長期低落傾向にあった公営競技の「競輪」に、ちょっとした異変が起きている。ファンの高齢化や娯楽の多様化などで20年以上減収が続いていたが、2014年度(2015年3月期)と2015年度(2016年3月期)の2年連続で増収に転換。その理由の一つが、観客を競技場に入れない「無観客レース」だという。
競輪は競馬などと同じ公営競技の一つで、7~9人の選手が競輪場のバンクでスピードを競う。観客はその順位を予想して車券を購入し、的中すれば払い戻しが得られる。車券の売り上げは少ない場合でも1レースで数百万円、大きなレースになると数十億円単位にのぼる。売り上げのうち75%が的中者への払い戻し、25%が選手への賞金や運営費、運営元を通じた社会貢献事業などに充てられる仕組みだ。全国43の競輪場で、通常は1日10~12個のレースを3~4日セットにした単位で行われている。
公営競技はいずれも売り上げの長期低落傾向が続いている。状況を打開するために各競技の運営団体は、馬券や車券の販売チャネルの多様化を進めてきた。レースが行われている競技場でなくても購入できるようにしてきたのである。その一つが90年代末から始まったインターネット経由での販売だ。今ではどの公営競技も自宅からブラウザーやスマホ上でレース観戦やオッズ(倍率)の確認、馬券や車券の決済などが可能になっており、ネットでの売り上げを年々拡大している。
そうした取り組みの効果からか、競馬や競艇については2010年前後から底を打った傾向が表れているが、競輪については止まることがなかった。売り上げは20年以上前年割れが続き、ピーク時の1991年度の3分の1以下にまで落ち込んでいる。その競輪が2014年度に突如増収に転じた要因とされるのが、「無観客レース」の存在だ。
「無観客」にすれば実現できる
「今この時間、これ(携帯電話)で車券買えるようにしたら、売れるんじゃない?」
無観客レースのアイデアは、競輪を統括する公益財団法人JKAの職員同士の夕食の場でふと出てきたものという。時は21時過ぎ。競輪を含めて公営競技が全て終了している時間帯だった。
競輪にはレースが昼間に行われるものと、夕方から行われるナイターがあるが、ナイターでも20時半頃には全レースが終了する。競輪場を訪れる観客はともかく、一般のインターネットユーザーにとっては宵の口だ。多くのユーザーが帰宅後くつろぎながらネットにアクセスする時間帯に合わせてレースを始めれば、今まで競輪と縁のなかった層にもレースを見てもらうことができ、新規のファン開拓と車券販売拡大が見込めるのではないか。そこから、通常のナイターよりも遅い時間に始める「ミッドナイト競輪」の検討が始まった。
しかし実現には大きな障害があった。最大の問題は周辺環境への影響だ。ただでさえ公営競技はギャンブラーの集まる荒々しい場所というイメージがある。それが夜遅く行われるというのであれば、地域の理解は容易に得られるはずもない。風営法上も問題がある。
だがミッドナイト競輪の目的がネットでの露出拡大にあるのならば、競輪場での車券販売などネット以外の販売チャネルにこだわる必要はない。競輪場に観客を入れる必要がないなら周辺環境の問題は解消できる。そこで、なんと「無観客」とすることにしたのだ。
JKAでこのアイデアがまとまったのは2010年のこと。実際にそのミッドナイト競輪を開催する競輪場として白羽の矢が立ったのが、北九州市の小倉競輪場だった。小倉競輪場は競輪発祥の地として全国43の競輪場の中で最大の売り上げがあることに加え、ドーム型の屋内競輪場で音や光が外に漏れにくい構造ということがその理由だった。
ただ屋内でも本当に周辺環境に影響を与えることはないのか、実地であらゆる検証を行う必要がある。レースがラスト1周の際に鳴らす鐘の音が外に漏れないか、競輪場の屋外で音を測定したり、深夜にレースを終えて車で帰宅する選手や職員の動線を組み直したり、観客エリアの照明を落としても競技に影響がないかチェックしたりしたという。
関係者への調整も必要だった。特に選手は重要な利害関係者だ。競技成績が自分の生活を左右する選手にとって、ミッドナイト競輪に出場の時だけ違う生活リズムを強いられるのは厳しい。また従来からのコアなファンからは、観戦や車券購入がネットに限定されることに反発もあったという。
しかし20年も減収が続くなかで何も手を打たないわけにはいかない。その危機感から小倉競輪場のスタッフは関係者の説得を続け、2011年1月、第1レースが21時すぎ、最終レースが23時すぎというミッドナイト競輪の初めての開催にこぎつけた。
本当にネットだけで成り立つのか、関係者の不安の中で始まったミッドナイト競輪だったが、フタを開けてみれば売り上げは昼間の開催と同規模の1日あたり約8000万円にのぼった。昼間の開催よりレースの本数も出場選手数も少ないにもかかわらず、売り上げは昼間と変わらなかったのだ。しかも無観客のため、接客や警備の係員なども不要でコストは抑えられ、収益の改善にも貢献した。
その後もミッドナイト競輪は安定した収益を上げるとともに、新しい利用者の獲得も進んだ。2012年からは小倉以外にもミッドナイト競輪を開催するところが出始め、それに比例する形でネット経由の車券販売も拡大。現在では年間の延べ開催日数のうち1割以上が無観客スタイルのミッドナイト競輪で、ネットを中心とした車券販売の「電話投票」も、2010年度の1315億円から2015年度は1526億円に拡大し、車券販売全チャネルの約4分の1を占めるまでに至った。それが全体の売り上げを押し上げ、2014年度の23年ぶりの増収という結果に表れたのだ。
決定が1分遅れると100万円の損失
不安の中で始まったミッドナイト競輪が軌道に乗ったのは、ネット特化で21時以降という公営競技未開拓の時間帯とファン層を切り開いたからだけではない。ネットでの車券販売に合わせてレースの運営改善も進めてきたことも大きな要因だ。
「競輪は着順決定が1分遅れれば売り上げが100万円減る傾向にあります。短時間で開催するミッドナイト競輪では、着順決定のスピードアップが不可欠でした」とJKAの小倉競輪運営事務局の武藤秀彰事務局長は言う。
競輪は選手がゴールすると、審判が着順を決定して当選者への払戻金が決まる。観客は自分の車券がいくら的中したか、それとも外れたかをもとに、次のレースへの賭け方を考える。観客が考える時間をより多く確保するためには、迅速な着順決定と払戻金確定が必要だ。
しかしミッドナイト競輪は昼間より短時間で開催するため、もともとレース間隔が短い。またネット経由での車券販売は通信の遅延に備えるために、競輪場での車券販売より3~4分早く締め切られる。ネットでの販売に100%依存するミッドナイト競輪では特に影響が大きい。
着順決定と払戻金確定の迅速化は従来からどの競輪場も行ってきたが、小倉競輪場はミッドナイト競輪開催にあたってさらに「秒単位」の短縮に取り組んだ。ミスが許されないために何重もの確認作業をとっていた着順決定のフローを、一つひとつほぐしてチェックし、省略しても影響がないか、作業を複線化できるところはないかなどを検証。選手発走前のファンファーレまで短縮するなど、まるで工場の作業改善のような細かい時間短縮を重ね、観客が車券を買いやすい環境を作っていった。
そのほかにも、初心者が車券的中の楽しさを実感しやすいように、オッズは低くても当たりやすい番組(選手の組み合わせ)を構成したり、「ニコ生(ニコニコ生放送)」での中継など娯楽要素をレース中継に盛り込んだりなど、新規のファンが入りやすいレースを企画。開催時間以外にもさまざまな工夫を施したことが、ミッドナイト競輪の成功の要因になっているのだ。
リアルの競輪場に足を向かわせる
もっともJKAは、ミッドナイト競輪の拡大による売り上げ増をゴールとしているわけではない。「ミッドナイト競輪は新しいファンを呼び込むためのツール。それをきっかけに競輪場に足を向けてもらえるようにしなくてはなりません」(武藤事務局長)。
実際、ミッドナイト競輪の効果で売り上げは増加に転じたものの、リアルの競輪場の来場者数は減少に歯止めがかかっていない。ミッドナイト競輪で初めて競輪に触れたファンを定着させるためには、実際のレースを生で見てもらう必要があると考えているわけだ。
またミッドナイト競輪は新規のライトなファンが多いためか、一人当たりの車券購入額、すなわち“客単価”はリアルの競輪場で車券を購入するファンに比べて少なく、そのままでは売り上げの大きな伸びは期待しにくい。ミッドナイト競輪の開催日数も2016年度は年間300日を超える予定で、さらに増やす余地も小さいという事情もある。
JKAが2016年度に掲げたキャッチコピーは「LIVE! LIVE! LIVE! いざ競輪場へ。」。ネットに特化した無観客レースで獲得した新たなファン層を、リアルの競輪場に向かわせて定着させることができるかどうか。ミッドナイト競輪の成否はその点にかかっている。
(文/赤鉛筆=ライター 編集/日経トレンディネット)
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