『美女と野獣』を読書の視点で見る
本が高価であった時代、貴族にとって、図書室というのは家の格を客人に示すための場所だったそうです。
現代人は本を情報を得るための手段の1つとして認識していますが、当時の人は装飾品の一部としての考えていたのかもしれません。
そのことを踏まえて、ディズニー映画『美女と野獣』を見るとベルの印象が変わってきます。ベルは本好きという設定ですが、実は本を読むのを好きなのではなく装飾品として好きだったのかもしれません。
物語の冒頭でベルは本を読みながら水などを避けていますが、なぜ避けることができたのか? 実は本を読んでいなかったのです! 本を読んでいる姿を他人に見せたかっただけで、中身に興味はなかったに違い有りません!!(←決め付け)
また、中盤には野獣の城にある図書館に案内されてベルが喜ぶシーンが有ります。あの図書館に並んでいたのは貴族の図書館用に作られた、見た目重視の豪華本でしょう。
一方、ベルが普段読んでいた本は印刷技術によって大量生産された本ではないかと思います。ベルの父親が蒸気機関による薪割り機を作っていましたし、時代設定は産業革命のころ(18世紀~19世紀)と推測できます。本を大量生産する技術は有るはずです。
現在人の価値観にあわせてアイテムをに置き換えてみましょう。本を装飾品として考えるなら、ベルが最初に買った本=中国での大量生産された安物のバッグ、城の本=職人が一つ一つ丁寧に作ったブランド物のバッグです。
ストーリー順に追っていくと、
1. 中国製の安くて良いバッグを手に入れ、喜ぶベル
2. ブランド物の高級バッグが壁一面に並べられた巨大ホールに連れて行かれる
3. 野獣「全部、君に上げる」 ベル歓喜
うーん…、壁一面にバッグが置いてあるのは少し不自然かも。
やはり、インテリアとしても、アクセサリーとしも、一人だけで楽しむ趣味としても成り立つ本というのはすごいアイテムですね。
現代人は本を情報を得るための手段の1つとして認識していますが、当時の人は装飾品の一部としての考えていたのかもしれません。
そのことを踏まえて、ディズニー映画『美女と野獣』を見るとベルの印象が変わってきます。ベルは本好きという設定ですが、実は本を読むのを好きなのではなく装飾品として好きだったのかもしれません。
物語の冒頭でベルは本を読みながら水などを避けていますが、なぜ避けることができたのか? 実は本を読んでいなかったのです! 本を読んでいる姿を他人に見せたかっただけで、中身に興味はなかったに違い有りません!!(←決め付け)
また、中盤には野獣の城にある図書館に案内されてベルが喜ぶシーンが有ります。あの図書館に並んでいたのは貴族の図書館用に作られた、見た目重視の豪華本でしょう。
一方、ベルが普段読んでいた本は印刷技術によって大量生産された本ではないかと思います。ベルの父親が蒸気機関による薪割り機を作っていましたし、時代設定は産業革命のころ(18世紀~19世紀)と推測できます。本を大量生産する技術は有るはずです。
現在人の価値観にあわせてアイテムをに置き換えてみましょう。本を装飾品として考えるなら、ベルが最初に買った本=中国での大量生産された安物のバッグ、城の本=職人が一つ一つ丁寧に作ったブランド物のバッグです。
ストーリー順に追っていくと、
1. 中国製の安くて良いバッグを手に入れ、喜ぶベル
2. ブランド物の高級バッグが壁一面に並べられた巨大ホールに連れて行かれる
3. 野獣「全部、君に上げる」 ベル歓喜
うーん…、壁一面にバッグが置いてあるのは少し不自然かも。
やはり、インテリアとしても、アクセサリーとしも、一人だけで楽しむ趣味としても成り立つ本というのはすごいアイテムですね。
よーし! 『バタフライ・エフェクト2』を批判しちゃうぞ!
バタフライ・エフェクト(最初のやつ)は素晴らしかった。伏線の貼り方、最後のオチのつけ方、すべてが完璧だった。
バタフライ・エフェクト3は別作品としてみれば楽しかった。最後の1シーンは要らないと思うが、直前で停止ボタンを押せばどうということはない。
バタフライ・エフェクト2なんて無かった!!
なぜ2が無くていきなり3を作ったのかは謎だ。きっと、『カブトボーグVxV(ビクトリー バイ ビクトリー)』があるのに『カブトボーグV(ビクトリー)』や『カブトボーグ(無印)』がないのと同じ理由だろう。
今、眼の前にバタフライ・エフェクト2と書かれたDVDがあるような気がするが、きっと目の錯覚だ。
………いや、ここは現実を直視しよう。バタフライ・エフェクト2はダメダメだった。
思えばレンタルビデオ屋でパッケージを見た時から、嫌な予感がしていた。腹の底から「この映画を見ちゃだめだ!」という叫び声が聞こえていた。
何をヒントにダメと判断したのかはよくわからない。脚本家が変わっていたからかもしれないし、パッケージ裏に書いてあるあらすじが、明らかにB級映画のそれだったからかもしれない。
ダメと感じていても「バタフライ・エフェクトの名前を使ってるんだからそこまで悪くはないだろう」と少しは期待していた。
期待なんてしなきゃよかった!
「希望が大きいほど、それを失ったときの絶望も大きい」というニュアンスの名言が有ったと思う。バタフライ・エフェクト3とバタフライ・エフェクト2のあいだの落差は、ビルの2階から飛び降りたくらいの衝撃だった。「ひょっとして駄作かも」というクッションがなければ大怪我していただろう。危ないところだった。
これがもし、バタフライ・エフェクト(初代) → バタフライ・エフェクト2 の順で見ていたら大惨事だった。東京タワーの頂上から地面にたたきつけられるようなものだ。心に深いトラウマを残していただろう。