『ゆれる』

この映画は、今年の日本映画のベスト1になるのではないかと思うが、ストーリーの面でちょっと得心できない部分が残った。
地味な題材に見えるが、非常にアクチュアルな問題を意識して作られたことはたしかだ。
重すぎず、軽すぎず、ちょうどいい感じの作風で、すごく水準の高い心理劇に仕上がってると思う。

あらすじ

オダギリジョーが演じる主人公の猛(たける)は、都会に住むフリーカメラマンだが、法事で田舎の実家に帰ってくる。香川照之が演じる35歳で独身の兄、稔は家業を継いでガソリンスタンドを経営しているが、そこで働いている智恵子という女性(真木よう子が演じている)に好意を抱いている。じつは、この智恵子と猛とは学生の頃、一緒に東京に出て行きかけたような仲だった。猛は、もともとすごくセクシーな感じの男性で、兄とは対照的に女にモテるタイプなのだが、兄と智恵子のやりとりを見て嫉妬し、智恵子の部屋にあがりこんでセックスすることになる。田舎の生活の単調さへの嫌悪も手伝い、ふたたび猛に引かれていく智恵子。稔は、なんとなくそのことに感づいている。
次の日、この三人で近くの渓谷にドライブすることになり、川の向こう岸に渡って写真を撮っている猛のもとへ行こうとした智恵子を、稔は追いかけて吊り橋のうえで捕まえる。ただならぬ様子に気味悪さと恐怖心を感じて突き放そうとする智恵子に気持ちを傷つけられて怒り、突き倒す稔。次のシーンでは、橋の下に落下してしまった智恵子の姿をもとめて茫然と川面を見下ろす稔の姿が映される。
稔は智恵子を突き落としたのか、猛はその現場を目撃したのか。謎をはらんだまま、映画は後半の法廷劇へとすすんでいく。
兄の無罪を勝ち取ろうと懸命になる猛に向って、稔は弟の人生に対する嫉妬と憎悪をむき出しにする。やがて、弟の心の底を暴き、否定するような言葉を口にした兄に対して、猛はある決断をすることになる。

解釈と感想

「ゆれる」という題名だが、上にあげた三人の登場人物の心の揺れのようなものが、見事に切迫感をもって描かれている。
ポイントは、実直で女にモテない兄の、弟に対する嫉妬は一見明瞭だが、弟もやはり兄に対して愛情というだけではない複雑な感情を抱いていることだ。
セクシーであることと不安定であることとは同義で、不安定な弟にとっては、兄は自分に安定を与えてくれる唯一の存在だった。そのことが兄にとって重荷になっていた可能性もあるが、弟自身にとっても、この愛情や信頼は、兄への苛立ちや憎悪と表裏のものだったと思う。なぜなら、自分に安定を与えてくれる唯一の存在であるということは、その人の支配から容易に逃れられないということを意味するからで、自分の欲望や願望を犠牲にしているかのような兄の態度に、弟が権力性を感じないはずはないからである。


猛が兄を擁護してその無実を証明しようとし続けるのは、結局自分の安定を保障してくれる唯一の存在を失いたくないというエゴイスティックな理由がからんでいて、映画の終盤で稔が弟に投げつける言葉は、それを暴いたものだともいえる。だからこそ、猛は激昂するのだが、それは愛情と憎悪が絡み合った兄弟の依存的な関係を断ち切ろうとする暴力だったともかんがえられる。
見ようによっては、弟はこの兄から投げかけられた暴力に、暴力をもってこたえることで、依存的な関係を断ち切り、はじめて人同士として向き合ったのだとも思える。
それが、法廷シーンの最後のところまでの、ぼくの解釈なのだが、そうなると映画の最後の部分をどう解釈するべきか、分からない。それが、この映画に対するぼくの不満である。
多くの方の意見や感想を聞いてみたいものである。
あと、兄弟はこれでいいとしても、ちょっと女の人の立場がないような気がしたが、これは「他人」だからか?


あとひとつ気になったのは、稔の腕にあった深い傷跡のことである。最初思ったのは、これは自殺未遂の傷跡で、もともとこういう退行的というか(智恵子に対する行動を見ていると、あきらかにそういう感じがする)、自己破壊的な面があることを示してるのだろうということだったが、最後の方の部分を見ていて、違うのではないかということに気がついた。
どう違うかは、書くとネタバレになってしまうので・・・。

演技

香川照之は、寒気がするぐらいの名演。
また真木よう子は、『パッチギ!』のときから目をつけていたが、いい女優だと思う。
脇役では蟹江敬三が、これは型通りの芝居なんだろうけど、やっぱりうまい。
『花よりもなほ』では「なんだかなあ」という感じだった木村祐一も、暴力団員まがいの検事役の嫌らしさが、妙にはまっていた。この人は、こういう人の悪い役のほうがいいようだ。


シネ・リーブル梅田で上映中。
公式サイト
http://www.yureru.com/top.html