ひとつ前のエントリで「GoogleLookup」という、Google Speadsheets の新機能について書いた。GoogleLookupは、ウェブ上の情報をそのまま、スプレッドシートの中に表示する(参照する)機能だ。今さら言うのもなんだけど、WWW(ワールド・ワイド・ウェブ)は、リンクによって、他のところにある文書を参照できるしくみだ。私が「GoogleLookup」に注目するのは、誰もが自由にインターネットに蓄積された智を利用できる、ひとつの仕組みだからだ。これは、もちろんGoogleの検索技術がかなり洗練されてきたことの証でもある。で、GoogleLookup のような、すでに衆智の事実としてコンセンサスがとれている事柄を引用、参照する場合は問題がないが、この機能を拡張していくと、知的所有権の問題がついてまわる。
前置きが長くなってしまったが、インターネットが登場するよりも、遥か前、パーソナルコンピュータが登場するよりも前、1964年にテッド・ネルソンという人が、ハイパーテキストで結ばれた世界を実現するシステム「Xanadu(ザナドゥ)」(桃源郷の意)を考案していた。
「Xanadu」は、衛星回線を使い、全世界のコンピュータを結び、地球上のどこからでも自由にハイパーテキスト構造のデータベースにアクセスできることを目標としていた。テッド・ネルソンの夢みた「Xanadu」は、今のインターネットそのものと言える。
同時にテッド・ネルソンは、「Xanadu」のような世界では、著作権や著作権使用料の支払いをどうするべきかが大きな問題になるとも考えていた。誰もが自由に情報を使えなければならない。しかし著作権、知的所有権は保護しなければならない。それを解決する手段のひとつが「transcopyright」という考え方だ。
「transcopyright」とは、どういったものか、ここで詳しく述べることはできないので、興味のある人は「transcopyright Japanese Manual」を参照してほしい。非常に端折って説明すると、ウェブ上などで誰でも自由に、他者の情報を引用し発表することができる(transpublishing)。このとき、引用元:オリジナルの引用に対して課金(micropayment)が発生する。
もちろん、ひとりひとりの利用者に、micropaymentを支払えというのは無理がある。インターネットは互恵の精神で作られている。コンピュータをインタネットに接続するのは自由だが、その設備と環境は自分で整えなければならない。自分の利益が他の多くの者の利益にもつながる。これがインターネットが急速に発展してきた理由だ。
GNUのフリーソフトウェアは、作者が著作権を行使せず、そのソフトウェアを「パブリックドメイン」(公共財)とすることを目的に開発され、著作権法で原則禁止となっている複製や配布を認めるところから「Copyleft」という考え方で流通してきた。
Googleは「智の共有」という理念の元、Google Book Searchや、Google Scholarで過去の書籍などをスキャンして全文検索ができるシステムを作っているが、当然のように著作者や出版社などから反発があり、告訴される場面も多い。YouTubeの買収によって、さらに著作権を含む問題は大きな障壁となっている。
そこで、GoogleAdsence のように「GoogleCopyleft」として、誰でも自由に引用(文の引用はある程度まで許されているけれど、とくに画像や、楽曲など)をできるようにし、そこで得た広告収入などの一部を著作者などに(micropayment)として支払うシステムを構築できないものか。テッド・ネルソンが夢見た、桃源郷(Xanadu)は、いっぽうで実現したのに、もういっぽうの(transcopyright)という考え方は、まだ実現していないのだから。
こういったシステムを一民間企業のGoogleにまかせてもいいものか。また、実際に作り上げてしまったとしたら、それはそれで問題になると思う。だけど、Googleなら、やれるかも、という期待感がある。なにせ、衛星画像の使用料が5億ドル、約580億円だというのに、Google Earthを無料で提供しているGoogleだからだ。インターネットは、これまでも不完全だけど、とりあえず、やってみるという文化があった。こういった問題が解決されるのを、いつまでもじっと待っているわけにはいかないじゃない。まあ、酔っ払い爺の私が薄くなった毛髪と思考力で考えるまでもなく、すでに多くの人がこの問題を考えているのだと思うのだけれど……。
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