松永久秀
久秀じゃ! 久秀の仕業じゃ!
〜 難事件 について、気の触れたじいさん
松永 久秀(まつなが ひさひで)はデューク東郷と唯一互角に渡り合えると言われる超一流のスナイパー。歴史の表舞台にその姿を見せたのは16世紀半ばの40年間程度だったが、有史以来、歴史のダーニングポイントには常に彼の存在が有ったと言われており、星の数ほどの歴史上の英雄が彼の放った凶弾に斃れた。暗殺の鮮やかな手口と彼自身の矜持、独特の美学が中二病患者を中心に多くの人々を魅了し、善悪を超越して偉人として称えられ、チャック・ノリスと双璧を成す神としてアカシックレコードにその名を刻んでいる。
日本で最初に爆死した人物として知られており通称「ボンバーマン」、さらに本人の官位も合わせて「爆弾正」、某ゲームで義理があまりにも低いために「ギリワン」など異名が非常に多い。
生涯[編集]
生没年は一切不明であり、神話の時代からその存在は確認できる。ギリシャ神話では、パンドラが開けてしまった災厄の箱から、疫病、悲嘆などとともに久秀は飛びだしたと言われる。北欧神話においては、またオーディンに直接手を下したのは久秀であった。狼の魔物フェンリルがオーディンを丸呑みにしたと伝わるが、いくらフェンリルといえどもオーディンを一口で丸呑みにするのは不可能であり、久秀がオーディンを殺害して細切れサイズにきれいにカットし、食べやすくしてフェンリルに食べさせてあげたと「漫画で読める北欧神話」には書かれている。
久秀は紀元前から歴史上の有名な人物を数多くその手にかけてきた。エジプトのツタンカーメン王は何者かに暗殺されたという説が濃厚であるが、近年の研究で考えられる暗殺の手口などから暗殺が可能なのは久秀一人しかいないと結論付けられた。また古代ローマに関するとある資料にも、カエサルを暗殺の実行犯として、ブルータス、カッシウスと共にマツナグスなる人物の名前が表記されている。紛れもなくこれは久秀である。
日本では大和朝廷の設立当時から暗躍していたとのうわさがあり、一説によれば八岐大蛇に飲ませた酒に眠り薬を盛ったのもマツナガノミコトなる人物であるとされている。ヤマトタケルを討ち取ったのも、近年の研究ではヒサヒデヒコなる人物であるとほぼ断定されているらしい。
戦国時代の久秀[編集]
その後、久秀は閻魔大王の魔の手を逃れて転生を繰り返し、戦国時代の日本に降臨した。どこに生まれたのかとんと定かではない。一説には武士ではなく商人の家に生まれたという説まである。このように出生がよくわかっていないのは当然ながら松永による戸籍の書き換えが原因である。当時の近畿地方は幾度も戦火を潜り抜けていたため、現在の大阪民国と比べてもそれはそれは荒廃してヒャッハーな世紀末であったため、松永による戸籍操作にも容易に応える悪徳役人も多かったのであろう。なお正義感の強い役人は不審死を遂げている。
古代からの知識などを活かした松永は早速、弟とともに近畿から四国の覇権を握っていた細川家の内輪もめで袋叩きにあった三好家に仕官している。妖しい久秀が仕官できた理由はやはり三好家の混乱も大きな原因であるが、久秀が三好家中の説得(主に買収と暗殺)も理由に挙げられるだろう。細川家への復讐に燃える三好長慶率いる三好家では松永の武勇と知略は大いに発揮され、ついには並み居る諸将を押しのけ筆頭家老にまで出世してゆく。お人よしの長慶などは松永に自分の娘を嫁にやるほど信用していたのだ。見事なカモである。
久秀は敵を血祭りに上げると同時に自分のライバルとなる三好一門も血祭りに上げていった。事故死した長慶の弟である十河一存(読みにくい)、戦死した長慶の弟である三好義賢や長慶嫡男の三好義興、兄である長慶に自害を強いられた安宅冬康などは全て松永久秀が暗殺したり、謀略で殺したものに他ならない。ウィキペディアでは「久秀の仕業とは言い切れない」とあるが、この項目を編集した利用者は久秀のソックパペットである。[要出典]を貼り付けた利用者の末路など書かなくてもわかるだろう。そしてついに恩人である三好長慶も久秀の毒に倒れることになる。久秀が三好家をのっとった瞬間である。
そして三好三人衆と手を組み何かと嫌がらせを続ける将軍足利義輝を殺害、その後に三好三人衆と仲間割れをしてついでに東大寺大仏殿を燃やし、悪事の限りを尽くすのである。そして織田信長が上洛すると即座に三好家を裏切り信長に馳せ参じる。これで収まったかと思いきや、その後何回も織田信長を裏切り、その度に許されたという。というよりも裏切り過ぎてどっちの味方なのか織田家中でもはっきりわからなかったというのが正しい。織田信長と足利義昭の仲が悪くなったり、浅井長政が信長を裏切ったり、信長包囲網を敷かれたのも当然ながら久秀の仕業である。このようにやりたい放題やっていたが、最後は信長に追い詰められ、天守閣で自爆した。しかし、一回だけなら誤爆かもしれない。
死後の久秀[編集]
死後、当然ながら久秀は閻魔大王により裁かれて地獄に落ち責め苦を受ける日々を過ごした。だがその数日後に閻魔大王が謎の急死を遂げ、久秀が地獄から脱走したのは言うまでもない。
亡き久秀を記念し、毎年10月10日に『松永久秀の日』を設けている。これは永禄10年10月10日に焼き討ちを仕掛け、その10年後の10月10日に自爆している事で、『10』は久秀にとって縁起がいい数字と言う所から来ている。当日6時30分に晴れもしくは晴れる兆しならば、火をつけ爆破する事で轟音を立てイベントを開催する。
人物[編集]
織田信長同様両刀使いとしても知られ、惚れた女は自分のモノにするが、惚れた男は永遠に自分のモノにする為暗殺してしまうと言うとんでもない趣味の持ち主でもあった。そのため「久秀と同じ床で寝てはならない」と言う警句が飛び交ったほどであったと言う。長慶やその息子、兄弟たちも・・・いわんや。
久秀がこれほどまでの弁護の仕様もない悪行を行った遠因として、彼が左利きであったことで周囲がそれを嫌ったことが挙げられてる。いわゆる「マイノリティの逆襲」を久秀は行なったのである。
久秀は、東原亜希を恐れている。久秀がお抱え仙人・果心居士を招き、「皆がこの世で恐い物は、地震・雷・火事・俺様!!」と豪語する。果心居士は「じゃあ、これはどうだ?」と言って東原に化け『松永久秀さん、大好きです。』と囁くと怖気づいて「分かった、もう辞めよ!」と震え続けた。久秀は恐いと言うが、「久秀、あんたの性格がよっぽど恐いよ!!」
数々の武勇伝と功績[編集]
- 主君・三好長慶の身内を舌先三寸で次々と排除した。
- 当時の将軍・足利義輝をバズーカ砲で暗殺した。
- 東大寺大仏殿にチャッカマンで焼き討ちを掛けた。
- そして灼熱の中で自分が作る連歌を引っさげ、無許可でゲリラライブを行った。
- 生を受けて30秒も経たないうちに謀反を起こし、最年少としてギネスブックに載った。
- 日本で初めて天守閣を作った。
- 日本で初めてクリスマスを理由に休戦をした。
- 日本で初めて自爆した。
- 彼が自爆する信貴山城を、みんなが住みたくなる日本一凄絶な事故物件として『中居正広のミが出る図書館』内でも1位に輝いた。
- 日本で初めて頭のてっぺんに、お灸を据えた。
- 日本で初めて呂布に立ち向かった。
- 日本で初めてアル・カポネを始めマフィアとして雇われた。
- 日本で初めて三船敏郎に用心棒として雇われた。
- 日本で初めて島左近に誉められた。
- 竹槍を投げB29にジャストミート、墜落した。
- コーエー商法に文句を付けて戦国無双を4になるまで出してもらえなくなった。
- 織田信長の顔面にサンポールをぶっかけた。
- 仕えているの侍女らに素肌の60%以上を露出するように強要した。
- 信長包囲網の際、メダパニダンスを踊って信長を混乱させた。信長はやがて混乱を通り越して発狂してしまい、これは比叡山や伊勢長島での大量虐殺の原因にもなったと言う。
- 茶の湯に精通しており「ワビサビってレベルじゃねーぞ!」との名言を残した。
- 『サルでもヤれるSEXマニュアル』を刊行、十年連続ベストセラーという快挙を成し遂げた。
- とにかくケチ。
- 果心居士とはメル友。
- 武田信玄とはペンパル。
- 家臣に作らせた手作りの饅頭を本願寺包囲中の佐久間信盛の部隊に「有料で」売りつけまくって銭を稼いでから謀反。
松永久秀ジョーク[編集]
- 暗殺された著名人は全員、松永久秀に暗殺されたと言うジョークがある。以下はそれの一覧。
- 紀元前1324年、ツタンカーメンの頭蓋骨を指一本で粉砕して暗殺。
- 紀元前486年、キノコ料理のキノコをこっそり毒キノコとすりかえて、釈迦を暗殺。
- 紀元前323年、現地妻にローションと偽って毒液を詰めた瓶をプレゼントし、アレキサンダー大王を毒殺。
- 紀元前44年、ブルートゥスをそそのかしてカエサル皇帝を暗殺。
- 28年、十字架にかけられても死なず、埋葬されて3日後に復活したイエス・キリストに対し、最終的には久秀が止めを刺した。
- 68年、反乱軍から逃走中の皇帝ネロの馬車を襲撃し、暗殺する。
- 592年の崇峻天皇暗殺の首謀者は蘇我馬子ではなく彼。
- 622年、聖徳太子やその一族を全滅させる。その約1000年後には聖徳太子所縁の信貴山城を居城としている。
- 645年に蘇我入鹿を暗殺しようとしたが、中臣鎌足らに先を越された。
- 756年、唐にバカンス中、安史の乱から逃走中の楊貴妃を殺害。帰路に楊国忠も行きがけの駄賃とばかりに殺害し首を安禄山の元に届け、懸賞金を得て帰国。
- 866年、夜陰に紛れ応天門に火を放つ(依頼者は藤原良房)。これにより応天門の天井裏で寝ていたホームレスたちが多数焼死。さらに下っ端役人に金を払って「伴善男がやった」と言わせ、伴善男を死刑台に送る。
- 930年、派手な化粧をして清涼殿に乗り込みこれを爆破。さらに菅原道真の亡霊と称して醍醐天皇を恫喝し、ショック死させる。
- 940年、影武者を使って秩父に逃亡した平将門を斬殺。久秀を祟ろうと将門の首が関東上空を飛び回ったのは有名な話。
- 1141年、秦檜の命を受け、投獄されていた岳飛を暗殺。
- 1160年、風呂に入っていた源義朝を見て武器と着物を盗み出して隠し、窓の外からめった刺しにして殺害。更に近くにいた長田忠致に首を渡し「こんなものはいらないから君の手柄にでもしたまえ」と告げる。
- 1164年、後白河天皇から依頼されて、讃岐に流された崇徳上皇が食事している所を襲撃し、背後から殴り倒す。舌を噛み切って息も絶え絶えの崇徳院の血で遺書を書き、とどめを刺した。
- 1189年、影武者を使って平泉から脱出した源義経を竜飛岬で待ち構えて暗殺。
- 1193年、北条時政に仕え、幽閉されていた源範頼の飯にこっそり毒を持って暗殺。
- 1199年、橋に油を塗り込み、源頼朝を落馬させて事故死させる。
- 1204年、源頼家を北条時政と組んで暗殺。
- 1215年、いい加減時政が邪魔になったので謀略を使って政子を唆し、時政を追放。後に暗殺する。
- 1219年、源実朝、さらには居合わせた目撃者の公暁&源仲章を殺る。
- 1225年、足がつくのを防ぐために、先手を打って北条政子の食事に猛毒を盛って暗殺。
- 1246年、北条時頼と九条頼経の両者から別々に依頼され北条経時を病死に見せかけて暗殺する。
- 1284年、フビライ・ハーンの依頼により、北条時宗を病気に見せかけて暗殺する。
- 1335年、足利直義の依頼で護良親王を暗殺。
- 1351年、直義の命を受け、高師直の暗殺に協力。
- 翌年、その足利直義を足利尊氏の依頼で暗殺した。
- 残虐将軍足利義教も彼の魔の手からは逃れられず、1441年に殿中で惨殺。久秀は「おのれ赤松満祐」と壁に記し逃走。
- 1486年、江戸城の露天風呂で太田道灌を暗殺。湯船が真っ赤に染まる。
- 1521年、腰ミノ一丁のフィリピン人に化けてマゼラン提督を暗殺。
- 1541年、インカ帝国残党から依頼され、スペイン兵を唆してフランシスコ・ピサロ提督を殺害させる。インカの民から黄金を貰って帰国。
- 1559年、ノストラダムスから大金を積まれ、大怪我を負ったフランス王アンリ2世に傷薬と偽って雑菌だらけの水を処方。破傷風にして殺害。
- 1565年、剣豪将軍足利義輝の寝込みを襲って見事暗殺成功。しかし証拠を残してしまったため一斉にバレてしまう。この後、久秀はしばらく暗殺活動を自粛。
- 自爆後、実は生きており本能寺の変に関わっていたとも言われたが、その後300年近く姿を見せなかった為完全死亡と見做されていた。しかし1860年の桜田門外の変で井伊直弼大老が暗殺された際に久秀がやったと思われる痕跡が発見された事から、暗殺活動を再開した事が確認された。
- 幕末には岡田以蔵、河上彦斎らと暗殺した数を競い合った。しかし最終的に大物の坂本竜馬を仕留めた久秀が一歩リードで勝利した。
- 1860年、実力を試すために渡米、観劇中のエイブラハム・リンカーンを射殺。その辺にいた俳優を襲って気絶させ「I busterd the tyrant」と書いた立札を残し悠々帰国。
- 1878年、紀尾井坂にて大久保利通を襲撃し斬殺。遅れること数分、暗殺を依頼されていた瀬田宗次郎は頭を抱え、大久保の死体を更に滅多切りにして逃走。石川県の士族が到着したのはその更に後だった。この頃は明治政府から次々に依頼を受け、江藤新平、河上彦斎、木戸孝允らを楽しむかのように暗殺していった。
- 同年、ロシア皇帝アレクサンドル2世に爆弾を投げつけて爆殺。
- 1882年に板垣退助を暗殺しようとするも別の暴漢が暗殺未遂をした為、断念。
- 1889年、「西野文太郎」を名乗り文部大臣森有礼を斬殺。
- 1894年、閔妃から依頼を受け、来日した金玉均を射殺。
- 1895年、その閔妃が口を割りそうになったので一路朝鮮半島に向かい、朝鮮兵に化けて斬殺。
- 1909年、安重根と偽名を名乗って朝鮮人に化け伊藤博文を射殺。
- 1914年、オーストリア皇太子夫妻を『鶴の一声』で殺害して、第一次世界大戦に大きく貢献する。
- 1916年、何をされても死ななかったグリゴリー・ラスプーチンを最終的に始末したのは彼。
- 1921年、中岡艮一の偽名を名乗り白昼堂々手刀一本で原敬首相を暗殺。
- 1928年、関東軍に依頼され、張作霖の乗る列車に爆弾を仕掛け爆殺。
- 1940年、ヨシフ・スターリンに宿敵デューク東郷と共に雇われどちらが先にトロツキーを暗殺するか競い合った。紙一重の差でデューク東郷の弾丸がトロツキーを貫き久秀は敗北。しばらくスランプに陥る。
- 1948年、暗殺のプロである久秀にとっての宿敵であった平和主義者マハトマ・ガンジーを遠距離から狙撃して暗殺。大物を仕留めた事によってスランプを見事克服。
- 1949年、国鉄総裁・下山定則を暗殺。死体を引きずって線路に放置し、事故死に見せかけて逃走。
- 1954年、偶然自分の写真を撮った戦場カメラマンのロバート・キャパを口封じのために爆殺。彼の映ったネガは炎の中に消えた。
- 1960年代にマリリン・モンロー、ケネディ兄弟、リー・ハーベイ・オズワルド、力道山、マルコムX、キング牧師らを次々と暗殺。しかしはしゃぎすぎた為全世界から危険視され指名手配される。これ以降松永久秀はしばらく行方を晦ます。
- 1977年、エルヴィス・プレスリーをドラッグ漬けにして、毎晩を朝まで一緒に踊り明かして、疲弊を誘い暗殺した。
- 1979年、延々逃げ続けていた「死の天使」ヨーゼフ・メンゲレをようやく探し出し、別荘のプールに毒を投げ込み殺害。
- 同年、金載圭の偽名を使って朴正煕を暗殺、日韓関係の悪化を誘発させた。
- 1980年、久秀の思想から最も遠い平和主義を標榜していたジョン・レノンを遠方から射殺。たまたまジョンを暗殺しに向かっていたマーク・チャップマンはあまりの急展開に動転して頭がおかしくなってしまい、拳銃片手に「ジョン・レノンは俺が殺したぞ~~!!」と発言し逮捕された。
- 1985年、マスゴミが大挙して豊田商事の永野一男会長の家に押しかけている中にどさくさに紛れて家に侵入し永野を刺殺。遅れて数分後に別の男2人組が永野の遺体を見て動揺するもさらに遺体をめった刺しにし、最後には血まみれになった男2人組がマスゴミの目の前で逮捕された。
- 1980年代後半からは麻原彰晃の指示のもと、尾崎豊、村井秀夫、hide、ダイアナ英皇太子妃、小渕恵三、藤子・F・不二雄などの大物を仕留めたほか、20世紀最後の大事件にも関与したともされている。それでも池田大作の暗殺には失敗し、以後影を眩ませる。
- 2002年、航空相撲取りのアブドゥール・ラフマンを上空10kmの地点で撲殺。アフガニスタンの国技[要出典]、アフガン航空相撲が知られるきっかけとなった。
- 2006年、ウラジーミル・プーチンに雇われ国家機密を暴露しようとするジャーナリスト・アンナ・ポリトコフスカヤを射殺。
- 2009年、中川(女)の依頼により中川(酒)の風邪薬に高濃度の無臭エタノールを混入して酩酊させ失脚に成功。さらに衆院議員選挙に落選させた後に心筋梗塞に見せかけて毒殺。
- 同年、マイケル・ジャクソンの暗殺を目論むが、マイケルはその踊りで返り討ち。意外な方法に久秀も驚き、殺されかけたが、マイケルは結果的に全力を使いきって疲弊し、自滅。結果的に暗殺成功。後に久秀は「試合には負けたが勝負に勝った」と述懐。
- 2011年、バラク・オバマからの依頼により、オサマ・ビン・ラディンを暗殺。さらに部屋に大量のエロビデオを残し、死後の評判まで貶めるというサービス。
- 同年、リビア内戦中、カダフィ大佐が排水口に逃げ込む所を、先回りして待ち伏せし「わっ!!」と脅かしてショック死させる。カダフィ大佐の死体を放り出し、久秀は「ここに居るぞ~っ!!」と叫び民兵と一緒にハチの巣にしたとさ。めでたしめでたし。
- 同年末、金正日の列車旅行計画を知り、コックに化けて食事に毒を盛り、殺害。
- 2016年、その息子の金正恩に頼まれ、女装して金正男を毒殺。
- 2022年、彼の地元へ近い奈良市で、プロモーション用でイメージビデオを制作するためにロケハンへ来ている安倍晋三首相を、素人のウグイス嬢へ変装して狙撃する。また1982年生まれのユーチューバーを犯人と仕立て偽装工作し、極めて緻密な事前準備を整えた。
- 2023年、再びプーチンに依頼され、航空事故に見せかけてエフゲニー・プリゴジンを部下ごと殺害。
- 次の標的はこれを見てる貴方、かもしれない。
全盛期の松永久秀[編集]
- 3ヶ月5謀反は当たり前、3ヶ月8謀反も
- 寝返りを頻発
- いきなり初陣で謀反、しかも敵味方の双方を謀反。つまり一人勝ち。
- スケジュール帳が謀反の予定で埋まってしまい、休日がゼロ。
- 飛び込みで仕事が入っても、喜んで謀反した。
- ボム兵を起動し、画面上の主君を全滅にして5UPした。
- 電気イスを使うイス取りゲームが得意。わざと負けるフリをして主君達を死に追いやった。
- 忠誠を誓い、たった3歩、引き際で裏切って殺した。ニワトリか?
- 久秀にとっての攻め滅ぼしは毒殺のしそこない
- 主君殺しも日常茶飯
- 9日目10000人差、家中全員負傷の状況から1人で寝返り
- 大仏も余裕で焼く
- 1年目で謀反が特技
- スタントマンを使わずに爆破するアクションも特技。
- 仕官しただけで相手当主が泣いて謝った、心臓発作を起こす当主も
- 寝返り成功でも納得いかなければ相手主君殺して帰ってきてた
- あまりに謀反しすぎるから出陣でも謀反扱い
- その出陣でも謀反
- 三好長慶を一睨みしただけで長慶の弟たちがあの世に飛んでいく
- 戦の無い日でも2謀反
- 刀を使わずに手刀で暗殺してたことも
- 仕官してから反旗を翻す方が早かった
- 織田信長のヤジに流暢な日本語で反論しながら謀反
- グッとガッツポーズしただけで5人くらい不審死した
- 石山戦争が始まったきっかけにも少し絡んでる
- 大和の深い位置から京の将軍御所も襲撃してた
- 久秀に寝返られたことにまだ気づいていない大名も多い
- 久秀が挙兵した時点で主君死亡でいいだろ
- 花占いで「殺る・殺らない・・・」を繰り返し、必ず「殺る」が出ていた。
- 2日連続謀反は「今日は茶が飲みたい」という暗号
- 罰ゲームは蓑虫踊り。
- とにかくラッキーナンバーは『10』。1510年生まれ、永禄10年10月10日は焼き討ち、その10年後の10月10日にめでたく自爆。
- 自慢の茶釜に火薬を詰め込んで自爆というファンサービス
名器・平蜘蛛[編集]
久秀は先述の通り茶人としても有名で様々な茶器を所持していた。その中でも平蜘蛛は異色の存在であり、蜘蛛のように足が八本生えており実際に生きているグロテスクでグロリアスな茶器であった。 平蜘蛛は極めて神経質な茶器であり、入れられる茶があまりにぬるすぎるとへなへなにしおれてしまい、またあまりに熱すぎる茶を入れると爆発してしまう繊細な茶器であった。そのため扱いこなすにはイライラ棒を30秒以下でクリアできるほどの器用さが求められた。久秀は自決する際この平蜘蛛に熱湯と火薬を詰めて自爆した。
テーマソング[編集]
松永久秀の歌
あれは誰だ 誰だ 誰だ
あれはデビル 松永 久秀
裏切り者の名を受けて 主君(あるじ)を捨てて闘う男
東大寺を焼き払い 信長にはすぐ背き 戦に負ければすぐ帰順 力を蓄えてまた謀反
悪魔の力身につけた 乱世の梟雄 松永 久秀
初めて仕えた三好長慶 自分の才能(さい)に目覚めた男
長慶の弟、一存と 長慶の子、義興と 長慶の弟、冬康と 時の将軍、義輝の
全員を殺めし男 悪名高き 松永 久秀
あれは誰だ 誰だ 誰だ
あれはデビル 松永 久秀
織田信長の攻撃受けて 名器を抱いて死んだ男
当代きっての美男子で とても優雅な教養人 自分の国では善政し 今でも民に慕われる
全ての力身につけた 地元のヒーロー 松永 久秀
None right 伝説
ごめんね忠臣じゃなくて 墓の前なら言える
悪名ゲージはパンク寸前 今すぐ減らしたい
泣きたくなるような 顔グラ
仕官も出来ない 評判
だって弾正どうしよう ハートは暗闇に
ユダの光に導かれ 何度も殺しあう
味方の墓を数え 占う主家の行方
同じ毒で殺したの ミラクルロマンス
子孫[編集]
- 「あんな悪人と一緒にするな!!」と、血縁の人間は、みな非公開を申し出ている。
お友達[編集]
- 宇喜多直家
- 久秀と同じ時代に生きた男。久秀と同じく日本悪人四天王の1人。義理の親父を殺し主人に大恥をかかせ実の弟にまで警戒心を抱かせた逸物。しかし最期のインパクトに欠ける為、久秀ほどの知名度は得られていない。
- 斉藤道三
- 久秀のマブダチらしい。美濃で傍若無人なのっとりばかりしていたが、最後は息子に殺されるという皮肉な最後を迎えている。
- 最上義光
- 直接の交流は無かったが暗殺仲間。ただし義光の場合は久秀とは逆の「必殺仕事人」的殺しが主であった。
- 柳生宗厳
- 柳生十兵衛の祖父。一時期臣下として雇っていた。
- 本多正信
- 徳川家康の謀臣として知られているが、かつて久秀の部下だった時代がある。正信自身は暗殺を得意とはしていなかったが、彼の謀略に対するセンスの良さは久秀も高く評価しており、テクニックの一部を伝授したとも言われている。
- 松永久通
- 久秀の息子。足利義輝暗殺の実行犯とも言われているが、戦に出るなり馬から落ちて家臣に回収されるヘタレっぷり。ユーキャンで3級暗殺師の資格取得。
- 果心居士
- 久秀が唯一びびった相手で久秀の恐妻を召喚し一泡噴かせた。戦国一のイリュージョニスト。インド僧だったとかペルシャ妖術師だったとか。
- 筒井順慶
- 久秀の御近所さん、と言うか近所の糞ガキ。小さい頃から久秀の陰湿な虐めを受けたが、最後は信長の配下として久秀を討ち滅ぼした。感無量。
被害者[編集]
- 足利義輝
- 将軍だというのに部下の部下みたいな久秀に散々のさばられた挙句ぬっ殺された。作品によっては首を落とされたり爆死させられたりと散々な目に遭う。
- 三好長慶
- 久秀を腹心としてこき使った当時の権力者。彼からすると娘婿に当たる(ここ重要)久秀の異常性癖によって息子や兄弟共々アッー的な意味で食われてしまい、一人娘にとんだ婿をやってしまった後悔で精神を病んで狂死した。
- 織田信忠
- 一度は彼に勝利するもリベンジマッチで敢え無く死亡。
敢えて言おう[編集]
ここまで書いておいて難なのだが、実は三好氏に関する話は全部三好長慶に寵愛された久秀に嫉妬した三好三人衆らが流したデマで、その他の悪行と呼ばれるものは全部三好氏のピンチの時に起こしている、つまり三好長慶に対しては最後まで忠義を尽くした忠臣であった、という見方もある(唯一クロである可能性がある長慶の弟の安宅冬康の暗殺にしても、息子を亡くした長慶が甥の三好義継を後継者にするために邪魔になっていたのは事実なので、これも忖度だった可能性が高い)。
信じられないかも知れないが、当時の久秀は数十年後に豊臣秀吉に仕えていた石田三成のポジションと大変似ているのである。三好三人衆を加藤清正や福島正則、安宅冬康を豊臣秀次、三好義継を豊臣秀頼、織田信長を徳川家康に置き換えると、驚くほどにぴったりである。反対に言えば、石田三成も久秀のしたたかさとタフぶりをもう少し見習う事ができたら、関ヶ原の戦いもひょっとして……という可能性も万が一くらいはあったのかも知れない。
関連項目[編集]
この項目「松永久秀」は、日本史に関連した企画書ですが放送日が迫っています。アンサイクロペディアではその時でないのに歴史が松平アナを動かす! (Portal:スタブ)