2006.04.15 (Sat)
ティナ・スモール物語
彼女を紹介するたった五、六行の記事が検索エンジンの上位に載ってしまう侘びしさ、申し訳なさから、もう一度取り上げてみたく思いました。 とりあえずもう一度紹介を。
ティナ・スモール(Tina Small)
1959年9月10日英国生まれ。 胸は豊胸によるものではありません。 流れるような美しいブロンドと愛くるしい顔立ち、それに極めてセンシティブな性格でした。
また彼女の自叙伝、「BIG GIRLS DON'T CRY」 を読むと文学にも嗜みのあったことがわかります。
サイズは 81-23-35(210cm-58cm-89cm)で、トップバストについては記述によって5cm内外の差がありますが、ここまで大きければたいした問題でもないでしょう。 彼女は双子の一人として、林檎の産地として名高いイングランドの南西、サマセット州の小さな村に生まれました。
双子の姉妹の名はデボラ・ルイス。 4歳の誕生日を迎える前に亡くなりました。 今でもはっきりと覚えているのは、父からデビーがいなくなった事を告げられたときの当惑です。 まもなく子供部屋からデビーのベッドが片づけられ、よく取り合いをしたテディ・ベアが私だけのものになりました。 いつも隣にいたデビーの姿が消え、一人で寝る夜はとても妙な感じがしたものです。
デビーのベッドがあった場所には、それまで庭に置いてあった木馬が運び込まれました。 美しいたてがみを持ち、灰色に白い斑をおいたその木馬はまるで本物の馬のようで、以来私のお気に入りになりました。 私が木馬にデリックと名付け、夢中になる頃にはもうすっかりデビーの存在を忘れていました。 無情のように聞こえるかしれませんが、デリックの案内のままに乗馬という世界に誘われた私は、すっかり心奪われていたのです。
皮の鞍に跨り、デリックの手綱をとった私は毎日何時間もその背に揺られました。 しかし私とデリックとの幸せな関係も、一年と経たないうちに終わりを迎えます。 5歳の誕生日が近づいたある日、酔って帰ってきた父がよろけ、デリックに覆い被さって粉々に壊してしまったのです。 デリックがいなくなると同時に父も、私の、いや家族の前から姿を消しました。 大きくなってから母に父がどんな人だったのか訊ねたことがあります。
父の名はシドニー・ボールガード・スモール、好きなことといえば酒を飲むことでした。 曾祖父の代にベルギーからイングランドに移住してきた家系の中に生まれた父は、その美貌で半径10マイル以内に住んでいる女の子を全て虜にしていたというのは母の話。 私にとっては愛するデリックを壊してしまった大酒飲みの印象ばかりが強い父ですが、それでもいい思い出はいくつか残っています。
父は仕事から帰ってくると、よく膝の上に私を乗せて酒臭い息で話しかけたものでした。 そしてそのまま椅子にもたれ掛かって寝入ってしまう父。
トイレットペーパーを作っている会社の営業をしていた父は、酒好きながらエリアマネージャーまで昇進すると、家で過ごす時間よりも仕事に携わる時間の方が多くなっていったようです。
父と母はよく諍いをしました。 ある日などは階下から叫び声が聞こえてきたので大急ぎで階段を下りると、頭を包帯だらけにした父の姿が見えました。 後年、母に訊くと父はその晩、友人を連れて酒を飲み、帰りの車で溝に突っ込んでフロントガラスを突き破ったのだそうです。 父はその事故で頭を35針縫ったとも聞きました。
ティナ・スモール物語(2)