古市憲寿「創られた『起業家』」@『社会学評論』
『社会学評論』63巻3号に掲載されている古市憲寿さんの「創られた『起業家』」がなかなかおもしろいです。
要するに、90年代半ば以降の起業家言説の分析なんですが、古市さんらしいクールな視線で手際よく料理していて、いろいろと労働問題へのインプリケーションもあり、いろいろと突っ込みネタを示してくれています。
冒頭の要約から:
・・・バブル経済が崩壊し日本型経営が見直しを迫られる中で、「起業家」は日本経済の救世主として政財界から希求されたものだったしかし、一連の企業を推奨する言説にはあるアイロニーがある。それは、自由意思と自己責任を強調し、一人一人が独立自尊の精神をもった起業家になれと勧めるにもかかわらず、それが語られるコンテクストは必ず「日本経済の再生」や「わが国の活性化」などという国家的なものであったという点である。・・・さらに、若年雇用問題が社会問題化すると、起業には雇用創出の役割までが期待されるようになった。・・・
古市さんの言説分析が通り一遍になっていないのは、そういう起業家言説が出てくる前はどうだっかたという歴史的視点が裏打ちされているからです。
それまでは、同じ領域は中小企業政策という枠組みで語られていました。それは、
・・・大企業による優越的な地位の濫用によって中小企業が競争上不利な立場に立たされるべきではない大企業との「格差是正」や「弱者保護」といった保護主義的、社会政策的な性格を強く保持していた
のです。
このことは、そうした中小企業で働く労働者の問題にもそれに連なる視点を付与し、中小企業労働問題という分野が労働問題の世界にそれなりにちゃんとあったのですね。
ところが、そういう視点が消えて、代わりに中小企業にベンチャーという名を与え、積極的に評価しようとする流れの中で、
・・・「二重構造」の解消ではなく、むしろそれを是としながら、「起業」や「起業家」を保護の対象ではなくて、競争の主体として過剰な期待をしたところに、「第3次ベンチャーブーム」における「起業家」は成立した
というわけです。
この点を捕まえて、古市さんは、
・・・日本において立ち現れ、要請された「起業家」というのは、大企業を中心とした既存の「企業社会」を延命させるためのものだったのではないか・・・
日本経済に貢献し、雇用も創出し、失敗した場合も自己責任をとるし、既存の大企業を否定しない。政財界のいう「起業家」とはまさに日本経済の救世主である。これは、起業家論の「おいしいところ」ばかりを集めた「起業家」像であるとも言える。
・・・日本において政財界が要請してきた「起業家」とは、既存の「企業社会」のために存在する「都合のいい協力者」に過ぎなかったのである。
と述べます。
「起業家」言説論としては、これで一区切りです。
でも、そういう「起業家」のもとに雇われ、自分自身は起業家でも何でもないのに、そういう起業家言説、ベンチャー礼賛論のイデオロギーに怒濤のごとく洗礼される若き労働者たちについても、なにがしかの言及はあってもいいように思われます。
なぜなら、起業家が「都合のいい協力者」であるとしたら、その起業家にとって「都合のいい協力者」である労働者たちは、誰が心配してくれるのでしょうか。
そこに、こういうストーリーが生み出されてくるのでしょう。
http://homepage3.nifty.com/hamachan/posse09.html(萱野稔人×濱口桂一郎「これからの労働の話をしよう」 『POSSE』第9号)
大変皮肉なことに、強い個人型ガンバリズムが理想とする人間像は、ベンチャー企業の経営者なんです。理想的な生き方としてそれが褒め称えられる一方で、ベンチャー企業の下にはメンバーシップも長期的な保障もあるはずもない労働者がいるわけです。しかし、彼らにはその経営者の考えがそのまま投影されます。保障がないまま、「強い個人がバリバリ生きていくのは正しいことなんだ。それを君は社長とともにがんばって実行しているんだ。さあがんばろうよ」という感じで、イデオロギー的にはまったく逆のものが同時に流れ込むかたちで、保障なきガンバリズムをもたらしました。これが実は現在のブラック企業の典型的な姿になっているんではないでしょうか。これは、大企業正社員型の「「ブラック」じゃない「ブラック」」とは全然違うんです。むしろそれを否定しようとしたイデオロギーから、別のブラック企業のイデオロギーが逆説的に生み出されたという非常に皮肉な現象です。そういう意味では現代のブラック企業は、いろいろな流れが合流して生み出されているのです。いわば保障なき「義務だけ正社員」、「やりがいだけ片思い正社員」がどんどん拡大して、それが「ブラック企業」というかたちで露呈してきているのだと思います。
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