GoTheDistance

ござ先輩と言われています。(株) クオリティスタートという会社をやっています。

息を吐くようにブログを書いていたあの頃

インターネット老人会 Advent Calendar 2023」12日目の記事です。

adventar.org

インターネットとの出会いは iBook G3と共に

自分のPCデビューは、1999年。当時仲の良かった友人で唯一ネットについて色々教えてくれたY山が、「だれもマカーがいねぇ」と呪詛を唱えるもんだから、何も考えずにMacを買った。これだ・・・懐かしい・・・!

https://auctions.c.yimg.jp/images.auctions.yahoo.co.jp/image/dr000/auc0401/users/03435bbf8509ecd760721e18ad125366f5650be7/i-img1200x798-1674494399rrjmrh484507.jpg

最初のプロバイダーに選んだのは、AOLでした。マカーの友人が入ってた過疎ってる英会話サークルに自分も顔を出していて、プロバイダーを聞いたら「AOLがいいぞ、チャットで外人とお話できて面白いぞ」と聞いた。やってみた。タイピングが遅すぎて、helloしか打てんことに嫌気が差した。brbだけは覚えた。実際問題、何を聞いて良いかもわからんしうまいこと話せねぇわ!たまに夢に出てくる。

次の思い出は「ご近所さんをさがせ!」というサービスに登録して、麻雀友達が当時できたこと。自分は当時20歳そこそこだったけど、30歳近いT桑さん。ギターと麻雀というキーワードがあって、家がアホほど近かった。卒業しちゃったら全然会わなくなってしまった。

www.gokinjo.net

自分の時代は、ちょうど東京めたりっくがADSLをやり始めた頃。「ブロードバンド」という言葉が踊るミレニアム世代で、ろじぱら侍魂を初めとしたテキストサイトを巡回しつつ、最強のアングラリンクみたいなサイトをめぐりながら、エロと職人FLASHまとめサイトばっかり見てた気がする。健全な男子学生である。

社会人になってブログを書くようになった

自分にとってのインターネットの99%はブログなので、ブログの話をしたいと思います〜。

2005年だと思う。当時はライブドアがGoGoしてた時で、ブログと言えばライブドアだった。何人かの同期でブログを立ち上げて、書き始めた。自分が文章を書くのが好きだって自覚はなかったんだけど、1ヶ月経っても何かしら書いてるのが自分だけだったので、書くことが得意なんだなと知った。2005年は間違いない。当時の僕はデスマ案件で400時間働いていて、日々の残業時間を日記に書いていた。(゜∀。)ワヒャヒャヒャヒャヒャヒャ みたいな絵文字使っていた。

ライブドアのブログは当時の会社にバレちゃったので、消した。「渋谷で働く社長のブログ」のタイトルをオマージュしたのが運の尽き、案件のちょっとした愚痴と地名で身元が割れたという。特に減俸もなかったです。コンプライアンス〜。秒速でアメブロに移り、きっかけは忘れたけど、はてなに移動した。

これがはじまり。

なんだこの xusersってやつは

だらだら備忘録を書いていて、1年ぐらい経ったある日。ブログのパーマリンクの右側に、赤い文字で xxusersって出た。これが、はてなブックマークとの出会い。この記事だったと思う。

gothedistance.hatenadiary.jp

インターネット老人の皆さんはNiftyServe等でネットコミュニケーションをされていたと思いますが、自分にとってのネットコミュニケーションのデビュー戦はホッテントリに入ったブコメの数々であった。

興奮が最初に来たけど、次に来るのは「どうしたらいいんだこれ」でした。

「あ、はい、そうっすね、でも、そこで話の腰折られても。そんな事言うて無いと思うんやけど、どう伝わったんだこれ」みたいな、どうにも処理できない気持ちは出ます。20代で若かったので。AさんがBさんに告白して付き合えたやったね!という話に、フラれたCさんの気持ちにもなってくださいみたいなこと言われると、萎えちゃう。どこ見てんだお前はって。1:Nのコミュニケーションで反論できる場がないし、反論記事をあげようもんなら「うぷぷぷ、こいつなんなんw」みたいな反応をされてしまう。

ヨッピーさんとは比較にならないけど、自分がいない所でぐだぐだうるせーなー!とは思ってました。ちょっとだけよ。

yoppymodel.hatenablog.com

当時の僕の心の支えは、まなめはうすでしたね。まなめはうす。まなめはうすは推し度に対して★の大きさが違ったんだけど、なにかの記事ですげーでかい★がついたんよ。まなめがいい感じに言及してくれてたんで、読み取ってくれる人もおる〜ってなったんよね。そこから、段々と自分の書いた記事が読みたいっていう人がいるんだなって思えてきて、楽しくなってきた。

ブロガーとして最も気が合うなと感じてるのは、id:takerunba っすね。波長が合う。意見は違っても。字面の向こう側が飛び込んでくる感じ。たけちゃんならこのネタの意味を汲み取ってくれるよな〜という安心感があった。当時、よく引用させてもらった。押上のレバ刺しの店、最高だったな。もう食えないけどさ。

2007〜2008年の頃に出会った人たちは今でもずっとなにかしらつながっていて、交流させてもらっていて、自分の財産になっている。そうなったのは、自分がブログで本音を書いてきたからだと思う。

インターネットで本音を言う若さ

本音が書いてある文章は読み手に届く。言葉じゃなくて、想いが届く。自分はそう思ってる。人の本音ってすごい力があると思う。インターネットで発信すると、特に感じる。読んでて面白いなーって思う文章は、どこかしら本音が見え隠れしてるもん。コンビニ店長(G.A.W)さんとか、理知と本音のバランスが最高だった。また文章書いてほしいなー、インターネットで。

自分はインターネットで本音を書いた文章を公開して、後悔もしましたが、概ね良好です。はてなのおかげです!僕のインターネットの恩人は、Googleはてなです。

1979年生まれなので、44歳になった。信じられん。28歳のブログ反射神経はもう無い。というか、あの頃一緒にブログ書いていた人たち、みんな書かなくなったな。体力がないだけなのか、反発しても消化できる大人になったのか、未成年の主張よろしくエモさが最前列に来なくなったのか。それはわかんね。

今年の6月に、すごく好きだった上岡龍太郎さんが鬼籍に入られた。重厚さと軽快さを併せ持ったトークと、プライベートで会うと面倒くさ・・そうじゃないやんほんま人懐っこいおっさんでしょーっていう感じの愛嬌があって、すごく好き。

来年はそろそろ、上岡龍太郎モードでブログを書き始めますわ。本音をインターネットで言ってこそ、パイセンの冠つけられるってもんよ

SQLを学習できるWebサービスを作りました。