地球上の言語
久しぶりに記事を書きます。
NHKのEテレで「ピダハン」という民族とその言語「ピダハン語」についての番組がやっていました。
ピダハン語には未来形・過去形という形はほとんどなく、ほぼすべてが現在形、さらに数の概念・左右の概念などもないそうです。複雑な文法構造を持たず、そのためrecursion(再帰構造)をも取り得ないのだといいます。これはノーム・チョムスキーの示した生成文法、普遍文法が成り立たないということになるのです。
番組内で面白いことを言っていました。そこでは「言語学」は「科学」だと主張していましたが、「科学が信仰になってはいけない」のだと。たしかにチョムスキーの理論は、世界中ほとんどすべての言語について言えること、正確には世界にあるほぼすべての言語に共通する性質を演繹して得られた結果なのだと思います。しかし、「ピダハン語」についてはこれが言えない。世界から孤立した言語であるというのです。
世界にある言語は根源をたどると何か他の言語とつながっています。例えば、有名な「インド・ヨーロッパ語族(印欧諸語)」というのは、名前の通り、インドで話されているサンスクリットやヒンディー、それとヨーロッパの言語であるイタリア語や英語、フランス語などが共通の起源を持つことを示唆する言葉です。このブログで日本語の起源をいくつか取り上げていますが、日本語と琉球語や韓国語などは起源的に共通する部分があると書きました。この様に、世界のどこを見ても孤立した言語はないと思われるのです。1年半ほど前、科学的に全ての言語の起源はアフリカにあるという論文がNatureという科学雑誌に載りました。これは言語を生物のように捉え、音素を元に「進化」の過程をコンピュータで計算したものだったと思います。これが示すことは、すべての言語は起源的に繋がっているということです。
これが本当だとすると、チョムスキーのいう理論は、同じ起源を持つ言語をたくさん集めて演繹した結果ということになります。こう考えると、本当に「言語の本質」が言えたと言えないのではないでしょうか。生物学を例にとって説明します。
現在地球上にいる生物は遺伝情報としてDNAを持っていることは皆さんご存知でしょう。そしてそれをRNAに転写し、それをリボソームが翻訳してタンパク質を作ります。これをセントラルドグマ(中心教義)といい、ほぼすべての生物に共通していることからこう呼ばれます。これはチョムスキーの言う普遍文法に近いことだと思います。
しかしながら、現在の生物学では「必ずしもセントラルドグマをもたなくても生物は存在しうる」というのが主流です。簡単に言うと、生物は「自己複製能力を持つもの」なのです。現在ある地球上の生物は神にデザインされたわけでもなく、「たまたまそうなった」としか言えないのです。自己複製能力を持つだけなら他の物質でもできるでしょうし、実際にRNAだけでもさまざまな触媒反応ができて、生物のようにふるまうことが知られています(詳しく「RNAワールド仮説」などを調べてみてください。)
余談ですが、このことから宇宙人と地球人は違う生物構造をしていることはほぼ確実で、仮に宇宙人が地球人を捕食しても必ずしも栄養にはならないような気がします。
地球上、少なくとも「地上」のすべての生物は「コモノート」と呼ばれる同一の起源(海底で化学物質からエネルギーを得ていたバクテリアのようなものだったと言われています)から進化したことは確実でしょう(まだ深海には生物の構造が異なる未確認の古細菌がいるかも知れませんが)。
脱線し過ぎました。つまり、チョムスキーの主張は生物に例えて言うと、「地上に存在するあらゆる生物を調べた結果、どれにもDNA・RNA・タンパク質の関係が共通していたため、それらが生物の本質である」ということなのです。これは、コモノートから進化したがために共通していることを、あたかも生物の本質だと思って誤って主張したことになってしまいますね。本当の「生物の本質」は、地球外生命体にも言えるはずなのです。
同じように、「言語の本質」はピダハン語にも言えなくてはなりません。
ピダハン語が孤立した言語なのかどうかは分かりませんが、話者数がいくら少ないとしても、「言語の本質」を求めるためには一つの言語として扱うべきなのです。
科学が信仰になってしまったら人類の進歩は止まってしまうでしょう。
NHKのEテレで「ピダハン」という民族とその言語「ピダハン語」についての番組がやっていました。
ピダハン語には未来形・過去形という形はほとんどなく、ほぼすべてが現在形、さらに数の概念・左右の概念などもないそうです。複雑な文法構造を持たず、そのためrecursion(再帰構造)をも取り得ないのだといいます。これはノーム・チョムスキーの示した生成文法、普遍文法が成り立たないということになるのです。
番組内で面白いことを言っていました。そこでは「言語学」は「科学」だと主張していましたが、「科学が信仰になってはいけない」のだと。たしかにチョムスキーの理論は、世界中ほとんどすべての言語について言えること、正確には世界にあるほぼすべての言語に共通する性質を演繹して得られた結果なのだと思います。しかし、「ピダハン語」についてはこれが言えない。世界から孤立した言語であるというのです。
世界にある言語は根源をたどると何か他の言語とつながっています。例えば、有名な「インド・ヨーロッパ語族(印欧諸語)」というのは、名前の通り、インドで話されているサンスクリットやヒンディー、それとヨーロッパの言語であるイタリア語や英語、フランス語などが共通の起源を持つことを示唆する言葉です。このブログで日本語の起源をいくつか取り上げていますが、日本語と琉球語や韓国語などは起源的に共通する部分があると書きました。この様に、世界のどこを見ても孤立した言語はないと思われるのです。1年半ほど前、科学的に全ての言語の起源はアフリカにあるという論文がNatureという科学雑誌に載りました。これは言語を生物のように捉え、音素を元に「進化」の過程をコンピュータで計算したものだったと思います。これが示すことは、すべての言語は起源的に繋がっているということです。
これが本当だとすると、チョムスキーのいう理論は、同じ起源を持つ言語をたくさん集めて演繹した結果ということになります。こう考えると、本当に「言語の本質」が言えたと言えないのではないでしょうか。生物学を例にとって説明します。
現在地球上にいる生物は遺伝情報としてDNAを持っていることは皆さんご存知でしょう。そしてそれをRNAに転写し、それをリボソームが翻訳してタンパク質を作ります。これをセントラルドグマ(中心教義)といい、ほぼすべての生物に共通していることからこう呼ばれます。これはチョムスキーの言う普遍文法に近いことだと思います。
しかしながら、現在の生物学では「必ずしもセントラルドグマをもたなくても生物は存在しうる」というのが主流です。簡単に言うと、生物は「自己複製能力を持つもの」なのです。現在ある地球上の生物は神にデザインされたわけでもなく、「たまたまそうなった」としか言えないのです。自己複製能力を持つだけなら他の物質でもできるでしょうし、実際にRNAだけでもさまざまな触媒反応ができて、生物のようにふるまうことが知られています(詳しく「RNAワールド仮説」などを調べてみてください。)
余談ですが、このことから宇宙人と地球人は違う生物構造をしていることはほぼ確実で、仮に宇宙人が地球人を捕食しても必ずしも栄養にはならないような気がします。
地球上、少なくとも「地上」のすべての生物は「コモノート」と呼ばれる同一の起源(海底で化学物質からエネルギーを得ていたバクテリアのようなものだったと言われています)から進化したことは確実でしょう(まだ深海には生物の構造が異なる未確認の古細菌がいるかも知れませんが)。
脱線し過ぎました。つまり、チョムスキーの主張は生物に例えて言うと、「地上に存在するあらゆる生物を調べた結果、どれにもDNA・RNA・タンパク質の関係が共通していたため、それらが生物の本質である」ということなのです。これは、コモノートから進化したがために共通していることを、あたかも生物の本質だと思って誤って主張したことになってしまいますね。本当の「生物の本質」は、地球外生命体にも言えるはずなのです。
同じように、「言語の本質」はピダハン語にも言えなくてはなりません。
ピダハン語が孤立した言語なのかどうかは分かりませんが、話者数がいくら少ないとしても、「言語の本質」を求めるためには一つの言語として扱うべきなのです。
科学が信仰になってしまったら人類の進歩は止まってしまうでしょう。