シネマ歌舞伎「天守物語」
2012年01月26日
シネマ歌舞伎「天守物語」
http://www.shochiku.co.jp/cinemakabuki/lineup/17/
1月、2月、3月と連続で玉三郎の泉鏡花舞台。今月は「天守物語」。
お話。白鷺城の最上階では天守夫人富姫が、猪苗代から遊びに来た亀姫をもてなしているところ。姫たちは天守から下界を見下ろしては、白鷺城城主や人の様などを話題にしている。亀姫の帰ったあと、城主に命じられるままに若い男が天守に上がってくる。ここは人間がくるところではありませんよ、と富姫は返すが…
私は原作未読です。
泉鏡花1917年の戯曲。ということは、今からざっと100年も前の作品。原文はなにやら古風な文体なので、実は私は原作未読(^_^;) 映像作品や舞台中継などで見たことがあるので、内容は一応知ってた。もしかしたらジュニア向けとかの現代語版なら読んだかもしれないけど、あらすじはわかっていてもどういう意味なのかはちゃんと理解できてなかったと思います。ダイジェストや予告編映像など画像で紹介されるのは必ず後半、図書之助が出てきてからの場面。もちろんそこが一番印象的だからだが、それゆえ記憶が修正されるなどして全体の流れが私はよくわかってなかった。
感想。ファンタジー設定は100年前も今も同じ。今の感覚と書かれた当時とでは、受け取り方とか解釈とか印象とか違うのかもしれないけど、振り返って考えるに、歌舞伎というものは人間同士の切った張ったから魑魅魍魎まで何でも出てくるので、もしかしたらこの世の者ではないお話というのはいたってフツーな感覚なのかもしれない。そもそも舞台で芝居をやるということは架空の出来事をさもあるかのように見せるのだがら、そのお話は浮世だろうとあの世だろうと、それはどっちでも舞台の上だけの一瞬の嘘空間なのだ。
だから坂東玉三郎、女形が演じる天守物語は、この世の者とは思われない感じがあってとてもふさわしい配役だと思う。
さてわたくし、長年このお話のどこがどう面白いのか全然わかりませんでした。設定しからして、はっきりとは説明がないので、これはこうだと決めつけるのはどうかと思うし、作家の意図とは別の読み方をしてもそれは観客の自由とは思う。
ただ作家はこれを面白いと思って書いたはずだから、何を見せたかったのかは考えてもいいと思う。
私は、それはこの次の上演の「海神別荘」を見たときちょっと思ったことがありました。「海神別荘」は私は以前ケーブルTVで見ました。今回「天守物語」を見て思ったのは、「天守」と「海神」は玉三郎と海老蔵の役柄が入れ替わっただけ。「天守」では異世界に迷い込むのは海老蔵。「海神」では玉三郎が訪問者となっていて、つまり男女が逆。異世界訪問男パターンと女パターンということなのだ。
なぜ異世界訪問なのだろうか?
(↓ネタバレ感想なので以下でつづく)
http://www.shochiku.co.jp/cinemakabuki/lineup/17/
1月、2月、3月と連続で玉三郎の泉鏡花舞台。今月は「天守物語」。
お話。白鷺城の最上階では天守夫人富姫が、猪苗代から遊びに来た亀姫をもてなしているところ。姫たちは天守から下界を見下ろしては、白鷺城城主や人の様などを話題にしている。亀姫の帰ったあと、城主に命じられるままに若い男が天守に上がってくる。ここは人間がくるところではありませんよ、と富姫は返すが…
私は原作未読です。
泉鏡花1917年の戯曲。ということは、今からざっと100年も前の作品。原文はなにやら古風な文体なので、実は私は原作未読(^_^;) 映像作品や舞台中継などで見たことがあるので、内容は一応知ってた。もしかしたらジュニア向けとかの現代語版なら読んだかもしれないけど、あらすじはわかっていてもどういう意味なのかはちゃんと理解できてなかったと思います。ダイジェストや予告編映像など画像で紹介されるのは必ず後半、図書之助が出てきてからの場面。もちろんそこが一番印象的だからだが、それゆえ記憶が修正されるなどして全体の流れが私はよくわかってなかった。
感想。ファンタジー設定は100年前も今も同じ。今の感覚と書かれた当時とでは、受け取り方とか解釈とか印象とか違うのかもしれないけど、振り返って考えるに、歌舞伎というものは人間同士の切った張ったから魑魅魍魎まで何でも出てくるので、もしかしたらこの世の者ではないお話というのはいたってフツーな感覚なのかもしれない。そもそも舞台で芝居をやるということは架空の出来事をさもあるかのように見せるのだがら、そのお話は浮世だろうとあの世だろうと、それはどっちでも舞台の上だけの一瞬の嘘空間なのだ。
だから坂東玉三郎、女形が演じる天守物語は、この世の者とは思われない感じがあってとてもふさわしい配役だと思う。
さてわたくし、長年このお話のどこがどう面白いのか全然わかりませんでした。設定しからして、はっきりとは説明がないので、これはこうだと決めつけるのはどうかと思うし、作家の意図とは別の読み方をしてもそれは観客の自由とは思う。
ただ作家はこれを面白いと思って書いたはずだから、何を見せたかったのかは考えてもいいと思う。
私は、それはこの次の上演の「海神別荘」を見たときちょっと思ったことがありました。「海神別荘」は私は以前ケーブルTVで見ました。今回「天守物語」を見て思ったのは、「天守」と「海神」は玉三郎と海老蔵の役柄が入れ替わっただけ。「天守」では異世界に迷い込むのは海老蔵。「海神」では玉三郎が訪問者となっていて、つまり男女が逆。異世界訪問男パターンと女パターンということなのだ。
なぜ異世界訪問なのだろうか?
(↓ネタバレ感想なので以下でつづく)
白鷺城の天守に、そして「海神別荘」では海深くのどこかに、この世でもなくあの世でもなく、人ではない者たちの住む別世界がある。それは人の住む世界のすぐ側にある。「ぬらりひょんの孫」風にいえば、それは妖怪である。
天守物語の前半は、猪苗代湖から亀姫がやってくる。今さっき城に戻ってきた天守夫人は夜叉ケ池の姫に雨を降らせるように頼んできたとか。それというのも城主の殿様の鷹狩りがうっとうしいから追い払うため。亀姫のお伴は角のある山伏?と見るからにあやしい白髪の婆。雨を降らせたり人間の首(ほんとはレプリカ?)がおみやげだったり、お姫さまたちの気ままな暮らしぶりをかいま見る。
後半、若い殿方が一人上がってくる。
「天守物語」は天守夫人である富姫が主人公なので視点が逆になっていて、人間の男の訪問を受ける側になっているが、観客は人間サイドでるからやはりこれは異世界訪問の話なのではないか。だいたいそもそも天守夫人てなんだ? 舞台の中央にででんと鎮座する獅子頭に向って「あなた」とか言っている。腰元にも「奥様」と言われているので、天守夫人ってこの獅子頭の奥さん?
天守夫人の正体は直接的には明かされないが、城主が語った獅子頭の謂われによると、三代前くらいの城主の時代に自害した女の祟りが云々という事件があり、それまつわる獅子頭をここにぶっこんだ、以来ここがアヤカシの住み処となったということらしい。つまり天守夫人はその時無くなったうら若き美女、獅子頭の霊力によって天守夫人とか言う妖怪?となってここに住んでいる?ということでいいのかな?
天守夫人は元人間の妖怪なのであの世の人ではないようで、死ぬということはある。獅子頭の力の庇護によって存在していたのか、獅子頭を傷つけられると目が見えなくなり、いよいよ危ない…という時、現れたのは獅子頭を彫ったという彫師。え?人間? この人が獅子頭の目を直すと天守夫人たちの目が見えるようになり、舞台は光に包まれて終わる。
あれっ?どうなったの?
結末はよくわからないが、行き場をなくした二人がどこかへと旅立ったのはわかる。
人間の世界でない、この世のどこかだろう。死んで終わるという人間等しく誰にでもある結末ではなくて、生きにくい人の世から連れ出してくれる何か、どこかにそういう場所があるのだと、そういう夢を見る舞台なのではないか。天守夫人もまた俗世からこの異世界にやってきた人だったのだ。
「海神別荘」につづきます。
天守物語の前半は、猪苗代湖から亀姫がやってくる。今さっき城に戻ってきた天守夫人は夜叉ケ池の姫に雨を降らせるように頼んできたとか。それというのも城主の殿様の鷹狩りがうっとうしいから追い払うため。亀姫のお伴は角のある山伏?と見るからにあやしい白髪の婆。雨を降らせたり人間の首(ほんとはレプリカ?)がおみやげだったり、お姫さまたちの気ままな暮らしぶりをかいま見る。
後半、若い殿方が一人上がってくる。
「天守物語」は天守夫人である富姫が主人公なので視点が逆になっていて、人間の男の訪問を受ける側になっているが、観客は人間サイドでるからやはりこれは異世界訪問の話なのではないか。だいたいそもそも天守夫人てなんだ? 舞台の中央にででんと鎮座する獅子頭に向って「あなた」とか言っている。腰元にも「奥様」と言われているので、天守夫人ってこの獅子頭の奥さん?
天守夫人の正体は直接的には明かされないが、城主が語った獅子頭の謂われによると、三代前くらいの城主の時代に自害した女の祟りが云々という事件があり、それまつわる獅子頭をここにぶっこんだ、以来ここがアヤカシの住み処となったということらしい。つまり天守夫人はその時無くなったうら若き美女、獅子頭の霊力によって天守夫人とか言う妖怪?となってここに住んでいる?ということでいいのかな?
天守夫人は元人間の妖怪なのであの世の人ではないようで、死ぬということはある。獅子頭の力の庇護によって存在していたのか、獅子頭を傷つけられると目が見えなくなり、いよいよ危ない…という時、現れたのは獅子頭を彫ったという彫師。え?人間? この人が獅子頭の目を直すと天守夫人たちの目が見えるようになり、舞台は光に包まれて終わる。
あれっ?どうなったの?
結末はよくわからないが、行き場をなくした二人がどこかへと旅立ったのはわかる。
人間の世界でない、この世のどこかだろう。死んで終わるという人間等しく誰にでもある結末ではなくて、生きにくい人の世から連れ出してくれる何か、どこかにそういう場所があるのだと、そういう夢を見る舞台なのではないか。天守夫人もまた俗世からこの異世界にやってきた人だったのだ。
「海神別荘」につづきます。