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西日に照らされた草花が、岩陰に浮かび上がる頃、
私たちは隠遁所跡を後にした。
メテオラの、こうした隠遁所跡を訪れようとする者は、注意すべきである。辺りはまだ明るくとも、岩陰は既に暗く、これより遅くなると危険である。ただでさえメテオラは、一歩踏み外せば奈落の底。帰路に着く時間は、早めを心掛けるように。
メテオラ 1988年、世界遺産(複合遺産)
わずか二畳ほどの広さしかない、この隠遁所で
真下に見えるは、麓の村の教会。
教会は聖なる場所でありながら、世俗の中にあり、
神父は妻帯を認められている。
ギリシャで驚いたことの1つが、ギリシャ正教では神父に妻帯、つまり結婚が認められていることだった。…とは前知識で知っていたが、それでも、スーパーマーケットに「家族連れ」でやって来ていた神父を目の当たりにすると、カルチャーショックを覚えた。そんな、カトリック等では有り得ないことが認められていながら、あえてその権利を放棄し、ただひたすら祈り続ける日々とは、どんなものだろう。
通う者も廃れて久しい隠遁所への道は、人々の記憶からも消えて久しい。
有難いことに、宿の主人がそのうちの1つを記憶していた。
メテオラに修道院群が建設されたのは、14世紀であると言われている。それまで東ローマ帝国で修道院活動の中心を担っていた聖山アトスが、セルビアに組み込まれたことにより、戦乱を避けようと多くの修道士がメテオラに住み着いた。とは言え、初期のメテオラでは修道院群が形成されることはなく、それぞれの修道士が単独で修行するスタイルが主流であった。
そして15世紀、最盛期を迎えたメテオラでは、メガロ・メテオロン修道院(メタモルフォシス修道院)を中心とした一大コミュニティが形成され、24もの修道院と無数の隠遁所が存在した。しかし現在、一般に公開されている修道院はわずか6ヶ所、人が住んでいる修道院となると、更に1つ減って5ヶ所しかない。隠遁所ともなると、そこへの道筋の大半は、村人からの記憶からも消えてしまっている。近年になって、ウォーキングマップが作成・販売され、大変便利になったが、隠遁所への道は「おおよそ」のものが記載されているだけであるし、また、道も半ば以上が自然に戻っている。
麓の村より、隠遁所跡を目指す。
下界より、天界へ…
欲を捨て、迷いを断ち、ひたすら神に祈るには、最適の地だった。
この、奇岩の上に建てられた修道院群を、メテオラと言う。
私のサイトポリシーみたいなものだが、原則として500×500以上のサイズでは、載せないことにしている。こちらがひと目で見た風景を、読み手はスクロールしないと見れないなんて可笑しいし、それでは伝わるものも伝わらなくなると思うからだ。しかし、このメテオラの絶壁は、本当に私もスクロールして見た風景であるので、こういうのも有りかなと思う。限られた、不安定な足場での撮影なので、1枚目と2枚目で多少の時間差と角度差が出来てしまったが、思いは伝わるものと期待する。
メテオラ 1988年、世界遺産(複合遺産)
メテオラの奇岩に、木槌の音がこだまする。
それは、修道士に祈りや食事の時刻を知らせる音…。
ただし、メテオラの奇岩にこだまするのは、木槌の音だけではない。それは明らかに木槌の音ではなく、何か硬いものが岩にぶつかりながら落ちていく音だった。と言うより、ここだけの話、私は目撃してしまった。アギア・トリアダから、何かが降ってくる様を…!
…廃材処分、とは思いたくない。
メテオラ 1988年、世界遺産(複合遺産)
アギア・トリアダ修道院
Mount Athos Byzantine Chant by Mount Athos Monks、Sony