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斎藤栄三郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
斎藤 栄三郎
さいとう えいざぶろう
生年月日 1913年6月19日
出生地 日本の旗 東京
没年月日 (2000-07-09) 2000年7月9日(87歳没)
死没地 日本の旗 神奈川県川崎市
出身校 早稲田大学商学部
前職 日本経済新聞記者
立正大学教授
NHK解説委員
所属政党 自由民主党
称号 従三位
勲一等瑞宝章

内閣 第1次海部内閣
在任期間 1989年8月10日 - 1990年2月28日

選挙区全国区→)
比例区
当選回数 3回
在任期間 1974年7月8日 - 1992年7月9日
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斎藤 栄三郎(齋藤 榮三郎[1]、さいとう えいざぶろう、1913年6月19日 - 2000年7月9日[2])は、日本政治家自由民主党参議院議員経済評論家東京出身[3]早稲田大学商学部卒業[3]商学博士法学博士文学博士[3]

来歴・人物

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1931年、旧制日本大学中学校(現在の日本大学第一高等学校)卒業。1936年早稲田大学商学部卒業後[4]日本経済新聞社に入社[2]上海支局長、シンガポール支局長などを歴任した[3]

1949年には「一九四一~五年に於ける日本経済の実証的研究」にり早稲田大学から商学博士[5]1959年には「賠償の実証的研究」により中央大学から法学博士[6]1965年には「イスラムの社会思想」により東洋大学から文学博士を、それぞれ論文博士として取得した[7]

立正大学教授、NHK解説委員を経て[2]、フリーの経済評論家となり、TBSの『時事放談』などに出演。1974年第10回参議院議員通常選挙に全国区から自民党公認で出馬し初当選。1992年に引退するまで3期務めた。労働政務次官、参議院商工委員長を経て1989年8月から1990年2月まで第1次海部内閣科学技術庁長官を務めた。

1984年日本経済通信社から上梓した『世界を動かすユダヤパワーの秘密』は、いわゆるユダヤ陰謀論に基づく書物であり、反ユダヤ本として米国ユダヤ人団体から抗議を受けた。

科学技術庁長官に任命された際、閣僚名簿読み上げ後の記者会見で、六ヶ所再処理工場の計画に関して、「六ヶ所村の件ですが」と聞かれると、「それはどこだ」と聞き返した。数年後、ニュースステーション久米宏に、このときの発言を揶揄されたこともあった。

1990年秋の叙勲で勲一等瑞宝章[4]

2000年7月9日、腎不全のため神奈川県川崎市の小田切病院で死去、87歳没[8]。死没日をもって従三位に叙される[1]

息子の斎藤元一政治学者で、国士舘大学教授

著書

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  • 金はどうなるか(日本経済通信社 1981年
  • ソ連・東欧に何が起きているか(日本経済通信社 1982年
  • 曲がり角にきた選挙(日本経済通信社 1982年)
  • 悪魔の世界戦争史 (上)(日本経済通信社 1982年)
  • アメリカの金本位制復帰で日本経済はどうなるか(日本経済通信社 1982年)
  • 宰相中曽根康弘の思想と行動(日本経済通信社 1983年
  • これから賢くお金をふやす方法(日本経済通信社 1983年)
  • 人間における法華経の研究(日本経済通信社 1983年)
  • 中曽根首相のイメージが一変する本(日本経済通信社 1983年)
  • 西欧に学ぶ日本の未来(日本経済通信社 1983年)
  • 世界を動かすユダヤパワーの秘密(日本経済通信社 1984年
  • 新・宗教社会学のすすめ(日本経済通信社 1984年)
  • 政治家語録の読み方(日本経済通信社 1985年
  • 高齢化社会を乗り切るには?―北欧先進福祉国家を訪ねて(通産新報社 1986年
  • 明日のアフリカ(ヒューマン・ドキュメント社 1987年
  • 定家 明月記と私(ヒューマン・ドキュメント社 1987年)
  • 尺八―三曲の世界(ヒューマン・ドキュメント社 1988年
  • 外国からきた新語辞典(集英社 1989年
  • 私の経済履歴書(読売新聞社 1991年
  • 政治改革の原点―政界汚職百年史(北風書房 1992年
  • 明日への日本経済―市場経済と世界不況の出口(北風書房 1992年)
  • 選挙制度の研究(巌南堂書店 1994年
  • 死生一如―人生に幕を引く心の準備(河出書房新社 1995年
  • 現代政治の論究―選挙制度に関する資料と分析(河出書房新社 1996年
  • 歌舞伎へようこそ(河出書房新社 1996年)
  • 人生は一回、楽しく年をとれ!―熟年世代からの心のやすらぎを得るために あなたの老後のための指針(日新報道 1999年

出典

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  1. ^ a b 『官報』第2930号8-9頁 平成12年8月10日号
  2. ^ a b c 斎藤栄三郎」『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』https://kotobank.jp/word/%E6%96%8E%E8%97%A4%E6%A0%84%E4%B8%89%E9%83%8Eコトバンクより2022年12月31日閲覧 
  3. ^ a b c d 本田宗一郎 (1985). 本田宗一郎は語る―不常識を非真面目にやれ. 講談社. p. 213. ISBN 978-4062022415 
  4. ^ a b 斎藤 栄三郎」『20世紀日本人名事典 / 新訂 政治家人名事典 明治~昭和』https://kotobank.jp/word/%E6%96%8E%E8%97%A4%20%E6%A0%84%E4%B8%89%E9%83%8Eコトバンクより2022年12月31日閲覧 
  5. ^ 一九四一~五年に於ける日本経済の実証的研究”. 国立国会図書館. 2020年1月22日閲覧。
  6. ^ 賠償の実証的研究”. 国立国会図書館. 2020年1月22日閲覧。
  7. ^ イスラムの社会思想”. 国立国会図書館. 2020年1月22日閲覧。
  8. ^ “訃報”. 産経新聞. (2000年7月11日). オリジナルの2000年10月19日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20001019011638/http://www.sankei.co.jp/databox/bukko/html/2000_0711saitoeizaburo.html 2022年12月31日閲覧。 
公職
先代
中村喜四郎
日本の旗 科学技術庁長官
第44代:1989年 -1990年
次代
大島友治
先代
中村喜四郎
日本の旗 総理府原子力委員会委員長
第44代:1989年 - 1990年
次代
大島友治
議会
先代
亀井久興
日本の旗 参議院商工委員長
1983年 - 1984年
次代
降矢敬義