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前回の中途半端な記事のついでで、今更なのですが掲題の件について書こうと思います。 その前に話の枕をひとつ。 鉄血のオルフェンズ普通に面白いんですけども - はてな匿名ダイアリー http://anond.hatelabo.jp/20151012013518 僕はガンダムシリーズはテレビシリーズ、劇場版、OVAと一通り視聴しているのですが、このガンダムゼノグラシアに関してはまだ見ておりませんので、増田さんの脚本評価については判断しません。まあ脚本家の限界でキャラクターの行動や理路に不自然さが生じるのではないかという問題意識はあります(僕は別にプロの創作者ではありませんけれども)。 「作中で“IQ180の天才”という評価のわりにものすごい頭悪そう」とか「西暦2300年代の未来人のわりに考え方が20世紀人」とか「キラは敵じゃない!」とか「シドニーは夏とか冬とか雪で真っ白とか言う以前に大穴だろ」と
(2015年5月14日23時34分追記:読み返したらコピペミスで文意不明の箇所などがあり、こまごま修正) ■長い前置き このダイアリーでも何度か言及した英国のミステリ小説家で、『女には向かない職業』や、『トゥモロー・ワールド』の題で映画化された『人類の子供たち』の作者であるP.D.ジェイムズが昨年11月末に亡くなっていたことに、昨日気づいた。94歳であった*1。 彼女の最後の作品となったのは『高慢と偏見、そして殺人』。タイトル通り*2、ジェイン・オースティン作『高慢と偏見』の“続編”として書かれたもので、「高慢と偏見」本編の数年後に起こった殺人を描くという、作者91歳の二次創作だ。 高慢と偏見、そして殺人〔ハヤカワ・ミステリ1865〕 (ハヤカワ・ポケット・ミステリ) 作者: P・D・ジェイムズ,羽田詩津子出版社/メーカー: 早川書房発売日: 2012/11/09メディア: ハードカバー購
※当初、この記事のタイトルを「"日本"という国の新しいイメージ」にしようと思っていました……(半分寝ながらのろのろ書いていたら、まさか荻上さんとタイトルが被るなんて) ※2/26追記:けっきょく、タイトルを「海外からどう見られているか異常に気にする国……じゃなかったっけ?(仮)」から、「"日本"という国の新しいイメージ」に戻しました。 そしてまた現在の自分を思うと、この日記中の自分は別人のごとくである。昭和二十年以前のそのものがあの当時は今の日本人とは別の日本人であったのだ。当時すでに、いまとは別人の逆上気味の私でさえ、戦争に対するものの見方は公平に見て私のまわりとはややちがうことを自覚していた。今ふり返って失笑ないし理解を絶するところは、他の人々にはもっと多量に存在していた。 しかし、それはほんとうに別の存在であるか。 私はいまの自分を「世を忍ぶかりの姿」のように思うことがしばしばある。
人工知能学会の表紙は女性蔑視? - Togetterまとめ http://togetter.com/li/607736 上記の記事については、たまたま比較的早い段階で目にし、その後の展開(と炎上)が予想されたので、主張を絞りつつ2ツイート(※・※)ぶん言及し、それで終わらせるつもりでいた*1 *2 。 その後、RSSなどで入ってくる反応やその後の展開をちょいちょい流し見るに、僕の立場からするといくつか気になる意見もあったが、それに対しても少なからぬ人々が異論・反論を主張していたため、僕自身はそのままフェードアウトしてもよいだろう、と思っていた。過去の経験から人を苛つかせる能力にはそれなりに長けているようなので、ここでわざわざ油を注ぎにいくこともないだろうと。 その折、以下の記事を見た。 あの程度で「性奴隷を作りたがってる」とか言ってるんじゃねーよ http://anond.hatelabo
爪切りってありますよね、そう、あの「く」の字型になって、テコの原理で爪をはさんで切るやつ。 僕は子供のころ手のかからないいい子と言われてましてねぇ、や、なんかそれって前回のエントリでちょっと言及したように少年犯罪フラグみたいですけど、そういう話じゃないですよ。 で、爪切り。もう幼稚園に入る前*1から自分で爪切ってたんですけどね、え? 深爪とかしそうで危ない? あぁ、それは確かにそうですねえ……まあ僕の場合、偶発的な危機に対する察知能力は低いんですけど自分で刃物持ったときは慎重なくらい慎重だったので、そういう話でもなくてですね。 その爪切りを使うとき、刃を押し込む側のパーツの裏側に、金属の波打った部分があるでしょう? あるいは鮫肌か?って感じのざらざら。パーツのわりと全体だったり、ごく一部だったりという違いはありますが、アレ、爪を切るときに親指に引っ掛かったりしますよね。 一体アレはなんだろ
前回の記事で、赤子の手をひねるがごとくCD-Rをおしゃかにしてご覧にいれましたところ、id:sisyaさんがはてなブックマークで言及していわく「この手法はDVD以降のディスクには使えない」 http://b.hatena.ne.jp/sisya/20130404#bookmark-139271630 えっ、と思いました。 なぜならば、僕ははとりあえず百枚単位で溜まっていたCD-Rのほうを順繰りに処分していたので(←CDシュレッダー買えばいいのに)、まだDVD-Rに手を付けていなかったのでした! しまった。DVDもBDも同じようなものだろうと考えて、いっしょくたに言及していました。 というわけで、とりあえず手近のDVD-RWを手に取り、前回記事よろしく切り込みいれてクラフトテープを貼りつけてみたのですが、なるほどたしかにCD-Rのときのようには剥がれないではありませんか。 しかたがないのでち
記録型のCD、DVD、Blu-rayなどといった円盤メディアに記録した内容情報を秘匿したまま十枚かそこら処分する場合、わざわざ専用のシュレッダーを買わなくてもいいんじゃないの? という話をします。 (何十枚、何百枚あるという場合はおとなしく買った方が身のためです) ※追記:なんと、以下に書く方法が有効だったのはCD-Rだけでした! のんびりCD-Rだけ処分していたので気づきませんでしたが、id:sisyaさんののブックマーク http://b.hatena.ne.jp/sisya/20130404#bookmark-139271630 を拝見してDVD-Rで試していないことを思い出し、以下の方法をこころみたところ、DVDは構造上もうちょっと面倒くさいことになってました(処分可能ではあったものの、へたすると破片が飛び散るなど危険)。ブルーレイはまだ未検証です。ということで、CD-Rの処分にC
(Webで公開するにあたっての注記:原発に関しても中国に関してもまだ事態は収束していないので、特に個別具体的な批判にはしていない。このダイアリーの記事はどれもわりとそうだが、今回は特に覚書の側面の強い、この社会に対する個人的な印象論である) 追記9/23:この記事を書いたあとでは、「よろしい、ならば戦争だ」「非常事態に備えて防衛力が必要だ」みたいな記事のほうが勢いを増したような感じもあり、なんだかこの記事が説得力を失ってしまったような気もする*1。「遠くの"アラブの春"のときはソーシャルメディアを礼賛していた人が、自分に火の粉が掛かりそうな隣国の件に関しては"なんで中国政府は早く微博を規制しないんだ"というようなことを言ってる」といったブログ記事かツイートがあったのをちらと見た。いかにもありそうなことだっていうか、本記事より、そちらの書き込みのほうが今回の事態を簡潔に言い表しているようにも
冬は好きだが、寒さを覚えて古傷が疼く季節でもある。 その疼痛を増幅させるような話を聞いた。「歩道を走る自転車と歩行者の事故」が目立つといって、警察が「自転車は原則として車道を走る」よう指導を徹底する方針らしい。あらかじめ断っておくと、僕は「自転車が歩道を走ってなにが悪い」と主張するものではない*1。むしろ小学生の時分から車道を走る自転車乗りであった。 それで事故にあってしまう。 小学生のころ。眼科で初めてコンタクトレンズを処方された帰り道、自転車で帰宅する途中だった。進行方向に合わせて左車線を走行し、車道と歩道が明確に分離していない(ガードレールのない)狭い道路に駐車されていた軽トラックを避けて通りすぎようとしたとき、軽トラックのドアが突然開き、非常に悪い偶然で左足膝上に裂傷を負った。さらに、右側に吹き飛ばされたにも関わらず(左利きのため)とっさに頭をかばって出たのが左手だったので、折れた
前回の記事 「中国嫁の差別性」によせて http://d.hatena.ne.jp/islecape/20110801/yome を書いてだいたい10日後のislecapeです。コメントなどで意見をいただくことももうないようなので、まとめに取りかかろうと思います。 あらすじ 今回の件について三行……は無理だったので、三段落で簡単に解説すると、 まず「中国嫁日記」というタイトルのエッセー漫画があって、この"中国嫁"という題名で「中国+嫁」という組み合わせであるとか「嫁」という言葉そのものに引っかかりを覚えるという意見がありました。そのように、引っかかりの原因を"そこに内包された差別性"などと指摘する意見と、それに対する反応を見ながら、僕は、 「(エッセー漫画ということもあり)Webで可視化された作者の普段の言動も勘案してしまうと、そもそも全体としてちょっと危なっかしい感じもあるけれど、題名・
※追記:フォロー記事書きました 「中国嫁」の落穂ひろい(一年ぶり二度目) http://d.hatena.ne.jp/islecape/20110810/yome こちらのほうがいくぶんすっきりしています。文章量、はんぶん。 ※冒頭補記(2011.8.3 16:23) こんにちは。この記事を書いて2日後のislecapeです。 そもそもこの記事では、回りくどくも「中国嫁」が「差別とは思わない」と言っているので、「中国嫁が差別とかなに考えてんだ」というような感想は送っていただかなくても結構です。ああ……タイトルが悪いんですね。"「中国嫁の差別」(という非難)によせて"とすればよかったんですね……(なんかこのパターンは前もあったような) ※冒頭補記その2(2011.8.6 19:40) こんにちは。この記事を書いて5日後のislecapeです。 この記事がいつのまにか「中国嫁」の検索でかなり上
「トラックバック」の意味もわからずにとりあえず始めてみたYahoo!ブログの、その表現しようのないあまりのあまりさにびっくりして*1、(exciiteブログも試しつつ)はてなダイアリーに来たのが3年前、2008年5月30日のこと。 エスツェット 悪のシンジケート「腐乱鐘呪」(ふらんべるじゅ)によって生み出されたスーパーサイボーグザメ。 宇宙警察の手入れによって組織が壊滅したあと社会復帰プログラムを受け、シェイクスピア研究を専攻し大学院に進学するが、指導教授のイヌとオセロー解釈の違いで対立し中退。汎ユーラシア共同体の植民惑星・海洋惑星オケアニスで海賊となり、その地で代理戦争をする国連やアメリカ大陸連合の以下略(うろ覚えによる再現)……というような自作のサメキャラクターイラストをアカウント画像として使るため、たまに呼びかけられるときに「サメ」扱いされる。最初「サメ」呼ばわりされたときは「なんの
雪は積もらなかった 降ったのがそもそもまちがいだったのかもしれないといえるような気候だった 日陰に隠れているうちに、わずかばかりの塊もみるみる消え去り 日が落ちても、気温は下がらず―― (ひとり/ただくずれさるのを/まつだけ) …… 目のくらむようなまぶしさ に とうとう朝が来たのかと覚悟したが そうではなかった これが夜か まだ太陽は眠っている 最初で最後の機会だった いろいろなものを見てまわろう 一歩、踏み出すことにした 初めて見る、よくわからないものを楽しみ…… 滅びゆくものにシンパシーを抱き…… 未来の不確実さを思―― なんかデジャヴを感じた …… ちょっとひといき 上出来だ 太陽に睨まれていたら、こうはいかない 吸血鬼の気分というか しかしその一方で 月が霞んでいるのは気になった 眠る時間も惜しいというかのように―― 一人ひとりが、夜に月を必要としているということで―― その、一
当たり前のことだが、この世界に自分と同じ人間はいない。 たとえ「遺伝子がまったく同じ」という一卵性双生児であっても、100%同じ経験はしない。遺伝子は同じでも、その生育歴が双子をまったく別の人格に育て上げる。 生活上の好みや些細な癖から、政治信条・信仰する宗教まで、どんな少数派であろうと「考え方が近い」人というものは、もちろんそれなりにいる。特にインターネットがその傾向を加速させたというが、同じものを愛好する人は、どんなマイナーな分野であろうと存在し、そのものの愛好者として居場所を見つけることは、難しくなくなってきている*1。 だが「自分と(まったく)同じ人間」は、やはりいない。 Webでの沈黙は「非存在」と同義で――単に新聞やテレビの代替など情報入手手段として利用するならともかく――ソーシャルメディアにおけるROMに「存在感」というものは決してない。必然的に、なにかしらを表現することで、
http://d.hatena.ne.jp/islecape/20110111/p1#c1294817745 より このページ http://d.hatena.ne.jp/islecape/20110111/p2 は独立したブログエントリとして意図されたものではなく、上記コメント欄の続きです(投稿日時は2011年1月15日午後11時53分……くらいだったと思います。) まえがき 平易に書き、なおかつわかりやすい文になっている、というのはもちろん理想なのですが、残念ながらどうもその能力がありません。文体診断サービスによれば僕の文章は常に「一文が長い」そうです。それに加え、「Webに書くということは、それは広く公に向けて書くことであってその責任が云々」とか言いつつ、ふだんから読み手のことを考えず書き飛ばしがちで、意をつくせない文章になりがちです(思想信条の異なる人、意見が対立する人には特に)。
※冒頭付記(副詞、指示代名詞、こなれない表現など可能なかぎり元の文から意図を外さないよう修正。誤字脱字訂正。一部文言追加。最終更新日時・2011年1月14日午前2時9分) 僕も日本の現在の人権状況について懸念は感じています。また、そうした現状についてまったく考慮することなく「表現の自由」を主張してそれで済ませようという場合、「表現の自由」が差別構造の現状追認、もっといえば差別構造の温存・推進に働く点は否めないとも思います。しかしそれでも僕は「ヘイトスピーチの規制にも反対」と書きました。ここではそのことについて考えてみます。 まず、彼の「倫理観」ですが、これについては僕は何も言うことがありません。 理由はふたつ。 1:彼がどのような論を展開していたか、ブログがプライベートモードになった今となっては確認できないため 2:人が「関係性」の中で生きる存在である以上、その倫理観の表明と行使とは他者に
前回のエントリで、自分の素人創作について語ったのと相前後して、妙に「処女作」という言葉をあちこちで聞いたので、もともと気になっていたこともあり、ひとこと書いておこうと思う。 何が気になったのかというと、 しかし、作る前が処女だったわけで、発表してしまっているんだ。正しくないんじゃないのか。たとえば出版物であったなら、本屋に並ぶまでにも多くの人の目に触れ手を渡る。その過程そのものはすでに処女喪失のイニシエーションだ。 出版によって、処女だったその作家は大人になるのだ。つまり、その作品は処女作ではなく、処女でなくなる一歩だったのだ。 これからは処女作と呼ぶのはやめて、破瓜作と呼ぶのはどうだろう。初めて作ることの痛みや喜びも表現できる言葉だと思うのだ。人によっては失望を味わうこともあるし。 処女作 - 中野の鼻 http://www.argas.net/~nakano/item/1633 いや、
一九七〇年代のことだ。妻キャロルとわたしは地方の映画館で、なんともひどい映画を見ていた。あまりのひどさに、わたしは途中でつぶやいた――「こんなところで時間をつぶしてないで、もっとおもしろいことをしたいな。今の時代から滅亡するまでの人類の歴史を書くとか」。キャロルが小声で答えた――「じゃ、書くといいわ」。わたしたちはすぐに席を立ち、映画館を出た。その夜わたしは『生得権*1――地球人の書』(Birthright:The Book of Man)というオムニバス長篇小説の概略を作った。人類の歴史の物語で、超光速航宙を達成したあと、今から一万八千年後に滅亡するまでを描く。 補遺1 〈バースライト・ユニバース〉の成り立ち『スターシップ―反乱 (ハヤカワ文庫SF)』*2 あるときスミスは三千年をなくしてしまったことがある。西暦六〇〇〇年から九〇〇〇年までの歴史で、スミスはこれを背の赤い小型のノートブッ
以下エントリを未読の方は、ぜひそちらからご覧ください。 翻訳者「25年前に頼まれた翻訳オワタ\(^o^)/」 出版社「え」 http://d.hatena.ne.jp/islecape/20100823/p2 上記エントリの続編として、岩波文庫のあとがきで翻訳者がいかに「怠惰につき出版が遅れてしまいお詫びする」的な謝罪をしているかを調べあげ、2020年に岩波文庫白帯(社会科学系)のあとがきを100冊調べた「遅くなってごめんなさい>< 10年間ずっと気にしてました><」を発表*1し、さらに2030年には岩波文庫青帯(哲学・自然科学系)の後書きを100冊を調べたうえで「遅くなってごめんなさい>< 10年間ずっとry」を投稿する予ry それはともかく前エントリについて補遺をふたことみこと。 ※なお、今回もタイトルはふざけ気味ですが、おもしろおかしく笑わせるようなエントリにはぜんぜんなっていません
「私の友だちなんて、もう二週間も行方不明だよ」 ええっ。私はかなり驚いた。老人界では、そういうことはよくあることなのか? 「いやあ、徘徊老人のために警察は動いてくれないしねえ。いつものことだから、家族ももう諦めてるみたいだよ」 「でもさすがに二週間はまずいんじゃ……。例のアナウンス*1はかけたんですか?」 「うんにゃ」 なんでもないことのように、おばあさんは首を振った。自発的楢山節考というかなんというか、老人たちの潔さにたじろいでしまう。もしかしたらこうやって、人知れずどこかへ消えてしまった老人はたくさん存在するのだろうか。死亡届も出されないままで、市役所の戸籍係が、「あれ、この人、今年で百四十五歳だぞ?」と首をひねるケースが多くあるのかもしれない。 三浦しをん『人生激場 (新潮文庫)』*2 百四十五歳どころではなかった。 今や国内最高齢記録は200歳に達した。人類は、まったく意識しないう
塩尻公明さんの悲劇 岩波文庫版ジョン・スチュアート・ミル著『自由論』(原題:"On Liberty")のあとがきに、岩波書店の吉野源三郎がこんなことを書いている。 一九三八年ごろ、三木清、栗田賢三両氏と私とで相談して、岩波文庫に収録すべき哲学関係の文献のリストを作ったことがある。ミルの『自由論』もその中に入っていた。そして、その訳者としては河合栄治郎氏が最も適任だということは、私たち三人だけでなく、当時何人も認めるところであった。 吉野源三郎「あとがき」*1 J.S.ミル『自由論 (岩波文庫)』(塩尻公明、木村健康共訳)*2 吉野は河合栄治郎に学んだことがあり、河合もこの依頼を受諾。しかし自由主義者であった河合が軍部と対立して、いろいろあった結果休職処分となり(平賀粛学)、さらに出版法違反で起訴され法廷闘争を繰り広げることとなるにより『自由論』の翻訳どころではなくなってしまう。けっきょく河
※拾いこぼしがあるような気もするので、気付いたら随時追加します。 前回投稿したエントリ「もふもふしたウサギが主演する戦争アニメは、ただそれだけで非難に値する」(以下「もふもふ〜」)について、ほとぼりも冷めたようなのでいくつか*1。お忙しい方もおられるでしょうから、とりあえず結論を三つ箇条書きで。 タイトルが内容に即したものではありませんでした。「YouTubeコメント欄のCatShitOne派の意見にうなずけない件」とでもすればよかったかなと思います。 論じるにあたって、カテゴリーの異なる「成年向けゲーム」と「ストライクウィッチーズ」についてまとめてひっくるめて批判的に言及したのは軽率でした。これらは本来は別個に批判すべきものです。 あれ? 二つだった。 反響について 前回のエントリ「もふもふ〜」ではコメント、トラックバック、ソーシャルブックマーク、Twitterでの言及などで、およそ60
※2010年8月24日補記:本記事は当ダイアリーのものとしては珍しく、大きな反響を呼びました。Webで公開して「これほど多くの人に見られるとは思わなかった」という言い訳をしても通用しないとはもちろん考えていますが、実際そう考えがちになってしまうのは事実です。そのあたりの脇の甘さはご勘弁いただくとして、以下のように反省しましたのでご覧ください。 「もふもふウサギ」エントリの落ち穂拾い(暫定版) 日を改めて、本記事の改題と改稿も行う予定です(なお記事の「削除」は行ないません)。 - 以下本文 - つい先日、動画投稿サイトYouTubeに以下のようなアニメ作品が投稿された。 戦争漫画家として有名な小林源文氏の作品を3DCGアニメ化した"Cat Shit One - THE ANIMATED SERIES"だ。 簡単にあらすじをいうと、「G.I.っぽい民間特殊部隊員のウサギ二匹が、アラブのテロリス
Webに真偽不明の情報を流す行為を「入会地の火遊び」とでも呼ぶのはどうだろう。 そのうちすべてを燃やす。 流言拡散装置としてのTwitter むかしむかし、あるところにおじいさんとおばあさんが暮らしていました。毎日毎日、おじいさんは山へ芝刈りに、おばあさんは川へ洗濯に行きました。 ある日のこと、おばあさんが川で洗濯をしていると、川上からいくつもの大きな桃がドンブラコドンブラコと流れてきました。おばあさんは大喜びで桃を引き寄せました。しばらくあと、桃に混じって、「この桃は遺伝子操作で異常肥大させた桃です。猛毒があります。絶対に食べないでください」などという警告文が流れてきましたが、おばあさんは一刻も早く桃を持って帰ろうと洗濯の続きに夢中になっていたので、気づきませんでした。 桃を持ち帰ったおばあさんでしたが、あまりにも量が多かったため、ご近所にもおすそわけしました。たくさんの桃をもらったご近
東京ローカルのテレビ局・東京メトロポリタンテレビジョン(MXTV)のニュースで、米ニューヨークの24時間ニュースチャンネル"NY1(ニューヨーク・ワン)"の報道を字幕つきで流すコーナーがある。話によれば提携局らしい*1。 それによると、ニューヨーク市の公共バスで、経営合理化に伴うサービス低下*2などに怒った乗客が運転手につばを吐きかける事件が多発しているとか。 それだけでもびっくり仰天ニュースのような気がするのだが*3、それよりニュースの主眼が別のところにあったので別の意味で驚いた。 「私も吐かれている」……えっ 報道によると、ニューヨーク市交通局には、職務中暴行を受けることによって有給休暇を取得できる制度があるという。2008年に運賃をめぐるトラブルで運転手が乗客に刺殺されたことがきっかけということで、つば吐きも「暴行」として扱われる。2009年には83人のドライバーが乗客から唾を吐かれ
ミルクを渡されて 首をかしげ臭いを嗅ぐ人がいる そのまま冷蔵庫に戻す人がいる 製造元に問い合わせる人がいる そしてこぼす人が出てくる 拭き取ろうとする人はいるが、落ちきるものではない それよりも拭き取っているのがこぼした本人でないのはどういうことだ もちろん不注意でなしに、ミルクをこぼす自由はある しかしその結果を引き受ける覚悟はあるのか ましてやぶちまけるなど 多くの状況では、決定的な検証を行う機会はまったくといっていいほど生じない。ある種の流言は、すでに当然のことと受け入れられている観点から見るときわめてもっともらしくみえるために、もはや検証の必要はないとみなされる。怠慢から新しい定義がそのまま受け入れられて合意が形成され、その解釈が反駁も否定もされないというただその理由だけで確認される。人々は、ものごとが一般に信じられているという理由だけでそれを信じ込んでしまう。こうして、ある種の流
※冒頭補記:ちょこちょこ事実誤認があるようで、その都度訂正を入れてます。ごめんなさい。 表題の通り、3月17日にガイ・リッチー監督、ロバート・ダウニーJr.主演のワーナー・ブラザース映画『シャーロック・ホームズ』を鑑賞した。 ショッピングモール併設のシネマコンプレックスは、平日午後2時半からの上映にもかかわらず満席。公開から最初の水曜「レディースデー」ということもあってか、女性が目立っていたように思う。ロバート・ダウニーJr.とジュード・ロウの威力か。 すでに情報が流れているが、海外では好調な興行成績を記録し、早くも続編の製作が内定しているという*1。 映画は、背後から迫りくる馬車を表現したサラウンドから始まる。本編中そうした音の演出が申し訳ていどにちりばめられているのだが、そのあたりの演出論については詳しくないのでパス(でもとりあえず画に関しては「目ざわりでやかましい映像遊び」という意見
Tweak Twitter上で発言をフォロー(購読)している人が増えてきたからか、あるいは、フォローしている人たちがTwitterというメディアに「慣れた」せいなのか、僕の個人的な観測範囲内でもかなり直截的な性の話題が目につくようになってきた。 旧来型の受動系メディアでは、どんな情報の送り手がどういう情報を作るかを100%コントロールすることはできない。そのかわり、飛び込んでくる情報はある程度スケジューリングされており、そのことを考慮しつつ受け手が選ぶことはできる。本なら読む前に選べばよいし、テレビならチャンネルを変えればよい。 しかし、Twitterの場合、基本的に「この人の発言を追いかけよう」とフォローした人(アカウント)の投稿が一律にずらっと並ぶ「タイムライン」がコンテンツのすべてである。「常に性的な発言をする人を快く思わずフォローしない」ことはできるが、「自分がフォローする人が性的
十九世紀後半から二十世紀初頭にかけて、非イスラーム・近代主義の立場から、『女性解放』(1899)を著すなどし、「エジプトフェミニズムの父」と呼ばれる弁護士のカースィム・アミーンが「一夫一婦」を称揚する運動を行ったことについて、人類学者で、女性・ジェンダー研究に携わるライラ・アブー=ルゴドが、『「女性をつくりかえる」という思想――中東におけるフェミニズムと近代性』のなかで、こう批判する。 私は(略)次のように主張する。アミーンは女性の権利、教育、就労について語ってはいるが、そうした主張を展開することによって彼が本当に奨励しようとしていたのは、近代ブルジョワ家族という家族組織と、そこで理想とされる夫婦愛や科学的な育児であった、と。アミーンが推奨した近代ブルジョワ家族は、のちの西洋フェミニスト、マルクス主義者、そして二十世紀後半の社会理論家たちによって、今では女性に強いられる服従の原因として非難
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