考えるのが好きだった

徒然でなくても誰だっていろんなことを考える考える考える。だからそれを書きたい。

はじめに

 このブログは、ほり(管理人)が、自分の思考を深めるために設置したブログです。私のものの見方を興味深く思う方は、どうぞお楽しみください。 / 書かれていることは、ほりが思考訓練として書き連ねた仮説が多く、実証的なものでありませんが、読み方によって、けっこう面白いと思います。 / 内容については、事実であっても、時空を変えて表現している場合が多々ありますので、リアルの世界を字面通りに解釈しないでください。何年か前の事実をまるで今起こっているかのように書いたものもあります。 / また、記事をUPしてから何度も推敲することがあります。記事の中には、コメントを戴いて書き換えを避けたものもありますが、どんどん書き換えたものも交ざっています。それで、コメント内容との整合性がないものがあります。 / なお、管理人は、高校生以下の方がこのブログを訪れることを好みません。ご自分自身のリアルの世界を大事にしていただきたいと思っているからです。本でも、学校でも、手触りのあるご自分の学校の先生や友人の方が、はるかに得るものがありますよ。嗅覚や触覚などを含めた身体全体で感じ取る感覚を育ててくれるのはリアルの世界です。リアルの世界で、しっかりと身体全体で感じ取れる感覚や感性を育ててください。

お久しぶりです

2016å¹´05月13æ—¥ | æ•™è‚²
 久しぶりにブログを開けたが、ツイッターとブログではずいぶん感じが違う。ツイッターは、タイムラインに乗らなければ忘れられる。でも、ブログ記事はそうでもなさそうだ。いくばくかでもひと様に読んでもらえそうだ。
 ブログに長文記事を書かなくなったのは、時間がないのもあるが、授業でてきとーに雑談してるから、本人としては満足してるのかもしれない。授業の1/3くらいは雑談だろうから。でも、生徒も結構喜んでくれるから、そう自己満足だけというわけでもないと思う。
 生徒は、まじめな雑談に飢えている。自分の人生がこれから始まろうとしているのだから当然といえば当然だが、気の毒なことに、抽象的な話を具体的にしてくれる大人がいないようだ。その昔「おじさん」の必要性について語った本があった。親や教師のような説教じみた話ではなく、もう少し身近な大人の存在。もっとも私は彼らの親より年上だろうし教師でもある。しかし、感覚的には「近所のおばちゃん」だろう。幸いなことに、今私が相手にしている生徒は、一言二言三言続けても、筋が通っていれば耳を傾ける。その意味では面白い。多少でも鍛えてやりたいと思う。