共産主義はなぜ破綻したのか?(2)
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今日は約束どおり、「なぜ社会主義(共産主義)の思想から、中国や、それ以上に残酷な北朝鮮のような非人間的社会体制が生み出されたのか?」に言及する。
昨日のエントリーで書いた「ソ連的社会主義体制」の崩壊をお読みいただければ、理由の半分以上は既にお解りいただけると思う。
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私は、昨日のエントリーで次のように書いた。
①共産主義社会とは、社会主義社会がさらに発展した人類の理想社会。
②搾取も抑圧も差別もない、真に自由で平等な社会。
③人間が疎外から解放され、もっとも人間らしく生きることのできる社会。
④「一人は万人のために、万人は一人のために生きる」社会。
⑤「各人はその能力に応じて働き、必要に応じて与えられる」社会。
以上の社会が共産主義社会であり、その理想社会を目指す思想が共産主義である
と......
そして、その思想が生まれた社会的、歴史的土壌にも言及した。
①あらゆる人間が「共通の理性」を持っており、世界には何らかの「根本法則」があるという思想が知識人を中心に普及し、
②キリスト教的「倫理観」が社会及び人々の規範になっている。
③そして既に資本主義が高度に発展しており、
④自由、平等、人権という価値観が社会的土壌として存在している。
⑤にもかかわらず、ユダヤ人は「自由、平等、人権」からは疎外されていた。
そういう世界で生まれた「科学に裏付けられたユートピア思想」がマルクス主義なのである
と......
また、以下のようにも指摘した。
マルクスは、資本主義そのものは社会の生産力が高まる時代と捉えている。
その資本主義がより成熟し、拡大した生産力に資本主義の体制が耐えられなくなった時、つまり、生産力の拡大に伴なって、資本主義の抱える諸矛盾もよりいっそう深刻化して解決不能になった時に革命が起こり、社会主義に移行すると考えていた。
したがって、革命が起こる可能性があるのは、祖国ドイツか英国、あるいはフランスであると想定していた
と......
つまり、ヨーロッパの後進国・ロシアで社会主義革命が起きるなんて、マルクスにとってはまったくの想定外であった。
やはり、色々な理由があったとはいえ、ロシア(ソ連)共産党やソ連型社会主義がマルクスのイメージとはかけ離れたものになってしまったのも、そのロシアの後進性によるところが大きい。
結局、「搾取も抑圧も差別もない、真に自由で平等な社会」を目指したはずの共産主義思想が、世界で最初に実現したのは「搾取も抑圧も差別もあり、まったく不自由で不平等な社会」だった。
近代史上、これ以上の、イデオロギーとそれが実践された結果の乖離が大きい例を私は知らない。
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中国の場合は、もっとひどい。中華人民共和国が建国した1949年の4年前までは、中国のほぼ全土(主要部)が日本との戦場だった。
そして、日本が1945年に敗北した後、一時的に平和が訪れたが、1946年6月には国民党と共産党との内戦(国共内戦)が再び始まる。
日本との戦争前及び戦争中の中国はというと、まったく国としての体をなしていなかった。
1911年に孫文が率いる中国革命同盟会が中心になって辛亥革命を起こし、清朝を打倒した。革命派は中華民国の建国を宣言した。が、基盤の弱かった革命派は、いくつかの交換条件を結んだ上で、何と清朝の将軍であった袁世凱に実権を譲る。
実権を握った袁世凱は、一時は皇帝になるなど反民主的・専制的な政治を行った。そして袁世凱の死後は、中国全土に軍閥が割拠する時代となる。
孫文の後を継いだ蒋介石が率いる国民党政府も、広東(広州)を中心とする南方軍閥の一つにすぎなかった。
まさに、満州事変(1931年)のころ、酒井隆・支那駐屯軍参謀長が述べた「支那は一つの社会ではあるが国家ではない。あるいはむしろ支那は匪賊の社会であるといった方が適評」という評価は正鵠を射ていたのである。
1926年、蒋介石は、共産党の協力を得て「国民革命軍」を組織し、相対的に豊かな華中~華北の10省あまりを支配する北方軍閥に対する討伐戦争を起こした。いわゆる「北伐」である。
1928年に、蒋介石が率いる「国民革命軍」は、一応は北伐を完了させ、南京を首都にする。
が、前年の1927年には早くも共産党が戦線を離脱し、「国共内戦」が始まっていた。
そして、「国共内戦」開始に伴ない、「国民革命軍」に参加していた旧・軍閥も離脱し独立。
蒋介石と国民党が目指した中国の統一は事実上、失敗に終わった。
そして1931年には満州事変が起こる。
1937年には日中戦争(支那事変)が開始され、この戦争は1945年まで続く。国民党政府は、戦争開始から4ヵ月後の11月には南京から奥地の重慶に政府を移し(逃亡)、中国のごく一部を支配するのみになった。
つまり近代中国の歴史は、清朝時代の後半は、日・欧・米の半植民地。清朝崩壊後は、戦乱に明け暮れ、一時も国としての体を成したことがなかったのである。
資本主義も未発達で、買弁資本家が中心だった。もちろん、民主主義の価値観などカケラもなく、革命以前のロシアよりひどい前近代的な封建的・分立国家であったと言ってよい。
こんな国で、いきなり社会主義革命が起こった。しかも、当時の中国共産党の指導者は「政権は銃口から生まれる」という「唯武器論者」の毛沢東だったから中国人民はたまらない。
※(注)
「買弁資本家」とは、植民地・半植民地または開発途上国で、外国の資本と結びつき、利害をともにする資本家のこと。本来は「貿易商」の意味。
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私は、毛沢東はマルクスの思想を理解していなかった(理解できなかった)と思っている。
彼は、レーニンから「暴力革命の戦略・戦術」を学び、スターリンから「共産党による独裁の手法」を学んだだけで、マルクスの思想の核心にあるのものは理解していない。
彼が理解した共産主義思想は、ソ連共産党によってゆがめられたドグマ(教理・教条)にすぎなかった。
そう断言できる。
毛沢東の「人民戦線論」や「統一戦線論」、そして「農村から都市を包囲する」という有名な戦略も、レーニンの革命論を、資本主義が未発達で農民が社会のほとんどを占めていた中国の実情に合わせて焼き直したものである。
毛沢東は、日中戦争末期の1945年に開催した中国共産党大会における政治報告で、「一部の人は、共産党が権力を得たのち、ロシアにならってプロレタリア独裁、一党制度を打ち立てるのではないか、と疑っている。しかし、我々の、いくつかの民主的階級の同盟による新民主主義国家は、プロレタリア独裁の社会主義国家とは原則的に違ったものである」と述べている。
「新民主主義国家」、美しい響きを持った言葉である。
が、これはまったくのウソだった。
その「新民主主義国家」は「プロレタリア独裁の社会主義国家とは原則的に違ったものである」どころか、もっとひどい「共産党による強権的独裁国家」であった。
この手法も、ロマノフ朝を打倒するまでは社会革命党(メンシェビキ=少数派の意味だが実は多数派)や無政府主義者と共闘しながら、革命が成功すると、彼らを排除し、ロシア共産党(ボリシェビキ=本当は少数派)による一党独裁体制を確立したレーニンのやり方にそっくりである。
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1957年、ソ連共産党第一書記フルシチョフは、ソ連が15年以内に鉄鋼、石油などの生産高の面で米国を上回るだろう、と宣言した。
当時モスクワに滞在していた毛沢東は、兄貴分であるソ連に負けじと、中国は15年以内に英l国を追い越すだろうと語った。この発言は、世界各国共産党首脳たちの熱烈な拍手を浴び、中国国内でも盛んに宣伝された。
これに気をよくした毛沢東は、1957年に約535万トンであった中国の鉄鋼生産高を翌年には倍の1,070万トンにするよう命じた。ここから全人民製鉄・製鋼運動が展開されることになった。
しかし、本格的な製鉄コンビナートを作るだけの資本も時間もない。いらだった毛沢東は、産業革命以前の「土法高炉」を全国に展開し、人海戦術で鉄鋼生産を行うことを命じた。
しかし、素人が薪をくべて作った鉄は、農機具用にすらならなかった。何と、6千万人もの力を投入したのに、308万トンの何の役にも立たない「牛の糞」のような鉄が作られただけに終わったのである。
鉄鋼増産と並んで、毛沢東の念願であったのが、人民公社(労・農・学・兵が結合した自治組織)による農村の共産化である。これは、パリコミューンやソ連のソビエト(労働者・兵士による評議会)を意識したものだった。
「共産主義は天国だ。人民公社はその掛け橋だ」というスローガンが、1958年以降、中国全土に響き渡った。
人民公社は地方の共産党官僚の管理化におかれ、やがて各公社 が、毛沢東の歓心を得ようと、食糧増産の大ボラ吹き競争を始め る。
ある公社が、今まで1畝(6.7アール)あたり200斤(100k g)程度しか小麦がとれなかったのに、2千105斤もの増産に成功したとのニュースを人民日報で流した。毛沢東が提唱した、畑に隙間なくびっしりと作物を植える「密植」により出来高が10倍にもなったというのである。
すると、他の公社も負けじと、水稲7千斤、1万斤などという数字を発表し始めた。8月には湖北省麻城県で、1畝あたり稲の生産高3万6千956斤というニュースが報道された時、人民日報は四人の子供が密植された稲穂の上に立っている写真まで掲載した。
出来高の水増し報告により、農民が上納すべき食料の量も増やされ、農民自身の取り分は大きく減らされた。こうして、農民たちの製鉄運動への駆り立てと人民公社化(農地の共有化)による効率低下、さらに上納分の大幅増加により食糧備蓄も底をつき、1960年から61年にかけて、中国全土を猛烈な飢饉が襲った。
これが、毛沢東が煽った「大躍進」政策の実態である。
その「大躍進」政策で中国人民が得たものは、308万トンの何の役にも立たない「牛の糞」のような鉄と3千万人に及ぶといわれる餓死者であった。
このような事態の深刻さは、地方からの水増しされた食糧増産報告のため党中央には届かなかった。その結果、飢饉の最中である1960年に、270万トンに及ぶ食料の強制徴発と、それを輸出に回すという信じがたい行為が実行されたのである。
270万トンの食料は、3千万人が半年間食いつなぐのに十分な量だった。
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1961年初めには、さすがの毛沢東も「大躍進」政策を続けることができなくなり、劉少奇や鄧小平などの実務派に政治運営を譲った。鉄鋼増産運動は中止され、農民の収入も働きに応じて分配されるようになった。
鄧小平が「白猫でも黒猫でもネズミをとるのが良い猫だ」という発言をしたのは、この頃だ。「ネズミをとる」とは、「国民を食わせる」という事なのである。
が、毛沢東がおとなしく黙っているはずがない。マルクスの思想など理解せず(できず)、とにかくソ連にならって中国を東アジアの大国に、いずれは世界の強国にしたいと念願していた彼は、1965年に「文化大革命(文革)」を発動する。
そして、尊敬していたスターリンと同様に、個人崇拝・神格化に成功した(これは、昨日も述べたが、マルクスがもっとも忌避するものである)。
事情をよく知らないそのころの私は、これは「労働者(プロレタリア)独裁」を進めるための「永続革命」の一環であるとして最初は支持した。
が、実態は、林彪を「軍の足場」に江青や張春橋らの「四人組」を「政治の足場」にして実権派とされた当時の中共指導部である劉少奇や鄧小平らを追い落とすための権力闘争であった。
この混乱は、約10年間続き、内戦や虐殺及び強制労働などで、6百万人とも3千万人とも、果ては5千万人が犠牲になったとも言われている。
文革以降の歴代政権が、これに触れることを「タブー」にしているため、正確なところはよく解らないのが実情であるが、数千万人が犠牲になったのは間違いないようだ。
※(注)
「四人組」とは、1960年代半ばから約10年間にわたり、毛沢東が発動したプロレタリア文化大革命(文革)によって浮上した江青(中央文革小組副組長、毛沢東夫人)、張春橋(副首相、政治局常務委員)、姚文元(政治局委員)、王洪文(党副主席)の新権力グループを指す。文革では様々なグループが登場したが、林彪グループと並ぶ一大勢力を形成、主に上海を拠点にして活動した。
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1970年代半ばごろ、大躍進の失敗とそれに続く文革による大混乱で、中国は疲弊し、まさに存亡の機にあった。これを救ったのが鄧小平である。毛沢東亡き後、四人組を打倒し実権を握った鄧小平は、「永続革命」路線から「改革開放」路線へとコペルニクス的転換を図った。
1978年12月の11期3中全会において決定されたこの路線の本質は、「白猫でも黒猫でもネズミをとるのが良い猫だ」という鄧小平の有名な言葉が総てを言い表している。
この言葉は、「資本主義でも社会主義でも、どちらでもよい。要は、中国が豊かになり、民衆がメシを食えるようになるのが先決だ」と読み替えることができる。
この時点で中国は、政治的制度としての共産主義を維持ししつも、イデオロギーとしての共産主義は捨て去り、経済成長至上主義に転換したと言ってよい。
実際のところ、1983年から88年の平均成長率は11.4%で、驚くべき急成長を遂げた。
ところがこの「改革開放」路線の延長線上に、1989年6月「天安門事件」が発生する。
中国共産党指導部は、この「事件」を戦車を動員して強権的に制圧した。
この人民の党と、その指図を受けた人民の軍が人民を虐殺した事件は、中国社会に動揺をもたらした。
「強権的制圧」を指示した者にお咎めはなく、逆に、「改革開放」の旗手であり、「強権的制圧」に反対した趙紫陽・総書記が解任されたからである。加えて、人権に敏感な欧米諸国が中国に対して経済制裁を実行した。
その結果、「改革開放」の雲行きが怪しくなってしまった。
これに対して鄧小平は、1992年1~2月、広東省や上海市などの南方視察を行い、そこで華南地区の発展ぶりを称え、「改革開放は100年流行る」と言明、「てん足女のようなヨチヨチ歩きではダメだ。改革開放をさらに加速させなければならない」(南巡講話)と全国に檄を飛ばしたのである。
元々、鄧小平の「改革開放」路線は、「先に豊かになれるものから豊かになれ」と、一時的な経済格差を容認する「先富論」であり「先に豊かになった地区(沿海部、都市部)が後発地区(内陸部、農村部)を支援すればよい」というものだった。
したがって、この鄧小平の「激」を受けた地方の党幹部たちは、我先にと、こぞって市場経済へ向けて走り出したのである。
※(注)
「天安門事件」とは、中国北京の天安門広場において起きた民衆の抗議運動。
文化大革命が否定される中、1981年に中国共産党主席に就任した胡耀邦は、思想解放を掲げ、改革を推進したが、反発を受け、1987年に失脚した。
その後、1989年4月に死去した胡耀邦の追悼行事が天安門広場で行われ、これを非難する当局に対して、学生や市民の抗議運動が広がっていった。
1989年6月4日、天安門広場において、民主化を求める学生や市民に対して人民解放軍が武力弾圧する事態となった。
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この鄧小平が唱えた「改革開放」には致命的欠点が、いくつかあった。
その一つは、社会が市場経済に向けて走り出したにもかかわらず、もっとも重要な「そのルール」を定めなかったことである。
また、市場経済化に不可欠な「政治の民主化」を先送り(弾圧)したために、下部構造(経済)は資本主義(市場経済)なのに、上部構造(政治や国家)は共産党による一党独裁という、極めてゆがんだ形の国家・社会を生み出してしまった。
つまり、マルクスの思想に基づいているはずの国家が、マルクスの「下部構造としての経済が政治や国家さらには人間意識といった上部構造を決定する」という理論とは逆になってしまったのである。
そして、共産主義から市場経済に転換したにもかかわらず、共産主義イデオロギーに取って代わる社会的規範作りを怠った。
以上をまとめてみる。
①市場経済にルールがない。
②共産党による一党独裁のため、党官僚の恣意的判断でどうにでもできる。
③民主化を弾圧したため、言論の自由がまったくない。
④市場経済化によって共産主義イデオロギーが「規範」としての機能を喪失した。
⑤共産主義イデオロギーに代わる政治的・社会的「規範」が作れなかった。
これらに次のことが加わる。
①宗教を弾圧してきたために、宗教的道徳心や倫理観が社会から欠如している。
②社会に共通する価値観が、「カネ」と「モノ」しかなくなった。
(まさに、下部構造としての資本主義が人間意識だけは決定したのである)
③民主主義の経験がまったくないため、社会全体に「人権」というものの認識がない。
④歴史的に「人の命は紙よりも軽く、欲望は底なし沼より深い」という国民気質がある。
その結果が以下のような社会を生み出したのである。
①業者と結託して当局(地方の党・政府)が、涙ガネで農民の土地を取り上げる。
(失地農民は全国で4千万人以上。毎年200万人以上のペースで増加中)
②農耕が不可能になるほどの工場による汚染が頻発する。
③業者と当局が結託して石炭の違法採掘を行うため、人身事故が頻発する。
(2005年の労災事故は69万1,057件で労災死者は11万9,827人)
④国民の3分の2(66%)が無保険な上、医療費が高額なため医者にかかれない。
⑤外貨準備高世界一だが、1日の収入1ドル未満の貧困人口も1億7千3百万人いる。
⑥警察官が住民(特に出稼ぎ者=民工)に対して恐喝を平然と行う。
(1億人を超える民工は都市戸籍がないので人間扱いされない)
⑦裁判官までが賄賂次第なので、不公平な裁判がまかり通る。
⑧医療関係者まで絡んだ誘拐・人身売買が跡を絶たない。
(人身売買は、摘発されただけでも2001~03年の3年間で2万360件、4万2,215人)
⑨模倣品の市場総額は1,600億~2,000億元(2兆2,400億~2兆8,000億円。
(2001年・国務院推計)
⑩密輸品は6年間で9万件以上、2兆6,000億円(1998~03年摘発分)。
⑪党や政府の幹部が、収賄や公金横領を平然と行う。
書き始めると切がないので以上で止めるが、それにしても凄まじい社会である。
人間の「真の自由と平等」を目指す思想に基づいて作り上げた国が、もっとも不自由で不平等な社会になる。
その原因は、まず第一にマルクスの思想にある。第二にレーニンによってゆがめられたロシア革命にある。そして、中国の場合は、マルクスの思想が持つ欠陥+レーニンとスターリンによる歪曲、そこに中国的特殊事情がプラスされた。
毛沢東時代は、共産主義というドグマが何千万人もの人民の命を奪った。毛沢東の後は、共産党による独裁体制が、人民を抑圧し搾取することを合目的化した化け物のようなシステムに進化した。
要は、そういうことではないか。
ソ連は、その体制の劣化に耐え切れず崩壊したが、それを後押ししたのがミハイル・ゴルバチョフ書記長による情報公開(グラスノスチ)であった。
中共は今、言論統制にやっきになっている。ソ連の二の舞いを恐れているのであろう。
が、今の、下部構造が「市場経済」で上部構造は「共産党独裁」という歴史上例のない体制が長続きするとは思えない。
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北朝鮮に関して書く時間がなくなってしまったので、簡潔に言及する。
マルクスの思想をゆがめた形で現実化したのがロシア革命(レーニン及び後継者のスターリン)だった。そのロシア(ソ連)の共産主義を模倣し、さらに中国的にアレンジしたのが毛沢東である。
なぜなら、革命当時の中国はロシアよりさらに遅れており、しかもアジア的特殊性もあったので、アレンジするしかなかったのである。
北朝鮮の場合は、ロシアより遅れていた中国より、さらに遅れていた。中世から近代にかけて政治的・文化的・経済的に完全に独立したことが一度もない。
近代までは一貫して中国の属国であったし、20世紀に入ってからは日本の植民地になった。しかも、植民地時代の日本が残した遺産のかなりの部分は朝鮮戦争で喪失している。
それでも1960年代前半までは、日本が残した遺産のおかげで韓国よりは経済的には上だった。が、それもソ連や毛沢東時代の中国と同じで、時代の変化に体制がついて行けず、急速に劣化・陳腐化していくのである。
また、北朝鮮を赤化した当時の朝鮮党(共産党)の幹部は、首領の金日成を始め、モスクワに留学していない。この点も、毛沢東を除いては、幹部の多くがモスクワ留学組だった中国共産党との大きな違いである。
要するに、朝鮮労働党(共産党)の幹部は、金日成を始め、マルクスの思想の核心はおろか、ソ連型の共産主義思想(スターリン主義)さえ満足に理解していなかったのではないか!
だから、一党独裁、計画経済、個人崇拝という、スターリンや毛沢東がやったことの外形だけを真似た。中身(思想)はまったくなし。
思想がまったくないから、スターリンも毛沢東も考えなかった「権力の世襲」を実行し、チュチェ思想などという、訳のわからない教義を打ち立てる。
北朝鮮は、マルクス主義ともスターリン主義とも毛沢東主義とも無縁な、中世の封建的・半奴隷制国家であると理解してもらいたい。
北朝鮮については、チュチェ思想も含めて、改めて言及したい。
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※データ等で、出所が明らかにされていないものは、すべて過去のエントリーから引用したものです。
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この記事へのコメントは終了しました。
コメント
>中国の場合は、もっとひどい。中華人民共和国が建国した1949年の4年前までは、中国のほぼ全土(主要部)が日本との戦場だった。
「中国」という表記について疑問を感じたので言います。どこのブログもそうですので、確認したいです。
中国というのは中華人民共和国の略だと思っていたのですが、違うのですか?
まあ、中華民国も略せば中国なのかもしれませんが。
当時は言うまでもなく中華人民共和国という国は存在していなく、我が国は大陸のことを支那と呼んでいたと思います。
中国が中華人民共和国の略ならば、中国はたかが50年しか歴史を持っていない。国が違う、民族も違うのに中国4000年の歴史・・とかいう、保守までが中共のプロパガンダに乗ってはいけないと思います。正しく当時の言葉で支那と書くべきだと思います。
そして英語ではチャイナです。おそらく、中華人民共和国が崩壊して、別な国ができてもチャイナ(地理的意味?)なのではないかと思うので、大陸で興った数々の国の総称を、「支那」と言う、と個人的に認識しています。
投稿: とおりすがり | 2006/07/14 22:10
濃くて大きい内容ですが一気に読めてしまいました、流石です。
共産主義の政治形態は言論弾圧との相性が抜群に良いですね。
更に、中国人民は欧州に思想も民主主義も知らないために、成す術も知らず虐げられたままで、中共政府をここまで持ち堪えてしまった。
中共政府は現在外部への侵略と国内の弾圧で維持ですが。
もしも中共政府が打倒された時に、まだ中国人が民主主義を理解していなかったら?
またもや昔に戻って大混乱が続きそう、それも隣国としては困り物です。
投稿: MultiSync | 2006/07/14 23:33
ただひとつ確かなことは、マルクスが考えていたような、爛熟した資本主義が抱える自己矛盾が極大にまで達した暁に、怒れるプロレタリアートの暴力革命により資本家たちが打倒されて到来するはずの「社会主義国家・共産主義国家」なるものは未だ地球上に出現していない、ということですかね。この先マルクスの大予言通りになることが果たしてあるのでしょうか・・・?
中国の場合、易姓革命の伝統がありますから、清王朝に代わって、「共産主義」を看板にしただけの新王朝が誕生しただけなのかもしれません。「王朝」と言っても血統は問題にされないようですが(北朝鮮は別)。
投稿: 中凶殲滅 | 2006/07/14 23:51
マルクスの夢想した社会はまるで新スター・トレックで描かれる地球の姿ですね。
共産主義や社会主義に限らず、このような理想郷的社会は人の業が有る限り永遠に訪れることはなくても、近づこうとする努力は行われ続けるでしょう。…でも人類の歴史を見ていると、まるで三途の河原で石を積んでいるかのようです。
投稿: 774 | 2006/07/15 01:28
とおりすがりさん、おはようございます。
確かに言葉の使い方には気を付けなければなりません。
言葉には、「意味」と「定義」がありますからね。
ただ、戦前の「中国」は、国家としては四分五裂の状態でしたが、「国際連盟」に加盟していたのは国民党政府=中華民国(Republic of China)=「中国」です。
つまり、国際的に認められていたのは中華民国=「中国」で、「支那」というのは戦前の我が国が付けた「中国に対する表記」であって、英語の「China」も「同様」です。
中国流に表記すれば、どちらも「中国」です。
戦後も、台湾のみを支配していたにもかかわらず、中華民国が「中国」で、国際連盟から国際連合に変わった国際政治機構において安保理常任理事国の地位にありました。
このころの我が国や国際社会は、中国本土を支配していた政府を「中共」と呼び、中国とは認めていませんでした。
これが変わったのは、1971年の中華人民共和国(People's Republic of China)の国連加盟と安保理常任理事国への就任です。
この時から、「中共」は国連(国際社会において)において「中国」になったのです。
ちなみに国連を脱退した中華民国は、国際的には「中華台北」(Chinese Taipei)と呼ばれ、オリンピックなどでも同様で、「国家」としてではなく、「地域」とみなされています。
なお、「中国」を「China」や「支那」と呼ぶのは、「日本」を「Nippon」ではなく「Japan」(英語)や「Japon」(仏語)と呼ぶことと変わりありません。
つまり、その国における「国名表記の問題」です。
ちなみに、国連においては日本は「Japan」であって「Nippon」ではありません。
1971年まで中華民国が自らを「中国」と名乗り、それ以降は中華人民共和国が「中国」と名乗り、国際社会で認められるるようになった。
別に違和感は感じません。
国連の国名表記である「People's Republic of China」を中国語に直せば「中華人民共和国」=「中国」、「Japan」を日本語に直せば「日本国」です。
中国は我が国を「Japan」ではなく「日本」と表記している。
我が国が、中国を「支那」や「China」ではなく「中国」と表記しても何の不都合も抵抗もないと思います。
念のため。
とおりすがりさんの意見に「思い込み」を感じたので、レスを返させていただきました。
投稿: 坂 眞 | 2006/07/15 03:57
大変な力作ご苦労様でした。
>「搾取も抑圧も差別もない、真に自由で平等な社会」を目指したはずの共産主義思想
こうした人間社会への洞察も何もない幻想だけを表看板にして、ソ連も中共も北朝鮮も実態は共産党一党独裁の恐怖政治がなぜ成り立ったのかよく判りました。
投稿: yuki | 2006/07/15 07:07
今回のエントリーを大変興味深く読ませていただきました。
少し前に聞いた「世界で唯一成功した社会主義国は日本だ」というフレーズの意味がようやく理解できました。
私が高校生時代の公民の授業では、まだまだ左翼的思想が強かったのか、マルクス的思想を基盤として、社会は封建主義>資本主義>社会主義>共産主義へと進化するという内容になっておりましたが、今現在はどうなっているのか知りたいところです。
投稿: なっぱ | 2006/07/15 09:41
共産主義者の理想
搾取も抑圧も差別もない、自由で平等な社会は
この日本で実現した。
日本人の政治的天才のおかげというほか無い。
共産主義者を気取る人々が
ロシアや中共や北鮮で築いた社会は
搾取と抑圧と差別のある社会であり、
自由の無い不平等な社会であった。
ロシアや中共や北鮮は彼らの伝統的な社会に
皇帝や王の代わりに共産主義者を持ち込んだだけだ。
マルクスの共産主義社会とは全く関係が無い。
無関係なのに共産主義社会が科学的に最新の社会であると
宣伝広告し国民を欺き続けている。
従って彼らは国民に自分達のやっている政治が
共産主義とは無関係である事実が知られないように
情報操作に躍起になっている。
北鮮などは自由と民主主義を守っていると宣伝している。
彼らは日本とは全く別の言語空間で生きている。
投稿: docdoc | 2006/07/15 12:17
マルクスという名前を聞くと、ルソーと言う名前を思い出します。マルクスもユダヤ人といういわれなき差別の被害者ですが、ルソーもまた、親の被害者です。ルソーは生まれたとき母親をなくし、さらに10歳のとき父親から遺棄されました。その後ルソーは、浮浪児さながらの生活をおくることになります。ただ、他の浮浪児と違うところは社会への不満を哲学に昇華させる能力を有していた事です。そのため、「エミール」などという教育論を書き上げました。今では「とんでも本」とみなされていますが、左翼からは指示される教育論です。
マルクスの「資本論」も資本家と労働者と言う対立的構図を示したと言う点において当時としてはユニークだったでしょう。しかし、宗教を認めず、すべて科学主義で判断すべきと言う点が、いかにもこじつけ的で無理がある。人間とその人間が構成する社会の進むべき方向を決定するには、宗教が大きな影響を与えていることは否定できない。人間と社会をすべて科学で割り切る事などできるわけがない。
マルクスは彼の思想を形成する上で、自らの出自に対するいわれなき差別に対し、不満をもっていたことは疑いようがないと思う。この差別を解消することにおおいなる野心を持っていて、すべて科学により判断されるような社会が到来すれば、人種差別などなくなってしまうと考えたとしても不思議ではない。その結果「資本論」が書かれたのではないかと思いました。
エントリー記事を読ませていただいて、ソ連、中国、北朝鮮の核になる思想などというものはなく、単に権力闘争の歴史であることがはっきりしました。参考になる記事でした。
投稿: プライム | 2006/07/15 13:27
最近このブログを知りました。今回の論考を興味深く読ませていただきました。特に前半は圧巻で 共産主義思想の出発点に対する考証はよく整理され趣旨も明快で勉強になりました。小生は若輩のころアジアの共栄という観点から中国に興味を持ち、今も中国に深く関わる職業についているものです。ただ関わるほどに”底なしの欲望”と”倫理性のなさ”を実感し、今では上手にこの国と距離を置く方法を考えざるを得なくなっています。一定の閉鎖状態のなかで世界や周辺諸国に重大な影響を及ぼさぬ程度の混乱や内訌が続く状態が最良ではなかったとさえ思うこともあります。その状態に限りなく近かった文革を終えた時に ここまでのモンスターになることも予想できず、経済活動を通じて共栄を夢見たことを悔やみはじめています。
せめて日々の生活や経済活動に於いて公正と信義を忘れず、中国での数少ない身近な友人たちに理解を求めることしかできません。最後に上とまったく関係はないのですが気にかかったことがあります。小生は封建社会を近代的発展の前段階として評価しています。李氏朝鮮は中世的中央集権的奴隷社会であったと認識しています。
投稿: thedy | 2006/07/15 13:54
勉強になりました 前後編とも保存しておこうと思います しかし不思議なのは今も日本で共産主義を目指す勢力がいるということです 彼らも決してバカではないはずだと思います 日本流にアレンジすれば共産主義も成功すると思っているのでしょうか?そのへんご存じでしたらまた教えてください。
投稿: ころ | 2006/07/15 14:03
私は方々のサイトで左よりの夢追い人とやり合ってきました。
中には結構博学でそれなりに頭を下げたくなる人もありましたが、それらの人も過去や現在の状況認識は鋭いのに、結論はやっぱり電波。朱に交わるとアカくなるしかないのでしょうか。
共産主義を実際に実現するには物心両面での豊かさが必要で、それには永ーい時間を掛けて民度をあげ、社会構成員同士の信頼感を養い、経済を発展させ、沢山の手順を踏んで少しずつ近づくしかないと思いますが、
現実の共産国はそれらの基礎を無視して暴力革命で何もかも一気に達成しようとして、無残な失敗をしてしまったと思いま
す。
今の日本が共産国の理想に一番近いと言われるのも、明治以降の頑張りだけでなく、歴史の断絶がなかったために社会の進歩を有史以来、永続して積み重ねる事ができた為で、
我が国の皇室が途切れなかったために、権力が野に降り続ける事ができ民主化の下地があったため、明治時代に議会導入もできたのです。
翻ってお隣の国では王朝がなんども交替し、その度に絶対的な独裁者が登場して民衆を苦しめ、それが倒れると別の王朝が同じ事を繰り返しの連続であり、
残念ながら我が国と比べると本質的には千数百年遅れていると見るべきだと思います。
彼らと本気で付き合える日はまだまだ先です。
そして我らが進んでいると思っていても、うっかりすると簡単に荒んだ社会になってしまうものだと思います。
所詮彼らと同じ人間でしかありませんから、社会維持の方法を間違うとすぐに彼らと同じレベルに落ちると思います。
だからアカイ自虐史観にとらわれず、我らの社会の真の価値に気づきそれをしっかり守っていくべきなのです。
投稿: 愛子様の弟 | 2006/07/15 17:58
共産主義はなぜ破綻したのか?>
ブログを超越したエントリーでした。驚嘆ものです。
マルクスが創りあげた共産党宣言という怪物は一体全体何億人の犠牲者を生み出したことか。
人類が生み出した至上最大の愚作なのかもしれません。
マルクスに責任は無いにしろ、余りに致命的な結果をもたらした。
人類の負の遺産として世界遺産に登録すべき代物だ。
投稿: クルーソー | 2006/07/15 20:35
坂眞様。
わざわざレスありがとうございます。
投稿: とおりすがり | 2006/07/15 22:12
こんばんは、坂様。
私のような愚鈍なものではすべては理解できていなのかもしれません。しかし、「共産主義はなぜ破綻したのか?」の命題に対し、やはり、共産主義の考え方自体に欠陥があり、個人、もしくは一組織による搾取が実行可能(というか、利用可能)な致命的な欠陥を持ちえているからこそだと思います。
また、中ソ北などが共産主義国家となりえたのも、坂様のご指摘どおり、それぞれの国家・民族が歴史的経験の賜物であり、我が国がそうならなかったのも、そうさせなかった歴史・習俗・習慣があったからこそだと思います。
私は、我が日本という国家、すべての人間に対し、平等の富の分配など、全く考えたことがなかったからこそ、共産主義とはなりえなかったと思います。それは、現在の安直な勝ち組・負け組み、というものでもなく、ただの横並びでもなかったと思います。
人は自由を欲しながらも、束縛も欲するもの。私のような愚鈍なものにも理解できない共産主義など、人類共通の理想とはなりえないと思います。
投稿: Mars | 2006/07/15 22:36
社会主義や共産主義に幻想を持つかどうかはさて置き、8時間労働制とか労組の団体交渉権やスト権とか年金制度や各種福祉制度は当然社会主義的思想に基いており、小生のような一般庶民の多くはその恩恵を受けているわけです。ですから、労働者の権利保護を謳う社会主義的思想が一から十まで間違っているということにはならないと思います。資本主義には資本主義なりの欠点があり、それを是正するものとして社会主義的視点も必要なのではないでしょうか(こんなことをいうとオマエは修正主義者かとか日和見主義者かとかとサヨク陣営から言われそうですが)。プロレタリアートによる暴力革命を否定し、議会制民主主義に基く革命を主張した、西欧に根付く社会民主主義もこういう視点を持っています。資本や生産手段を独占する資本家階級と、それらを持たず自己の労働力を切り売りするしか生きる術がない労働者階級の間の関係を「搾取」概念を用いて明らかにしたマルクスの洞察は今なお強靭な生命力を保っているのではないでしょうか。人間に宿命として課せられる「労働」をマルクスは本来的に「自己実現」のためのものとして捉えました。しかし共産主義(原始共産制も含む)体制以外の体制では労働は結局「自己実現」という本来のあり方から疎外され、「搾取」の一形態に堕してしまう、というのが彼の唯物史観の根底にあった主張です(資本主義体制の場合産業革命時のイギリスの工場労働の悲惨な実態や日本の「女工哀史」を思い浮かべるとよく分かるでしょう)。
長文大変失礼致しました。小生共産主義者でも唯物論者でもありませんが、マルクス主義の全てを否定するわけにもいかないということが言いたかっただけです。現実に存在する「共産主義」国家(特に特アの)がトンデモナイからと言って、マルクス主義も全部ダメだということにはならないのではないでしょうか(ダメな部分も相当あると個人的には思っていますが)。
投稿: 中凶殲滅 | 2006/07/16 05:30
皆さん、こんばんわ。
コメント、ありがとうございます。
いくらかでも参考になったようで、うれしく思います。
>共産主義や社会主義に限らず、このような理想郷的社会は人の業が有る限り永遠に訪れることはなくても、近づこうとする努力は行われ続けるでしょう。…でも人類の歴史を見ていると、まるで三途の河原で石を積んでいるかのようです。
「まるで三途の河原で石を積んでいるかのようです」
まさに言い得ていると思います。
やはり、永遠の「夢」なんですね。
現実ではない、と言うことです。
>共産主義を実際に実現するには物心両面での豊かさが必要で、それには永ーい時間を掛けて民度をあげ、社会構成員同士の信頼感を養い、経済を発展させ、沢山の手順を踏んで少しずつ近づくしかないと思いますが、
現実の共産国はそれらの基礎を無視して暴力革命で何もかも一気に達成しようとして、無残な失敗をしてしまったと思います。
これは一つの見識だと思います。
ただ、いわゆる「千年王国」ですね。
「近い将来キリストが地上に再臨し、よみがえった聖徒とともに千年王国が実現し、その後、終末の審判が行われるという信仰。ユダヤ教のメシア待望の中から生まれ、初代キリスト教会に伝えられた。至福千年説。千福年説。千年説。」
(大辞泉)
>社会主義や共産主義に幻想を持つかどうかはさて置き、8時間労働制とか労組の団体交渉権やスト権とか年金制度や各種福祉制度は当然社会主義的思想に基いており、小生のような一般庶民の多くはその恩恵を受けているわけです。ですから、労働者の権利保護を謳う社会主義的思想が一から十まで間違っているということにはならないと思います。
これは、そのとおりだと思います。
だから、我が国にも国益本位の「社民主義政党」が必要なのです。
英国労働党とか独社民党、あるいは仏社会党。
が、残念ながら、我が国にはそういう政党が一つもありません。
共産党、擬似共産党、リベラルまがいetc.
本来は民主党がそうなるべきなのですが、これがまた雑煮のような政党で話になりません。
欧州のような、保守と社民、あるいは米国のような保守とリベラルの政権交代が行われる。
そしてお互いに切磋琢磨する。
これが理想だと思います。
投稿: 坂 眞 | 2006/07/16 19:22
ころさん、こんばんわ。
>日本流にアレンジすれば共産主義も成功すると思っているのでしょうか?
完璧にそう思い込んでいます。
レーニンがマルクスの思想を宗教の域にまで高めたので、もう一種の信仰と同じです。
私のように洗脳が解ければよいのですが…
投稿: 坂 眞 | 2006/07/16 19:58
面白い内容です。思わす見入ってしまいました。誘拐、人身売買、臓器売買などが公然と行われている実態を知り、愕然としました。
功輪法大量虐殺につきましては、目を覆いたくなります。中国国民がが真に自由になる日を祈るばかりです。
投稿: すすむくん | 2006/10/23 16:43
簡単に言うと、イデオロギーという巨大な洗脳装置を作り、そのストーリーを改変できないような一種の神学にしてしまったことが原因です。それはオーム真理教と本質的に大差がない。いま、ネット上であらたな洗脳を試みるものがでていて、明らかに検索順位のおかしなものがある傾向に沿って上がってくる。たくさんのキーワードをぶち込むことが、偏りのない情報検索術となっている。
投稿: アンチ洗脳 | 2014/09/28 17:56