国松孝次元警察庁長官狙撃事件の裏にあるもの
この話は書こうかどうかためらった。私が書かなくても、誰かが書くだろうというのと、私でないと書けない部分がありそうな点だ。後者については、書いても誤解されるだけで、うまく書けないだろうが…。
話の切り出しは、朝日新聞系「オウム元幹部ら4人を殺人未遂容疑などで逮捕 長官銃撃」(参照)あたりがいいだろうか。意外に、若いネットの世代はすでにこの事件を知らないか、あるいは、この事件の持つ歴史的な感覚を持っていないだろう(批判しているのではないよ)。
国松孝次・警察庁長官(当時)が95年3月、東京都荒川区の自宅マンション前で銃撃された事件で、警視庁は7日、オウム真理教(アーレフに改称)の信徒だった警視庁の元巡査長と教団元幹部2人の計3人が事件に関与した疑いが強まったとして、殺人未遂容疑で逮捕した。もう1人の教団元幹部も別の容疑で逮捕し、銃撃事件について事情を知っているとみて調べる。警察トップが銃撃されるという日本の犯罪史上例を見ない事件の捜査は、発生から9年ぶりに解明に向けて重大な局面を迎えた。
ということなのだが、率直なところ、こんな話は、今さら、といった問題でもある。そのあたりは、「勝谷誠彦の××な日々」(参照)の今日7日のエントリがよく表現している。
ご存じのようにこの事件は今回逮捕された小杉敏行元巡査長が一度メディアに対して告白したもののそれを警察庁は認めなかったという「一度は終わった事件」である。
そして、勝谷は、当然ながらというか、北朝鮮との関連に思いをはせている。勝谷の表層的なレトリックの部分については捨象して読むといいだろう。つまり、一度は終わった事件がなぜ、今蒸し返されたのか。
それがどうしてここへきて寝た子を起こすようなことになったのか。当時と今とで変化したことは二つある。一つは小泉首相がブッシュに続いて金豚の狗にも成り下がったことであり参院選に向けてのなりふりかまわぬサプライズのために次々と国を売り渡していることである。明らかに北朝鮮が関わっていると思われるこの事件がここで急に解決に向かうこととそれとを結びつけない方が不自然ではないのか。もうひとつはあの事件当時の国家公安委員長が野中広務だったことだ。闇同和の帝王が警察のトップを務めていたということ自体笑うほかはないが北とのパイプ役でもあった彼が権力のラインから退いたことがどういう影響を与えているのかどうか。ことは単純に金豚に恩を売るということではなくもっと複雑な「ラインの付け替え」が行われているのではないか。
ジャーナリズムに関わった人間なら、勝谷のレトリックを除けば、特に驚くような話ではない。幾人かのジャーナリストはある程度まで食い込んだが、たぶん、ある鉄壁を前にしているはずだ。ちょっと下品な言い方だが、今朝の朝日新聞社説「北朝鮮――金総書記の小泉頼み」はこの観点から深読み出来そうなのだが、省略する。
問題は、しかし、そこではない。勝谷は北朝鮮との疑惑以前にもっと重要なことを、ちょっととぼけながら、想起している。
また今回逮捕された中に含まれている石川公一は法王官房長官という麻原の側近中の側近でありながら処罰らしい処罰を受けずにそのことから公安のスパイではないかという見方まで出ていた。彼は小松島の医者の息子で灘の後輩です。すみません。それがここへ来ての驚きの逆転逮捕劇である。
勝谷はこれ以上はここでは触れていない。朝日系の先のニュースではこうある。
殺人未遂容疑で逮捕されたのは、教団元信徒で警視庁本富士署の元巡査長小杉敏行(39)▽教団元「防衛庁」トップの岐部哲也(49)▽教団元「建設省」幹部の砂押光朗(36)の3容疑者。
教団「法皇官房」の事実上のトップだった石川公一容疑者(35)も、別の爆発物取締罰則違反容疑で逮捕した。
ここで、少し私も逡巡するのだが、小杉敏行元巡査長と言えば、苫米地英人(英斗)を外すわけにもいかず、実は、彼は、かなり明確にすでにこの問題を多方面で語っている。というか、語っても空を切っているため、しだいに脇が甘くなっているかのような印象すら受ける。ネットのソースとしてこれをリファーしていいのか悩むが、重要な証言なので、利用させてもらう。「実話ナックルズ5月号」での彼のインタビューだ。これはたまたま阿修羅サイトに転載されている。阿修羅サイトには私は率直に言うとできるだけ距離を置きたいのだが、そういう気取った状況でもあるまい(参照)。
オウムの洗脳をふくめ一大体系を作り上げたのは、法皇官房の石川公一元幹部その人です。石川元幹部は地下鉄サリン事件の謀議をしたリムジン謀議の場にもいました。これは証言されています。また、そのリムジン謀議がサリン謀議として今回の麻原の第一審で初めて認定されたことは記憶に新しい所です。その認定されたサリン謀議に参加したにも拘わらず何故か罪に問われず、いまも社会で生活をしています。灘高から東大医学部を出た彼こそ、オウムの洗脳を作りあげた張本人です。ナルコとニューナルコ。ニューナルコは記憶を消すやつでナルコは自白させる。これを発明したのは、林郁夫みたいに言われてますが、違います。これを発明したのは、石川公一元幹部です。麻原の側近中の側近は、石川公一元幹部なのです。またオウムの教義を作り上げたのも石川公一元幹部です。麻原の側近中の側近であり、麻原のブレインは石川公一元幹部その人なのです。現在、石川公一の面倒を見ているのは、オウムや被害者の救済をする立場にある阿部三郎管財人です。被害者を今の立場に追いやった中心人物の一人である石川公一元幹部を、被害者を救済しなければならない阿部三郎管財人が面倒を見ているというのは日本特有の現象といえるでしょう(阿部氏は何も知らずに石川公一に同情したようです。石川公一は、『爺殺し』はうまいですからね)。
取りあえず、この件の考察はちょっと中断する。私が書く必要もない。苫米地英人はこれ以上のことを知っているのであり、いずれ明るみに出るだろう。
少し話の向きが変わるように思われるかもしれないが、苫米地英人はこの先、こう語っている。
苫米地 オウムの教義は中沢新一氏の唱えた物そのものです。中沢氏の書いた『虹の階梯』です。実際に麻原は獄中からも取り寄せています。氏がどう思っているかに関わらずオウムにとっては中沢新一氏こそオウムの教義そのものといっても過言ではないでしょう。オウムの教義編纂の中心人物でもあった石川公一元幹部が中沢新一氏のいる中央大学へ再入学したのも記憶に新しいところです。ほかにもタネ本はあります。これは私がある脱退した最高幹部から、催眠によってごく一部の人間しか入れない麻原の部屋を再現させ、彼の本棚にあった本をいくつも探し出しました。その中で、麻原がもっとも影響を受けた書物がこれです。苫米地氏は青色の本を差し出した。
『ニルヴァーナのプロセスとテクニック』(ダンテス・ダイジ著/森北出版)苫米地 この本は、オウムの一番のタネ本です。佐保田鶴治氏の『ヨーガ根本経典』も麻原が獄中から取り寄せた本として知られていますが、コアのヨガ的な洗脳の一番のエッセンスがちゃんと入っているのがこの本なのです。この書がオウムのタネ本であることはここで初めて紹介するわけですが、ここであかすことはきわめてリスクがあります。なぜなら、これを読むとカルトをつくれるから。
これだけでつくれてしまうのです。ですからずいぶん悩みました。しかし、オウムの洗脳を暴くためにも、あえて決断しました。このタネ本はオウムの高弟たちのごく一部しか知り得ません。
このあたりの様相は、あの時代の空気を吸った人間ならそれほど秘密のことではない。中沢新一「虹の階梯」はよく知られている。また、佐保田鶴治訳「ヨーガ根本経典」は恐らくヨガに関わったことのある人間は誰でも持ち、読んでいる。ヨーガ・スートラについてはさておき、この本は、ヨーガ・スートラ以降のインド・タントラの古典を合本にしているので、きちんと知的訓練を受けていない人は、その流れで読んでしまいそうになる。つまり、タントラ側からヨーガ・スートラを理解するということだ。これは、もっとも合理的なアイアンガー・ヨガ、およびその源流のクリシュナマチャルヤ(Sri T. Krishnamacharya)との関連するのだが…ちなみ、昨今日本でも流行のパワーヨガはこの系統のもっとも合理的なもので、アイアンガー・ヨガに近いが、アシュタンガ・ヨガの亜流だ。アイアンガー・ヨガの公式教師も実際面では混同しているのだが、アイアンガー・ヨガにはもっと重要なセラピュイックな側面があり、これは米国でもあまり注目されずまして日本ではの状況だ…その話もここまで。
タントラとヨガの関係、さらにそれがオウム真理教のようにチベッタン・システムと融合してしまうのは、成瀬雅春(例えば、「空中浮揚」)などでも同じ傾向がみられる。ちなみに彼と麻原の直接的な関係はなさそうで、むしろ、麻原の稚拙なインディアン・システムのヨガは桐山靖雄の初期の修業(例えば「人間改造の原理と方法」、なお本書は歴史文献である)に近い。桐山と麻原の関係については、よくわからない。さらに、桐山のヨガ的な源流は、本山博(例えば「密教ヨーガ」)と天風(例えば、「成功の実現」。廉価版もあるかもしれない)だろう。生長の家をこれらと密教とで味付けしなおしたという印象はある。なお、成瀬雅春や阿含宗を非難しているわけではないので、誤解無きよう。
インディアン・システムのタントラとチベッタン・システムの融合は、Theos Casimir Bernard(参照)の"Hatha Yoga: The Report of a Personal Experience"にも見られるので、20世紀初頭のインディアン・オカルトの嫡流であるかもしれない。当然ながら、これに神智学が関与してくるのだが、この話もここまで。同様に、この神秘主義への探求は、バナードと同様、エリアーデにも見られるし、彼もまさに実践を通じてあの大著「ヨガ」を書き上げる。この傾向は、その後の立川武蔵にも影響している(「マンダラ瞑想法」など)のだが、くどいが、この話もここまで。
いずれにせよ、オウム真理教における、インディアン・システムとチベッタン・システムの融合(またそれゆえに仏教が絡む)は、この分野をある程度系統的に見た人間ならそれほど違和感のないものなので、麻原の神秘体験記述は吉本隆明が驚嘆するものではなく、すぐに出典が連想されるようなものだった。と、私はなにを書こうとしているのか? オウム真理教における教義の、こうした宗教学的な側面の欠落についてなのだ。キリスト教と聖書学の分離のように、オウム真理教はなぜこの背景の流れを学的に相対化できなかったのか? また、その後も、日本ではこの研究がなされていない。宗教学者たち自身、神智学の基本もわかっていないようだし、まして、そこからの派生である人智学もこの流れを十分に了解していない。
話を少し戻す。オウム真理教では、パーリー語訳などを行っていたわりには、教義は十分に史的に対象的に考察されてはいなかったのは、端的に、文献を読み下すことができなかったからではないだろうか。あの時代の、インディアン系の神秘学は、カリフォルニア・ムーブメントとしての文献は入っていても、大きな流れは見逃していたように思える。当然、そこからは、教義と神秘体験の融合がおこり、さらに、奇妙な亜流の解説書が溢れ、オウム真理教も一義的にはそうした解説書教義のパッチワーク化していった。このあたりは、麻原自身のケチャリー・ムドラの挫折体験なども興味深い。いずれにせよ、十分な文献に当たっていれば、佐保田訳だけを読むわけもないのだ。
そして、だから、ここで、ようやく、これが出てくる。ダンテス・ダイジだ。彼は日本人であり、ネットを引いて驚いたのだが、情報がある。「ダンテス・ダイジについて」(参照)によくまとまっている。同サイトには他にもダンテス・ダイジについて触れているが、これを読めば、あえて私が書くまでもなく、いろいろ得心できることがあるはずだ。
と、ここでこの文章を終わる。これ以上は、うまく書けそうにないからだ。文章が拙く、特定の宗教を批判しているかのように聞こえる部分もあるかと思うが、私の関心は世界史の潮流における宗教学の意味づけなのだ。そして、オウム真理教事件の一部もそのなかで位置づけられる部分があるとは思う。
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コメント
石川公一さん、誣告罪で告訴するチャンス。同じ罪では裁けない。そんな国もある。私は飯野武宏と言います。暇でしたらメールしませんか。
投稿: 飯野 | 2004.09.23 01:03
石川公一さん、捜査とは名ばかりの違法捜査に注意。amnesty internationalに報告しよう。暇な時、mailしよう。アドレスは、[email protected]
飯野武宏より
投稿: 飯野 | 2004.09.23 20:23
国松官房長官もオウムNO2の公開殺人も草加とは関係ない団体の真実を隠蔽する為の事件。
駅前で近年、盗聴・盗撮・嫌がらせ草加は犯罪集団だと騒いでる人達。
同一の保守系団体の隠蔽工作だと掲示板に書き込みがあったけど恐らくそれが事実だろう。
投稿: かぼちゃ男 | 2011.08.15 13:54