プリンシパル
池田 輝久
ビジネスは祭りである。ビジネスという祭りが元気よく勢いよく展開され,そこで勝利を得られるかどうかは,メンバーの頑張りにかかっている。参加者全員がそれぞれの与えられた役割を,「ワッショイ,ワッショイ」と地響きが起こるように演じてこそ,勝利の美酒にありつける。そのためには日ごろから意識して,「100%前を向いて仕事をする力」,「一歩一歩進み続ける力」,「自らを鼓舞する力」を身に付ける必要がある。
日々,年々,著しいスピードで変化する情報技術(IT)の世界。企業における情報システムは重要性を増す一方である。そのためIT産業やお客様のIT関連部門は常に忙しい。だが,そこで働く人たちにあまり活気を感じられないように思う。
私は,「ビジネスは祭りだ」と定義している。たくさんの人たちが集まって,一つの目標を達成するために全力を挙げる姿は,祭りそっくりになっていいはずだ。「ワッショイ,ワッショイ」と威勢のいい声が響き,熱気と汗がほとばしる。ビジネスがこのように行われれば,成功は間違いない。
ねぶた祭りを思い浮かべよう
ここで青森のねぶた祭りを思い浮かべていただきたい。ねぶた祭りの本番という時,青森の町は一瞬の静寂に包まれる。湿った空気が張り詰め,大通りを埋め尽くした人々は,押さえ難い熱気に目眩めまいを覚える。毎年8月の特別な夜の始まりには決まってそうなる。
出発の花火が上がった。凝縮され,くすぶっていた無数の思いが一気に弾け,町全体が一つの生き物のようにうごめき始めた。ねぶたの灯がいっせいにともり,それまで闇に潜んでいた巨大な鬼や武者たちの手足や顔が赤く燃えはじめ,またたく間に大きな火の玉となって夜空に浮かび上がった。
人々のどよめきに町がゆれる。太鼓の音がとどろき始める。身体の芯から震えが起こる。華麗で哀調を帯びた笛の音が熱気を伝って広がっていく。それにつられるように,ハネトや子供たちは腰を振り,身体ごと跳ね上がる。入り交じる緊張感と高揚感。いよいよねぶたが動き始める。
「ラッセラッセラッセラッセ…」。息の合った掛け声とともに,命を与えられた紙張り人形たちがゆっくりと荘厳に歩き出した。光る鬼の目,武者の誇張された筋肉,ねぶた師たちのひたむきな情熱を宿した人形たちに群集は目を奪われる。激しさを増していく夏の夜,暴れまわる巨人たちをあおるように,まわりでハネトたちが飛び跳ねる。もっと激しく,もっと熱く…。その肉体を操るのは太鼓と笛,まるで祭りに新鮮な精気を与え続けようとでもするかのように,絶え間なく鳴り響く。乱舞と歓喜とどよめきの中,まさに1年分のエネルギが一度に爆発した。
「ラッセラッセラッセラッセ…」。20人ほどの引き手たちが,ねぶたをガラス細工を扱うかのように慎重に,一歩また一歩と引いていく。手足にかかる重圧に顔をゆがませながら,陶酔の中にあっても決して自分の役目を忘れない。自分が歩かなければ鬼が死んでしまう,武者の刀が折れてしまう。
大通りを牙をむき出しにした鬼がかっ歩する。それを目をかっと開いた武者たちが口を大きく開けて迫り,追いかけてくる。武者の刀が宙を切る,鬼が猛り狂う,虎が牙をむき,馬が駆け回る。狂乱は止むことなく,ある時は激しく,ある時はゆるやかに,あおり続けるハネトや群集の間を,リズミカルな囃子はやしの中を,縦横無尽に暴れまわる。
個性豊かな紙張り人形たちは,ねぶた師を中心に,その弟子たち,紙張りを手伝う人たち,電気系統を担当する人たち,その他様々な役回りの人々が一つのグループとなって作り上げたものだ。彼らの汗と労苦,緻密な計画や計算,失敗,予算のやりくり。こうしたことに頭を抱えながら,1年かけて作り上げた芸術作品なのだ。
「ラッセラッセラッセラッセ…」。その場にいるすべての人が,祭りの波に身を投じる。青森の夏はこよいしかないというほどに激しく,時を惜しんで跳ねる,踊る,騒ぐ。ねぶた囃子はまるで遠い昔から聞こえてくるようだ。太鼓たたきの飛び散る汗,笛吹きの繊細なメロディ,ねぶたの引き手や囃子方のいなせな半纏はんてん。それらすべてに伝統と誇りが刻まれている。昔からかわらない,その土地に生きる人々の情熱と思い出が染み込んでいる。