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責任なし16 テロ続発・Yahoo!掲示板でrekisisiranai さんが語った真実の歴史

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投稿者 :
rekisisiranai


日本の戦争責任


責任なし16 テロ続発


これは「責任なし15 日本人記者惨殺事件」の続きです。


 成都で8月24日に日本人記者が惨殺されると、今度は、9月3日に広東省の北海市で『丸一洋行』店主・中野順三が惨殺されました。

 北海市には、8月24日、反蒋介石を主張する第19路軍の一部、フン照垣指揮の「抗日救国軍第一師」約千五百人が進駐し、随行してきた学生約三百人とともに「打倒日本賊」「打倒蒋介石漢奸」などのビラをまき、市内要所にたむろしていました。

 師長フン照垣は、進駐してくると、商務局を通じて立ち退き要求を繰り返し、中野順三も、やむなく承知して店じまいの準備を進めていました。

 ところが、9月3日午後7時ごろ、『丸一洋行』に30才前後の男二人が入ってきて、買物客の風情で店内を歩き回りながら、店番をしていた長男の清に、いきなり拳銃をつきつけ「ここは日本人の店か」と言ったのです。

 拳銃を向けられた清は、「お父さん」「お父さん」と連呼しつつ、二階にかけ上りました。
 二人は拳銃を発射し、その発射音を合図に十七、八才の青年四、五人がジャックナイフを振り回しながら乱入してきました。

 中野一家のうち、第二夫人は年少の男児三人をつれて外出中で、店には中野当人のほか第一夫人、長男清、長女千鶴子しかいません。
 第一夫人と長女千鶴子は長男清のあとを追おうとしましたが、乱入してきた一味に突き飛ばされました。

 二階に殺到した一味は、食事中の中野順三に襲いかかり、猿ぐつわをして壁におしつけナイフで右胸部、腹部、頸部を刺して殺害しました。
長男清は二階の窓から飛び降りて逃げ、階段をはいのぼってきた千鶴子は、気を失いながら父親の殺される状況を目撃したと言います。

 (ここまでは児島襄著『日中戦争』の要約引用です)

 こういう惨殺行為はあちこちで起こりました。

(ここからはK・カール・カワカミ著『シナ大陸の真相』より引用)

1935年
5月 日本びいきの中国人新聞編集者二人が天津で殺害された。

8月 満州国の国境から天津に向けて走行中の列車が匪賊に襲撃され、約20名の乗客が殺害された。

11月9日 日本海軍准尉(准尉は原文のまま)の中山秀夫が上海国際租界で射殺された。

12月17日 天津の日本軍守備隊総司令官である多田陸軍中将の邸宅に爆弾が投げ込まれ、中国人の召使が負傷した。

12月25日 上海国際租界にある日本海軍の本部公館に爆弾が投げ込まれた。

1936年
1月21日 汕頭の日本領事館に所属する日本人警官が自宅から出勤途中、中国人に射殺された。

6月19日 山東省防東で日本人が中国人に射殺された。

6月26日 北京近くで中国軍の正規兵が、豊台日本軍守備隊に所属する日本兵に襲いかかり重傷を負わせた。
  それに対する謝罪を要求して中国軍の兵営に赴いた日本の陸軍大尉が中国軍兵士に刀と銃剣で切りつけられた。

7月10日 三井物産上海支店の日本人社員が国際租界で射殺された。

7月22日 天津の市役所所属の中国人警備兵が、天津の日本総領事館に勤務する二名の警官を領事館の前で銃撃した。
  一人は死亡、一人は重傷を負った。

8月23日 河北公共治安部隊の数名の兵士が天津の日本語学校を襲撃して略奪し、日本人の教師に暴行を加え拉致した。

9月19日 漢口の日本領事館の警官が中国人に射殺された。

9月23日 日本海軍の水兵が上海の街路で射殺された。他の二人の水兵は重傷を負った。

9月26日 湖南省湘潭にある日本の汽船会社の事務所に中国人の暴徒が放火

9月27日 長沙の日本領事館の建物に爆弾が投げ込まれた。

11月11日 日本の汽船会社の船乗りが上海で射殺された。

1937年
2月13日 漢口で日本人の事業家の妻が中国人に襲われた。

6月1日 中国人の暴徒の一団が天津付近の日本人経営の農場施設を襲い、一つの倉庫と三つの住居に放火し、多くの日本人従業員が負傷した。

 この他にも、数多くの暴行事件がありますが、字数の都合で省略します。

続く










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第6章日本は侵略国か、それとも権利を侵害された国か(続)
『シナ大陸の真相1931~1938』K・カール・カワカミ5
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責任なし15 日本人記者惨殺事件
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責任なし15 日本人記者惨殺事件・Yahoo!掲示板でrekisisiranai さんが語った真実の歴史

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投稿者 :
rekisisiranai


日本の戦争責任


責任なし15 日本人記者惨殺事件


これは「責任なし14 中国が満州を侵略した」の続きです。


 満州事変以後、中国では反日が激化し、国民党中央常務委員会は、高等中学校以上の学校に「青年義勇軍」、初等中学校以下に「童子義勇軍」を組織させ、各学校の教職員、学生に「不買日貨」を宣誓させました。

 そして、これら「義勇軍」には、各自の胸に「団結奮闘雪恥救国」と墨書した白布をぬいつけ、毎朝の朝礼のさい「誓雪中国国恥」、「恢復中国領土」、…等のスローガンを高唱することを義務づけたのです。

 こうやって反日で高揚させられた学生達が、成都で日本人記者惨殺事件を起こしました。
 以下は児島襄著『日中戦争』の要約引用です。

----

 1936年5月、日本政府は1931年以来閉鎖していた成都の総領事館を再開しようと岩井英一領事代理を派遣しましたが、中国は上海で「成都駐在」を拒否しました。

 川越大使が「ともかく行け」というので、岩井は重慶まで行きましたが、中国側が「護照」(通行証)を発行せず、飛行機の搭乗券も売らないので、結局あきらめました。

 一方、岩井領事代理には、上海から四人の同行者がありました。『大阪毎日新聞』上海特派員渡辺洸三郎、『上海毎日新聞』記者深川経二、南満州鉄道上海事務所員田中武夫、漢口の『瀬戸洋行』店主瀬戸尚の四人です。

 彼らは、ともかく行く事にしました。瀬戸は商用で、他の3人は取材でです。
 総領事館開館には関係ないので、「護照」はすぐに発行されました。

 四人が成都に着くと「日本総領事館開館反対」の民衆大会が開かれ、「岩井領事は即刻四川を去れ」のビラが貼られていました。彼らは『大川旅館』に投宿します。

 そうした所、四人の部屋に中学生達が押しかけ、在室していた渡辺洸三郎と瀬戸尚の前でビラの文句を読み上げ、二人をにらみつけて立ち去ったのです。

 学生達が護衛の警官と大声で押問答をかさね、次第に市民たちも内庭に集まってくるので、警官は、しっかり鍵をかけて外に出るなと指示しました。

 午後五時ごろ、階下からガラスが割れる音、家具を打ち壊す音が響き、その音が一階から二階へと上昇して来、四人は危険を感じたので、室内の机、椅子をドアにあてがって防禦物としました。

 そうしたところドアの上半部が破られ、破口から中学生がのぞきこみ叫びました。中学生の叫びを合図に体当たりが加えられ、バリケードを蹴散らして十数人が乱入してきたのです。

 四人は「護照」を示し、総領事館と無関係であることを説明し、相手はようやく部屋を出て行きましたが、ものの30分もすると、また群衆が押し寄せ、前にも増して激しく打ち壊しをするようになりました。

 中国人警官はこの間に約40人に増員されていますが、丸腰なので静止できません。群衆は、またも四人の部屋に乱入し、今度は「殴れ」「殴れ」と叫びながら四人に殺到してきました。

 たちまち、深川経二が異様なうめき声をあげて倒れ、田中武夫は、その後は自分の記憶しかないと言っています。
 田中は両手を縛られた後、財布、時計その他身につけたものを略奪され、外に引きずり出されましたが、

旅館の庭、周辺は群衆で埋め尽くされていて、群衆は口々に田中を罵りました。
 現場には、警備司令部から派遣された武装兵士約二百人が来ていたのですが、発砲して群衆を解散させるでもなく、傍観していました。

 学生が田中を連行してくると、兵士が田中を引継ぎ市中を引き回しました。次々に群衆の殴打を受けながら夜の街を歩かされていましたが、右耳を棍棒で強打され倒れました。

 警官は「この男は死んだ」と叫んで、なおも殴ろうとする群衆を制し、人力車でカナダ人経営の『四聖病院』に運ばせたのです。田中は病院で気がつきましたが、群衆はなおも病院内に押しかけ、入れ代り立ち代り懐中電灯で田中の顔を照射しています。

 午後11時ごろ、督弁公署に移され、軍医の手当てを受けて、ようやく田中は安堵しました。瀬戸尚も督弁公署に運ばれていて、二人は無事を喜びあいましたが、残る二人の安否が気がかりでした。

 翌日、二人の死体が王府街の火神廟前で発見されました。二人とも全裸にされ、さんざん殴られ、顔もぐしゃぐしゃに潰されて、酸鼻をきわめた殺され方でした。

 この後、惨殺は広東省に飛び火します。

つづく










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成都で第11回「日中友好交流会議」を開催・野中広務らが出席
1936年に成都であった日本人記者惨殺事件
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創価学会の会長や理事長らが聖教新聞で自民党をぼろ糞に非難・戦略の転換か・日蓮正宗が創価学会を破門した経緯・池田大作の裸像・怖いカルト創価学会
創価学会が「自民党離れ」を示唆


創価学会会長が聖教新聞で「自民党離れ」
10月30日12時0分配信 FACTA

我らは「人物本位」で政治家を評価――。公明党の支持母体、創価学会の機関紙「聖教新聞」10月4日付に、こんな見出しの記事が掲載され、政界関係者の話題を呼んでいる。
記事は創価学会創立80周年に向けた座談会で、原田稔会長をはじめ正木正明理事長ら6人の幹部が出席。
福田内閣の発足について原田会長が「期待する声、厳しい注文の声等々、国民の反応はさまざまだ」と指摘。別の出席者が「我が創価学会は、あくまで『人物本位』だ」(正木氏)、「我々は政治団体じゃない。どの政党、どの議員を支持しようが全く自由だ」(山本武副理事長)と強調。
さらに正木氏は「特にさんざん応援をしてもらいながら大恩ある支持者を裏切る。逆恨みする。悪党と結託して牙をむく。そういう恩知らずどもとは徹底的に戦おう」と、選挙協力をした自民党を批判したとも受け取れる発言をしている。
同記事には、激しく対立してきた共産党について、1974年に結んだ「創共協定」を引き合いに、「池田大作名誉会長は、あれだけ学会を目の敵にしていた共産党とも協調した。どれほど幅があるか。懐が深いか」などとも書かれている。
創価学会は将来、自民党が野党に転落し、民主党を中心とする反自民勢力結集の動きが出てくることを想定して、戦略を再構築し始めたのではとの憶測も出ている。
――――――




7月の参院選で自公がボロ負けし、先日も民主党の石井議員からP献金(公明党議員から池田大作「本名:成太作ソン・テチャク」への献金)について追求された公明党=創価学会。

創価学会は、自民党の野党転落に備え、組織防衛のために、自民党とは距離を置き、民主党に“保険”をかけ始めたのか?

P献金などについて民主党からの追求を緩めるためなのか?



P献金に関する先日の↓記事では、
冬柴国交相全否定の「池田大作献金」に動かぬ証拠(週刊新潮11月1日号)・以前はP献金が給与天引きだった・福本潤一を非公認にした理由は、秘書の遺族が日蓮正宗(創価学会を破門)の寺院で葬儀を執り行ったため
1991年、日蓮正宗が、度重なる社会不正と教義逸脱により、創価学会を破門としたことを述べたが、その詳細を紹介しておこう。



公明党(創価学会) 博士の独り言
半島カルトの異常性と特異性!



画像
池田大作の裸像(週刊文春 昭和57年新年号より)
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 かろうじてパンツは着けているようだが。このレリーフは、昭和47年(1972年)に創価学会が中心となり、日蓮正宗総本山大石寺に寄進した正本堂(しょうほんどう)の内部にあったそうだ。宗門重宝の仏を安置する須弥壇(しゅみだん)の手前。経机に当たる位置に彫られていたとのこと。後に、仏の前に半裸で寝そべるレリーフが池田大作をモデルにしたものであることが判り、宗内でも問題となったそうだ。

 平成3年(1991年)11月に、度重なる社会不正と教義逸脱により、日蓮正宗は創価学会を破門。このレリーフはクレーンで撤去され、その後に、正本堂を解体。池田大作が自己顕示欲の象徴としていたこの建物は完全に撤去された。
----------

池田大作の異常性格

 この破門から正本堂解体に至るまでの様子について、終始、記事を書き続けたジャーナリストの内藤國夫氏は、この裸像について、池田大作の異常性格と創価学会の特異性を示す「最も端的な実例」と指摘。

 内藤氏が、月刊誌「諸君!」につづった事件は数多かった。 たとえば、信者の娘(幼児)を抱き寄せ、顔面にマジックインキを塗りたくった事件。創価学園で、父兄がいる前で、突如、教室の窓から飛び出し、スリッパで走り出した事件。七味唐辛子を目一杯振りかけたカレーライスを、大勢の会員の目前で北条浩に食べさせ、自分の唾を塗りたくったマイルドセブンを幹部に吸わせた異様な光景等。

 また、ある会合で、自分に出されたメロンが小さいことに激怒し、40分間にわたって怒鳴り散らした事件等々。一方、「ハーレム」とでも呼ぶべき女性関係の多さも指摘されていた。外で作った子供に「大作」と名づけ、その数はオウムの麻原をはるかに凌ぐ。そして、「金集め」はシッカリしている。そのためには、いかなる脱税行為や不正すら厭(いと)わずに側近に指示する。生い立ち云々ではなく、遺伝子それ自体のレベルで、「池田大作の異常さは日本人離れしている」、と氏は指摘していた。

 内藤氏との会話の中で、池田大作の両親が朝鮮人であったことを言及する機会はなかった。筆者も気づかなかったのだが、後年の富ヶ谷氏の指摘よりも早い時期に、長年のウォッチャーとして、晩年の内藤氏も、池田の本質を見抜いていたようだ。

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池田大作の報復

 創価学会を破門に付した直後から、それを逆恨みした創価学会の報復が始まる。この様子を観察していた複数のジャーナリストから、次の惨状を語った。

 「大石寺の周辺には、在日朝鮮人らの街宣車が周回し、連日、「創価学会への破門を撤回せよ!」「反省せよ!」等、拡声器を通じた激しい怒号が法主(ほっす)に向けられた。夜間になると、境内には、赤ペンキの大きな缶や汚物が投げ込まれた。危機を感じて寺の警備集まった寺門信徒の青年も暴力を浴びた。一時は、寺自体が焼き討ちに遭うのではないかとさえ、地元では心配する声があった」。

 新聞社の記者によれば、破門の翌年4月の夜間に、ついに、大石寺に銃弾が数発撃ち込まれる事件が発生。それが大きく報じられることになり、怒号と暴力による報復活動は、地元警察が捜査に乗り出し、一端、収束に向かったようだ。

 「来るものは拒まず」が、宗教者の慈悲に違いない。その上で、創価学会を昭和から平成にかけての一時期に信徒として認めたのであろう。だが、創価学会を破門に付した法主は、「我々は池田大作に騙されていた」「もう二度と、このような団体を信徒として認めることは無い」「守るべき教えがある」と宣言。創価学会が寄進した建物のほとんどを解体撤去し、今は、昔ながらの寺容に回復しているそうだ。
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責任なし14 満州を侵略したのは中国・Yahoo!掲示板でrekisisiranai さんが語った真実の歴史

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投稿者 :
rekisisiranai


日本の戦争責任


責任なし14 満州を侵略したのは中国


これは「責任なし13 満州事変は侵略か?」の続きです。


 辛亥革命で清朝が滅んだ時、蒙古・ウィグル・チベット等、清朝に征服されていた諸民族は独立を宣言しました。
 ところが中国は、これを許さず侵略に乗り出したのです。自分たちが満州族の支配を排して独立したにも関わらず。

 当然、満州も自分とこの物と決め付けています。
 この考え方の不自然さに気づかない日本人が沢山います。

 満州族から独立した中国が、「満州は自分の物」と言うのは、日本から独立した韓国が「日本は韓国の物」と言う様な物です。
 そして中国が「蒙古やウィグル、チベット、台湾等を自分の物」と言うのは、韓国が「台湾や南洋群島を自分の物」と言うのと同じ事なのです。

 満州族が中国を支配し《同様に蒙古やウィグル、チベット、台湾等を支配していた》のです。
 それは、日本が韓国を支配し、《同様に台湾や南洋群島を支配していた》のと同じ事でしょう。

 そんな中国の理屈が通るのなら、韓国が日本や台湾を自分の物という理屈も通ります。
 満州は、中国の領土ではありません。満州人の土地です。

 中国が満州・蒙古を侵略していたのです。
 満蒙の人達は中国の侵略に抵抗していました。

 日本政府は中立と称して満蒙独立運動を見殺しにしていたので、日本の民間人有志(本土から来た連中、のち右翼と呼ばれる)がこれを応援していたのです。

 日本政府が「日本人有志の行動」を妨害したため、中国の満蒙侵略は順調に進みました。
 侵略者中国は図に乗って、日本人居留民を迫害、法律を無茶苦茶に変え、

日本人が生きていけないまでに追い詰めたため、関東軍が立ち上がり、一向一揆のように暴虐な侵略者を追い出し、満蒙独立運動を助けて、土地を本来の所有者である満州人に取り返してあげたのです。

1931年9月、柳条湖事件

9月下旬、遼寧省、吉林省、黒龍江省、コロンバイル等は独立を宣言

10月、満州各地の代表が揃って、天津に溥儀を訪ね出馬を懇請

11月、溥儀、天津脱出

1932年 満州国建国、溥儀執政に就任

 出来たばかりの満州国に自衛能力はありません。官僚組織も不十分です。いきおい関東軍が指図することになります。
なにしろ中国が常に再侵略を狙っていましたから。 この後も中国は満州を度々侵犯します。

 中国が満州を侵犯したため関東軍は熱河作戦を断行、結果、本来の満州の領域を回収しました。

次に、中国が長城の南から熱河を侵犯したため、長城作戦を行い、長城の南へと反撃、長城の南に非武装地帯をつくる塘沽停戦協定を結んで事変は終了しました。

 ところが、1934年(昭和9年)11月 宋哲元の部下の馮治安の部隊が突如、熱河省を侵犯し、大灘西方20キロの断木梁という部落に進出
 1935年5月24日、「抗日義勇軍」を名乗る匪賊が長城を越え熱河を侵犯したのです。

 そこで土肥原少将は、6月28日、断木梁侵犯なんか絶対に出来ない様にと、新たに《京綏鉄道以北の察哈爾省内に非武装地帯を設定する》という協定を秦徳純に結ばせました。

 いわゆる土肥原・秦徳純協定です。

 2年後日中戦争が始まりますが、戦後、日本がいなくなると、中国は、早速、満州・蒙古・ウィグル・チベットを侵略し、満州の地名を抹殺しました。満州語は既に絶滅の危機に瀕しています。

 というわけで、満州を侵略したのは中国です。日本はそれを一時中断させたに過ぎません。

 日本は、満州国というカイライ政権を作り侵略したと言われますが、少なくとも満州国は独立国でした。建前だけでも。
 ところが中国は満州を完全に中国の一部とし、満州という地名すら抹殺したのです。どちらが悪質か明らかでしょう。

 日本に満州侵略を妨害された中国は、逆恨みしてテロを激化させます。


 つづく










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守屋武昌前防衛事務次官の証人喚問・疑惑晴れずに民主は攻勢強める・ゴルフ接待には複数の政治家も同伴・明日30日に福田と小沢が党首会談


守屋の証人喚問

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071029-00000120-mai-pol


<守屋前次官>証人喚問…疑惑晴れず 民主、攻勢強める
10月29日21時1分配信 毎日新聞

 守屋武昌前防衛事務次官の29日の証人喚問で、防衛専門商社「山田洋行」の宮崎元伸元専務との関係が具体的に確認された。民主党は新テロ対策特別措置法案を審議する衆院特別委で元専務ら計10人の証人喚問要求を連発するなど、攻勢を強める構え。実質的な法案審議に入らせず、成立を阻止するのが狙いだ。政府・与党には「喚問で一区切り」という期待感はあるものの、疑惑が解消できたとの見方はなく、閉塞(へいそく)感に包まれた。

 政府・与党は30日の福田康夫首相と小沢一郎民主党代表の党首会談で局面の打開をはかりたい考えで、自民党の大島理森国対委員長は「国益の観点から接点、合意を目指すべくお願いしたい」と述べた。しかし、強硬姿勢の民主党が法案審議に応じる保証はなく、法案成立に見通しが立たない情勢に変わりはない。

 「全然解明できていない。守屋氏本人の再喚問も含めて事実を明らかにしていく必要が出てきた」。民主党の鳩山由紀夫幹事長は29日、党本部で記者団に強調した。

 民主党は10人の証人喚問に加え、海上自衛隊補給艦の給油量訂正・隠ぺい問題にかかわった当時の海上幕僚監部防衛課長の参考人招致を要請。特別委に首相が出席したうえで、隠ぺい問題の集中審議を行うよう求めている。政調幹部は「与党は早く参院に送りたいのだろうが、疑惑追及でどれだけ引き延ばせるかが勝負だ」と語る。

 また、ゴルフ接待についても、守屋氏の個人的問題ではなく、自公連立政権による政官業の腐敗の象徴的な問題と位置づける。給油量隠ぺいと接待問題で、当時の官房長官だった首相、防衛庁長官だった石破茂防衛相の問責決議案提出もちらつかせ、政府・与党を揺さぶる方針だ。

 一方、自民党の伊吹文明幹事長は29日の記者会見で「参考人の意見聴取が必要なら現場で協議して構わない。ただ、鳩山氏も『いたずらに審議を引き延ばす必要はない』と言っている」と、審議引き延ばしをけん制。公明党の漆原良夫国対委員長も「疑惑は疑惑として、国際貢献をどうするかという大きな課題がある。それに向かって議論をしていかなければならない」と強調した。

 ただ、漆原氏は「疑惑はほとんど解明されていない」とも認めており、「幕引き」にしたかった守屋氏の喚問を経て、さらに与党側が守勢に立たされた感も否めない。法案成立には野党の協力が不可欠だが、見通しは立たないのが現状だ。

 党首会談に対しても、安倍晋三前首相の呼びかけを拒否した小沢氏が一転して応じたことで、「何を考えているのか少し不安だ」(公明党幹部)と警戒する声も上がっている。
――――――








守屋は、ゴルフ接待には複数の政治家(防衛相経験者を含む)も同伴していたと証言した。

いったい誰なのか?


さて、明日30日の午前10時から、福田と小沢が党首会談を行なう。

小沢は、1993年に出版された著書「日本改造計画」の中で、


――――――
安全保障となると、にわかに憲法や法制度を口実にしたひとりよがりの理屈がまかり通り、国際協調の責任と役割を回避しようとする

アメリカとの共同歩調こそ、日本が世界平和に貢献するための最も合理的かつ効率的な方策なのである

平和維持のための貢献はアメリカと緊密に協調して行うべきである
――――――


などと述べていた。


私は、個人的には自衛隊をアフガニスタンの掃討戦に協力させるくらいなら、北朝鮮や竹島に送り込むべきだと思う。

ただ、これはあまりにも少数派なので強くは主張しないが、小沢には日本のためを考えて適切な判断を下すことを願うばかりだ。

しかし、民主党は、実際には元専務ら計10人の証人喚問要求を連発するなどしており、期待は出来ない。


このような嘆かわしい状況については、1週間以上前の産経抄が殆どお見通しのようなことを述べていた。







――――――
【産経抄】10月21日

 防衛省の職員は制度上、自衛官の制服を着ているいないにかかわらず、全員が「自衛隊員」である。その自衛隊員を束ねていた守屋武昌・前防衛事務次官が出入りの商社幹部とゴルフを繰り返していた。何と100回を超えていたという。

 ▼商社とどの程度「癒着」があったのかはまだハッキリしない。しかし、ゴルフ場へは車で送り迎えしてもらっていたといい、ほとんど妻も一緒だった。しかもゴルフ場では偽名を使っている。本人も後ろめたかったようで、これでは疑惑を持つなという方が無理というものだ。

 ▼誰よりも怒って当然なのは、現場で汗まみれになり任務に当たっている自衛官たちだ。イラクで危険と背中合わせで復興支援に当たり、地震や水害の現場で救援活動をしていた時期にも、恐らくこの人はゴルフ三昧だったのだろうからだ。現場への裏切りである。

 ▼かつて大事件が起きたときに幹部と麻雀をやっていて処分を受けた警察本部長がいた。治安や安全を預かる組織のトップであれば、たとえ文官でもストイックな姿勢を求められるのは当然である。それができないのなら、疑惑を持たれる以前に失格といえる。

 ▼とはいえ、これを待ってましたとばかりの民主党などのハシャギぶりはどうだろう。早々と、守屋氏の証人喚問を求めている。テロ特措法との関連はなさそうなのに、これを葬るための「奇貨」にしようとの意図がありありだ。与党には厭戦(えんせん)気分すら漂っている。

 ▼インド洋での多国籍軍への補給活動は、日米同盟を軸にした日本の安全保障に欠かせない。これが「官僚の不祥事」で潰れるようなら、その罪は自衛官への裏切り以上に重い。だがそれを政争の具にしてしまう政党や政治家の罪はもっと深刻である。
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