【1】はじめに
6月7日(土)にAKB48の総選挙があったのであるが、これがもし8日(日)だったらどうなったことか!? と大変心配した。今回は視聴率に影響がなく、大いに助かったということになろう。裏番組次第で視聴率が影響されるので、13日(金)から開催されるサッカー・ワールドカップが大いに心配である・・・。
それにしても、有岡城が落城したとはいえ、荒木村重(役・田中哲司)のことが長すぎる。もう最後はボロボロだったなあ・・・(悲)。大河ドラマでは、村重の行方が知れなくなったとしていた。実際、村重は天正8年(1580)7月に花隈城(はなくまじょう・現在の神戸市中央区)を脱出すると、毛利氏の領国に逃亡したと伝わる。そして、天正10年(1582)の本能寺の変後は、出家して「道薫」と名を改め、羽柴(豊臣)秀吉(役・竹中直人)に仕えたという。また、絵師として有名な岩佐又兵衛は、彼の子供であるといわれている。
ちょっと、ここ数回は時間の進行が遅く、いささか冗漫な気がしないでもなかった。もうちょっとテンポ感が欲しいところであろうか。
閑話休題。
今回もまた、突っ込みどころ満載でおもしろかった!
【2】官兵衛は禿げていたのか???
これまで、私は官兵衛(役・岡田准一)が「禿げていた」と盛んに書いてきた。しかし、『黒田家譜』を見ると、膝に瘡(腫れて膿が出て、瘡蓋ができること)ができて、容易に立つことができなかった、と書いてある。「禿げていた」とは書いていない。
ちなみに、官兵衛の古典的な伝記である、金子堅太郎『黒田如水伝』や福本日南『黒田如水』も『黒田家譜』の説を採っている。有岡城が戦火に焼かれる中で、官兵衛は栗山善助(役・濱田岳)らによって助けられたのである。
官兵衛は、禿げではなかったのだろうか??? 大きな疑問である。
金子堅太郎『黒田如水伝』が本文中で引用する『魔釋記』という史料には、官兵衛の容貌について、次のように記している(意訳)。
「官兵衛の髪は女のように長く、衣類はちぎれて虱がわき、目も当てられない様子だった」
これを読むと、官兵衛は「禿げ」どころか、大河ドラマのように「ロン毛」ということになろう。おそらく脚本を書いた方は、『魔釋記』の一節を採用したのであろう。だから、ドラマの官兵衛の頭髪は剛毛がフサフサで、髭もボーボーなのだ! ちょっと時間がないので残念であるが、この件はさらに追究することにしたい。
【3】官兵衛と有馬温泉?
助け出された官兵衛は、そのまま有馬温泉(現在の神戸市北区)に行って湯治を行なった。このことは、『黒田家譜』に記されているが、有馬温泉の史料を集成した『有馬温泉史料(上)』(名著出版)は、この史料を採っていない。理由はよくわからない。
官兵衛は、有馬の池の坊左橘右衛門の家に身を寄せると、湯治に専念したという。左橘の世話もあって、順調に回復したようだ。播磨に着いた官兵衛は気力がみなぎり、秀吉に対面したと『黒田家譜』は記す。そして、信長は松寿丸を殺したことを後悔したが、竹中半兵衛(役・谷原章介)が隠し置いたことを知り、大変喜んだという。ドラマのように、上から目線で「許す」と言っていないようである。
ところで、こうした一連の「官兵衛が回復した」などの記述にも疑問が残る。これまで、多くの官兵衛に関する書物は、「頭が禿げて、生涯膝は曲がったままだった」としてきたからだ。
『黒田家譜』によると、官兵衛は長期間の幽閉生活で身体的な自由を奪われたため、急に歩けなかったことは事実のようであるが、しばらく有馬温泉で湯治をすると、かなり状態は好転したようだ。ドラマのように、ヘロヘロの状態では対面していなかったようである。
もし、それが事実とするならば、実際の官兵衛は禿げることもなく、膝が曲がって不自由であったこともなさそうである??? この点ももう少し追究することにしたい。
ちなみに旧ソ連の実験によると、長期間人を寝たきりの状態にすると、筋肉がやせ衰えて、すぐには立てなかったという。また、膝が曲がったというのは、かなり窮屈な場所に閉じ込められていたのだろうか?官兵衛の幽閉の状況は、不明な点が多い。
【4】最後に
正直なところ、自分の本を執筆していたときは、さほど官兵衛の幽閉の前後について注意を払っていなかった(スミマセン)。改めて確認すると、不明な点が多く、ほかの史料(どうしても二次史料になってしまうが)にどう書かれているのか調査が必要なようだ。
ところで、今回の視聴率16.0%。微減。次の見せ場どこになるのか? あれ、別所長治の三木城(現在の兵庫県三木市)の攻防はどうなるのかしら???
がんばれ「軍師官兵衛」!
〔参考文献〕
渡邊大門『黒田官兵衛 作られた軍師像』講談社現代新書
渡邊大門『黒田官兵衛・長政の野望――もう一つの関ヶ原』角川選書
渡邊大門『誰も書かなかった 黒田官兵衛の謎』中経の文庫
〔ご案内〕
さて、私事になりますが、現在、黒田官兵衛に関する下記の講座を開講しています。ご都合があえば、ぜひご参加いただけると幸いです。
☆日本史史料研究会(練馬区)「『黒田家譜』から官兵衛の生涯を探る」
→こちらhttp://www13.plala.or.jp/t-ikoma/page040.html
>洋泉社歴史総合サイト
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