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真面目な出身者の抱える問題として「社会ではズレている施設の宗教的概念を刷り込まれた影響」がある

養護施設を出てからの問題

 真面目であればあるほど

 ほんとに施設出身者は施設のカラーにより様々な影響を受けて育っていると感じている。以前は仏教系の施設出身の方と話した事もあるし、活動の中で他のプロテスタント系施設の方とも話した事もあるので、宗教系施設の問題については色々思う事があった。カナンさんとのやり取りから、この機会に未整理な状態だが少し触れておこうと思う・・・。



 カナンさん(HN出してしまいますが)が真面目なクリスチャンである事は感じている。いや、真面目だからこそ真面目であるゆえに施設時代の思考そのままに生きているのだと思う。でも施設には途中から虞犯少年や被虐待児が入って来るが、彼らは宗教的な一切の影響を受けず育って来たので、彼らの言うところの「念仏でも唱えてろよ」的な状態だった。だから説教に出席しない子も多く、その場に残り聖書を読み賛美歌を歌うのは真面目な子ばかりだった。

 わたしも真面目なつもりではあったが何故かわたしは2度目の施設ではすでに別のカラーを持っていたらしく、どうしても真面目なのに「不良の子よりも始末が悪い」という様な扱いだった様だ。かといってそれを理由に体罰されはしないが。そこら辺は今Mariaに付き合ってもらい整理している。自分が乳児の頃に身についてしまった別の宗教的概念というものを探している状態なので未整理だ。

 社会に出てからの問題

 で、措置解除(施設の退所など)になった後に、その子が身に付けてしまった宗教的概念については誰も責任を取る人はいない。それなのにその宗教的概念を持ちながらこの日本の風土の中で生きてゆかなくてはならないのだという事と、現在のわたしは嫁としてその渦中にいるという事を押さえておきたかった。

 クリスマスシーズンになるとますます夫とのズレた会話が圧し掛かってくる、結婚前は面白かった文化の違いは結婚後には文化や概念の違いは問題となってしまう。しかも明らかに帰国子女ならいいけれど、この日本の風土の中で育ったというのに、まるで海外カブレの様に、ズレている。しかもカブレてはいない、本当にそれしか知らないのだ。

 社会に出てからのカナンさんがどれ程苦労しているか分かる様な気がする。時々職員から「実家が宗教一家のような家は沢山ある」と言われるが、わたしは違う考えを持っている。

 「実家が○○の宗教を信仰している」のと「宗教系施設を出た」のでは、その問題とする前提からして違うと思っている。

 家が宗教を信仰している場合、育った子は育った後も自分の家との交流があり続け、就職しようが退職しようが、結婚しようが離婚しようが、その子の精神的土台である実家が実家の役割を失う事はない。

 しかし、宗教系施設の場合は、気付いたら○○宗教系施設でその精神や概念を身に付けてしまっても、措置解除があり、社会に出た後は、自己責任で適応&対応して生きなくちゃならない。施設にその責任を求める事が出来ないのだ。信仰しているのはほかならぬ本人であり、施設の責任の適応外だ。

 世間知らずと宗教的概念の混ざった問題

 よく騙される理由の1つとして施設育ちの世間知らずという事を取り上げてきたが、ここでわたしはもう1つの理由を上げておきたい。これは宗教系施設出身者に多いのではないかと思うのだが、カナンさんは騙されなかっただろうか。

 「困っている人」には、たとえその人が騙す目的だったとしても施設育ちの世間知らずなので気付かず、さらに宗教的概念も根底にあるので、結果的に自分が身包みはがされようが、その人に分け与えてしまったのではないだろうか?

 しかも自分のした事を周囲に知らせるような恥ずべき行為はいけないので、黙っていた結果大変な事になんてことは?しかしそれは黙っていたのではなく、施設育ちの場合は「相談する事をそもそも教えられていない」という事でもあるので、施設育ちの問題+宗教的概念の併せ持った問題でもある。
 
 お金が無くても誰にも相談せず(相談を知らず)、明日何を食べようか思い煩うな、野の花を見よ、とばかりに本当に思い煩わずにのほほんと生きてしまって、気付いたら栄養失調で入院したりしなかっただろうか。その時初めて、食事のありがたさを知るなんて事は?

 診断名は「食事を取らなかった事による栄養失調」で、追記として「食事をして下さい」と特筆されてたら?

 人はパンのみで生きるにあらず・・・

 わたしはこんなに不況で仕事も無く大変な世に生きているのに、明日の事を思い煩う本気度が足りないと夫に怒られる事がある。とうとうしまいには「修道院にでも入ればいい」と言われた事もあった。夫は世知辛い世を生きるのには人をある程度は出し抜けるほどの知恵が欲しいと思っている人だし、姑はわたしを「グズでのろまな嫁だわね」とため息。( ← そうは言うものの姑も諦めてる様子、少しずつ信頼してくれてる感がある)

 わたしは世間知らずな上に真面目で、その真面目の方向性がズレていて、さらに宗教的に非常に頭が古く固いところがあったので、少し自分を客観視する必要を感じている。人はパンのみに生きるにあらずと教えられた時、家庭から来た子がくすっと笑って「日本人なら飯をくえ」と反応していた。あの頃わたしはそんな彼に一瞬ムカっとしたけれど、今は彼の感覚は、社会で生きるうえで当然の反応だったのだと知る。

 真面目さとその方向性
 
 だからカナンさんが真面目であり、その為に怒りを感じる様子も分かるのだが、自分が真面目である事と方向性の正しさは必ずしも一致しないとだけ、それだけ言っておきたい。と思い、この記事を書いてみた。

|  養護施設を出てからの問題 | 05時29分 | comments:10 | trackbacks:0 | TOP↑

お返事ありがとうございます。

Mariaさん

お返事&丁寧なコメントありがとうございます。

うーん…
私の方も訪問者リストをクリックするまでは、
こちらに辿りつくことはなかったのですが…

それはさておき、意図は理解します。
当方からのリンクの了解についてもありがとうございます。

しかし、当方のブログの読者の方が、リンクからこちらに来て書き込みするようになると、
両管理人さんにとって、不本意な状況が発生しやすいかも知れない、
と考えるようになりました。今回、当方からリンクを貼ることは見送ろうと思います。

| ねま | 2009/12/19 06:39 | URL | ≫ EDIT

ねまさん、こんにちは。

>訪問者リストからここを見つけて衝撃を受けました。

共同管理人のMariaといいます。

 順序としては、当方のブログの訪問者リストをクリックしたらそちらに足跡を残してしまったということです。他の宗教系も含め、正面から宗教問題を論じるブログではないので、誤解を招かれることを考え、あえて順序について言わせていただきます。

 改めてブログを拝見しました。正面から創価学会の問題に取り組まれているご様子。そちらからリンクされるのはかまいません。
 ただ、こちらからリンクするのは上記趣旨から出来かねることを申し上げました。誤解をまねくコメント、失礼いたしました。

| Maria | 2009/12/19 02:17 | URL | ≫ EDIT

レスありがとうございます。

Leiさんが、児童養護施設・社会的養護の問題について語っておられること、承知しております。

> わたし自身の考えとしてはパッと見ですが、申し訳ありませんが「相互」にこだわる必要を感じません。
おっと!
読み返してみていただければわかりますが、
先のコメントでは相互という言葉は一言も書き込んでないのです。

当方では、大変センシティブな問題を扱っているために、
一般的なブログからのリンクは、むしろお奨めではありません。

わたしのブログの方は、形としては一つの宗教の話ですが、
そもそもそういった宗教を生み出しがちな
「日本社会の権威主義的な傾向」について論じるのが目的です。

| ねま | 2009/12/18 11:00 | URL | ≫ EDIT

すみませんが・・・

 ねまさん、はじめまして。

 わたしのブログの趣旨は、児童養護施設であり、あなたは「思考停止」と「羊」というキーワードに反応しただけと思います。

 子どもの養育環境と子ども関連の社会体的養護について漠然と、語る事をメインとしていますので、その流れで宗教系施設の問題を語っております。

 わたしは何も宗教の特異性だけをトップに掲げておりません。そういった意味で、わたしのブログがあなたの主張に対してどの様な位置づけになるのかを、改めて考えていただきたいと思います。

 わたし自身の考えとしてはパッと見ですが、申し訳ありませんが「相互」にこだわる必要を感じません。

 わたし自身は1つの宗教の話をを論じていません。宗教系施設の持つ問題と児童の社会的養護と社会福祉法人としての生き残りを掛けた宗教施設の秘めた問題そのものを語ろうとしています。

| Lei | 2009/12/18 08:50 | URL | ≫ EDIT

はじめまして

Leiさん、はじめまして。
ねまといいます。
「創価学会と家族問題を考える」
というブログを書いておりまして、

訪問者リストからここを見つけて衝撃を受けました。
思考停止の羊…!
こんなところで(失礼)そんな言葉を目にするとは!

今後もちょくちょくお邪魔させて貰いたいのですが、
私のブログの方でリンクさせて頂いてもよろしいでしょうか?

| ねま | 2009/12/18 07:35 | URL | ≫ EDIT

宗教系も無宗教系も体験して

 カナンさん、

宗教系施設じゃなかったら今頃傷付いてたと思います。

 その言葉、宗教系じゃない施設出身者に言うつもりですか。わたしは一度目の施設は無宗教でしたが、二度目は宗教系でした。
 
 でも、誰もいない集団生活、固定された大人の居ない生活は、幻の親像によっては慰められませんでした。一時的には脳内物質を増やして、苦しみや寂しさを少なくしてくれたのかも知れませんが、結局は幻です、現実ではないんです。

 前も言いましたが、親がない事をゆめゆめ神様の試練だなんて今も思っていないかと心配してしまいます。

 カナンさんの場合は親との離別を体験して記憶しているんですね・・・だから神さまを穴埋めに使ったんでしょうか。

 わたしはいつ信仰が始まったのか、動機も分からないし、神さまの試練は試練としてあるのは分かりますが、それとは別に、わたしは行政の不備により、親から捨てられた子達が里親家庭へいけない事を試練と混同したくありません。

 ただ、カナンさんに必要だったのは、捨てない親では?わたしに必要なのは、固定された固有の親でしたが・・・。

| Lei | 2009/12/16 07:40 | URL | ≫ EDIT

施設に救われたと思ってます

>カナンさん、子ども時代の人で、あなたと関わり続けてくれた大人、
誰か1人で良いからすぐに思い浮かべられますか?

コメント長くなって悪いのでここに書きます。

六歳までは親に育てられてましたから。
気が向いた時だけ可愛がるタイプだったから
安定してませんでした。学校も行けるかどうかって。
それで施設に入れたら後は連絡ありませんでした。

その都度その都度対応してくれた人が居た筈だけど。
六歳で施設に入った時から寂しかったんですけど
そのうち神さまをお母さんとお父さんの役割にすれば
寂しくなくなったのは覚えてます。
不思議と親の事は気にならなくなりましたね
イエス様の事を親だと思ったりしているうちに
親の顔忘れてしまうほど慰めになりましたし。
宗教系施設じゃなかったら今頃傷付いてたと思います。
だから関わり続けてくれた人じゃないけどイエス様です。
だから施設でも寂しくないと思えて良かったです。
指導員になりたいのも施設で子供が好きな職員を指名
出来る様にする為と卒園までずっと担当制にしたいです。
改革とか働きかけるって事です。

| カナン | 2009/12/15 18:47 | URL | ≫ EDIT

幸せな家庭を見た事がないから・・・

 カナンさん、追記です。

 施設育ちが会話したり、情報を得る時は、やはり生い立ちのせいか、幸せな家庭で幸せに育った人の発言を聞く機会が極端に少ない事に気付いたんです。
 
 そのきっかけは、里親家庭の話を聞いた時、聞き続けてるうちに、そんな心の風景を見た事がなかったです。私もあなたも、誰からも拾われる事なかったから、神さまの存在で穴を埋めようとするしかなかったけど・・・

 乳児院・施設全部育ちや機能不全家庭の人の言葉だけじゃなく、

 やはり、聞きたくないけど、とても幸せに育った人の(自称幸せという事じゃなく)話を読んだり、体験を聞いたりする事をしないと、八方手詰まりなんです。不幸の話だけでなく、あえて幸せな話を聞く事なんて、一番したくない事だけど、それをやらないと・・・保母になったって、施設育ちの保母は、子供を受け止められないと思います。

 だから、この記事を書いたんです。真面目で真剣で神様を信じても、一番肝心の、人との絆が全く抜け落ちている事が問題だと思います。

 

| Lei | 2009/12/14 16:26 | URL | ≫ EDIT

親記事の趣旨は

 カナンさんは信仰のあり方にのみ意識がいっている事を、お返事から再確認させてもらいました。ありがとうございます。

 わたしはこの記事を書いたのは、親から捨てられた子達が宗教施設のみで生きる事の問題であって、宗教の内容について水掛け論の様な事をしたいからじゃないです。

 家庭がある子もクリスチャンがいますし、施設全部育ちもクリスチャンですが、施設全部育ちは「親が無い事が神様の試練の1つであるかのように」教えられて育ちました。

 でも世間にはそんな事全く関係なく家族で教会に通い祈りを時を持ちますし、家族でミサに向かう人も普通にあります。

 勘違いしてました、わたしは。まるで自分が選ばれて孤独で生きているのだと。

 単に宗教的な神の計画とは違い、日本の行政の不備の為、わたしもあなたも施設だけで育ったんじゃないでしょうか。そこを語らずに、教義の話だけをしようとしても上っ面を語っているに過ぎないと思っています。

 わたしは施設時代には何も気付きませんでしたし、そんなものだと思っていました。でも宗教系施設の子は無知な上に宗教的な考えを刷り込まれているので、どうしても、自ら考える事ができませんでした。
 
 それを宗教施設じゃない他の施設の子からは「思考停止の羊」と揶揄されている始末です。

 わたしは宗教系施設を出た子たちの頭の固さをどうにもできません。だからもう、これから先は平行線ではないかと感じています。自分の精神を支えているものを否定出来ないし、そこに抵触する話をしても延々と戦うしかないと思います。
 
 ですから、この記事の趣旨として、親から捨てられた子が宗教系施設で育つ事、そして施設を出た後もその影響から抜けられない問題を語ったのです。

 それでは。

| Lei | 2009/12/14 11:38 | URL | ≫ EDIT

神さまの愛を受けて

akariさん、ありがとうございました。
復活のイメージ持ってもらったのは初めて。
でもLeiさんの言う通りなのは生ぬるい会話
を求めてない事、もしLeiさんが逃げる様な
優しいコメントで誤魔化すとかなら嫌ですね。
私はバツ1ですし家庭に向いてない事知り
そんな中でプロテスタントと思ったLeiさんに
話しかけました。
私が一番違和感を覚えたのは神様を厳しいとか
契約とか言ってる所が・・・。
私は神さまが愛して下さっているからイエス様
が私達の身代わりに命を落とした所に救いを
感じてますから、そこを何で感じないかなと。
だからほんとにクリスチャンかな?と疑いを
持ってしまったんです。
神さまから愛されてる事と愛の中で生きていられる
なら、施設の子にも救いはある筈だし
契約とか厳しい事を言わなくてもいいと思いました。
だからクリスチャンとしての優しさが感じられなくて
ほんとに信仰してるの?と思ったんです。
これは私、もしそんな態度の子がいたら施設としても
その子の為にも教えてあげる必要があるんでは?
そう思ったんです。
これ、Leiさんから求められた記事じゃないですけど

| カナン | 2009/12/14 06:37 | URL | ≫ EDIT














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