める勇気」 に、集約 されるのではないでしょうか。
    この 「それまでの自分を改める勇気」 の有無は、性格や気質によるもの、ではありません。
    その人が、自分の人生に対して、どれだけ主体性を求めているのか、つまり、考え方によって決まるもの、ではないでしょうか。 

 

 

65.「恐怖」 の原因は、「無知」      2015.03.16  

 

  「成長」 には、必ず、変化が伴うものです。
     しかし、人間は、変わることに対して、恐怖感を抱きます。
 「嫌われる勇気」 にも、書かれていました。
 未知の恐怖に、出会うくらいなら、たとえ不幸でもいいから、今の自分のままでいよう ・・・ と。

 

 「恐怖」 は、しばしば、勇気の妨げになります。
 この 「恐怖」 を、取り除くためには、どうすればよいのでしょうか。

 正解は、「知る」 こと です。
 これは、カントという哲学者が、述べていたことです。  

 

 たとえば、道で、ピストルを持った男に、出会ったとします。
 もし、自分が、相当なガンマニアで、それが偽物であると、確信できれば、恐怖感は、大幅に減少します。
 もし、それが、本物であっても、適切な対処の方法を、知っていれば ・・・

 まったく、知らないよりは、恐怖感が少なくなる でしょう。  

 

 人間関係においても、同じことが、言えます。
 我は世界を知るとき、世界の中で、我が家のようにくつろぐことができる。
 こちらは、ヘーゲルという、哲学者の言葉です。
 相手のことや、人間の本質を、よく理解していれば、人間関係の中で、リラックスしながら過ごせる、という意味です。
 

 

 だから、知れば、知るほど、人生の中から、恐怖感は、消滅 していきます。
 また、「知っているかどうか」 だけで、有利不利が、決まることが、人生には、たくさんあります。
 「知る」ということは、「知識」 にとどまらず、「経験」 を、必要とすることもあります。
 だから、「未知の知識」 と 「未知の経験」 には、大きな価値を感じています。
 

 

 私が、アドラー的な生き方に気づいたのは、29 歳で出会った、アインシュタイン博士の言葉が、きっかけです。
 当時は、税理士試験の勉強が、嫌になり、2 ヶ月ほど、異なる分野の本を、読み漁って いました。
 実は、前述の、カントとヘーゲルの言葉も、この間に出会っています。
 受験勉強は遅れましたが、その後の生き方に、大きなヒントを得ることができました。

 

 

66.なぜ、あの人は、勇敢なのか      2015.03.17

 

 多くの人が、「できない」 と、信じていることを、平然と、やり遂げる 人がいます。
 あの人は、さぞかし、勇気があるに違いないと、思われるのではないでしょうか。
 私も、以前は、このように考えていました。
     しかし、それは、間違いでした。

 

 平然と実行できたのは、実は、「結果が見えていたから」 ではないでしょうか。
 つまり、正しい結果を、予測して、計画に沿って、実行したに、過ぎない のです。
     事前に、結果がわかっていれば、恐怖感は、最小限に抑えられます。
 後は、油断せず、平常心を維持して、計画に沿い、滞りなく、実行するのみです。
 

 

 ポイントは、やはり、「知る」 ことに、あります。
 物事をよく知れば、その結末を、高い確率で、正しく、予測できるようになります。
 そのためには、「知識」 と 「経験」 を、増やすこと。

     さらに、人や物事について、日頃から、本質を考える、習慣を持ちましょう。  

 

 私たちが、経験することは、千差万別です。
 まったく、同じことは、二度と起きません。
 また、操作された情報が、無数に、飛び交っています。

 だから、本質を理解しなければ、常に、振り回される ことになります。  

 

 中国古典には、人間の本質が、いくつか語られています。
 たとえば、「極めれば転ずる」 の意味は、「幸福を極めると、不幸に変わる」 「不幸も極めまれば、幸福に変わる」 の2つです。

 この言葉を知っていれば、幸運であっても、奢ることなく、不運であっても、腐ることなく、 過ごせます。
 また、将来、転落する人や会社、浮上する人や会社が、見えることもあります。  

 

 多くの人が、「できない」 と、信じていることを、平然と、やり遂げる人。
 その、おもな原因は、勇気ではありません。
 知識と経験に基づいて、結果を正しく予測できるからです。

 この方法によれば、誰もが、勇者への切符を、手に入れられる と、私は、考えています。

 

 

67.最後のハードルは 「行動」      2015.03.18

 

 勇者になるためには、最後に、高いハードルを、越えなければいけません。
 それは、勇者になるための、列車に乗り込むこと。
 つまり、行動に移すことです。

 物事の結果を、正確に予測できても、「行動」 がなければ、勇者にはなれません。

 

 義を見て、為さざるは、勇なきなり。
 「義務であることが、わかっているのに、行動に移せないのは、勇気がないから」、という意味です。
 これは、紀元前 550 年頃に書かれた、論語の一節です。

 2500 年以上前から、勇気には、行動が必要 と、言われている訳です。  

 

 「行動」 に移す場合は、事前に、失敗を想定して、さらに、多面的な予測が、必要になります。
 それでも、不測の事態が発生して、瞬時の判断が、求められることもあります。
 このような極限状態では、勘に、頼るしかありません。

 非常時に、正しく勘を働かせるためには、日頃のトレーニングが、モノを言います。  

 

 トレーニングの、質と量を、高めるためには、どうすれば、よいのでしょうか。
 まずは、広く、社会に関心を持つこと。
 自分には、関係がないからと、無関心でいると、トレーニング量を、増やすことができません。

 もし、自分の身に起きたら、どうすべきかを、考える習慣 を、持ちましょう。  

 

 行動に移すためには、動機づけも必要です。
 そのために、役立つのが、「共同体感覚」 と 「目的論」 です。

  「共同体感覚」 によって、社会に対して 「貢献感」 を持つと、無関心ではいられなくなります。
  もし、見ず知らずの人が、被害にあったとしても、共同体の一員として、心に感じるものがあるはずです。  

 

 また、「目的論」 を、マスターすると、人生に主体性を、取り戻すことができます。
 生まれ変わった自分の、目の前に広がるのは、「自己責任」 の世界。

 今の環境が、どんなものであっても、自力で、生きなければならない ことに、気づくことができます。
     これによって、社会の出来事に対する、感覚が研ぎ澄まされる、のではないでしょうか。

 

 

68.「野獣の一生」 と 「家畜の一生」      2015.03.19  

 

 30 代のころ、「野獣の一生」 と 「家畜の一生」、その本質の違いについて、考えてみたことがあります。
 野獣は、たとえ、野ネズミであっても、自己責任の世界で、生きています。
 だから、小さな物音にも、気をとめながら、用心深く、暮らしています。
 自分のルールに従って、生きるためには、そのルールが、厳しいものでなければ、ならないからです。

 

 一方、家畜である、ブランド牛は、贅沢な生活が、補償されています。
 エサがとぎれると、不機嫌になるなど、「今の私の気分」 を、何よりも、大切にしています。
     だから、自分の子が、何度となく、殺されているのに、出産をつづける 「愚かな生き物」、と言えます。

 その愚かさ故、自分の一生の意味が、「肉」 であることにも、最後まで、気づくことができません。  

 

 もし、山火事が起きれば、野獣は、異変に気づいて、さっさと、その場から、いなくなります。
 一方、家畜は、逃げ場を失うころに、ようやく、事態に、気づくことでしょう。
 実は、人間も、同じかもしれません。

 「今の私の気分」 を、大切にしていると、家畜のような、愚かな生き物に、近づく ことでしょう。  

 

 ところで、大自然の中で、野獣が生き抜くためには、何が必要 でしょうか。
 ライオンは、獲物を捕らえ、つかんで離さない腕と、大地を駆け抜けられる足。
 渡り鳥は、南の国と、北の国を、毎年、行き交えるだけの、強い翼。
 サケは、河口から、激流を上がり続けられる、ヒレと身体など。
 

 

 人間が暮らす社会も、野獣が暮らす環境と同じように、過酷な一面を、備えています。
     その中で、人間だからこそ、必要なものとは、何でしょうか。

 それは、「知識」 と 「知恵」 ではないでしょうか。
 これら2つは、ライオンの 「腕力と走力」、渡り鳥の 「飛力」、サケの 「泳力」 に、当たると、考えられます。  

 

 だから、さまざまな知識と、すぐれた知恵を、身につけなければいけません。
     社会で起きることに、幅広く、関心を持ち、人生に必要な知識と、知恵の向上を、心がけるべきでしょう
 アドラー心理学が、厳しいと感じられるのは、自己責任を求められる部分、ではないでしょうか。

     しかし、自己責任の世界を、選択した者だけが、手にする一生 もあると、感じています。

 

 

69.「無謀」 の価値      2015.03.20  

 

 正しい結果を、予測できないのに、行動に移す人たちがいます。
 これは 「勇気」 ではなく、「無謀」 と、呼ば れます。

 ただし、「無謀」 は、必ずしも、悪いものではない と、私は、考えています。
 「無謀」 が、よい結果をもたらすケースも、あるからです。

 

 たとえば、新たな発見や発明は、常識的に見て、「不可能」 と思われるものが、ほとんどです。
     しかし、そのテーマに、長い年月をかけて、成功させる人たちもいます。
 一般的な感覚からすれば、成功したからよいものの、その生き方は、「無謀」 とも言えます。

 実は、これら、無数の 「無謀」 のおかげで、今日の豊かな社会が、実現している のではないでしょうか。  

 

 さらに、一生をかけたにも関わらず、失敗に終わる人たちもいます。
 しかし、このような挑戦によって、その人が取り組んだ仮説が、間違いであったことが、証明されます。

 未知のテーマほど、正解を導き出すためには、多くの不正解を、確定させることが、必要 になります。
 だから、このような人たちの 「無謀」 も、社会に、大きく貢献してきた、のではないでしょうか。  

 

 無謀」 と 「勇気」 は、紙一重 です。
 たとえば、おぼれる人を、助けるため、泳げないのに、飛び込んで、命を落とす人たちがいます。
 その行為は、美しいものではありますが、やはり 「無謀」 と言わざるをえません。
 自分にも、家族がいることを、自覚すべきでしょう。
 

 

 正義感の強い人にとって、無力感は、大きな苦痛かもしれません。
 もし、「無謀」 を 「勇気」 に変えたいのであれば、どうすればよいのでしょうか。
 それは、「泳げない自分」 から、「泳ぎが得意な自分」に、変わることです。

 つまり、それまでの自分を改めることによって、「勇気」 を手に入れる ことができるのではないでしょうか。  

 

 以前、「勇気」 の意味を、とり違えている人たちを、ご紹介したことがあります。
 実は、20代までの私は、3番目の 「無謀を勇気と勘違いしている人」 でした。
 今は、ジェットコースターに乗ることさえ、恐ろしいのですが、若いころは、危険なことに、何度も、挑戦したものです。
 そのせいか、少々、「無謀」 を、正当化 してしまったかもしれません。

 

 

70.勇気を備える、もう 1 つの方法      2015.03.21  

 

 これまでの経験の中から、勇気を備えるために、役立った方法を、もう 1 つ、ご紹介します。
 それは、「より大きな、共同体の立場で、考えること」 です。
 嫌われる勇気にも、これに通じることが、書かれていました。
 対人関係に、行き詰まったときは、「より大きな共同体の声を聞け」。

 

 狭い人間関係や、小さな共同体に、固執する人は、その世界の基準しか、持ち合わせていません。
 外の世界では、通用しないため、それを恐れて、内弁慶になりがちです。

 逆に、大きな立場に立つ人は、法律やルールなど、公正な基準で、物事を判断します。
 どこへ行っても、通用するため、外の世界へ出る、勇気を持ち合わせています。  

 

 また、自分と家族の幸せしか、考えない人は、小さな心で、怯えながら、生きています。
 なぜなら、自分たち以外の人たちを、最終的に 「敵」 と、認識しているからです。

 一方、社会全体のことを、考える人は、勇気を持って、生きています。
 なぜなら、社会全体を仲間と認識し、社会のためなら、多少の犠牲を払ってもよい、と考えているからです。  

 

 30 〜 40 代の頃、私は、仕事を通じて、自己愛の強い、利己的な人たちと、しばしば、対立しました。
 たとえば、顧客から、お金をたかる人や、だまし取ろうとする人たち。
 税理士である私が、邪魔になるため、「お前の首をくくって、クレーンで吊り上げてやる」 と、暗に、言われたこともあります。
     この言葉に、屈しなかったのは、「口にするだけで、実行できない」 と、予測できたからです。
 

 

 実は、もう1つ、私の背中を、強力に、後押ししてくれた、ことがありました。
 それは、「社会のために、自分は仕事をしている」 という、自覚 です。
 あなたは、私利私欲のため、かもしれないが、私は、公正無私に、仕事をしている。
 いずれ、あなたが、社会に裁かれるだろう ・・・ このような思いを、強く、持ち続けました。  

 

 すると、どこからともなく、勇気が、湧いてきたものです。
     もし、自分と家族のことしか、頭になければ、怖じ気づいていたかもしれません。

     より大きな共同体に対して、貢献意識を持つと、より大きな勇気につながる。
 この事実を、私は、このような経験を通じて、知りました。

 

 

71.「小さな勇気」 から、始めてみる      2015.03.23  

 

 より大きな共同体に対して、貢献意識を持つと、より大きな勇気につながる。
 前回、このようなお話をしましたが、これを踏まえて、前々回の話を、思い出してください。
 世の中には、成功するかどうか、わからないテーマに、一生をかけて、挑戦する人たちがいます。

 常識的に、考えれば、それは 「無謀」 と、言えます。

 

 しかし、そうではないかもしれません。
 もし、「社会」 という、大きな共同体に対して、貢献意識を持っているとしたら ・・・
 自分の一生をかけてでも、社会をよくしたいと、考えているとしたら ・・・

 結果に関わらず、これは 「勇気」 と、呼ぶべき かもしれません。  

 

 同じような例は、身近なところに、いくらでもあります。
 たとえば、家族、会社、学校、サークルなど ・・・
 何か、トラブルがあったり、うまくいかなかったり、辛いことがあったとします。
 おかげで、人間関係も、今ひとつ、組織として、どんどん嫌な雰囲気になっていったとします。
 

 

 ここで、組織を悪く、言うのは、簡単なことです。
 「うちの ○○ は、雰囲気が悪い」 と、言うのは、誰にでもできることです。

 しかし、それでは、自分とわずかな人のことしか、共同体として、認識していません。
 つまり、自分が ○○ の一員であるという、自覚が足りないと言えます。  

 

 勇気とは、主体性を、必要とするものです。
 主体性の多くは、共同体に対する貢献感から、生まれます。

 共同体全体から、「自分はどうすべきなのか」 を、考えて、実行に移す段階で、必要なのが、勇気 です。
 逆に、自分とわずかな人のための、発想や行動は、「エゴ」 と呼ぶべきです。  

 

 もし、所属する共同体の雰囲気が、暗かったとしたら、自分は、どうすればよいのでしょうか。
 それは、自分自身が、灯りになって、周囲を明るく照らすこと、ではないでしょうか。
 他人に同じことを、求めることなく、自分一人でも、やり抜けば、次第に、効果が出るでしょう。
 小さなことですが、これも、立派な勇気、ではないでしょうか。

 

 

72.なぜ、「強みを高める」 べきなのか ?      2015.03.24

 

 「成長するための勇気」 の 1 つ目は、「それまでの自分を改める勇気」 でした。
 これは、成長を目指して、間違った方向に進んでいる場合、転換する勇気です。

 そして、2 つ目の、「自分の強みを高める勇気」 は、方向を合わせた後、パワーとスピードを、上げるための勇気です。
 これによって、成長そのものを、力強いものにしておくと、後戻りしなくなります。

 

 しかし、なぜ 「弱みを、引き上げる」 のではなく、「強みを高めるべき」 なのでしょうか。
 この疑問は、 P.F.ドラッカー著 仕事の哲学 で、明確に、語られています。
 不得手なことの改善に、あまり時間を使ってはならない。 自らの強みに集中すべきである。 
 無能を並の水準にするには、一流を超一流にするよりも、はるかに多くのエネルギーと努力を必要とする。  

 

 今日、私たちの仕事は、すべて、分業化されています。
 また、人間関係においても、役割が分担されています。
 グループの方向性を決める人、雰囲気を盛り上げる人、潤滑油の役割を果たす人、地味な役割を好む人など。

 このような条件において、成果を上げるためには、関わる人の、パフォーマンスの合計点を、高める ことが、望まれます。  

 

 たとえば、3人で、飲食店を、始めた とします。
 Aさんは、「調理」 担当なら 100 点、「接客」 担当なら 50 点、 「経理」 担当なら 0 点
 Bさんは、「接客」 担当なら 100 点、「経理」 担当なら 50 点、 「調理」 担当なら 0 点
 Cさんは、「経理」 担当なら 100 点、「調理」 担当なら 50 点、 「接客」 担当なら 0 点  

 

 A 〜 C さん、それぞれ、どの仕事を、担当させるべきでしょうか。
 Aさんが 「経理」、B さんが 「調理」、C さんが 「接客」 のケースでは、パフォーマンスは、最低の 0 点。
 具体的には、「まずい料理」 「不愉快な接客」 「間違った代金請求」 など、客も近寄らない店になります。
 もし、各人が、苦手な分野を、鍛え直そうとしても、まもなく、閉店に、追い込まれるでしょう。  

 

 反対に、Aさんが 「調理」、Bさんが 「接客」、Cさんが 「経理」 のケースでは、パフォーマンスは、最高の 300 点。
 具体的には、「うまい料理」 「快適な接客」 「正確で迅速な代金請求」 など、客から見て、好ましい店になります。
 さらに、各人が、自分の強みを、高めれば、400 点、500 点に、レベルアップできます。

 もし、総合 500 点以上の店しか、生き残れない時代になっても、可能性があるのではないでしょうか。

 

 

73.なぜ、「弱み」 に、囚われるのか ?      2015.03.25  

 

 強みを高めるためには、勇気が必要です。
     なぜなら、弱みに、見切りをつけなければ、いけない からです。
     しかし、多くの人が、弱みに囚われ、強みを高めようとしません。
 なぜでしょうか。

 

 弱みに囚われるのは、受験勉強の弊害 という、意見もあります。
 たとえば、前回、お話しした、「飲食店を始めた3人」。
 そのうちの、Aさんの点数は、「調理」 100 点、「接客」 50 点、「経理」 0 点。
     3 つの、合計は、150 点です。
 

 

 Aさんが、学校の生徒だとしたら、点数を増やすためには、どうすればよい のでしょうか。
     100 点の 「調理」 を、これ以上、伸ばしても、合計点は増えません。
 まずは、0 点の 「経理」 を、せめて 50 点くらいに、引き上げるべきではないでしょうか。
 つまり、弱みを並レベルに、引き上げるのが、正解になります。
 

 

 しかし、現実社会、つまり、仕事は、100 点満点ではありません。
 100 点の 「調理」 を、伸ばしていけば、200 点、300 点に、達することも、可能です。
 また、苦手な分野を、得意な人に、担当してもらうことによって、仕事全体のパフォーマンスを、引き上げることができます。
     これが、分業化された、現代社会における、成長の進め方、ではないでしょうか。
 

 

 詳しくは、ドラッカーのマネジメント論に、書かれています。
     人と関わり、組織として仕事をする場合、まずは、自分の強みを高めることに、集中すべきです。
 自分の強みをもって、他のメンバーの弱みをカバーする。

 また、他のメンバーの強みをもって、自分の弱みをカバーすれば、組織全体で、お互いの弱みを、ないものにできます。  

 

 すべての分野で、50 点レベルの人たちが、共同作業を行っても、組織として、優れた成果は、得られないでしょう。
 しかし、1 つの分野に秀でた者が、集まって、共同作業を行えば、超一流のレベルを、目指すことも、可能 になります。
 自分自身を成長させるためには、弱みに、心を奪われないこと。
 強みの発見に努め、さらに高めることを、心がけましょう。 

 

 

 次回につづく。 →  こちらをクリック

続12 「 嫌われる勇気 」 人生が変わるアドラー心理学  2015-03-26

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  F.「嫌われる勇気」 を、備えて欲しい人

 

 

174.「嫌われる勇気」 を、備えて欲しい人      2015.03.26

 

 このブログを続けながら、だんだん、見えてきたことがあります。
 それは、アドラー心理学を、マスターして、「嫌われる勇気」 を、最も備えて欲しい人は、誰なのか。
     この本が、誰のために、書かれたものなのか。
 誰に、一番、効果があるのか。

 

 以前、ご紹介した 「 80 対 20 の法則」 を、利用すると、以下のような、仮説を立てることができます。
 ① 20% ・・・ アドラー的な生き方へ、自主的に進む人
 ② 60% ・・・ ① と ③ の中間にあり、嫌われる勇気のない自分を、何とか改めたい、と考える人
 ③ 20% ・・・ アドラー的な生き方を、拒絶し、自己愛に満ちた生き方をする人  

 

 私自身は、① のタイプなので、「嫌われる勇気」 の内容を、90 % 程度は、マスターしています。
     理解が足りないのは、「人生のタスク」 と、終わりごろに、出てくる 「ダンス」 の表現です。
  「親子関係」 や 「夫婦関係」 については、時代の変化に伴い、異なる 「あり方」 も、必要ではないかと、考えています。

 また、「ダンス」 には、縁がないため、本書の中の表現が、未だに、想像すらできません。  

 

 私は、29 歳のとき、アインシュタイン博士の言葉に、ヒントを得て、試行錯誤しながら、進めてきました。
 アドラー心理学を、知ったのは、「嫌われる勇気」 が、初めて です
 しかし、同じ方向へ、流れ始めた水が、やがて、同じ海に、たどり着くように、内容は、ほぼ一致しています。
 この本を読んで、確認には、なりましたが、人生観が、変わることはありません。  

 

 逆に、変わったことと言えば ・・・
 自分の発言内容が、「個人的意見」 から、「世界 3 大心理学」 へ、大きく、昇格 したことでしょう。
    「2014 年のベストセラー第 1 位に輝いた、青い本に、書かれている」。
     この言葉を、最後に、付け加えるだけで、効果抜群です。  

 

 だから、この本を読んで、「嫌われる勇気」 を、最も備えて欲しい人は ・・・
 ① のタイプ、ではありません。
 「嫌われる勇気」 「課題の分離」 「共同体感覚」 など、すでに、備わっていますから。
 さらに、「承認欲求」 のような弱みとは、大昔に、訣別しました。

 

 

75.もう 1 つの 「嫌われる勇気」      2015.03.27  

 

 重複して、恐縮ですが、「 80 対 20 の法則」 を、利用すると、以下の仮説を、立てることができます。
 ① 20% ・・・ アドラー的な生き方へ、自主的に進む人
 ② 60% ・・・ ① と ③ の中間にあり、嫌われる勇気のない自分を、何とか改めたいと、考える人

 ③ 20% ・・・ アドラー的な生き方を、拒絶し、自己愛に満ちた生き方をする人

 

 この中で、「嫌われる勇気」 を備えているのは、① のタイプだけではありません。
 実は、③ のタイプも、「嫌われる勇気」 を、備えています。
 ただし、その内容は、まったく異なるもの、ではないでしょうか。
 なぜなら、意識する 「共同体」 と 「対人関係」 が、正反対だからです。
 

 

 ① のタイプが、意識する共同体は、「社会」 など、大きなものであり、対人関係は 「横の関係」 です。
 一方、③ のタイプが、意識する共同体は、「自分 1 人」 であり、対人関係は 「縦の関係」 です。
 ③ のタイプは、非常に強い自己愛をもっています。
 家族でさえ、自分が幸せに生きるための道具と、考えている人もいます。
 

 

 被害者意識が強いため、内心、他人を 「恨んでいる」 ことも、少なくありません。
 また、他人が成功すると、あいつは恵まれていると、「妬む」 ことも、多いのではないでしょうか。
 中には、「嫌われる」 ことなど、モノともせず、陰湿かつ卑劣な行為によって、他人を陥れる者もいます。

 だから、「嫌われる勇気」 と言うよりも、強烈な自己愛から生まれる、「病的な憎悪」 と呼ぶべき でしょう。  

 

 しかし、その姿を隠すために、世間体を気にします。
 見分ける目安としては、「同情をひく」 のだそうです。
 「自分は不幸だ」 「自分はいじめられている」 「自分はやさしいから、損をしている」 など。
 この見分け方は、マーサ・スタウト著 良心をもたない人たち で、知りました。  

 

 この本は、25人に1人の、確率で存在する、サイコパスについて、書かれています。
 自己愛の強い人にも、共通点が見られるため、被害に遭いたくなければ、一読をお勧めします。

 このタイプの中には、他人の操作を、得意とする者 がいます。
 その犠牲者として、最も利用されるのが、② のタイプではないでしょうか。

 

 

6.「嫌われる勇気」 を、最も、備えて欲しい人      2015.03.29  

 

 重複して、恐縮ですが、「 80 対 20 の法則」 を、利用すると、以下の仮説を、立てることができます。
 ① 20% ・・・ アドラー的な生き方へ、自主的に進む人

 ② 60% ・・・ ① と ③ の中間にあり、嫌われる勇気のない自分を、何とか改めたいと、考える人
     ③ 20% ・・・ アドラー的な生き方を、拒絶し、自己愛に満ちた生き方をする人

 

 「嫌われる勇気」 を読んで、最も生き方を変えて欲しい人。 それは、② のタイプではないでしょうか。
     ② のタイプは、協調性があり、他人にやさしく、自分を犠牲にすることもでき、さらに、真面目な努力家 も、少なくありません。
 しかし ・・・
     勇気が足りない、のではないでしょうか。  

 

 私は、これまで、② のタイプを、応援してきました。
 なぜなら、損な役回りでも、嫌がることなく、地道に努力できる からです。
     だから、何とか、報われて欲しいと、願うこともあります。
 しかし、年齢を経るごとに、争いや対立を恐れ、勇気から、遠ざかっていく傾向も、見られます。  

 

 また、内心では、「勇気が足りない自分」 を、嫌っている、 のではないでしょうか。
 逆に、③ のタイプは、病的と言えるほど、自分のことが、好きなのではないか、と感じます。
 私は、① のタイプですが、「好き嫌い」 という、感情そのものが、希薄です。
 どうでもよいことだと、考えています。  

 

 ② のタイプの中には、これが原因で、自分とは異なる、① や ③ のタイプに、惹かれる人も、いるかもしれません。
 ところが、① と ③ のタイプでは、本質的な部分が、正反対 と言えます。
 自分の弱みに、囚われていると、この違いを見抜くことが、できません。
 その結果、③ のタイプの、犠牲になる、のではないでしょうか。  

 

 ① のタイプと接していれば、「課題の分離」 によって、自立を促されるため、成長に目覚めることができます。
 しかし、優しさも、ほどほどなので、甘えたい人には、「厳しく」、あるいは 「冷たく」、感じられるかもしれません。
 一方、③ のタイプは、② のタイプを支配するために、包容力があるかのごとく、近づいてきます。

     理想の相手と勘違いし、やがて、③ のタイプの奴隷になって、人生を台無しにする、② のタイプ も、いるのではないでしょうか。 

 

 

7.「アドラー心理学」 を、否定する人      2015.03.30

 

  「嫌われる勇気」 を読んで、「このような方法では、うまくいく訳がない」 と、否定する人も、みえます。
 このような人たちは、③ のタイプと思われがちですが、② のタイプでは、ないでしょうか。

 なぜなら、自分を責めることによって、苦しんでいる からです。
 心の痛みから、目を背けていない、のですから、自分の人生を、歩んでみえるということです。

 

 逆に、「開き直り」 と称して、自分の課題から、目を背ける 人たちがいます。
 これは、嫌われる勇気で、紹介されていた 「優越コンプレックス」 と、本質は、同じではないでしょうか。
 あたかも、自分が勇敢であるかのように、振る舞うことによって、偽りの勇気に浸ります。
 しかし、本来、解決すべき、外的要因は、放置されたままになります。
 

 

 だから、「開き直り」 によって、自分の課題を放棄すると、成長が止まります。
 逆に、勇気のない自分と、精一杯、向き合っている人は、何れ、よい方向へ、転換する かもしれません。
     アドラー心理学が、万人に効果があるとは、私も、考えていません。
 ご自分に合う方法に、出会い、本来の人生を、歩んでいただきたいものです。
 

 

 話を ③ のタイプに戻すと、彼らは、自分が苦しむことを、拒絶します。
 代わりに、いくら、他人が苦しんでもよいから、自分だけは、苦しみたくないと、考えています。
 だから、自分を責めることなど、ありえません。

 つまり、自責の念が、存在しない のです。  

 

 しかし、表向きは、異なることを、口にするでしょう。
 他人を操作するために、自分の評価を、維持しなければならないので、心にもないことを、平然と口にします。
 アドラー心理学についても、口では、「素晴らしい」 と、表現するにちがいありません。
 ただし、まったく、理解することなく、逆の生き方をするでしょう。
 

 

 このような話を聞いて、「まったく信じられない」 という人も、みえるかもしれません。
 「③ のタイプのような人などいない」 「今まで、出会った人は、みんな、いい人ばかり」 という人も、いるかもしれません。
 よほど、ラッキーな人生を、歩んでこられたのか、現実から、目を背けてこられたのか。
 はたまた、③ のタイプ、ご本人かもしれません。

 

 

8.「自己愛」 の強い家族がいるケース      2015.03.31  

 

 以前、「② のタイプは、③ のタイプに利用されやすい」 と、お話ししました。
 私が見てきたケースを、いくつかご紹介します。
 たとえば、夫が ③ で、妻が ② のケース。

     夫は、妻を家政婦、あるいは、下女、程度にしか、考えていません。

 

 都合が悪くなると、見え透いた嘘をついたり、どなりつけます。
 もし、妻が、① や ③ のタイプであれば、早い時期に、離婚するでしょう。

 しかし、② のタイプは、なかなか、その勇気がありません。
 夫の不満を、延々と語りますが、最後まで 「愛」 を信じようとします。  

 

 反対に、妻が ③ で、夫が ② のケース。
 家族の誰からも、感謝されていないのに、命をすり減らして、仕事をしている 夫がいます。
 自己愛の強い妻と、その妻に育てられた子供たち、全員が浪費家、というケースも、ありました。
 それでも、夫は、家族に捨てられまいと、涙ぐましい、努力を続けていることも、少なくありません。
 

 

 夫婦は、大人同士ですから、被害者になっても、仕方がありません。
 しかし、自立能力に乏しい、子供が犠牲者になると、本当に、気の毒です。

 ③ のタイプの親は、子供よりも、自分自身のことを、病的なほど、愛しています。
 だから、子供は、愛情不足になりがちです。  

 

 それが原因で、心に、深い傷が、残ることがあります。
 やがて、成人し、子供が ① のタイプになると、親に見切りをつけて、自分の世界を、確立していきます。
 ③ のタイプであれば、親と同じ道を、歩むでしょう。
 長く、傷を持ちつづけるのは、従順な ② のタイプ、ではないでしょうか。  

 

 たとえば、対人関係に、恐怖感を持ち、精神的に、不安定な状態が、続くなど。
 男の子よりも、女の子の方が、深い傷を負いやすい、のではないでしょうか。

 これまでの 日本社会は、子より親を、尊重しすぎる傾向にあるので、さらに事態を深刻化 させています。
 もし、自分が被害者であれば、生まれ変わりが可能な、アドラー心理学が、救世主になるはずです

 


  G.あとがき

 

 

179.「つらい立場」 の人を、想像する      2015.04.01

 

 心に痛みを、感じることが、あります。
 人間である証、生きている証、ではありますが、その中にいるときは、つらいものです。

 これらを、 なくすことは、できませんが、減らすことなら、難しくはありません。
 どのような方法なら、可能でしょうか。

 

 物事を、悪く考えると、人生も、悪い方向へ、進みやすいものです。
 たとえば、善意の人まで、疑ってしまうと、自分にとって、大切な人を、失うことになるでしょう。
 しかし、反対に、何でもかんでも、よく考えていると、未熟なままで、終わります。

     つまり、「よい ・ 悪い」 といった、単純な思考だけでは、うまく対応できない ということです。  

 

 解決策としては、第 3 の判断基準を、設けることです。
     私は、「現実的に考える」 ことが、ほとんどです。

 物事を、現実的に考えると、「自分の心の動き」 よりも、「具体的な解決方法」 に、関心が向かいます。
 その結果、人生そのものが、うまく展開するようになります。  

 

 現実的に、物事を考えるためには、現実の世界を、よく知ることです。
 そのためには、社会の仕組み、人間の本質、そして、自分の性質などに、広く関心を持つことです。

 若いときに、行き詰まりやすいのは、自分が認識する世界が、狭すぎる からです。
 だから、この本にも書かれていました ・・・ より大きな共同体の、声を聞けと。  

 

 自分の認識する世界を拡げると、より現実的に、物事をとらえられる、ようになります。
 特に、つらい思いを、取り除きたいときは、自分より、つらい立場の人を、想像してみる ことです。
 難病の人、そのような子供を持つ親、紛争地域や貧困地域で、生活する人など。
 このような人たちと、比較すれば、自分が抱えている問題など、大したものではないことに、気づきます。
 

 

 その人が抱える、痛みに対して、共感できれば、その人を、共同体のメンバーと、認識した ことになります。
 その結果、その人が生きる世界まで、自分が認識する共同体を、拡げたことになります。
 これによって、自分自身の心の痛みも、和らげることが、できるのではないでしょうか。
 この方法であれば、自分次第で、誰にでも、すぐに、簡単に、取り組めるはずです。 

 

 

80.自分でできる 「勇気づけ」      2015.04.02  

 

 自分より、つらい立場にある人は、「現在」 だけではなく、「過去」 にも、存在 します。
 歴史などから知識を得ると、自分が認識する共同体の範囲を、さらに、拡げることができます。
 また、つらい立場にある人は、未来にも、存在します。
 様々な社会問題が、このまま放置されると、未来に生きる人たちは、どうなるのでしょうか。

 

 そこで、「自分には、何ができるのか」 と、自分自身を、奮い立たせましょう。
 すると、「求める人」 から 「与える人」 に、生まれ変わる、ことができます。
 健全な勇気は、「与える人」 にしか、備わらないものです。

 つらい立場にある人に対する共感が、「勇気の源泉」 になる、 のではないでしょうか。  

 

 次に、その思いを実現させるためには、若い人であれば、まずは、自立すること。
 自分の力で、生きていけるように、生活力を、身につけなければいけません。

 さらに、誰かの役に立てるように、仕事の能力を、高めましょう。
 能力が高まるにつれ、多くの人の、役に立つことができます。  

 

 ただし、最初から、大きな成果は、望めません。
 これが原因で、抱く劣等感は、他人との比較によるものと違って、成長のために、必要なものです。
 むしろ、成長している証として、歓迎してください。 
 そして、自分自身を、叱咤激励しながら、前進を続けましょう。
 

 

 アドラー心理学を実践すると、自分自身と、真摯 (しんし) に、向き合わなければいけません。
 すると、そこには 「無力な自分」 「未熟な自分」 「嫌な自分」 もいる訳です。

 それに囚われないためには、より大きな 「共同体」 である社会に、関心を持ち、「貢献感」 を、強く持ち続ける ことです。
 「誰かに嫌われたくない自分」 を卒業して、「社会に貢献できる自分」 を、目指しましょう。  

 

 自分より、つらい立場の人が、存在する以上、自分が、やるべきことは、必ず、あります。
 さらに、望ましいことではありませんが、つらい立場の人は、永久に存在します。
 つまり、より勇気のある自分へ、成長するチャンスは、いくらでもある、ということです。
 これが、最後にご紹介する、「自分でできる勇気づけ」 の方法です。 

 

 

81.税理士としての 「社会貢献」      2015.04.03  

 

 社会貢献の1つとして、2006 年より、税理士報酬の低料金化 に、取り組みました。
 業界内では、「月1万円より」 が、一般的でしたが、小さな企業にとっては、大きな負担になります。
 これが原因で、ご自分で利益と税額を計算し、申告される企業も、あります。
 ところが、税務調査の結果、間違いを指摘され、多額の追徴税額が、発生するケースも、少なくありません。

 

 税理士として、「このような状況は、望ましくない」 と、考えました。
 そこで、低料金化を目指し、経営の勉強を、一から、やり直しました。
 しかし、単に、料金を下げるだけでは、資金繰りが悪化します。
 かと言って、ブラック企業のように、従業員に、違法な労働を、強いる訳にもいきません。  

 

 どうすれば、「経営者」 「従業員」 「顧客」 の三者が、ともに、豊かになれるのでしょうか。
 この問題を、解決するためには、発想の転換が、必要でした。

 つまり、それまでの 「知恵」 と 「知識」 を、いくら生かしても、対応できない ということです。
 私は、新たな 「知恵」 と 「知識」 を求め、片っ端から、本を読みました。

 

 1 日、「7 時間の仕事 + 7 時間の勉強」 の生活を、約 5 年間、続けたところ ・・・ 
 「月 3 千円 (別途消費税) 」から、ご利用いただけるようになりました。
     26 年前、税理士試験に挑戦し始めたころは、求められる勉強量の多さに、気絶しそうになったものです。

     しかし、正しい方法で、努力を続ければ、誰もが、一定レベルに到達できる ことを、知りました。  

 

 ポイントは、「誰のための努力なのか」 にあります。
 「自分のため」 から、抜け出せない人は、自分がかわいいので、努力が長続きしません。
     もし、努力を続けたとしても、「自分と家族のため」 レベルでは、周囲と利害が反するため、成功が長続きしないでしょう。

 長期的な 「成長」 と 「成功」 を望むのであれば、「社会のため」 という目的が、重要な役割 を果たします。  

 

 今、できることは、小さなことでも、構いません。
 しかし、最終目的は大きく 「社会のため」 を、心がけましょう 
 私は、この後、新たな貢献方法を求めて、「知恵」 と 「知識」 のインプットに、力を注ぐ予定です。
 従いまして、このブログも、次回で、終了させていただきます。

 

 

82.アドラー心理学の 「限界」 と 「可能性」      2015.04.07  

 

 このブログの内容は ・・・
 お読みいただいて、おわかりのように、純粋なアドラー心理学ではありません。
 私が、これまで身につけた雑学も、多く、含まれています。 

 アドラー心理学の 「実践体験記」、その一例と、お考えいただければ、幸いです。

 

 アドラー心理学は、「自分がどのように生きるのか」 を、問うものです。
 さらに、「課題の分離」 によって、他人事を、切り離します。

 自分が、自分らしく、幸せに、生きていくためには、非常に優れた考え方 ではないでしょうか。
 さらに、周囲の人たちも、皆、アドラー心理学の実践者であれば、さぞかし、気持ちよく、過ごせることでしょう。  

 

 しかし、世の中には、様々な人が、存在します。
 たとえば、ストーカー。

 アドラー心理学を、マスターしたからと言って、彼らの行動を阻止するのは、難しい と考えられます。
 「課題の分離」 を、説明しても、効果は見込めないでしょう。  

 

 アドラー心理学は、素晴らしい理論ではありますが、そこに限界があります。
 自分の心と行動は、コントロール可能ですが、自己中心的な相手の、心と行動に対しては、ほぼ無力 です。
 この点を踏まえ、その他の知識や知恵も、吸収すべきでしょう。
 人生、きれい事だけでは、済まされませんので、やはり、善悪にも、強くなりたいものです。
 

 

 最後に、「嫌われる勇気」 の著者である、お2人に、お礼を申し上げます。
 いくら、素晴らしい考えでも、それが、狭い範囲にとどまる限り、大きな社会貢献には、つながりません。
     ベストセラーになったことにより、多くの人が、「自分の人生」 を取り戻す、チャンスに、気づかれたのではないでしょうか。

 岸見一郎先生と、古賀史健さん、ありがとうございます ・・・ 続編を、期待しております。  

 

 また、ブログをお読みいただいた、読者の皆様にも、感謝いたします。
     25 年前の私も、先が見えない状態でしたから、悲観される必要など、まったくありません。

 自分らしく、自分の人生を歩み、共同体である社会への貢献を、心がける。
 そうすれば、自ずと、幸せな人生が、開けてくることでしょう。
 

 

2015年 4月 7日       税理士 今井 睦明 

 

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代表社員 税理士 今井 睦明


1960年生まれ 名古屋市出身 1989〜1993年 税理士試験 法人税法、消費税法、事業税、簿記論、財務諸表論、全5科目合格
 
1994年税理士登録 日本税理士会連合会 登録番号 税理士法人3430 税理士78397 名古屋税理士会名古屋北支部所属

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