反復練習が脳力を高める

何かしらの知識を身につけ、自在に扱えるようにするには、反復的な練習が有効なことは今更いうことでもないでしょうか?
でも、そうした反復練習そのものを自分の生活に意識的に取り込んでいる人はすくないような気がします。

反復を生活のなかに取り込む

反復をするには、毎朝毎晩歯を磨くとか、1日何キロ走るとか、週に1冊は本を読むとか、生活の中である程度は習慣化していかないと反復そのものが成り立ちにくいでしょう。
スポーツ選手の練習というのは、まさにこうした意味での反復ですよね。営業マンが1日の外出件数を決めて行動するのも同じような意味があるのかもしれません。そして、何より日々、ブログを書くことも反復練習を可能にする習慣化の1つの方法です。
前に「ブログを書くことはスポーツをすることと同じだ」というエントリーを書きましたが、ブログを書くことがスポーツにおける反復練習(例えば素振り)の役割を果たすことがあります。ブログを毎日書いていれば、外部にある知識を自分の内部に取り込む際にすごく役に立ちます。

脳は反復により変化する

反復練習が有効なのは、脳という器官そのものが反復により、その神経構造のつながりを変える器官だからなのでしょう。それはスポーツによって必要な筋肉がつく以上のようなことであると思います。

人間の欲望そのものも学習されます。

たとえばチョコレートを1個口にして嬉しいと思うのは、そのチョコレートを口にした結果、ドーパミンが出て、このA10神経が活性化しているからです。そして1個を口にするとさらにもう1個食べたくなるでしょう。この、もう1個欲しいという欲望は、脳の中で強化学習が発生しているからです。ある行動を選択し、その結果としてドーパミンが出て快楽を得られると、脳は快楽を得られる前に行なっていた神経細胞の活動をより強く再現するように、神経細胞が自動的につなぎ変わるのです。

これは何もチョコレートのようなわかりやすい欲望の対象に働くのではなく、数学者がある問題について考えるようなときにも同じように働くことを茂木さんは上記の本で紹介してくれています。


こうした特徴をもった器官である脳に知識を染みこませようとすれば、いかに自分の生活のうちに、反復的練習の日課をつくるかを考えることが必要なんじゃないかと思います。

反復的練習を日課にする方法

苦手だと認識したら克服する努力をしてみる」では、苦手なものを克服するには、それを得意とする人の真似をすること、そして、それ自体を反復化することが有効だと書きました。

しかし、より一般的にいうなら、普通にやれていることをもうすこしうまくできるようにしたり、得意なことをより得意にする場合でもこの反復練習を基本にした、新たな知識の積み上げとそれを自分の身体に身につけるという方法は、有効に活用できると僕は思っています。
同じスタート地点に立って、ある知識やスキルの習得をはじめたはずなのに、こうした反復的練習の日常化をしている人とそうでなかった人のあいだに差が生じることなんてよくあることです。

そして、それには反復的練習自体を日課にしてしまったほうが、練習そのものをいちいち意識する手間が省けてよいと思っています。

反復的練習を日課にする方法にはいくつか考えられます。

1.ブログを書く
これは先にも書いた方法ですね。ブログを書くというのは習慣にしやすい行動です。というのも、エントリー自体が1本2本と数えやすいものだから、1日1本は最低ブログを書くなんて目安をつくりやすい。
僕は自分がこの利点をうまく活用できているなと時々感じます。ユーザビリティについての知識をより強化したり、意識や認知科学などいまひとつわかっていない知識を記憶し、さらに文章の中での応用力を高めたりする際など、日々、ブログを書く中でユーザビリティや認知科学に関する話をいろんな文脈のなかで書くことで反復練習になり、それ自体が僕自身の応用力を強化してくれていると感じています。

2.他の人に説明する
これもブログを書くことと基本的に同じです。ただ、ちょっと違うのはブログのように1日1回必ず行なうという目安がつくりにくいのが難点。でも、自分の知っていることを意識的に他の人にも教えてあげるということを自分の中である程度、義務化しておけば、そういう状況を日々の生活のなかで、つくることは可能です。僕はこれをよくタバコを吸ってるときなどに取り入れています。他の人にわかるようにしゃべることでブログを書くのと同じように反復練習ができる。さらにブログと違うのは、相手が目の前にいて、しかも、その相手が毎回違うので、同じテーマでも違った説明が必要とされることですね。

3.お客さんなどに提案する
これも上の場合と似ていますが、ちょっと違うのはさらに高度で明快な説明が要求されることでしょうか。また、提案には、提案書を作成することとそれをもとにプレゼンテーションを行なうという複合的な活動が要求されます。これだとより実践的な練習になっていい。ただし、これを行なう前にはより基礎的な練習として、上の1と2をある程度こなしておいたほうがよいのは間違いありません。

こんな感じで、普通の日常的な生活の中に、意図的に練習機会を設けると、知識やスキルの習得は効率化されます。これ、あらためて考えると、全部、外に向けて何かをやることですね。自分の中だけで完結するより、外向けに何かをやることを日課として課したほうが習慣化しやすいというのもあると思います。

よくいろんなことをなかなか身につけられないという人がいますが、それはこうした練習の日課化を行なわないせいです。人なんてもともと忘れやすいし、あまえる傾向もあるんですから、習慣にでもしない限り練習そのものが続けられるわけがないんです。
ここを間違えると、どんなに意欲があっても知識やスキルの習得が効率化されることなんてないんだと思います。

脳も身体の一部なんだから、知識やスキルを身につけ、自分で自在に使えるようにするのも、スポーツの一種だと僕は思っています。

関連エントリー

この記事へのコメント

  • 理学生

    別名「ゲーム脳」ですけどね・・・
    2007年01月20日 17:11
  • tanahashi

    「ゲーム脳」ほどの単調な反復はこのエントリーで対象にしている反復とは違いますよ。
    ブログを書いてて「ゲーム脳」になるとか、他人と話して「ゲーム脳」になるとかって話聞きませんよね。
    反復的練習って単語だけで、狭くイメージされたんじゃないでしょうか? もうすこし、自分が想像している別の可能性はないかと考える想像力をもちましょう。
    2007年01月20日 19:16
  • グーグル載ってますね

    世間一般に言われる、いわゆるゲーム脳ってtanahashi氏の認識するゲーム脳とは違う気がします。
    『ブログを書いてて「ゲーム脳」になるとか、他人と話して「ゲーム脳」になるとかって話聞きませんよね。』
    とありますが、一時期は画面に向かってする作業全般をゲーム脳と呼んでいた時期があり
    実際にNHKや民放のワイドショーで何故か2ちゃんえるの書き込みを紹介していました。
    今でも一般的にゲーム脳でイメージされるのは単調な反復などではなく、
    ゲームなどコンピュータを相手にすると、人と直接対話するより痴呆になる、だと思います。

    理学生氏がそこまで考えていたかは分かりませんが、
    世間一般の認識を考えると、普通に皮肉だったのでは?と思いますが如何でしょうか。
    と言いますか、私も同じような感想を持ってしまったもので^^;

    もうすこし、自分が想像している別の可能性はないかと考える想像力をもちましょう。
    2007年01月20日 23:44
  • tanahashi

    皮肉だと教えてくれてありがとうございます。
    皮肉以外の可能性があるなんて思いませんでした。
    2007年01月21日 12:51

この記事へのトラックバック