ひまわりの種

毎日の診療や暮しの中で感じたことを、思いつくまま書いていきます。
不定期更新、ご容赦下さい。

何やってるんだか、永田町

2011å¹´05月21æ—¥ | æ±æ—¥æœ¬å¤§éœ‡ç½
午後、たまたまTVをつけたら、国会中継の真っ最中だった。
(診療をさぼってた訳じゃありません。(^_^;) )

自民党の議員さんが、総理大臣を激しく追及していた。
原発事故の責任をただしていた。
観ていて、むかっ腹が立った。
追及している自民党さん、
そもそも、これまでの原発問題への杜撰さは、あなた方の責任じゃないんですか、
と言いたい。
それを、まるで鬼の首を取ったように、民主党を責めたところで、どうなるの?
あなた方の支持率が上がるとでも、思ってるの?

今や四面楚歌の総理大臣。
確かに、問題は山積だろう。
あらゆる対応が後手後手に回っているのは、
福島県民も、ほかの被災地の人たちも、すでにわかっていることだ。
政府は当てにならないことは、何も、今に始まったことじゃない。
それなのに、
野党ばかりか、与党内でも、総理降ろしが画策されているようだ。

でもさ。
この緊急事態、例えて言えば、ニッポン丸が沈没するかどうかの瀬戸際だ。
舵を握っているのは艦長で、今はその手を離すことができない状況なんだ。
手を離せば、船はどうなる?
艦長の舵取りが下手なら、手を貸せばいいじゃないか。
その座を降ろすのは、船が持ちこたえてからでも、いいじゃないか。
乗組員全員が、それぞれの持ち場で、あるだけの知恵を総動員して、
難波しそうな船をどうにかすべきなんじゃないか?

永田「町」の争いなんか、どうでもいいよ。
双葉町、大熊町、富岡町、浪江町、もっと大事な「町」があるよ。
南三陸町だって、大槌町だって、ほとんど手つかずじゃないか。
頑張ってるのは、地元の被災者と自衛隊と警察官と東電下請けの作業員と民間の協力者達だ。

政府の揚げ足取って責めるより、今はもっとやるべきことがあるんじゃないの?
そのために私たちの税金からあなた方は報酬を得ているんでしょう?
原発事故も含めたこの災害は、日本はおろか、世界でも初めての大規模なものだ。
世界中の国々が、日本の対応を冷静に観察してるんだよ。
与党だの野党だの、ごちゃごちゃ言っとらんで、
今、一番にするべきことは何か、さっさと見極めて、はよう手を打たんかい!!

狭い千代田区の永田町で、政局争いをしてる場合じゃ、ないでしょう
いいかげん、目を覚まさなイカンでしょう!!

国民をなめるな!!!!!











脱・原発?

2011å¹´05月11æ—¥ | æ±æ—¥æœ¬å¤§éœ‡ç½
浜岡原発が、防潮堤が完成するまでの間操業停止となったそうだ。
やるじゃないか、総理大臣。
(お辞儀のしかたはいまいちだったけど。)

このことに関しては、当然だけれど、さまざまな立場からの賛否両論がある。

なぜ「浜岡原発」だけなのか? というご意見もある。

これから夏に向かい、中部電力や電力供給を受ける地域の方々にとっては、
企業や市民生活が激変することは想像にかたくない。

一部で報じられているように、国内向け・海外向けの政治がらみの事情ももちろん、あるのだろう。

でもさ。

福島原発みたいになるより、いいじゃないか。
事が起きてからじゃ、遅いんだよ。

本当なら、福島原発事故を受けて全国の原発の原子炉を停止して、
「想定外の災害」・・・それは地震や津波や、考えたくないけどテポドンとか、
そういった、考え得るあらゆる事態を想定して、備えておくというのは、当たり前のことじゃないか?

批判の大きい政府だけど、今回は、総理大臣に座布団10枚

ところで、脱原発の話はたびたび耳に・目にするけど、
具体的な代替エネルギーのことはどうして話題にならないのかな・・・。

まったくの素人考えだけど、
国が補助も出して(これは私たちの税金になるが、このような使い方ならいいと思う)
各家庭・企業・マンションなどの集合住宅の全てに、太陽光発電を取り付ける。
少しは節電になるんじゃないのかな、と思うのだけれど、
学者さんも誰も提案しないのは、やっぱり無理があるんだろうか。
コストの割に合わないというのは聞いたことがあるけれど、
仮に、割に合わない発電であっても、全国規模で行ったら、どうなのかな。
そういうシュミレーションは、ないのかな。

 原発事故で放射線のせいで街に住めなくなるより、ずっとずっと、ましじゃないか。

そう思う。







立ち居振る舞い

2011å¹´05月06æ—¥ | æ±æ—¥æœ¬å¤§éœ‡ç½
先月、総理大臣と東京電力社長が福島県の避難所を訪問した。
その様子はいずれも、同じようにTVのニュースで流れた。

総理大臣は、立ったまま、腰に手をあてて、被災者に話しかけていた。
福島県知事と挨拶を交わしている時も、腰に手を当てていた。
  
  腰でも痛いのか?

そんな格好の挨拶姿だったのだ。 とても違和感があった。

先月に続いて今月3日にも来県した東京電力の社長さんは、
被災者にの前に手をついて頭を下げていた。
いわゆる土下座だ。
それをパフォーマンスと感じた方々も多かったとは思う。
でも、正直なところ、わたしにはそうは思えなかった。
東京電力の杜撰さは憎い。現社長も、その責任は重い。
けれども、総理大臣の「腰に手」の姿と比べると、
はるかに心がこもっているように、わたしには思えた。
(擁護している訳ではありません。誤解のないように。)

人は見た目なんだ、ということを、ずっと以前にこのブログで書いたことがある。
「見た目」というのは、身につけている物がどうか、という意味ではない。
表情や姿勢に、その人の心の状態が現れる、ということを言いたかったのだ。
いや、身につける物でも、色の組み合わせや着こなし方に、心の状態は反映される。
(だからわたしも気をつけなくちゃ、と、実は書きながら思ったりもする・・(^_^;))

ともかく、
総理大臣がずっと腰に手を当てていた姿が、わたしは気になって仕方がなかった。
お辞儀というのは、腰に手をあててするものではなかろう?
少なくとも、一国の総理大臣の姿ではない。

福島原発事故の直接の責任は、確かに東京電力なのだろう。
でも、それを管理監督するのは、国ではなかったか?
与党にすれば、その監督責任は、旧与党が悪かった、とでも思っているのだろうか?
「もう帰るんですか!?」
と避難住民の一人から鋭い言葉を浴びせられた時の総理大臣の受け答えは、
(そんなこと、わたしに言われても・・・・)
という心情が見え隠れしてしまう、と思うのは、わたしの意地悪だろうか?
その時も、腰に手を当てたままだった・・・。

その映像を観た時、あぁ、こんな人に、このまま、今の状態を委ねなければならないのか、
そう思い、心底がっかりした。

一生懸命、誠心誠意やっている、とおっしゃる。
でも、本当に、そうかな・・・。

一方、これまでにも各被災地を訪問さなっていた天皇皇后両陛下のお姿は、
総理大臣のそれとはまったく違っていた。
両陛下は、4月27日には、宮城県の被災地をご訪問なさった。
避難所の方々に、膝をつき、ひとりひとりに丁寧にお言葉をかけていらっしゃるお姿が、
TVのニュースで流れた。

この違いはどこからくるのだろう、と考えてしまう。
皇室の方々と政治家をはいえ一般人を比較することは無理があるかも知れない。
でもいえることは、
「立ち居振る舞い」には「人となり」があらわれてしまう、ということだ。

両陛下は今後も、岩手県と福島県を訪問する予定なのだそうだ。
お二人とも、すでに70歳も後半のはず。
どうか、おからだだけは大切に、ご無理をなさらないで欲しいと思う。


憲法記念日

2011å¹´05月03æ—¥ | æ±æ—¥æœ¬å¤§éœ‡ç½
夏目漱石の「草枕」の冒頭は、このような出だしで始まる。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 山路(やまみち)を登りながら、こう考えた。
 智(ち)に働けば角かどが立つ。情(じょう)に棹(さお)させば流される。意地を通せば窮屈(きゅうくつ)だ。とかくに人の世は住みにくい。
 住みにくさが高こうじると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画(え)が出来る。
 人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣にちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今、法律で定められている基準を引き上げるとは何事か、という学者と、
平時の基準からは逸れるが過去のデータに基づけば心配はない、という医療者との間で、
国民は右往左往している。


 【智(ち)に働けば角かどが立つ。】

人のからだは、数学的な計算だけでは計り知れないものがある。
計算通りではないことも、多々ある。
人のからだに起こることが計算通りに決められる、それが正しいとするのなら、
それは人ではなくて「ロボット」だ。


 【情(じょう)に棹(さお)させば流される】。

「心配ない」「大丈夫」という医療現場での説明は、実は100%保証するという意味ではない。
なぜなら医療現場で人を相手にする場合、100%なんてことはあり得ないからだ。
でも、経験的に問題ない場合、わたしたちは「心配ない」「大丈夫」という表現をとる。
そこを誤解されると、嘘つき呼ばわりされてしまう・・・。


 【意地を通せば窮屈(きゅうくつ)だ。】

学者と医療者の意見は、どちらも一理ある。
計算することが仕事の学者と、人のからだを扱う医療者の間には、大きな溝があるように思う。
人のからだに起こるかもしれないことを、物と同じに計算すれば、
【とかくに人の世は住みにくい。】となってしまう気がする。


今日は、憲法記念日。
法律を遵守することは大切だ。
でも、法を守ることが先に立ち、そのために人の心や生活を脅かしてはいけないと思う。
くどいけれど、
人のからだには、数字だけでは評価しきれない機能があるのだ。
学者さんたちにも、どうかそれを理解して欲しいと思う。

わたしたちは【人でなしの国】では暮らしたくない。