宇喜多直家
宇喜多 直家(うきた にゃおいえ、1529年8月5日~1582年1月9日?)は、戦国時代のサムライ・大名・外道。毛利元就のせいで、「中国一の外道大名」の称号を取り逃がした男。幼名は桃太郎。息子はトライアスロン選手の宇喜多秀家。
人物・歴史[編集]
誕生[編集]
享禄2年(1529年)、備前国(今の岡山県)の宇喜多能家とか言うジジイが山へ芝刈りに出かけていた時に、彼の妻が川で洗濯をしており、そこへたまたま「どんぶらこ~どんぶらこ~♪」と流れてきた桃を真っ二つに切った途端、男の子が飛び出してきたので、能家と妻は「真っ直ぐ切った桃から生まれた男の子ぢゃから桃太郎と名づけよう!」と決めたらしい。しかし後年直家は、その名付け親に背くかのように「親類」を悪どい殺し方をすることで悪名をとどろかせることになる。
少年期[編集]
後年、悪名が轟く直家であるが、桃太郎を名乗っていた少年期における活躍は、正義の行為として語られている。天文3年(1534年)、宇喜多家の所領の近辺ではで鬼が悪行をなしていたので、これに対して義憤を覚えた桃太郎は、鬼が島まで退治に出かけた。
しかし、見事に鬼を退治した後、彼を待っていたのは悲劇であった。帰ってきた時には島村とか言う家のクソガキによってジジイこと能家がフルボッコにされて死んでいたのである。
これを見た桃太郎は、「チキショーあのガキ~!ジジイの仇を取ってやる!!」と息巻いたものの、途中で拾った動物3匹(犬、猿、雉)を連れたままではどうにもならず、しばらく自宅警備員をして時を過ごした。
- なお、桃太郎の鬼退治の伝承については、後年の悪行とあまりにも差異がありすぎるため、捏造された逸話ではないかという説が強い。孝霊天皇の第3皇子で、崇神天皇の四道将軍の一人である吉備津彦命の逸話と酷似しているため、これを元に捏造されたのではないかというのが、通説となっている。また、この逸話が事実であるとしても、後年同様の悪逆の行為であるという意見もある。福沢諭吉は桃太郎の行為を、「もゝたろふが、おにがしまにゆきしは、たからをとりにゆくといへり。けしからぬことならずや。たからは、おにのだいじにして、しまいおきしものにて、たからのぬしはおになり。ぬしあるたからを、わけもなく、とりにゆくとは、もゝたろふは、ぬすびとゝもいふべき、わるものなり。」と、激しく糾弾している。
自宅警備員から親殺しへ[編集]
ある日浦上宗景とか言う殿様が、「お前なかなか見所があるから、オレに仕えろや」と話を持ちかけてきた。「かったるいな~」と思いつつ、なんとなく宗景に仕えた桃太郎改め直家だったが、そこにはあの島村のクソガキがいるではないか!あやうくブチ切れそうなのを堪えて、直家は宗景の所で下働きをしていた。その頑張りに宗景は「お前よく頑張ってるけど、なんか欲しいものでもあるのか?」と聞いてきたので、直家は「あの島村のクソガキをぶっ殺していいですか?」と聞いた。すると宗景は「な~んだ、そんなことでいいのか。あいつ気にくわねぇからお前に任せるよ」と言ったのである。こうして大義名分と宗景の許可を得た直家は、数日のうちに島村のクソガキを闇討ちでぴー、あといつの間にやら嫁を貰っていて、嫁の父親である中山のオッサンがクソガキと仲が良かったので、巻き添えでぴー。義父とは言え立派な親殺しである。嫁はショック死。しかも直家は平気な顔をしていた。
直家にやらしたのはまずかったかな~……でもま、いっか(納得)
〜 宇喜多直家 について、浦上宗景
家来から殿様への悪どい出世[編集]
島村のクソガキと中山備中守を殺し、いつの間にか浦上家の偉いサムライに出世していた直家は、近所にある竜の口城の殿様がウホッ!!いい男なのをいい事にイケメンを使って関係を結ばせたり、さらにはちょっかいを出してくる備中の三村家親をガンナーを雇いぴー、これが翌年の明禅寺合戦のきっかけになったのだが、直家は、正面決戦に出ると言う愚策を取らず、どこまでもせこい調略ばかりを駆使して勝利に持っていった。余談だが、この時に嫁その2とゴールインしている。こうした直家の行いの数々を見て、殿様こと浦上宗景も遂に「直家チョーシこいててウゼェから、お前ら直家をぶっ殺して来い!」と他の家来どもに命令していた。「こりゃヤベーかなぁ」と思って、直家は大人しく降伏した。が、これは見せ掛けで、「どっちにしろこのままじゃ殺されるよなぁ…」と思い、毛利輝元と同盟して宗景を裏切った。それと前後して、「岡山城っていいお城だよね~」…それだけの理由で城の持ち主をぴーしたり、毛利との同盟の条件として先にぴーした家親の息子三村元親を毛利と一緒にフルボッコしたり、松田とか言うやつに娘と無理やり結婚させて一族をボロボロにした上で、娘もろともぴーしたのである。こうして直家は「ワル」、「外道」の称号を手に入れ、同様の手口で宗景の家来どももたぶらかし、とうとう「元殿様」こと宗景を天神山城から追っ払ったのである。
裏切者~~!!
〜 宇喜多直家 について、浦上宗景
こうして直家は「裏切者」の称号まで手に入れた。
やっぱり裏切者だった直家の最期[編集]
浦上宗景を追っ払い、気が付くと備前・美作二国の殿様になった直家だったが、「な~んかかったるいな~」と言う理由で、織田信長の家来であった猿と一旦ケンカするものの、すぐ信長にペコペコして毛利を裏切った。宗景が追い出される前に言い放った一言はこれを予言していたのだろうか?余談だがこの辺りで後藤ナントカやら言うサムライをぴーした。天正9年(1581年)には子供の頃のように自宅警備員に戻って、後の事を息子秀家に全部押し付けた。享年55歳。
往生際の悪い直家は、最後に「誰かワシと一緒にお寝んねしてくれんかのぅ?」と聞いたところ、全員ドン引きし、誰も目を合わせてくれない。どころか、雉こと戸川秀安は「アッシらは殿のおん為にたくさん人を騙したり、殺したりしましただ。アッシらを道連れにしたら地獄に落ちますぜ」と暗に拒否られて、ショックでそのままポックリ逝った。
実際直家ってど~なの?[編集]
- 松永久秀とか真田昌幸のようにえげつない奴なのだが、今ひとつ知名度が足りない、というか有名になると地元岡山県が困るので息子の秀家はともかく、彼自身は岡山県でいなかったことにされている。
- 毛利元就や尼子経久に匹敵する智将と言われているのに(謀聖・中国三大謀将)、それでもまだ知名度が足りない。というか有名になると(ry
- にもかかわらず隠れヲタがいたりするから不思議である(何を隠そう執筆者がそうだ)。おそらくは乙子城生活の時代に苦境を乗り越えるために、君臣一同断食したという嘘情報に騙されたものと思われる。
- 直家の戦には、正攻法と言う言葉がない。決して皆無ではないが、唯一知られた明禅寺合戦さえ、序盤は敗北したり、仕上げ以外は直家の本領である調略(狙撃・毒殺・奇襲・だまし討ち)を主に用いていた。と言うより直家にはそれしかとりえがないのだから。
- なお、母親違いの弟(これとこれ)は、血も涙もない兄に対して、毎日防弾チョッキを着て警戒していたそうな。
- このように「外道」、「裏切者」直家もコーエーによって、津軽為信ら共々、『ギリサン』の称号が与えられた。
- 謀将としてのライバルである尼子経久・毛利元就・最上義光にはいずれもほほえましいエピソード、あるいはツンデレエピソードが伝わっているが[1]、直家にはそういったエピソードもない。直家のデレはただの暗殺フラグだし……。まあ、苛政で知られる斎藤道三よりはマシかも。
- 上の所業を見る限り、外道と呼ばれようが、批判を受けるのが当然の直家である。しかし逆に言えば別の意見も出てくる。数々の調略・暗殺のえげつなさは否めないが、その先入観を取っ払ってみると、宇喜多領の周辺には織田や毛利は言うに及ばず、浦上・三村と言った強大な勢力が控えていたのも事実である。そんな中小勢力を相手に家を守ると言うのも決して楽ではないのだ。「戦国乱世なんだし、しょーがないんじゃないの!?」という擁護意見も、ちらほらとだがある。
- 息子同様、フェミニンな美形だったようだが、子供もいっぱいいるのでおにゃのこ説などはない。しかし、弟が1人になったり2人になったりすることを利用すれば妄想は可能かもしれない。知名度アップのため、誰か頑張ってくれ。
直家に対する言いたい事の数々[編集]
関連項目[編集]
一族[編集]
- 宇喜多秀家:息子。トライアスロン選手。後に八丈島の警備を任された。
- 宇喜多能家:ジジイ。宗景の父祖を助けた名将。最期は島村のクソガキにフルボッコされた。
- 宇喜多興家:チキン親父。ジジイの死から2年後にくたばった。
- 宇喜多忠家:腹違いの弟、兄貴に対して防弾チョッキを着るほど警戒していた。副大将としては有能。
- 宇喜多春家:腹違いの弟、忠家のクローン説あり。やはり長兄に対して防弾チョッキを着ていた。
- 宇喜多基家:養子。忠家の実子だが義父と同じ年にぴー
- 坂崎直盛:甥っ子。忠家の実子。千姫タンハァハァのあまり覇王翔吼拳を食らわせたらぴーされた。
- 児島高徳:ご先祖様らしい。少なくとも宇喜多はそう思っている。皇国史観のいい題材でもある。
- 嫁その1:中山のオッサンの家からお持ち帰りした。後に夫婦愛が冷めたと言われている。
- 嫁その2:元カレと別れて直家との間に秀家を設けた。直家存命中から秀吉とア〜ン♥♥してたビッチ。
- 妹その1:伊賀久隆に嫁いだ。
- 妹その2:殿様と偽装結婚した。
- 娘その1:松田元賢に嫁いだ。が、外道親父のせいで自殺した。
- 娘その2:後藤勝基に嫁いだ。後に自殺したかどうかはお察しください。
- 長船貞親:家来その1、都知事と名前が似てる奴にぴーされた。
- 岡家利:家来その2、長老。築城名人でもある。
- 戸川秀安:家来その3、ゆーりん!ゆーりん!
- 花房正幸:家来その4、スナイパー
- 明石景親:家来その5、元は宗景の家来だったが、土壇場で直家に寝返った。明石全登の親父。
- 馬場職家:家来その6、元は直家に敵対した大叔父の家来だったが、花房の説得で直家の家来に収まった。大叔父はぴー
犠牲者の皆さん[編集]
- 島村盛実:犠牲者第1号。ジジイを殺した憎っくきクソガキ。またの名を貫阿弥。毛利に寝返ろうとしたためぴー
- 中山信正:犠牲者第2号。嫁の父親。毛利に寝返ろうとしたため、島村のクソガキを殺すついでにぴー
- 穝所元常:犠牲者第3号。松田さん家の家来。竜の口城主でウホッでやらないかだったためア〜ン♥♥された。
- 三村家親:犠牲者第4号。備中から度々ちょっかいを出されてウザいのでガンナーに依頼してぴー。
- 三村元親:犠牲者第5号。家親の息子。毛利と同盟を結んだ縁で二人してフルボッコにした。(備中兵乱)
- 金光宗高:犠牲者第6号。直家が岡山城を欲しがったため理不尽にもぴー。
- 松田元輝:犠牲者第7号。松田一族の頭。創価学会員。息子の嫁が直家の娘だったせいで直家の暗躍を許すことになりぴー。
- 松田元賢:犠牲者第8号。創価学会員で強引な布教活動を行ったため総スカンを食う。直家の娘を嫁にしたせいで嫁ともどもぴー。
- 松田元脩:犠牲者第9号。元賢の弟、親父や兄貴と一緒に直家に襲われたがぴーは逃れた。子孫は越後屋の元会長。
- 宇垣与右衛門:犠牲者第10号。松田の家来。鹿みたいなツラだったためぴー。「宇喜多の仕業だ!」まさにその通り。
- 浦上宗景:犠牲者第11号。せっかく取り立ててやった家来に裏切られ、お城を追い出された。かわいそうです(´;ω;`) ブワッ
- 浦上宗辰:犠牲者第12号。宗景の息子。直家が元親をフルボッコした後にぴー。彼もまた直家の娘を嫁にした。
- 浦上久松丸:犠牲者第13号。大叔父憎しで蘇ったゾンビ。直家に祭り上げられたものの、最後は用済みになってぴー。
- 星賀光重:犠牲者第14号。宗景の家来。宗景復権を画策し、こっそり宗景を援助していたのが直家にバレてぴーされた。
- 毛利輝元:犠牲者第15号。信長とのケンカの最中、早々と裏切られた。直家の無節操さがよく分かる。
- 後藤勝基:犠牲者第16号。宗景、松田一族と相次いでぴーされ、まだ生き残っていたため松田と同じ手でぴーされた。
- 笹部勘二郎:犠牲者第17号。宗景、勝基と二人の殿様の家来になり、最期まで直家とケンカしたが、勝基ともどもぴーされた。
- 伊賀久隆:犠牲者第18号。義理の弟にもかかわらず、なぜか死んだのだが、事情はお察し下さい。
その他[編集]
- 織田信長:最後の飼い主。ほぼ同じ時期に死んだ。
- 豊臣秀吉:マブダチ。嫁その2の浮気相手。後に秀家の養父になる。
- 斎藤道三:同好の士。あまりにすご過ぎて直家は目立てなかった。戦国悪人四天王の一角。
- 松永久秀:同好の士。暗殺術の競争相手。戦国悪人四天王の一角。
- 真田昌幸:同好の士。コーエーご贔屓のチート侍。戦国悪人四天王の一角。
- 最上義光:同好の士。ある意味すご過ぎるが、武田信玄と同じ過ちを犯した。戦国悪人四天王にはなれなかった。
- 毛利元就:同好の士。養子縁組先の家を盗む・暗殺と、とにかくえげつない。兵など所詮捨て駒とほざくボケ老人。別名「魔術師毛利」
- 尼子経久:同好の士。出雲のミスター下剋上。大内・毛利連合軍を一瞬でぶっ潰した最強の男。親類殺しは孫の仕業。
- 吉川元春:元就の次男坊、あと少しで直家にぴーされそうになったが、上手に逃げました~♪
- 小早川隆景:元就の三男坊、兄・元春同様、直家にぴーされかけたが、当人たちは気づかず、上手に逃げました~♪
- ハニートラップ:上記を見てお分かりのように直家はハニートラップの名手である。
- 北条早雲:同じ岡山県人。謀将だらけの中国地方の武将をよそに放ったらどうなるか?今で言う侵略的外来種である。
崇拝者[編集]
- 若木新二郎:讃岐丸亀藩主・若木新之助の弟で、宇喜多直家を尊敬する江戸時代の浪人。自らもさしたる理由も無く、商人や幕府の役人を惨殺し、殺された者たちが悪人であるかのごとく宣伝して自らの行為を正当化した。直家の幼名にあやかって、桃太郎侍と名乗った事で知られる。
脚注[編集]
この項目「宇喜多直家」は、執筆者がクラックをキメていた可能性もありますが、今はまだクソの山です。より愉快にしてくださる協力者を求めています。さぁ、これを見ているあなたも、恥ずかしがらずに書き込んでみよう! (Portal:スタブ)