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2012.11.27

[書評]α版 『ご冗談でしょう、ファインマンさん』

 cakesの連載書評8回として今日『ご冗談でしょう、ファインマンさん』が掲載された(参照)。
 この機に同書以外の本や彼の時代の本などもいくつか読み、原爆開発の歴史も含めて、いろいろ考えさせられた。そうした思いをうまくまとめることができるのか、書きだしてみると意外に難しいものだった。考えている時点の注目面が前に出てしまう。小林秀雄ではないが、書かないと考えは見えてこないものだということでもあり、何か書いてみるなかで、一つの観点でまとめたのが、このα版の原稿である。が、ボツとした。編集部からのダメ出しではなかった。書いてみてからこれは違うという違和感に苦しめられ、現在の掲載原稿に改めた。
 そんなもん公開するなよというのも道理ではあるが、メイキング映像ならぬメイキングcakes書評の舞台裏の一コマとして、ご愛敬くらいに受け取ってほしい。無料のブログを書くことがご愛敬というつもりはなく、有料対無料というつもりでもない。この基調はこれで書いてみたものだが、cakes書評では自分なりの連載ということの内的なテーマ感覚を持ちたいので、そこからは反れるようにも思っただった。

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書評『ご冗談でしょう、ファインマンさん』α版

 パズルと人間知性の限界をテーマにしたアニメ作品『ファイ・ブレイン 神のパズル』で、主人公・大門カイトは幼なじみの井藤ノノハにいつもこう叱られる、「このパズルバカ!」。明けても暮れてもカイトはパズルに夢中。ほかのことをしないからだ。そんなパズルバカでも、量子電磁力学の発展に大きく寄与したとして1965年、朝永振一郎、ジュリアン・S・シュウィンガーとともにノーベル物理学賞を受賞したのが、リチャード・P・ファインマン(Richard Phillips Feynman)である。
 マヤ文字の写真も彼にはパズルに見えた。せっかくハネムーンのメキシコ旅行なのに、ホテルにこもって現地購入したマヤ文字書籍の写真解読に没頭。愛想を尽かした新妻はマヤ遺跡を一人見て回っていた。
 ファインマンはマヤ文字が解読したかったのだろうか。そうではない。書籍にはスペイン語の解説も付いていて、すでにその部分は解読されていたはずである。なのに彼はあえてそこを紙で覆ってパズルにした。パズルと見たからには自分で解かないと気が済まない。
 ファインマンは我流でマヤ文字を解読していった。規則性のある数字に着目したのもパズルバカならではのこと。新婚旅行を終えてからもマヤ文字の数字解読に熱中。そして、わかった、金星周期だ、月蝕周期だ。満足いくくらいまで解読できてから、覆っていた紙を開き、スペイン語の解説を読んだ。なーんだ、でたらめなことが書いてある。ファインマンの解読のほうが正確だった。
 この愉快な挿話は本書『ご冗談でしょう、ファインマンさん』()にある。翻訳の文庫本だと下巻の「物理学者の教養講座」である。ほかにも知恵の輪を渡されたかのように、彼は手の先に鍵があったらこじ開ける。ダイヤル錠なら数学的に解く。この話は上巻の「二人の金庫破り」にある。あきれたパズルバカだが、彼の専門、物理学でも本質は同じである。
 量子力学も彼にとってはパズルである。いや、だれにとってもそうかもしれない。たとえば有名な「二重スリット実験」という問題がそうだ。ユーチューブにわかりやすいアニメの解説もあるが、簡単に説明したい。

 昔のテレビに使われたブラウン管の後部には電子銃があり、そこから発射された電子がブラウン管の画面に当たると像を結ぶ。ブラウン管は電子の流れを磁力で制御するのだが、二重スリット実験では、電子を縦に並んだ二重のスリット(細い縦の隙間)に向ける。どうなるか?
 スリットが一つであれば、スリットをすり抜けた電子が縦の一本の線を描く。するとスリットが二つ並んでいたら二本の縦線が描けそうだ。が、実施すると縦縞模様になる。なぜか。たくさんの電子を同時に当てたから飛んでいる最中に干渉したのだろうか。では、電子を一つずつ当ててみる。それでも縞模様になる。一つの電子が同時に二つのスリットを抜けた。
 なぜ電子がそのような不思議な動作をするのかについてはわかっていないが、この現象、つまり量子力学的な現象をどう表現するかについては、3人の物理学者による3つの解答があった。ハイゼンベルク、シュレディンガー、ディラックである。ファインマンはこのパズルを「量子力学の核心(the heart of quantum mechanics)」と呼び、自力で挑んで4人目の解答者となった。
 ファインマンは、二重スリット実験のような量子力学的な現象に対して、粒子はそれが一粒であっても、あたかも多数の粒子のような確率分布を示すのだから、粒子の動きは「可能性の総和」として考えられるとした。そこで無数の経路を総和したらよいとした。総和の計算は積分を使うので、「経路積分」という手法を示したのである。これが若い日のファインマンの物理学業績となった。
 ファインマンは後年『ファインマン物理学』という教科書も書いているが、その『量子力学』では二重スリット実験を例にして、量子力学の不思議さを解説している。多少なりとも物理学に関心がある人なら、ファインマンと聞けば、経路積分とファインマン・ダイアグラムを思い出すだろう。
 そうした知識があると、上巻「アマチュア・サイエンティスト」の話もいっそう面白い。ファインマンがプリンストンで暮らしていたころ、屋内にアリがぞろぞろとやってきた。彼はその経路がどのように形成されるか、いろいろ実験して解明し、ついにアリを追い出す独自の手法を考えついた。この人、アリでも電子でもパズルのように見えるなら解きたくなってしまうのだ。
 飽きもせぬパズル的な好奇心は女性にも向かう。いかにしたら美女とやれるか?パズル的に突き詰めていく。やるには、優しくするか、おごってみるか。
 それ以前に、そもそも美女とやることの解答なんてあるのだろうか?ファインマンが解法に行き詰まってその道のプロから手口を伺う話が上巻「ただ聞くだけ?」にある。では解答。その章題どおり、ただ聞くだけ、なのだ。若い日のファインマンはバーに美女をさそった。


 バーに入って腰を下ろそうというとき、僕は思いきって、「飲み物をおごる前に聞きたいことがあるんだけどね。今晩僕と寝てくれるかい?」と聞いてみた。
 「ええ。」
 驚いたことに、あのレッスンはごく普通の女性にも、ちゃんと通用するのだ!

 すごいな。私も同席した女性に「今晩僕と寝てくれる?」と聞いてみたい気がしてきた。できるのか?ええと、ここで私は本書のタイトルを思い出す、『ご冗談でしょう、ファインマンさん』。
 本書には、物理学がどうのとか、ノーベル賞が学者がどうのという以前に、まさに「ご冗談でしょう、ファインマンさん」と言いたくなるような話がてんこ盛りになっている。気が沈みそうになったとき、ふっと開けば快活に笑うことができる。
 ファインマンは量子力学のように不思議な人だった。合理的な物理学者として、えせ科学や気取った文化人へを嫌悪したが、不合理な神秘志向も持っていたことが本書からうかがえる。
 オカルトと言ってもよいだろう、ジョン・C・リリー(John Cunningham Lilly)との交友の挿話からは、感覚除去タンクによる幻覚に関心を持っていたことが語られる。そこにロバート・モンロー(Robert Monroe)の名前はないものの体外離脱体験への関心があった。モンローと関係するエサレンも本書に登場する。また、ファインマンが関係した演劇で、小道具に象牙を借りるという下巻の「パリではがれた化けの皮」では、ワーナー・エアハード(Werner Erhard)が登場する。邦訳では「神秘思想家」と訳注が補われているが、いわゆる人格改造セミナーの原点を生み出したグル(カルト的指導者)である。
 ファインマンは、いかがわしいニューエイジ運動との関わりを「カーゴ・カルト・サイエンス」と呼び、その章題のついたカリフォルニア大学卒業式辞では「えせ科学」として批判している。だが、そこに落ち着くまでの軌跡には複雑な心情があった。
 愉快なファインマンさんと不合理なファインマンさんは確率的に分布している。その観点から『ご冗談でしょう、ファインマンさん』を再読すると、人生の不合理な痛みを越えるための笑いの意味と、自分という存在のパズルを自覚する。ファインマンはそのパズルも解いてみせたのだった。
 
 

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コメント

愉快なファイナルベントさんと不合理なファイナルベントさんも確率的に分布しています。人不合理な痛みを超えるユーモアはファイナルベントさんの得意技。誰もが生まれてきたことに意味がありますか?

投稿: September | 2012.11.28 13:57

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