万世一系
むかし昭和天皇がご存命であられた時のお話。
あるとき、外国の大使館が陛下の謁見を待っていたそうです。
その大使館は先帝陛下が現れた瞬間、涙が、こぼれおちてきたという。
天皇陛下は、神事で毎日祈りを捧げておられ、
凄まじいオーラ(清らかな)が出ている、といわれています。
日本の天皇家は、2660数年間、男系をとってきており
陛下には、2660数年前の1代目の神武天皇さまのお血が、流れておられます。
現存国家で、王室が神代まで連なっているのは世界で日本だけです。
外国の大使級が、大感激のあまり「泣き出した」エピソードは、何件も聞いたことがあります。
■戦後のエピソード
戦後、天皇が全国を御巡幸されたさいに
ある所で、左翼の団体が赤いハチマキを巻いて、
先帝陛下の「戦争の罪を断罪」するために、待ち構えていたそうです。
そこに、陛下が来られました。
昭和天皇は、赤いハチマキを、巻いた連中たちに、気付き
目の前で、足を止められたそうです。
陛下は 何かを言いたそうに じっとされていた。
しかし、
その左翼団体が陛下のお顔を見られるや、事態は急変。
その左翼団体は一斉にハチマキを脱ぎ捨て
直立不動で涙を流しながら、大きな声で
天皇陛下万歳~~~~!!!!!!!!!
を叫んだ。
陛下は、 うむ と うなずき、去られたそうです。
神代より連なる垂直軸
日本の頂点に、2600年あまりお立ちなられたにもかかわらず
一度も革命により、殺されたこともなく
いまにあそばされます。
なぜか。
「元元」
これをなんと読むか お分かりでしょうか。
元元の読みは おおみたから(大御宝) と 読みます。
この国が大飢饉に見舞われた年に 仁徳天皇が 課役の徳政令をだして
そのため 仁徳天皇のお宮まで 荒廃してしまったのを嘆いたお后に対し
百姓(おほみたから)は国の元(もと)なり という ような記述があります。
「其れ天の君を立つるは、是百姓(おほみたから)の為なり」 日本書紀
この語源は更に遡り 衝撃的なことに 気付きます
それは2600年前の
神武建國の大詔 (■)
神武天皇の大詔(天照に誓う建国の宣言)には次のようなことが書いてあります。
「恭みて宝位に臨みて、元元を慎むべし」
2660年前の、神武建国の大詔には国民をおほみたからと読み、元元と記してあります。
百姓、つまり国民は国の元の元でありたからである・・・・と。
西洋では奴隷システムが1950年代まで横行していたというなか..余りにも衝撃的であります。
2600年前から天皇は国民を宝と呼ばれていたのです。
以上、わたしが天皇陛下の真価をしった 衝撃のエピソードです。
アルベルト・アインシュタイン博士 (1879-1955)
来日時に書いた詩(1922)
日本
近代日本の発達ほど
世界を驚かしたものはない。
世界の未来は進むだけ進み
その間 幾度か争いは繰り返されて
最後に戦いに疲れるときがくる。
その時、人類は
まことの平和を求めて
世界的な名手をあげねばならない。
この世界の盟主になるものは
武力や金力ではなく
あらゆる国の歴史を抜き越えた
最も古く
また尊い家柄でなくてはならぬ
世界の文化はアジアに始まって
アジアに帰る
それはアジアの高峰である
日本に立ち戻らねばならない
われわれは
神に感謝する
われわれに日本という尊い国を
作っておいてくれたことを
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ぜひ読みたい 書物
「天皇の曰はく、『烟気、国に満てり。百姓、自づからに富めるか』とのたまふ」仁徳天皇 第2巻
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冠動脈バイパス手術、無事終了
天皇のお仕事・・
四方拝は元旦の寒い夜明け前に野外で国民を想い祈る ?
徳の国富論―資源小国 日本の力
天皇陛下
の手術が無事終了したようですね!
▼天皇陛下の心臓手術、無事終了=冠動脈
にバイパス(時事)
東大病院(東京都文京区)で18日午前から行われた天皇陛下の心臓の冠動脈バイパス手術は同日午後、無事終了し、同3時55分に手術室を出られた。
陛下は容体が落ち着くまで集中治療室で過ごす。経過が順調なら2週間程度で退院できる見通し。退院後はお住まいの皇居・御所で静養する。
手術は東大と順天堂大の合同チームが行った。医師団は東大病院で午後6時ごろから記者会見し、陛下の病状や容体を説明する。宮内庁の金沢一郎皇室医務主管、執刀医の天野篤・順天堂大心臓血管外科教授と、東大の小野稔・心臓外科教授、永井良三・循環器内科教授、門脇孝・病院長が出席する。
天皇陛下のご平癒を静かに祈りたいですね
天皇陛下が普段なにをなされているでしょうか?
『徳の国富論』―資源小国 日本の力から
第二回目、下記抜粋します。
徳の国富論―資源小国 日本の力
四方拝
元日の4時に、天皇陛下はお目覚めになられ、
外吹雪く中で、地面にぬかづき祈られます。
これが、1200年前の1月1日から続く四方拝
国民と世界が平和に幸せになるよう、
天皇陛下 御自らが、頭を地面につけてお祈りされる儀式です。
この神聖な祈りのとき、
皇族方も起き、天皇陛下がお祈りを終えられるまで
お家の窓を全部開け放って待たれておられることが
以下の記述で明らかとなります。
私が、天皇が行われる祭司のなかで、四方拝をつまびらかに描写したのには、理由がある。
あるとき私は、高松宮殿下に新嘗祭(にいなめさい)のときには宮中に皇族がお集まりになるのに、四方拝に当たってそのようなことがないが、そのあいだ皇族が何をなさっていられるか、好奇心からお尋ねした。新嘗祭には宮中三殿の前にテントが張られ、皇族や、三権の長である首相、最高裁長官、国会議長などが集まって、天皇が祭りを終えられるまで待つことが行われる。
このごろは気候温暖化で、元日の午前五時半といっても、かつてのように寒さが厳しくないが、それでも薄暗く、寒風が吹いている。… 殿下は、「私と妃殿下は四時台に起きて身を清めて、応接間に入って、戸や窓を全部開け放って、外から外気が入るようにして、宮内庁からお上が御祭りを終えになっという連絡が電話でくるまで、身を謹んで待っています。他の皇族も同じことをしていられるはずです」と、いわれた。
元日の午前五時半というと、国民のほとんど全員が、温かい寝床の中で初夢を楽しんでいる。天皇が暗く、寒い野外で日本の安寧と世界の平和を真剣にお祈りになるあいだ、皇族がたは御殿で窓を開けはなって、ひたすら身を謹んでいられる。・・
世界にはおよそ二百の国家がある。しかし、世界のなかで、いったいどこの国の元首の一家が、そにょうなことをするだろうか。
『徳の国富論』 P/158
四方拝の描写
新しい年に改まると、天皇が最初に執り行われる祭が、「四方拝」である。宮中三殿の境内の神嘉殿の前庭で、野外で執り行われる。前庭に白い砂が敷かれ、まわりに篝火が焚かれる。
天皇は四時半に起床されて、潔斎(けっさい)を済まされると、平安朝から伝わる黄土色の黄櫨染御包(こうろぜんごほう)という束帯を召され、御立えい(ごりゅうえい)と呼ばれる黒い冠をかぶられて、五時半に神嘉殿の前庭に出御される。
・・・天皇はまず伊勢神宮の方角へ向かって、両段再拝-立って拝礼され、座って拝礼をされ、その所作を二回繰り返されえる。そして右へ廻られて、北西の方角に対して両段再拝され、北東、南東の順で同じことを繰り返される。
四方拝は日の出前に、終えなければならない。
『徳の国富論』―資源小国 日本の力
宮中三殿とは、天照大御神、歴代天皇の御霊(みたま)、
全国の神々、をお祀りする三つの御社。
その野外で、このようなお祈りが執り行われているなんて凄いわ!!
天皇陛下のご快癒をつつしんでお祈り申し上げます。
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履く訳には・・・」とスリッパ脱がれる
徳の国富論―資源小国 日本の力
紀元節、おめでとうございます!!!!
同じ皇室を戴いて2672年目だよ。
世界最長の王室、には訳があることがわかる
以下記事をご参照ください。
・・すごく感動しました。
▼被災地の両陛下 「自分達が履く訳には・・・」
とスリッパ脱がれる(ねたA to Z)
1:影の大門軍団φ ★:2012/02/11(土) 16:24:01.98 ID:???0
東日本大震災以来、天皇、皇后両陛下は幾度も被災地にお見舞いに向かわれた。
今あらためて被災した東北3県を取材し、お見舞いの際に両陛下と被災者の間に生まれた心温まる秘話を再現する。
東北3県のうち最初のお見舞い先は4月27日の宮城県。両陛下が同県で最初に視察された被災地、
南三陸町の町長・佐藤仁氏(60歳)が振り返る。
「両陛下は町立伊里前小学校の校庭に自衛隊ヘリで降りられ、被災した市街地を校庭の隅から視察されました。
学校は高台にあり、校庭の先は崖になっているため、安全を考えて校庭の隅にある花壇の手前に立っていただく予定にしていたのですが、
両陛下は崖のすぐ近くまで歩み寄られ、じっと眼下の市街地を見ておられました」
両陛下は市街地に向かって黙祷を捧げ、佐藤町長から被災状況などについて説明を受けられると、
被災者が待つ町立歌津中学校の体育館を訪ねられた。同行した佐藤町長はそこで両陛下の心遣いの深さを目の当たりにする。
「私が先に体育館に入り、両陛下をお迎えしました。実は当時はまだ物が不足していて、
スリッパも用意できたのは両陛下に履いていただく2足分だけで、私はスリッパを履いていませんでした。
すると、それを見られた皇后陛下が、いったん履かれたスリッパを脱がれたのです。 さらに天皇陛下までがスリッパを脱ごうとなさった。それで皆で慌ててお止め申し上げたのですが、
他の誰も履いていないのに、自分たちだけ履くわけにいかない、というお心遣いだったのでしょう」
http://www.news-postseven.com/archives/20120211_87099.html
久しぶりにこんないい話をきいた・・
■歴代天皇の質素な生活
以前、昭和天皇の質素ぶりをあらわすエピソードを紹介しましたが、
⇒ドラム缶2杯の湿気…仮住居の建替を戦後も拒み続けた昭和天皇
今回のニュースも先の昭和天皇のご姿勢も、
いずれも国民を想われるところから始まっておられますね。
感動しました。
最近購読した加瀬英明著『徳の国富論』
に興味深い記述が。そのなかから
皇室の質素さを示すもう一つのエピソードをご紹介しましょう!
歴代天皇の質素な生活
歴代の天皇は、京都御所に住まわれた。
御所は誰でも望めば、容易に越せる浅い溝によって、囲まれている。中国、朝鮮、インド、ヨーロッパでは、皇帝や王は贅を尽くした日常を送ったが、天皇は質素な生活を営まれた。
私は高松宮宣仁親王殿下に戦前、戦中、占領下時代のお話を伺うために、しばしばお時間を戴いて、御殿に伺候した。ある時、殿下が敗戦後にイギリス王室から日英の王皇室が所有する「宝物を交換して展示したい」という申し入れがあったといわれた。
「ところが、わがほうは残念ながら何もないからね。丁寧に辞退したよ」と仰言って、笑った。喜久子妃殿下が同席されていた。妃殿下は徳川最後の将軍慶喜公の孫に当たられるが、「わたくしが皇室に嫁いだ時に驚いたのは、何も財産がなかったことでした」といわれた。妃殿下は茶目っ気がおありだったから、「正倉院の御物ぐらいでしょうが、がらくたのようなものね」とつけ加えられた。
P.48 『徳の国富論』加瀬英明著
こうやって国民のことを想われる
天皇陛下のもとで、日本は永らえてきたんだね。
日本人に生まれて、誇らしい!!
皇室がいつまでも続きますように、と、
自然と祈りたい気持ちが沸いてくるね!!
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陛下が隊員に与えられたインパクト
昭和天皇の学ばれた教育勅語
良い記事みっけた
▼天皇陛下のお言葉と自衛隊(JB PRESS)
「文芸春秋」5月号に掲載された侍従長の記録から分かるように、発災後の陛下は、被災者と被災地を案じられながらも関係者に迷惑をかけないように大変なご留意をされていることが分かる。
その第一が発災翌日の3月12日に、ビデオメッセージの原型とも言うべき「お言葉」を宮内庁長官を通じて首相に述べられていることである(この事実を「WILL」23年7月号掲載の所功氏論文で知る。首相は国民に公表すべきであったとも所氏は述べている)。
犠牲者へのお悔やみ、被災者へのお見舞い、災害対策に当たる県知事などへの励ましのお気持ちの伝え方でも非常な配慮をされている。避難所訪問を先にされ、ある程度落ち着きを取り戻してから被災地訪問を続けられているのもそうしたご配慮の結果である。
天皇のお気持ちは3月16日のビデオメッセージに表れている。昭和天皇の終戦の詔勅になぞらえられる歴史的なメッセージであるにもかかわらず、ほとんどの新聞はぞんざいな扱い方をしていると言っても過言ではない。
「メッセージを発表された」「ビデオ映像で語りかけられた」などの表現も一部に見られたが、総じて「国民に呼びかけた」「ビデオで発表した」などの敬語抜きでぶっきらぼうな表現が多い。
また、主要6紙を見ると5紙がカラー写真(3紙は2段、1紙は1段、産経のみは3段相当)で扱っているが、1面掲載は3紙(産経、日経、毎日)だけで、朝日に至っては白黒写真で29面掲載である。メッセージの意義や解説を試みた新聞解説などはほとんど見られない。
ビデオメッセージがこのような報道であるから、避難民激励、被災地訪問についての新聞報道は推して知るべしである。
両陛下をお迎えした被災者は、現在おかれている境遇を忘れて殊の外の喜びようで、一様に元気を戴いたと感激している。
しかし、新聞に書かれる陛下に関する報道記事は、敬語も使わないガサガサ乾いた感じの表現で、がっかりさせられることが多い。「読者の神経を逆なでする朝日の皇室報道」(産経新聞5月15日付)と大森義夫氏は書いているが、ほかの多くの新聞も似たり寄ったりの観が否めない。
東日本大震災は1000年に1度と言われている国難である。大規模震災から、政治が機能しない人災に発展し、国民は悲嘆に暮れている。
そうしたところに天皇のメッセージが発信され、被災地等をご訪問されることは、正しく「国民統合の象徴」としての体現にほかならない。しかし、マスコミ報道からはそうした意義がほとんど伝わってこない。
メッセージが自衛隊に与えたインパクト
天皇が植樹祭や国体などに御出席の際、経路傍にある駐屯地の自衛隊は“と列”(註:道路両側や片側で敬礼して送迎すること)部隊を編成し、路上に整列して送迎する。
天皇が外国をご訪問される際は、航空自衛隊が運行する政府専用機をご利用になられる。全国戦没者追悼式(8月15日)では執銃した自衛官が御霊の護衛に任じている。
同様に千鳥が淵戦没者墓苑慰霊祭では自衛隊が大々的に参加する。こうした天皇と自衛隊の接点は処々にあるにもかかわらず、両者は限りなく疎隔されてきた。
したがって、陛下のビデオメッセージが自衛隊に与えたインパクトはことのほか大きい。言論統制まがいに抑圧されている自衛隊であるから、現役自衛官からインパクトの大きさを聞き出すことは不可能である。しかし、大所高所から自衛隊を見てきた識者の所見が教えてくれる。
西村眞悟氏は「正論」6月号で、「『自衛隊、警察、消防、海上保安庁を始めとする国や地方自治体の人々、諸外国から救援のために来日した人々、国内のさまざまな救援組織に属する人々』が『日夜救援活動を進めている努力に感謝し、その労を深くねぎらいたく思います』と仰せられた。
おお! 自衛隊の諸君よ。陛下は、貴官らを筆頭において労をねぎらっておられる!」と、感嘆符を(2個も)つけて、感激の思いをつづっている。
栗栖弘臣元統幕議長は遺言とも言うべき著作『日本国防軍を創設せよ』の巻頭に「改革すべき16の要点」をまとめている。その第1項が“天皇との距離を縮める”である。
「天皇が他の官庁や企業を視察されることはあっても、自衛隊を御視察にはならぬ。国賓に対する栄誉礼を行う時、天皇は国賓と御同行なさらず傍らに立っていらっしゃる。かつて札幌冬季オリンピックの際、自衛隊は2000名に近い支援団を臨時に編成して密接に支援した。天皇が御視察になられた時、道警本部長は拝謁を仰せつかったが、自衛隊の総監以下は列立拝謁も許されなかった」と、悔しさを滲ませて書いている。
このような境遇に置かれてきた自衛官たちは、ビデオメッセージを聞き感涙にむせぶ状況ではなかっただろうか。というのは、ほかでもないが「日本国憲法」の政治のしからしめる結果として、天皇と自衛隊は限りなく隔絶されてきたからである。
田久保忠衛氏も同誌で、「私はいたく感激した。自衛隊、警察、消防、海上保安庁は国家の骨組みだ。その冒頭に自衛隊を挙げられた。陛下が自衛隊を直接お名指しになったのは初めてではないか」と述べているところからも窺える。
偏見を持つNHKや歴史教科書
NHKは陛下のビデオメッセージをいかに伝えたかを問うているのは本間一誠氏(『正論』「NHK殿 一筆啓誅」2011.6)である。少し長くなるが引用する。
「当日、最前線で身の危険を冒して苦闘してゐた自衛官、警察官、消防官、海上保安官には届いたのだろうか。(中略)。陛下が最初に国を守る集団である「自衛隊」といふ言葉をおかれた意味はこの上なく重い。『暴力装置』などといふ許し難い暴言を吐かれた屈辱も押し殺して、過酷な任務に精励してゐたに違ひない彼ら自衛官は、今回の陛下のお言葉でどんなにかその誇りを取り戻し、救われたことだろうか。さういふ力を持つ故に、陛下のお言葉はあらゆる境遇の人々に届かせるべく、涼やかな天籟のやうに何度でも放送されるべきだった。それこそが日本の公共放送の役目だった」と、断罪する。
三重県のローカルニュース番組が久居駐屯地から岩沼市に派遣された600人の自衛隊員の救援活動を紹介し、前線と後方の2人の指揮官が「現地の言語に絶する悲惨さを目の当たりにすると、とても休みたいとか寝たいとか言ってゐる状況ではなかった」との発言を紹介し、このように「黙々と任務に精励して来た自衛隊の震災救援活動を、NHKは正しい視点から事実に基いて、総合的に検証する特集番組を編成せよ」と迫る。
平成24年度から中学校で使用される歴史や公民教科書の採択が迫っている。
近現代史を中心に記載内容を検討したあるグループの研究結果では、天皇のご存在については歴史的・伝統的な本質や今次のような非常時における国民的結束を保つうえで果たしておられる決定的な役割には触れずに、形式的・儀礼的な国事行為を内閣の助言で行うとした記述が目立ち、自衛隊についてはいまだに違憲、不要論が底流にある教科書が多いという。
「どうしてそんな解釈が出てくるのか不思議であるのが多い」そうである。
3.11は日本国家のあり様、世界との関わりを大いに考えさせる契機であり、災い転じて福となすことも出来る。次代を担う若者に「日本」を否定させる愚を犯させてはならない。
終わりに
三島由紀夫が割腹自殺までして訴えたものは何だったのか。「檄」文を読めば一目瞭然で、戦後的なるものの拒否であり、永遠の決別であった。戦後的なるものの最たるものが天皇と自衛隊であると見ていた。
「軍の名を用ひない軍として、日本人の魂の腐敗、道義の退廃の根本原因をなしてきているのを見た。もっとも名誉を重んずべき軍が、もっとも悪質の欺瞞の下に放置されてきたのである。自衛隊は敗戦後の国家の不名誉な十字架を負ひ続けてきた」という。
三島の願いはこの天皇と自衛隊の離隔を「栄誉の絆でつなぐ」ことにほかならなかった。
前出の本間氏は「非常時には危険を顧みず、国家国民のために命を捧げる覚悟もせねばならない人々には、何より名誉を以て報いるのが世界共通の人道といふものである。本来その名誉は国家から授けられ、その国家の権威の重みは歴史の縦軸といふ源泉から湧き出す」と書いている。
歴史の縦糸とはほかでもない天皇であろう。ここにおいて天皇と自衛隊が離隔されていては「日本」そのものを危殆に瀕させることになる。
身をとして活躍する自衛隊にエールを
送られたのは天皇陛下であらせられた
のですね。
有り難うございます。
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読み取り周囲を驚かす
渡部昇一「日本の歴史」〈第2巻〉中世篇―日本人のなかの武士と天皇
「ようこそ…」皇后さま、手旗信号を読み取り
周囲を驚かす 天皇皇后両陛下、東京海洋大
学で「明治丸」の特別展を鑑賞 (ネトウヨにゅ
ーす)
1:西独逸φ ★:2011/06/08(水) 20:04:23.92 ID:???0
天皇、皇后両陛下は8日、東京都江東区の東京海洋大学で、皇室御用船として明治天皇が地方訪問に使用した「明治丸」の特別展を鑑賞した。
明治丸甲板では同大生13人が赤白の旗を使った手旗信号でお二人を歓迎。
皇后さまが「ようこそ…」と信号を読み取って声に出し、周囲を驚かせた。皇后さまは「小学5年生の時に習いましたの」と説明していた。
明治丸は明治政府の海運強化策のもと、各地の灯台の保守点検を担った灯台巡視艇で、日本に現存する最古の鉄製船。
明治天皇は北海道や小笠原諸島訪問に使った。船内には天皇専用の寝室や風呂といった「御座所」がある。
ソース
asahi.com http://www.asahi.com/national/update/0608/TKY201106080420.html
これは良いニュースです
■鹿児島湾上の聖なる夜景
海にまつわる皇室の
エピソードを『宮中見聞録』より。
鹿児島湾上の聖なる夜景
皇室を仲立ちとして人々が心を通わせあった、もう一つのエピソードを木下氏の著書から紹介しよう。昭和6(1931)年11月19日午後6時半、軍艦榛名は鹿児島湾内をまっすぐに南下していた。熊本での陸軍大演習の後、お帰りになる昭和天皇を鹿児島から横須賀までお送りする航海だった。すでに日は暮れて、月もなく、左舷の大隅半島、右舷の薩摩半島の山々も10余キロの彼方、夕闇の中にほの暗く見えるのみである。
木下氏は行幸事務を主管する宮内大臣官房総務課長として乗船していた。ちょうど全員が夕食中で、見送りの船でも来たら気づかずに相済まぬ事になると思って、後甲板に出てみた。灯りのない後甲板は薄暗く、人の顔の見分けもつかないほどである。
誰もいないと思っていたところが、右舷のてすりの所に西を向いて立っている一人の人の後ろ姿があった。備え付けられた脚付きの望遠鏡のそばに直立し、挙手敬礼をしている。
今頃誰か、と近づいてみると、なんと陛下ではないか。はて、何か望遠鏡でご覧になったのかな、と木下氏も近くの望遠鏡を覗いてみると、薩摩半島の山々がぼんやりと見える。目が慣れてくると、その水陸の境目、海岸線一帯に延々と果てしなく続く赤い紐のようなものが見える。その少し上、小高い所には数百メートルの間隔で点々と燃え盛るかがり火。
木下氏は万事を了解した。陛下のお船が沖を通過する時刻と知った薩摩半島の村々の人々が、ちょうちんやたいまつを持って海岸に立ち並び、また若者達は山々に登ってかがり火を焚いて、こぞって陛下をお見送りしているのである。陛下はこれを望遠鏡で見つけられ、ただお一人、挙手の礼で沿岸一帯の人々にご挨拶をされていたのだ。
木下氏はなんとか、お見送りしている人々に陛下が艦上からご挨拶されていることを知らせる術はないかと思い苦しんだが、ふと一案を思いついて艦長室に走った。艦長に事情を話し、すべての探照灯をつけてもらうよう頼んだ。艦長も感激して、すぐに指示を下した。
6機の探照灯がこうこうと左は大隅半島、右は薩摩半島の山や空や海をくまなく撫で回した。はるかに、わっとあがる両岸の歓声を想像しながら、木下氏は歓びに浸った。
via 国際派日本人養成講座
皇室がなぜ2670年も続いているのか、
わかるわ。
「奴隷を民と呼ぶ中国。一方天皇陛下は・・・」
日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか (PHP新書)
久しぶりに早く帰宅しました。
TVを観ていたらTBSで『教科書に載せたい~』という番組が
やっていて面白かったので観ていたのですが、
「本当は怖い漢字の由来」ってのがやっていたww
漢字は中国から来たものですが、
漢字の語源を知ると、結構怖い由来がある、ということらしいです。
でたのが「民」という漢字。
この語源は?
民とは人の目に針を突き刺している象形文字、らしい。
つまり恐怖を以って王の前にひれ伏させるのが民だと。w
俺はピーンっwと思い出したわけですよ。
なにをって瞬間的に 天皇陛下を。
というか、その初代の神武天皇様がお読み成られた
神武天皇即位建都の詔の凄さを…。
神話に従うと、今から2669年前の現2月11日。
自由も平等も民主主義のへったくれもない時代。
神武天皇がお読み成られました「建国のみことのり」のうちの
下記一文。
「恭みて宝位に臨みて、元元を鎮むベし」
さてこれは何と読む?
この単語こそ日本と天皇陛下の悠久より今に連なる関係を
読み解く超重要キーワード(らしい)です。
元の元、と書いて何て読むのかご存知でしょうか?
これを「おふみたから」と読むのです。
おおいなる「おたから」
宝石のことではありません。w
百姓。国民のことです。
豊葦原瑞穂の元の元にあるのは毎日大地を耕す百姓。
その百姓を敬語で読み、「謹んで彼等をしろしめます(治国)」と
神武天皇が天照大御神様に御誓いになられたのです。
中国の民に込められた意と比して如何?
勿論当時の国民たちは、自分ら百姓が天皇に
敬語で「国の基(もとい)」と呼ばれていたことなど知らないでしょう。
天皇が2600年間、途切れる事なく繋がっている理由が
何となく分かるのではないでしょうか。
僕はこの事実を知った時、文字通り鳥肌が立ちました。
日本・・・・なんて凄い国なんだ・・・・!!!と。
↓とても感動しました~!
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仏教と怨霊と天皇!(動画)
日本人のための宗教原論―あなたを宗教はどう助けてくれるのか
明けましておめでとう御座います!
関西方面に帰省?しておりました。
大たこの味は普通やったわ!本年も宜しくお願いします!
ところでTVでやってた元旦スペシャル
たけしの”教科書に載らない日本人の謎”シリーズ
今年も面白かったですね~!
http://channel.pandora.tv/channel/video.ptv?ch_userid=gogoucc&prgid=40733390&categid=33433750&page=1
↑動画貼り付けミス?に突きリンク先参照ください
※混んでて見れない時は頻繁に更新ボタンをクリック
※一時停止して音が消えたら音量アイコンをクリック
去年は天皇に密接にかかわる「神道」がテーマ。
今回は仏教。だけどただの仏教じゃない。
天皇と仏教。これがまた面白い!
仏様(大日如来・菩薩等)の違いがはじめて分かったわ。
孔雀王で読んだだけだけど密教・高野山の奥の院初めてみた。
んでやっぱり天皇と仏教の関係を説く後半がグッと濃密になるね。
竹田宮様が今回も出演なされていて
天皇の御即位の儀にて、天皇のみ御座りになられる
高御座のおんなかで、密教の秘密の儀式が
行われていたとは…。CG再現されています。
今年も日本・日本史・日本人を見つめ直すところから
スタートしましょう。ほなよろしくお願い致します
仮住居の建替を戦後も拒み続けた昭和天皇
戦時中、爆撃で御住居が燃え落ち、
昭和天皇は昭和19('44)年から、皇居内「御文庫」という処に仮住まいなされた。
ここの湿気が強烈だというのだが、驚くべきことに
昭和天皇・皇太后は、戦争が終結して昭和36(1961)年まで
この仮住まいから引っ越さなかったという。
その真意をしる。
『昭和天皇論』より
この「御文庫」、湿度の高さが尋常ではなかった。
屋根裏に入れる爆弾よけとして雪の積もった砂をそのまま詰めてしまっており、この雪が解けて腐ったような水が電気コードをつたってポトポト落ちてくる。
一方、地下室からは猛烈な湿気が太い柱をよじ登ってくる。
背広をつるしておくと2、3日でジットリ湿ってしまうほどだったと当時の侍従だった入り江相政氏が、『天皇さまの還暦』や『皇居』で書いている。
こんな施設に昭和天皇は戦後も住んでおられたのだ。
湿度は高いし、陽は差さないし、風は入らないし、健康にいいはずがない。
そこで侍従が陛下に進言する。
↓
「日当たりのいい風通しのいいお住居を造らせていただきたいのですが」
昭和26年頃だが、陛下はこう言って拒否される。
「世の中には住む家の無い人もあるのに、私にはこれだけのものがあるのだから。」
「湿気ると言っても、印象だけでは問題にならない。数学的な根拠を示さなければ。」
侍従たちは、・・専門家に見せて計器を設置し、一年間データを取ったら、やはり最悪だと
結果がでた。
そこで修理することになったが、屋根裏からは3立方メートルくらいのところから、ドラム缶二杯半の水が出たという。
昭和28年頃から、対外的にはやはり新宮殿が必要だという話が持ち上がったが、・・だが「公事」と違って「私事」だから、陛下は気が進まない。政府は何度も新居へ移るよう勧めるが・・
「みなが空襲や引き揚げで住むところも無く苦労しているのに、自分だけそうするわけにはいかない。」
昭和天皇は・皇后はなんと皇太子の御成婚の後まで「御文庫」に住まわれ、昭和36年12月に、やっと新たに建てられた吹上御所に移られたのである。
そのとき仰られた言葉が泣かせる。
「こんないい家に住めるようになったのもみんな国民のおかげだ。」
泣いた。
■10年着続けたスーツ
昭和天皇は、・・昭和10年頃から背広を新調していなかった。
そのため終戦後は、十年以上前に作った背広を着て、22年の夏の東北巡幸では、かぎざきをつくろっていたのが出てくる始末。
「ぜひご新調になるように。アメリカ人なんかも見ておりますから。」
「アメリカは勝ったんだし、金持ちなんだから、いい物を着たって当たり前だが、日本は負けてみんな着るものもなくてこまっているじゃあないか。」
「洋服なんか作る気になれない。」
「あんな古い洋服を着ておられては、我々の肩身が狭くて困るのです。」
「ふうむ・・」「そんなに言うなら、少し作ろう。」
こうして作った二、三着の背広を非常に大切にされ、晴れがましい客に会うときに着るようにされたという。
客との会見が済んで部屋に戻ったら早くも上着を脱いでしまわれる。
これは国民の肩身を狭くしないために作った洋服だから、そういう時のために綺麗にとっておかなくてはというお気持ちだったという。
『昭和天皇論』小林よしのり著 『終章 御文庫から』P.329~P.333
たかきやにのぼりて見れば 煙立つ 民のかまどはにぎわひにけり
伝・仁徳天皇御製拝誦
昭和天皇御生誕日を謹んで御祝い申し上げます。
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是非、学校教育の場で
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皇居前広場で天皇陛下皇后陛下の御前で平成21年11月12日に
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関連過去ログ:祝賀式典プログラムより「歌詞」
ゴーマニズム宣言スペシャル発売
昭和天皇の”奇跡”
昭和天皇論 ゴーマニズム宣言SPECIAL
なぬ。・・釣りかなんかの挑発かこれは。w
いい作品をつくるじゃないか。テーマだけで買いだ。
女系天皇論を除けば
『天皇論』が思ったよりよかったので
17日発売、ってことで予約しました。
■読書中間報告→『昭和天皇論』は買い
昭和天皇のエピソードはそれ自体が気圧されるものが多々あり
『宮中見聞録』木下道雄著が、優れていると言われています。
本書より「たった一切れの恩賜菓子折り」で
部落がかわったはなし。まごころの通い路(国際派日本人養成講座)
『天皇論』のような学術的本ではなく
『戦争論1』だけがもっていた魂を
揺さぶるような内容を期待します。
非常に魂を揺さぶる…天皇陛下皇后陛下のご存在
47秒後神本番(再掲)
敗戦後のご巡幸の際、米国のいかなる大スターが集客することの
できなかったほどの観客をこの昭和天皇はお一人で動員した(米紙)
昭和天皇は、明治34年、西暦でいえば1901年のお生れである。87歳であられた。在位期間は、摂政時代も入れると、じつに67年という長きにわたり、これは世界的に見ても例の少ないものである。
しかし、昭和天皇の在位期間をユニークなものたらしめているのは、単にその長さによるものではない。その期間中に、日本が大きな戦争を経験し、しかも負けたということがあり、さらにそのときの天皇のご決断によってである。
「昭和天皇の世紀」/渡部昇一著 p.32
昭和天皇ご生誕百年目の
午前6時30分、
武蔵野御陵で、終戦御製3首を300人以上で
歌会始ともちがう、天皇御製、専用の節で詠んで発動した
あの地に鳴り響いた言霊のオオオオ、という昂揚感動。
天皇のみがお持ちになられるそのような桁外れの御いつを期待アゲ。
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