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2012年5月 9日 (水)

シューカツがただの職探しじゃなくなってるから・・・

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20120508-OYT1T00690.htm?from=main4(就活失敗し自殺する若者急増…4年で2・5倍に)

就職活動の失敗を苦に自殺する10~20歳代の若者が、急増している。

 2007年から自殺原因を分析する警察庁によると、昨年は大学生など150人が就活の悩みで自殺しており、07年の2・5倍に増えた。

いやもちろん、ハロワで職探しに失敗して自殺する人だっているかもしれない。だけど、不況の時に職探しがうまくいかないのは洋の東西を問わず当たり前の話。それを何とかしろ!と政府に文句を言うのも洋の東西を問わず当たり前の話。職探しがうまくいかない原因をことごとく自分に着せて、自分を責めて、自殺してしまうというようなことは、もちろんないわけではないけど、やはりあまり普通じゃない。

なぜそうなっているのかというと、やはり先日のエントリで引用したように、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2012/05/post-5f11.html(ハロワに行くのって『職探し』って感じがするんですよー)

それで学生たちになんでハロワ行かないのって聞いたら、まあ聞いたらなるほどって思いましたけども、「ハロワに行くのって『職探し』って感じがするんですよー」って言われたときはびっくりした。いやお前らいまやってるの職探しやろ。違うのか

いや、この学生さんたちの素朴な反応に、シューカツってのが、いかなる意味でも就「職」活動なんかではないという事実が、あまりにも露わになっていて、これってやらせでないの?と思わず言いたくなるほどです。

あれほど何年間もかけて一生懸命やっているシューカツってのは、その当人たちにとっては「職探し」じゃなかったんですよ、これが。

シューカツがただの職探しじゃなくなって、人生における人間の値打ちを決めるイベントになっちゃっているからなんでしょうね。

でも、本来就職活動ってのは、ただの職探しなんですよ。

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コメント

法律上では,かもですが,打て込み上では,結果の時間/人生,少なからずの時間の実体をどう,使っていくか,が,(働き内)時間の意味とも併せて重要なのかも,ですよ,
(結果の多くの人とも情報,渡しあう/その後も,人達,社会的な方達と,な分,相応以上に,世の中多くの仕組みや仕掛けの判ってくる就活は,すくなからずの人が,尊重するのではと,ふと,
(勤労実体,そのものが,労働単位水準での還元されてくる/判り,やすくて,結果で取り扱いやすい水準のものにと変わるならば,ひょっとしたらで,もう少し学生達も,かもですね,仮,

まさにhamachan先生のいう官能が採用の決め手だからという事だと思います。交際を申し込んだら、あんた生理的に無理と言われる事をひたすら繰り返す事と一緒だからでしょう。身長180センチメートル以上の人しか付き合わない!と言われたら、まだ納得できるのですが。

「シューカツ」と「職探し」は違うと思います。そういった認識のない人が進路指導するのは問題だと思います。

「シューカツ」は、「新卒カード」が活用できる点が大きな違いでしょう。ハローワークの「職探し」では、「新卒カード」不要は仕事ばかりです。

学生は、「新卒カード」を使って就職するために、良い高校、良い大学を目指して努力してきたのであり、また、親は学費を投資してきたのであり、「新卒カード」が使えないとなると、その努力や投資が無駄になります。もっというとそれまでの生き方そのものが否定されることになります。だから「シューカツ」とは、ただの「職探し」とは異なる神聖なものなのだと思います。

逆に、「新卒カード」なんて役に立たないんだと開き直れば、両者ののギャップは縮小するのでしょうが、一方で、努力をする人が減り、全体的な人材の質の低下につながりそうです。こんなことを考えると早い段階で進路を決めてしまうフィンランドのシステムというのは、努力が無駄になりにくいという点ては優れていると言えるのでしょう。

(自己レスです。)
つまるところ、「認知不協和」の問題であり、現実とどう折り合いをつけるかという話になるんでしょうけど、それが出来ないからこその悲劇なのでしょう。大学にハローワークが乗り込んできても、この問題は解決しないのではないでしょうか。

過去の決断・行動を自ら否定出来ないという点が、本質的には「官僚の無謬性」問題と共通してます。

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