熱燗はいつからか?

私が調べたところでは、16世紀後半だったが記録では奈良時代にすでにあったそうな。

 

以下、伝検通信  No.32 から引用します。

 

問題:秋も深まり、燗酒(かんざけ) がおいしい季節となりました。日本酒を温めて飲む「燗」 の習慣が始まったのは、何時代でしょうか。

答え:奈良時代

解説:「燗」の習慣が始まったのは、米と麹を用いた醸造法が確立された奈良時代といわれています。当時の書物には、菊の節句から桃の節句にかけて日本酒を温めて飲んだという記録があります。その後、平安時代に貴族社会で広まり、江戸時代に大衆化しました。江戸時代後期には徳利(とっくり)の普及により、燗酒が一年中楽しめるようになりました。

 

 

伊勢物語 第一段 初冠だから巡狩?

伊勢物語の一番初めは、男が初冠をして狩りに行くところから始まります。

この初冠をして狩りに行くことに意味合いがありそうな気がします。

つまり初冠が終わったからこそ狩りに行くのです。昔、中原の王や皇帝などの天子は代替りした時に巡狩(じゅんしゅ)を行います。

 

巡狩 中国で天子が天下をめぐり,地方の政治や民の生活状態を視察すること。

 

堯舜の頃から行われていたとされております。ただ領地の見回りではなく、土地の神に捧げるための狩りをして巡り、領地の境目や山々で祭り事をしていたのだと想像できます。

 

さて伊勢物語の男も、初冠したから自らの領地に巡狩をしたのでしょう。

茶花 : 妙蓮寺椿

私は花についてまったく興味もなければ愛でることもなかった。花より団子派で、咲いていても気にもとめない。

しかし茶道に入ってからは、知っている花といえば桜とチューリップだけという訳にはいかない。

で、手に取ったのが以下の本。

 

茶花がたり  心の花を入れる 泉本 宗悠著

 

茶花の取り合わせやテクニック的な事はなく、各時期の花と花入の写真とその思いが書かれています。卯月のページにあったのが妙蓮寺椿。

妙蓮寺椿については以下が詳しいです。

 

妙蓮寺椿について 薬学博士 嶋田玄弥(1982年寄稿)

 

  • 椿は日本固有種
  • そのため「椿」という字は国字
  • ツバキの語源は「艶や葉木」のやが抜けてツバキ、ツバキの葉は艶があり分厚いよで厚葉木のあが抜けてツバキ、という説がある
  • 椿油は上古から不老不死の霊薬として尊重され、渤海使に椿油一缶を遣わされたこともある
  • 京都の妙蓮寺に妙蓮寺椿が有名
  • 妙蓮寺記には宗祇が遺した「余乃花はみな末寺なり妙蓮寺」という句と図、画賛が掛け軸の写しがある由
  • 妙蓮寺の塔頭玉龍院には妙蓮寺が咲き誇っていたが、1962年の火災で焼けてしまったという
  • 紅妙蓮寺椿が本物?で、白く妙蓮寺椿に似ているものを白妙蓮寺椿として売り出しているという

 

 

日本酒を温めて飲む熱燗はいつから始まったのか?

伝検通信31回目のお題は「熱燗はいつから始まったのか?」

 

意外と最近で明治になってから?いやいや元禄頃か?と予想をするが、調べてみると

 

「清酒が出来た16世紀後半に通年で燗酒を飲む習慣が出来た」とのこと。

 

なるほど燗酒は清酒を温めるものなのか。ドブロク時代は温めないのね。

 

燗酒といえば熱燗ですが、熱燗は50℃に熱すること。日向燗、人肌、ぬる燗、上燗、熱燗、とびきり燗など好みの温度によって色々な呼び方があるとのこと。このあたりの細かい呼び方は近代からの気がする。

 

伝統製法「手火山式」のかつお節

日本伝統文化検定ってご存じですか?

茶道の稽古先で先生が「今度、伝統文化検定が始まる・・・」とお話ししていたのを水屋で聞きました。

 

日本伝統文化検定 「和」を知る・「和」を楽しむ・「和」を伝える。日本のスペシャリストになろう!

 

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すると週刊メールマガジン「伝検通信」 第29号が届きました。

 

そこには伝統製法で作られる鰹節の話題が。

 

鰹水揚げ量日本一の気仙沼市では、鰹節の伝統的な製法「手火山式(てびやましき)」で製造されている工場が数少ないがあるとのこと。

https://image.satr.jp/e2ace921/71b4043791f08044.jpg

 

手火山式(てびやましき)の製法

地面を2mの深さに掘りその中に薪を入れ煙を出します。その上に、鰹を並べたせいろを置き、煙でじっくりといぶす製法。手をかざしながら煙の状態を確かめ火加減を調整するというので手火山式。均等に煙と火が鰹に当たるように調整して時間をかけて水分を抜いていく。

とても手間のかかる製法だが、うまみが増すという。

 

通常の鰹節は天日干しで乾燥させて、その後冷蔵庫で半年から1年ほどかけて熟成させるそうだ。

 

いつも何気なく使っている鰹節ですが、手間をかけることで作り上げてきた製法と食文化なのですね。

勉強になりました。

干菓子とは?

新茶の湯MLの奈良乃亜さんの投稿はためになるものが多い、がたまに理解が至らない時がある。

 

干菓子と落雁の違いは…という話題がありましたが、どうも奈良乃亜さんは「和三盆で作られた押し物の干菓子」の事を、干菓子と呼んでおられるようです。干菓子と言えば和三盆だからでしょうか。私の父は、和三盆の押し物の干菓子を「和三盆」と呼んでました。

 

ネットで調べると「干菓子」は水分量で分類した菓子のカテゴリー名称として説明されており、干菓子、半生菓子、生菓子と分類されています。

 

和三盆、落雁、白雪羹の違いは以下のページが詳しい。

https://xn--p9jb5c5cxiuc4n4f9927ao6r.com/2017/0104/rakuganntigai/

 

落雁は、蒸して乾燥させた米粉に水飴や砂糖を混ぜ、型で成形した後、焙炉で乾燥させます。餡や小豆、栗などを混ぜることもある。

 

白雪羹は、生の米粉に水飴を加えて型で成形しセイロで蒸します。生の米粉は、水でふやかした後乾燥させて米粉にしたものだと思います。

 

和三盆は、和三盆糖に水飴と水を混ぜ、粉にして型で成形し乾燥させれば完成です。和三盆と水飴を混ぜたものが粉になる…という工程が謎ですが。

 

勉強になりました。

抹茶が品薄

今、抹茶が品薄なようで、一保堂茶舗などでもネット販売は品切れが続出しています。おそらく店舗での販売優先しているのでしょう。店舗にはいっぱいあるとは思いますが、今で見たことがない事態です。

海外での抹茶ブームが起きて、それで逼迫しているようです。中国では数年前に抹茶ブームがおき、また欧米ではフレーバーとしては抹茶が注目されているようです。先日も NHK でフランスのパティシエ(ちょっと有名な方でしたが、ちょっと名前を忘れましたが)が「抹茶はとても気品高く素晴らしい。フレーバーだ。絶対この抹茶に合うレシピを開発する」と、ものすごい意気込みでした。

抹茶はとても魅力的なものであると、海外の方も注目しているようです。

 

私はいわゆる茶道の抹茶としてしか付き合っておりませんが、30年ほど前の中学生時代には抹茶オレというものをよく飲んでいました。今から考えるはとても甘くて飲めたものじゃありませんが、当時はとても美味しかったの覚えています。

 

さて、抹茶の品薄。今まで抹茶というものは買いに行けばすぐ手に入る。ネットでも店舗でも大して高くもない値段で買えるというのが当たり前でしたが、これから抹茶も手に入らない時が来るのかもしれまん。

とうとう侘び茶の時代が到来です。室町や安土桃山時代のように抹茶が貴重でなかなか手に入らないものという時代が来るかもしれません。

私は抹茶がに入らなくなたら侘びしさや名残を味わいたいと思います。