敷島の大和心を人問はば朝日に匂ふ山桜花
昨日、よい天気なので桜を見に行った。世人は、もう関東の桜は終わっているだろうと思っているかもしれないが、それは染井吉野(ソメイヨシノ)の話。山桜は里桜に一週間ほど遅れて見頃になる。八重桜についていえば、これからが本格的な季節になる。いや、染井吉野だって、高雄山ならこれから見頃だったか。
毎年、三月も中旬になると、メディアでも桜前線という話題が盛り上がるが、今年の桜の開花は随分遅れた。と、ここで言う桜は当然ながら染井吉野のことだ。染井吉野は、江戸末期に染井の植木屋が売り出したものらしい。染井は東京豊島区巣鴨・駒込あたりの旧地名で、染井霊園などにその名を残している。
染井吉野は大島桜と江戸彼岸との雑種。つまり江戸の花好きが人工的に作り出した桜でもある。江戸時代というのは不思議な時代で、こうした特殊な美学を元にしたバイオテクノロジーが盛んだった。現代日本ではそれほどは顧みられないが朝顔などもいろいろと改良されている。
染井吉野はその美の追究が先行したのか、生命体としての成熟を待たなかった。実生にはならないのである。よく見ると染井吉野にも実が成るようだが、あれから木が育つということはないらしい。染井吉野を増やすには枝を挿し木する。つまり、日本の染井吉野の木はもとは一つのマザーをもっている一つの生命体である。クローンでもある。個体の寿命も短い。追記:花木の挿し木が特殊っていうことではないんですが。
染井吉野は、身体を分化してのみ増殖するという点で死を否定された生命体でもある。日本全国、そしてアメリカ、中国、韓国と、世界各地に散らばった染井吉野だが、生命体としてはただ一本の永遠の木なのだ。ミヒャエル・エンデ「はてしない物語」にアイウォーラおばさんという不死のイメージが出てくるが、染井吉野はただ美を与えるためだけに存在し、しかも死と美のイメージを振りまきながら、実際には次世代のために死ぬことが許されない不思議な存在だ。その存在は、ある意味、畸形でもあり、江戸が同じく作り出した蘭鋳のような奇怪さも持ち合わせている。と、いうのはさすがに考えオチ。
染井吉野は日本の歴史からすれば新しい時代の日本人の美感にも適合していたし、その後の百年の美観を先取りしていたのかもしれない。戦中の日本の美学には染井吉野の散り際のような要素が多く含まれているようでもある。
それでも所詮日本の歴史から見ればごく最近のことだ。日本人と桜の長い関わりは、日本人として長く生きていると遠く呼びかけられるように帰っていくところがあるように思う。
私は、染井吉野が嫌いではない。でも、山桜がより好きだ。山桜は、若葉と花が同時に開く。葉が先に出るようにも思えることから、葉を歯にかけて出っ歯を山桜と呼ぶ洒落もあったが、今では出っ歯なんていう言葉もあまり聞かない。
山桜の若葉は赤みがかかっていて、万華鏡を覗くように空に散らばり、その色合いは、花よりも美しい。いや、花とあいまってその美しさが極まる。
山桜への嗜好は、あまりいい表現ではないが、情の交わりとでもいうような官能的なものも潜んでいると思う。本居宣長の山桜への想いにも似たものを感じる。山桜というのは、その木、一本一本に肉感的な強い存在感がありそだ。
先の世花は如何なる契有りて斯許り愛づる心なるらん
宣長と桜といえば、標題の宣長の歌が有名だが、小林秀雄がいうように、この大和心は、近代以降人口に膾炙した趣きとは事なり、ただ、山桜が好きな想いが日本人だ、というくらいなもので、ポイントはまさに山桜というもの美しさにある。
と、小林秀雄の著作をめくっていたがなぜか手元に思い出の部分が出てこない。ネットにこうした話題などあるまいと思ったら、そうでもなく、本居宣長記念館(参照)のサイトにあった。先の歌もある。
宣長さんがね、本當に櫻にうち込んだのは、四十からだね、若いときから櫻が好きだつたとはいふが、四十からの宣長さんには、何か必死のものが見えるね、僕には。何といふか色合ひがちがふんだよ、それまでとは。僕もさうだつた、四十からだつた、やはりね、身を切るやうな痛切な體驗がないと、駄目だね、・・・・ただ、きれいだ、きれいだといふだけで、ちつとも食ひ込んで行かないからね。
この小林秀雄の言葉はまったくその通りだと思う。私も山桜が好きになったのは四〇歳を越えてからだ。その頃、沖縄で暮らしながら、山桜だけにはまるで初恋のように心が騒いだ。物狂おしいという感じだ。
現在桜の名所とされているのは、戦中から戦後にかけて日本人が育ててきた染井吉野が多い。だが、そうした桜の名所でも、桜守とでもいうのか、桜の思いを深く育てた庭師などがいたところでは、桜が染井吉野だけに偏らないように配慮されている。桜の季節が染井吉野だけで終わらないようにという配慮でもあった。それも日本人の心だった。
戦中から戦後に植えた染井吉野の寿命はもうすぐ尽きる。それに比して、山桜はより強く老いていく。日本人の心は近代を越えて生きるといった比喩でもあるかのように。
| 固定リンク
「雑記」カテゴリの記事
- ただ恋があるだけかもしれない(2018.07.30)
- 死刑をなくすということ(2018.07.08)
- 『ごんぎつね』が嫌い(2018.07.03)
- あまのじゃく(2018.03.22)
- プルーム・テックを吸ってみた その5(2018.02.11)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
マイドオセワになっております。
木の寿命、私たちは日頃忘れがちですね。
「戦中から戦後に植えた染井吉野の寿命はもうすぐ尽きる。」の表現、意味は読む人それぞれで捉え方が変わるでしょうが、その年齢の親を持つアタシの心にはズシンときました。
良い時代があり、繁栄の時があり、時代はやがて移り変わってゆくのも、私たちは忘れがちですね。昨日触れられていた国連の常任理事国入りの話ではありませんが、国際社会における私たちの本当の価値が、問われる時代が始まる、そんな気がします。
この国も「より強く」年輪をか重ねていって欲しいものです。もちろんそのためには、私たち一人ひとりが意識を怠らないことが重要なのですが。
投稿: Nagarazoku | 2005.04.18 12:20
はじめまして。
私も職業柄、サクラには親しんでいるのですが、できることなら、これ以上、ソメイヨシノばかり植えて欲しくないと思っています。
できる限り、様々な種類のサクラを植えて、数週間はサクラの開花を楽しむことができるような計画を今も望んでいます。昔の庭師にはそのような考えが多かったのですが。
サクラならソメイヨシノという短絡的な発想は、どうも殺伐とした、あるいは結論ありきの現代社会を反映しているようにも見えます。少し抽象的なコメントで申し訳無いですが。では。
投稿: 小島愛一郎 | 2005.04.18 17:56
我が家の庭には、元の持ち主が植えた八重桜が今満開です。
しかし、近所の公園、すぐ隣の納骨堂に植わってるソメイヨシノは
もう散ってしまいました。何れも地方自治体が整備したものです。
地方自治体が環境整備する度に、ソメイヨシノが増えまくってます。
投稿: ■□ Neon □■ | 2005.04.18 21:28
初めまして、
月下美人に種が出来ないのは長く謎とされてきたがすべてクローンなので生殖できなかったのだという話を聞いたことがありますが、ソメイヨシノも同じだったんですか。
オイラ的には桜よりも杏が好きです。森の杏を55歳にしてやっと見に行きました。
投稿: kokopy | 2005.04.18 22:31
>と、小林秀雄の著作をめくっていたがなぜか手元に思い出の部分が出てこない。
思い当たるところがあったので確認したのですが、小林秀雄『考えるヒント』(新装版)に収められている「さくら」という文章のことではないかと思います。新装版の196頁から一段落だけ引用します。
- 引用 -
この歌は、宣長が、還暦に際して読み、自画像に自賛したものだ。それはよく知られているが、宣長という人が、どんなに桜が好きな人であったか、という肝腎なことが、よく知られていないのは、どうも面白くない。それを知れば、この歌は先ず何をおいても、桜が好きで好きでたまらぬ人の歌だと合点して受け取れるわけで、そうすれば何の事はない、「やまと心を人問はば」の意は、ただ「私は」と言う事で、「桜はいい花だ、実にいい花だと私は思う」という素直な歌になる。宣長に言わせれば、「やまとだましひ」を持った歌人とは、例えば業平の如く、「つひに行く道とはかねて聞きしかど、きのふけふとは思はざりしを」というような正直な歌が詠めた人を言う。
- 引用終わり -
投稿: 左近 | 2005.04.18 23:10
ソメイヨシノは自然交雑によってできた品種であるというのが一般的な見解だとおもうのですが。
(参考)
http://www.pref.saitama.lg.jp/A06/BQ30/J4/J4_sakura3.htm
投稿: ryochan | 2005.04.19 04:13
こんにちは。せっかく、宣長の歌に言及されたのですから、大和魂や大和心にも言及され
ては如何でしょうか?もちろん、左近さんご指摘のように、私は桜が好きだという意味合
いが大切ではありますが、大和魂や大和心という言葉の発祥と使われ方は、現代人にとっ
て驚くべきことではないでしょうか。同時に、藤原家隆の「花をのみ待つらん人に山里の
雪間の草の春を見せばや」も、同じ精神の表れのような気がします。
投稿: へべれけ大王 | 2005.04.19 10:43
小林秀雄の’様々なる意匠’をネタに、ワイン批評を書いている最中だったので、トラックバックさせていただきました。
投稿: 海象 | 2005.04.20 13:09
所用で上洛し上賀茂社に詣でて参りました。山桜が映える晴天の元、競馬会の練習が行われ、うららかな一日を過ごすことができました。
投稿: synonymous | 2005.04.25 00:11
高雄山って高尾山のこと?
あそこそんな高くないから平地とあまり変りないんで4月下旬はもうダメポ。
投稿: 佐藤秀 | 2010.03.21 09:35