女性同士の思春期疑似恋愛*1は性を超えているか?

結論を先に言うと、超えていないどころか、かなり濃厚にヘテロセクシュアリティという“性”的指向の香りがするケースの方が多い*1と思います。理由は以下の2点。

  • 異性間のハイパーガミー(上昇婚)の形態をなぞっているものが多い
  • 性を超えているんではなく、棚上げしているだけ

思春期疑似恋愛とハイパーガミー

全部が全部そうじゃないんですけど、女性同士の思春期疑似恋愛って、「下級生が上級生に憧れる」パターンがやたらと多いでしょう。さらにその上級生が背が高かったり、成績が良かったり、どこか男っぽかったり(運動が得意とか、立ち居振る舞いが女っぽくないとか)すると倍率ドン更に倍。で、これって、単に異性間の婚姻におけるハイパーガミー(上昇婚)を盲目的になぞった関係だと思うんです。


Hypergamy refers to a system of practice of selecting a spouse of higher socio-economic status than oneself. Specifically, it refers to a widespread tendency amongst human cultures for females to seek or be encouraged to pursue male suitors that are comparatively older, wealthier or otherwise more privileged than themselves

(引用者訳/強調も引用者)ハイパーガミーとは、自分よりも社会経済的に上の地位にある配偶者を選ぶという行為体系のこと。特に、女性が、自分より年上で、自分より裕福であるか、または自分より多くの権力を付与されている男性求婚者を求める、あるいは求めるよう奨励されるという、人類の文化に広く見られる傾向を指す。

「裕福」というのはちょっと違うにしても、日本の学校では上級生が下級生より多くの権力を保持していることはいわずもがな。成績がいい人が、悪い人より多くの権力を持っていることも。背が高いだの男っぽいだのというのは、そうした上級生に「疑似男性」を演じてもらうために都合がいい条件でしょう。また、「素敵な先輩とおつきあいすることで、先輩にふさわしい自分へと向上する」なんていうのも、「上位の男性との婚姻で自分の地位を引き上げてもらう」という上昇婚のパターンを彷彿とさせます。
本当に「性を超え」ているのなら既存の異性愛システムのテンプレなんてなぞらなくたっていいはずなのに、嬉々としてなぞってしまうのは何故? 自分よりはるかに背が低い下級生や、フェミニンで運動音痴の同級生を見染めてドキドキしたっていいはずなのに、そういうケースがより少数なのは何故?

要するに、「性を超える」どころか、異“性”愛社会のイデオロギーにすっかり絡めとられている状態だと思うんですよ、こういうのは。超えてるんじゃなく、隷属しているだけ。異“性”愛というシステムを信じて疑わず、これからその中に入っていくべく、着々と準備しているだけ。

性を超越しているんではなく、棚上げしているだけ

そもそも、多くの異性愛者のお気に入りの「(同性の誰かのことを)“性を超えて”好き」という表現自体がおかしいんですよ。それを言うなら「異性愛規範を超えて好き」でしょう? つまりは、

  1. 本来好きになるべき性別の枠(←このへんが異性愛規範)を超えて、同性を好きになってしまった。ヤバい。
  2. そうだ、「人間として好き」ってことにして、性別については棚上げしよう。どの道キスとかセックスとかまでしたくないし。
  3. 「この想いは性(性別とか性欲とか)を超えているの! 崇高なの!」

……というパターンですよね、要するに。

でも、そこまでガッチガチに異性愛規範を内面化している点で、こうした発想は「性」と無縁ではありえないと思います。また、「欲情しなかったんだから『性を超え』ていた」っていうのもすごく変。異性愛者が同性に欲情しないのなんて当たり前のことで、それをあたかも男女恋愛や同性愛における性愛関係より上等なことであるかのようにとらえるのは筋違いです。単に「相手が同性であることを棚上げして、ヘテロ同士で『男と女ごっこ』をしてみましたが発情しませんでした」というだけの話を、なんでそこまで美化するかね。

まとめ

思春期女子同士の疑似恋愛は、「性を超えた」関係とは呼びがたいと思います。多くの場合、「異性愛規範を信じて疑わず、ハイパーガミーを盲目的になぞった関係を作る」という点で、ヘテロセクシュアリティという性的指向の香りが濃厚に漂うからです。また、そこに欲情が介在しないのは、単にヘテロは同性に欲情しない(あるいは、しにくい)というだけのこと。以上の点から、単なる同性相手の「異性愛ごっこ」にすぎないものを何か性を超越した素晴らしいものであるかのように語るのはおかしなことであるとあたしは考えます。

*1:全部がそうだとは言いませんよ。念のため。