児童養護施設には確かに孤児は居ないが遺棄児や養育放棄児が長期入所児童となっている
遺棄児・養育放棄児は孤児ではないと言われ・・・
乳児院に遺棄されて育った子ども達は孤児とは違うと 「鉄骨ビルの庭上・下」 という本の中で登場人物の1人に語らせている場面があった。(もはや、そのままの言葉としては覚えてないので正しいかわからないが・・・)
遺棄児の心は、実は孤児よりも孤独であるという風な表現があった。戦争の無いこの国なのに、親が育てず施設のみで生きる数パーセントの子ども達の事は社会全てから関心を持たれた事がない。
わたしは無愛着児であるにも関わらず、人生で初めて、無関心な社会の中で関心を持ってもらう為に記事を書き続けている・・・注目を求めて記事を書くなんて慣れない事ばかりで、時にへこたれそうになる。
でも、わたしの心象風景には居ない事にされている子ども達の姿がいつも在る・・・。
空襲で家族全てを失った子どもは孤児だが、産んでも育てられずに道端に捨てれたら遺棄児だし、訳ありながらに産んだものの、どう捨てようかと画策する実親の元でネグレクトされ、結果的に施設へ預けられ、長期入所児となる子どもは養育放棄児だ。
「いわゆる孤児はいません、昔と違い、衣食住を提供すれば良いという時代ではないのです。現在は家庭で虐待を受けた子ども達の心のケアに対する事が急務です」などという言葉を読む度に、わたしはまるで、この世に居た事など一度もなかった様な気がするのだ。
過去の無い子ども達は、これではライフストーリーワークどころじゃない。せっかく生まれても、生きてはいないかのように関心を持たれる事もなく、施設にいない事にされているのだから、どう過去を整理せよと言うのか・・・。
孤児という表現は戦災孤児を指す場合が多く、日本では、遺棄児・養育放棄児という表現がそれにあたる現実を、きちんと解釈しない限り、乳児院・児童養護施設には、いわゆる孤児はいません、と言われ続けなくてはならないのだ。
孤児としての子ども達は児童養護施設には居ないのだから里親委託もその手前で断ち切られてしまうのは当然の事なのだ。でも行方知れずで名乗り出もしない実親の確認が取れないと称され、または育てる気もないのに親権を捨てない親の為、子ども達は施設だけで育っている。
わたし自身、孤児でない事、乳児院体験のない事、虐待を受けた記憶が無い事が足かせとなり、うまく語りきれなかった。でもその側でずっと、わたしの語りを守ってくれたのはソウルメイトの2人だった・・・。
施設当事者団体には見出せない自分の問題
日向ぼっこ を始め、全国規模で、施設当事者の作る団体が生まれている。しかし、わたしはそこへコミット出来ない。何故なら、わたしは、当事者という言葉に距離を覚えるからだ。わたしは、施設当事者団体の方々の中で乳児院・施設全部育ちが何を、表現できるか、その課題を見出せない。元収容児でしかない・・・。
施設が住みやすくなる、あるいは施設を出た当事者達がアフターケア事業の一環として団体を作るのなら、その意図する所を邪魔はしない。でもわたしは、たった一人の子どもとして家庭で育ってみたかったので、その一連の事柄に根ざした言葉しか出てこない。
本音を言えば施設の改善なんかわたしの問題じゃない、捨てられて誰の関心ごとでもない捨てられた子ども達の事は、施設が改善されても救われるものではない。
だから家庭を知っていて、保護された子達の起した施設当事者団体にも参加できないという事が自分なりに分かった。それに施設改善を求める当事者団体と、当事者を利用してでも相変わらず生き残ろうとする施設側とのコラボが多くてどうにも今は、整理できていない自分は近づけない・・・。
ソウルファミリーという概念
わたしはWolfから、絆が無ければ始まらないと言われ、絆づくりという渦に飛び込んだ。途中Mariaとも意気投合し、3人でそれを行っている。クローズドな活動なので排他的だ、でもこの間、akariさんのレスを読み少し安心した、そう、一度位排他的で絶対的な相手との絆を構築したい・・・。だからソウルファミリープロジェクトのメンバーは、人員を増やしたり減らしたりしないで、固有の相手との絆づくりにこだわっている。
わたし達は虐待という歪んだ愛情や間違った概念やの矢面に立った事はないけれど、たった一つ分かる事は常に誰にとってもわたし達は、誰にとっても無関心な存在だったという事。存在がゼロであるという事が、わたし達それぞれの内面に影響を与えているのは確か。
誰の怒りの対象でもなく、誰の歪んだ愛の対象でもなく、誰のこだわりの相手でもなく、ただ自分で生きていた。
乳児院から施設で全て育つ事を人道的なその子への支援だと思いたい人々の為に、幼い子ども達が犠牲になっている。戦争によらず孤児になっている。好きで無愛着になったのではなく、無愛着というレールの上をただ走らされていただけなのだ。
だからわたしはソウルメイトの2人を大事にしていきたい。そして同時に、この世に生まれた子ども達がとことん愛されて欲しい。命は愛されてこそ輝くのだから、乳児院や養護施設で生霊の様な存在になってはならない。
その前にリアルファミリーを与えて
里親家庭とはわたしにとっては生きる希望、祈り、そして現実の家庭を与えてくれる絶対的なプレゼントだと感じるようになった。親が育てられない子ども達にリアルな家庭である里親家庭を・・・!
愛着へ至る道が間に合ううちに・・・それはわずか生後一ヵ月以内だという事を感じている。児童養護施設への措置変更の時に里親家庭へのチャンスが増えるが、それではもう愛着を付けるには困難な年齢なのだ。だから早くと願っている。
祈。
| Soul-Family-projct・別館 | 10時13分 | comments:15 | trackbacks:0 | TOP↑
ブログ趣旨の確認作業
akariさん、了解しました。ありがとう。
わたしは時々、ブログ趣旨・スタンスの再確認作業をする事がありまして、その様な時は、わたしはこのブログでの趣旨に従って書けているかを、今一度見つめる時、自分を律する意味でも、わざわざ宣言的な文章を書く時があります。
でも背景も説明せず、いきなり書くので、今までやり取りしていた人は、否定されたと感じるのかもしれないですね。
少し、もう少し丁寧に書こうと思います。不快な時は心遣いなどせず、はっきりその都度、その旨お伝えしますね。
ありがとうございました。
| Lei | 2009/12/26 22:33 | URL | ≫ EDIT