中野鉄造
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中野 鉄造(旧字体:中野 鐵造󠄁[1]、なかの てつぞう、1927年1月15日[2] - 2024年11月3日)は、日本の政治家。元公明党参議院議員(2期)。
来歴
[編集]佐賀県佐賀市出身[2][3]。1948年東京農業大学専門部農経科卒[4]。世田谷税務署を経て、佐賀市役所に勤務する[4]。市役所退職後は佐賀コレダ自動車(株)社長となる[4]。1963年から佐賀市議会議員を3期務めた後[4]、1974年の第10回参議院議員通常選挙において佐賀地方区から公明党公認で立候補したが落選[5]。1976年の第34回衆議院議員総選挙で佐賀全県区から公明党公認で立候補したが落選した[6][7]。1980年の第12回参議院議員通常選挙で全国区から公明党公認で立候補して初当選した[8]。1986年の第14回参議院議員通常選挙で比例区から立候補して再選[9]。参議院議員を2期務め、1992年に引退した[2]。
参議院運輸委員長、公明党中央委員、同佐賀県本部長などを務めた[4]。
2024年11月3日17時15分、老衰のため、佐賀市内の病院で死去した[3][10]。97歳没。死没日付をもって従四位に叙された[11]。
脚注
[編集][脚注の使い方]
- ^ a b 『官報』号外第87号14頁 平成9年4月30日号
- ^ a b c 『新訂 現代政治家人名事典 : 中央・地方の政治家4000人』384頁。
- ^ a b “中野鉄造さん死去 元公明党参院議員”. 北海道新聞. (2024年11月5日). https://www.hokkaido-np.co.jp/article/1084040/ 2024年11月5日閲覧。
- ^ a b c d e 『議会制度百年史 貴族院・参議院議員名鑑』369頁。
- ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』521頁。
- ^ 読売新聞 1976年12月7日朝刊第11面 『衆議院選挙確定投票一覧』。
- ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』362頁。
- ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』555頁。
- ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』558頁。
- ^ “中野鉄造さん死去(元公明党参院議員)”. 時事通信. (2024年11月5日). https://www.jiji.com/sp/article?k=2024110500821 2024年11月5日閲覧。
- ^ 『官報』第1363号8頁 令和6年12月9日
参考文献
[編集]- 『議会制度百年史 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 日外アソシエーツ編『新訂 現代政治家人名事典 : 中央・地方の政治家4000人』紀伊国屋書店、2005年。
- 『国政選挙総覧:1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。
議会 | ||
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先代 田代富士男 多田省吾 |
参議院運輸委員長 1987年 - 1988年 1989年 - 1990年 |
次代 多田省吾 中川嘉美 |
第1回 (定数100) |
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†:当選無効・失格など、↓:途中辞職・死去など、↑:繰上げ当選または補欠選挙で当選(合併選挙で当選した3年議員を除く)。 |
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↓:途中辞職・在職中死去など、▼:除名、↑:繰上げ当選、x:繰上げなし |