コメント
自由の国フランスで、自由剥奪。
内容は、
「戒厳令を3ヶ月まで延長」
「国籍剥奪(裁判なしで?)」
「大統領に全権委任」
これは、ナチスの
【全権委任法】と同じですね。
http://antiglobalism.blog.fc2.com/blog-entry-13.html
独裁者を出すための憲法改悪です。
内容は、
「戒厳令を3ヶ月まで延長」
「国籍剥奪(裁判なしで?)」
「大統領に全権委任」
これは、ナチスの
【全権委任法】と同じですね。
http://antiglobalism.blog.fc2.com/blog-entry-13.html
独裁者を出すための憲法改悪です。
今まで散々フランス等のヨーロッパを人権先進国と持ち上げて日本をディスってきた猪野センセらサヨクの皆さんの狼狽ぶりが愉快で仕方ないw
No title
フランスという大統領制国家だからできること。
日本の首相はこんなこと勝手にできない。
サヨクモドキさん、おわかりかな?
日本の首相はこんなこと勝手にできない。
サヨクモドキさん、おわかりかな?
しかし、猪野センセ。
ここでオランドがポシャったら次の大統領は極右のルペンになるよ~ん。
極右を大統領にしたくなきゃオランドを支持するしかないよねぇ(ヾノ・∀・`)
ここでオランドがポシャったら次の大統領は極右のルペンになるよ~ん。
極右を大統領にしたくなきゃオランドを支持するしかないよねぇ(ヾノ・∀・`)
No title
リンク先のブログ、Everyone says I love you !で
共謀罪についてのわかりやすい解説を読みました。怖いです。
パリのテロには言葉もありません。また、多くの人々がご不安でしょう。その中には、記事中「イスラム系」とされる人々、広くはどのような形であれイスラ―ムの要素をお持ちの方々もいらっしゃいます。例えば、スカーフを着用している子どもたち、女性たち。多くの公立校では10年ほど前から着用禁止になりましたが、イスラームの印はファッション以外にもあります。
以前、日本でもチマチョゴリをデザインに取り入れた制服着用の女子生徒がスカートを切られるということがありました。
このような人々にテロへの憎悪が向かないような注意喚起も必要ではないでしょうか。監視が必要なのはこのような動きでしょう。
私は真珠湾攻撃を機に日系人とされる人々が強制収容されたことを思い出しています。アメリカではこれを恥ずべき歴史としましたが・・・。
共謀罪についてのわかりやすい解説を読みました。怖いです。
パリのテロには言葉もありません。また、多くの人々がご不安でしょう。その中には、記事中「イスラム系」とされる人々、広くはどのような形であれイスラ―ムの要素をお持ちの方々もいらっしゃいます。例えば、スカーフを着用している子どもたち、女性たち。多くの公立校では10年ほど前から着用禁止になりましたが、イスラームの印はファッション以外にもあります。
以前、日本でもチマチョゴリをデザインに取り入れた制服着用の女子生徒がスカートを切られるということがありました。
このような人々にテロへの憎悪が向かないような注意喚起も必要ではないでしょうか。監視が必要なのはこのような動きでしょう。
私は真珠湾攻撃を機に日系人とされる人々が強制収容されたことを思い出しています。アメリカではこれを恥ずべき歴史としましたが・・・。
No title
このような人々にテロへの憎悪が向かないような注意喚起も必要ではないでしょうか。監視が必要なのはこのような動きでしょう。
↑
サイレントマジョリティのマンパワーの前には虚しいですね。
↑
サイレントマジョリティのマンパワーの前には虚しいですね。
No title
ご意見、ありがとうございます。
サイレントって怖いです。「不作為の罪」という言葉を思い出します。
今のマジョリティが誰なのか、どのような変化が起こっているのか、過去に用いられたサイレントマジョリティと同じような集団なのか、私にはわかりませんが、ネットの世界でも現実の世界でも、限りなくサイレントな私は、こちらのブログでHNであったとしても、サイレントではない方々ってすごいと思います。
「虚しい」というご指摘はその通りだと思います。色々考えていきます。
サイレントって怖いです。「不作為の罪」という言葉を思い出します。
今のマジョリティが誰なのか、どのような変化が起こっているのか、過去に用いられたサイレントマジョリティと同じような集団なのか、私にはわかりませんが、ネットの世界でも現実の世界でも、限りなくサイレントな私は、こちらのブログでHNであったとしても、サイレントではない方々ってすごいと思います。
「虚しい」というご指摘はその通りだと思います。色々考えていきます。
「世間」という魔物
日本では西洋のサイレント・マジョリティに相当するのは世間です。しかもこれらのふたつは似ていて、全くの別物です。「世間体が悪い」とか「世間に顔向けできない」という日本人にとって、ごくありふれた行動原理/
様式が、外国では通じません。その理由は「世間」という意識は日本人独特のものだからです。
阿部謹也、『「世間」とは何か』(講談社新書、1995)を参考にお読みください。
様式が、外国では通じません。その理由は「世間」という意識は日本人独特のものだからです。
阿部謹也、『「世間」とは何か』(講談社新書、1995)を参考にお読みください。
No title
ありがとうございます。刊行時に読んだなつかしい一冊です。
サイレントマジョリティは、ニクソンの時代に限れば、戦争にNOと言わなかった人たちの意です、この点、今はどうなるかなあと考えます。ニクソン一家が常に戦争反対の立場を取る熱心なクェーカーだったことも興味深いことです。
サイレントマジョリティは、ニクソンの時代に限れば、戦争にNOと言わなかった人たちの意です、この点、今はどうなるかなあと考えます。ニクソン一家が常に戦争反対の立場を取る熱心なクェーカーだったことも興味深いことです。
No title
>移民の国がこのような政策をとることは自殺行為です。今まで散々、移民の労働力によって楽をしてきたフランスでありながら、今度はその移民たちを敵に回すのですから、これで相互理解など得られようはずもありません。
これと同じ理由で、私は移民を日本に安易に入国させることに反対です。移民をいれれば、問題が発生することはわかりきっています。入れた以上、きれいごとではすまされません。だから、移民反対。
これと同じ理由で、私は移民を日本に安易に入国させることに反対です。移民をいれれば、問題が発生することはわかりきっています。入れた以上、きれいごとではすまされません。だから、移民反対。
新自由主義と独裁政治
共謀罪と通信傍受法(盗聴法)の改正で何が起きますかね
No title
秘密保護法違反で一般市民?がたくさん逮捕されるとサヨクは叫んでいたが、いつになったら「たくさん逮捕」されるのだろう?
No title
ISはイスラム原理主義であり、神のために戦っている。彼らの目的は神の国を地上に建国することであり、異教徒と話し合う余地はない。その理想のために若者が自分の命をなげうって自爆攻撃を行っている。決して私利私欲のためでなく神のために行っているのだ。なんと崇高な犠牲だろうか。我々がイスラム教徒となるが、彼らが絶滅するかのどちらかしかない。彼らは神の教えにしたがっており、絶対善である。妥協の余地などない。お互い相容れない立場ならば、覚悟を決めて戦うしかない。彼らが命をかけて攻撃するならば、こちらも覚悟を決めてどんな犠牲を払っても戦い抜くしかないだろう。
覧古考新:ジハードとは何か
<コメントより>
>今まで散々フランス等のヨーロッパを人権先進国と持ち上げて日本をディスってきた猪野センセらサヨクの皆さんの狼狽ぶりが愉快で仕方ないw
↑
少なくとも猪野先生にこれは当たらない。
ドイツの戦う民主主義、フランスの宗教政策に批判的な視点を持ち続ける理性を猪野先生は持っている。
<純粋な原理主義さんのコメント>
>我々がイスラム教徒となるが、彼らが絶滅するかのどちらかしかない。
↑
「ジハード」という言葉がある。
日本語では「聖戦」と訳され、イスラム過激派がよく使う言葉と言われる。
この「ジハード」には2種類ある。
「外へのジハード(小ジハード)」と「内へのジハード(大ジハード)」の2種類。
「外へのジハード(小ジハード)」とは、対外的な戦争や紛争を意味するのに対し、「内へのジハード(大ジハード)」は個人の内面での戦い、克己とか忍耐などにあたる。
われわれ日本人は「ジハード」というと、「外へのジハード(小ジハード)」のみと思いがちだが、実際は「内へのジハード(大ジハード)」のほうがイスラムでは重きを置かれる。
そもそも「ジハード」という言葉は、「努力」とか「奮戦」と翻訳すべき単語であり、「戦争」と直接結びつけるのはやや乱暴ではある。
純粋な原理主義さんのコメントにあるイスラムの姿はかなり特殊だと考えた方がよい。
諸宗教との対話という意味では、イスラムはインドにおける征服王朝で歴史的な経験を積み、トルコでの世俗化、マレーシアでの多文化政策など、目に見える形で着地点を見出している。
まだまだ十分とは言えない。
問題点・課題もある。
しかし、「諸宗教との対話」は意味のあることだと思う。
追記
トルコの世俗化政策については、最近気になるニュースを聞いた。
公教育で進化論を教えるのをやめるとの話。
「トルコの学校、消える「進化論」 反イスラムだから?世俗派は反発」(朝日7/24)
http://www.asahi.com/articles/DA3S13052560.html
これは評価できない。
気持ちは分かるが、「科学は科学、宗教は宗教」と分けて考えるべき。
生命倫理といった視点で抑制的な影響を及ぼすのはありだが。
>今まで散々フランス等のヨーロッパを人権先進国と持ち上げて日本をディスってきた猪野センセらサヨクの皆さんの狼狽ぶりが愉快で仕方ないw
↑
少なくとも猪野先生にこれは当たらない。
ドイツの戦う民主主義、フランスの宗教政策に批判的な視点を持ち続ける理性を猪野先生は持っている。
<純粋な原理主義さんのコメント>
>我々がイスラム教徒となるが、彼らが絶滅するかのどちらかしかない。
↑
「ジハード」という言葉がある。
日本語では「聖戦」と訳され、イスラム過激派がよく使う言葉と言われる。
この「ジハード」には2種類ある。
「外へのジハード(小ジハード)」と「内へのジハード(大ジハード)」の2種類。
「外へのジハード(小ジハード)」とは、対外的な戦争や紛争を意味するのに対し、「内へのジハード(大ジハード)」は個人の内面での戦い、克己とか忍耐などにあたる。
われわれ日本人は「ジハード」というと、「外へのジハード(小ジハード)」のみと思いがちだが、実際は「内へのジハード(大ジハード)」のほうがイスラムでは重きを置かれる。
そもそも「ジハード」という言葉は、「努力」とか「奮戦」と翻訳すべき単語であり、「戦争」と直接結びつけるのはやや乱暴ではある。
純粋な原理主義さんのコメントにあるイスラムの姿はかなり特殊だと考えた方がよい。
諸宗教との対話という意味では、イスラムはインドにおける征服王朝で歴史的な経験を積み、トルコでの世俗化、マレーシアでの多文化政策など、目に見える形で着地点を見出している。
まだまだ十分とは言えない。
問題点・課題もある。
しかし、「諸宗教との対話」は意味のあることだと思う。
追記
トルコの世俗化政策については、最近気になるニュースを聞いた。
公教育で進化論を教えるのをやめるとの話。
「トルコの学校、消える「進化論」 反イスラムだから?世俗派は反発」(朝日7/24)
http://www.asahi.com/articles/DA3S13052560.html
これは評価できない。
気持ちは分かるが、「科学は科学、宗教は宗教」と分けて考えるべき。
生命倫理といった視点で抑制的な影響を及ぼすのはありだが。
国家が宗教に介入するのはよくない
>「科学は科学、宗教は宗教」と分けて考えるべき。
そのとおり。一方、このことは信徒たちも心得る必要があるだろうか。キリスト教原理主義の人の中には、進化論を嫌って学校に行かせずフリースクールで学ぶ子もいるが、信教の自由だからこれでいいのだろうか。
ここを見ると、州ごとに対応が異なるアメリカはトルコの先を行っているかもしれない。
http://hon.gakken.jp/reference/column/amerika/article/120810.html
イスメット・ユルマズ国民教育相が、「進化論の理解には哲学的な素養が必要。」と言っているが、クルアーンの教えが揺るぎないものとして身につけてから、進化論を受け容れる必要を考えているように思われる。進化論を科学でなく、哲学として考えるような指向だろうか。
でも、義務教育から外してしまうのは問題だ。
一方、世俗の学校である教育課程でなぜ、「聖戦」(ジハード)を教えるのだろうか。
ひょっとして、若者が過激な思想に染まらぬように、正しいジハード概念を教える必要に迫られているのかもしれない。しかし、学校がそれをやらなくてはいけないとはなんとも複雑な気がする。イマーム(指導者)では対応しきれないのだろうか。もっとも、イマームの個性に依存すると、過激なイマームの下では過激思想が広まってしまう。それを防ぐためだろうか。
やはり、過激な思想を生まないような社会を作っていくことが根本的な解決策に思える。
理由はどうあれ、国家が宗教に介入するのはよくないように感じる。トルコはフランスと同じ発想をしているように見える。
フランスのブルキニの禁止は、ナチスドイツのユダヤ人迫害に重なる
http://inotoru.blog.fc2.com/blog-entry-2302.html
そのとおり。一方、このことは信徒たちも心得る必要があるだろうか。キリスト教原理主義の人の中には、進化論を嫌って学校に行かせずフリースクールで学ぶ子もいるが、信教の自由だからこれでいいのだろうか。
ここを見ると、州ごとに対応が異なるアメリカはトルコの先を行っているかもしれない。
http://hon.gakken.jp/reference/column/amerika/article/120810.html
イスメット・ユルマズ国民教育相が、「進化論の理解には哲学的な素養が必要。」と言っているが、クルアーンの教えが揺るぎないものとして身につけてから、進化論を受け容れる必要を考えているように思われる。進化論を科学でなく、哲学として考えるような指向だろうか。
でも、義務教育から外してしまうのは問題だ。
一方、世俗の学校である教育課程でなぜ、「聖戦」(ジハード)を教えるのだろうか。
ひょっとして、若者が過激な思想に染まらぬように、正しいジハード概念を教える必要に迫られているのかもしれない。しかし、学校がそれをやらなくてはいけないとはなんとも複雑な気がする。イマーム(指導者)では対応しきれないのだろうか。もっとも、イマームの個性に依存すると、過激なイマームの下では過激思想が広まってしまう。それを防ぐためだろうか。
やはり、過激な思想を生まないような社会を作っていくことが根本的な解決策に思える。
理由はどうあれ、国家が宗教に介入するのはよくないように感じる。トルコはフランスと同じ発想をしているように見える。
フランスのブルキニの禁止は、ナチスドイツのユダヤ人迫害に重なる
http://inotoru.blog.fc2.com/blog-entry-2302.html
重大な訂正
>世俗の学校である教育課程
「宗教指導者養成学校」だったので訂正しておきたい。
重大な見落としをしてしまい申し訳ない。先のコメントを読まれた方にはお詫びしたい。
「宗教指導者養成学校」だったので訂正しておきたい。
重大な見落としをしてしまい申し訳ない。先のコメントを読まれた方にはお詫びしたい。
よく読めば
「ジハードの真の意味は祖国を愛し、国民の団結と連帯に尽くすこと。正しいジハードを教えることは、我々(政府)の責任だ」と、ユルマズ氏は教えたいようだが、ムスリムでもない私が言うのも気が引けるのだが、なごやんさんの説明と照らしても、かなりずれているように思われる。これでは宗教が世俗化、あるいはナショナリズム化されてしまう。
国家の宗教に対する介入でなく、改変といえるかもしれない。
国家の宗教に対する介入でなく、改変といえるかもしれない。