「からだの声の翻訳家®️」鶴木マキ∬しあわせのシグナル∬

日常から不思議な話まで。リーディングってなに?ポジティブってどんな思考?なんてことをつぶやいてます。

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今年をふりかえり。

さてまだまだ勝手に書きたいことを書く。


本当はテーマを決めて書いた方がいいに決まっているのだけれど、書きたい衝動というものが先に来てしまうから書き散らかした雑多な日記ブログへと落ちるわけです。


なので名も無き私のことを見守ってくださる方がいたとしたらその方に、私を知ってもらうために書く。

今私に出来ることはそんなこと。

これはエゴでしかないのだけど。


本来まだ見ぬ読者に思いを寄せて書かないとならないのだと知っている。知っているのだけどそうなってしまうととたんに筆が止まってしまうのです。


先日本当に久しぶりにエッセイ教室に参加できました。

会社の大先輩がいなくなってしまったら、私はいつ休みが取れるだろうという不安があります。

仕事の流れもどう変わっていくのだろうと言う不安もあります。

分からないから今は考えても仕方がないのです。

だからもっと先のことを大きく考えるしかありません。


エッセイ教室は私にとって大切な場所です。

少し前までからだの声のことを書いていければと思っていました。それでエッセイみたいにしていけたならと思っていたけれど。

私はリーディングはもういいと諦めてしまった。

この事をきちんと書かないで、適当にやってごまかして中途半端に生きるのはもうやめようと思ったのです。


それは簡単なようで結構大変なことでした。なぜならそれだけの年月を私はリーディングに取ってきたから。


だけど私には俯瞰は難しく、自分の気持ちを押し付けるところがあるから、人にアドバイスするような人物ではないなと思うようになりました。


実経験から言えるのは、アドバイスを信じて1年間頑張ったのに結果がでなくてどういうことかわからなくなった自分が過去にいます。


誰かに悩みを聞いて、そうした方がいいよとなったとき、その言葉にすがって頑張る人もいる。


だけどそれは良くない。

結果が全く出なくて一年過ごし、どうしたわけか諦める気持ちになりもう一度聞きに行くと、もうしなくていいみたいと言われたとき、私の時間はなんだったんだろう⁉️と思うから。


決めるのは自分で行動するのも自分。


誰かのせいではないだけど、言葉にすがってしまう人はのぞみの言葉が急に消えるとどうしていいのか分からなくなるんです。

(ずいぶんと年月がたってからその一年の意味がわかるんですけれど聞いた時点は分からないでしょう)


それを考えると私は相談する人にはなれないなと感じました。言い訳だととられるならそれでもいい。

かといって、教える側になれるのか?と言えばそれもまた無理なんだろうなとなる。


グループレッスンの講師役はとても楽しくためになるし、答えが分からない分きちんとやらないとならないと思えました。


それでもこれで腑に落ちたのか?と解釈を聞かれると自信はない。


そして努力が足りない、それを仕事や時間のせいにしている自分がいる。


色々とダメダメなのでここはリセットしてみるしかないと思った訳です。


このまま惰性で行っても何も変わらないだろうから。


だけどこれから先をどうするか?そこは分からない。そこを早く見つけないと、そして行動していかないと。今はそう思っています。


昨日は長男の誕生日でした。

次男と三人食後にケーキを食べるというだけのお祝いでしたが、幸せなことだと思いました。


なんだか今は悩むこともなくて幸せなんだなと思いました。


多少の心の葛藤を抱きながらの人生だったので一年の締めくくりが心穏やかでいられること、よかったなと思います。


今年も読んでくださってありがとうございます。

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