冷血もしくは冷徹
Dr. HOUSE/ドクター・ハウス シーズン1 DVD-BOX1 (2009/05/09) ヒュー・ローリーリサ・エデルシュタイン 商品詳細を見る |
ずいぶん前に医師の人がアメリカでこれを観て面白かったといってた。そこでネットを探してみたらあったので、入手したら米国視聴仕様とかいうやつで、リージョンを変えて観てみたが、当然英語で、悔しくて泣いた。
先日、民放テレビの深夜枠で、偶然シーズン1の第一話が放映されているのを目にして、しかも偶然オープニングからだったので、食い入るように観た。神の計らいというのはあるものだ。
主人公は冷血である。少なくとも言動からはそう取れる。本筋に関わる厄介な感染症の女性という症例の診断に苦慮する医師団を冷ややかに見つめ、患者も冷ややかに見つめる。暫定診断を下し、その推測に基づいて治療をするが、それはジェットコースターのように患者の状態を揺さぶる。絶望する患者は治療を拒み、尊厳を維持するための死を希望する。それをハウスは否定する。吐き捨てるように。
ハウスの医療チームに配属された若い男性医師は、自分の実力を買われたのではなく、若い頃の過ち、即ち犯罪歴を買われたのだとハウスから告げられ、自尊心を潰される。
もう1人の女性医師は、能力を買われたのではなく、美人であったから採用されたと告げられ、やはり自尊心を傷つけられる。
終盤、病状が回復した女性患者は、ドクター・ハウスに会いたいという。お礼がしたいと。しかし、ハウスはその場には居ない。周りの医師が、かれは仕事が終わるとどこかに行ってしまうんだと、肩をすくめながら答える。寂しげな表情を浮かべる女性。
彼女には、ドクター・ハウスが、冷血ではないと思えたのだ。冷徹だが、暖かい血が通っているという事実を悟ったのだろう。
ハウスは、人を、言葉を、信じない。
では、かれはなにをしんじるのか。
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