はじめに
 

 あっという間に3月です。早いものですね。「真田丸」も8回目を数えることになります。ところで、私が見たなかで好きな時代劇の一つに、『切腹』(1962年)という作品があります。若き仲代達也さんが主演を務めています。あらすじを書くと長くなってしまうのですが、ごく簡単に言えば、食いつめた牢人が不意な行動から井伊家で切腹に追い込まれ、牢人の縁者を演じた仲代達也さんが復讐するというストーリーです。これがなかなかの迫真の演技で、重厚感ある内容です。

 

 こういうことを書くと、単なる「オジンの嘆き」なのでしょうが、「真田丸」とは対照的なので、つい思ってしまいます。

 

 さあ、第8回「調略」はどうだったのでしょうか!

 

家康と氏政
 

 それにしても徳川家康(役・内野聖陽)は、相変わらずびくびくして臆病なままです。個人的に家康については、もっとどっしりと腰が据わった人物と思っているのですが、そうは描かれていません。たぶん、家康はこのままで最後まで行くのでしょうが残念です。

 

 同時に、北条氏政(役・高島政伸)の登場シーンは、いつも飯を食っているところばかりです。周知のとおりかもしれませんが、これには理由があります。

 

 若い頃の氏政が飯を食べているとき、飯に汁をかけて食べていました。しかし、汁の量が少なくて、もう一度追加で汁をかけたといわれています。状況を観察していた父の氏康は、「飯に汁を掛ける量も満足に量れないとは」と嘆いたといいます。つまり、そんなことでは兵の差配や領国支配すら満足にできないということになりましょう。氏政の無能ぶり(最終的に北条氏は滅亡するので)を強調しているのです。

 

 しかし、ドラマではそれを逆手にとって、汁の量を量れないのではなく、少しずつ様子を見ながら、量を調節しているように見えます。ただ、いずれにしても、氏政と「汁掛け飯」の話は単なる逸話であって、史実か否かはわかっていません。

 

 さらに氏直(役・細田善彦)がひどい。ただひたすら怒鳴り散らすだけの暴君そのもので、はっきりいって「バカ丸出し」です。逸話によると、氏直は賢明な人物であったようですが、いささか体が弱かったそうです。それゆえ自ら判断せず、他人任せであったといわれています。これも事実か否かわかりませんが、いずれにしても暗愚な人物の描き方では、ガッカリせざるを得ません。

 

 逸話に基づき人物を描くのは、そうしたエピソードを知る視聴者へのサービスなのかもしれませんが、ややもすればステレオタイプの人間像に縛られるので、個人的にはもっと大胆な描き方が必要ではないかと思っています。どうせ逸話が嘘か真かわかりませんしね。

 

春日信達とは
 

 前回から、キーマンとなる春日信達(役・前川泰之)が登場していますね。信達は武田氏の重臣であった春日虎綱の次男になります。天正3年(1575)の長篠の戦いにおいて、長男の昌澄が討ち死にしたので後継者となります。その3年後に父が没すると、家督を継承し海津城(長野県長野市)主になります。上杉方の取次を務めていました。

 

 天正10年(1582)の武田氏滅亡後、信長の軍門に降り、森長可の配下に加わります。その直後に信長が本能寺の変で横死すると、長可から上杉景勝(役・遠藤憲一)へと鞍替えします。ところが同年7月、信達は真田昌幸(役・草刈正雄)や北条氏に内通していたことが発覚し、景勝により殺害されたのです。

 

 ドラマでは非常に複雑に描かれていました。つまり、信尹(役・栗原英雄)と信繁(役・堺雅人)が信達に調略を仕掛け、北条方への寝返りを画策します。一方、北条方へ出向いた昌幸は、信達が北条方に与したので、氏直の安堵の判物が欲しいといいます。

 

 ところが、それはすべて昌幸の策略で、氏直の安堵の判物を手にした信尹は、信達に手渡すと殺害されます。そして、景勝に対して、信達は裏切り者だと報告します。判物はその証だったのです。一方、北条方では信達が味方になると思っていましたが、上杉方にばれて殺害されたので(磔になっていた)、進軍を止めて引き返します。

 

 同じ頃、景勝はかつての家臣・新発田重家の反乱に悩まされ、撤兵を余儀なくされます。こうして昌幸の思惑通り、信濃の軍事的な緊張感が解かれるわけです。

 

 昌幸や信尹の調略戦があったか否かは不明です。以前も申しましたが、あまりに複雑な状況を予測して、それがうまくいくというのは現実味に乏しいと思います。同時に信尹らが情に訴えて、信達に調略を仕掛けるというのも、いささか納得しがたい点です。むしろ合理的な理由(北条方に味方したら得するという理由)を提示したほうが、相手を説得しやすいように思いますが、いかがなものでしょうか? 戦国武将は、かなり合理的な思考の持ち主であったと愚考します。

 

 それらはさておき、信繁は信達を暗殺に追い込んだ昌幸や信尹に対して「恐ろしい人たちだ」と申しますが、「それが戦国なんだよ」ということになりましょうか。

 

大名になりたい???


 実際の昌幸は、同年7月に北条の配下に与することを申し出ています。昌幸はその証として、配下の矢沢綱頼、大隈重利の子供を人質として送っています。昌幸は二人に川中島(長野県長野市)付近の所領を宛がっていますが、この周辺は上杉氏が押さえていたので、支配に実効性があったか疑問視されています。

 

 このようにして、昌幸は北条、上杉という強力な大名を撤退させ、信濃に平和をもたらすわけです。ただ、このあとのセリフが傑作ですね。

 

 信幸(役・大泉洋)が昌幸に対して、「父上は大名になりたいのですか?」と尋ねます。大名という言葉は、たしかに当時もありましたが、一つの職業のように捉えられているようで、いささかピタッとはまってきません。なるもならないも、明確な基準や資格があるわけでもなく、「歌手(公務員とか)になりたい」というのとはわけが違います。現代的な発想ですね。

 

 同じく家康も「昌幸は大名でもないくせに!」と言って、昌幸が何かと引っ掻き回すことを非難しています。別に大名であろうとなかろうと、生き残りに必死なのですから、「大名」という基準を持ち出すことに強い違和感を感じます。

 

 それどころか、昌幸は「われらの国を作る」つまり「信濃の国衆による国家作り」を高らかに宣言します。果たしてアメリカのような「合衆国」なのか、かつてのソビエトのような「連邦国家」なのか? たぶん、前者のような国を作りたいのでしょうが、いささか腑に落ちないところです・・・。

 

 要は、あまりに現代的な視点で、戦国という時代を見ると、ちょっと変になりませんかということになりましょう。

 

おわりに


 昌幸の策士ぶりを強調するため、かなり無理をしているような印象を受けてしまいます。冷静に考えると、そんなにうまくいくのかという疑問を感じます。これはSF映画などにもいえることで、視聴者が疑問に感じ出すとしらけてしまいます。

 

 同時に現代的な価値観を持ち出すのも疑問です。ここ数年の大河(戦国モノ)では、「平和な世(戦争がない)をもたらす」ような安易な考えが盛んに持ち出され、ゲンナリします。本当にそんなことを考えていたのか、製作サイドには改めて検討いただけると幸いです。

 

 ところで、今回の視聴率は17.1%と少しだけ下がりました。次回は、再度の20%台を期待しましょう! 夢よ、もう一度!

 

 今日はこのへんにしておきましょう。では、来週をお楽しみに! 「ガンバレ! 真田丸

<了> 


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