元・無愛着児童の置手紙「あの集団生活を通して、今わたしは一般社会での「集団性」を会得したと思えない」
#今日は慣れない「です・ます調」で。
一般社会での集団も当然ながらあります、会社や学校やサークルや自治会や、それこそ限りがありません。しかしわたしは一般社会の集団生活になじめなかった面があるのです。
わたしは児童養護施設で集団生活をそつなく過ごしてきたのに、一般社会での集団の性質には適応し切れなかったのです。地域の自治体でも、わたしはポカンとしています。周囲の人はわたしを施設育ちとは知らないので、親切にしてくれますが、ただ、施設の集団の感覚とは違うのです。
わたしは本当に、集団生活を過ごした事で一般社会での集団性を会得出来たのでしょうか?
命令する人もいない、整列して号令されれば従うだけの、あの集団と、今わたしが生きている地域社会での集団の規則やらと、どうしてうまく自然に適合できないのか?と悩む日々を過ごしています。
一般社会では、集団と言いながらも人々は個性あふれていて、けして画一的なパーソナリティの集まりじゃないようでした。個性を持つ人々、それぞれ違う考えを持ちながらも、全体社会のルールを守ろうとしているのです。
けして、遅刻したからといってぶん殴られはしません。わたしには見えない暗黙の共通の概念があり、その上で集団のルールがあるので、一分や二分の遅刻で、たるんでるとは言われませんし、連帯責任もありません。軍隊でも収容所でもないのですから、当たり前なのでしょう。
児童養護施設の集団しか知らないわたしは、この地域社会での、暗黙の共通の概念が何なのかが、どうしても見えないので、大変苦労しているのです。
それは共通の文化をわたしだけが持っていないかのような、不安定な心境に陥らせました。わたしがなじんでいた集団と、この、一般社会での集団は何故、違うのでしょう。
命令と服従と連帯責任と制裁や粛清的な感覚が、今も心をよぎり、どうしても集団で集まっている人々を見ると回避しようとしてしまいます。
施設文化の集団性とは違う一般の社会での集団性へ視点を向ける
わたしが今してる事は、自分で言うのも大げさだけれど、全てシステムを入れ替えているようなものです。個別に付随する心の育ちを体験していない為か、どうしても、集団の中のロボットのような態度になってしまいます。
児童養護施設の集団の性質は、今思うと、社会とは断絶された、全く独自の施設の世界でしか通用しない集団生活だったのではないかと、個人的に結論付けるしかありませんでした。
社会に開かれていない児童養護施設という独自の集団生活は、塀の中の集団生活ですから、塀の外へ出たとしても、一般社会での社会性が即身に付くわけではないと、そう思います。まずは、施設を出たら、今までの概念について、きちんと整理しなくてはいけないと思うのです。
今・施設を出てからの、自分というケースを他人事のように観察してみると、どうも、申し訳ないが、自分を好意的に見る事ができないです。一般の人としては、社会のルールの中ではかえって浮いてしまうのです。
以前、家庭を知っている施設育ちの人から「思考停止の羊の群れ」と言われてしまった事がありますが、その方は、施設に入る以前の一般社会や家庭というものについての知識があるので、施設生活が長い子たちが寄せ集めの群集ではなく、むしろ、一糸乱れぬ集団だったので、それなりにショックを受けたのだろうと思います。
しかし、わたしは日々の行動をごく普通に行っていたに過ぎず、集団生活が出来ずに、施設をかき回した家庭からの措置の児童たちこそ、施設の集団を乱すから、とてもおかしいのだと感じていました。今となっては、どちらがより変なのかを比べても仕方ないような気がします。ただ、わたしは今も、虞犯行為を繰り返していた子たちを思いやりを持って、その心情を解釈する気持ちになれません。時間が掛かるか、又は、一生できないかもしれません。
家庭の文化の中で自己を育てる事から
児童養護施設では、家庭から子どもを分離して、施設の集団生活を教え込んでいました。その生活は、親が育てられない子どもたちも取り込み、刷りこませてしまいました。
だけどそれは、施設の長い子には、施設独特の集団性を身に付けさせる事でしかありませんでしたし、施設では施設独特の文化をすり込まれてしまいました。虐待のない良い施設を出た筈の自分は、このような問題を持っていたのだと、考えています。
だからわたしは、施設の質を問うのとは別に、親が育てられない子どもには施設の独自文化じゃない一般家庭の家庭文化をすり込まれてゆく方が、後、卒園後に一般社会の文化や、地域の集団性に対して、独特の構え方をせずにすむのではないかと思い、里親制度を応援する気持ちになりました。
これが、このブログを書いてゆく中で、ソウルメイトや夫や友人などとのリアルのつながりの中で、だんだん会得してきた、わずかな土台だと感じるようになりました。
過去の育ちを否定しなくては進めない道がある
Wolfがたとえ話を教えてくれたことがあります。「ワシが鎖に繋がれていた、鎖が錆びて自由の身になってもワシは飛ぶ事ができなかった」だったかな?
錆びた鎖となってしまった、児童養護施設でのわたしの集団養護の影響・・・それをもって社会性が身に付いたなどとは、とても言えない事が分かった以上、施設での間違ったスリコミを自分なりに葬るしかありません。
この記事をもって、最後にします。
今までお読み下さり、ありがとうございました。
施設育ちのマイノリティのLeiとMariaの記事を応援して下さり、ありがとうございました。
追記ツイッキー
何かの映画のCMで、"we are together" と誰かが言っていたけれど画面での和訳は「君は一人じゃない」だった時、思い出せる人が誰か一人でもいるならば、とても幸せな和訳だと思いました。わたしはこの手の表現では常に意訳と言われていただけに、ちょっと記憶に残りました。
幸せが幻でなく、本質的であれば、わたしの脳はもう少し活性化するでしょう・・・。
| └ スタンス | 10時49分 | comments:12 | trackbacks:0 | TOP↑
yukinさん
>ただ、私から言わせてもらえれば、辛い過去でも、「過去は過去…。」
決して、子ども時代に受けた心の傷はそう簡単に無くせるものではありません…ですが、やはり、過去にこだわりすぎては、この先、進むことはできないと思います。(個人の自由ですが…。)
この言葉を、東北・関東大震災の被災者の方にぜひ伝えて下さいな、ご自分の言葉で。聞くところによると、群馬県の定員割れしている児童養護施設が被災児童の受け入れを早々と表明していますが、受け入れる養護施設の職員たちは、心のケアに対する理解は、その程度なのでしょうね。その程度で被災児童のケアが出来ると養護施設関係者は思っているのでしょうね。
衣食住足りればそれですむと施設関係者は考えているのでしょうね、戦災孤児の収容所として発生した児童養護施設の職員らしい言葉ですわ。トラウマって言葉も知らないのでしょうね。
>では、ちょっとでも、人生の参考にしていただけたら…と思います。
あら?どの部分が参考になりそうなのか、教えて下さいな。見つけ出せなくて・・・・・・。
| Maria | 2011/03/24 12:43 | URL | ≫ EDIT