例の「坊主謝罪動画」を見て、第一感で、いやな気分になった。
 憤りや反発というのとは少し違う。
 もっと生理的な次元での忌避感だ。

 昨今の日本映画に時折登場する、過剰にスプラッターな暴力シーンを見せられた時の感じに近いかもしれない。

「なにもこんな姿を晒さなくても……」

 と、案の定、ツイッターのタイムラインに流れてくるコメントにも、冷ややかな感想が目立つ。
 最近の言葉で言う「ドン引き」というヤツだ。

 経緯を振り返っておく。
 発端は「週刊文春」のスクープだ。

 記事は、AKB48と呼ばれるアイドルグループのメンバーである峯岸みなみという20歳のタレントについて、その「お泊まり愛」の一部始終を報じている。

 ついでに言っておくと、男女の同衾を表現するにあたって「お泊まり愛」という幼児語を持ってくる語法に、私は以前から、かなり強い違和感を覚えている。おそらく、出典は、「略奪愛」という一時期流行した言い方からの派生なのであろうが、略奪愛にしてもお泊まり愛にしても、あえて「愛」という言葉を使っている点に、デスクの底意地の悪さが横溢している。

 デスクは、愛の力を信じていない。信じていないからこそ、安易な接尾辞として愛を乱発している。打算愛、惰性愛、事故愛、拾得物横領愛、行きがけの駄賃愛、憐憫愛、送り狼愛、焼けぼっくい愛、なりゆき愛、食い逃げ愛、割れ鍋に綴じ蓋愛……愛をめぐる言葉は、派生すればするだけ、本筋から外れて行く。ということはつまり、新しい愛の用語を発明しているつもりでいる記者諸君は、愛の濃度を薄めている張本人なのである。

 話を元に戻す。
 記事は、峯岸みなみさん(何度も名前を書いて宣伝に荷担するのも業腹なので、以下「M嬢」と省略表記します)の「お泊まり愛」の経緯を詳述するとともに、その彼女の行為が、「恋愛禁止」というAKB48の発足当初からの組織内ルール(「鉄の掟」なのだそうですよ)を犯すものである旨を強調している。ちなみに、AKB48では、過去にも「恋愛禁止」の掟に触れたメンバーが「左遷」された事例がある。つまり、今回の記事には、引き続く処分を促す意味があったわけだ。

 で、記事を受けて、反省したM嬢は、雑誌の発売日の夜、自ら髪を刈った上で、謝罪のメッセージをカメラに向けて語る映像を配信したのである。

 当該の謝罪動画については、配信直後から「20歳になったばかりの女の子が、一夜のうちに、独自の判断で断髪し、謝罪の言葉を自分で考え、カメラ目線の謝罪メッセージ朗読映像を単独で撮影し、その動画ファイルを、自力で、しかもYouTube上のAKB公式チャンネルを通じて配信することが、果たして可能だったのか」という疑問が噴出した。

「自分のところの商品であるタレントが、その商品価値の源泉の一部である髪の毛を勝手に切り落とすことを、芸能プロダクションの社員が手をこまねいて放置していたのはあまりにも不自然だ」

 という指摘もある。
 たしかに、たいして長くもない謝罪メッセージの中に、わざわざ

「先ほど週刊誌を見て居ても立ってもいられず、メンバーにも事務所の方にも誰にも相談せずに、坊主にすることを自分で決めました。」

 という説明の文言が入れられていること自体、不自然といえば不自然だ。
 とはいえ、この部分は、問題の本筋ではない。

 思うに、芸能人が芸能活動の一環として配信している映像に、プロダクションや広告代理店の思惑が反映しているのは、むしろ当然のなりゆきだ。

 であるから、私としては、M嬢による一連の「謝罪」パフォーマンスが、その後の「処分」(←「研究生」に「降格」されたのだそうですよ)も含めて、芸能事務所ないしは背後でタクトを振っているフィクサーの「仕掛け」だったのだとしても、そのこと自体を、特に問題視しようとは思っていない。

 AKB48が掲げている「恋愛禁止」という「掟」について、それが「人権侵害」に当たる可能性を指摘している人たちがいることも知っているが、これに関しても、たいした問題ではないと思っている。

 というのも、ここで言う「恋愛禁止」の「掟」は、昔からよく言われていた「アイドルはうんこをしない」といった類いの「神話」と同じで、しょせんは、ごっこ遊びにおける「設定」に過ぎないからだ。要は、アイドルとそのファンが彼らの脳内に展開している架空の王国の中の架空の法律なのだ。

 とすれば、彼女たちの「恋愛禁止」ルールに目くじらを立てるのは、「はないちもんめ」が「人身売買ゲーム」であることを指摘して憤ったり、サンタクロースがトナカイを虐待しているからと言って糾弾する態度と同じく、前提として馬鹿げている。野暮であることはもちろん、それ以上に、テキの仕掛けにまんまと乗せられている点がどうにも痛々しい。

 中の人なんかいません、と、ディズニーランドの広報が切り口上で言うのなら、そこはそれで、聞かされた側は半笑いでうなずいておれば良いのである。

 AKBのシステムを仕掛けている人々は、「恋愛禁止」のような挑発的なルールを掲げて、マジメな人たちの神経を逆なですることを含み置いたうえで、そのビジネスを回転させている。うっかり乗っかってはいけない。怒ったら負け。むろん、笑っても泣いても負けだ。彼らに対抗するためには鉄壁の無表情を貫徹するほかに対処のしようが無いのだ。

 

 ただ、動画を配信するに回路としてYouTubeを使ったのは、運営側の判断ミスだったと思う。

 ファンダム(←ファンの脳内に広がっている架空の王国)の中の出来事であれば、どんなに奇天烈な見世物でも、結果としてファンの鼻面を引きずり回すことができれば成功だ。ファンは喜怒哀楽のすべてに代金を支払うことになっている。仕掛け人は、蛇口を加減するだけで良い。

 しかしながら、一般人の見方は別だ。
 20歳の女の子が頭を丸刈りにして泣いている映像を見たら、普通の人間は驚愕する。
 しかも、ファンの場合と違って、パンピーの驚愕は、まるごと共感や同情に変換されたりはしない。売り上げも発生しない。

 多くの一般人は、驚愕した後に、忌避感を抱く。

「おい、AKBって、いつからこんなに異様な集団になってたんだ?」
「まるでカルトじゃないか」

 それでもまだ、日本人の違和感は、「ドン引き」程度のところでおさまる。
 薄気味が悪いとは思っても、積極的にツブしにかかろうと考える人間はごく少数だ。それに、あたりまえの話だが、無関心な人間には行動力が宿らない。ということは、われわれは無害なのだ。

 

 さてしかし、YouTubeは、世界中に配信される。
 ここに落とし穴がある。
 海外の反応は、一般の日本人よりもさらに率直だ。
 基底に備わっている文化の土壌も違う。

 ということは、外人さんは、ドン引きするだけで済まさずに、ドン押ししてくるかもしれない。

 若い女性が髪の毛を丸刈りにして泣きながら謝罪している映像は、世界中の多くの国々において、おそらく、日本国内で流通している時と比べて、5倍ぐらいの衝撃力を伴って受けとめられることになる。

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