私はしばしば、此処のブログで、
「悪意ある輩」という表現を用いてきた。
ただ、この表現には不正確・不十分なところがあると反省したので、
今回、注釈申し上げる。
「悪意ある輩」という表現を用いてきた。
ただ、この表現には不正確・不十分なところがあると反省したので、
今回、注釈申し上げる。
悪意、というのは、かなり大雑把な表現であったが、
私が此処のブログで意味するものは、まず第一に
「いわゆる、ネガティブコメント・トラバ」
(※ekkenさんの記事での定義を参照のこと、
http://ekken.blog1.fc2.com/blog-entry-381.html)
のうち、
「理由・意図が私にとって納得または妥協できるもの以外」
を、指している。
ちなみにここで、
納得とは、相手の言い分がもっともだと思えるもので、
妥協とは、完全に納得は出来ないが仕方ない、と思えるものである。
つまり、相手を困らせる意図の事実無根の中傷、罵倒、侮辱、
大量のコピペコメント攻撃などがまず「悪意」に該当する。
ただし、理由根拠がハッキリしている批判は、私の場合は該当しないが、
その理由が単に感情的なもの(俺が不愉快、とか)の場合は
グレーゾーンで、ケースバイケースになる。
また、ブログやサイトを持って直接発言していなくとも、
リアルの場で、迷惑を掛ける行為も含まれる。
ブログの記述を元に、自宅やその他の拠点を探し出し、
つきまとうストーカー行為などが該当する。
こういうのは、いわば、「確信犯的悪意」とでも言おうか。
面白半分の「愉快犯」も含まれるかもしれない。
そして第二に、今私がつくづく思うのは、
「明確に、相手を困らせる意志」までは断言できなくとも、
「結果的に、相手を困らせる解釈・行動を平気で行う」ような人物も
言うならば「天然系悪意」のような気がするのだ。
仮に、いくら相手を困らせる意志はなくとも、
その相手が迷惑だと表明しているにもかかわらず、
その「迷惑」な言い分が自分には理解不能だから、
何も反省することもなく、絶対にやっても良いこと、と
勝手に判断し疑わない行動のことである。
例えば、web上で非公開にしている素性属性の断定を、
自分は公開しても何も問題ないから、と
悪いことだとは思えないような。。。。。
更には、相手の発言を、勝手に裏読みし、拡大解釈・誇大解釈し、
本人が言っていないことまで勝手に断定するのも、
それが「正しいこと」と疑わず、自分を省みることが一切無い限り、
十分、悪意的な言動だと私は思う。
確かに、web上の発言の受け取り方は様々で、
発言者が意図しない解釈をされることはあるのだと思う。
が、「言っても居ないこと」を断定されるのは普通は迷惑なのである。
そして、相手が「迷惑だ」と表明しているのにも関わらず、
自分のほうが絶対に正しい、と相手の言い分を一切聞かないのは
間違いなく、「原理主義系悪意」であろう。。。。
ただ、一般的には、「確信犯的悪意」「愉快犯系悪意」しか
悪意とは考えないのかもしれない、言葉足らずだったかもしれない、と
今は反省している。
そして、
>「悪意」と言う言葉は確実にそう言う状況を示す事柄が無い場合、
>他人に向けて発していい言葉でしょうか?
という疑問であるが。。。。
これは、ネット上と、現実・リアルの場とで、
分けて考えるべきである、と私は考えている。
ネット上ではそれこそ、如何様にも詐称可能で、
あくまでも、webに載った情報でだけでしか判断しようがない上に、
昨今はブログが流行り、事実に反する中傷さえも簡単に載せられるため、
まず疑ってかかるほうが無難である、と自分の経験からも強く主張する。
それに反して現実の場合、容貌や顔色、声色など、他にも情報があり、
素性がある程度分かる場合も多いのが普通なので、
最初から「悪意」の可能性を疑うのが失礼な場合が多々あるのは
言うまでも無いだろう。
ただ、現実の世界でも、悪質商法は増えていると聞くし、
銃撃などの凶悪犯罪も、実際に起こっていることを考えると、
無条件に相手の言うことを信じすぎない、というのも
悲しいけれど昨今は、自己防衛の手段となっているように思うのだ。
そして、ネットで知り合った相手との関係を考えた場合、
相手の「現実の周囲」は確実に、相手にとっては現実そのものだが、
自分にとってはやはり、「ネット上のバーチャルな繋がり」でしか
なりえないのである。ネットを介しているからだ。
もし、そこまで、周囲に悪意が居るとは断言できない、と主張できるなら、
ご自分のブログに、漢字実名と住所を載せてみては如何だろうか。
周囲に本当に、悪意を持つ輩が居ないのなら、
そういった個人情報を載せても、実害が起こり得ないことになるが、
残念ながらまず、何かしらの迷惑行為に遭遇することになるだろう。。。
なので、失礼ながらネット上である以上、情報の信憑性とともに
「悪意」の存在についても、可能性を疑うほうが無難だと思うのだ。
私は実際、ネット上で、成りすましや中傷の被害にも遭っている。
そういった「被害者の声」を聞こうとしない態度には
大きな疑問を感じる。
<2007.7.18未明に追記>
なお、ネットを介した悪意・善意については、
ekkenさんの記事「ウェブサイト上の「善意」に関する雑感」
http://ekken.blog1.fc2.com/blog-entry-430.html
も、参考にご覧になった方がよいと思われ。
私が此処のブログで意味するものは、まず第一に
「いわゆる、ネガティブコメント・トラバ」
(※ekkenさんの記事での定義を参照のこと、
http://ekken.blog1.fc2.com/blog-entry-381.html)
のうち、
「理由・意図が私にとって納得または妥協できるもの以外」
を、指している。
ちなみにここで、
納得とは、相手の言い分がもっともだと思えるもので、
妥協とは、完全に納得は出来ないが仕方ない、と思えるものである。
つまり、相手を困らせる意図の事実無根の中傷、罵倒、侮辱、
大量のコピペコメント攻撃などがまず「悪意」に該当する。
ただし、理由根拠がハッキリしている批判は、私の場合は該当しないが、
その理由が単に感情的なもの(俺が不愉快、とか)の場合は
グレーゾーンで、ケースバイケースになる。
また、ブログやサイトを持って直接発言していなくとも、
リアルの場で、迷惑を掛ける行為も含まれる。
ブログの記述を元に、自宅やその他の拠点を探し出し、
つきまとうストーカー行為などが該当する。
こういうのは、いわば、「確信犯的悪意」とでも言おうか。
面白半分の「愉快犯」も含まれるかもしれない。
そして第二に、今私がつくづく思うのは、
「明確に、相手を困らせる意志」までは断言できなくとも、
「結果的に、相手を困らせる解釈・行動を平気で行う」ような人物も
言うならば「天然系悪意」のような気がするのだ。
仮に、いくら相手を困らせる意志はなくとも、
その相手が迷惑だと表明しているにもかかわらず、
その「迷惑」な言い分が自分には理解不能だから、
何も反省することもなく、絶対にやっても良いこと、と
勝手に判断し疑わない行動のことである。
例えば、web上で非公開にしている素性属性の断定を、
自分は公開しても何も問題ないから、と
悪いことだとは思えないような。。。。。
更には、相手の発言を、勝手に裏読みし、拡大解釈・誇大解釈し、
本人が言っていないことまで勝手に断定するのも、
それが「正しいこと」と疑わず、自分を省みることが一切無い限り、
十分、悪意的な言動だと私は思う。
確かに、web上の発言の受け取り方は様々で、
発言者が意図しない解釈をされることはあるのだと思う。
が、「言っても居ないこと」を断定されるのは普通は迷惑なのである。
そして、相手が「迷惑だ」と表明しているのにも関わらず、
自分のほうが絶対に正しい、と相手の言い分を一切聞かないのは
間違いなく、「原理主義系悪意」であろう。。。。
ただ、一般的には、「確信犯的悪意」「愉快犯系悪意」しか
悪意とは考えないのかもしれない、言葉足らずだったかもしれない、と
今は反省している。
そして、
>「悪意」と言う言葉は確実にそう言う状況を示す事柄が無い場合、
>他人に向けて発していい言葉でしょうか?
という疑問であるが。。。。
これは、ネット上と、現実・リアルの場とで、
分けて考えるべきである、と私は考えている。
ネット上ではそれこそ、如何様にも詐称可能で、
あくまでも、webに載った情報でだけでしか判断しようがない上に、
昨今はブログが流行り、事実に反する中傷さえも簡単に載せられるため、
まず疑ってかかるほうが無難である、と自分の経験からも強く主張する。
それに反して現実の場合、容貌や顔色、声色など、他にも情報があり、
素性がある程度分かる場合も多いのが普通なので、
最初から「悪意」の可能性を疑うのが失礼な場合が多々あるのは
言うまでも無いだろう。
ただ、現実の世界でも、悪質商法は増えていると聞くし、
銃撃などの凶悪犯罪も、実際に起こっていることを考えると、
無条件に相手の言うことを信じすぎない、というのも
悲しいけれど昨今は、自己防衛の手段となっているように思うのだ。
そして、ネットで知り合った相手との関係を考えた場合、
相手の「現実の周囲」は確実に、相手にとっては現実そのものだが、
自分にとってはやはり、「ネット上のバーチャルな繋がり」でしか
なりえないのである。ネットを介しているからだ。
もし、そこまで、周囲に悪意が居るとは断言できない、と主張できるなら、
ご自分のブログに、漢字実名と住所を載せてみては如何だろうか。
周囲に本当に、悪意を持つ輩が居ないのなら、
そういった個人情報を載せても、実害が起こり得ないことになるが、
残念ながらまず、何かしらの迷惑行為に遭遇することになるだろう。。。
なので、失礼ながらネット上である以上、情報の信憑性とともに
「悪意」の存在についても、可能性を疑うほうが無難だと思うのだ。
私は実際、ネット上で、成りすましや中傷の被害にも遭っている。
そういった「被害者の声」を聞こうとしない態度には
大きな疑問を感じる。
<2007.7.18未明に追記>
なお、ネットを介した悪意・善意については、
ekkenさんの記事「ウェブサイト上の「善意」に関する雑感」
http://ekken.blog1.fc2.com/blog-entry-430.html
も、参考にご覧になった方がよいと思われ。