雑感、関心がすれ違っていく
ブログを初めてもうすぐ5年になる。よくやっているなというのと、このところのエントリの書けなさからするともう終わった感もないわけでもない。そのあたりは自分のありかたに自然なままで推移していくしかないだろう。個人のブログなんだし、自分が多少なり社会に問い掛けたい(あるいはそれをもって世相のログとする)という以上には目的のないブログでもあったし、その限界で終わりというものは必ずある。
ただ、「書けなさ」感みたいのは、ある程度は自覚的だ。世間の物事に自分の関心がなくなっている。そしてさらに関心を持たないようにしている自分もいる。そのあたりことを、この間、書かなかったなということの言い訳のようにざっとメモ書きしておきたい。
どこからでもいいのだが、連想のようにして思いつくのは、八王子で起きた無差別殺人だろう。凶器は包丁だったのでさすがにこれを取り締まれというナンセンスな意見は見かけなかった。秋葉原の事件ではネットのリアクションには共感のようなものもあったように思えたが、今回はこれもさすがに見かけなかった。あったのかもしれないが少なかったのだろう。無辜の、市井の人が殺害されてしまう社会というのは問題は問題だし、大手紙も社説で触れていたのを読んだが、特に共感もしなかった。対処案としては、日本社会の人間関係の根幹の問題だというのが上がっていたが、それこそ言っても詮無い。読売新聞だったか私服警察官を街に増やせというのがあった。そういう発想にもなんと言っていいのかわからない。映像ニュースは意図的にほとんど見なかったがラジオまたは音声だけのNHKのニュースでは、街中の監視カメラが容疑者を撮影しているものが多かったようだった。そうした監視カメラは今回の事件の抑制には繋がらなかったわけだが、その後のニュースという物語の素材にはなった。またニュースなのに被害者の小学生時代の作文も聞いた。ある種のディテールが語られることで、事件のリアル感を失っていくような奇妙な感じがする。
ネットの話題だが、毎日新聞の英語向けサイトの話題が下品だということで、ネットからはバッシングがあり、結果的に毎日新聞も謝罪?というのか、公式に記事の不適切性を認めた。私はこの件についてもほとんど関心がない。該当の下品な記事を読んでいないこともあるが、ネットなんて下品な記事に溢れている。私のブログだってその部類だろう。私は自身を著名なブロガーなりアルファブロガーなりとも思っていないが、そういう幻影から揶揄や攻撃は受ける。しかたない面もある。我ながらちょっと下品だよな、俺、このブログ、しかたないな、と。
毎日新聞がアルファブロガーの特集をしたとき、私にはまったくのお呼びはなかった。泡沫ブロガーだからということでもいいが、もうオフレコでいいかもしれないので言うと、NHKクローズアップ現代で以前アルファブロガー特集があったとき、このブログは内容に出る可能性があった。結局は没になり、画像だけが放映され、そのことがネットの嘲笑の対象にもなった。どうでもいいよと思う。毎日新聞からも呼ばれたいとも思わないのだが、なんとなく、切込隊長(山本一郎)さんと天漢さんと私には、ブロガーということでお呼びをかけるキンタマのあるマスメディアはないんじゃかなというのは少し思った。切込隊長さんは文春などにも執筆する言論人だからそうでもないかもしれないが、ブロガーとしての彼の「毒」や、天漢さんの「毒」みたいのは、マスメディアの論調には合わないだろう。そのズレにかろうじてブログの良心というのか、いや良心などではないにせよ、なにかブログの精神に近いものがあるように思うが、そのあたりは自分の考え過ぎかもしれないとも思うし、私についていえば、「ブログ」論的な話題にはそれほど関心はない。私は私のブログを書くことがそれ以上の関心事だ。
話がそれたが、毎日新聞の英文の下品サイトだが、何が問題かというと、それが毎日新聞に強くリンケージされていたからなのではないだろうか。ドメインもサブドメインだったようだ。その感覚が毎日新聞にはなかったのだろう。ネットからバッシングされた当初、毎日新聞側は、「え? あれ、編集組織違うし」というような他人事感はあったように思えた。確かにこれが独自ドメインで、毎日新聞ブランドでやってなければそれほど問題にはならなかったのではないか。独自ドメインのZakzakのサイトなど、下品でなかったら誰も見ないだろうし。いや、毎日新聞の今回の問題はそういう下品さではなく、日本人の自虐的な部分にあったということかもしれない。だったら、そういうのもあってもいいのではないかとも少し思った。
先日深夜地震があった。ちょうどそのおりパソコン作業をしていたので、そうした状況で地震が発生した常として、即Twiiterに書き込みした。ついでに話題の流れをみるとすでにあちこちで地震の声が上がっていて、北海道からもというので、すぐに震源は東北かなとわかった。Twitterは最近よく壊れて使い物になんないよとも思うのだが、こういう面ではさすがだ。地震警報のシステムに活かせないものだろうか。
当の地震は大きい割に被害は少なかったかったと見ていいだろう。深夜だったせいもあるという話も聞いたが、都会の深夜ならそうもいかないだろう。揺れの質によるのだという話も聞いた。れいによって大手紙の社説は地震はいつ起こるかわからない気のゆるみがないようにというようなことを書いていた。他に何も書けないだろうなと思った。個人的には耐震性の少ないとされる建造物が今回の地震でどう持ちこたえていたか調査してみたらいいのではないかという思いはある。が、そのあたりはちょっとタブーな臭いもしないでもない。
タブーといえば、タミフルの副作用についてまた否定的な結果が出た。厚生労働省省研究班が実施した二つの最新の疫学調査が報告され、厚生労働省専門家作業部会は十日「服用と異常行動の因果関係は見られなかった」などとした。英文報道でも私は読んだ。というか、英文側の印象では、気になる日本での動向だがやっぱり想定範囲内ではないかという安堵のような視線を感じた。これをもって一時期の毎日新聞とナニワの浜医師らによるタミフル副作用の騒ぎがマスメディアの馬鹿騒ぎだった、と断じることができるか、といえば、公平に見ればそうとも言えないだろう。ただ、馬鹿騒ぎだった要素はあるなとは思う。そのあたりはマスメディアが少し反省するだろうかというと、たぶんしないのではないか。つまり、この手の問題もまた関心をもってもあまり意味がない。
つらつらと書いていたらそれだけで長くなった。エントリを書き出すにあたり、思いついたキーワードを見直すと、G8、ホリエモン裁判、大分県教育委員会、地上波デジタル、著作権問題、カラジッチ、ダルフール危機、竹島問題、中国とあり、どれも書こうと思えば書けないでもないし、以前はそうした思いを毎日追っていたようにも思う。が、顧みて私が書いてどうということもない。というか、ブログ論はどうでもいいと言ったものの、ブログが何を取り上げるかというのと、個人の関心と社会への訴えかけのバランスみたいのは、どことなくむずかしい局面にはあるような気がする。
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コメント
世界が
①自分の身の回り
②テレビ界
③ネット界
の3層に分かれていて
実は①しか
あんまり直接自分の人生には関係ない
ってことに気付いてる人は
実のトコロ少ないかも知れない
投稿: | 2008.07.27 21:10
finalvent先生が、エントリーを書き続けてくださっているだけでうれしい。それだけです。ただ、このブログの管理については、finalvent先生の専権事項ですから、当然finalvent先生のご意思にお任せします。
投稿: 悪意なき利用者(悪用者?) | 2008.07.28 09:48
例の伝でまたしばらく出奔されてみては。
サイゴンとか。
投稿: UG35 | 2008.07.28 15:20
・・・毎日新聞のは下品なんてレベルじゃないですよ。
人身売買とか猟銃で児童虐殺とか
投稿: | 2008.07.29 11:35
ご苦労様です。
肌触りのようなものが作り上げてしまう内心のブログ論が、結局なにかしら外に影響するブログになってしまうとしたら、
まさか、それをわざわざ取り上げて非難する人なんていないだろう―と、僕も、一コメント氏に過ぎませんが、思っていた頃がありました。
期待はものの見事に打ち砕かれちゃいましたけど、倫理の所在と言うものは、おかげでなんとなし分かるようになった気がします。
「ズレに後押しされる」と言うと、何か性癖めいた響きを感じないではないですが、僕がネットをそろそろと徘徊するのはおそらくそういった理由です。ただそれも「人間、言葉は選ぶものだろう?」という素朴といおうか(ネットでは)幼稚といおうか―信頼が基底にあってしていたのだと、大体今年のなってから、「ズレ」を前にして思い知って…唸ることも少なからずあり…
元ハナ毛さんだって言葉は選んでいた。いい「ズレ」の範疇にあった―と、僕はそのように思っていましたが、残念ながら界隈での評価は違ったようです。まぁ、悪乗りが無かったとは言いませんが、終風先生が指摘されたような義侠の心は匂い立っていた。
こうして培われていく肌触りが文に乗って、例えば「アレこそが…」と感慨を語る。
僕はそういった気風を残す諸兄のブログが、失われて欲しくはないですね。
投稿: 夢応の鯉魚 | 2008.07.29 15:18
マスメディアに限らず、だれもかれもキンタマを失っています。これは、正式な軍隊を持っていないことも一因ではないでしょうか。警察や消防や裁判所の存在しない社会がほぼ不可能であるように、軍隊の存在しない国家というのも不可能なのだと思います。謀略を行使しない権力者の存在を夢想するようなものです。
戦後、官僚主導で、規制と業界協調主導の経済成長を実現して、みんなが奴隷の安逸に満足してしまったツケが今回ってきているのかもしれません。
キンタマのあるなしの判定のもっとも顕著な事例が日本の首相の靖国神社参拝問題かもしれません。わたしは、靖国神社に参拝しない首相でも、行政手腕のある首相ならその首相はよい首相であるという考えの持ち主ですが、靖国神社に参拝する意思のある首相に対して、中国と韓国が抗議しているから日本の首相は靖国神社に参拝すべきではない、という議論はキンタマの無い議論だと思います。そして、頭のよい人たちほど日本の首相は靖国神社に参拝すべきではないという意見の持ち主が多かったことを思い起こすと、人間素朴さというのは大事なものだなあと2001年から2006年を振り返ってそう思っております。
投稿: キンタマのあるなし | 2008.07.30 07:38
>>鯉の中の丼
>元ハナ毛さんだって言葉は選んでいた。いい「ズレ」の範疇にあった―と、僕はそのように思っていましたが、残念ながら界隈での評価は違ったようです。まぁ、悪乗りが無かったとは言いませんが、終風先生が指摘されたような義侠の心は匂い立っていた。
お久しブリブリ。「言葉を選ぶ」という感覚は、余り無いですよ。今までの拙い人生の中でチクチク蓄えた言葉がただ出ただけの話で。だから床屋星団なわけで。「界隈の評価」ってのは、何処のことですか? 何処でどう言われ何を思われてるか迄は知りませんから、教えていただければ幸い。
あとね。今夜のバラエティー番組観てたら「辞める辞める言っときながら絶対辞めませんから!!」みたいなネタでプチ笑いを取ってる芸人さんが居て、「分かってるなぁ」と思いながら観てましたけど。
そういうセンスが無いか薄いか咄嗟に出ないタイプの人からすると、私なんて只の嘘つきでしか無いでしょ。何遍も辞める辞める言っといて(ペースの増減はあるけど)全然辞めないんだから。
それに。最初の最初、いの一番に「私は只の馬鹿なんだから碌なことも大したことも一切言わない・只の床屋星団です・大したことはそれなりの学問経験職歴を積んだ人が居るんだからそっちが言えばいい」
…って言ってるけどね。「そこ」を下敷きにした上での暴言暴走なら幾らでもやった覚えはあるけど、そこを下敷きにしない暴走暴言はやった覚えが無いですよ。
だから、少なくとも緑運動公園で徘徊し始めた初期の頃から私の軽挙妄動を知ってるなら、それ相応に処してそれ迄なんですよ。私は只のきっかけ屋で、それを元手?か何かにして、発展させて儲け話に変えたり仕事切り回したりするのは他の人のやることなんだから。
「そこ」に一切手出ししないことが、私の存在意義みたいなもんでしょうね。だから別に、他人がよく言おうが悪く言おうが、それそのものは私にとって興味の対象外ですよ。何を言われたかは知りたいけれど、言われたから何なんだ?は、無い。そういうポジションです。
投稿: ハナ毛 | 2008.07.30 22:52
弁当翁さんは頑張って吉だと思いますよ。逃避や出奔も悪くないけど、でも結局そこで得た何かを、またどーにかして表現するでしょ。それが生き様でしょ。だから、そういう流れの中に於いて気持ちがブレたり体が動いたりするのは、もうそれでいいと思いますよ。
何をやっても何処に逝っても、それでいいと思います。
投稿: ハナ毛 | 2008.07.30 22:59
それでなくても私=ボケてる馬鹿って意味では何も変わらんのですけど、最近「これ・それ・あれ」が自分の中で複数並列的にいろんな意味を持っちゃってて、それを前後の文面の脈絡考えずにその瞬間の思いつき&勢いのまま書いちゃって、爺さん婆さんが何でもかんでも「これ・それ・あれ」で全部表現しようとして破綻する系の会話や文章書きを、よくやりますわ。
個人主義?の行き着くところはボケ老人かな?って思います。人面獣心とも言いますか。
投稿: ハナ毛 | 2008.07.31 14:52
穴黒がヌけておる。
クローしてカッたのにダメになるなんてシッたら。
ねじあんさんでもキッとオコるにチガーいない。
シンセツなヒト、オシエてあげてネ。
投稿: おひさ | 2008.08.20 01:57
グーグルでは今、検索しなくても、検索窓にキーワードを少し入れるだけで、そのキーワードに関連するサイトがいくつくらいあるか表示してくれるので、ためしに表示サイト数を調べてみたのですけれど、
「極東ブログ」→ 641000件
「天漢日乗」 → 225000件
「小飼弾」 →1580000件
となっておりました。検索されるサイトについては具体的には何も検討しておりません。
内容を無視して数字だけ見て判断するのは愚かしくはあるのですけれど、テキストの引用だけを見れば、極東ブログは、天漢日乗を圧倒しているし、小飼弾さんが、あれだけ新聞や雑誌に自分の名前を売り込んでいるのを考えたら、実質的にインターネット上での評判だけで、これだけ点数を稼いでいる極東ブログはそれなりに世間から高い評価を受けているのだろうと思います。
finalvent先生は、カギカッコ付きでないアルファブロガーの一人なのだと思いますよ。少しも謙遜する必要などありません。
投稿: アルファブログ? | 2008.11.05 14:30
11月6日のデータなのですけれど、とりあえず参考になるかとも思われるので、報告させていただきます。
キーワードを引用、言及するサイト数は、グーグルでは、
「極東ブログ」 →641000件
「中島みゆき*松田聖子」→620000件
で、極東ブログは、みゆきさんと聖子さんが共演した基礎化粧品の宣伝広告くらい世間で取り上げられているのです。すごい、すごい。
また、
「たけくま」→906000件
「工藤静香」→905000件
となっていました。インターネットが出現しなかったら、たけくまさんが静香さんと同じくらいメディアで話題になることなどありえなかったと思います。
また、
「中島みゆき」→1810000件
「松田聖子」 →1860000件
「中島美嘉」 →2890000件
で、インターネットでの取り上げられ方は、みゆきさんと聖子さんは同じくらい。中島美嘉さんの場合は、既存メディアでの取り上げられ方もインターネットに反映していると思われます。
ブログでは、
「小飼弾」 →1580000件
「切込隊長」 →2020000件
「きっこブログ」 →2030000件
「ひろゆきブログ」→4280000件
で、インターネット強者を目指すなら、どうもひろゆき日記の路線をねらうのがベストみたいです。
なお、おもしろいのが、
「佐々木俊尚」→1000000件
で、コンセプトを提示するタイプではないトレンドウォッチャーの佐々木さんの話題もずいぶん多いみたいです。
まあ、釣りというのは、サオやエサやハリの選択より、ポイントさがしの方が大切なそうなので、インターネットメディアで大魚をしとめたい方は参考になれば参考にしてください。
投稿: 追加報告 | 2008.11.12 07:05