休むに似ている

「バカの考え」だけに(笑)。

ゲゲル脳の恐怖

2007å¹´10月26æ—¥ | ãƒã‚¿
mixi日記でやった過去のネタ。
『仮面ライダークウガ』を知らない人、置いてけ堀。
【ややネタバレ気味】



 まず強調したいことは、超古代にもゲームが存在し、人類が「ゲーム脳」の脅威を知らないままにゲームを継続した結果が、あの戦闘種族・グロンギであるという事実です。彼らも元は人類の祖先である可能性があることは、血液の組成からも周知のとおりです。系統樹上、どこかで人類と分岐したのでありますが、その原因は彼らの行動原理であります「ゲゲル(ゲーム)」と考えて間違いありません。

 彼らグロンギと我が人類との決定的な違いは、その行動原理を「ゲゲル」により決定するか否かにあります。行動原理どころか、その生死そのものまでゲゲルにより決定されるその様は、私たち人類から見れば異様としか言いようがありません。
 また彼らの言語は、私たち人類には全く理解不能なのですが、それもゲゲルに原因があると言えましょう。現に、今の日本においてゲーム脳に陥っている若者たちの会話は、ゲームをやってない人々にとっては、専門用語の乱れ飛ぶ異種族の言語に等しいモノです。ゲーム脳に基づくこの現象が、行き着くところまで進行した結果が、あの全く理解不能な「グロンギ語」なのだと、私はここで断言します。
(なお、グロンギ語への移行の仮定で、ゲゲル脳により言語中枢が侵され、発音が怪しくなる現象【オンドゥル】も報告されているようですが、現在のところ立証されておりません)

 ゲーム脳の主たる症状としては、α波の増加による痴呆脳との相似が挙げられますが、グロンギの用いるリント文字などは、象形文字に毛が生えたような原始的なモノであり、まさに明確に脳が退化したことを示す証拠でありましょう。更に数学的にも、彼らの用いるのは人類に一つ劣る9進法でありまして、加算と乗算はあれども、減算と除算は存在しません。これも脳の退化を如実に示すものであります。また、数を勘定するバグンダダは、オハジキや十円立てのようなゲーム脳のリハビリ用器具の名残だと思われます。

 そして最も顕著にして恐るべきゲーム脳の特徴が、すぐに感情が昂ぶりキレ易い若者を育成することにあります。グロンギは、まさにこの特徴を明確に、しかもダイレクトに受け継ぐモノであります。ゲゲルのためには人命も厭わず、いやむしろ、人命をゲゲルの掛け金にするというその残忍無比な行為は、ゲームによる悪弊を最大限に発揮していると言えしょう。
 また、そのゲゲルの成績により、ゴ集団・メ集団・ズ集団・ベ集団など、自らの所属する階級が決定され、その階級により組織内の立場が決定されるなどから考えるに、その行き着く先はまさにゲーム的、バーチャルリアルな架空世界『ファミコマンダー竜』の如き醜悪な世界なのであります。

 そして、彼らの究極の目的でありますザギバス・ゲゲル(ファイナルゲーム)とは、グロンギの頂点に立ちます「ン・ダグバ・ゼバ」との戦い(ゲゲル)なのでありまして、彼は取りも直さずグロンギにおけるゲゲルの頂点に他ならないわけです。かつての日本における高橋名人や毛利名人の如きゲームの達人なのでありましょう。
 皆さん、想像してみて下さい。高橋名人や毛利名人が絶対的な支配者となった世界。そして、その全人類の行き着く先が『ファミコマンダー竜』の如き世界。ゲーム脳に汚染され続ければ、かくの如き未来となることは、想像に難くないのです。この国を滅ぼし、グロンギ化せしめる、このゲゲルは絶対に阻止しなければならないのであります。

びよんどまいぱわあ

2007å¹´10月23æ—¥ | å¤æœ¬å±‹çš„日常
なんか日々、一杯一杯です。

mixi日記をやったらblogが書けず、
blog書いたらもう一方のが書けず、
もう一方のやったらサイト更新ができず。

バカ漫画もネタはまだまだあるのにな。
てゆーか、商品をもっと展示しないと。
いやその前に、店の片付けが……

アタフタ .゜。(゜Д゜;)≡(;゜Д゜)・。゜ アタフタ

歓びを歌にのせて

2007å¹´10月17æ—¥ | æ˜ ç”»
【公式サイト】
過去にシネマクラブでやった作品の感想も、
ちょこちょこ載せていかねば、と思っていたりする。


【以下、完全ネタバレ】


良い意味で、裏切られた作品。
「歌によって人生救われますた」「音楽の力ってこんなにスゴイんです」てな安直なテーマの話を想像すると、おそらくはラストで面食らうのではないかと。
音楽によって救われた、というより、音楽によって素直に(本能的に?感情的に?)自分の考え(多くは、主人公含む登場人物の抱えるトラウマ)を表明・主張できるようになり、自らの意思で自らの進む道を選べるようになった、と言った方が正しい。
その選択が正しかったのか、どんな人生になるのかは本人次第。

主人公が音楽を指導することにより、村の人々の抱える、そして今の社会にも通じる様々な問題が浮き彫りになる。これがまた、かなり生々しかったり。
しかし音楽もさることながら、この作品の真のテーマは、「依存からの脱却」ではないかと思えたし、少なくとも個人的にはそういう視点で見てた。ここでの「依存」とは教条的なキリスト教信仰であり、夫からのDVであり、閉鎖的な村社会にありがちの(ある意味陰湿な)人間関係であり、各人の過去のトラウマだったりするのだが、そういう固陋・無変化な体質や現実を切り裂き、「新たな価値観・人間関係」という新風を吹き込む役割が「音楽」であり「ハーモニー」であると。
ちなみに、この固陋な体質・現実により被害を受け、そして立ち直るのが、多くは女性(含む社会的弱者)であるのが、さすがはスウェーデンの映画とも思えたりして。

しかし、この時点で終わってしまっては、「音楽」が村人を変化させたはいいが、結局、人々の依存(信仰)の対象が主人公にスライドしただけになってしまうわけで。実際、教会で大騒ぎする姿なんざ、敬虔なキリスト教徒にとっては「サバト」にしか見えないし(笑)。村人が主人公を教祖的に慕う姿、教会を見捨てる村人、主人公の音楽指導における物言いなども、一歩間違えば新興宗教やらラエリアンやらみたく見えなくもない。敢えてそう見えるような演出したのかもないけど。

そして迎えるラスト。ウィーンのコンクールに出場する村人たち(聖歌隊)を襲う大アクシデント。愕然とする一同。
おそらく、このラストには賛否あるだろうが(現に、アンケート用紙を出した前の人は映画評「分からない」だったw)、個人的にはこのラストがあって初めてこの映画のテーマ(「依存からの脱却」)に一貫性が出、そこらに転がってそうな音楽映画とは一線を画す佳作になったのではないか、と思うところ。

シルバー假面

2007å¹´10月16æ—¥ | ç‰¹æ’®
【公式サイト】

第壱話『はなやしき』が、実相寺昭雄監督の遺作。合掌。
話自体は、トンデモのオンパレード。逆に素晴らしい。
波動あり。ポールシフトあり。宇宙人あり。オカルトあり。

相変わらずの(という最後まで)実相寺ワールド大炸裂。
難解なストーリー進行。不可解で怪奇で猟奇な雰囲気。
そして複雑なカット割とカメラワーク。いやーん。
凝りに凝った音楽。尺八まで登場。音楽は冬木透先生。
いやはや、堪能させて頂きました。もう観れないんだなあ。

そして、第弐話『於母影』で、思いっきりひっくり返る。
『はなやしき』で制作費を使い切ってしまい、かなり割食った
という話は、そこここで聞いていたのですが、こりゃ凄い。
舞台は外国なのに、どう見てもロケ地は日本。力技ですねえ。
特撮も合成もチープで、一体この作品は何年の作品なのだと。
しかも、外人が全員日本語(それもカタコト)喋ってるぞ。
 (一瞬、『日本以外全部沈没』かと思いました。稲川素子事務所大活躍w)
字幕も出ないのか。てゆーか、そんな予算もなかったのか(呆。
『響鬼』以来のインパクト。あれ髣髴とさせる変わりっぷり。

第参話『鋼鉄のマリア』で、どうにか持ち直し
(特撮マシにw 字幕も付くw)、話もキッチリ完結するのだが
『於母影』のインパクト強過ぎて、話を覚えてないくらい(笑)。
いや面白かったですよ。整合性とか抜きにすれば。

え~っと、巨人の最後の仕事に改めて合掌(笑…っちゃいけない)。

幸福のスイッチ

2007å¹´10月15æ—¥ | æ˜ ç”»
米子シネマクラブにて。【映画の公式サイト】

若年層は上野樹里の魅力、高年齢層は沢田研二のイメチェン、
全体的には「古き良き日本的サービスと、それに気付く若者」
…という構図で、(その良し悪しは別にして)楽しめるのではないかと。

上野樹里は、相変わらず欠点ある人間を演じるの上手いなと。
モラトリアムな若人の自己中・わがまま・すぐキレるなどなど。
その欠点が、ムカつく反面、魅力的に感じられるから不思議。
現在進行形の若人は共感し、その時期過ぎた大人には、
「自分にもこういう時期もあったよね」と懐かしく感じられたり。
(ちなみに作中で、それを最も感じているのが親父の沢田研二)
唐沢さんの「欠点ある人にこそ惹かれる」との言を思い出す。

沢田研二、儲からない電器屋のコテコテ関西弁の親父を熱演。
イメチェン…というか、変わり杉でどうにもこうにも違和感が。
あのダミ声が、「勝手にしやがれ」のコブシに聴こえてしまう。
…いかんいかん。すみませんもうちと時間を下さい慣れるまで。
外面良くて(娘・談)、家の中では非常にすぐ怒鳴る身勝手な、
しかし不器用だけれど誠実で、芯は非常に優しい、という
ある意味、ステレオタイプな古き良き日本の親父の役柄。

脇を固める姉・妹役の本上まなみ、中村静香も良し。
瀬戸内の田舎の純朴な風景良し。住民も演技が臭いけど良し。
個人的にはデカブルー&アストロワンを演じていた林剛史が
出てたのがポイント高し。上野樹里の幼馴染の電器屋手伝い。
両者のクール&暑苦しい役柄と違い、今回は非常に軽い性格。

ちなみにこいつ、既に彼女いるのに上野樹里に迫ったりする。
この辺、父親の浮気疑惑とダブらせてあるんでしょう。
「所詮、男ってぇのは妻や恋人いても他の女を愛せる生き物だ」
…てな感じで。実際、男ってぇのはそういうもんですが(汗)
親父(沢田研二)だと、あんなに軽くもないでしょうし、
果たして妻や子を捨てて…てことには絶対ならんのでしょうが。
(でも、キリスト教の場合、そういう気を起こすこと自体が姦淫だったりする)

全体的に今の日本人の好きそうな映画。
地域密着、綿密な(しかし儲からない)アフターケアとサービス。
安売り大手の進出で経営青息吐息だが、スタンスは崩さない。
客の思い出を尊重し、付喪神が宿りそうなほど大切にする姿勢。
父の骨折を機に、実家の電器屋を手伝うようになった次女が
誰かの役に立つことの意味、本当の仕事とは何かを学んでいく。

映画の出来としても良いですし、内容も面白かったし。
しかし、映画とは別の意味で考えされられちゃいました。

くたばれgooブログ

2007å¹´10月14æ—¥ | å¤æœ¬å±‹çš„日常
某映画の感想を書いてUPさせようとしたら、
「gooブログにログインして下さい」
と、ログイン画面に切り替わって、

………せっかく書いた記事がパーに。

ふざけんなと。
先日、SAWの感想を書いた時にも同じことになり、
長文だったこともあって、かなりメゲたばかり。
ああもお!

♪カメダマーチ

2007å¹´10月13æ—¥ | ãƒã‚¿
【元歌】

カメダ~ カメダ~♪
いかすぞカメダ いかすぞカメダ いかすぞカメダ♪
一 気 呵 成 一 気 呵 成
野望さえぎる 悪魔なヤツだ
内藤大助 来るなら来い!
投げたぞ 飛んだぞ GO! GO! GO!
人間風車でやっつけろ
いかすぞカメダ いかすぞカメダ
いかすぞカ~メ~ダ~♪


カメダ~ カメダ~♪
がんばれカメダ がんばれカメダ がんばれカメダ♪
絶 望 寸 前 絶 望 寸 前
KO焦る パツキン連打
負ければ切腹 いつでも来い!
怒った よけたぞ GO! GO! GO!
捕らえてはなすな 投げ飛ばせ
がんばれカメダ がんばれカメダ
がんばれカ~メ~ダ~♪


カメダ~ カメダ~♪
強いぞカメダ 強いぞカメダ 強いぞカメダ♪
罵 声 独 占 罵 声 独 占
加勢だセコンド 毒気な指示を
家庭害虫(ゴキブリ) 何でも来い!
ヒジだぞ 突いたぞ(目を) GO! GO! GO!
判定ジャッジだ 体当り
強いぞカメダ 強いぞカメダ
強いぞカ~メ~ダ~♪

時津風英雄伝説

2007å¹´10月07æ—¥ | ãƒã‚¿
銀河英雄伝説2巻。ヤンとユリアンの会話より。

「弟子が部屋から逃げ出す、これはよろしい。だが逃げるのを待つ必要はないということだ。弟子が逃げようとする、その準備を想定して制裁を加える。 〔後略〕」

熱心に、親方見習いはうなずいた。

「別の方法もある。弟子たちはまとまって行動する。弟子のA、Bを各人制裁しておいて、他の弟子たちと相対する。このとき、過剰な制裁を用いて弟子に制裁への恐怖を植え付けるか、弟子たちを階級分けして制裁させることができれば、効果は増大する。 〔後略〕」

親方見習いは感嘆したが、いっぽうで自分が情けなくもあった。親方の智謀は泉のごとく湧いてくる。それにひきかえ、自分は、親方が見習いであったときの足元にも及ばないだろう。

「だが、まあ、今回はどちらも使いたくない。もともと同じ相撲取りだ。殴って従わせたところで遺恨が残るだけだからね」
「ほんとにそうですね」
「だが、まあ、今回はどちらも使いたくない。もともと同じ相撲取りだ。殴って従わせたところで遺恨が残るだけだからね」
「力士本人は楽でしょうけど、親方は苦労ですね」
「お、わかってきたな」

親方は笑ったが、その笑いは長くは続かなかった。

「ところが、世の中の半分以上は、弟子を多く殴る親方ほど苦労をしていると考えるのさ」

SAW[ソウ]Ⅰ~Ⅲ

2007å¹´10月04æ—¥ | æ˜ ç”»
『SAW』公式サイト
『SAW2公式サイト』
『SAW3』公式サイト

三本連続で観てたら、気が狂いそうに。
とりあえず、勝手邦題的サブタイトル付けると
『幸せな余生の過ごし方』(笑)

SAW
名作の誉れ高い逸品。実際、名作だと思います。
DVDの特典映像インタヴューにて監督さん曰く
「最初から予算枠が決められていた」んだと。
つまり、低予算映画でも脚本・ストーリーを練れば
あれだけの名作を残れるんだということで。

目が覚めたら異様な状況下に置かれていた見知らぬ二人。
徐々に明らかになっていく二人の過去と現在と。
そして更に深まっていく謎と犯人の正体、その目的。
複線貼って「こいつ犯人かも」と思わせつつ、
それを見事に作中で忘れさせ視線を逸らせるテク。
最後の最後に起こるどんでん返し、あっ、と驚く結末。
そして明らかにされる、真犯人の正体と動機。
積み重ねられた抽象的な言語や謎がパズルのピースを
埋めていくが如く整合性を持って揃っていく快感。
いやはや、見事の一言に尽きます。

ちょっとだけ難を言えば、
別にあの時、足を切断する必要とか、なかったんじゃね?
服を脱げば、あの携帯取れたよな。安否も確認できるし。
まぁ切断しなければ、あの部屋を出るの不可能だったし
結果的に同じことだったんだろうけど。げーむおーばー。


SAWⅡ
Ⅰのヒットで予算枠が増えたんでしょう。
セットが豪華にメンバー複数にストーリー過激に。
基本的にスプラッターなのダメなんです。
あの注射器の穴に落とされるシーン、あ痛だだだだだ……

人数や場面の数の分、話が拡散してしまってるし、
妙に機械的トリック・トラップに頼ってはいるけど、
やはりキッチリしたルールに従って話が進行し、
謎や抽象的発言が一気に解決する快感を伴ったラスト。
そしてこれも見事などんでん返しも相変わらず。
名作の続編なのに、クオリティ保っただけで上々です。

これもちょっと難を言えば、
集められた人がもうちょい協力し合ってヒントを解けば、
上手くいけば全員に近い人数で、それも十数分ほどで
あのゲーム解決してしまったんじゃないかな。
まぁ、それを許さないためのゲーム参加だったのかも。
やはり、主催者も(一度は)ゲームの只中に参加して
死のリスクを負うというルールもあるのかしらん。


SAWⅢ
かなり異色…つーか、こんなんジグソウじゃないやい。
主催者自らがルール違反してちゃダメでしょう。
ゲームクリアを不可能にしちゃマズいでしょう。
何ですか、あの意味もないスプラッターな数々は。

……おそらく、観た者の誰もが抱いた印象でしょうが、
やはりそれらをひっくり返す結末と整合性。
ああ、そうですか、これもゲームの一部でしたか。
一応は納得……したけど、後味、無茶苦茶悪いなオイ。

こちらもゲームに関して難を言いますと、
ⅠよりⅡ、ⅡよりⅢと続くに従って、
アバウトさと残虐さが増しております。
全員助けてたら、下手すれば最後三人残るわけで、
一人も助けず十字架まで行けば、一人も残らないわけで
どちらにせよ、大幅にストーリーが変わってきます。
それもこれも含めて、寝たきり主催者による
ゲームだったのかもしれませんが。自分もコマにした。
でも、あのゲームで最後に一人も残ってなければ、
実行した主催者の一人勝ちになっちゃうんだうよな。


トータルして考えると、キッチリ整合性は取れてます。
が、結果、何一つ残るものはなかったわけで、
『不幸せな余生の過ごし方』と言えるかも。


これでキッチリ終わったのかと思いきや、
『SAW4』が出るみたいです→ 公式サイト。
ジグソウがクローン技術で甦って(それ違う「4」)