北区 (名古屋市)
きたく 北区 | |
---|---|
| |
国 | 日本 |
地方 | 中部地方、東海地方 |
都道府県 | 愛知県 |
市 | 名古屋市 |
市町村コード | 23103-7 |
面積 |
17.53km2 |
総人口 |
161,019人 [編集] (推計人口、2024年11月1日) |
人口密度 | 9,185人/km2 |
隣接自治体 隣接行政区 |
名古屋市(中区、西区、守山区、東区) 春日井市、北名古屋市、西春日井郡豊山町 |
区の木 | サクラ[1] |
区の花 | コスモス[1] |
北区役所 | |
所在地 |
〒462-8511 愛知県名古屋市北区清水四丁目17番1号[1] 北緯35度11分39秒 東経136度54分41.7秒 / 北緯35.19417度 東経136.911583度座標: 北緯35度11分39秒 東経136度54分41.7秒 / 北緯35.19417度 東経136.911583度 |
外部リンク | 名古屋市北区 |
ウィキプロジェクト |
北区(きたく)は、名古屋市を構成する16区のうちの一つである。1944年(昭和19年)に当時の東区と西区のそれぞれ一部を併せる形で成立した[1]。区名は、当地が区制施行時における名古屋市の北部に位置する地域であったことに由来する[1]。
概要
[編集]名古屋市の北部に位置し、JR中央線、地下鉄名城線、名鉄瀬戸線や名鉄小牧線などの鉄道、名古屋高速道路1号楠線、国道19号、41号などの幹線道路が南北に走っている[1]。
以前は区内に工場が多く見られたが、現在は撤退し[1]、その跡地に大規模な公営住宅やマンションが多く見られる[2]。
「北区」の区名を持つ現存の行政区のうちでは最も古い[注 1]。
地理
[編集]地形
[編集]河川
[編集]- 主な川
湖沼
[編集]- 主な池
- 御深井池
- 六が池
主な地域
[編集]区内各町については記事末尾の「名古屋市北区の町・字」および名古屋市の地名#北区を参照
- 味鋺(あじま)
- 黒川(くろかわ)
- 辻町(つじまち)
- 上飯田(かみいいだ)
- 平安通(へいあんどおり)
- 大曽根(おおぞね)
- 楠(くすのき)
- 如意(にょい)
- 会所町(かいしょちょう)
- 中丸町(ちゅうまるちょう)
- 清水(しみず)
- 安井(やすい)
- 成願寺(じょうがんじ)
- 米が瀬町(こめがせちょう)
人口
[編集]北区の人口の推移
| ||||||||||||||||
総務省統計局 国勢調査より[3] |
隣接自治体・行政区
[編集]- 名古屋市の行政区
- 他の市町村
歴史
[編集]古代
[編集]西志賀町の西志賀遺跡からは弥生時代前期、平手町の志賀公園遺跡は弥生時代から中世期の遺物が出土しており[1]、少なくとも弥生時代には当地に生活する人々がいたようである。また、式内社として区内には綿神社・多奈波太神社・羊神社・別小江神社・大井神社・味鋺神社と6社があり、神社を中心に居住者があったようである[1]。
中世
[編集]中世期には現在の志賀公園にあたる地に織田信長家老として知られる平手政秀の邸宅があり[1]、付近を治めていたという。
近世
[編集]- 江戸時代
江戸時代当地は尾張藩に属し、成願寺村・中切村・福徳村・光音寺村・喜惣治新田・大蒲新田・如意村・味鋺村・味鋺原新田・志水蓮池新田・杉村・大曽根村・矢田村・山田村・辻村・上飯田村・安井村・東志賀村・西志賀村・田幡村の20村が所在し、主に農業により生計を立てていた[4]。
近代
[編集]- 明治時代
明治時代に入り、市制町村制が施行されると、金城村・杉村・六郷村・萩野村・川中村・如意村・味鋺村の7村に集約された[4]。 その後も合併が進み、1906年(明治39年)には如意・味鋺両村が楠村、1933年(昭和8年)には萩野・川中両村が萩野村となった[4]。
近現代
[編集]- 昭和時代
- 1944年(昭和19年) - 東区と西区の一部地域を併せる形で北区が設置される[4]。
- 1946年(昭和21年) - 東区六郷学区を編入する[4]。
- 1951年(昭和26年) - 中区上名古屋町字北野を編入する[4]。
- 1955年(昭和30年) - 西春日井郡楠村を編入する[4]。
- 1988年(昭和63年) - 市制百周年を記念し、公募により「北」を象った区のシンボルマーク制定[1]。
現代
[編集]- 平成時代
- 2018年(平成30年) - 北区をジャズで盛り上げるプロジェクト「KITA JAZZ!」始動。
- 2019年(平成31年)3月29日 - 清水駅⇔尼ヶ坂駅間の高架下にSAKUMACHI商店街が完成[5]。
- 令和時代
- 2021年(令和3年)3月1日 - 北区認知症フレンドリーコミュニティ宣言。
政治
[編集]行政
[編集]区長
[編集]- 歴代区長
代 | 氏名 | 就任期間 | 備考 |
---|---|---|---|
1 | 山谷 健一[6] | 1944年2月11日 - 1945年10月1日[6] | |
2 | 柴田 喜太郎[6] | 1945年10月2日 - 1946年10月30日[6] | |
3 | 西山 健[6] | 1946年10月31日 - 1950年8月18日[6] | |
4 | 角南 登三太[6] | 1950年8月19日 - 1955年9月30日[6] | |
5 | 塩田 実男[6] | 1955年10月1日 - 1958年9月24日[6] | |
6 | 服部 一夫[6] | 1958年9月25日 - 1961年6月4日[6] | |
7 | 井上 瀧雄[6] | 1961年6月5日 - 1965年6月15日[6] | |
8 | 近藤 清長[6] | 1965年6月16日 - 1967年6月30日[6] | |
9 | 中西 長一[6] | 1967年7月1日 - 1969年8月15日[6] | |
10 | 秋月 智顕[6] | 1969年8月16日 - 1972年7月31日[6] | |
11 | 篠田 利弘[6] | 1972年8月1日 - 1974年8月22日[6] | |
12 | 片田 繁夫[6] | 1974年8月23日 - 1976年5月14日[6] | |
13 | 荒川 茂[6] | 1976年5月15日 - 1977年8月9日[6] | |
14 | 岩田 謙一郎[6] | 1977年8月10日 - 1979年4月11日[6] | |
15 | 片田 耕司[6] | 1979年4月12日 - 1980年10月7日[6] | |
16 | 三宅 磯二[6] | 1980年10月8日 - 1982年5月6日[6] | |
17 | 杉山 明[6] | 1982年5月7日 - 1985年3月31日[6] | |
18 | 吉田 謙藏[6] | 1985年4月1日 - 1988年3月31日[6] | |
19 | 白鳥 仁[6] | 1988年4月1日 - 1991年3月31日[6] | |
20 | 中村 勇[6] | 1991年4月1日 - 1992年3月31日[6] | |
21 | 井口 俊明[6] | 1992年4月1日 - 1994年3月31日[6] | |
22 | 服部 一良 | 1994年4月1日 - 1997年3月31日 | |
23 | 長井 隆弘 | 1997年4月1日 - 2000年3月31日 | |
24 | 日下部 英昭 | 2000年4月1日 - 2003年3月31日 | |
25 | 春名 秀機 | 2003年4月1日 - 2005年3月31日 | |
26 | 百瀬 昭 | 2005年4月1日 - 2008年3月31日 | |
27 | 近藤 淑徳 | 2008年4月1日 - 2010年3月31日 | |
28 | 平岡 研二 | 2010年4月1日 - 2012年3月31日 | |
29 | 住田 博 | 2012年4月1日 - 2014年3月31日 | |
30 | 松本 一彦 | 2014年4月1日 - 2017年3月31日 | |
31 | 津坂 昌樹 | 2017年4月1日 - 2020年3月31日 | |
32 | 小林 靖弘 | 2020年4月1日 - 2022年3月31日 | |
33 | 五味澤 陽平 | 2022年4月1日 - 2024年3月31日 | |
34 | 飯田 真由美 | 2024年4月1日 - |
この節の加筆が望まれています。 |
役所
[編集]- 区役所
- 市の施設
- 名古屋市環境局北環境事業所
- 名古屋市北土木事務所
- 名古屋市上下水道局北営業所
- 三階橋ポンプ所
- 落下ポンプ所
出先機関・施設
[編集]国家機関
[編集]厚生労働省
[編集]- 名古屋北年金事務所
財務省
[編集]- 名古屋国税局名古屋北税務署
法務省
[編集]- 法務総合研究所名古屋支所
施設
[編集]警察
[編集]消防
[編集]医療・福祉
[編集]- 主な病院
区内に所在する救急指定病院に限って記載する。
- 大隈病院(大曽根2-9-34)
- 北病院(上飯田南町2-78)
- 総合上飯田第一病院(上飯田北町2-70)
- 名古屋市立大学医学部附属西部医療センター(平手町1-1-1)
- 名春中央病院(東味鋺1-2401)
-
大隈病院
-
北病院
-
総合上飯田第一病院
-
名古屋市立西部医療センター
郵便局
[編集]主な公園
[編集]- 名城公園
- 志賀公園
- 楠公園
文化施設
[編集]- 図書館
- 社会教育施設
- 名古屋市北生涯学習センター
- 名古屋市青少年交流プラザ(ユースクエア)
- 主な劇場
運動施設
[編集]- 愛知県スポーツ会館
- 名古屋市北スポーツセンター
- 名城庭球場(名城水処理センター上に整備されたテニスコート)
- 愛知国際アリーナ
- 黒川スポーツトレーニングセンター
その他の施設
[編集]経済
[編集]第二次産業
[編集]工業
[編集]- 主な工場
- 中日新聞 金城工場
第三次産業
[編集]商業
[編集]- 主な繁華街
- 商店街・地下街
- 大曽根地下街オズガーデン
- 大曽根商店街(OZモール)
- 大曽根本通商店街
- 柳原商店街
- SAKUMACHI商店街
-
柳原商店街
-
SAKUMACHI商店街
- 主な商業施設
- アオキスーパー上飯田店
- アピタ名古屋北店
- アミカ大曽根店
- イオンスタイル上飯田(2020年2月29日より2022年頃まで建て替え工事。2022年4月7日「そよら上飯田」内にグランドオープン)
(旧ダイエー) - DCM21名古屋城北店・DCM瑠璃光店
- 黒川ガスプラザ
- tonarino(トナリノ)
- ドンキホーテ名古屋本店
- ナフコトミダ杉栄店
- バロー光音寺店
- Mikawaya上飯田店
- ピアゴ味鋺店
- フィール志賀公園店・EQVo!(エクボ)辻町店
- マックスバリュ鳩岡店・若葉通店
本社を置く企業
[編集]- 上場企業
- その他の主な企業
情報・生活
[編集]ライフライン
[編集]電力
[編集]- 中部電力
- 大曽根変電所
- 志賀変電所
- 萩野変電所
ガス
[編集]- 東邦ガス北営業所
上下水道
[編集]- 名古屋市上下水道局北営業所
- 名城水処理センター
- 守山水処理センター
- 名古屋市下水道科学館
教育
[編集]大学
[編集]- 私立
その他に、名古屋産業大学のサテライトキャンパスがある。
専修学校
[編集]高等学校
[編集]- 市立
中学校
[編集]- 市立
小学校
[編集]1871年(明治4年)9月の名古屋県による「義校設立勧誘の達」に応じて、1872年(明治5年)・1873年(明治6年)の両年にかけて義校が開校した[7]。このとき開校したのは、城北小学校の源流となった安井義校(明治6年10月開校、安井村字地蔵堂、現安井四丁目の清学禅寺付近)・清水小学校の源流となった杉村仮義校(明治5年9月開校、杉村久国寺境内、翌年1月に第七義校と改称)・六郷小学校の源流となった大壮義校(明治6年2月「大壮学校」と称する寺子屋より改組、大曽根村円満寺境内)・楠小学校の源流となった味鋺義校(明治6年3月開校、味鋺村天神の西方寺境内)・同じく楠小学校の源流となった如意義校(明治6年5月、如意村北浦の鶏足坊)の5校であった[7]。
学制発布により、臨時的に設置されていた義校が新たな制度下の小学校として改組することとなった[8]。大曽根村の大壮義校が1873年(明治6年)9月、第2中学区第47番小学大壮学校、さらに1876年(明治9年)1月に第1中学区第47番小学大曽根学校と改称[8]。久国寺の第七義校は1874年(明治7年)、校地を寺の西に移し、第1中学区第71番小学含章学校と称し、1876年(明治9年)第1中学区第17番小学清水学校と改称した[8]。通学区域は名古屋区清水町と杉村だったという[8]。如意義校は1873年(明治6年)10月、瑞応寺観音堂に移り、第2中学区第55番小学琢玉学校と称したが、1876年(明治9年)1月第3中学区第74番小学如意学校と改称し、如意村字山屋敷に移った[8]。通学区域は如意村及び大蒲新田・喜惣治新田だった[8]。味鋺義校は1874年(明治7年)3月、味鋺原村の興進学校と合併し、味鋺原村日輪寺において第2中学区第53番小学興進学校として開校した[8]。さらに1876年(明治9年)11月、味鋺村字伊勢山に校舎を新築し、第2中学区第53番小学興進学校味鋺分校と称し、翌年1月第3中学区第76番小学味鋺学校とした[8]。通学区域は味鋺村・味鋺原新田だった[9]。
さらに教育令下において、1883年(明治16年)12月、安井学校が安井・辻・光音寺・福徳・下中切・成願寺の6村から成る組合立学校となった[10]。また、1880年(明治13年)2月に如意学校が第29番小学如意学校、味鋺学校が第28番小学味鋺学校とそれぞれ改番した[10]。
小学校令により、各学校の名称が「西春日井郡尋常小学」を冠するようになった[11]。第47番小学大曽根学校は1886年(明治19年)4月、西春日井郡尋常小学大曽根学校となった[11]。1887年(明治20年)4月、如意学校が味鋺学校を併合し、西春日井郡尋常小学如意学校となった[11]。しかし、通学が不便になったため通学児童の減少し、翌年7月に如意学校味鋺分校として復活した[11]。1887年(明治20年)第17番小学清水学校が西春日井郡尋常小学清水学校となった[11]。
1892年(明治25年)、組合立安井学校が萩野村立安井尋常小学校、尋常小学如意学校が如意村立如意尋常小学校、如意学校味鋺分校が味鋺村立味鋺尋常小学校にそれぞれ改称し、川中村立川中尋常小学校が新設された[12]。翌年には尋常小学清水学校が清水尋常小学校に改称し、尋常小学大曽根学校が現校地である六郷村大字大曽根字野中に新築移転した上で六郷村立六郷尋常小学校と改称した[13]。また、1892年(明治25年)10月、金城村字田幡の林泉寺境内に清水町・杉村・六郷村・萩野村・庄内村・川中村・味鋺村・金城村の組合立による東部高等小学校が成立し、戦前教育制度における小学校の原型がほぼ整うこととなった[13]。
その後、1901年(明治34年)金城村田幡に金城尋常小学校が、1906年(明治39年)7月楠村成立に伴い、如意尋常小学校・味鋺尋常小学校を併せ楠村立楠尋常小学校が、1908年(明治41年)4月萩野村・川中村の組合立による城北尋常小学校が新設された[14]。
区成立直後の1945年(昭和20年)当時、国民学校として飯田・下飯田・杉村・大杉・城北・清水・金城の7校が所在していた[15]。加えて、1946年(昭和21年)に区境界変更に伴い、六郷学区が東区より編入された[15]。新学制開始時には、この8校が北区の名古屋市立小学校として発足したが、下飯田小学校は1948年(昭和23年)9月、飯田小学校に統合され、同年12月に名北小学校として再度分離した[15]。
昭和30年代に入ると第1次ベビーブーム世代が大量に入学し、1958年(昭和33年)9月、城北小学校より光城小学校が、1961年(昭和36年)4月、金城小学校より東志賀小学校、同年9月、楠小学校より味鋺小学校がそれぞれ独立した[16]。
昭和40年代には1972年(昭和47年)4月、味鋺小学校から西味鋺小学校が、翌年4月には楠小学校から楠西小学校が、昭和50年代には1978年(昭和53年)4月、楠小学校から如意小学校が、1979年(昭和54年)4月、飯田小学校より宮前小学校が、1980年(昭和55年)4月、光城小学校より川中小学校が、1981年(昭和56年)4月、六郷小学校より六郷北小学校が、1983年(昭和58年)4月、名北・城北・東志賀小学校より辻小学校がそれぞれ毎年のごとく独立した[17]。
以上の経緯により、現在は区内に以下の19校の小学校が所在する。
- 市立
- 名古屋市立六郷小学校
- 名古屋市立六郷北小学校
- 名古屋市立飯田小学校
- 名古屋市立宮前小学校
- 名古屋市立名北小学校
- 名古屋市立辻小学校
- 名古屋市立杉村小学校
- 名古屋市立大杉小学校
- 名古屋市立清水小学校
- 名古屋市立金城小学校
- 名古屋市立東志賀小学校
- 名古屋市立城北小学校
- 名古屋市立光城小学校
- 名古屋市立川中小学校
- 名古屋市立味鋺小学校
- 名古屋市立西味鋺小学校
- 名古屋市立楠小学校
- 名古屋市立如意小学校
- 名古屋市立楠西小学校
その他の教育施設
[編集]- 職業能力開発校
- 自動車学校
かつて存在した学校
[編集]- 名古屋市立女子短期大学
- 名古屋市立第一工業学校
- 光音寺町にあったが、1948年に西区の名古屋市立西陵高等学校となる[18]。
- 名古屋市立工芸高等学校
- 曹洞宗関西尼僧学林
- 愛知県警察学校[22]
- 名古屋市警察学校(名古屋市警察訓練所)
- 名古屋市消防学校[22]
- 愛知朝鮮中高級学校
交通
[編集]空港
[編集]鉄道
[編集]- 東海旅客鉄道(JR東海)
- 中央本線:(名古屋市守山区)- 大曽根駅※1 -(名古屋市千種区)
- 名古屋鉄道(名鉄)
- ST 瀬戸線:(名古屋市中区)- 清水駅 - 尼ヶ坂駅 - 大曽根駅 ※1 -(名古屋市守山区)
- KM 小牧線:(平安通駅 - 上飯田駅:地下鉄上飯田線と直通運行) - 味鋺駅 -(春日井市)
- 名古屋市交通局(名古屋市営地下鉄)
- 名城線:(名古屋市中区)- 名城公園駅 - 黒川駅 - 志賀本通駅 - 平安通駅 - 大曽根駅※1 -(名古屋市東区)
- 上飯田線:平安通駅 - 上飯田駅 - (全線区内)
※1.地下鉄名城線の大曽根駅の東半分および瀬戸線大曽根駅、JR大曽根駅の所在地は東区だが、区界付近に所在している。
※城北線が国道302号・名古屋第二環状自動車道に沿って東西方向に横断しているが、駅はない。(最寄りは比良駅)
バス
[編集]路線バス
[編集]- バスターミナル
- 交通広場
- 営業所
道路
[編集]凡例 : IC - インターチェンジ、JCT - ジャンクション、TB - 本線料金所。なお、番号は各施設の管理者により振られているもの。
高速道路
[編集]- 中日本高速道路(NEXCO中日本)
- 1号楠線 : (名古屋市東区) - (112/102,113/103) 黒川出入口 - 萩野出入口(廃止) - 楠TB - (114/104) 楠出入口 - 楠JCT
- 11号小牧線 : 楠JCT - (1111/1101) 豊山南出口 - (西春日井郡豊山町)
- 都心環状線 : 丸の内入口・出口、東別院入口 - 鶴舞JCT - 丸田町JCT
国道
[編集]県道
[編集]- 愛知県道15号名古屋多治見線
- 愛知県道59号名古屋中環状線
- 愛知県道62号春日井稲沢線
- 愛知県道102号名古屋犬山線
- 愛知県道161号名古屋豊山稲沢線
- 愛知県道162号松河戸西枇杷島線
- 愛知県道202号守山西線
- 愛知県道216号大曽根停車場線
- 愛知県道515号高速名古屋小牧線(名古屋高速11号小牧線)
市道
[編集]- 名古屋市道名古屋環状線(環状線)
幹線道路の道路通称名
[編集]- <南北の道路>
- <東西の道路>
観光
[編集]名所・旧跡
[編集]- 城郭・屋敷
- 主な寺院
- 天台宗
- 真言宗(高野山真言宗)
- 六通寺(東大曽根町上)[29]
- 真言宗醍醐派
- 大龍院(光音寺町)[29]
- 真言宗智山派
- 金峯山修験本宗
- 名古屋教会(山田)[29]
- 浄土宗
- 真宗大谷派
- 真宗誠照寺院
- 専光寺(中味鋺)[29]
- 臨済宗妙心寺派
- 曹洞宗
- 黄檗宗
- 法華宗陣門流
- 日観寺(中切町)[30]
- 仏教系単立寺院
- 主な神社
- 神社本庁所管
- 六所社(安井)[28]
- 綿神社(元志賀町)[28]
- 羊神社(辻町)[28]
- 別小江神社(安井)[28]
- 多奈波太神社(金城)[28]
- 六所社(金城町)[28]
- 神明社(中切町)[28]
- 天神社(中切町)[28]
- 山田天満宮(山田町)[28]
- 六所宮(上飯田南町)[28]
- 神明社八幡社合殿(中杉町)[28]
- 八竜社(福徳町)[28]
- 深島神社(柳原)[28]
- 八幡社(志賀町)[28]
- 六所社(下飯田町)[28]
- 大我麻神社(楠町大字大蒲新田)[28]
- 神明社(楠町大字喜惣治新田)[28]
- 味鋺神社(楠味鋺)[28]
- 西八竜社(中味鋺)[28]
- 大井神社(如意)[28]
- 山神社(安井)[28]
- 八王子神社春日神社(清水)[28]
キリスト教会
[編集]- 遺跡
観光スポット
[編集]- 公園
- 文化施設
- 建築
- ザ・シーン城北(1996年5月竣工の日本初の超高層マンション。高さ160m、地上45階地下2階。建築当初は日本一高いマンションであったが、現在では全国で40位以下となっている。)
- 名古屋空港
- エアポートウォーク名古屋(所在地は豊山町)
- 温泉
- 庄内温泉「喜多の湯」
文化・名物
[編集]祭事・催事
[編集]- 主な催事
全国選抜名古屋大花火(矢田川花火大会)
- 東海ラジオ放送が1964年8月1日に開始した花火大会。1989年8月5日に開催されたものは「東海ラジオ放送創立30周年記念事業」の一環として行われた。2004年を最後に開催されていない。
- 2018年(平成30年)、北区をジャズで盛り上げるプロジェクトとして始動。
- 名古屋市北区は、名古屋市内中学校で最も歴史が古いジャズアンサンブル部をもつ名古屋市立若葉中学校、2013年から毎年名古屋最大級のジャズフェスティバル「名古屋ジャズストリート」を開催している大曽根商店街、2015年に公募で結成されたジャズの市民ビッグバンド「The Polar Star Jazz Orchestra」を有することから、こうした北区ならではの魅力「ジャズ」を通じて、さらに区の魅力を育てたいという想いで始まる。
- ほぼ毎月、プロのジャズミュージシャンによるミニコンサートを名古屋市北区内で開催。
出身関連著名人
[編集]五十音順
- 赤田龍一郎(プロ野球選手)
- 葦敷重頼(鎌倉武将)
- 葦敷重隆(鎌倉武将)
- 平手政秀(戦国武将)
- 太田牛一(戦国武将) - 信長公記著者
- 中田清秀(オウム真理教幹部)
- いしいすぐる(俳優)
- 金田正一(元プロ野球選手・元プロ野球ロッテ監督。出生は稲沢市。金田高義、金田留広、金田星雄の兄)
- 金田高義(元プロ野球選手)
- 金田留広(元プロ野球選手)
- 金田星雄(元プロ野球選手)
- 河野良太(ラグビー選手)
- 小島一宏(フリーアナウンサー、大同大学准教授)
- 杉浦未幸(タレント、モデル)
- 相馬裕子(シンガーソングライター)
- 松原敬生(フリーアナウンサー) - 出生は東京都
- 丸山貴史(元プロ野球選手)
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k 水野時二・林薫一・岩崎公弥監修 1992, p. 168.
- ^ 水野時二・林薫一・岩崎公弥監修 1992, p. 170.
- ^ 「毎月1日現在の世帯数と人口(全市・区別)」
- ^ a b c d e f g 水野時二・林薫一・岩崎公弥監修 1992, p. 169.
- ^ SAKUMACHI商店街
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- ^ a b 北区役所教育課編 1964, p. 51.
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参考文献
[編集]- 水野時二・林薫一・岩崎公弥監修『なごやの町名』名古屋市計画局、1992年3月31日。
- 北区制50周年記念事業実行委員会編『北区誌』1994年。
- 北区役所教育課編『北区誌』北区役所総務課、1964年。
- 愛知県警察史編集委員会編『愛知県警察史 第3巻』愛知県警察本部、1975年。
- 愛知県県民生活部学事振興課 編『宗教法人名簿』2013年。(愛知県図書館蔵)
外部リンク
[編集]- 名古屋市北区
- 名古屋市北区役所 (214928645376023) - Facebook
- KITA JAZZ! (日本語)
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