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2012.11.28

[書評]20歳の自分に受けさせたい文章講義(古賀史健)

 これはすごい本を読んじゃったなというのが読後、第一の感想。文章技術の本は古今東西いろいろあるけど、ここまで「文章を書く」技術の手の内を明かした本はないんじゃないか。ライターの企業秘密だろ。

cover
20歳の自分に受けさせたい
文章講義
(星海社新書)
 この本を読んだことは秘密にして自家薬籠中の物としたいな、というのが第二の感想。そんなケチなこと言わずに、すごい本は紹介したらいいじゃないかが第三の感想。もう一つ加えると、わかりやすく書かれているけど、この本を理解することと、実践することは、ちょっと別かもしれないということ。
 難しい本ではない。表題に「講義」とあるが、講義録をもとに整理して書かれた本といった印象だ。後書きで知ったが、「文章の書き方」といった内容の長いインタビューの過程で「それ本にしましょう」ということで出来た本らしい。形式を変えて演習を付けたら文章講座の教科書にも使えそうだ。
 この本を私が知ったきっかけは、cakesに連載されている「文章ってそういうことだったのか講義」(参照・有料)だったが、連載を読みながら、最初はふーんと思っていた。率直に言うと回を重ねてもう連載も最終回になったが、「ふーん」の先が落ち着かない。そこでもとになっている本書を一気に読んでみたら、ようやく、がっつんと来た。連載と書籍とネタは同じだし、連載のほうが要点がまとまっているのに、なんでこの違いがあるのか。書籍というのは、依然パッションを伝える媒体なのだろうか。
 言い方はすごく悪いのだけど、売文屋の文章技術に徹している点も感服した。本屋さんに並べられている小論文の書き方とか、大学の先生の余技で書かれた文章技術とかではない。あの手の文章技術は、ブログのネタとかでしばしばリストにまとめられている。文章は短くで書け、受け身を使うな、論理的に書け、主語を省略しない、係り受けは明確にせよ、などなど、寄せ集めの豆知識といったもの。
 本書は、詳細な文章技術も紹介しているが、まずは文章を書くというのはどういうことかという原点から始まり、それは「気持ちを文章に翻訳することだ」と展開する。そのプロセスは「翻訳」として捉えられ、「考える」という過程なのだとも説かれる。
 売文屋というのは、実は文章を売るのではなく「考え」を売るのである。自分が「考えたこと」「理解できたこと」、それを売る。そのために売れる形にする。その形が文章なのだということを明かした書籍は、ああ、言っちまったな感があるが、考えというのは、伝えてこそ力になりうる。
 具体的にどうやって?
 いろいろヒントがある。気持ちを翻訳するには、まず誰かに語ってみたらいいともある。相手がいないなら、表題のように10歳若い自分を思って語ってごらんとも。また、想定した一人に伝えるように書きなさいとも。とにかく書かなければ始まらない。

 きっとこれからますます「書く時代」「書かされる時代」になるだろう。メール、企画書、プレゼン資料、謝罪文、就活のエントリーシート、ブログ、SNS、そして今後生まれるだろう新しいコミュニケーションサービス。われわれが文章を書く機会は、この先増えることはあっても減ることはない。

 重要なのは、書くことが売文屋に限定されず、新しい時代で誰もが必要とする「考える技術」となったことだ。
 私がいる、あなたがいる、存在する、ということが、気持ちや考えを形を通して伝える形の表現に変わっていく時代になる。文章の形が「私」という存在であり、「あなた」という存在になる。熾烈といえば熾烈な世界だ。
 ところで売文技術がここまで公開されたら売文屋は食えなくなるのか。それ以前に著者のネタが底を尽いただろうか。著者は技術を書き尽くしたと言ってのける。

 それでもなお「書く」というプロセスを通過した人間とそうでない人間とでは、対象についての理解度がまったく違うのだ。おそらく今後のぼくは、本書の執筆を通じて得た知見を元に、これまでよりずっと面白く充実した文章を書けるようになるだろう。ぼくが文章を”武器”呼ばわりをしているのは、そういうことである。

 書く・考える、そのプロセスを、文章という目に見え、他者に読まれる形にした著者は、そのことで技術をいっそう深めたという。自負はそのまま受け取ろう。
 グルジェフという神秘家の箴言に、記憶によるので正確な引用ではないかもしれないが、「あなたが成長したいなら、誰かをあなたのレベルにまで引き上げなさい」というのがあるが、著者の自負に見合う分、読者の文章技術も上げるように実践が求められる、というわけだ。
 
 

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コメント

「写生」の方が重要でしょ。なんか、数理的文章とか公理的文章が人気があるけど、理を文章にしても、現実が疎かになるだけ。

投稿: | 2012.11.29 06:13

考える前に、目の前に見えていることを分類し記憶する方が現実的。考えるなんて、哲学者のなかの天才だけにさせておくのが一番、笑。

投稿: | 2012.11.29 06:15

極東ブログ様の文意に大賛成。ただし、日本人は「空気」で動く民族ですから。自分の考えなんぞ、ありはしない。他人の顔色をうかがって、大丈夫だと思ったら自分の意見を言ってみる(直後にすぐ他人の顔色をうかがってみたり)。そんな根無し草の国民に、文章の教科書なんぞ必要ありませんよ。日本はもうじき滅びますから。自分の領土すら守れない国(あれ?日本って国でしたっけ?)は、政治はアメリカ、経済は中国の言論が、そのまま日本の世論になるんです。だいたい、今の日本に、(極東ブログ様を除いて)まともな物書きなんて存在しますか?匿名天国(扇情的ネット掲示板)、無責任国家(ハトポッポが首相でしたから。トラスト・ミー)、ニッポン船・沈没丸。

投稿: 大東亜 | 2012.11.30 19:16

今回のエントリは、別の意味でも興味深いです。私は当ブログ愛読歴6-7年くらいになりますけど、残念なことにほとんどのエントリで実は2-3割程度しか理解できてない。おしなべてfinalventさんの文章は何を言っているのか、結局何が言いたかったのか判りにくい。それでも、取り上げるネタやその切り口などは毎回とても興味深いので何とか理解しようと頑張って読んでいる。
それはつまるところお前の理解力のせいだと言われてしまえばそれまでです。器用なfinalventさんのことだから理解度をコントロールして読者をフィルタリングしているのかもしれませんが(こんなつまらないコメントは書き辛くなりますしね)、実は私のように感じている読者は意外と多いのではと察しています。
時々雑談ネタなどで皮肉なほどに丁寧な描写があったりしますけど、読みやすい文章というのはそういう方向ではないと思います。そのつもりでもないと思いますが。
頭の悪い私にはここの文章がまさに硬水のごとく飲み込みづらい理由を分析して示すことなどできませんが、繰り返しますがテーマにはとても興味を惹かれることが多いので、この本に共感を得られたとのことであれば、ぜひブログ内容にも反映して欲しいと願う次第です。

この本はぜひ読んでみたい。

投稿: いち読者 | 2012.12.02 11:31

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