どうもこれは眉唾ではないようだ。それに近しい話をチラホラ耳にした。特に会社で、勉強会に理解のあるマネージャクラスの人から。
ブームも一段落しているようですが,まだまだ多数の勉強会が開かれています.
それは凄く良い事だと思うし,僕も楽しそうなものや興味のあるイベントには積極的に参加しています.
が,そこでどうしても気になってしまう事もあります.
なんというか「勉強会」とかに権威的なものが出来てしまって,
「勉強会に参加してるとエライ」
「勉強会を開催したり運営を手伝ったらエライ」
的な空気が出来てしまっているような気がしてるのです.
そろそろ JOJO 勉強会について一言言っておくか - YoshioriのBlog
高度に進化すると草刈場っぽくなっていて、いいやつがいたらツバつけておこう的になっているみたい。ここ2年で、急激に市民権を得ている。それだけ裾野が広がったってことなんでしょうけど、創成期の頃に比べるとピュアさがなくなってきているなぁと感じます。
今やってる仕事に意味を見出せない部分が多くて、でもみんなそういうのにあんま興味なくて、結局会社に自分しかそういう問題意識を持っていない人が自分がしたい議論ができねぇ的な悶々とした思いをどっかに抱え、ググりまくったりRSS読んだりしている間に、コミュニティのようなものが同じ方向を向いているっぽいから、手を挙げて発信したい人たちが勝手に集まってきた、というのが創成期のメインストリームだった気がします。
2007年当時は、会社的にも社内で集まる分には理解できるけど、「なにそのコミュニティって、おいしいのそれ。会社にメリットあるの。」的な流れがまだまだ強かった時期なので、常に一定の緊張感があった気がします。前例が無い業務外活動をやっていたわけなので。
創成期のメンバーって勉強会をやったあとで、自分の仕事や環境をよくしていこうと試みてた。価値を産もうとしていた。そーゆーことをブログ書いたりプレゼンしてた気がする。だからお互い刺激があったんじゃないかなーと。ただ集まることが目的ではなかった。
これは僕の知人の言葉ですが、「どうも何か違うなぁと思って遠目から見ているんだけど、勉強会オタクみたいな人が多くて、自分の仕事に還流されていないなぁ」と言っておりましたが、いい得て妙です。端的に言うとアウトプットに変化が無いと。「XXさんと名刺交換したお→ふーん、で、自分のバリューは上がったの?」って。名刺は持ってるだけなら死に名刺。お互いに共有できるものが無ければ自分のバリューは上がりません。互いに与えるものが無ければ、人脈に血が通わなくなります。
ただ発信にはある一定の慣れが必要だと思うので、カジュアルに人が集まるようになってきたからこそ、アウトプットする練習の場が増えているのはいいなぁと思います。
勉強会を否定しているわけではないのですが、素晴らしいことに特に最近は若い人がすごく多く参加するようになっているので、単なる定例会じゃないんだよー、自分の仕事の意味をそこで考えて発信してくるから勉強なんだよー、上司やお客さんはあなたの変化をちゃんと見ているもんだよーと飲み屋の上司のおっさん的説教トークで〆。