気になる記事のCLIP11「ランドセル、梶原一騎さんの出身施設に…神奈川」
ソース元 http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/surprise/20110114-OYT8T00456.htm
漫画「タイガーマスク」の主人公・伊達直人などを名乗った児童養護施設などへのプレゼントが、神奈川県内で新たに16件確認された。
厚木市の特別養護老人ホームにも寄付されるなど、児童福祉施設以外へも広がりを見せている。
厚木市下荻野の特別養護老人ホーム「けいわ荘」では13日朝、門の外の路上に現金50万円が入った封筒が置かれているのを出勤した職員が見つけた。「遅くなって大変申し訳ありません サンタクロースより」と英語で書かれた紙が貼られていた。
川崎市の児童養護施設「新日本学園」には11日と12日に、ランドセル8個など2件の寄贈があった。同学園には昭和20年代、タイガーマスクの原作者・梶原一騎さんが入所していたといい、鈴木寛園長(62)は「漫画に出てくる養護施設は、うちがモデルではないか。寄贈品は大切に使いたい」と話す。
横須賀市の児童養護施設「春光学園」には、10万円分の商品券と現金5万円が届き、横浜市や秦野市でも児童養護施設などへの寄付があった。松沢知事は記者会見で「心温まることで、感謝したい。児童福祉施設にスポットライトが当てられることも素晴らしいことだ」と話した。
(2011年1月14日 読売新聞)
原作者は施設入所者だった
原作も漫画も両方知らずに育ったが、少しこの人の思考に興味がわいてきた。施設出身者でなければ表現できない世界観というものがあると思う。
もし梶原一騎の本を読み、その世界観が自分にとってすんなり理解できるとしたら、それもイヤダな~と恐れてしまう。自分がいた世界に共通する感覚を見続けなくちゃ整理できない過去というものを感じてるが・・・。
タイガーマスクは、伊達直人=梶原一騎なんだという解釈でいこうと思う。
普通は現実的な世界では虚無をエネルギー資源には、なかなか出来ないけど、わたしは、心理の世界では何となくそれが出来る気がするのだ。だから、この方は、虚無をエネルギーとして生き延び、語り続けてきたんだろうと思う。
そう考えると、孤児院というものを改めて考えるきっかけになる。児童養護施設では語りきれない世界観を孤児院時代の、今はもう無い世界だという現在の施設の位置づけのどっちつかず感が、今もわたしには理解しづらいものの・・・。
やはりわたしは、孤児院の感覚を知っている児童養護施設出身者なのだと思う。忘れられた孤児院の子どもたちの世界観が、今の児童養護施設の世界観へ、ミスマッチ的ながらも再現されているように感じている。
一般の社会の人が見ないフリをしている捨てられている子どもたちなのだが、今回のタイガーマスク騒動で過去の形骸に追いやった筈の「親がいないからランドセルがもらえない子」の姿を、テレビを通して浮き彫りにしたと感じている。
その結果、児童養護施設の現実に即し「ランドセルは足りてます」と、いう結果になるわけなのだという風に捉えている。
梶原一騎さんは、たぶん、心の源流に存在する虚無にある、孤児院の捨てられきった親の無い子にランドセルを贈りたかったんじゃないだろうか・・・・。
ちょっとだけ、勝手に想像してしまいました。
| 養護施設を出てからの問題 | 08時31分 | comments:7 | trackbacks:0 | TOP↑
serenさん
覆面=匿名の捉え方が交錯して見えます。施設育ちにとっては世間から身を隠す為であり、一般の人は支援する際になど匿名として「イイことした」のをあからさまに暴露しないため。
わたしも時々募金するけど、あまり匿名にはこだわってない。それは別に特別良い事してるわけでもない日常の中の行動の一つと考えているから。
梶原一騎さんの覆面に込めた思いは施設体験者にしか分からない種類のものであり、家庭の人がいくら模倣してもたどり着けない領域ではないかと思う。
serenさんが身を守るために施設を出た事を言わない事は間違ってないと、わたしは個人的に思うのです。わたしも言えないもの。だからやっぱり覆面かな・・・。
生き延びるためには、語らない事も大事だと感じてます。
| Lei | 2011/01/18 05:15 | URL | ≫ EDIT