自民党の憲法改正推進本部が3月14日の役員会で、9条に関する7つの改憲案を示した。3月25日の党大会に向けて、意見集約が進められる。それぞれの案がどのような意味を持ち、どんな違いがあるのか。新進気鋭の憲法学者、木村草太・首都大学東京教授に聞いた。
(聞き手は、森 永輔)
7つの案を見て、どんな印象を持ちましたか。
木村:大きく言えるのは、安全保障法制*を2015年に無理に成立させたツケが回ってきたということです。安保法制を成立させる前なら、自衛隊を憲法に位置づけるのは今より容易でした。「日本が武力攻撃を受けた場合にこれを阻止するため自衛隊を置く」とすればよいわけですから。しかし、安保法制があるがゆえに、こうした書き方ではすまなくなっている。
一方、安保法制の合憲性を明確にするには、集団的自衛権行使の限定容認を明示する文言にしなければならない。それは国民投票において国民の理解を得られない可能性が高い。かといって、あいまいな表現を取れば、憲法による統制が意味を成さなくなってしまう。
なるほど。今のお話をふまえて、7つの案を順に見ていきます。まずは「有力案」とされるものから。
我が国の平和と独立を守り、国及び国民の安全を保つための必要最小限度の実力組織として、法律の定めるところにより、内閣の首長たる内閣総理大臣を最高の指揮監督者とする自衛隊を保持する
自衛隊の目的を「我が国の平和と独立を守り、国及び国民の安全を保つため」というのは、自衛隊の役割として必要十分でしょうか。
木村:この表現は、意味が定まっていないので、評価のしようがありません。
安倍政権が、集団的自衛権行使を限定容認する新たな9条解釈を閣議決定する以前は、自衛隊の役割は明確でした。政府が旧三要件としてまとめていたものです。
- わが国に対する急迫不正の侵害があること
- この場合にこれを排除するために他に適当な手段がないこと
- 必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと
言い換えれば、我が国が武力攻撃を受けた時、もしくは相手国が我が国に対する武力攻撃に着手した時に、これを排除するための必要最小限度の実力として自衛隊を位置づけていました。
有力案の表現は、自衛隊の武力行使を旧三要件を充たす武力攻撃事態の時のみに限定するのか、そうでないのかが不明です。
というのも、2014年閣議決定は、これに加えて、新たに定めた新三要件の下でも武力行使が可能としました。
- わが国に対する武力攻撃が発生したこと、又はわが国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これによりわが国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があること(存立危機事態)
- これを排除し、わが国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないこと
- 必要最小限度の実力行使にとどまること
この新三要件の冒頭に挙げられている存立危機事態の説明と、有力案の表現とは全く異なります。これでは、存立危機事態において自衛隊が武力行使できるかどうかも分かりません。
以上のことから、この案には二つの問題があることが分かります。一つは、武力攻撃を受けた場合を超えて、すなわち拡大解釈して、武力行使できる可能性があることです。例えば、イラクのクェート侵攻に反撃するために行われた湾岸戦争ですら、「我が国の平和」を守るための武力行使と強弁する人もいるでしょう。シーレーン封鎖によって石油の輸入ができなくなった事態をもって「独立」が侵されたという人が現れるかもしれない。
第2の問題は、この有力案では安保法制が合憲かどうか判断することができないことです。私は、安保法制による集団的自衛権行使の限定容認は、政府の説明を前提とすると違憲と評価せざるを得ないと考えます(関連記事:「もし「自衛権」を国民投票にかけたらどうなるか?」)。2015年の審議の過程であれだけの混乱を招いたのですから、改憲案は集団的自衛権行使の限定容認が合憲か否かを明確にする必要があるのではないでしょうか。
行政機関としての自衛隊は73条で定めるべき
自衛隊を「必要最小限度の実力組織」と位置づけているのは、現行通りですね。
木村:それが、そうではないのです。「必要最小限度」かどうかは、その目的が何であるかによって異なります。侵略のために必要な最小限度と、個別的自衛権を行使するのに必要な最小限度は異なる。
有力案の表現は、何のための必要最小限度なのか不明です。先ほどお話した通り、「我が国の平和と独立を守り、国及び国民の安全を保つため」が武力攻撃事態への対処だけを指すのか、存立危機事態への対処を含むのかが不明だからです。もっと言えば、存立危機事態がどのような状況を指すのかがそもそも判然としていないという問題もあります。
「内閣の首長たる内閣総理大臣を最高の指揮監督者」とするのは、自衛隊法7条の規定を取り入れたものですね。
木村:これは憲法72条からの帰結と考えるべきでしょう。
政府は憲法の下で自衛隊を行政組織(行政各部)と位置づけています。なので、自衛隊の最高指揮監督権は「行政各部を指揮監督する」内閣総理大臣が担うことになります。自衛隊法を作るときに、憲法72条の規定を自衛隊に当てはめたのです。
有力案のこの字句は、自衛隊が行政機関であるのか、そうでないのかが分かりません。
行政機関としての自衛隊をそのまま憲法に書き込むならば、憲法に「72条の2」として加えるか、内閣の権能を定めた73条に新しい項を加えるべきでしょう。例えば、行政活動の一つとして防衛を行うとか、防衛のための行政機関として自衛隊を設置するといった表現で。
内閣は、他の一般行政事務の外、左の事務を行ふ。
- 法律を誠実に執行し、国務を総理すること。
- 外交関係を処理すること。
- 条約を締結すること。但し、事前に、時宜によつては事後に、国会の承認を経ることを必要とする。
- 法律の定める基準に従ひ、官吏に関する事務を掌理すること。
- 予算を作成して国会に提出すること。
- この憲法及び法律の規定を実施するために、政令を制定すること。但し、政令には、特にその法律の委任がある場合を除いては、罰則を設けることができない。
- 大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を決定すること。
9条に規定すると、他の行政機関とは異なる機関であるかのように受け止められかねません。そうなると、「行政機関が本来守るべきルールを逸脱しても許される」という誤解を与える懸念がある。行政機関には、法律に基づいて事務を執るとか、平等の原則とか、さまざまなルールが存在します。有力案の書き方はこの点において不注意です。
国民を騙して有力案を国民投票で通す?
現状の自衛隊を憲法に明記するなら、武力攻撃事態や存立危機事態の時に自衛隊は武力行使できると明確に書かねば、誠実な対応とは言えません。具体的には、防衛出動(編集注:武力行使の前提としてこの命令が必要)について定めた自衛隊法76条の文言の趣旨を憲法に盛り込むべきでしょう。
(防衛出動)
第76条
内閣総理大臣は、次に掲げる事態に際して、我が国を防衛するため必要があると認める場合には、自衛隊の全部又は一部の出動を命ずることができる。
この場合においては、武力攻撃事態等及び存立危機事態における我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全の確保に関する法律第9条 の定めるところにより、国会の承認を得なければならない。
- 我が国に対する外部からの武力攻撃が発生した事態又は我が国に対する外部からの武力攻撃が発生する明白な危険が切迫していると認められるに至つた事態(武力攻撃事態)
- 我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態(存立危機事態)
憲法に、このような条文があれば、安保法制が違憲であるとの懸念を解消することができます。
しかし、この案文を国民投票で通すのは容易ではないでしょう。大きな反発が予想されます。「自衛隊」の存在ではなく「集団的自衛権行使」の是非が問われるからです。絶対無理とは言いませんが、2015年安保法制での議論を思い起こすと、国民は強い抵抗感を抱くのではないでしょうか。
だからこそ、自民党は自衛隊の任務をできるだけ曖昧にしているのだと思います。その上で、「今のままの自衛隊」を明記するだけだと国民に説明する。国民の中には、個別的自衛権を行使する自衛隊は認めるものの、集団的自衛権を行使する自衛隊には抵抗感を抱く人が多いですから、安保法制で集団的自衛権の行使が容認されていることを誤魔化せば、なんとなく賛成してくれる人も増え、国民投票で可決されるかもしれない。
そして、可決した後に、「今のままの自衛隊」とは安保法制を前提とした自衛隊である、よって集団的自衛権を行使容認が国民投票で認められたと言い換える。有力案には、こうした狙いが透けて見えます。言い換えれば、国民を騙して有力案を国民投票で通し、それをもって、集団的自衛権の行使が認められた、と主張することが想定されるのです。
確かに、「我が国の平和と独立を守り、国及び国民の安全を保つための必要最小限度の実力組織」は2014年閣議決定前の自衛隊を読む者の頭の中に描かせる表現です。2項で、国会の統制をかけているので、安心感も増す。
木村:この裏を返せば、自民党は安保法制に自信を持てないでいるということでしょう。自信があるなら、自衛隊法76条と同じ文言を改憲案に明記して、国民投票にかければよいのです。安保法制を強引に成立させたツケが回ってきたということでしょう。
「行政機関」と明示すれば安保法制と矛盾
ここから、有力案以外の案についてお伺いします。 自民党の憲法改正推進本部は、9条2項を維持する5つと、同項を削除する2案を提示しました。有力案は、この5つのうちの1つです。 9条2項を維持する2つ目の案(第2案)についてうかがいます。
前条の範囲内で行政各部の一として自衛隊を保持する
この案は、自衛隊が行政機関であることを明確にしていますね。
木村:確かに。しかし、それゆえの問題があります。安保法制が合憲かどうかがさらに怪しくなってしまうからです。
安保法制が認める限定的な集団的自衛権行使は、行政を超えた軍事の範疇に入ります。自衛隊が行政機関であることを前提にするならば、自衛隊は集団的自衛権を行使することができないと考えるのが自然です。2015年に行なわれた安保法制をめぐる審議の中でも、「自衛隊の活動は行政の域を超えられない」というのは安倍政権が答弁に窮する論点の一つでした。
9条2項を維持する3つ目の案(第3案)についてうかがいます。
前条の規定は自衛隊を保持することを妨げない
第2案が「自衛隊を保持する」としていたのに対し、こちらは「保持することを妨げない」としています。法律的にはどのような意味の違いがあるのですか。
木村:「保持する」とすると、保持しなければならないという意味が強くなります。仮に将来、世界平和が訪れて自衛隊が不要になっても、縮小や廃止が困難になります。また、自衛隊がいらないくらいに平和な国際社会を目指すのだ、という9条の理想も曖昧になります。一方、「保持することを妨げない」とすれば、縮小も廃止も可能です。長期的な視点に立つならば、「保持することを妨げない」とするほうが好ましいでしょう。
ただし、この案は自衛隊が何をする組織なのか、有力案以上に分かりません。
自衛隊の役割を何も書かないことで、「今のままの自衛隊」を暗示することにはなりませんか。
木村:書かないと、拡大解釈することもできれば、縮小解釈することもできるので好ましくありません。拡大解釈すれば自衛隊と名がつけば何をやってもよいということになる。一方、縮小解釈すれば、個別的自衛権すら行使できないかもしれない。「攻撃を受けた時に反撃できる」とは書いてない上に、9条2項はそのまま残っているわけですから。なんとでも解釈できる表現は危険です。
フルスペックの集団的自衛権を認めることになる
9条2項を維持する4つ目の案(第4案)についてうかがいます。これまでの3案は「自衛隊」について定めていましたが、ここからの2案は「自衛権」について定めています。
前2項の規定は自衛権の発動を妨げない
この案は、「自衛権の発動を妨げない」としています。「妨げない」という表現は、先ほどの説明に照らして考えると、「発動しないこともある」と示唆しているわけですね。
木村:はい。この点に関しては、つつましい表現と言えるでしょう。しかし、この「自衛権」には何も限定がついていないので、個別的自衛権と集団的自衛権の両方を含むと解される。しかも、その集団的自衛権に制限がついていませんから、フルスペック*の集団的自衛権を認めることになる。「妨げない」としたところで、過激な案といえるでしょう。
さらに、9条2項との間に矛盾が生じるのも問題です。この規定によれば、集団的自衛権が行使できるようになりますが、先ほどお話したように、集団的自衛権は軍事権に属します(関連記事「もし「自衛権」を国民投票にかけたらどうなるか?」)。これに対して、9条2項は軍事権を行使する戦力の保持を禁じていますから、集団的自衛権を行使する組織の存在を否定しています。これは、両立し得ません。
「前2項の規定は個別的自衛権の発動を妨げない」とするなら、両立し得るのですが、限定的な集団的自衛権行使を認めた安保法制があるので、そうは書けません。ここにも、安保法制のツケが現れています。
この案は「9条3項」としていますね。第3案までは「9条の2」(注:9条と10条の間に新たな条を設ける場合にこの形を取る)としていました。この違いは何を意味するのでしょう。
木村:大きな差はありません。「9条3項」とすると9条を修正したことになります。一方、「9条の2」とすれば、「9条には手を付けていない」ということができます。9条に手を加えることに抵抗感を抱く国民に対して、よく言えば「配慮した」表現。悪く言えば「ごまかし」です。コマーシャル効果を狙ったものですね。
2項削除と事実上同じ
五つ目の案(第5案)に進みます。
前2項の規定は、国の自衛権の行使を妨げず、そのための実力組織を保持することができる
これは、集団的自衛権を行使する組織を定めていますね。
木村:はい。しかし、その性質や動かし方には触れていません。問題を解決したことにはなりません。
集団的自衛権も行使し得る実力組織というと、行政機関ではなく軍隊ということになりますね。2項削除と事実上同じということになりませんか。
木村:そう解することもできると思います。
「国の個別的自衛権の行使を妨げず、そのための実力組織を保持することができる」とすれば、意味も明確ですし、9条2項の趣旨も踏襲することができます。ただし、限定的な集団的自衛権行使を容認した安保法制との矛盾が生じてしまいます。この点は第4案と同様です。
100年前の不戦条約の議論を学び直せ
ここからは、現行の9条を削除し、新たな9条を置く案です。その第1は以下の通りです(第6案)。
- 日本国民は、正義と秩序を基調とする平和を誠実に希求し、侵略の手段としての武力による威嚇及び武力の行使を永久に放棄することを、厳粛に宣言する
- 我が国の独立と平和及び国民の安全と自由並びに国際社会の平和と安定を確保するため、陸海空自衛隊を保持する
- 自衛隊は法律の定めるところにより、その予算、編成、行動等において国会の統制に服する
- 自衛隊の最高指揮官は、内閣総理大臣とする
第6案における9条1項は、現行の9条1項の内容を変えることなく、分かりやすい表現にしたように読めます。この部分は評価できるのではないでしょうか。現行9条1項は不戦条約*に関する知識がないと、読んでも意味が分かりません(関連記事「なぜ9条の政府解釈はモヤモヤしているのか」)。「侵略戦争を放棄する」と書かれれば、すぐに意味が分かります。
- 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
締約国は、国際紛争解決のため、戦争に訴えないこととし、かつ、その相互関係において、国家の政策の手段としての戦争を放棄することを、その各自の人民の名において厳粛に宣言する。
木村:そうですね。しかし、この第6案の9条1項の書き方は少しまずい。この表現だと、「自衛戦争」を肯定することになりかねないからです。法律は、分かりやすいことがすなわち良いことではないのです。
自衛戦争は「自衛を名目にした戦争」ですね。目的は自衛かもしれないが、侵略を受けていないにもかかわらず宣戦布告するもの(関連記事:「もし「自衛権」を国民投票にかけたらどうなるか?」)。
木村:はい、そうです。「侵略の手段」としての武力行使は許されないけど、「自衛の手段」としてならよいと解されかねません。2003年に起きたイラク戦争を思い出してください。大量破壊兵器を使われては困るからと、英米は「自衛」のためにイラクに対し戦争を始めました。このパターンの戦争が自衛戦争です。満州事変も太平洋戦争も同様です。これらが許されてしまいかねない。
不戦条約が複雑な表現になっているのは、こうした自衛戦争も禁じるためです。自衛戦争を含む実質的な意味での侵略を、「侵略」という言葉を使わずに表現した。
100年前に不戦条約を議論した国々は、非常に苦心してこの表現を生み出したのです。100年前の議論を学び直してほしいですね。
自衛隊の役割として「国際社会の平和と安定を確保するため」を挙げています。日本は、自衛隊を使った国際貢献の案件が持ち上がるたびに混乱に陥ってきました。湾岸戦争における多国籍軍への後方支援を行なう国連平和協力法案(1990年)、カンボジアPKOへの自衛隊派遣(1992年)などなど。憲法前文で国際貢献を宣言しながら、具体的な条文がなかったことが理由の一つにあるのではないでしょうか(関連記事「あの石橋湛山も重視した集団安全保障を憲法に」)。この点において、評価できる条文に読めます。
木村:これは国連決議に基づく多国籍軍やフルスペックの集団的自衛権の行使を可能にする表現ですね。したがって「国防軍」を設置するのと同じです。自衛隊の行動範囲をこれまでの案に比べて明快に規定していると思います。
ただし、国民投票で可決するのは難しいでしょう。国民が許容する武力行使のラインを大幅に乗り越えているからです。最近の世論調査によると、国防軍の設置に賛成するとの回答は1~2割しかありません。公明党や日本維新の会も受け入れないと思います。
単に「自衛隊」ではなく「陸海空」自衛隊を保持するとしている点は重要な意味を持ちますか。
木村:この意図はよく分かりません。現行の9条2項が「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」としているので、そこから引いたのでしょう。
あまり好ましい書きようとは思いません。技術は進歩するので、サイバー軍とか宇宙軍とか、地中軍が必要になることがあるかもしれません。限定しないほうがよいのではないでしょうか。
「国民と協力して」は非常事態を想定
いよいよ最後の案です。これは、自民党が2010年に提示した改憲案ですね。「国防軍」を設置するとしています。
- 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動としての戦争を放棄し、武力による威嚇及び武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては用いない。
- 前項の規定は、自衛権の発動を妨げるものではない。
- 我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため、内閣総理大臣を最高指揮官とする国防軍を保持する。
- 国防軍は、前項の規定による任務を遂行する際は、法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制に服する。
- 国防軍は、第1項に規定する任務を遂行するための活動のほか、法律の定めるところにより、国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動及び公の秩序を維持し、又は国民の生命若しくは自由を守るための活動を行うことができる。
- 前二項に定めるもののほか、国防軍の組織、統制、及び機密の保持に関する事項は、法律で定める。
- 国防軍に属する軍人その他の公務員がその職務の実施に伴う罪又は国防軍の機密に関する罪を犯した場合の裁判を行うため、法律の定めるところにより、国防軍に審判所を置く。
この場合においては、被告人が裁判所へ上訴する権利は、保障されなければならない。
国は、主権と独立を守るため、国民と協力して、領土、領海及び領空を保全し、その資源を確保しなければならない。
木村:これは第6案と実質的に同じです。フルスペックの軍事活動ができるとしています。名称を「自衛隊」ではなく「国防軍」としているのが違いです。
この案は自衛隊の役割に「公の秩序を維持し、又は国民の生命若しくは自由を守るための活動」とあります。他の案にはないものです。これは何を意図したものでしょう。
木村:治安活動ですね。例えばテロ対策とか、警察の手に余る事態に対処する。軍事行動の相手は国です。これに対して、治安活動の相手は国ではなく、凶悪な犯罪者やテロリストが想定されます。
9条の3は領土、領海、領空の保全をうたっています。尖閣諸島の現状を考えると、この点を明示するのは時宜にかなったものに読めます。
木村:この条文に関する懸念は「国民と協力して」の部分にあります。国民を強制的に徴集することを正当化しかねないからです。憲法が国民の権利に対して与えている保障を解除することにつながる恐れがあるわけです。
非常事態宣言を想定している。
木村:はい、非常事態の際に国民に物資の提供を求めたり、直接の軍事活動ではない活動に国民を携わらせたりすることが想定されます。
まずは、国民に何を問うかを考える
これまで7つの案について解説していただきました。どれも、いろいろな問題を抱えている。 木村さんの提案は、「今のままの自衛隊」をそのまま憲法に盛り込むならば、自衛隊法第76条が定める防衛出動のための要件をそのまま利用するのがよいということですね。
木村:その通りです。
いまの改憲論議は2つのことを同時にやろうとしているので混乱しています。1つは、日本を守るための自衛隊、もしくは個別的自衛権の行使を認めるか否か。もう一つは、その自衛隊に、集団的自衛権を根拠とする他国の防衛を援助するための武力行使を認めるか否か。前者は自衛隊法76条が定める武力攻撃事態、後者は存立危機事態に相当します。
国会法第68条の3は「(前略)憲法改正原案の発議に当たつては、内容において関連する事項ごとに区分して行うものとする」と定めています。したがって、この2つの論点は、別個に国民投票に発議する必要があります。個別的自衛権については多くの賛同が得られるでしょう。他方、集団的自衛権については大きく意見が割れるのではないでしょうか。この点からも両者を分けて発議すべきと考えます。
私は最近の世論調査のあり方に疑問を持っています。これらの2つのことを分けずに質問しているからです。「9条改正に賛成ですか」という質問があります。これには「反対」の回答が多い。一方「自衛隊の明記に賛成ですか」との質問には「賛成」が多くなる。
同じことを聞いているのに答が分かれるわけですね。
木村:そうです。これはなぜか。「自衛隊の明記に賛成ですか」との質問は、「個別的自衛権の行使を認めるか」と理解される傾向があるからです。これに対して「9条改正に賛成ですか」は集団的自衛権の解禁とか、国連決議に伴う武力行使への参加について問われていると解される。
この点からも、以上の2つのことは分けて国民投票に発議すべきと考えます。
これからの改憲論議に期待する点は何でしょう。
木村:国民投票で国民に何を問うのかを明確にすることです。今はここが明確になっていない。理由は2つあります。
第1の理由は、今の議論は、条文案をいきなり作ろうとしていること。通常の法律の改正は、実現すべき内容を考え、要項をまとめることから始めます。何を実現したいのかさえ決まっていれば、条文作りは最後の仕上げの技術的な作業です。専門家に任せればよい。
国民投票は要項のレベルで行なうものですか。
木村:いえ、条文に表わしてから行ないます。しかし、要項で「そもそも何がしたいのか」を示されないと、条文だけを見ても何を意味するのか分かりません。
もう一つの理由は、自民党が安保法制に自信を持てていないことです。限定的な集団的自衛権行使を容認する安保法制と整合性が取れる形で憲法に自衛隊を位置づけようとすれば、国民の賛同が得られない可能性が高い。よって、国民投票を通すためには、条文をあいまいなものにせざるを得ないわけです。
繰り返しになりますが、安保法制を成立させる前なら、憲法に自衛隊を位置づけるのは容易でした。安保法制のツケが回ってきたのです。
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