かつて2005年に訪れた深センのスラム街の様子。「捐腎」(腎臓寄付します)と書かれている
かつて2005年に訪れた深センのスラム街の様子。「捐腎」(腎臓寄付します)と書かれている

前回の記事「売血・売春…行き場なくす中国の『下層の人間』」から読む

 私が中国で売血の張り紙を見るのは、前回紹介した北京朝陽区にある農民工たちが暮らす低所得者向け住宅が密集する地域、費家村が初めてではない。高層ビルが林立するいかにもインスタ映えしそうな近未来的な風景が広がることから昨今「深センすごい、日本負けた」とネットの世界を賑わせている香港に隣接する経済特区の深センを、2005年あたりに訪れたときは、深セン駅前にある5つ星ホテル、シャングリ・ラからほど近いスラム街の町角で、「捐腎」、直訳すれば「腎臓寄付します」、正しくは「腎臓買います」とゴミ収集場所の壁にペンキで殴り書きしてあるのを見つけ、思わず凍り付いたこともあった。

 ただ、この15年あまり生活の拠点を置く上海で、私は農民工の住むスラム街をいくつも見てきたが、売血の張り紙は見たことがない。売血をしているのは相当程度、困窮している土地ばかりだったという印象がある。

血液製剤からC型肝炎ウイルス

 中でも一番印象に残っているのは、広東省の坪石という山間の農村へ、湖南省との省境に架かる橋を見に行った時のことである。山間部を通る日本風に言えば県道のような道の途中で小間物屋をしている李さんという当時45歳の男性に橋までのガイドを頼んだ。農家に生まれた彼は小学校を卒業してすぐ広東省の鉄道局に就職、22年務めた後、35歳の時にリストラに遭い、祖父の代から受け継いでる6ムー(約4000平米)の田畑に米と自分たちが食べる分だけの野菜を作り、数羽の鶏を飼っていた。

 ただ、それだけでは現金収入がまったくないに等しいので、日用品を売る小間物屋をやっていたが、利益でなく売上が月に350元(1元=約17円)しかないと話していた。つまり、現金はほとんど入ってこないというわけだった。北京五輪の2年前、2006年の話である。「まあ、この辺の農家ってこんなもんだよ」と李さんは言っていた。農家だから食べるものは最低限あるとはいえ、かなりの程度の貧困地域である。

 この町の中心部にあるバスターミナルから15分も歩かないようなところに売血する人たちの集まるところがあった。人の背丈より少しだけ高いぐらいのコンクリートの壁で囲まれた、二階建てのやはりコンクリートの建物の前に、人だかりがしているのでなんだろうと覗いてみると、中庭に、中年から初老に差し掛かった年恰好の男たち女たちがいた。その数ざっと50人ほど。何人かで連れ立ってきた人たちが多いようで、こちらに2人、あちらに5人というように、いくつかのグループができている。しかし不思議なことに、彼ら彼女らは押し黙って所在なげに突っ立っているだけで、仲間内で互いに言葉を交わすことをしていなかった。

 いったい、何の集まりなのだろう、この人たちは何を目的にここに集っているのだろうと疑問に思い、声をかけやすそうな人はいないものかと目を移動させると、入り口にかかる看板に、

「採血」

の文字が見えた。改めてそこに集っている人たちに目をやった。ボランティアで献血をしようと集った人たちのようにはとても見えなかった。

今まで誰も描くことのなかった中国版ヒルビリー・エレジー
3億人の中国農民工 食いつめものブルース

この連載「中国生活「モノ」がたり~速写中国制造」が『3億人の中国農民工 食いつめものブルース』として単行本になりました。各界の著名人からレビューをいただきました。

●私はこの例外的に「間合いの近い」取材方法を成り立たせるために著者が費やした時間と労力を多とする。長い時間をかけて、息づかいが感じられるほど取材対象の間近に迫るというスタイルは現代ジャーナリズムが失いかけているものである。
(哲学者 内田樹氏によるレビュー「感情の出費を節約する中国貧困層のリアリズム」より)

●「ブルース」という単語に何とも(やや古びた)哀愁があり、そしてカバーの写真の農民工の写真には、記念写真では決して撮れない、私自身が感情移入して泣いてしまいそうなリアリティがある。
(中国問題の研究家 遠藤誉氏によるレビュー「執念の定点観測で切り取った、中国農民工の心?」より)

●だが、最近の日本のソーシャルメディアでは、「親の時代はラッキーだった」、「親の世代より、子の世代のほうが悪くなる」といった悲観的な意見が目立つ。中国においても、農民工の楽観性や忍耐がそろそろ尽きようとしているようだ。
(米国在住のエッセイスト 渡辺由佳里氏によるレビュー「繁栄に取り残される中国の『ヒルビリー』とは?」より)

●同書で描かれるのは、時代と国家に翻弄される個人たちだ。歴史的背景や、共産党政権の独自性うんぬんといった衒学的な解説はさておき、目の前で苦悶している、もっと距離の近い苦痛の言葉だ。
(調達・購買コンサルタント/講演家 坂口孝則氏によるレビュー「年収3万の農民に未婚の母、中国貧民の向かう先」より)

 それからしばらく坪石の売血のことは忘れていたのだが、ある時ふと思い立って調べてみると、驚いたことに、広東省の製薬会社が坪石と広西チワン族自治区茘浦という土地で違法に採取した血液から製造した血液製剤にC型肝炎ウイルスが含まれていることが2007年1月メディアの調査報道で発覚、これを受け坪石と茘浦の売血も2007年早々に摘発されたというのだ。私が訪れ「採血」場に集まる人たちを見たのは2006年9月のことだったから、発覚する4カ月前だったということになる。

 これを伝えた中国紙『新京報』(2007年2月5日付)によると、当時、需要の増加から血液の買い取り価格は2003年のトン当たり45万元から、2005年に62万元と高騰。血液の提供者には栄養費の名目で600mlあたり90元が支払われていたという。坪石では小間物屋をして月の売上が350元だったというのだから、1回の売血で90元は、この町に住む人たちにとっては大きな金額だ。

売血1回すればベッドで眠れる

人通りもまばらな費家村の商店街
人通りもまばらな費家村の商店街

 時は下って2018年1月、北京の貧困地域の一つ、費家村で見つけた売血の張り紙では、400mlで700元というのが相場のようだった。一方で、求人の相場は、皿洗いが月額2500元、電子機器工場のライン工3500元、清掃員2800元等々。いま流行りの配送員は、マクドナルドのデリバリーが1軒あたり7.2元とあり、「月5000~1万元可能」とあった。1万元、すなわち日本円で17万円稼ぐには、月1388軒、土日もなく働いて1日当たり46軒に配達という計算だ。これに対して皿洗い、清掃員、ライン工という、農民工の就く職業として代表的な職種は、2014年あたりから完全に頭打ちか、むしろ下がっている。

 一方で、この地域の一般的な住居というと、やはり町を歩いて見つけたビラの相場から、シングルベッドを置くだけのスペースしかないワンルームで家賃は700元といったところのようだ。つまり売血1回の値段とベッド1カ月分の値段が同じということになる。

 毎月血液を1回売って、とにもかくにもひと月、体を横たえて休める場所を確保する。この地域の住民たちが送る生活が垣間見えた気がした。

路上か故郷か

 『東網』等、香港や台湾の複数のメディアが2017年12月11日付で伝えたところによると、この費家村で同10日、違法建築を名目に立ち退きを求める当局と、これに抗議する住民数百人が対峙するという騒動が起きた。

 この約1カ月前の11月8日、北京南部の新建村で、違法建築の簡易宿泊施設で子供8人を含む19人が死亡する火災が起き、これをきっかけに北京当局が、火事のあった新建村はもとより、農民工が住民の大半を占める北京に点在する貧困地域を対象に、違法建築の簡易宿泊所や集合住宅、店舗の摘発と一掃を一斉に始めた。東網の報道によると、新建村の火災以後、費家村でも2、3日おきに当局の人間がやって来て、先に書いたベッド一つ700元の住居に暮らす人たちに、違法建築だとして立ち退きを迫った。

 ただ、不動産が高騰している北京のこと。まともに住居を借りれば皿洗いや清掃員のひと月の給料のほとんどが家賃で消えてしまう。血を売ってようやくねぐらを確保していた人たちは、ここを追い出されたらあとは、路上に出るしかない。そして12月10日、当局のやり方が強引で人権侵害だと抵抗する住民らと当局が町中の商店街で対峙し小競り合いに発展したのだという。

このタイプのアパートにはまだ人が住んでいる(費家村)
このタイプのアパートにはまだ人が住んでいる(費家村)
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 私が費家村を訪れたのは、この騒動から1カ月半後の1月下旬のことだった。商店街に建ち並ぶ店の多くは営業しているのに、通りも住居も妙にひっそりとしていて人気がない。700元クラスの住居に住む人たちの多くが既に退去させられ人口が激減したからだろう。また、山西省と甘粛省の郷土料理を出す店に限って軒並み閉店していたのは、1980年代から貧しい内陸の省の代表として挙げられてきた両省からの農民工にとりわけ700元クラスの住居に住んでいた人が多かったことを示すものだと思う。

 この日、北京の気温は最低がマイナス11℃、日中でもマイナス5℃までしか上がらなかった。この寒空の下、血を売るだけでは屋根のついたねぐらを確保できなくなった彼らは、いったいどこへ行ったのだろう。路上に出たのか、あるいは故郷に帰ったのだろうか。

がれきとゴーストタウン

昨年11月に農民工の強制立ち退きがあった新建村。ゴーストタウンと化している(2018年1月)
昨年11月に農民工の強制立ち退きがあった新建村。ゴーストタウンと化している(2018年1月)

 そして、この翌日に訪れた大火のあった町、新建村は、想像通り、町の半分ががれきの山、残りの半分は、シャッターを閉ざした商店と門を固く閉ざした集合住宅がひっそりと佇むゴーストタウンと化していた。

 強制立ち退きから2カ月半、住人らしき人影はまったくない。いるのは、取り壊しにかり出された建築作業員と、廃材を拾いに来たリヤカーの廃品回収業者、住民らが捨てていき既に野良の風情を漂わせている犬と猫。そして、ほぼすべての路地の角に、黒い制服に身を包んだ警備員が配されていた。住民を強権的に立ち退かせたことが内外で大きく報道されたこともあるし、元住民らの抗議を当局が警戒してのことだろう。

住民は全員消えた(新建村)
住民は全員消えた(新建村)

 警備員の数に内心ひるみながら終始うつむき加減で歩いている私は、相当に場違いな存在だったはずだ。だが、呼び止められることが一度もなかったのは、北京市内からタクシーを走らせて一気に来ることをせず、北京中心部から公共交通を乗り継ぎ2時間かけてここまで来たことがよかったのかもしれない。

 新建村は北京の最南部、大興区にあり、最南端は河北省に接している。北京の中心部からなら、地下鉄を2本乗り継ぎ1時間半。さらに路線バスに乗り換え、「劉村」(劉家の村)「孫村」(孫家の村)「桂村」(桂家の村)と「誰それの村」という名前の停留所が続く道路を30分走り、案内標識に「廊坊」という河北省の地名が出始めるころにようやく到着するという距離にある。

 私は農民工の取材をするときには、可能であれば意識してタクシーを使わないようにする。恐らく、新建村に住んでいた農民工たちも、故郷から出稼ぎできて北京駅に降り立ち、地下鉄とバスを乗り継いでこの町に着き生活をスタートさせたはずだからだ。この日の私も、彼らと同じ時間をかけこの町にたどり着くことで、体にまとわりつく疲労感や空気感が、この町の風景の一部として私を溶け込ませてくれたのかもしれないと思う。これがタクシーで時間と距離をショートカットすると、違う土地の空気を持ち込んでしまうような気がする。

エアコン設置・修理のチラシだらけの壁(新建村)
エアコン設置・修理のチラシだらけの壁(新建村)
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 ちなにみに廊坊は、シャープを傘下に収めた台湾の鴻海(ホンハイ)精密工業の子会社が、「中国のアップル」や「中国の無印良品」と呼ばれる小米(シャオミ)のスマートフォンを製造する工場を置く工場の町。これら工場でライン工として働くのは、ほぼ全員が農民工である。

 新建村で伏し目がちに歩いた私の目に入ってきたのは、ここでも売血の張り紙だった。そしてもうひとつ特徴的だったのは、「空調維修」(エアコン修理)、「専業空調」(エアコンの専門業者)とエアコン関係のチラシの異様な多さだ。

 先の費家村同様、新建村の住宅もベッドを置くだけの物件が多かったそうだが、加えて窓のない部屋が大半だったのだそうだ。酷暑の夏、窓がなく風が通らない狭い部屋は蒸し風呂のようになったことだろう。エアコンのチラシの多さは、働いて少し余裕ができると、部屋にエアコンを付けるのが、この町に住む農民工たちのささやかな贅沢だったことを意味しているのだろう。

新建村の様子。半分以上が既にがれきと化していた(上2枚とも)
新建村の様子。半分以上が既にがれきと化していた(上2枚とも)

春節直前の凶行

 北京から戻って間もない2月11日、北京の繁華街・西単で、無差別殺傷事件が起きた。

 春節(旧正月)前の最後の日曜日となったこの日。正月を迎えるための買い物や、「年夜飯」と呼ばれる年末の食事を楽しむ人らでごった返すショッピングモールで、刃物を持った男が次々と客らに斬りかかり、1人が死亡、12人が重軽傷を負った。

 現場で犯人を逮捕した北京市公安当局の発表によると、男は河南省西華県出身の35歳で、周囲に社会に対する不満を漏らし、報復したいと話していたという。また、事件を伝えた中国メディアによると、男は中学校を中退して実家を出、河南省、河北省、江蘇省と移り住みながら主に工場を渡りあるいていたのだが、仕事も生活もうまくいかず、実家にも寄りつかず、人と交流もせず、ネットカフェを転々とする生活を送っていて、世の中を悲観していたのだという。

 この犯人については現状、ここに書いた以上の情報が出ていないので、この人物について語るには慎重になる必要がある。ただ私は、犯人の実家があるという西華県と同じ周口市に属し、西華県にほど近い土地を訪れたことがあるので、彼を取り巻く環境についてはおおよその想像がつく。

 このあたりを訪れたのは3年前の2月、やはり春節のことだった。1990年代から上海に出稼ぎに来てリヤカーを引き廃品回収をしている農民工の友人、ゼンカイさんが帰省するのに合わせて彼の自宅におじゃましたのだ。見渡す限りの田園地帯で、自宅を離れて都会や工場に出稼ぎに行かなければ子供を進学させるだけの収入を得られる仕事が地元に無いような土地だ。

 40代半ばになるゼンカイさんも中学を卒業して都会に出稼ぎに行き、長男を大学に進ませるために頑張って働いていたのだが、近年、収入が月5万円程度で頭打ちになってしまった上に、中国の進学制度のために実家の祖父母に預けて育てざるを得なかったため、長男の教育にも当然のことながら目が行き届かない。結局、経済的にも学力的にも進学をあきらめざるを得ず、長男も中学卒業と同時に父母が働く上海に出てきて、やはり月5万円程度でレストランでウエーターとして働いている。

 ゼンカイさんの人生は、この地域の人たち、すなわち農村出身の貧困層の典型だといえる。北京で無差別殺傷事件を起こした35歳の男が農民工だと断定はできないが、この地域の出身で、中学中退、仕事は主に工場勤務だったと聞けば、この地域の農民工の代表的な人生を送ってきたと言えるのである。

近づきつつある限界

 どのような理由があるにせよ、暴力に訴えるのが許されないのは言うまでもないこと。ただ、都会に生まれるか、地方の農村に生まれるかといういわば偶然の要素で、人生のスタートラインから圧倒的な格差がつき、進学や職業選択の機会も公平でなく、都会生まれが農村生まれよりも圧倒的に有利だという側面がいまの中国にあるのは事実だ。

 この男は昨年12月、勤めていた工場を辞め、それを最後に無職だったのだという。そして、最後に勤務していたのは、大火が起き農民工が強制立ち退きにあった北京の新建村に隣接する、河北省廊坊の工場だった。

 ほぼ同時期に、ほぼ同じ地域に住んでいた農民工が、かたや追い出しにあい、かたや社会に憤慨して凶行に及んだ。反発する農民工と当局との間で騒動が起こるなど、格差の問題が軋轢を生み事件化するケースも明らかに目立ち始めている。格差問題の解決は待ったなしの状況になりつつある。

 確実に言えるのは、農民工は追い詰められているということ。そして今回の無差別殺傷事件が、農民工の我慢が限界に来つつあることの象徴でないとは、だれにも言えないのである。

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