ネットの多数派が理性ではなく、危な"そう"という感覚で物申していることが明らかになった良い例だった。
んで、建築家自ら長文で安全性について説明されたら、自分たちの間違いを認めるのではなく、そもそも休憩所なのに身の危険を感じさせるのがナンセンスという方向に話を持っていったんだっけ。まぁ、実際は他の休憩所と変わらないぐらいの人がいたというオチだったわけだが。
つまり、叩きたい、批判したい、最初に抱いた自分の間違った感覚を正当化したいという思いから生まれたそれっぽい詭弁だったということが証明されたわけだ。
まぁ中には建築家の説明を受けて、『でも、絶対に壊れないとは言えないでしょ?』とか『検証の際にヒビが生じたかもしれないよ』とか言う人もいたわけで、そう言う人よりは何倍もマシ、、、いや大して変わらんか。
SNS時代だと自身の感情論をそれっぽく正当化してくれる詭弁が簡単に見つかっちゃうから、いくらでも自分の非を認めないことができちゃって大変だよなぁ。